「勝手に体が動く」という言葉を聞き取ることができてから、私は障害のある方に対する理解の仕方を大きく変更せざるをえなくなった。
コードや紐が好きで、すぐに手を伸ばしてしまうというようなこと、自分で体をたたき続ける自傷行為と呼ばれるもの、となりの人の食事に手を伸ばしてしまうというようなこと、こうしたことは、どれも本人の意志があるのだから、それをできる限り尊重するということを大切にしてきた。それが、勝手に体が動くと本人自身は感じているというのは、想定を越えていたものだった。もちろん、勝手に体が動くとしても、そういう動きがなぜ生まれるのかという意味を考える必要はあるのだが、勝手に体が動いているという理解をそこに介在させることで、それらの見方は大きく変わった。本当の意志は目の前の行動とはまた別のところにある場合があり、そうした行動は本人自身を困らせるものでもありうるということなのだ。
私たちが何かルールを逸脱した行為をした時に、勝手に体が動いたというとあまりにも都合のいい言い訳になってしまう。しかし、本当にそういうことがありうるのだ。
最近、知的障害と言われる人が、小さな事件を起こした。障害があるということに対して理解が得られたので、特に大騒ぎにもならなかったのだが、残念ながらその理解は、その人に判断能力が欠如しているという理解だったことになる。しかし、彼は、見かけに反して、パソコンでは気持ちをたくさん綴ることができるし、当然、ものごとの善し悪しの判断はついている。それでも、自分をコントロールできなかったのだ。これだけでは、単純に勝手に体が動いたとは言い切れないし、もっと私たち自身が誘惑に負けてルールを逸脱した行動をする場合と同様に考えることもできるかもしれない。そこは、これからていねいに考えていかなければいけないことだが、私は、彼にできるだけ真正面から向かい合おうと考え、そのできごとについて2回にわたって、いつも行く居酒屋で、彼自身の説明を求めた。その文章の中に、非常に深く考えさせられる言葉があったのである。
自尊心があるので○○○わけにはいきませんが、人間としていい人生を生きたいのでできれば自分でくぐりぬけたいです。小さいときから言いたいことが言えたらいいと思ってきましたがつらいことばかりです。願いはみんなと気持ちをかわしあえることですがなかなかうまくいきません。自分でもコントロールできませんがなぜできないのかわかりません。いい自分になりたいけどなかなかむずかしいです。自分の気持ちが言えたらいいけれど人間として認められないと自尊心がずたずたになりそうです。コントロールできなくて悲しいけど人間として自尊心を大切に生きていきたいのでもう○○○することはやめたいです。はい人間として生きていきたいのでわかりました。人生を自分らしく生きていきたいと0思うのでよろしくお願いします。
自分のしたことにはすまないことをしたと思っています。人間あつかいしてほしいといつも思っているので悲しいです。人にはなかなかわかってもらえなくてむしゃくしゃしたから行きました。○○○がわかってくれなかったからです。考えたことを否定された。ぼくがせっかく考えたことを否定された。人生ということを探したいといったのに取り上げてもらえなかった。(…)はい、自分の気持ちが混沌としているからです。地域で生きていきたいので勇気がほしいです。かあさんやとうさんがだんだんとしをとってきたからです。むずかしいですひとりでくらすのは。自尊心さえあればぼくも体をコントロールできるとおもいます
体のコントロールと自尊心とが深く結びついているということは、考えてみれば当たり前のことだ。自分自身を大切に思う心があれば、人間は悪いことをしたりはしない。彼は、おそらく、30年間の人生で、いい家族に囲まれ、大切にされながら育ってきた。しかし、決定的に社会は、彼を、これだけのことを考える人間だとは見なしてこなかった。私だって、こうして彼がパソコンで文章を綴る姿を目の当たりにするまでは、そのように見てこなかった。もちろん彼を大切に考えてきたことはまちがいない。しかし、見かけの姿から彼をとらえ、本当の思いを十分に知ることはできなかったのだ。そんな中で彼の自尊心はずたずたにならざるをえなかったのではないだろうか。「自尊心さえあれば体をコントロールできる」という言葉は、彼らがまだ、偏見と差別の中を生きざるをえない現在の状況を悲しく訴えている言葉なのだ。
|
2010年3月8日 13時19分
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
その他 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/296/
9月5日早朝、父が逝った。私がちょうど職を得た時に、故郷大分を離れ、埼玉に両親は引っ越してきた。退職してすることもなかった父は、持ち前の器用さと電気関係の知識を生かして、私の教材製作を手伝ってくれるようになった。もともと不器用な私には、同じ教材ならいくらでも作ってくれたり、アイデアだけ出せば何とか工夫して新しい教材を試作したりしてくれる父の存在は大変ありがたかった。そんな父が2年前に小さな交通事故を起こして自動車の運転をやめてから、一気に認知症が進んだ。そして、ついに、教材製作が困難となった。それでもはんだづけだけは見事なこてさばきであったが、それもこの3月が最後だった。荷物を一つずつ下ろしていくような歩みが続く中、7月に脱水症状で具合が悪くなり、床に伏すことが増えたが、その背後で多発性骨髄腫という病が進行しており、8月にはいると歩行も困難となって、この半月はほとんど寝たきり状態であった。そして、5日、呼吸と脈が止まり、救急車を待つ間に私と甥とで心臓マッサージを行ったりしたが、息を吹き返すことはなく、そのままかけつけた主治医によって死亡が確認された。終着駅のホームに電車が静かにすべりこみ、ゆっくりと完全に停止するような、そんな静かな最期だったように思う。
その父の通夜に、ご両親に伴われ、○○さんがご弔問に訪れてくださった。幼少期から関わり、今は20代半ばを迎える彼女と、合間の時間に手を振る方法で会話を交わした。(この方法は、昨年末、彼女の家を訪問してとっさに思いついた方法だった。)
書き留めることはできなかったが、彼女はおおよそ次のようなことを語った。
輪廻ということがよく言われるけれど、私の父がまた人間に生まれ変わることができればいいねということ。そして、自分はこんな体に生まれたから、生まれ変わったら今度は健康な体に生まれてみたいということ。
そして、ろうそくの火が消えるみたいでとても寂しいということ。
ろうそくの火のことを言うとき、彼女はとてもつらそうに見えた。そこで、私は次のことを語った。
父の場合は、ろうそくをすべて燃やし尽くして火が消えていったようなものなので、それは幸せな人生だった。しかし、彼女の仲間が、まだ燃えるべきろうそくを残したまま途中で火が消えるようにして亡くなってしまうのはそれと違うかも知れない、と。彼女はこの私の説明を聞いて、よくわかりましたと穏やかな顔つきを取り戻しながら語った。
また、彼女は通夜の中でとりおこなれていた読経の中の言葉を聞いたままに取り出してその意味を尋ねてきた。彼女が聞き取った音声は、呪文のようなもので、まったく意味が測りかねたが、こうやってあらゆる機会をとらえて、新しい言葉を吸収しようとしているのだということがよくわかった。
父は、教材製作を通して多くの障害のある人と関わることができた。実際に顔を合わせた方々の数は少ないが、こうして、○○さんが訪れてきたことは、何よりもそのつながりを証すものにほかならなかった。父は多くを語らない人だったが、晩年を、こうした関わり合いの中に身を置きながら過ごせたことは、望外の喜びだったにちがいない。そんなことに気づけたのもまた、○○さんのおかげであった。
|
2009年9月11日 21時51分
|
記事へ |
コメント(1) |
トラックバック(0) |
|
その他 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/269/
土曜日の午後、盲学校の重複学級を卒業した◇◇さんと、高等部の重複学級に在籍している☆☆さんとある会館の一室でお会いした。卒業した◇◇さんと1年以上お会いしていなかったのだが、久しぶりの再会の場を、先生や別の保護者の方が設定してくださった。そこへ、☆☆さんも合流したわけだ。
◇◇さんは、まず、ヘルパーの方といらっしゃった。部屋には、別の保護者や先生方も数名いらしていたが、みんなが固唾をのんで見守る前で、次のような文章を綴った。( )は、合間に、いろいろな人が◇◇さんに質問したりしたものだ。なお、二人とも原文はひらがなで、句読点は適宜つけた。
かあさんと楽しく暮らしています。いい家族です。にこたまの高島屋に行くことになっていますが、にこたまは遠いのでにこたまでなくてもいいです。にこたまを選んだのはかあさんです。美術館ならどこでもあるからちがうところでいいです。
(トイレは今いいですか?)
トイレはいいです。かあさんが来たら行きます。自分で行けたらいいのですが、残念です。
(してほしいことはありますか?)
サフランの魔法という本を読みたいです。昨日テレビで聞きました。(これだけ文章が書けてもやはり話すのはむずかしいのですか?)
からだが動かなくてやっと歩けるだけなので、話はできません。
(初めスイッチ操作は手でやっていたが、手の力のコントロールに困っていたので、肩でプッシュスイッチを操作する方法にかえた。)
手だけかと思っていたので驚きました。信じられません。不思議です、なぜわかるのですか。(◇◇さんは、どんなふうにしているのですか?)
字を決めていてここだと思っています。
(どんな歌が好きですか?)
好きな歌はみんなを楽しませてくれる歌です。願いをかなえてくれる歌が好きです。(歌を作っていますか?)
作っています。(今、書けますか?)
はい。
願いのもらえる花
願いの花がひらくとき 私は小さな目覚めする
小さな花の実がなると 私の願いが今開く
自由の風は緑の風 吹かれて一人風になる
(この後、手をとって、ドレミファソラシドと聞きながら音を聞き取っていった。)
誕生日はいつもこの歌を歌っています。無理かと思っていました。自分の歌を聞いてもらえるとは思いませんでした。感動しました。うれしいです。悩む時にいつも誰か言葉聞きとってくれないかと思っていました。望みがかなってうれしいです。
初めて、この光景を見た方からは、◇◇さんに、繰り返し驚嘆と賞賛が何度もあびせられた。お母さんは、文章と歌を表現し終えてから到着したが、美術館の意味など、いろいろ説明してくださった。期せずして、それはこれらの文章が彼女自身のものに相違ないことの証ともなった。
◇◇さんが、綴っていくのをずっと傍らで聞いていた☆☆さんは、お母さんの見守る前で、次のような文章を書いた。そして、彼女もまた、歌を作っており、その歌を披露してくれた。
願いがいっぱいあります。なりたいのは美人の女の人です。なりたいのはまことのライオンです。小さいときから夢でした。勇気が出てきました。ライオンは強いから好きです。近代的なやまを作りたいです。小さなときから夢でした。身のほどに合った生き方ではなく、勇気を出して分を越えた根性で生きて生きていきたいです。美人のなり方を教えてください。自分のことは自分でやれたらいいけど、なかなかむずかしいので、迷惑をあまりかけずにがんばりたいです。理解してもらえてうれしいです。不思議ですが、考えただけで字が書けていきます。
(文章を綴りながら歌を歌っているので、どうして両方できるのかと尋ねられて)
はっきりと言えませんが歌は勝手に歌が出てきます。
人間だから考えています。見たこともない未来が広がってきました。感激です。みんなと話したいです。願いはみんなと信じ合って生きていくことです。歌は作っています。はい。
なやみのない国
なやみのない世界と 小さな私
まっすぐ光を求めて 今日まで生きてきた
人間だから私は歌う 人間だから私は願う
光をめざし 美人の私 勇気を出して生きていく
ライオンとは突然のような気がしたが、彼女が好きな歌の中に「ライオンハート」があるそうだ。力強さを持つ彼女ならではの「根性」という言葉も登場した。
◇◇さんと○○さんとの言葉と歌の世界に、みんな魅了されたひとときだった。
|
2009年7月21日 08時08分
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
その他 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/249/