青年学級の合宿から
青年学級の合宿が、天候にめぐまれる中、9月の終わりの週末に行われた。パソコンで、あるいは手を振りながら、沢山のメンバーと会話した。
最初は、Nさん。宿舎についたばかりの部屋で語ってもらった。耳にハンディを持ちながらも、Nさんはパソコンでまず、次のように語る。
気持ちが言いたいけど一人ではいうことができないので寂しい。みんなと話したい。願っていましたからうれしいです。小さいときからの理想でした。祈って理想と願いのためにみたこともない光(疲れました)
いったんは疲れたといって語るのをやめたNさんだが、その後の活動は、いつもよりはるかに私たちのそばにいた。そして、夜、スタッフが、「寝ずの番」をしているところにやってきて、手でいろいろなことを語った。何年ぶりかでやれたキャンプファイヤーが、とても感動したようで、そのことをめぐる話だった。
夜のやみにきれいに火がはいってきました。年輪の歌を歌いたいです。聞いてうれしいです。年輪の歌(昨年のオリジナルソング。Nさんのことも歌になっている)をみんなで歌いたい。きっとみんなも気にいってくれると思います。
そして、さらに、そのキャンプファイヤーのことを次のような詩にした。
きれいなあかりをともしたい
きれいなあかりをよい未来かけはしをかけて
ねがいをみんなでかなえよう
るいりろのあかりをともして
ゆめのろうそくをともして
るりいろのろうそくをきれいな光にかえて
よい未来をつくろう
ねがいをきっとかなえてくれる
ゆめのくらやみをてらそう
きれいなあかりをともして
このるりいろのあかりをともしつづけよう
よいきれいな心で よいきれいな音とともに
よいきれいなわたしのために
よいきれいな君のために
よいきれいなみんなのために
願いをきっとかなえたら きれいなあかりがともるだろう
よききれいなゆめのような よいきれいな未来がひらけて
わたしをまっているだろう
よいきれいなゆめのような よいきれいな未来がひらけて
わたしを待っているだろう よいすばらしいよい春が
未来をつくっていこう
Fさんは、夜のキャンプファイヤーの後の交流会のひととき、お菓子や飲み物を前にしながら、次のような文章を、手を振る方法で表現した。
気持ちを言いたいです。つらいです、気持ちを言うことができないということは。よいやり方ですね。夢みたいです。私の気持ちを聞いてください。よいやり方ですね。気持ちを言うことができて、うれしいです。夢みたいです。みんなにもこのやり方で気持ちを聞いてあげてください。(今、書ける詩はありますか。) あります。
よい風が吹いてきて、よい夢がかない
私のもろい心がこわれそうになっても
きっと私の心を素直にしてくれる
夢のその言葉を空高く私はかかげ
願いの理想の言葉を私は苦しみの中から私は歌う
よい詩ですか。簡単です。留守番をしてきたように私はよい願いをもらいました。よいやり方ですね。私のかあさんを楽にしてあげたいです。腰です。腰が痛いと言っています。
Eさんもまた、交流会のひとときに、次のような言葉を語った。
聞いてほしいことがあります。この間わかそよでぼくの言葉が歌になったのがとてもうれしかったけど、願いの季節をみんなに歌ってほしいです。気持ちをみんなにわかってほしいです。
(ここで、スタッフの学生が、どうして、コップの水を突然まいたりするのかを尋ねた。すると次のような答え。)
コップの横をとるたびに横からこぼしたくなります。ゆこうと思うとこぼしてしまいます。関係あります。
交流会では、彼のリクエストの通り、彼の言葉のはいった「願いの季節」を歌った。
沢山の人と次々に話すことが出来たのは、むしろ帰りのバスだった。まず、いきなり、Tさんが詩を書いた。
この金色のそよ風を忘れないようにしよう
この金色のよい心を忘れないようにしよう
このよい若者たちを忘れないようにしよう
このよい物語を忘れないようにしよう
よい季節を希望に変えて
野原に風を吹かせよう
よい季節を忘れないようにしよう
野を飾る花々をよい種のなる実に変えよう
この詩を歌にしてください。
そして、彼は、手真似で、ほかの人と話すように促す。Nさんは、合宿の思い出を次のようにまとめた。
楽しい合宿が終わりました。
このいい仲間たちを大切にしよう
大きな鏡に私の顔が映るように
私の心にこの思い出が映る。
夢のような時間が流れ
夢のような季節が望みとともに訪れた
よい詩ですか
これまで、気になっていながら、チャンスのなかったOさんとも、すぐに会話が成立した。
龍馬を理解してくれる人が現れるとは思いませんでした。気持ちを言いたいとずっと思ってきましたが、願ってもかなわないと思ってきました。不思議です。どうしてぼくの気持ちがわかるのですか。願いは勇気を持ってよい理想の国を作ることです。すごいやり方ですね。不思議ですがぼくの気持ちと同じなので信じることができます。(他の人たちがぼくと話をしているのを見ていましたか。)
わかっていましたが、なかなかぼくのところに来てくれないので、あきらめていました。夢みたいです。よいやり方ですね。うれしいです。うちの人にも伝えてください。よいやり方ですね。このやり方をみんなにも伝えてください。
きれいな風が吹いてきました
勇気を風はくれました
夢の彼方のすてきな国
もっと遠くの夢に向け
ぼくは小さな体でも
勇気を出してよい風に乗り
美しい理想の国にむかって
若い気持ちで飛び立とう
この詩はぼくが作りました。いい詩ですか。この詩に特別な思いがあります。うれしいです。
夢みたいです。人間として認められた気持ちです。夢みたいです。苦しかったです、気持ちを言わないで生きていくことは。願いがかなってうれしいです。よいやり方ですね。
私たちのやりとりを前の座席で見守っていたHさんは、待ちかまえていたように手を出す。
願いはこのやり方でどんな人とも話せるようになることです。このやり方をみんなに伝えてください。
願いのよい夢
ろうそくの明るい光を大切にしよう
暗い夜を明るく照らし
暗い夜を明るい緑の公園に変えよう
空いっぱいに届くよう
気持ちのよい友だちの歌を
願いとともに届けよう
願いのよい風に乗せ
この気持ちをいっぱいに届けよう。
野を吹く風に気持ちをこめて
このよい物語を届けよう
私の気持ちです。よい気持ちです。よいやり方ですね。このやり方をみんなに伝えてください。よい方法ですね。気持ちを伝えたいです。みんな苦しいです。言いたいことを言えないのは。夢みたいです。くやしいです。苦しいです。なかなか信じてもらえないのは。
そんなやりとりのさなか、Tさんは、声で十分やりとりのできるSさんにもやれと言う。私は、Sさんに直接言葉で尋ねる。「Sさん、自分でしゃべれるけど、このやり方で話してみますか」と。すると、彼女は、はっきり、うんとうなずいた。そして、次の詩を書く。
願いのよい風が吹いてきて
私はきれいな花になる
黒い雲を吹きとばし
黒い夜の望みを明るく変えて
理想の風のころがすままに
私は空にまいあがる
言葉を簡単に書くことができないで、困っていました。私の心をわかってくれてうれしいです。困っていました、つらいことから逃れられずに、困っていました。母さんをこのやり方で驚かせたいです。
満足した笑いを浮かべながら、Tさんはこうはさんだ。
このよい方法をみんなにやってみてください。
そして、さらに、言葉を話すことのできるMさんも、やるという。
きれいな気持ちで生きていきたい。つらいことがいっぱいありますが、願いを大切にがんばりたい。願いを苦しみから解放したい。よいやり方ですね。
Tさんに感想を求めると、
苦しみを解放したいというのがいいです。
それを見ていたT.Sさんは、昨日、初めてパソコンを綴れた人だが(保存し忘れてしまった)、このやりとりを見ていて、次のように語る。
Sさんの詩がすてきでした。苦しかったです。よいやり方ですね。苦しかったです。
さらに、初めて話せたOさんに、担当者の関水さんへのメッセージを求めた。
関水さん。苦しい時にいつもそばにいてくれてうれしいです。ぼくはいつもこのことを関水さんに伝えたいと思ってきました。だけどなかなか伝えることができませんでした。よいやり方ですね。このやり方で話がしたいです。このやり方でもっと話したいです。
母さんにはいつも感謝しています。心ではいつもそう思っているのですが、なかなか伝えることができなくて、そのことを伝えたくて、今度うちに来てください。このやり方を伝えてください、母さんに。山崎団地です。来てください。そうです。全部わかっています。
左手で手をとりながら、あるいは、体を触りながら、あかさたなと唱えつつ、右手で文字を書き取っていく。次から次へと、秘められた思いが言葉になっていった。バスの中で語った人たちは、自分で椅子に座れれる人たち。知的障害、あるいは自閉症と言われてきた。そんな彼らが当たり前のように語りながら、バスの車中でのひとときを過ごせている。1年前には想像さえできなかった光景だ。知的障害って何なのか、自閉症って何なのか、私の中にあった古い常識は、あとかたもないほどにくずれさってしまった。
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2009年10月7日 16時37分
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