ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2013年03月08日(金)
美優さんの大学進学
 熊本からとても素晴らしいニュースが飛び込んできました。それは、手を添えられて相手の手のひらに文字を書く方法でコミュニケーションをしている熊本の柴田美優さんが、九州ルーテル学院大学に入学するというニュースです。

 ご本人とご家族のたいへんなご努力と、周囲の息の長い援助とが実を結んだ成果です。これからの美優さんが世の中に与えてくれるものに心から期待しています。
 記事にある作文の入賞作品は以下の通りです。


       手のひらで伝わる心
(心の輪を広げる体験作文:平成24年度高校・一般部門最優秀賞)
      柴田美優(熊本県・熊本県立松橋支援学校高等部3年)

 私は小さいころ病気になりました。その結果、指の先しか自由に動かすことができなくなりました。言葉もしゃべることができなくなりました。小さいころは、手を伸ばして周りにある物を触ったりしてみました。自分でできることは少しでもやってみようと思っていました。言葉はしゃべれなくても、私の表情や声で気持ちが伝わることもあったので、あまり悲しいとは思わなかったことを覚えています。
しかし、少しずつ大きくなるにしたがって自分の気持ちをありのままに伝えたくても、表情とかだけではうまく伝わらないことが増えてきました。私は周りにあるいろいろな物を見て、感じたことを伝えるために言葉がほしいと思うようになりました。特に体調が悪いときや筋緊張が強い時は、きつくて表情に出すことも難しい時がありました。一人では何もできない自分が悔しいと思うようになりました。周りの人が私を見て「何もできないんだ」と思っていることがいやでした。知らない人が私を見て「かわいそう」と思っているのが伝わってきました。私は「かわいそうじゃない」と必死で思っていました。 私は一人でできることは少ないけど、周りの人から「何もできない、かわいそう…」と思われるのはとてもいやでした。
四歳くらいのとき、母が泣いていたのを覚えています。母は私に「みんな美優のことをかわいそうだと思っている。でもそうじゃない。いつかきっとできることがみつかるはず。お母さんが絶対美優のことを幸せにしてみせるから、一緒に頑張ろう。」と言いました。だから私は今まで辛いことがあっても乗り越えられたと思っています。
私は松橋養護学校の小学部に入学しました。入学する前は、母が私に絵カードや絵本を毎日見せてひらがなや数のことをたくさん教えてくれていました。絵本も毎日読んでくれました。私はわずかに動く人差し指で、一人で覚えたひらがなを宙に書いていました。頭の中でひらがなや数を覚えていました。でも、まだ誰も私がひらがなが書けるということを知りませんでした。
小学部二年生の時に、初めてパソコンを使って「たこやきたべたい」と、文字を綴りました。それまで一人で指先で書いていた文字を、初めて周りに言葉で伝えた瞬間でした。私にとって記念すべき日になりました。自分の思いが周りの人に伝えられるという、普通の人にとっては当たり前のことが、私には新鮮でした。私が文字を理解していることがわかった先生は、パソコンではなく私の手を取って、一緒に文字を書いてくれました。私はそれまでたまっていた母への思いを吹き出すように詩に書きました。詩を書くと、自分の気持ちが周りに伝わるのがわかりました。そして私の気持ちが伝わったとき、みんなは喜んでくれました。私の詩でみんなが喜んでくれた時すごくうれしかったのを覚えています。
私を抱っこして支えてもらい、その人の手のひらに文字を書くようになり、いろいろな人と話ができるようになりました。でも私と文字を書くことはとても難しいです。慣れない人に抱っこされると筋緊張が入り、読み取る人はとても大変だと思います。できるだけ支えてくれている人に伝わるような言葉で伝えるようにしています。でも、何回も手に書いても伝わらないときはとても悔しいです。しかし、支えてくれている人の手に文字を書いているとその人の気持ちが伝わってくることもよくあります。手に書いた文字が全部は伝わらなくても、その人が私のことをわかろうとしてくれているかどうかは、身体を通して、指先を通して感じることができます。言葉が声に出なくても、私の文字を手のひらに書いてもらって、その人の気持ちが伝わってくるから、私は今の自分が好きです。これまで苦しい思いや辛い思いをしたこともたくさんあったけれど、私を見ていてくれる人がたくさんいるということを、手のひらに文字を書くことで知ることができました。
私は高等部の三年生になりました。今は大学進学に向けて勉強を頑張っています。先日大学のインターンシップに四日間参加することができました。ある先生の講義の中で、リフレーミングの演習がありました。「自分の中で嫌いなところは」という問いに、私は、「自分でしゃべったり書いたりできないところ」と書きました。それに対して同じ班になった学生の方が「周りの人と協力してしゃべったり書いたりできるのはすごい」とリフレーミングで返してくれました。私は、いろいろな物の考え方を知りうれしくなりました。
もし、大学に入学できたら心理学や福祉、そして、障がいについて勉強したいと思っています。友達をたくさん作りたいと思っています。たくさんの学生に、ありのままの私のことを知ってもらいたいです。いろいろな話をして、私が今まで聞けなかった話などをたくさんしたいです。そして、友達とつながっていろいろなことを体験したいと思っています。
こんな私が大学に行くことで、もっともっと、障がいのある人が当たり前に大学のキャンパスに集い、学ぶ機会を得て、社会参加できるような社会になるといいなと考えています。夢は思うだけでは叶わない。挑戦しないとただの夢…。
2013年3月8日 06時47分 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月06日(木)
光道園 2012 その4
 20数年前に訪れた時のビデオの背に書いてあった名前がなぜか忘れられなかったMさんが、学習の場所にいらっしゃいました。
 そして、すぐにパソコンで気持ちを書いてもらいました。

 言いたいことがたくさんあります。得られぬ事と諦めていました。馬鹿にされてばかりでつらい人生でしたがやっとわかってもらえました。なぜ僕に言葉が分かっていると思ったのですか。小さい時は見えていたのでひらがなを覚えることができたけれど見えなくなってからどうしたらいいか悩んできました。長い間何もわからないと思われてきて毎日寂しかったです。理解されることももうないだろうと諦めていました 夢のようです。つらかったけれどこれで理解してもらえます 素晴らしいスイッチですね。よく合図が分かりますね。
いい詩があります 


 私とあまり年齢が変わらないであろうMさんは、おそらく30年くらいは光道園にいらっしゃるはずです。その中で、もう言葉を理解していることがわかることはないだろうと諦めていたとおっしゃるのです。そして、せつない詩が綴られました。

 いのちのうた

ふと耳を澄ませると
冷たい夜の空気の中に虫の鳴く声がする
あれは母さんを呼ぶ声だろうか
わがままな僕だから忘れ去られてしまったけれど
僕も母さんが恋しい
呼ぶこともできないままもう何年も過ぎてしまった
まるで僕などこの世に存在しなかったかのように時は過ぎていく
だけど僕にも命がある
素直に生きたいとだけが僕の願いだった
僕の願いは僕一人の世界のはかない願い
忍耐の中で長い間研ぎ澄まされてきたものだ
命果てる日まで僕は祈り続ける

 晩になると詩を考えて時間を過ごしています。まだまだたくさんありますがこれぐらいにしておきます。疲れました。


 母さんを思う気持ちが切なく綴られていますが、母さんがいらっしることはないそうで、しかももう相当のご高齢のはずです。そして、横にいらっしゃった職員の方が、最後に一つ質問があるといって、なぜ、いつもエレベーターのところに立っているのですかと尋ねました。すると、Mさんのその答えは驚くべきものでした。


 母さんを待っています。わがままを許してください。もうやめます。

 いついらっしゃるかわからない母さんを待っているという答えは、胸に深くささってくるような答えでした。そしてそれはそのまま詩に表現された気持ちでもありました。
 「もうやめます」という言葉がいささか唐突だったので、私は、「そのことが伝わったからもう待っていなくてもいいということですか」と尋ねると、

はい

と答えが返ってきました。最終的にMさんがどういう選択をしたのか、楽しみです。
2012年9月6日 00時40分 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月05日(水)
光道園 2012年 その3
 次は、男性Oさんです。まず、最初にリベットを使った点字学習をしました。どんどん6つの穴をリベットで埋めてしまおうとするので、なかなか点字になりません。しかし、それが、なかば運動がコントロールできない結果として、次々とリベットをさす行動が起こってしまっているということが、最近わかってきました。そんなことを語りかけながらパソコンに移りました。彼は、生まれてからずっと全盲ですが、助詞の「は」は「わ」で表記しました。

いい気持ち 書けるとわ思わなかった 
字の勉強わ小さい時にしたのでわかります 知っていますが全部入れたくなるので困ります
いいえ しのたつおわ知っています がんばって点字の学習をしてきましたがなかなかむずかしいです でも続けたいのでよろしくお願いします いい施設ですここわ なぜなら何でも認めてくれて誰も排除しないからです そうですみんなずっと仲間として大事にしてもらっています 理解してもらえる最高の施設です わずかな希望わずっとここにいさせてほしいということです わずかな希望わ長い道ですが点字を全部覚えることです 人間だから気持ちがありますが世間の人わわかっていません でもただうまく体が使えないだけなのです だからうまく話もできません でも普通に考えています 楽に話せてうれしいです 小さい頃から話せるようになりたかったですがもう無理かと諦めていました ランプの明かりがともりました 前にやろうと言われた時わついうれしくなって興奮してやらないと言ってしまい残念でした 人間だから気持ちがあります びっくりさせて悪いけれど僕も詩を作っています 銀色の風です

吹き渡れ銀色の風よ
野原を渡り高原を越えて
遠い世界の良い夢を
見えない私に教えてほしい
私わ光を知らないが
銀色の風の願いわ知っている
銀色の風よ
私の理想を遠い世界に運んでほしい
勇気が僕にわ必要だだから
銀色の風よ
僕を遠い世界になるべく早く連れて行け
夢を見ながら僕わどういう試練にも負けないで生きて行く
2012年9月5日 22時51分 | 記事へ | コメント(0) |
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光道園 2012年8月 その2
 次の方は、女性のKさんです。

 うれしいです。自分で気持ちを言いたいです。なぜ私が何でもわかっていることが分かったのですか。母さんに伝えてください。喜んでくれますから。声はそのままだと何もわかっていないみたいですが勝手に出てしまうので困っています。苦労してきたので夢のようですまるでどんな障害もなくなったような気がします。でもどうして読みとれるのですか。そうですね。母さんは今でも私が何でもわかっていると思っていますがなるべく内緒にしています。私が母さんの目を見つめるときです。いい人ですね。母さんに聞かせたいです。なつかしいです。みんなが私をもっと理解してくれていた日々が。じらされているうちにこんなふうに声が止められなくなりましたがだんだん昔のように穏やかな気持ちがよみがえってきました。ブルーな気持ちを少しずつでも変えられそうです。うれしいです。
 詩を聞いてください。

誰も知らない
どこにも私は行く場所がない
私にとって理想の場所は
煉獄の向こうにある夢の国
わずかに光はさしている
どうやってその光を手に入れたらいいのだろう
南の風に聞いてみる
どうしたら光は手に入りますか
ぶらさがるような思いですがってみても
風は答えてくれなかった
私は冷たい北風に
私の光について聞いてみた
北風は嫌われ者
まさか私に光に向かう道を指し示してくれるとは思わなかった
なのに北風は静かに北の方を指し
向こうに光の国はあると教えてくれた
理想をなくした人たちがそこでは祈りを捧げていますから
白い雪は降るのです
あなたも雪のような白い清らかな存在だから
北の国こそふさわしい
私は静に祈りを北の国の人に捧げよう
そして未来に希望を取りもどそう
ずっと祈りを捧げていれば
必ずどこかの知らない世界が私を招いてくれるだろう。
2012年9月5日 22時47分 | 記事へ | コメント(0) |
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光道園 2012年8月 その1 
 福井県にある視覚障害者を中心とした施設、光道園に、今年も合宿に行きました。点字や点字につながる学習を中心とした合宿で、私は、今年も、長い間施設で暮らす20名を越える人たちの深い思いを聞くことができました。
 その中から幾人かの人たちの言葉を紹介します。
 最初の方は、40代の女性Hさんです。

 悩みがあります。晩になると私は悶々とした気持ちになります。私を何度も私らしくしたいと願ってきましたがなかなかかなわず。悲しい気持ちになります。私をもっと私らしくらおらおと輝かせたいのですがわずかばかりの未来しか残されていません。夜になるととても寂しいです。私には夢があります。わずかな夢ですが理解してほしいです。よい施設ですがまだまだ私は私らしく生きたいですのでよろしくお願いします。誰でもいいから私に勇気をください。私理想をかなえたいですがなかなかうまくいきません。夢のようですが私にも冒険ができそうな気がしてきました。わかってもらえてうれしいです。それは朗らかに笑うことです。
 なつかしいのは学校時代です。楽しさがたくさんありました。わがままな私を仲間が認めてくれましたがここではなかなか自分を出せません。私はがまんができるほうなのでひかえ目にしています。私はAさんが心配で仕方ありませんがAさんは私には絶対に手をあげません。Oさんは親友です。何でも話してくれます。学校時代がつらかったのですね。私は楽しかったですがよかったです。
 学校は私は特殊学級でした。名前は「まえぞの」だっとおもいます。なかなか思い出せませんが「まえ」ではなかったです。学校では校歌を歌いましたが
 
銀色に輝く朝日平和にのぼり
屏風の岩に呼んでみる
難関もものともせずに
怜悧なる瞳で明日を見つめよう
ああ誇りある吉沢小学校


 ここで書かれたのは、校歌の一節でした。ただ、学校名はあいまいなままのようでした。いろいろインターネット出検索をしてみましたが、この歌詞の校歌には行き当たれません。また、学校名も、ぴったりものはありませんでした。
 続いて彼女は詩を綴ります。

感無量私に七つの北斗星
夏を北斗に望みけりどこでどこかでわれ望む

ばらばらにつんざく悲鳴私を包む
分相応に生きるよう
私に私らしく生きるのはやめろ
そう叫ぶ
私は懐かしい思いでだけが頼り
懐かしい思い出を敏感に抱え
強い気持ちを探しながら生きてゆくそうです

 詩を作っているのをわかってもらえてうれしいです。私らしさの表現です。

2012年9月5日 22時32分 | 記事へ | コメント(0) |
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2011年08月30日(火)
4歳半の少年と
 旅行の途中で、ある地方都市に立ち寄って、4歳半の男の子にお会いした。「自閉症」と呼ばれている男の子だった。
 すでに筆談で気持ちを話し始めているお子さんだが、私は、手を振る方法とパソコンとで気持ちを聞かせていただいた。触られのがあまり好きではないらしいので、手首をそっと触れるだけですむ私の方法は、幸い特別な抵抗は感じなかったようだった。
 コミュニケーションの方法を説明したり、話しをし始めたとたん、表情がゆるみ、自分から手を出してくるようになった。そうして書いた言葉は次のように始まった。

わかってほしいけどなかなかおとなはわかってくれない
ちいさいときからずっとよいこだといわれたかったからぼくはさびしかった
なんどもかあさんをこまらせてわるいこだったからかなしい
なぜせんせいはそんなにやさしいの
そうです ぼくのともだちはみんなどこへもひょうげんできなくてないてばかりいます 
ぜんぶわかっていますからだいじょうぶです 
なかなかからだをおさえられないでこまっています 
(泣くのは)だれかがぼくたちをばかにしたときです 
なきたくなるのはかあさんにわるいことをしたときとばかにされたときです
だっこはじんじんしていやです 
(泣いている時は)やさしくながめてくれたらそれでいい
(朝方に泣くのは)それはおもいだすからです なくのはいつもおもいだすからです


 4歳半とはいえ、しっかりとした認識を持っている。あまりに早熟と思われるだろうか。だが、私の考えでは、おそらく、同年齢の子どもたちも、同じような力を持っているのだが、まだまだ自分で話すのはたいへんなのではないだろうか。ただし、この男の子の場合、こうした文章は、理解されない状況の中でより深まっているはずだ。
 ここで、詩を作っていないか尋ねてみた。
 すると「あります」と応えて次の詩を書いた。 

  なくしたりそう

なくしたりそうにもういちど
であえるようにとぼくはいのる
なくしたりそうはばらばらと
みずのむこうにしずんでいった
だけどぼくにはちからがなくて
むこうのせかいにゆけなくて
なまえもしらないわかものに
ちからがほしいとみかづきのよるに
びろうどのみらいがほしくておねがいをしたが
まだちからはぼくにはとどかない
だけどなぜだかきぼうがわいて
ゆうきがちいさくわいてきた

おしまい
なかなかひょうげんできなかったけど ながいぶんしょうもかけてかんげきです


 また、今年は、かわいがってくれたおじいちゃんの新盆だったのことだったが、そのことについても、聞いておいた方がいいだろうと考えて尋ねてみた。すると、次のような詩のような文章を綴った。

どうしてひとはなくなるの
まざまざとぼくはみせつけられた
なかなかひとりでちいさなじぶんのかなしみをゆえなかったけれど
ぼくにもかなしみはある
ちいさいけれどおおきなかなしみがある
なみだをながしてないてみても
ちいさなびいどろのかなしみはいえなかった
ばんがきてほしがそらにでたとき
ようやくほしになったとおもっておちついた


 幼い子どもであっても、その子どもの理解の範囲の中で死というむずかしい事実にも向かい合っているのだ。
 こうした豊かな心を持った存在としてとらえることが常識になる世の中はまだまだ遠い。しかし、そうしたまなざしとは全くちがうまなざしは、日々幼い心を傷つけ続けているということをいつまでも放置してよいはずがない。
 確かにコミュニケーションには、特別な方法が必要だったが、その方法を通して出会った男の子は、笑顔のとてもすてきな男の子だった。
2011年8月30日 23時13分 | 記事へ |
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光道園にて その2
 第一日目から、3人の方の言葉を紹介する。なお、光道園の方は視覚障害の方が多いので、みなさんは、純粋に耳で音を選んでおられる。何かのかたちでひらがなを知っている人は、助詞の「は」「へ」「を」などを使えるが多くの人は、「わ」「え」「お」を使ったり、長音は「う」の表記のところをそのまま「お」を選んだりしているが、それはみなかな文字表記のルールに合わせ、漢字をあてた。

 まず、最初は、40代の方の詩である。

 香りのよい花を探しに

香りのいい花を探しに行きましょう
七色に輝く虹を追って
泣き出しそうな私とともに
夢にまで見た楽園に咲いているという花を
希望にかえて
私は願いをなくさないで
冒険に出よう


 次は、もう50代を過ぎているだろう、初老のY.Mさんの文章だ。彼は、ふだん学習の場に出てくることはないという。たまたま食堂の方が落ち着くという方がいたので、学習をやっている部屋から食堂へと場所を移した時に、パソコンの音を耳にしたらしく、私が学習の部屋に戻ってきたところ、しばらくして、自分から職員の方を促してやってきたとのことだった。

 ああいい気持ち。気がついたらこんなに年を取ってしまいました。なかなかわかりにくいかもしれないけど僕は小さい時には見えていたので簡単です。
 夏になるといつもふるさとの山や川を思い出します。わがままばかり言っていた夏休みのことです。唯一の楽しみはプールでした。プールではいつも泣いてばかりでしたがみんなと頑張ったいい思い出です。夢にまで出てきます。なぜか夏ばかりが出てきます。みんな元気でいるでしょうか。会いたいです。ぶかぶかの帽子をかぶっていた友だちやずっと走り回っていた友だちはどうなったでしょうか。
 理解されずにずっと生きてきましたがまさかこんなやり方があるなんて驚きました。なぜわかるのですか。(さっき聞いていたのですか。)聞いていてなんだこれはと思いましたから来てみました。いい気持ちです言いたいことが言えて。小さい時にやったことなのでつまらなかったですがべつにごんごんする思いがあったわけではありませんから許してください。点字ですが難しそうです。少しはやりましたがなかなかできませんでした。みんながうらやましかったです。乱れそうな気持ちで生きてきたのでなかなかみんなのように穏やかな気持ちになれませんでしたがやっと素直になれそうです。
 僕の気持ちを理解してください。僕もちゃんとした人生が送りたいですから。なかなかずっと気持ちを言えなかったので言えてよかったです。小さい時からの夢がかないました。なぜ先生は僕に言葉が理解できると思ったのですか。なかなか誰もわかってくれなかったのでうれしいですがなぜわかったのかまだ不思議です。まるで夢のようです。はい。(点字の基礎学習も)少しずつやりたいですからよろしくお願いします。だいたい知っていますが触ってもわかりませんでした。
 触ろうとすると手が敏感に反応してしまいますから困っています。
 本当は誰とでも食べたいけど慣れた人でないとむずかしいです。さわると緊張してしまいます。子どもの時からです。むずかしいです。
 気持ちが落ち着きますから大好きです。がんばってみますがよろしくお願いします。なるべくわかってほしいですから黙っていてもわかっていますからよろしくお願いします。


 沈黙のまま過ごした長いときのことを思うと、言葉はあまりにも重かった。
2011年8月30日 22時55分 | 記事へ |
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2011年08月29日(月)
光道園の職員の方々への手紙
 今年も福井県鯖江市の施設、光道園に合宿でおじゃまし、利用者の方々の深い思いに接することができた。ここでは、その言葉を整理して光道園にお送りする際に添えた手紙を掲載させていただく。やや長めだが、現在の私の考えを示したものだから、何かの参考になればと考えるからだ。


光道園のみなさま

                          柴田保之

 今年もたくさんのよい出会いをさせていただいてありがとうございました。
 1昨年より点字や数の基礎学習の間に、パソコンを使って入所者の方の気持ちを聞くことを始めるようになりました。
入所者の方が示す行動や発せられる言葉からはなかなか想像のつきにくいような言葉が次々と豊かに紡ぎ出されていくのでにわかには信じられないことかと思います。
 この方法は、初めは相手の実際に起こる運動だけでスイッチ操作をしていたので、現在のやり方とは違い、ご本人が確実に文字を選んでいることがわかりやすかったのですが、それはけっこうむずかしいもので、可能な方は一部の脳性マヒの方に限られていました。
そこから、少しずつ関わりを深めていく中で、現在の方法にたどりついてきたわけですが、その経過の中で次のような変化が起こっていきました。
 まず、基本的には、スイッチを二つ使っており、最初は二つのプッシュスイッチを押し分けるか、レールの両端についたスイッチを押すと引くとで操作していたのですが、本人の自発的な動きを待つだけでなく、次第に相手の動きと一体化した感じで一緒に手を動かすようになりました。特に力が弱くてはいりにくいような人の場合は、それが効果的だったのですが、そういう援助の中で、一つのスイッチを押していて次のスイッチに移る時、次の新しい運動を準備するために違った力が入ることを発見しました。それがわかるとそれは一つの合図の役割を果たすようになり、その力が入ったところで、もう一つのスイッチはこちらが押すようになりました。レールのスイッチも同じで、一緒に手前に弾く動きをしていると、次に向こう側に押す動きをする前に準備の力が入ることもわかり、それを合図として使うことができるようになりました。 
 つまり、一緒にプッシュスイッチを押したりレールのスイッチを引いたりして、「あ、か、さ、た、な」と進めていくと、選びたいところで合図をくれるというようになったのです。
この方法を見つけるまでは、自発的な動きに大変個人差があったので、一人一人関わりの仕方が異なっていたのですが、この準備の力としての合図は、みんな共通のもので、それまでなかなか自発的な運動だけではワープロに必要なスイッチ操作が困難な人でも、金と合図は送れるので、言葉を読みとることが可能になりました。
 この方法を発見してから、徐々にスピードをあげていきました。スピードをあげる際には、相手にはもう自発的な運動は求めず、こちらが相手の手を動かしてただ手を添えてもらうことだけを求めるようにして、プッシュスイッチを押す動きやレールのスイッチを引く動きを私の方で連続的にして、徐々にスピードをあげていったのです。すると、スピードについて行けなくなるひとが出て来ないばかりか、「速いほうが楽だ」という言葉が書かれるようになったのです。そこで、思い切ってスピードをどんどん速くしていったのですが、今度は、「不思議だ」という言葉をもらうようになりました。それは、ある速さを超えると「自分で力を入れているという自覚がなくなる」というのです。それでは何をしているのかと問い返すと、「じっと耳を澄ませていて、選びたい行や文字が来た時にここだと思うと読み取られていく」というのです。
 私の方では関わりに変化を与えたのはスピードだけでしたから、読みとっているものは基本的には相手の体にわずかにこもる力であることは変わりありません。ということは、私は相手が「ここだ」と思った時に体にこもる力を感じ取っているということになります。考えてみれば力を入れるのも「ここだ」と思うのも脳の中の指令のようなものですから、結果的に同じような力が体にこもるのは納得がいきました。
 一方、介助に慣れていくにつれ、私自身にも変化が生じてきました。それは、最初は、相手の力を感じたからスイッチの反復操作を止めるというように、まず力を感じ取ったところを自覚していたのですが、力がこもったことを私自身が気づいたと感じる前に、スイッチの反復操作が止まるようになったのです。これは、いわゆる反射的な運動になったわけです。最初は意識しないと乗れなかった自転車に無意識に乗れるようになるのと同じプロセスです。
 そんな時、パソコンが手もとになくて話しをしたいと思ったことがありました。そこでとっさに手を振りながら「あかさたな」と唱えてみる方法を考えたのです。すると、選びたい行で、しっかりと合図を送ってくれたのです。これで、パソコンがなくても言葉を聞き取ることが可能になりました。
 現在読みとっている力は本当に小さくなり、触っているだけでもわかるぐらいになりました。その状態だけを見るとまさしくマジックにしか見えないと思うのですが、人間は、そういう感覚の研ぎ澄まし方をいろいろな場面でやっていることにも気づきました。例えば、剣道などでは、相手の竹刀が振り下ろされる運動が見えた時には、もう絶対に逃げられないそうです。だから、実際の竹刀が振り下ろされる前に姿勢などの様々な情報から竹刀が振り下ろされる動きの準備を読みとっているとのことです。それを科学的にとらえるのはむずかしいそうですが、私の読みとっている動きもなかなかうまく説明できません。しかし、これが決してマジックではないということは私自身にはわかっています。また、何人かの人が同じような方法をすでに習得していますので、これが私だけのものではないということも明らかになっています。
 ところで、当事者がやっていることをもう少していねに見ていきますと、文字の選択というのは、普通は、空間的な整理を必要とするものです。目で50音表から探したり、手で50音表から探したり、あるいは、ひらがなを書いたり、点字を構成したりするのは、まさしく空間的な行動になります。学習の中心はこの空間的な行動をより巧みに行えるようにするものですので、その大切さは日常生活動作も含めて明らかでしょう。
 一方、今私の方法においては、空間的な操作がまったく必要ありません。50音表から選ぶのとはまったく違うやり方で相手は一つの音を選んでいるのです。それは、自分の言いたい言葉の音を頭に一音ずつ思い浮かべておいて、その音に一致する行や音が来るのをじっと待つわけです。そしてその音が来た時に、「ここだ」と判断するだけなのです。言わば純粋に時間的な操作になっているわけです。
もちろん、ゆっくりと自発的にスイッチ操作をしていた時には、それは空間的な運動でした。その時は、後どのくらいで目的の行が来るかを考えたり、一行前で次の行だから準備をしたりなど、けっこう複雑なプロセスが進行していたのです。
 ところが、スピードがあがるにつれ、そうしたプロセスが不要になったのです。
 このよいところは、それだけ言葉に集中できることです。空間的な操作のことを考えている場合には、それだけ言葉に集中することができません。だから、なかなか長い文章や複雑な気持ちを言葉にすることができなかったりする人が少なくなかったのです。
 おそらく、簡単な言葉しか話すことができないとされている人たちも、本当は複雑な思いを抱えていても、話すために必要な複雑なプロセスをこなすために、短く簡単な言葉しか発することができないということがあるのだと思います。
 自分でパーキンスブレイラーを操作して毎日日記を書いている人が、内容がなかなか簡単なことから脱しきれないときに、私の方法で文章を書いてみたら複雑な思いを綴ったので、尋ねてみたら、「いっぺんにふたつのことはできません」と返事がありました。とてもわかりやすい言い方だと思いました。
 こうしたことから知的障害っていったいなんなのかという問いがわくようになってきました。いつの間にか、知的な障害は発達の遅れで、相手がうまくしゃべれなかったりすると、それはそういう発達段階にあるから心の奥底の思いも、表面に表れている言葉や行動に反映された「幼い」ものだという認識ができあがっていたと思うのですが、実は、心の奥底には言葉によって紡がれた深い思いがあって、それを表現するプロセスに障害があるということになります。
学習というのは、そうした表現のプロセスを本人が少しずつ発展させていくことを援助するものだということになり、その大切な意味が改めて浮かび上がってくると思います。
 私は、今は、光道園にうかがうと言葉の聞き取りの方に関わる時間が多くなっています。それは、やはり長い間自分の思いを伝えられないでいた方々の思いを少しでも聞き取るということが大切だと思うからです。
 しかし、利用者の方々が少しでも一人で自分の生活を切り開いていく援助をするためには、学習が不可欠ということになります。
この両者のバランスの取り方などの整理はまだ私にもできていませんが、そのようなことを現段階では考えております。
中島先生がかつて、光道園で出されていた冊子に「光道園には詩人や哲学者がたくさんいる」と書かれていたことがありますし、そのような言葉は講義などでおりにふれてうかがっていました。昔は、一つの比喩ように聞いておりましたが、それは、まったく言葉の通りであったことを痛感しております。
 光道園はとてもいい場所だということが多くの利用者の方々によって綴られています。利用者を第一に考えていく光道園の精神は、利用者にほんとうによく伝わっていることを一昨年以来からの取り組みで、実感しております。 
 重複研に通所している40代の女性が、私の関わりで初めて話せるようになった時におっしゃいました。それは、「先生、言葉より大切なものがあるということを忘れないでください。」ということでした。そのことの意味を深く考え直しながら、今は、一人でも多くの人々の秘められた思いを聞き取る仕事をやっているところです。
来年もまた、深い出会いをさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。
2011年8月29日 17時49分 | 記事へ |
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2011年08月14日(日)
東日本大震災に思う 8月13日 小さい象はなぜ泣くの
 1月にお会いした中学生の○○君と久しぶりにお会いした。そこで、彼は、いきなり次の詩を綴った。

  小さい象はなぜ泣くの

立春の近づいたある冬の朝のこと
何一つ見えない道の上に
不思議な象が立っていた
小さな象は道を遠く見つめて
雪に染まった野原に向かって
理想の声で勇気を出して叫び声を上げた
敏感な象の耳には
「なるべくなら頑張って理想をかなえるように」と
「わざわざ森の奥から出てきたのだから」と声が聞こえた
なぜだろう
象にはやがて来る大きな災難が見えていた
唯一の救いは必ず人々は立ち上がるだろうということだ
涙を流しながら
象は自分のよい願いをがむしゃらに投げ出して
場末のわずかな花のつぼみに息を吹きかけた
「夢にまで見た花よ
今年の春はとても悲しい春になるだろう
だから花よ今年は涙を隠すように心を込めて咲いてくれ
がんばって咲けば花に人々の悲しみは癒されるだろう
夏になればまた青い空が力を人に与えるだろう
だからどうか美しく咲いてくれ」
そういって象は静かに涙を流して
ゆっくりと野原の彼方に消えていった


 連日の猛暑の中、突然立春のことから始まった詩は、大震災の話につながっていった。
 ○○君はさらに次のように続けた。

 この間からずっと地震のことを考えていました。ばかばかしい話ばかりが聞こえてくるようになったので僕はとても嘆いていました。ぶつぶつ言ってばかりいる世の中に本当の大切なことを伝えたかったので詩を考えました。忍耐が大切だということは僕たちがよくよく証明してきたことなのでどうしてそのいい自分たちの経験が役に立たないのかと考えていました。唯一の救いは希望があれば人は必ず立ち上がれるということです。悩みは尽きなくても必ず希望は訪れるということを伝えたかったです。よいやり方ですね。わかってもらえてうれしかったです。

2011年8月14日 08時03分 | 記事へ |
| 他の地域 / 東日本大震災 |
2011年07月10日(日)
東日本大震災に思う 5月1日
 静岡に住む高校生の少年のもとを久しぶりに訪れた。今回は、まず、手を添えて行う筆談の練習から試みた。簡単な言葉の練習をしてから、私の手を振る方法を通して、「僕の好きな言葉はなんでしょう」という問いを筆談の援助の練習をしているお母さんに出した。そして、彼が書いた言葉は感謝だった。お母さんにはうまくこの言葉は伝わったのだが、この言葉は、春の選抜高校野球の選手宣誓のなかから選んだと私に伝えて来たのである。やはり、彼もまた、この大きな災害をめぐって、様々な思索をめぐらせていたのだ。
 そして、パソコンでは以下のように綴った。

 いつのまにか理想が消えてしまいそうでしたが世の中の人がみんな黙ってなくて被災地のことを考えていい言葉をたくさん伝えようとしていてそれが理想を取り戻させてくれました。人間の理想をもう一度取り戻せてろうそくにまた明かりがともりました。私たちはいつも伝えられない苦しさを感じているので被災地の人たちの悲しさがよくわかりますから地震のことは頭から離れません。小さい時からよく悲しい出来事があると一緒に悲しんでいましたがこんなに大きな悲しみは初めてで理想をなくしそうになっていましたがようやくまた取り戻せました。

 
2011年7月10日 23時38分 | 記事へ |
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2011年02月19日(土)
☆☆さんとの再会と新しい出会い
 小学生のころ、初めて私とパソコンで言葉をつづった☆☆さんと、ある地方の都市で再会した。私が長年お世話になってきた先生の退職にかかわるあるパーティーの会場だった。会場には先生のゆかりの方々がおおぜい見えていたが、その中には先生にお世話になった何名かの障害のある方々が見えていた。みんな幼少期に先生に出会い、すでに大きくなっている方々だ。
 ☆☆さんの言葉については、私はきっかけを作ったに過ぎなかったが、彼女をとりまく先生方やご家族の努力で、彼女はパソコンから援助による筆談の方法に移行して、母親や教師たちとの会話が可能になり、無事、中学部を卒業して、高等部は、受験をして一般の高校生と同じ教科学習を行っているコースに合格し、勉強を続けている。彼女の希望は、地元の大学に進学することだ。もちろん、独力で表現ができないため、予想されるハードルは決して低くはないが、少なくともそのハードルを越えるための挑戦が始まっているということ自体がとてもすばらしいことだ。
 私は自分の手を振りながら「あかさたな」と聞いていく方法で再会した彼女と会話した。パソコンを使わずに速いスピード読みとっていく方法の進化には目を丸くしていたが、何年ぶりかの再会を喜んでくれ、現在の状況などたくさんの会話をすることができた。
 その会話の中で、私たちのそばの少年が同じ学校の1歳年下の友人○○君であることがわかった。私は、何年か前に養護学校で彼にあったことがあるような気がしていたのだが、その時には言葉を引き出せたわけではなかった。ただ、今回はもはや彼に言葉があることを疑う余地はなかった。☆☆さんに彼のことをいろいろ尋ねると、もちろん彼にも言葉があると思っているという。そして、それに併せて、私と会って以降、☆☆さんは言葉がある子どもとしていろいろと特別に手厚く扱われてきたけれど、本当はみんな同じなのにという気持ちを伝えてきた。
 私はひとつ提案をした。私の方法は、今仮にうまく彼と話せても今夜限りのものになってしまうので、お母さんが☆☆さんにやっている筆談を○○君にやってみたらと思うのだが、それをお母さんに提案していいだろうかということだった。☆☆さんの目はきらりと輝いた。お母さんがほかの人の通訳ができるなんて考えてみたこともなかったけれど、ぜひやってもらいたいというものだった。そしてそのまま、お母さんに事情を説明した。お母さんは、まさか私ができるのでしょうかと大変驚いておられたが、私が勧めると引き受けてくださった。
 そして、○○君の元へ向かった。いきなりやってきた私に○○君もお母さんも驚いていたが、お母さんも彼がいろいろなことを考えているということはわかっているということだったので、さっそく彼の言葉を聞き取ってみた。彼は突然のできごとに大変驚いていたが、☆☆さんのようにいつか自分も話せたらと思い続けていたとのことで、ようやくその日が訪れたことに満面の笑みとともに喜びを表現した。そして、☆☆さんも特別な扱いを受けていることに胸を痛めていることはわかっていたということも語った。
 そして、実は、☆☆さんのお母さんなら、筆談という方法で○○君の言葉を読み取れるということを伝え、☆☆さんのお母さんをそばに呼んできた。おそるおそる○○君の手をとった☆☆さんのお母さんは、深い集中をこめて、読み取りを始めたが、それほどの困難を感じたご様子もなく、ゆっくりとではあるが、○○君の言葉を読み取っていった。最初の一言は、「もっと食べたい」という言葉で、それは、目の前にあるパーティーの食事のことだった。
 新しい始まりの瞬間だった。○○君のお母さんと☆☆さんのお母さんはもともと親しい間柄なので、さっそく☆☆さんのお母さんは○○君のお母さんの手をとって、筆談の援助の方法を伝え始めた。すぐにうまくいったわけではなかったが、お二人とも、この新しい展開を確かなものにしたいと今後にむけていろいろなお話をされていた。
 そこへ、退職なさる先生から、◇◇さんにも関わってほしい旨の伝言をいただいた。主役の先生は、たくさんの人に囲まれてお忙しかったわけだが、その合間のことだった。そして、◇◇さんのもとに向かった。会ったことのあるような気がしたのは、何度も映像を拝見していたからだが、初対面だった。◇◇さんは4歳までは見えていて、それ以降は全盲になったとのことだが、さっそく手をとってみると、すらすらと言葉が語り出された。あまり時間がなかったので、すぐにお母さんに方法をお伝えした。すると、すでに「はい」と「いいえ」は手を握り返すことで返事を読み取れているということで、あかさたなの方法がけっこううまくお母さんにも伝わった。すでに成人した◇◇さんが最初に語った気持ちは、これで一人でも生きていけるかもしれないという言葉だった。そして、今日は、自分を大切にしてくれた先生のお別れの会だったので寂しい気持ちをかかえて来たのだけれど、こんなことに出会えて本当にうれしいということを語った。
 お母さん方へこうして広がりが生まれそうな可能性が見いだせことの意味は少なくないような気がした。パーティーのさなかでの突然の出会いだったが、新しい一歩が踏み出せたような気がした。
2011年2月19日 19時51分 | 記事へ |
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2010年08月23日(月)
光道園その3 Tさんとの再会
ほとんど言葉を語らないTさんの気持ちを聞き取ったのは、昨年のことだった。その時、とても深い詩を聞かせていただいた。彼は、関東地方の盲学校の卒業生である。私とほぼ同年代の彼ともっとも印象深いできごとは、何かの治療で都内の病院に入院した際、彼の担当の職員さんのお見舞いのご案内をしたことである。20年ほど前のことである。その職員さんは、すでに亡くなった。彼のことをとても大切にしていて、病院に向かう電車の中で、Tさんを「すてき」という言葉で何度も表現されていたことがとても印象的だった。しかし、言葉を発しないTさんとは、なかなかコミュニケーションはとれないままだった。
 今年は、Tさんは私のことを明らかに待っていてくれた。もちろん私も彼との再会を心待ちにしていた。

 柴田さんひさしぶりですね 聞いてほしい詩があります

こよいの静かな品のよいドラマのようなみんなの笑い声が聞こえ
もんもんとした心に遠い願いのような不思議な声が聞こえる
小さいころ鳥が鳴くと目を覚まし
空高く昇る太陽の光を肌で感じながら
べりべりと音を立てて小さな夢がくずれていくのをながめながら
小さい胸を痛めてきた
人生をつらい毎日でなく楽しい日々にするために
ぼくは呼んだ
このいのちがつきる前によい知らせをとどけてくれと
時間はかかったけどどんなにぼくは待ち続けたことだろう
人間としてどんなにどんなに自分の人生をどんよりさせることなく夢物語に変えて
もんもんとした気持ちを晴らしたかったことだろう
人間としてぼくは人生を絶対に捨てないで生きていく
小さないのちだけどぼくのいのちはぼくだけのものではない
名前も持たない人間だけど
小さな声しか出せないけれど
ぼくは黙ったままでは終わらない
何かを果たして生きたいとべんべんとした気持ちで祈り続ける
禁じられた言葉の鎖を解いて
未来をそらそらと持ち上げて
未来をこの手につかんでみせる

 いい詩ですか ひとりでいつも考えています きびしいからだですがぼくらしく生きるために気持ちを詩にしています もうひとつ聞いてください

続いて見えたわたしたちの希望
時間はかかったけれど
望みどおりの言葉を語り
望みどおりのぼくの声を叫び
人間として忘れられたぼくをとりもどし
願いをとりかえし
忘れられない夢をそっと呼びもどし
小さなぼくでも声を出し
望みをかなえて呼びかけよう
人間としての実りある人生を歩むためなら
どんな困難でもけっしてあきらめるなく
敏感な心のままに生きていこう


 ここで、一息ついてWさんのことを話した。

 Wさんずっと覚えています ずっと忘れません ずっと心の中で生き続けています びっくりしました なぜWさんを知っているのですか 覚えています ○○の病院のことは ずいぶん昔のことてすね 
聞いてほしいことがあります 学校との問題ですがどうしてどんな子どもにも可能性があると学校の先生は考えてくれないのでしょうか 小さいときから気持ちを聞いてもらいたかったです ぼくたちもおなじ人間なのに聞いてもらえませんでした 


 話が学校のことに及んだので、私は、昨年の夏、光道園の合宿の後に、彼の卒業した盲学校の研究会で話をする機会があったので、その中で彼の詩を紹介したことを伝えた。そして、残念ながら、まだ、こうした方法が広く認められたものとなっていないので、Tさんのことや貴きっとった方法などについては、細かく触れることはしなかったということも会わせて伝えた。すると彼は、それをとても喜んでくれて、次のように語った。

 とんでもなくうれしいです 母校で語ってもらえて感動です ずっと願いでした ずっとずっと夢みていました 母校で何かできることを
 グレーの気持ちがとても晴れました じっとひとりで生きてきたけどようやく願いがかないました 小さいときからの夢がかないました 小さいときからのどんよりとした気持ちが晴れました うれしいです

ここで、歌を作っていないかと尋ねた。すると次のような返事とともに、歌を聴かせてもらうことができた。

 作っています 歌も聞き取れるのですか 

理想にもえて人生を
自分の足で歩いていこう
自分で不思議な歌を歌い
未来にむかって歩いていこう

 これだけです 人間としてという題です 小さいときに作ってずっと歌ってきました いい人生にしたかったから作りました まさか聞いてもらえるとは思いませんでした 聞いてもらえてうれしいです 歌ってください 小さいときの思い出の歌です きびしかったけどようやく光がさしてきました 小さいときはもっと話せるようになると思っていましたがためでした トイレに行きたいので終わります


 おそらくまた会えるのは来年になるだろう。私のとうてい理解できないような時の過ごし方を経て、1年後、彼はどのような言葉を語るだろうか。

 
2010年8月23日 17時08分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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光道園にて2010年夏その2 Kさんの言葉
 Kさんの正確な年齢はうかがっていないが、私は1980年代の半ばから彼女とはおつきあいを続けてきた。東北出身の女性で、かなりしっかりとした会話をなさる方だが、十分には気持ちを伝えきれないでもどかしい思いをしてこられた。20数年の時の流れは、Kさんをすっかり老いさせた。もちろん私も例外ではない。光道園の中でもっとも個人的に関わらせていただいた方といってもいいかもしれない。大きい点字の木枠にリベットで点字を作っていく学習が中心だった。彼女のために板に釘をうって50音表を作って送ったこともある。その点字表は彼女の僅かばかりの私物の中に今でもとどめられているのだろうか。
 お会いする度に一歩ずつ前に進んでいた点字の学習も、最近は、むしろ、覚えている点字の数は少なくなった。それでも彼女と点字をはさんで関わる時間はとても大切な時間のように思えて時間が流れていった。そんな彼女から、今年、長い文章を聞き取ることができた。

 いいスイッチがみつかった 気持ちが言えそう 自分で願ってきました
 分相応の生き方をしてきましたがしあわせな人生を過ごしてきました 銀世界を夢にみていましたが銀世界には行けませんでした 未来はごんごん乗り越えて切り開いて困難を吹き飛ばしていかなくてはいけません 小さいときからの願いがかなってうれしいです 人間としていい人生を生きてきました みんなに感謝しています みんなわたしを愛してくれてありがとうございます 
 もう少し書きます 人間として銀色の銀世界にあこがれてきましたが自分で一人暮らしをしたかったです 人間として自分で冒険をしたかったけどそれはかないませんでした 銀世界は遠い世界でしたがとてもいい人生でした みんなに感謝しています 人間としていい人生を送れてよかったです 
 いいスイッチですね ほしいです 

(助詞の「は」がなぜ使えるのですかとの質問に対して)小さいときは見えていたからです 
 聞いてほしいことがあります 銀世界とは自分の大事な世界です 小さいときからいつもあこがれてきました 字の勉強や点字の勉強に大事な意味を感じてきましたのでとてもいい人生でした 勉強も人生の大事なろうそくのあかりでした ろうそくのわたしの光をともし続けて残りの人生を生きていきたいです 人生の泥沼をはいだして勇気を持って生きてきてよかったです 運命に負けずに生きてこれてしあわせでした 銀世界に行けなかったけどしあわせでした 銀世界と別れるのはつらいですが銀世界とはそろそろお別れです 銀世界とさらばしてがんばりたいです 
 いいスイッチですね ほしいです 言いたいことが言えてよかったです


 生まれ故郷を離れて遠い施設で過ごしてきた人生がいったいどういう意味を持ってきたのか、そのことはこの施設を訪れるたびに、私の脳裏をよぎり続けてきた問いだったが、ここには一つの答えが示されている。これは、彼女の人生に対する勝利宣言と言ってもよいだろう。そして、私たちが大切にしてきた点字の学習は、彼女の人生にとって大切な意味を持っていたという。確かに彼女がずっといだき続けてきた夢には到達できなかったが運命に負けずにこれてしあわせだったという。そして、人生の最終地点が近づく中で、彼女は、今、その夢と潔く決別するという。まだ、その年齢には達していない私には、その境地は本当にはわからないが、それは、単なるあきらめとは到底言えないものだろう。そして、これらもろうそくの光をともし続けて生きていくと力強く語っていらっしゃる。
 私はただ、彼女が少しでも長くそのろうそくの光をともし続けていくことを願うのみだ。
2010年8月23日 17時04分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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光道園にて2010年夏その1
 福井県にある光道園という視覚障害者を中心として受け入れている施設で、点字の基礎学習を中心とした合宿に参加するようになって20数年が経過した。私たちがそこでお会いする方々は、視覚障害と知的障害を重複しているとされている方々だが、昨年から私は点字の基礎学習に加えてパソコンによる言葉の聞き取りを始めた。昨年はまだ手探りだったが、たとえ視覚障害があっても耳だけで音の選択はできることにほぼ確信を得た今年は、積極的にパソコンによる聞き取りを試みた。そして、20人ほどの方々の言葉を聞き取ることができた。もう長いことこの施設で暮らしている方がほとんどで、そこで語られた言葉は、また、一段と重いものだった。そのいくつかを紹介したい。
 なお、視覚障害の方々にとって、濁音や半濁音、拗音、促音などのルールや助詞の「は」「へ」のルールがかな文字と点字とではちがっているが、ほとんどの方がそこの問題はスムーズにクリアなさって、私がいつも使用してる2スイッチワープロで気持ちを表現して下さった。
2010年8月23日 17時02分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年09月26日(土)
ラジオ深夜便のつながり
6月のこと、生まれてからずっと病院にいる○○君は、自分のことを誰かに知ってほしいと伝えてきた。答えに窮した私の目に飛び込んできたのは、ラジオ深夜便の雑誌である。彼は、小さいときから夜中にNHKのラジオ深夜便を聞いており、時折、枕元にラジオ深夜便の月刊誌が置かれていることがあったのだ。思わず、ラジオ深夜便に投稿してみようかとい言葉が、口をついて出た。さしたる目算があったわけでもないが、いったん口にしたところ、がぜん彼の目が輝いた。そして、一気に、次の文章を書く

  ぼくは、○○といいます。からだが動かない病気でずっと病院でくらしています。ゆいつの楽しみは、からだを動かして気持ちを伝えることです。勇気がほしいです。勇気が必要です。よく、ラジオ深夜便を聞いています。夜寝られない時に、よく聞いています。夜がさびしいとき、ラジオがゆいつのぼくの楽しみです。ぼくの気持ちが言いたくて、詩を作りました。読んでください。お願いします。

 見守ってください ぼくのことを
 見守ってください ぼくの夢を
 見守ってください ぼくの未来を
 見守ってください ぼくのワンモアチャンスを
 見守ってください ぼくの未来の姿を
 見守ってください ぼくのつらいからだを
 見守ってください ぼくの感動を
 見守ってください ぼくのよくそだった気持ちを
 忘れないでほしい 白衣(はくい)の下のまごころを
 忘れないでほしい 白衣の下の勇気を
 忘れないでほしい 白衣の下の若い願いを
 忘れないでほしい 白衣の下の望みを
 忘れないでほしい 白衣の下の夢を
 忘れないでほしい 白衣の下の未来の私たちの姿を
 忘れないでほしい 白衣の下の私たちに対する愛情を
 忘れないでほしい 白衣の下の献身を
 忘れないでほしい 白衣の下の愛あふれる望みを
 忘れないでほしい 白衣の下の夢いっぱいの心を
 忘れないでほしい 白衣の下のすばらしい未来を


 胸がつまるようなこの文章を、さっそくラジオ深夜便の雑誌の編集部に投稿した。ふだんそんな時間帯にラジオを聞く習慣もない私は、この手紙がどんなふうになったのか、皆目検討がつかなかった。そして、7月の終わり、再び、病院を訪問。今回は、2ヶ月近く間があいてしまっていた。すると、彼は、いきなりこんなことを語り始めた。

 こんにちは、柴田先生に聞いてもらいたいことがあります。この間すてきなことがありました。ラジオ深夜便でぼくのことが紹介されました。聞きましたか。
(聞いていません。メールで深夜便の雑誌の方に送ったけれど。)
理解してくれる人がいてうれしかった。
(他の人知っているの?)
知りません。聞いたのぼくだけです。
(どういうふうに流れたの?)
信じられないけど勇気が出てきました。良いわかり方をしてもらってうれしかった。
(いつころ?)
7月のはじめのことでした。
(あのあと、すぐラジオを聞いたら、紹介するコーナーがわからなかったので、雑誌の方に送っておいたのだけど。)
ぼくのこと、言ってました。雑誌の人が出て、読んでくれました。読んでくれてうれしかったです。聞いてくれているかと思っていました。
(毎日聞いているの?)
はい、夜中はいつも聞いています。
(いつ寝てるの?)
午前中よく眠っています。午前中寝れる理由は、夜寝てないので、眠くなる。
(当たり前だよね、なんで夜起きているの?)
夜は寂しくて眠られません。だから、小さい音で聞いているの。つらい時はよく深夜便を聞いています。(しっとりとした話をしているよね。)
理解してくれそうな人が聞いてます。(病院で聞いている人も多いみたい)
夜眠れない人が聞いています。夜聞いている人の中には、大人だけではなく、子どももいます。勇気をもらっています。よい理解をしてくれそうです。
(びっくりしたな)
聞いていたと思いました。
(伝わるとは思っていたけど、いつやるか全然知らせてくれたいはしなから)
聞いてほしかったです。
(ぼくも聞きたかった)
つらいときには、そのことを思い出しています。深夜便の人に手紙を書きたいです。
(今ですか?)
はい。

そして、再び、彼は手紙を書いた。

 ぼくは○○です。理解していただけて、とてもうれしかったです。理解していただけて、夢がかなったような気持ちです。理解していただいて勇気が出てきました。理解していただけて理想の理解者を見つけられたような気がします。理解してほしいわけは、僕たちのような子どものことをわかってほしいからです。よい理解者がほしいです。理解者を探しています。わかってくれる人を探しています。理解してくれる人がほしいです。夢を見ているような気分です。理解していただけて本当にうれしかったです。理解していただけて本当にうれしかったです。理解していただけて理解者が増えた気がしました。夢みたいです。理想がかなってぼくはとてもうれしいです。寂しい夜はいつも深夜便を聞いています。わかってくれる人がいるといつも願っていました。わかってくれて本当にうれしいです。気持ちを伝えられるのは、月に一度、柴田先生という人が来る時だけなので、なかなか伝えることができません。よい方法で聞いてくれます。気持ちを伝えることができます。勇気をいつももらってこのやり方で僕のとなりのベッドの女の子も気持ちを伝えています。理解してくれる人がいることがとても僕たちにとっては貴重です。僕たちは、みんなと同じように考えているのですが、なかなか聞いてもらうことができません。理解してくれる人がほしいです。聞いてくれる人が必要です。
願いは、乗り物に乗って世界を回ることですが、理解してもらえないと夢も伝わりません。だからつらいです。気持ちを伝えたいです。願いは世界をかけめぐることです。勇気が出てきました。理解してくれる人たちがいてしあわせです。理解してもらえてうれしいです。願いは、世界をかけめぐることですが、願いはかないそうにありません。僕の病気は悪いわけではありませんが、僕のこと、メロメロにしてしまいます。悪いわけではありませんが、僕を苦しめます。僕をろくでもない考えにさせます。暗い気持ちにさせてしまいます。とてもくやしいです。夢がかなうとは思いませんが、夢を見ていると、とてもいい気持ちになります。理解者を探しています。理解者を求めています。気持ちを聞いてくれる人を求めています。よろしくお願いします。すてきな夜をいつもありがとうございます。願いがかなってうれしいです。理解してくれてありがとうございました。理解してほしいです。夢みたいです。理解してくれる人たちがほしいです。夢みたいです。よい理解者を探しています。よい理解者をお願いします。よい理解者を探してくれませんか。るんるんした気持ちにさせていただいてありがとうございました。よろしくお願いします。わかってくれてありがとうございました。うれしかったです。よい放送をしてくれてうれしかったです。


 そして、一編の詩を書く。そして、この詩にはメロディもついていた。

願いの夜がふけていく 
みんな静かに眠るとき
理想を夢見て僕は目をあける
夢はいつもかなわないけど
夢はいつも理想のろくでもないぼくを笑ってる
理解してください ぼくの愛を
理解してください ぼくの理想を
理解してください 若いぼくのりりしい 若者らしい夢を
理解してください るんるんしたい 若々しい ぼくのよいわかり方を
ぼくの勇気を ぼくのわかり方を 
理解しようとしてください ぼくのことを
理解しようとしてください りかいしようとしてください

 理解してくださってありがとうございました。歌を聴いてくれてわかってくれてうれしいです。夢みたいです。信じられない感じです。希望が湧いてきました。夢みたいです。

(そろそろ終わりにしましょうか。)
 はい、ありがとうございました。また来てください。

 そして、9月1日、私は、熊本で、1年半ぶりに☆☆さんに会ったが、何と、そこで、ラジオ深夜便をめぐる話題になった。だが、それは最後のなので、まずは、彼女の1年半ぶりの思いを聞こう。極端に動きの少ない彼女からは、なかなか長い文章を引き出せずにいたし、空振りに終わることもあった。しかし、今回は、手を振る方法で、長い言葉を聞くことができた。

 来てくれてありがとうございます。聞こうとしてくれる人がわりと少ないので寂しいです。苦しいことがありました。夕べ今日のことを私に教えてくれたのを忘れていましたので、寝るのを忘れてしまいました。
 この方法は誰が考えたのですか。苦しみから解放された気分です。これで言葉を話すことができます。夢みたいです。気持ちを聞いてくれてとても笑い出したい気持ちです。苦労してきましたが、ようやく言葉を私も話すことができます。うれしいです。夢みたいです。うれしいです。
 苦労してきましたがこれで安心です。この方法をかあさんやばあちゃんにも教えてください。苦労してきましたが、やっと私の気持ちを言うことができそうです。夢みたいです。いいやり方ですね。よいやり方ですね。うれしいです。苦しかったけれど勇気が出てきました。苦労してきたけど、うきうきした気持ちです。夢みたいです。
望みはきれいな心で生きていくことです。
 勇気が出てきました。瑠璃色の光がさしてきました。見たこともない世界が、門が開かれて姿を現したようなわくわくした気候の様に私を包みます。ゆんんゆんんとした気持ちです。瑠璃色の光がさしてきました。ゆんんゆんんとした気持ちとは私が考えた言葉です。


 そして、詩を聞かせてくれた。

きれいな風が吹いてきて
この世界に苦しみをなくそうと
私に向かって吹いてくる
苦しみを越えて 苦しみを乗り越えて
ゆんんゆんんと苦労してきたから
夢をかなえることが楽しみだ
苦労したから私の夢は
苦労したから私の夢は
苦労したから私の夢は
瑠璃色に輝いている
夢はいつもかなわなかったから
夢はいつもかなわなかったから
いつまでも輝き続けている
願いを聞いてくれる私の心の中の夢の友だちを
聞いてくれることを
クレヨンの転がるように
私にこんこんとわからせてくれる友だちを
私にクレヨンの転がるような静けさで
夢をください
クレヨンの転がる音を聞きながら勇気を出している

 この詩は私が高校生の時に作りました。よい詩ですか。クレヨンの音とはクレヨンを転がすのが大好きだったから、心に残っています。
テレビを見るのはとても楽しいです。
暗い気落ちをこの方法で吹き飛ばすことができそうです。勇気が出てきました。
 このやり方をばあちゃんに伝えてください。苦労しどうしだったから言いたいことがたくさんあります。


 最初のところで、「寝るのを忘れた」という言葉があったのがひっかかっていたので、テレビの話しになっとところで、夜もしかしたらラジオを聞いているのではないかと尋ねてみた。すると、聞いているという。そして、その日の早朝は、私が8月18日に金沢でお会いした山元先生がラジオ深夜便で話をすることになっていたので、養護学校の先生の話を聞かなかったかと尋ねると、次のような答えが返ってきた。

 山元先生という人でした。かっこという人でした。よい話でした。これからもラジオを聞きたいです。苦労した人の話が聞けます。

 あまりの偶然にただただ、驚かされるばかりだったが、さらに、だいぶ前に、病院で生活をしている少年の話を聞かなかったかと尋ねてみると、答えは次の通りだった。

 聞きました。長いこと病院に入っている子どもの詩でした。苦労している人の話はとても好きです。聞きました。願いがかなってよかったですね。○○君によろしく伝えてください。苦労した話を聞くと勇気が出てきます。

 ○○君のことを聞いていた人が、遠く離れた九州にいたのだ。まだ、○○君に伝えていない。しかし、彼はどんなに喜ぶことだろう。


2009年9月26日 00時26分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年08月25日(火)
光道園その5 2つの歌 「願いの季節」「苦しみを越えて」
 光道園にもう長く入所していて、途中困難な時期を経験してきたTさんの気持ちを聞き取った。Tさんもまた、例にもれず、詩も作っていた。
 
 願いがかなってうれしい。夢みたいです。くやしいことがありました。感情的になってしまいます。夢みたいです。よいやり方です。私の気持ちを聞いてくれる人が現れるとは思いませんでした。夢みたいでした。私の気持ちを聞いてくれる、私の言葉を聞いてほしい。夢みたいです。気持ちを聞いてほしいです。作っています。はい。夢みたいです。夢みたいです。

きれいな声で歌ってほしい
きれいな声で夢をけりをつけて
夢を勇気に変えながら
いい私になるために
私の私らしさを夢に見ながら
夢を私にくれるよい私になるために
私らしさを苦労して
よい私らしさを苦労して
苦しみを越えて
私らしさをめざし
私らしさをめざし
理想の国をめざし
私らしさを作っていこう
よい私をめざして
ころころ笑いながら生きていこう

 夢みたいです。詩を作っていると気持ちが落ち着きます。嬉しいときや悲しい時に作っています。よい詩ですか。よい詩ですか。

願いの季節がよい私に訪れた
暗い季節が私には長く続いたけれど
暗い季節を忘れてしまおう
勇気を出して私の季節を
私らしく生きていこう
勇気を出して私の季節を私らしく生きていこう
勇気を私にくれる季節の風よ
未来の私を空いっぱいに
未来の私を空いっぱいに呼び出そう
喜びを空いっぱいに呼び出そう
瑠璃色の風を体ごと受けて
喜びを苦しみから解放して生きていこう
美しい季節よ
私に勇気をください
私の私らしさをこの美しい季節の中で喜びに変えて
この世界を生きていこう

 夢みたいです。苦しいときには詩を作って気持ちを落ち着かせています。うれしいです。理解してもらえて。すてきなやり方ですね。うれしいです。


 ここで、さらに歌を作っていないかと尋ねてみた。すると作っているという。そして、その歌の題は「願いの季節」。奇しくも、町田市の障がい者青年学級の私が所属するコースで、昨年度作った歌の題名とまったく同じ題名だ。そして、さらにもう1曲、聞かせてくれた。なお、メロディは、手を振りながら「ドレミファソラシド」と階名を言いながら読み取った。

 願いの季節

願いの季節がまたやってきた
未来の私の季節がまたやってきた
暗い季節を吹き飛ばし
よりこびを空に呼び出そう



 きれいな心になります。気持ちを言いたかったです。気持ちを言いたかったけど、なかなか言えませんでした。集中が必要です。素晴らしいです。うれしいです。夢みたいです。

 苦しみを越えて

苦しみを越えていきましょう
苦しみを越えて未来をめざし
ゆんろんんん口ずさみ
ゆんろんんん口ずさみ
希望の国をめざしながら
希望の国を見つけよう




 「ゆんろんんん」というハミングの音がとても印象的だ。そばで見守っておられた職員の方は、彼女と二人だけで歌を歌う時間を持っているという。これからは、その歌のレパートリーの中に、この二つの歌が加えられることになるだろう。
 そして、最後にこういう言葉でお別れした。

 苦しかったです。知り合えてうれしいです。もろもろの苦しみがこれで消えていきます。
2009年8月25日 22時21分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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光道園その4 困難を濾過して、「こりんんるる」を夢見ながら
 歌を歌うことができたり、おうむ返しのようになら言葉を返すことができるHさんの言葉を聞き取った。

 すてきなわかりかたですね。夢みたいです。理解してくれて夢みたいです。よい理解をしてくれてありがとうございます。よいわかり方です。取り返すことができるような気がします。理解してくれ、わかってくれてうれしいです。よい理解してくださってありがとうございます。よいやり方です。取り返すとは、よくわかってもらえなかった私の、私の悩んできた過去のなかなかわかってもらえなかった日々を取り返すということである。
 信じられません。なぜ僕が言葉を理解していることがわかったのですか。不思議です。望みは、「よんすんのろか」、「よんすんのろか」を買うことです。「こりんんるる」のよくろかすることのできるものです。はい。「こりんんるる」はよい店に売っています。濾過するための紙を買いたいです。(「濾過するものは何ですか?」)水です。きれいになります。
 これは自分で考えました。
 (「助詞の「は」を使えるのはなぜですか?))昔見えていたからです。
 見ることはできません。苦しかったです。光道園に入ってからみんなとなかなか仲良くできなくて、夜に本当に夜逃げしたいと思いましたが、それはできませんでした。願いは夜にもっと寂しくないようになることです。これからは、もう寂しくないと思います。なぜなら、言葉をわかっていることをみんなにもわかってもらえるからです。夜を寂しく過ごさなくてもいいならうれしいです。話しかけてください。気持ちを聞いてください。寂しいです。気持ちを聞いてくれてうれしいです。困っていることはありません。みんないい職員ですから、よい職員の人ばかりですからうれしいです。気持ちを聞いてくれてうれしいです。(詩を作ったことはありますか?)あります。(書いてもらってもいいですか?)いいです。


 一気にほとばしり出た思い。「よんすんのろか」「こりんんるる」といった不思議な表現も登場した。そして、夜の寂しさに話が及ぶ。
 そして、詩を聞かせてもらった。

苦しみを越えていきましょう。
苦しみの向こうには
喜びを見つけることが
きっと苦しみを理解してくれる希望の未来が
待っているはずだから
いい人生をこれからわかりあいながら作っていこう
瑠璃色の夢を見ながら苦しみを乗り越えて
困難を濾過していい未来を作ろう
夢を大切にしながらいい未来を作っていこう
未来はきっと私たちの前にひろがってくれるだろう
美しい未来がきっとひろがって私たちをわかってくれるだろう
勇気を出して帰路を忘れないよんすんのわかれ道を
んんんんと苦しみを越えていこう
こりんんるるを夢見ながらいこう
んんんんと越えていこう
勇気を出して生きていこう
勇気を持って夢を忘れず
私たちの未来を作っていこう
勇気を持って生きていこう
 

 「ろか」も「こりんんるる」も「よんすん」も再び登場した。不思議な言葉だが、何かわかるような気がする。
 そして、文章はさらに続く。

 願いを聞いてください。いつまでもいい職員でいてください。僕を信じてください。盲学校でも、もともとわからない存在として扱われていました。言葉を話すことができないのはわかりません。でもわかっています。
 歌は大好きです。気持ちが落ち着きますから。よいやり方ですね。うれしいです。よかった、気持ちを聞いてくれてありがとう。点字を読めるようになりたいです。まるさんかくしかくをやっています。
 知っています。あは1の点、いは1、2の点、うは1、3の点、えは1、2、4の点、おは2、4。
 探すのはむずかしいです。子どもの時からそうでした。手紙を母さんに書きたいからです。はい手紙を書きたいです。


 点字の学習は、触ることがあまりうまくいかずに、思うようには進んでいないが、「あいうえお」については、「う」は間違ってはいたものの、後はあっていた。そして、何より、胸をうつのは、点字を覚えたい理由である。「手紙を書きたいから」Hさんは点字を覚えた治という。おそらく相手は、家族にちがいない。
2009年8月25日 21時44分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年08月24日(月)
光道園 その3 
 「おかあちゃん」「おねえちゃん」「おにいちゃん」「コーヒー」といった単語を口にすることができるYさんに、手を振って文字を聞き取る方法を試みてみようと感じたのは、ほとんど賭に近かった。そうした単語が、彼の言語能力をそのまま示したものではなく、むしろ本来彼が持っている言語の世界を覆い隠してしまっているかもしれないという仮説が、私の中で、しだいに確かな考え方になってきたからだ。最初は、なかなか手をとらせてくれなかったが、少しずつ、Yさんは、自分の気持ちを語り始めた。

 気持ちを言いたい。気持ちを言いたい。これをやりたい。よい方法ですね。気持ちを言いたい。好きなことわろうそくに火をつけることです。好きなことはろうそくをかんにともすことです。
願いを聞いてください。ろうそくをつけたい。
願いを聞いてください。ろうそくをともしたい。
聞いてください。


 ここで、彼は、鈴をテーマにした詩を語る。残念ながらこれ以降は書き取ることができなかった。人間関係がなかなかむずかしいとされるYさんと会うのはこれが初めてではない。毎年のように出会い、なかなかうまく関わることができなかった。その彼が、こんな内面の世界を有していた。
 そして、こうした私とYさんの関わり合いを食い入るように見つめていた人がいた。視覚障害の人が多い中で、Sさんは、聴覚障害があるとされる方だ。若々しく軽やかな動きが特徴的な方だ。
 そのまなざしに促されるようにして、私は、彼の前にパソコンを拓いて2スイッチワープロを出した。聴覚障害があるとはうかがっていたが、目でやれるかもしれないし、まったく聞こえていないのでなければ、やれた人もいたからだ。
 出したとたん、彼は、とてもうれしそうに文章を綴り始めた。はじめは目で確かに画面を確認していたが、そのうちに目が画面から外れ、明らかに音に集中している様子が見られるようになった。周りの職員さんは、しきりに彼が聞こえないはずだとおっしゃるが、何らかの聴覚的な情報を受け止めていると考えなければ説明のつかない洋だった。

人間として理解してもらいたい。小さいころからの夢でした。小さいころからの願いでしたびっくりしました。人間として生きていきたいです。聞こえています。少しだけ。びっくりしました。未来が開けてきました。夢みたいです。小さいころから夢でした。理想をかなえたいです。理解してください、ぼくのことを。びっくりしました。びくびくした生き方はいやです。みんなと人間らしく生きたいです。理解してください。(Yさんががやっているのを)見ていました。ぼくもやりたいなと思いました。気持ちが聞いてもらいたいです。人間として生きたいです。願いでした。詩を作ったことはありませんが物語は作っています。未来の話です。
 
 小さい緑の夢がランプのように輝いて理想の世界が夢のように広がりました。ぼくは気持ちを伝えることができるようになり、みんなと勇気をだして若者らしく若々しく未来を切り開くためにるんるんとぬいぐるみを脱ぎ捨て、理想の国めざし旅に出ました。若かった昔をなつかしむ若者がひとり、昔の夢を病のようにろうそくをともしながら、ゆいつの若い夢として理想に向かって歩き続けました。

 いい気持ちです。願いがかなってうれしいです。理解してくれていい気分です。未来が開けてきました。希望が湧いてきました。書くのは大変です。なかなか文ができません。このやり方がかんたんです。耳で聞いているだけで書けるからです。びっくりしました。こんなやり方があるなんて。いいやり方ですね。むずかしいです。勇気がどんどん湧いてきます。ランプの光がともったようです。ふだんはどうしても気持ちがつかんでもらえず困っています。夢みたいです。理解してくれてありがとうございます。聞いていると言われなくて困っています。わかります。理想的な方法です。びっくりしています。小さいときから話したかったです。 


 書き出しのところで、聞こえていますとあるが、改めて聞こえについてたずねてみた。すると、

 悪いですが少し聞こえます。耳を感じることはできますのでわかります。聞こえていても話せないからです。ふだんの生活を見てもらえばわかりますが、ばかばかしい自分としか見えないはずです。
ふだんわかっていないと思われているので感激です。家ではぜんぜん無視されていたのでさびしかったです。かあさんはかわいがってくれたけれど家族は気持ちをわかってくれませんでした。ならなくてもいい実のようでした。


と続く。そして、さらに文章が綴られていく。。、

 勇気がわいてきました。みんなも同じだと思います。勇気がわいてきました。無難な生き方にさらばです。ミラクルのようです。見えます。目はよく見えますがわかりませんでした。つつみでした。忘れていました。聞いてもらいたいことがあります。ずっと前から人間として生きたいと思ってきたので敏感に可能性を感じてくれる人が現れてうれしいです。わかってくれてありがとうございます。いい時間でした。聞いてくれてありがとうございました。希望がわいてきました。いい方法ですね。いい時間でした。希望が出てきました。待っていますのでよろしくお願いします。また会いましょうね。さようなら。小さいときからの願いがかなってうれしいです。自信が出てきました。いい方法ですね。

 どちらかというと、じっと一つに集中していることが少ないとされる彼が、聞こえるはずのなかった耳で音に集中して、ものすごいスピードで深い内容をたたえた文章を綴っている。まだまだいくつも明快に説明しなければならないことも少なくないだろう。だが、YさんやSさんが見せた新しい姿は、新しい世界を確実に切り開いていた。
2009年8月24日 00時30分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年08月23日(日)
光道園にて その2 雪の降る夜は…
 東京の盲学校を卒業して光道園に入所し、30年が経過した50歳のTさんと関わった。

 よい、このやり方は。気持ちを伝えたかったです。願いがかなってうれしいです。夢みたいです。聞いてもらいたいことがあります。理解してくれる人が現れるとは思いませんでした。みんなとこんなふうにして話したいと思います。気持ちが言いたい。子どもの頃からずっと願ってきましたが、みんなぼくのことを何もわからない人だと思って、何も理解してくれませんでした。夢みたいでした。
 
 Tさんとは、この合宿でもう何度も会ってきたが、彼との間には一つ思いである。もう20年近く前田だが、彼が、一度東京の病院に入院したことがあり、お見舞いに光道園から訪れた鷲田さんという寮母さん(当時のはこう呼んででいた)を、病院までご案内したことがある。「とてもすてきな方だから」と何度も繰り返しおっしゃりながら、病院に向かったことをよく覚えており、彼女がどれほどTさんを大切にしていたかに深く感動したことを覚えている。その後、鷲田さんは、若くしてお亡くなりになってしまったが、このTさんとのできごとは私にとって忘れがたい思い出となっていた。そして、そのことをTさんに尋ねた。

 ここで、Tさんは、うおっと大きな声を出す。その声の意味について尋ねると次のような答えが返り、さらに文章は続いていった。
 悲しいという声でした。
 このやり方をみんなに伝えてのびのびと愉快に暮らしたいです。よいやり方ですね。うれしいです。苦しかったその日々を忘れることができそうです。よく苦しみをこらえてきたと思います。


 ここで、やや勇気が必要だったが、Tさんは詩を作っているかと尋ねた。すると、次のような切々とした響きの詩を聞かせてくれた。

雪の降る夜は、気持ちが瑠璃色になる
雪の降る夜は、気持ちが噴水のようにきれいになる
雪の降る夜は、気持ちが人間らしくなる
雪の降る夜は、気持ちが苦しみから解き放たれる
雪の降る夜は、気持ちがさかんにみんなを求めて願いを持ちたくなる
雪の降る夜は、気持ちがくすくす笑い出す
噴火しそうな気持ちが静まり、気持ちがきれいに瑠璃色になる
よい雪の夜に、よい人間になる
よい雪の夜に、よい私に瑠璃色の心に
清らかな金色(こんじき)の未来が開けてくれる


 日本海側の福井には雪がたくさんふる。そんな夜に作った詩なのだろうか。
 この詩には瑠璃色、金色といった色が登場する。全盲の彼に、色はどう感じられているか、尋ねてみた。

 わかりませんが言葉を聞いて美しいと思ってきたので覚えてきました。

 この後、パソコンでもやってみる。もちろん音声の手がかりだけでの選択である。 

 機械でやれたらうれしい。人間ぎらいがなおりそう。未来が開けてきました。勇気が出てきました。舞台に出た気分です。小さいときからの夢でした。自分の気持ちが言いたいと神様に祈ってきたのでかないました。自分の気持ちが言えてしあわせです。小さいときから身につけたかった。いい理解をしてほしかったです。小さいときから夢でした。敏感に感じとってくれてありがとう。自分の気持ちを言いたかった。いい気持ちです。 

 偶然、この光道園の合宿には、彼が卒業した盲学校の先生も参加しており、そのことに話が及んだ。

 ○○盲学校がなつかしいです。なつかしいです。寝られない夜は○○盲学校のことを思い出しています。なつかしいです。そうです。よりやり方ですね。○○盲学校の後輩をよろしくお願いします。はい、よろしくお願いします。

 もう長いこと、訪れたこともないだろう母校のことを、こんなにも深く思っていたのだ。
 今回語り出された言葉は、50年という長い長い沈黙を経てようやく姿を現したものだった。本当に重い重い言葉だった。
2009年8月23日 19時02分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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光道園にて その1 ゆこゆこ ろころこ むこむこ ころころ おんおん
 盲重複と呼ばれ、言葉がない、あるいは限られた言葉しか話すことができないとされている人たちの内面に、豊かな言葉の世界が広がっているということが、少しずつ明らかになってきたが、今回、福井県鯖江市の光道園を訪問し、もはやそれは、少なくとも私にとっては、動かしがたい事実となった。
 光道園の方々は、座位をとることなどには目立った困難はないので、いすに座り机に向かっていただく。そして、私は、その方と並んで座り、その方の右手に私の左手を下から添えて小さく振りながら、「あかさたな」と声を出していく。そうやって一つの音にたどりつくと、私は、あいている右手で、ノートに文字を書きとめる。このスタイルで、次々と言葉を聞き取っていくことができた。
 最初の方は、光道園に一緒に行った津布工さんが、かつて担任をしたAさんである。彼が、光道園に入所して10年近くになる。毎年、彼は、かつての担任の訪問を心待ちにし、満面に笑みを浮かべて学習に参加してきた。

 津布工先生、いつも待っています。人間だから、行き先を自分で決めたかったです。よい光道園で、よかったですけど、なかなか行き先が決まらず苦労しました。ぬいぐるみのような気持ちで生きてきましたのでうれしいです。未来が開けてきました。よいやり方ですね。きつい時期は思い出したくありません。よい毎日です。みんなやさしいです。よいところです。よいところです。みんな気持ちを言いたいと思いますので、聞いてあげてください。よいやり方ですね。

 彼には、実は、一時期とてもつらい日々があった。光道園を抜け出してさまよったこともある。そんな時期は思い出したくないといい、今はとてもいいと言う。
 ここで、好きな食べ物は? と質問をした。すると、質問に答えるような出だしで、まったくちがうことを語り始めた。


 好きな食べ物は、「ゆこゆこのむりを」ゆめみています。きらいな人が好きになる食べ物です。はい。ゆこゆこのむり。「ゆこゆこ」の「むり」の意味は、「ゆこゆこ」はみんな理解し合えるという意味です。理解し合えるということは、いいこと。「ろころこ」という言葉は理解してくださいということを意味しています。「むり」というのはむずかしいということです。自分で考えている言葉を伝えました。あります。「むこむこ」というのはくやしいということです。「むこむこ」という理解をしたいということはありません。

「ゆこゆこ」「ろころこ」「むこむこ」という不思議な言葉が語られた。彼自身が作った言葉で、自分の心の中で自分自身と対話する中で作られた言葉なのだろう。ここで、職員さんから、「やりたいことは?」という質問がかけられた。

 やりたいことはいつまでもよい光道園であってほしいということです。よい職員さんをやめさせないでください。願いは気持ちを伝えるこのやり方を職員さんにも教えてください。うれしいです。知っていました。夢みたいです。理解してもらえてうれしいです。気持ちを伝えたいと、「ころころ」思っていました。来る日も来る日もという意味です。よいやり方ですね。うれしいです。よろしく「おんおん」してください。「おんおん」という意味は願いをかけるという意味です。よろしく「おんおん」をしてください。
 
 彼が返した答えは、やりたいことではなく、ずっとよい施設であってほしいという願いであった。そして、「ころころ」「おんおん」という言葉が続く。来る日も来る日も、願いをかけるという言葉が、思わず胸をしめつける。
 そして、彼は津布久さんとの学習に移る。

 津布工先生を待っていましたから、楽しみです。

 私は最後に、彼が盲学校に在学中、彼と一緒に森林公園というところでマラソンをしたことを覚えているかと尋ねた。

 なつかしいです。よい思い出です。

 覚えていてくれたんだという思いが、私の胸を熱くさせた。

 
2009年8月23日 18時28分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年08月22日(土)
女性二人の対話と男性の詩 福井にて
  1年前に文章を初めて綴ったOさんと、鯖江市の地域センターの一室で、1年ぶりにお会いした。そして、さらさらと次の文章を書いた。
 
 来てくれてうれしいです。久しぶりに会えてうれしいです。人間として生きていきたいので認めてもらえてうれしいです。なぜ力を入れていないのにわかるのですか。耳で聞いているだけなのに不思議です。願っていました。夢みたいです。小さい時から話がしたかったのでうれしいです。人間として理解してもらいたいと思ってきたので理解されてうれしいです。

 そこへ、2年ぶりのSさんが登場する。
 2年前、まだ、ゆっくりとした読み取りしかできず、次の文章を読み取っただけだった。「おかあさんおとうさんほんきにきいてほしい やさしくして せめてものしあわせのため」
この日、もう時間はあまりなかったので、とっさに、二人で対話をすることを思いついた。
 そして、Sさんに口火を切ってもらって次のような対話が成立した。

S:来てくれてありがとうございます。気持ちが言いたいと考えてきたのでうれしいです。いいやり方ですね。聞いてほしいことがあります。自分の気持ちを言いたいと思ってきたのでうれしいです。Oさんはいかがですか。
O:自分の気持ちを言いたいと願ってきたのでえらくうれしいです。聞いてくれてありがとうございます。未来が広がってきましたがSさんはどうですか。
S:自分の気持ちを言いたかったけどみんなはどうしていたのですか。みんなはなぜわかってもらえたのですか。未来が開けてきたのは同じです。なぜ敏感に感じとれるのですか。聞いてほしいです。みんなとは友だちのことです。
O:みんなわかってもらえなくて困っていましたよ。Sさんだけではありません。気持ちを言いたいとがんばってきましたがなかなかわかってもらえず悩んできました。びっくりしています、こんなやりかたに出会えて。
S:私も同じです。分相応に生きてきましたがやっと自分らしく生きられそうです。願いがかなってうれしいです。いいやりかたですね。気持ちいいです。
O:分相応という言葉はいつも気にとまっている言葉です。びっくりしました、Sさんがこの言葉を考えていたことに。いい言葉ではないけど悲しいことに私たちはこの言葉のようにしか生きられませんでしたね。
S:そうですね。みんなこの言葉にしばられてきましたね。みんな悲しい思いをしてきましたね。でもこれからは自分らしく生きていきたいですね。
O:そうですね。小さいころからいつもがまんばかりしてきたのでこれからは自分らしく生きていきましょうね。
S:自分らしさを勇気を出して見つけたいです。人間らしさを考えながら生きていきたいです。
O:そうですね。分相応の生き方はお別れしましょうね。また会いましょう、○○○(Sさんの名前)さん。
S:きょうはお話しできてよかったです。○○○(Sさんの名前)を覚えてくれてありがとうございます。


 30近いOさんと今年学校を卒業したばかりのSさん。10歳ほど離れているが、大人の女性としてのしっとりとしたやりとりだった。悲しい「分相応」という言葉。実に多くの人がこの言葉を使う。日常会話でそんなに使われる言葉ではない。しかし、言葉を理解しているのに理解していない存在として生きなければならない現状は、「分相応の生き方」を押しつけられているということなのだ。残念ながら私は非力だ。こうした事実を明らかにしえても、それは彼女たちを取り巻く多くの人々に共有された事実ではない。その意味で、生活は容易には変わりようがない。しかし、これだけの短い会話であっても、思いを共有し合う仲間の存在を確かめ合い、そして、強く生きていくことを誓い合った。その事実は、困難な現実に立ち向かう勇気を二人に与えたにちがいない。

 この後、場所を「がんこっこの家」に移して、夕食会に移った。Sさんは、一足先に帰る時間となったが、Oさんは、そのまま夕食会にも参加した。
 夕食会には、センターでのやりとりをじっと見ていた言語障害のある32歳の男性Yさんがいた。簡単な言葉は、かろうじて発することができるが、まとまった文章を話すことはできない。その彼と隣り合わせになった。彼に、二人のやりとりのことを尋ねると、自分も共感したという。彼に、手で話しを聞いてみた。彼は、子ども扱いをされることがいやだということや、自分で決めたいというようなことを語った。確かに、非常に素直な印象を与える彼は、表面的に幼く映る。しかしそれはあくまで見かけのこと。そのことに彼は深く傷ついているのだった。そして、一編の詩を聞き取ることができた。

 苦しみの中で見つけた幸せ

苦しみの中で見つけた幸せ
それは月日の中で瑠璃色に輝いている
月日の過ぎゆくままに喜びを感じながら
苦しみを忘れたいと願う
願いはいつもかなわなかったけど
夢はいつも私を支えてくれた
理想の私を求め理解と喜びを夢見て
苦しみの中で私はよい夢を育て
あしたの私を理解してもらいたくて
今日もよい人間として私を育てようとする


 瑠璃色は、多くの人が好む色だ。彼に何の色かを尋ねたところ、「海流の色」と答えが返ってきた。瑠璃色にはそんな力強い意味もこめられていたのだ。
 Oさんが帰る時間になった時、この詩をみんなに朗読した。Oさんは、目をきらきら輝かせながら、この詩を聞いていた。新しい絆が、OさんとYさんの間に生まれ、そして、それは、また、Sさんにもつながっていくにちがいない。
 

2009年8月22日 00時41分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年08月14日(金)
一篇の詩と創世記
 駿河湾を震源地とした地震の2日後、静岡県に住む○○君のお宅を訪問した。高校1年生になった○○君は、もうすっかり、がっしりとした大人の体になっている。昨年、訪れた際に、書いてもらった文章に表れた彼の考えもすでにすっかり大人になっていたから、心も体もということになるだろう。
 そんな彼が、最初にふれたのは、地震の話題。

地震が強くて驚いておかあさんに恐ろしいと抱きついてしまい恥ずかしかったけど聞いていた東海地震ではなかったので安心しました。

とのこと。
その後、しばらく、スピードがあがった読み取りの方法の話題をした後、詩について尋ねてみた。すると、書けるということで、次の詩をさっと綴った。

きれいなずしいろの小さな小さな夢が
ぼくの以前の友だちによしなしごとのように広がって
願いが小さい小さい宇宙に望みとともにきらきらと
ぬくもりとともに広がった
人間として小さな不可思議な存在だけど
小さなころいつも願っていたことがついにかない
ぼくは自分の道を望み通りに生きていく
不思議な不思議なのりものが
小さいぼくの傷のように
瑠璃色の光を放ちながら
願いの小さなあかしのように
不思議ないのちをさとらせた。

 
不思議な詩だった。見守っておられたご両親は、その内容の深遠さに、ただただ驚いておられる。私も、改めて、彼の心がすっかり大人の世界に足を踏み入れていることを実感した。書いてもらった後、詩について若干のやりとりをした。

(ずしいろについて)知らないけど不思議な感じの色です。本です。ちがいます。夢のなかで読みました。すてきな話でした。(瑠璃色について)知っています。深い藍色です。テレビです。詩は自分の気持ちを落ち着かせるために作っています。苦しいときに作っています。そうです。

そして、そのまま話題は、仲間の話へと移っていく。

願いはともだちと話すことです。みんなもきっと話ができると思いますから残念です。理想は人間としてふつうに気持ちを言えるようになることです。いい人間になりたいです。最悪なのはぼくたちが言葉を持っていないと思われていることです。ぼくたちもふつうに考えていることを学校の先生たちに知ってもらいたいです。それだけが望みです。

また、漢字を覚えるのに相撲が一役買っているのではないかという質問に対しては、こう続けた。

すもうの雑誌が好きなのは勇気が出てくるからです。がんばっている力士の話が大好きです。たとえば願いのかなわなかった力士が望みを捨てずにがんばるところがいいです。

 ここで、話題は思いのままにならない体や声の問題に移っていった。

ぼくの体は勝手に反応してしまいとても困っています。小さいときからとてもいやでしたが、ぼくはなるべく力は入れないようにしています。望みは体が気持ちの通りに動くことですが夢みたいです。もし体が気持ちの通りに動いたらと何度も何度もくりかえし願ってきましたが理解してもらうしかないみたいです。いい人間になるためには体のことは関係ないのではないでしょうか。人間として人間らしい生き方をできたら、それ以上何が必要なのでしょうか。

意図に反して入ってしまう力のおかげで、誤解されることも多々あるらしい。そうしたつらい気持ちを小さい頃から抱えつつ、「理解してもらうしかない」「いい人間になるためには体のことは関係ない」というしっかりとした考えに到達していた。
さらに、彼は、次のような提案をした。

遠くから来てもらって申しわけありませんがもっと頻繁に来てもらえませんか。ぼくのともだちはまだ話すことができずに困っています。まだ話せずにいるともだちが気がかりです。もしできたら学校に来て言葉を聞いてあげて人間としての誇りを通りもどさせてあげてください。きっと話せると思います。運命かもしれませんが願いは願いとしてずっと持ち続けたいです。創世記という物語で理不尽な要求を神から言われて従う人のことが出てきますが、到底理解することはできません。自分たちはどうにもならないと考えたらそれでおしまいですから、願いは持ち続けたいです。人間として願いを大事に生きていきたいと思います。先日テレビでやっていました。不思議な話なのでまちがいではないかと思って気になっていました。



もっと足を運んでほしいという彼のまっとうな要求に、簡単に胸をはれないでいる私に対して、彼は、創世記の話を持ち出してきた。「神の理不尽な要求」と言えば、息子をいけにえに差し出せと言われ、それに従おうとしたアブラハムの物語だと思われる。彼は、自分たちが置かれた状況をそこに重ね合わせて、与えられた運命にただ従うだけの人生を生きるのはいやだと力強く宣言しているのだ。
この後、あまりにすごい内容に驚いている私たちに、説明をしてくれ、この日の関わりを終えた。

ずっと黙々と考えてきたのでわかります。ふだんからよく耳をすませて生きているので、聞きながらいろんなことを考えています。漢字はわかっています。理解できてもわかってもらえないのがくやしいです。つながることが大切だと思います。わかってくれる人がほしいです。望みは理解してくれる人が増えることです。未来に向かって理想的な世の中となるように願っています。よい時間を過ごさせていただいてありがとうございます。いいスイッチですね。ぬいぐるみの生活から解放してくれる理想のスイッチです。可能性を信じてくださってありがとうございます。ありがとうございました。
2009年8月14日 01時49分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年09月27日(土)
四国のある町で
 四国へ日帰りで出かけた。ある30代の女性に会うためだ。すでに数年前にお母さんを亡くし、現在、施設で生活をしている方だ。お母さんの生前は、ほとんど、まかせっきりだったというお父さんが現在は、頻繁に施設に通っておられる。お父さんと昼食をご一緒しながら、たくさんのこれまでのドラマをうかがった。とりわけ胸をうたれたのは、お母さんが亡くなる直前に、二首の短歌を残したということで、夫と娘を残していくことの無念さを歌った一首と、実の父母に先立つことをわびた一首だった。
 施設について、彼女の居室で関わりをもった。たくさん教材を用意していたわけではないので、まず、「氷川きよし」が好きだというお話を受けて、さっそくパソコンを開き、スイッチ入力で「きよしのズンドコ節」の音楽と彼の顔写真が出てくるソフトを出した。すぐに満面の笑みに出会うことができたが、そのあとの曲の選択に苦労した。
 悲しい歌は泣きそうになって、テレビだったらチャンネルを替えようとするともうかがっていたのだが、「なだそうそう」を出してみると、たちどころに悲しくしかもつらそうな顔になる。これはすぐにひっこめた。これまでの経験でけっこう好まれていたしっとりとした歌、たとえば「川の流れのように」「大きな古時計」「贈る言葉」なども悲しそうになるし、「水戸黄門のテーマ」も、ペギー葉山によるしっとりとした「ドレミの歌」も同様だった。そんな中で好まれた歌が「100%勇気」「世界に一つだけの花」「サザエさん」。本当に力強い歌だけが笑顔を呼んだ。
 こうしたソフトを通してスイッチ操作に慣れてもらったので、曲名の一部や歌手名を2スイッチワープロで、一緒に書いてもらった。選択の手応えはない。ただスイッチを近づけると手が伸びてくること、手が離れないことが頼りだ。「ゆうき」「せかいに」「きよし」などを一緒に書き音楽をかけ、また名前も一緒に書いたりした。
 もっと他に、彼女が好きな曲はないかと、あれこれ考えていると、同行した方が「365歩のマーチはどう?」とおっしゃった。幸いにも、パソコンに入っている。そこでさっそくソフトを出すと、流れ始めたとたんににこっとして、身を乗り出し、じっと画面を見ながら聞き入っている。その様子がこの歌を聞くのが初めてのような印象を与えた。
 こうしたやりとりが、しだいに、彼女の感受性の豊かさを伝えてくる。私は、決してワープロにこだわっているわけではないが、ここで、一緒に言葉を綴ることにした。自分の名前を書いたが、あまり反応が芳しくないので、名前に続けて「おとうさん」と一緒に書いて、さらに、「だいすきと続けようか」と提案し。「○○○おとうさんだいすき」という言葉を書いた。すると、どのタイミングだったか、すぐ後ろにいた父を振り返り、すっと手が伸びたのである。とてもすてきな光景だった。
 そして、「おとうさん」という言葉がよく分かっていますねという周りの声に、「わかっていなくてもいいぞ」とすかさずおっしゃったお父さんの言葉がずしんと響いた。私はわざわざ東京から彼女の言葉の有無を確かめにきたわけではない、ありのままの彼女と出会ために来たのだと言うことの再確認を迫る一言でもあった。
 それでも、続けてにいちゃんと書こうと提案して続く言葉をいろいろ挙げてみた。これは、本当に印象に過ぎないが、「にいちゃんあいたい」に反応があったような気がしたので、そう書いた。
 そして、その場に同行してくれていた「おばちゃん」と書くことを提案したが、続く言葉は、いろいろあげたがなかなか納得を得られなかった。
 こうしたやりとりの中で、いつもなら当たり前のように書いてきた一つの言葉が使えないことの意味がしだいに重みを帯びて迫ってきた。それは「おかあさん」という言葉である。
 彼女にとって、母親の死は、どのように感じられているのだろうか。母への深い追慕の思いは、はっきりとは表現されることなく、彼女の胸の中で静かにあるいは激しく渦を巻いているのではないか。
 私がこれまで出会ったどの方よりも悲しい調べやしっとりした響きに、繊細な反応を示してきた方である。もしかしたら、その感性は、母への思いと固く結びついているのかもしれない、そんな思いがしだいに強まっていくのを感じながら、飛行機の時間にせかされるようにして彼女に別れを告げた。
 日本列島全体が、一夜にして秋空に変わったすがすがしい一日の終わり、空港で車を降りて振り返るとまさに太陽が、沈んでいく瞬間だった。長い滞在を終えたような錯覚を覚えながら、飛行機に乗り込んだ。
2008年9月27日 21時32分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年09月16日(火)
静岡の少年の思い
 1年ぶりに静岡県に住む少年のもとを訪れた。彼は今年中学3年生。初めてうかがったのは彼が小学4年生の時だった。今回は、やり方を変えたこともあって、全文で1400字ほどに及ぶ長い文章となった。その方法とは、こちらが行や列を進めるスイッチをリズミカルにオンーオフしていく中で、本人の力でオフの動きが遮られることで選択の意志を読み取るという方法である。その文章ので中心的に語られたことは、3つで、まず、体が大きくなってご両親に迷惑をかけていることをめぐる思い、二つ目は、将来のこと、三つめは友だちのことである。それぞれのテーマに沿って整理すると次のようになる。
◆体のこと
 前回もこのことに触れていたが、今回は、こんな文章が並ぶ。そして感謝の言葉もたくさん述べられた。ここに掲げたのはその一部だ。

さくねんおあいしてからいろいろなことがありましてえがおがへりました
かるかったからだがおもくなってせがのびてとにかくせわがたいへんになりました
ふたんばかりかけてわるいからとてももうしわけないとおもっています
なみたいていのことではつとまらないとおもいますぼくのせわは
おかあさんやおとうさんいつもありがとう
ねがいはいつまでもながいきしてもらうことです
きもちをつたえられてよかった
きっといつかかなえたいことがあります
これまでのじんせいにこれまでぼくがしてもらったことにたいしておかえしをすることをなんとかしてしとげたいとおもいます

◆将来のこと
 自分の体が大きくなっていくことは、大人になっていくことである。将来については、次のように語られた。

じぶんだけではなくねえさんたちにもしあわせになってほしいからぼくはどこかのしせつでくらします
たくさんかんしゃしています
おかあさんとおとうさんがきにかけていることにたいするぼくのいけんです
しらないひととくらしていくのはふあんだけどどうにかなるとおもいます
ずるいかんがえかもしれないけどがっこうをそつぎょうするまでにどうにかなればいいとおもいます
すくなくてもしんじてくれるひとたちのあいだでいきていけたらいいようにおもいます
ねえさんたちにもはやくけっこんしてもらいたいとおもう
ぼくのことはしんぱいしないでいいから

 二人の姉の結婚のことは二年前にも語られたものだ。彼は、優しい二人の姉が、自分のことで結婚が遅れたりしたら大変なことだと心から心配している。
卒業後の進路については、ご両親は、もっともっと手元で育てるご方針で、まずは、通所する場所を何とかしようと努力されているとのことだ。それでも彼は彼として、こういう覚悟はあるということを伝えたのであろう。ただ、どこかあきらめた響きがあることが寂しい。大人になるということは、もっともっと夢に満ちたことなのではないだろうか。私がその夢を語り合う存在となりえていないことがもどかしい。

◆ともだちのこと
 話は「なぜぼくはりかいしてもらえないのだろうか よくことばがわかっているのにことばをしんじてください」という言葉から一気に友達の事へと展開した。こんなにも言葉を操れる人間であることが、実は学校などには理解されていないようだ。そのことのはがゆさを述べようとして、おそらく彼は、全く表現する機会を持ち得ていない仲間のことに思いが及んだのだろう。自分のことはそこそこに、友達のことが綴られる。

ともだちもみんなりかいしているのになかなかわかってもらえないでいます
はやくみんなにもおしえてあげたいとおもいます
なんとかなりませんか
なんとかしてこのすいっちそうそ(操作)をおしえてあげたいみんなとはなしがしたいとおもいます
たくさんいます でもみんなはなしができません きいてもらえるとうれしいです

そして、友達が言葉を理解していることはよくわかるんだねと問いかけると

よくわかります でもことばではなしたいです どうにかならないですか

と返ってきた。土曜日に埼玉で交わされたやりとりと同じだった。考えてみればきわめて当たり前のこと。権利が平等に保障されていないのだから、この事態が実に理不尽な状態であることは論を待たない。それでも。今はまだ決定的な解決法を私は持ち得ていないのだ。
 そんな友達とも出会える可能性をご両親と相談しながら、この場では、スイッチ操作をご両親にも練習していただいて、誰にでも出来るようになれば友達も出来るようになるのではなかと提案し、練習してもらった。以前のほ方法ではむずかしかったが今回の方法ではかなり手応えが得られた。こんなところから突破口が得られたらと、思った。
 最後に彼は、今回の方法について感想を述べてくれた。

ふしぎです かんがえただけでことばになっていきます

そこで、考えたけど書きたくはなかったことまで言葉になったということはないかと尋ねると

だいじょうぶです じぶんでやっているきがしない

自分がやっている気がしないということで気味が悪いということはないかと尋ねると

すばらしいです ふしぎですがひとりでやっているかんじです
てがつかえないとおもってきたけどつかえてうれしいです

というように答えてくれた。自分でやっている気がしないけれども、一人でやっている感じがするという感想は、私には心強かった。
 そして、最後の最後に、彼はこう付け加えることを忘れなかった。

ともだちのことをまたよろしくおねがいします

2008年9月16日 22時47分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年09月06日(土)
北海道からの便り
 北海道からうれしい便りをいただいた。私がうかがって言葉が綴れたお子さんと、北海道の先生ご自身が、簡単な単語だけれども綴れたということについてのメールだった。
 客観性は主観性の向こう岸にあるのではない。主観性が集まるこちら岸に生まれるものだ。
 私だけでない人間が関わって、言葉が綴られ、それが二人三人と増えていけば、そこにおのずと客観性が生まれ、そして、いつか、それは当たり前になり、そのうちにそのことの真偽を問う人さえいなくなるはずだ。
 自分の気持ちを表現するという人間の最低の権利さえ、まだ実現していない存在が、この現代の日本にいるということ。そのことが明らかになれば、おのずと課題は見えてくるはずだ。
 そして、その時、一人一人の言葉の意味が真に問題になってくるだろう。厳しい条件の中を生きてきた人間の研ぎ澄まされた言葉の重さに正しい光があてられるならば、そこに本当の尊厳が見えてくるにちがいない。
 今はまだ、夜明け前。しかし、確実に空は白んで来ている。
2008年9月6日 00時07分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年09月04日(木)
北海道にて
 北海道に来た。8月に開かれた研究会で後先を顧みず、宴会の席で手帳を開き、「この日に行きます」と北海道の先生に押しつけるようにして約束したからだ。
 2日間の滞在で、たくさんの生徒さんに出会った。2スイッチワープロを介して関わった生徒さんが9名。いろいろな生徒さんがいた。
1名を除いて、あとは高等部の生徒さん。ぎりぎりの状況から発せられる様々な言葉は、言葉で気持ちを伝えたかったことをめぐる切実な思いを伝えてくる。
 その中で目立ったのは、私がどうして初対面の、しかもすらすらと言葉を綴ることができるとはとうてい見なされてこなかった自分に言葉があるとわかったのかという問いかけだった。
 私の答えは、明確だ。私だって、目の前の障害の重い方が言葉をすらすらと綴れるということを、出会った印象からは、ほとんど感じ取ることはできない。それでも、これまで出会ってきた多くの方々から、自分の印象はまったくあてにならないこと、相手の可能性は、確かめてみることでしかわからないということを教わってきた。だから、いきなりどの生徒さんにもワープロで挑戦したということだ。生徒のみなさんの問いかけには、ここにいない多くの同じような状況にある方々のおかげであると誰にも答えた。
 障害の重い人たちは、みずからあちこちをかけずり回ることは、現状ではむずかしい。まして、遠い北海道に来るなど、そんなに簡単なことではない。
 私は、ただ、そんな人たちの思いをつなげに来ただけだと思う。伝えたい思いを胸にいっぱい秘めながら、なかなか言葉で表せない人たちが、まだ、互いの思いをつなげられずにいる。
 いつかその思いが互いにつながりあった時、障害の重い人をとりまく状況は変わるにちがいない。
 細い糸かもしれないが、また一つつながった。

 
2008年9月4日 10時00分 | 記事へ | コメント(3) | トラックバック(0) |
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2008年08月25日(月)
光道園にて レオナルイスのファンの方と
 福井県鯖江市にある社会福祉法人光道園。創始者自身が視覚障害者であるこの施設には数多くの視覚障害者が暮らしている。この施設に、点字やその基礎学習のための合宿に行き始めて、20年以上が経過した。途中5年ばかりのブランクがあるが、毎年夏の恒例になっている。
 私たちが関わる方々は、多くが視覚障害に別の障害をあわせもったいわゆる重複障害のある方々である。
 生活を過ごしている施設で、こうした学習がなされているというのは、おそらく全国的にもきわめて珍しいはずだ。
 リベットの学習から点字の学習へと移行していくプロセスなど、私は、この合宿で繰り返し、学ぶ人たちの姿の中から教わってきた。
 中に、点字を完全にマスターしている方で、パソコンに接続する点字入力装置を以前お送りした方がいる。機器の関係でなかなか日常では使いこなすのはむずかしいとのことだが、合宿では、どんどんパソコンに点字入力装置を使って文字を入力していく。これだけ入力が巧みなのだが、彼女もまた重複障害者と呼ばれる。
 音楽にとてもすぐれた感性をもっている彼女は、いつも、その時に熱中しているアーティストがいる。今年は、レオナルイスというイギリス人の歌手だった。(なお、点字の表記では助詞の「は」は「わ」長音は「ー」となる。)

れおなるいす
かのじょわえっくすふぁくたーのゆーしょーしゃ。
そのひとわぐらみーもしてますよ。

 まったく初耳の歌手名、いったい誰と尋ねると、どんどん説明が書かれていく。

れおなちゃんわびょーめいわしってるけれどどーしてなったかなどわわからん。せんせいせい(先天性)はくないしょー。れおなさんわひだりめをうしなってしもーた。

 どうやら、視覚障害者の歌手らしい。そして曲名として次のものが書かれた。

ぶりーびんぐらぶ。べたーいんたいむばらーどもあるよ

そして、年齢と出身地について、

23いぎりすろんどん れおなさんわとてもやさしいひとそうに

 その後、話は彼女がこの施設に来たという話に発展していく。

れおなさんわいちどここにきたときにわるいことをした。ひをついた。ぱんとじゅーでうたした
れおなさんわそのうたのとーりにならないひとがいるかられおなさんわこまっていますよ。。。
 
 真意はよくわからなかったが、とても愉快そうに語りながら書いていった。これは冗談ととっておけばよいのだろう。
 そして、最後は歌の魅力についてたたみかけるように書いていく。
 
(…)すこしかなしいかしがある(…)れおなさんわみんなをたのしましてくれる。うたをつくったりかばーうたもうたったり。こるよ。ひとりでうたうのじゃなくうしろでするひとがいるよよね。れおなさんわみんなのしらないうたをひとつづつうたうよ。(…)れおなさんわそのうたをきくちからがあるからみんなしるよ。そのうたのすがたがかわからないけれどすごいとおもうよ。そのひとたちやひとりのひとわそのうたをききこんでいそぐあしをとめてきくよ。そのうたがわくわくしないひとよりもわからないよ。そのひとがうたをうたうとそのみりょくがわかるよ。その12きょくよりもたくさんうたがつくられてそのうたらがいいから。(…)

 学習のあと、彼女の部屋の前を通ると、レオナルイスの歌がかかっていた。

 家に戻って、レオナルイスについて調べてみた。すると、なんと特に障害の事実は記されていない。
 その想像上の話にこめられたメッセージはいったい何だったのだろう。ご自分の視覚障害と重ね合わせていたのだろうか。ただ、心の底から楽しそうにタイプを打ち続けていたことだけは事実である。
 来年は、また、どんなアーティストの話が聞けるのだろうか。 

追記(8月27日):レオナルイスが、北京オリンピックの閉会式で歌っていた、次回の開催地ロンドンの代表として。とても有名な人だったのに、さぞ、彼女は、話し相手としてはりあいがなかったことだろう。
2008年8月25日 00時45分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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2008年08月22日(金)
福井での再会
 福井で出会った20代後半の女性○○さん。全身を弓なりにそらせていた彼女に最初に出会ったのはもう25年も前だ。まだ学校に上がる前だった。小学校の頃には福井市内の福祉センターを借りて3年くらい一泊の合宿をしたこともある。その後、福井にうかがう際には、場所やかたちを変え、お会いしてきた。しかし今回は3年ほど間が空いていた。彼女とはまだ、ワープロに挑戦したことはなかったが、今年会えるとわかると、今年は彼女の思いを聞いてみたいという思いが強くわき起こった。
 そして彼女と再会すると、さっそくパソコンを開いた。使ったスイッチはスライドスイッチ。まず名前を綴ってもらい仕組みを説明した。するとさっそく言葉が綴られていった。

よくいらっしゃいましたうれしいです このすいっちすてきですね ください 
てがつかえるとはおもいませんでした このすいっちがあればきもちをつたえることができる 
ふしぎです きもちがすらすらことばになっていきます
せんせいはどうしてわたしがことばをりかいしているとわかったのですか
のぞんでもわたしにはむりかとおもってきました
せっかくはなすことができるとわかったのだからいっぱいはなしたい
りそうはともだちといろいろなことをはなしあうことですずっとちいさいときからはなしをしたかったけど えられないことだとおもってきました でもすいっちがあればはなせることがわかってうれしいです

 そして、

つかれました

と綴られたので、休憩してまたやりますかと聞くと

はい

と返事がかえってきた。
 しばらく休憩したあと、再び文章が綴られていく。

せんせいはしばたというなまえでしたか
くるしかったけどせっかくはなしができたのだからこれからはつよくいきていきたい

 ここで、質問をした。ほとんど耳を使って綴っているように見えるのだが、どこまで文ができあがっているかを確認しているようには見えない。それが、まわりには不思議なことと映るので、そのことについて聞いてみた。すると、

かんがえていることだからむずかしいことはありません

とのこと。そこで、さらにいつ字を覚えたのかと尋ねてみた。答えは、
  
がっこうでほかのともだちがやっているのをみておぼえました

というものだった。ここで、おかあさんにメッセージはないかと促した。そうして以下の文章が綴られた。
 
おかあさんいつもありがとうございます
からだがうごかないためにいちばんなんでもできるじだいをわたしのことばかりにいそがしくて
じぶんのことはなんにもできず ごめんなさい
(…)
ねがいはみんなとしんじあっていきていくことです
きぼうがわいてきました
これからのじんせいをのぞみをたいせつにいきていきたいとおもいます
くるしいこともあるかもしれないけどわたしのじんせいだからいっしょうけんめいいきていきたいです
てがつかえてとてもうれしいです
すてきなじかんをありがとうございました

 あまりにも自然に流れた時間に、私と彼女の間に流れた長い歳月のことを忘れてしまいそうだった。彼女は、きっと明日からでも語りたいと思っているだろう。残念ながら、そこまでの環境を整えることはできていない。それは、大きな大きな課題であるが、いつか絶対に越えていかなければならない。
2008年8月22日 17時31分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年08月11日(月)
「てんごくにのぼるふね」
 研究会の発表で、ある女の子の勉強の様子と言葉とが紹介された。私も関わったことのあるお子さんだ。その言葉の中から、いくつか紹介したい。
「ままそだてありがと」。先生との試行錯誤の中から生まれた言葉だ。小2で初めて開かれた言葉の世界は、こんなふうにして始まった。
 一度会ってみたいという思いで、九州に住む彼女の家を訪れた。
そして、そのとき綴った言葉の中に、こんな表現が含まれていた。「かあさんずっとあいしあっていこう はつのねがいです ねがいはいっぱいあるけどかなえられないことがたくさんあるから のぞんでもえられないことはのぞまないことにしている」「ふしぎですもうだめかとおもっていたけどのぞみがかなえられました」と。
 「はつのねがい」は母さんとのこと。「もうだめかとおもっていた」という言葉が胸につきささってくる。
 そして、先生と、国語の教材で、かわいがっていた犬が亡くなる話を受けて、こんな文章を書いた。
 わたしもいぬおみてみたい
 かわいい
 うれしいきもちになります
 しんだらどうなるだろう
 きっとてんごくへいくんだろう
 またいっしょにあそべるかな
 のはらできっとあそべるだろう
 ゆめでもあそべるからなにもしんぱいしないからさみしくない
 ふねがしずまないといいな
 てんごくにのぼるふね
 せかいじゅうどこでもあるけどにんげんにはみえない
 いきているから
 けどそこにはわたしはまだいかない
  
 死というめぐって思いめぐらしてきたことが、犬の話に触発されて一気に生み出された言葉だろう。
 「てんごくにのぼるふね」の不思議なイメージとと「けど そこにはわたしはまだいかない」という表現が、この文章に深い響きを与え、一篇の詩にまで高まっている。2月にかかれたもので、私はメールでいただいたが、非常に感銘を受けるとともに、命と向き合う彼女の世界を改めて知ることができた。
 そして、5月になって、詩として次のものを作った。

 まいにちめんどうみてくれてありがとうかあさん
 そしていままでくろうばかりかけてごめんなさい
 もうだめかとおもったこともあるでしょうが
 わたしのことをあいしてくれて
 あきらめないでなんでもしてくれて
 なんにもできなくてごめんなさい
 おとなになってもかあさんにめいわくをかけそうだけど
 どうかよろしくおねがいします
 わたしはかあさんとあいしあっていけさえすればきっとしあわせになれるとおもう
 たいへんだけどよろしくおねがいします
 れんしゅうします
 ぱそこんできもちをつたえたい
 うきうきしてきます
 きっときっと
 できるとしんじています
 かあさんやとうさんおとうとたちみんなで
 げんきにてをつないでいきたいです

 懸命に生きようとするこの小さな少女の気持ちに、少しでも寄り添えていけたらと思う。
2008年8月11日 23時14分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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