大学を訪れた今年社会人1年目の女性が、5月のある日、こんな詩を綴った。
望みの花園
夢の私らしさを私は求め
私を私らしく開かせる
ワンダーランドは空の彼方夢の彼方に広がって
よい私を旅立たせ
もんもんとした気持ちを私はなくし
光とともに私は心を踊らせて
私を空に舞い上がらせて
忘れられないきれいな歌を
私はひとり歌いながら
遠い世界に望みをいだき
この世のどんなものよりも
すてきなどこまでも理想を求めて
めざすはやさしいよいことの満ちあふれる
デコレーションののっかった私だけのいばらの花園
まるで私の苦しみが楽園として生まれ変わったような場所
まさか名前はわからないけど
半月前には鳥さえ通わぬところだとは思えないところです
彼女は、詩に添えて次のような言葉を語った。
私の心の風景を詩にしました。それだけひとりの時間が長いということを意味しています。
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2010年7月8日 17時34分
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きんこんの会、一部の方々に7月25日に開催する予定であるとお伝えしておりましたが、冷房の関係等で、大学がこの日は使えないことになり、8月28日土曜日1時半に開催させていただきたいと思います。場所は、たまプラーザキャンパスの1号館1階第5会議室を予定しています。ご予定をたてておられた方もいらっしゃるとおもいますが、大変申しわけありません。よろしくお願いします。
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2010年7月8日 17時17分
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きんこんの会、一部の方々に7月25日に開催する予定であるとお伝えしておりましたが、冷房の関係等で、大学がこの日は使えないことになり、8月28日土曜日1時半に開催させていただきたいと思います。場所は、たまプラーザキャンパスの1号館1階第5会議室を予定しています。ご予定をたてておられた方もいらっしゃるとおもいますが、大変申しわけありません。よろしくお願いします。
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2010年7月8日 17時17分
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5月のきんこんの会は、5名のみなさんが集まりました。司会をどうするか、発言の方法をどうするかなど、これから少しずつスタイルを作っていかなくてはなりませんが、今回は、4月の反省をふまえて、会話が平行しないように、一人ずつが発言していって、話が一本の糸でつながっていくようにしました。たまたま、3時間目の私の授業で、アイデンティティ(=私らしさ)の形成の問題を扱っており、そこに3名の方は参加したこともあって、前回の議論の中でも繰り返し語られた私らしさのことをふまえて話が始まりました。
なお、通訳はDさんについては、お母さんによる50音表の指さしの介助、他の方は私が手を振って「あかさたな」と聞きとっていく方法をとり、終わり近くでDさんのお母さんが50音表の介助を試み、とてもうまくいきました。なお、途中Cさんのお母さんもCさんに対して50音表の指さしの介助で通訳をしました。コミュニケーションの方法も少しずつ広がりを見せています。
Aさん(女性):私の母さんのピアノを聞いているとうれしい気持ちになります。こんなに私の気持ちをすらすら言えるのは、不思議です。自分の気持ちと合っているので、信じてほしいです。よいやりかたなので、みんなにわかってもらいたいのですが、なかなか信じてもらえませんでしたから、くやしかったです。私のろうそくに火を灯してくれた先生です。よい先生でしたが、信じてもらえません。疑われていてくやしかったです。
(私らしさについて)私らしく生きることが大切だと思っています。なかなかそれを見つけるのは大変です。勇気がないので私らしさを人に伝えることが難しい。なかなかわかってもらえないので、伝えるのが難しいですから、私らしさをもっと伝えていきたいと思っています。私らしさとは、いつも夢を見ていることです。私らしさを知っているのは、お母さんと先生ですが、まだまだ私らしさを伝えられていません。私らしさを伝えたいと思います。
Bさん(女性):良い会ですね。私らしさについては、よくわかりませんが、私の私らしさについて、考えています。勇気をもらいたいと思って、今日は来ました。私の私らしさを私自身が見つけられるように、これからも一緒に考えていきたいと思います。勇気がほしいです。勇気をもらいたいです。私はもっと言いたいことがあるけれど、私の言いたいことの半分も言えてないので、私ともっと私らしく伝えていきたいです。勇気がほしいです。まだまだ勇気が足りないので、美しい気持ちになるためには、勇気が必要ですが、まだまだ足りませんから、勇気をもらいたいです。よろしくお願いします。
俳句を作っているのでみんなに聞いてもらいたいのでよろしくお願いします。美しい歌も作っているので。
Cさん(女性):あのね、なぜ自分は何者かと考えるの? 私は私。ラフに考えよう。まだ私にはわかりません。もっと、やさしく、先生教えてよ。母を見ていると、私とは何?と考えてないよ。
Dさん(男性):先生、自分とは、ということについての質問でいいでしょうか。僕は自分を見つめる時間があまりにも長くて、たまらなくなる時もあります。障害を持ったおかげで、先日の利光さんが天井ばかりを見ている生活なんかいやだとおっしゃったけれど、今まさに僕は天井を見つめている生活をしています。自ら動けないということは、こんなにも限られた世界観を植え付けるものなのかと、本当は思っていましたが、あの授業(3時間目)では、学生が障害者に対して、かわいそうとかと思われるのも嫌だったので、言いませんでした。僕の今までの自分探しは、時間があるのに何もできない自分にどう立ち向かうかでした。僕たちは、こんなにたくさんの言葉を言っているのに、僕の気持ちを本当にわかってくれる学生が何人いるでしょうか。自分とは何もできない、悔しい存在でもあります。こんちくしょうと思っては見ても、動けない、しゃべれないという、この現実にすごく悔しい日々が続きます。文章ではかっこいいことを言っていますが、確かに介助してくれる人には感謝していますが、僕の気持ちを聞き取ろうと、ボードを持ってくれる勇気のある人がなかなか現れないのが現実です。自分はどこへ向かうのだろうか。僕の人生はこの先どうなるのだろうか。そんなことを考えさせられた授業でした。学生の中には居眠りをしていた人もいたけど、あれは、自分でできることが多い人の怠慢のように思われました。僕らは、体力もなくて、聞きたくても聞けない授業もあるのに、聞こうともしない人が小学校の先生になるのは、どうでしょうか。先生の言葉も大切だと思いますよ。教育とは人を育てるものです。僕は寝ていた人に教わりたくないです。
Eさん(女性):いつもわからないことがあります。私の意見は、運命だと思ってあきらめています。運命だからしかたないというのは、おかしいでしょうか。
Bさん:私はいつも運命だと思ってあきらめるの。運命とは、戦いたいと思っています。
Eさん:私も戦いたいと思っていますが、どうやって戦えばいいかわかりません。
Aさん:いつもみんなといっしょに戦っています。戦い続けています。私の戦いは、運命というものを、私から忘れることです。
Dさん:戦いとは相手がいることで、Aさん(女性)さんのお母さんは、Aさん(女性)に誰を戦いの相手だと言っていますか?
Aさん:私は私自身と戦っているので、誰かと戦っているわけではありません。
Dさん:自身との戦いでは、負けたとき、自分がこわれちゃうよ。
Aさん:私は別に私自身と戦っても負けるわけではありません。私の戦いは私自身との戦いですが、いつもいつも私の勝ちです。それは、私は私の運命を忘れて、私らしく生きていくことを、私に課している。あえて言えば、そういう言い方になります。勇気があれば、私はいつも勝つことができます。運命にはいつも負けたくないので、私はいつも私に勝っています。私の殻に入っているわけではありません。私の運命と戦っているので。
Dさん:社会に自身の考えを発しようよ、この会を、僕らのような障害者でもこんな熱い想いがあるということを。そう僕は思っています。
Aさん:私の中に閉じこもっているわけではありません。社会との戦いは、まだ始まっていないので、これから社会との戦いを考えたい。
Eさん:私はまだ私の言いたいことを言えていないので、私は運命のままに置かれたままになっているので。
Cさん:ねがっていてもしかたない。方法を考えよう。
Bさん:私らしくなるまでの戦いができない。自分の気持ちを伝えることができない。戦いが始められていません。
Dさん:戦いではなくて、僕らの想いを伝える詩でも文でも、君のやってる俳句や短歌でも、形になって世間に出せば、その反応をみることができる。
Cさん:Bさんさん、いい笑顔になった。
Dさん:Mくん(学生)、僕らのこの話し合いを文章にしてくれますか。学校中に配って。僕はせっかく作ったこの会を、どうにかして社会とのパイプにしたいと願っています。それには、ここに来てくれた動けるいい人たちにお願いして、助けてもらいたいと思いますが、どうでしょうか。
Eさん:どうやっていったらいいのか、よくわかりません。私の言いたいことを歌にしてみたけど、あまりわかってもらえませんでした。わかってもらったのは、仲間ばかりでしたから、私はまだ社会の人がわかってくれたとは思いません。私の歌はわかってくれたのは、いつも仲間ばかりでした。もっともっと勇気を持っていきたいと思います。
Aさん:歌を聴かせてください。
(Eさんが作詞した『野に咲く花のように』の歌を流す。)
野に咲く花のように私はばてない
無理せず生きてゆけばいいこともあるはず
遠くに舞い降りた鳥のように見える
希望に向かって呼んでみよう
願いはただ一つ
たとえ道は遠くても夢さえなくさずにいけたらと思う
目の前に続く道は楽な道ではないけれど
へんてこな私だって戦い続けていきたい
悩みがあまりに多くて前が見えなくなっても
野に咲く花のような気高さでもって生きていこう
いつまでもへこたれないで
Aさん:私にはとてもよくわかりました。私には、Eさんの戦いがよくわかりました。
Dさん:僕は全然それでは進まないと思うけど、だから、号外を出して。ひとりひとりの意見をまとめるというよりも、ひとりひとり
にこんなにたくさんの想いが詰まっているんだと、知ってほしいです。F君(学生)、M君と一緒にお願いします。僕も本当は動いてみたいですが。
Eさん:私の言いたいことを、忘れてしまっていました。弱気になっていました。歌を作った時は、そう思っていたけど、わかってもらえないので、弱気になっていました。私の言いたいことは、私が忘れてはいけませんね。私が言いたいことを大切にしていきたいと思いますので。まだまだわかってもらえません。
Bさん:言いたいことがいっぱいあるけど、伝わらないのが悲しい。私の言いたいことはいつもわかってほしいということです。
(Dさんの母の50音表の介助に変わってみる)
Bさん:Bちゃんはとても手が動きにくいけど、気持ちはいっぱいあるよ。みんなの意見もすごくすてきだし、Bちゃんだって負けてないよ。気持ちはたくさんあるから、短歌も作っています。みんなと社会に発信できることを初めて聞き、うれしく思いました。学生さんが、あんな風に手伝いを簡単に引き受けてくれるなんて、うれしくてうれしくて夢のようです。Bちゃんって、(自分で)自分のことを言ってたの、ママは知っていますか。ママ、私はBちゃんって言っていますよ。いい子です。ママをとても愛しています。いつまでも私と短歌を作り、それを社会に出せたら素敵ですね。いい会になりそうです。お友達も増えて、とてもうれしいです。Bちゃんは幸せ。先生、素敵な会を思いついてくださって、本当にありがとうございました。Bちゃんは幸せ。みんなも幸せ。M君、F君もいい人ですね。会えてよかったです。
Aさん:(Dさん(男性)の母のボードの介助)
私はもっと話がしたい。みんなに負けない気持ちがあります。Aさんはちょうちょになります。たくさんの友達、素敵です。M君、素敵。私も握手をしたかったのに、おばさん気をきかせてね。たくさん話したい。私だって生きています。気持ちもあるよ。みんな見て、私がいることを。みんな、知って。いい日になれたな。
一人一人の気持ちを聞き取ることから互いの語り合いへと、新しい時代が切り開かれてきました。それは、まだ、密かな到来ですが、歴史の歯車が反対に進むことはありません。日本の障害者の歴史の大きなターニングポイントは1970年だと言われます。これは、主として身体障害のある人々を中心としたものでした。その20年後の1990年、知的障害者の本人活動のスタートが切られました。そして、今年はその20年後にあたります。言葉を閉ざされてきた人たちの新しい時代の始まりであることを私は確信しています。
次回のきんこんの会は、6月15日に開催します。
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2010年5月28日 13時38分
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すっかり間際になってしまいましたが、改めて、5月のきんこんの会についてお知らせいたします。
今月は、18日火曜日です。3時から私の研究室のそばにあるゼミ室を使用して、行いたいと思います。
今回は、特別な企画はありませんので、ゆっくりと語り合いながら、これからのことなど、話し合っていけたらと考えています。
お車で来られる際は、正門を入った駐車スペースに止めることができますので、駐車した後、受付で駐車許可のカードをもらってください。わかりにくいこと困ったことがあったら、どうぞご遠慮なく携帯にお電話ください。
この日の私の講義は2時間目が411教室で「ボランティアと社会参加」(午前10時40分〜12時10分)、3時間目がAV1教室で「発達と学習」(午後1時10分〜午後2時40分)です。授業への参加も大歓迎です。
参加できる方は、ご一報いただけるとありがたいですが、突然いらしてもまったくかまいません。
よろしくお願いします。
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2010年5月16日 21時34分
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5月のきんこんの会は18日に行います。時間は、3時からです。2時間目と3時間目の授業に参加してくださる方、大歓迎です。
また、近づいたら改めてお知らせします。以下、4月の会の報告です。
4月27日にきんこんの会が開かれた。集まったのは援助によるコミュニケーションによって気持ちを表現する11人のメンバー。そのうち6名は親御さんによる通訳で、その手段の内訳は、50音の文字盤2名、ローマ字の文字盤1名、パソコンの2スイッチワープロ1名、あかさたなと聞いていく方法1名であった。そして私はあかさたなと聞いていく方法で5人のメンバーの通訳をした。
当日は脳性マヒの当事者で言語障害はありながらも自由に音声言語は操って地域で福岡で自立生活を営む利光徹さんを2時間目と3時間目の講義のゲストに迎えていた。メンバーの幾人かは3時間目の利光さんの講義から参加した。発達と学習という講義題目なので、半ばこじつけながら、利光さん自身の青年期のことを語っていただいた。利光さん自身生涯でもっともきつかったという孤独な閉ざされた10代の半ば、突然、親から、自分たちが死ぬ時は一緒に死んでくれと告げられ、まだ何一つやりたいこともやっていないのに、死ぬわけにはいかないと思いつつも、その先が見えない苦しみの中で、仲間の集まりに通うようになる。一歩町に出てみると、バスの乗車拒否に始まり、喫茶店の入店拒否など、たくさんの理不尽な差別にさらされた。そこで、しだいに気づいていったことが、なぜ自分たちが当たり前に生きてはいけないのかという思いだった。利光さんたちを阻んだのは社会の厚い常識の壁だったが、利光さんたちの闘いは、その常識の壁を打ち破っていくことだった。そして、26歳のとき、今やらなければ一生もうそのチャンスはないだろうと考え、家出同然でアパートを借りて自立生活を始めるにいたったという。
自力で話ができるということにおいては状況が異なるとはいえ、社会の常識の壁に阻まれて当たり前のことが当たり前のこととして認められないということにおいては、同じ状況にあるメンバーにとって、みずからが直面している抜き差しならない問題そのものが語られていく。中には、話に共感するあまり、声が出てしまうメンバーもいた。
そして、授業のあと、教室を借りて、きんこんの会が催された。話題は、もっと勉強がしたかったということや、どうやったら自立生活ができるのか、親との関係はいかにあるべきかなど、それぞれが様々に語った。これまで、ともすると個別的な関わり合いに終始しがちだった関係が、横につながるということの意味の大きさを痛感させられた一日となった。まさに青年期のただ中にあり、しかも、未来が容易に見えないという状況の中を生きる若者たちの言葉を聞きながら、利光さんの発した言葉は、よくみんなしっかりものを考えているということだった。もちろん、それは、利光さんが差別を見つめることによって確かな生き方を見いだしたことと相通ずるものである。言葉を禁じられるという厳しい状況の中で研ぎ澄まされてきた気持ちが、おのずと、深い意見を引き出していたと言える。そして、利光さんは、みんなの課題は、私や家族ではない学生のような存在に、通訳者を見いだすということだと語った。
まだ、手探りの会だが、新しい時代を切り開く動きの一つとなったらと心から祈っている。
会の後、居酒屋で二人になると、利光さんは、社会に迷惑をかけないということにしばられていた自分の母親の時代に比べて、確かに、今の母親の意識は大きく違っていると感想をもらした。そして、通訳の方法について、彼らが話しているということを自分はまったく疑わないと言った。それは、本人を見てればわかると。自力で話すということにおいては、利光さんは私たちと同じ側にいる。しかし、やはり、利光さんは、彼らの気持ちのすぐ側にいるということがわかった。
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2010年5月3日 23時34分
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以前に予告しましたが、援助によって気持ちを表現している人たちがともに語り合う場である「きんこんの会」を4月27日、國學院大學たまプラーザキャンパスの柴田研究室にて開催いたします。
参加はご自由ですが、人数をあらかじめ把握しておきたいので、ご一報いただけると幸いです。大学に到着した際のご連絡方法なども打ち合わせておきたいと思います。
時間は、次のようになります。当日2時間目と3時間目は授業があるのですが、ご希望の方は、そこからご参加下さい。この日は、利光徹さんという福岡市で自立生活を送る脳性マヒ者の利光徹さんという私の授業の常連のゲストに来ていただき、2時間目と3時間目では彼を交えた授業を行います。
きんこんの会 午後3時から 柴田研究室にて(2号館5F)
2時間目の授業「ボランティアと社会参加」 午前10時40分から411教室
3時間目の授業「発達と学習」午後1時10分からAV1教室
終わりの時間は特に定めていません。(利光さんとは夜まで約束しています。)
初めての試みなので、いろいろと行き届かないことも多々あるかと思いますが、よろしくお願いします。
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2010年4月18日 10時28分
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個別的な関わり合いの場から、お互いの気持ちを語り合う場へどうやって発展していったらいいのか、その答えの一つが、ようやく出た。研究室が横浜たまプラーザキャンパスに移ってもうすぐ1年になる。ゆったりとした空間でできることはないかと、思い巡らしてきたが、答えはひょうんなことから訪れた。ともかく、来れる人で集まってみよう、それがきっかけだった。1月に町田のかりんくらぶのメンバーの三人と、横浜在住の青年とが私の研究室を訪れた。たまたまみんな去年の3月に学校を卒業した社会人1年目のメンバー。通訳を会しながら、話しは面白いようにはずんだ。そして、次の日程を3月に決めた。
横浜の青年と、かりんくらぶの女性1名は、体調不良で残念ながらこれなかったが、今回は、新宿の学習会サロンのメンバーが二人があらたに参加してくださった。
そして、そこへ、何と、東大駒場の哲学の先生まで来てくださって、話は哲学からコミュニケーションの方法まで、縦横無尽に広がった。
そして、そんな会話のさなか、かりんくらぶのメンバーの女性が、突如、この会の名前を「きんこん」にしようとパソコンで綴った。意味は響き合いとのこと。ひそかに、いつか会を作るとしたらどんな名前がいいだろうと想像をめぐらせていた私の貧困な想像力をはるかに越えて、すばらしい名前が提案された。
4月から、学生も交えながら、どんな展開ができるか、まったく未知数だが、来れる人が月に1度でも集まって言いたいことを言い合い
ながら、みんなの存在をどうやって社会に認めさせていくかを考えていきたいと思う。
開催日は、このブログで公表していこと思う。もし、興味のある日尾は、ぜひ、ご自由に参加していただけたらと思う。
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2010年3月19日 00時49分
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Tさんの言葉のメールが届いた。きっと、私のブログの誰かの文章を読んでくれて書いたものなんだと思う。
ぬいぐるみのようなじんせいもなける。
さびしいときにともとゆっくりといまははなしがしたいのにひとりがやっぱりわたしにはまっている。
ぬいぐるみのようなじんせいをおわりにしよう。
いぬたちがぼくをげんきづけてくれる。
そして、犬の写真も一緒だった。彼を元気づけてくれる犬の澄んだ瞳が印象的だ。
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2009年12月28日 23時23分
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青年学級 /
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11月のある日、20代前半の☆☆さんをたまプラーザキャンパスにお招きした。6月に引き続いて2度目だ。今回は、☆☆さんのことを以前から取材している音楽療法の雑誌の編集者の方もご一緒だった。
歌が大好きな☆☆さんだから、必ずや歌を作っているにちがいないと思ったので、今回の日程を打ち合わせる時のメールに、歌を聞き取りたい旨を書かせていただいておいた。
最初、少し、手をふる方法で話して、彼女のパソコンを開いていただいた。彼女のご両親はスイッチの介助がおできになるので、毎日日記を書いているパソコンである。
感激です。いい気持ちでした。明るい光がさしてきました。人間として小さく夢を紡いできましたが、ようやくかないました。
勇気がほしいです。
願いは私のもっと私らしさを表現したいです。未来が開けてきました。いい気持ちです。
ずきんとするような痛みを感じることもありますが、それも乗り越えていくことができそうです。ぬいぐるみのような生活にもお別れです。人間として認められてうれしいです。小さいときからの夢でした。
そこで、歌のことに話題を向けた、するとさっそく、歌詞が書かれた。題は「ぬいぐるみの歌」。
小さいぬいぐるみ なぜ泣くのだろう
きのうの悲しい思いかしら
泣くのはやめて みんなも同じ
ひとりぼっちのさびしさに
ろうそくをともして生きている
小さいぬいぐるみ なぜ泣くのだろう
人生はもっと輝いているよ
そして、手を振りながら「ドレミファソラシド」と言いながら、ひとつずつ音をひろっていった。☆☆さんは、この方法は初めてで、驚いた様子ともに、こみあげるような笑いを浮かべながら、メロディをつたえてきた。
そして、歌を伝え終わると、次のような感想をくれた。
信じられません。歌を聞きとれるとは思いませんでした。小さい頃から気持ちをしずめるために歌を歌っていました。理解してくれてうれしいです。未来が開けてきました。うれしいです。
そこで、私はよくばって、まだほかの歌はありますかと尋ねると、
もっとありますが聞いてもらえますか。
そして、「未来の夢」という歌が書かれた。
人間として生まれて生きてきて
私は夢をかなえたい
未来の夢は願いの理想
光の中で光り輝き
太陽のように 遠くをてらす
私の私らしさを願いながら
私は私の理想を紡ぐ
そんな時、数名の学生たちが授業を終えて入ってきた。6月にも☆☆さんと会った学生たちだ。
☆☆さんとしばらく語りあっているあいだに、音楽に造詣の深い編集者の方にお願いして楽譜にしていたいたので、研究室においてあるギターの伴奏で、歌ってみることにした。
☆☆さんの心の中で静かになりひびいていた歌が、同世代の若者の歌声によって部屋中にひびきわたった。すばらしい瞬間だった。
☆☆さんも、本当に喜んでくださった。
後日、女子学生が☆☆さんの歌について語りにやってきた。「ぬいぐるみの歌」は、やっぱり、自分のことなんですよねと言いながら。歌を通じて、☆☆さんの思いは、深く伝わった。
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2009年12月12日 02時38分
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朝1時間目の授業に、O君がやってきた。3時間目の授業にはなんどか参加できたが、早朝からのこの授業には初めてだ。パソコンを通じた彼からの学生へのメッセージは、次のようなものだった。(原文はひらがな)
朝からみなさん早起きですね。人間として認めてもらえるかどうか、理解しているかどうか、眠っているように見えるかどうか、心配です。僕の言いたいことを聞いてください。技術的な問題はあるかもしれませんが、自分たちはみんな気持ちを持って生きています。みんな伝えたいことがいっぱいあります。みんなもう一度生まれ変わったらやりたいことがたくさんあります。人間の権利というものがあるということは盗人にも権利があるということですが、僕たちにはちっとも権利は認められていません。理想は学校で本当の勉強ができるといいなと思いますが、まだ僕たちにはそんな簡単なことが認められていません。理想は、学校で本当の勉強ができるといいなと思います。まだ僕たちには、そんな簡単なことが認められていませんが大学に行きたいと思ってもずっと前から物理的に無理だということがわかってしまいました。人間として日本の中で生きて大変なことですが、僕たちは、自分たちの意見を言って生きていかなくてはいけないということにようやく気づくことができました。わかってくれようがくれまいが自分たちの意見を言わないと何も変わらないということがわかりました。人間として生きていく楽しさだけでなく、苦しさも含めて言いたいことを言っていきたいと思います。
この後、彼は、文字盤で臓器移植問題について語る。記録がないが、彼は、私や病院の主治医と対話を重ねたりしながら、脳死状態と判定された、あるいはそれに近い状態にある障害のある子どもの問題について心を悩ませていて、自分にとっては人ごとではないということをいい、自分としては、もういっぱい苦労してきたから死んでまで苦労したくないから今はドナーにはならないと語った。
この日の2日前、ある関わり合いのグループで、このことを何人かが問題にした。その資料もこの授業では紹介した。
K君(10代男性)(パソコンで:原文はひらがな)
今朝質問を考えました。脳死と死とは同じでしょうか?脳死は死ではないと思います。柴田先生、たとえば僕が脳死と言われたら、臓器移植はしません。つらいことが多かったので移植の手術はしたくありません。
Hさん(10代女性)(筆談で:原文はひらがな) 取り上げていた”脳死”について、K君から意見を聞かれて
脳死は人の死ではありません。人は命がある限り生きているはずだと思います。生きているとは命があるということ。命がある限り、生きているはずだと思います。生きているとは命があるということ。命があるというのは、意志があるということ。意志があるとは意味があるということ。意味があるとは、命が続くということ。命が続く限り、命は意味がある。命の意味がある限り人は生きていけるはずだ。人は命の限り生きていく。生きていくとは命をつなぐこと。命をつなぐとは、意味をつなぐこと。意味をつなぐために意志をつなぎたい。意志をつなぐために意志を伝えたい。意志を伝えるために、みんなとつながりたい。みんなとつながるために私は生きていく。私が生きていくのは命をつなぐため。私が命を伝えたら、命はきっとつながる。命はきっとつなげられる。命はきっとつないでいくはずだから。命は一つしかない。一つだけの命を、一つだけを大切にしたい。一つだけの命はいつまでもつなげていきたい。命はつなげていくもの。命はつながっていくもの。一つだけの命を大切にしたい。大切につなげていきたい。大切につなげるために私は生きていく。私は一人の命として生きていきたい。生きたい、生きたい、生きたい、生きたい、生きたい、生きたい。
関わっていた妻は、Hさんに”脳死になったら臓器移植を望みますか”との質問をした。
移植はしません。しない理由は大切な体だからです。したくないのは、いつも同じ気持ちです。したくない理由は、もう一つあります。なぜなら、私は親から与えられた大切な子だからです。私はこんな体だけど大切に育てられたので、大切に生きていきたいと思います。大切に生きていきたいです。のhしは人の死ではない。脳死は人の命をつないでいる能力が少し弱くなっただけです。少し弱くなっただけで死だとされるのはつらいことです。死は一つの命が消えること。死は人の命をなくすこと。死は人の命の意味を消すこと。死は人の命をつながないこと。死は人の命を断つこと。死は罪です。死ぬことは罪です。死はとても大変な罪です。大変な罪だと思います。死は始めから決めるべきこどではありません。死は定められるものではないと思います。死は定められてはいけないと思います。死は定められるべきではない。死は定められない。死は定めるものではない。死は気になることだけど、死は気にしても仕方がない。死は気にしてもいつかやってくる。死は気にしてもいつかやってきます。死は気になるけど避けられない。死は気になるけど定められた運命。死は気になるけど、気になるものだけど、決められないことです。決められないので仕方がありません。死は逃れられない。死は逃れられない。死はいつかやってくる。死が望まれないのは、命があるから。命があるから。
Nさん(20代女性)(パソコンで)
脳死は人それぞれの姿勢です。死は気遣い、くの苦労しだいで決まってくると考えています。人とは奇跡と初めて気がつくと、好きな奇跡、意味相応に生きるのです。生きていれば奇跡はきっと来て、静かにあかりを照らす。奇跡信じて生きていきたい。人間、くししつつ奇跡に手が
臓器移植法案が衆院を通過した時、とたんに脳死ないし脳死に近いとされる障害のあるお子さんたちが紹介された。青い芝の会の利光さんは、以前から臓器移植法案に反対しながら、この話は障害の重い子どもをすぐに巻き込むことになるとおっしゃっていたが、まさかこんなに早く報道されるとは思ってもみなかった。確かに、1年ほど前、読売ウィークだったかが脳死の子どもたちという特集をした時に不気味さを感じたが、すでに事態はここまで来ていた。私は、いちいち自分の関わっている相手の方の脳波の所見がどうなっているかなど聞くことはない。だが、脳死ないし脳死に近いとされる子どもたちは、私が関わっている人たちと同じ状況にあるように見える。単に可能性に過ぎないが、私には彼らにもまた言葉があるように見えるのだ。
そして、期せずして、当事者たちから意見を聞くことになった。臓器移植を待ちわびる人たちのことを思うと口は重くなってしまうが、少なくとも私は、脳死ないし脳死に近いとして報道される子どもたちの言葉の可能性を感じる以上、脳死の議論を非常に危ういものと感じないわけにはいかない。
なお、ブログで紹介する文章をできるだけ漢字まじりの文章で表すことにした。置き換えのミスもあるので、慎重にやらないといけないが、これは、ある学生さんからの指摘による。これだけの内容を綴る方々は、本当は感じで表現したいのではないかという指摘だった。そのままコピーする手軽さと、ひらがなだけで綴られる文章が、いかにも臨場感を出すのではないかなどと漠然と考えていたが、この学生さんの指摘は大変納得のいくものだった。大変ありがたい指摘だった。漢字の使用の個人的な好みには合わせられていないが、やはり、こうした形で表現されるべきものなのだろう。そして、情報保障という観点からは、ふりがなをふる必要もあるが、これは、単なる手続きの煩雑さの理由だけからご容赦いただきたい。
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2009年7月6日 21時00分
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自主G多摩1 /
自主G23区1 /
大学 |
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大学の授業で、今年3月に学校を卒業した男性方が、同い年の学生に話をしてくれた。この授業では、学生と同世代のゲストは3人目になる。一部の学生は、慣れもあってなかなか私語をやめない。注意をすると雰囲気も悪くなるし、いくらなんでもやむだろうと考えて、特別の注意もせず、話を始めていただいた。
わたしのなまえ○○○▽▽▽▽といいます。
名前はいいですが、不自由な体で見たとおりの体です。自由に言いたいことが言えないので、自分の気持ちを伝えることがむずかしいです。
聞いてほしいことがあります。自分たちは、見た目で判断されるので人間として認められないことがあります。びっくりされるかもしれませんが、小さいときからぼくらは人間扱いされてきませんでした。
(一部の学生が私語をやめなかったことに対して)
なぜ話を聞いてもらえないのでしょうか。残念です。小さい時からなかなか自分の気持ちを聞いてもらえなかったので慣れていますが、ない機会なので、大事にしたいと思います。
自分にとってびっくりすることは、分相応の生き方をしていても、禁止されることが多いことです。ぎちぎちの決まりやずっとぞんざいに扱われてきたことで、なかなか人を信じられなくなっています。自分にとって小さい頃のみなさとの記憶が早くなくなればもPっと素直になれると思います。小さい頃のいい思い出がなかなかありません。小さい頃からみんなからばかにされたり人間扱いされなかったので、人間として聞いてほしいです。人間らしく生きようとしてもなかなかまわりは理解してくれません。人間として扱ってほしいです。小さい頃からのどうしても果たすべき夢でした。
みなさんはなぜ学校で勉強しているのですか。びっくりするかもしれませんがぼくは学校で何も教えてもらえていません。小さいときからずっとそうでした。小さいとき―眠っている人がいるのがいらいらして話せません―から話せなくてみんなから無視されてきたことがつらかったです。みんなも勇気を出して言いたいことを言ってください。小さいときからの疑問でしたから聞きたいです。
びっくりしているのですか。なぜ何も言ってくれないのですか。
(学生:学校ではどんなことをやっているのですか?)
歌とか感触遊びとかずっとやってきました。みんなが幼稚園の時にやっていたものです。
(学生:今まででいちば楽しかったことは何ですか?)
自分の気持ちが言えたことです。願いでしたから、気持ちを聞いてもらえるとは思いませんでした。びっくりしました。そんなことができるとは思いませんでしたからうれしかったです。人間として認められたような気持ちがしました。自力で話せるようになりたいです。小さい頃からの夢でしたが、なかなか信じてもらえません。学校の先生は、信じてくれませんでしたから。きびしいです、生きるということは。学校には行きたかったです。普通の勉強がしたかったです。分相応の生き方でも、ぎちぎちなのはいやです。みんなと同じ勉強がしたかったです。(学生:将来の夢はなんですか?)
将来の夢は夢に過ぎませんが、一人で生きていくことです。唯一のゆめです。だけどむずかしそうです。ぎちぎちの世の中ですから。
今日はいい機会を与えていただいてありがとうございました。自分の気持ちを人前で話したのは初めてです。自分の気持ちを聞いてもらえてありがたかったです。なかなかうまく話せなくてすみませんでしたが、よい時間をありがとうございました。
けっして学生にはただ耳障りのよい話とは言えなかった。私語や居眠りをきっちり指摘する強さは頼もし限りだったが、生まれて初めて人前で語る自分のことを、本当に受け止めてもらえるのかと不安に思わざるをえないこれまでの日々を思うと胸がいたんだ。
途中私も、対等ということを学生に語った。
これまでの歴史は、目の前の学生たちとあまりにも違うが、○○○さんを受け入れる同世代の対等な存在が、彼に自信を与えてくれたにちがいない。
研究室にもどり、リラックスした雰囲気の中で、彼には詩を書いてもらった。次の通りである。
いい風が吹いてきて
においのいい風とぼくのハーモニーが
どこからともなく聞こえてきた
人間として初めて認められた
願いを携えて分相応の道を生きていこう
小さな頃の緑と白の交差する道を
南に向かって歩いていこう
別々に夢を見てきた私たちが
ここで一つになり
別々のよい小さな願いを分かちあいながら
じっとあしたを待ち続けよう
別々の時間が一つになり
別々の夢が一つになるとき
人間として生まれたことを誇りに思いながら
未来に向かって道を切り開いていこう
人間として生きながらえるだけではなく
一人の人間として生きていきたい
ぬいぐるみのような生き方に沈黙させられるのではなく
人間として誇りをもって生きていきたい
願いはびりになってもいいから普通の学校に行きかった自分もいて
夢いっぱい見ながら 今日まで生きてきた
自分の夢だけではなく 仲間たちの夢をともに理解しながら
人間としての道を切り開いてきた
夢は広がって 夢としてずっと小さな光を放ち続けているけど
小さい頃の夢は自分一人ぼっちの夢ではなく
分相応ではあっても仲間とともに見る夢だ
別々の夢が一つになって小さな光を放った
別々の夢が一つになって見知らぬ世界を開いてくれた
小さい人間でも願いは同じ 誇りを持って生きること
小さい人間でも願いは心の中で よい光を放っている
小さい光かも知れないが 光は永遠の光として心の中でかがやき続けている
自分と仲間のために きっといつまでも
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2009年6月19日 01時53分
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