ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2012年06月15日(金)
脳死の子どもの臓器移植について
 今日、日本中をかけめぐったこのニュースは、そのことに当事者として関わっておられる方々のぎりぎりの選択の中で行われた厳粛なものだと思います。そして、一人一人のご決断には、深い敬意をおはらいすべきであると心より思っています。
しかし、どうしても、このことだけは、述べておかなければならないと思います。
 「低酸素脳症」という状況の中で重い障害を持ってしまった方々に、私は数多くお会いしてきました。医学的な状況よりも、関わり合いを大切にしたいと思ってきたので、私は、それぞれの方々の医学的な面からの状況についてはあまり注意を向けてきませんでした。だから、詳しいことがわかっているわけではありません。
 今回、私がどうしてもぬぐえない疑問が一つだけあります。それは、本当にそのお子さんに意識がないということは証明可能なのかということです。 
 昨年、臨床脳死と呼ばれるお子さんにお会いし、豊かな言葉を聞くことができました。残念ながら、私は、その方に一度お会いできただけで、亡くなられてしまったのですが、その時の心拍数の状況などから、そのお子さんが確実に反応していることは、お母さんがたには手にとるように伝わっていました。
 その主治医の先生は、お母さんと話をしていると心拍数が変わるなどからそのお子さんに意識があることは疑っておられなかったとのことですが、合わせて、医学では説明できないことがあるともおっしゃったようでした。(これは記憶が違っている可能性がありますが。)
 脳死の状況での臓器移植については、人間においていかなる生命も平等であるとの根本的な反対意見があることも知っていますし、そういう根本的な議論がやはりとても大切であるということは確認した上で、事実の問題として、そのお子さんに意識がある可能性は否定できないと思うのです。
 無謀な意見かもしれません。しかも、私はその場に立ち会うことのできる位置にはおりません。しかし、その思いをどうしてもぬぐうことができません。
 今日は、どうしてもそのことをここに書いておきたかったので、記しておきました。

2012年6月15日 17時43分 | 記事へ | コメント(1) |
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私が漠然と疑問に思っていたことをはっきりと書いて頂きました。すっきりしました。ありがとうございました。
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