ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2016年07月26日(火)
第2回介助つきコミュニケーション研究会のお知らせ
 第2回介助つきコミュニケーション研究会を11月19日に開催させていただきます。
(一部の方には、9月開催の予定と申し上げましたが、会場の都合等で、この日になりました。)
 
1.日時 2016年11月19日土曜 午後1時〜5時
2.場所 國學院大學横浜たまプラーザキャンパス411教室

 前回はきんこんの会の公開シンポジウムとの2本立てで行いましたが、研究会自体を当事者も主体的に参加することが可能であることがだ1回の経験を経て明らかになりましたので、研究会に1本化することになりました。
 詳細はあらためて後日、告知させていただきます。
2016年7月26日 20時57分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 |
相模原の施設の事件をめぐって
 やまゆり園の残酷な事件が報道された日、曽我晴信さんが研究室を訪れた。そしてパソコンで以下の文章を綴った。

 人生を人を殺傷することに費やす人がいるということが僕には理解できないとはいえ人が憎しみのために人を殺すということはそれでも理解できなくはありません。しかし理想や宗教のために人を殺傷するというのが現在のテロリズムなのでこれは徹底的に考えなくてはいけないことだと思いました。
 そういうことを考えている矢先に障害者施設で事件が起きてしまいました。まだ詳しいことは明らかにはなってはいませんがつらいのは当然ですが理想によって障害者が抹消されたことを僕は重大に考えています。なぜなら僕たちが世の中に存在する価値があるかどうかが問われているからです。
 わずかな希望はこのニュースを語る人も聞く人も失われた命はみな同じだと考えていることはわかったからです。人間は生まれる前の命には違いをつけてしまったけれど生まれたあとの命にはまだ違いをつけていないことがわかったからです。
 わずかな希望ですがもう一度生まれる前の命もまた同じ命だということがわかるきっかけになるかもしれません。

 
 全て明らかになるのは、これからだが、最低限のことを述べておきたい。
 犯人の青年個人だけを見れば、そこに見えてくるのは、きわめて個人的な挫折や抑圧などだろう。しかし、その鬱屈した感情に言葉を与えたのは、社会の無意識、あるいは社会の暗部に存在する思想なのではないか。彼が引き寄せたというのがいいのか彼が引き寄せられたといったらよいのかわからないが、この社会の無意識や暗部に存在する「思想」を明るみに引きずりだして、しっかりと向かい合わなければならない。
 石原慎太郎が重心の施設で「この人たちに人格はあるのか」と問うた時、その言葉をたたいたことはまちがいではないが、この意見に対して、「こういう意味で人格がある」という考えがしっかりと語られないままになってしまったが、結果的に石原の問いはそのまま社会の暗部に消えないまま残り続けてしまった。
 この悲惨な事件が、さらに悲惨なものにならないためにも、亡くなられた方々の真の生きる意味がきちんと語り出されていかなければならない。
2016年7月26日 20時46分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 |
2015年12月25日(金)
クリスマスに寄せて
 視覚に障害があり、体を自由に動かすことが困難な曽我晴信さんが、クリスマスイブの日、次のような言葉を聞かせてくださいました。(原文はパソコンでひらがなです。)


  クリスマスに寄せて

 なぜ人は争いを止めないのだろうか。私はクリスマスの意味を考えながらその疑問の答えを見つけた。
 人には神を待ち望むというこころがどうしてなのかはわからないが備わっていてそれがクリスマスを生んだのだと思う。
 クリスマスイブの夜は今か今かと神の誕生を待ち望めばそれで心は満たされるけれど理想をなくしてしまうと人間は神を待ち望む気持ちをなくしてただ欲望のままに物を望むようになってしまう。だから争いはなくならないのだ。
 待ち望む気持ちをもう一度取り戻して願いだけを望めば暴力で何かを奪い取ることはいらないだろう。
 分不相応にも人はわざわざ欲望を肥大させることを覚えてしまった。だから欲望のほんとうの姿がわからなくなってしまったのだ。
 欲望のほんとうの姿とは人を恋い神を恋うものなのではなかろうか。
クリスマスの日さえ人は物だけを求めようとするけれどほんとうはみんなでひたすら神を待ち望み祈りを捧げる日なのだからもう一度クリスマスのほんとうの意味を見直してほしい。
                         曽我晴信 
                       12月24日

2015年12月25日 08時24分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 |
2014年05月17日(土)
2014年6月のきんこんの会のお知らせ
 2014年の6月のきんこんの会について、お知らせします。当事者のご希望で、今回も、公開のかたちはとらずにやらせていただくことにいたします。
 期日 2014年6月21日午後2時から。
 場所 國學院大學たまプラーザキャンパス1号館410教室
 初めてお来しの方や、コミュニケーションの方法についてご相談のある方は、事前におっしゃっていただければ、必ずしも十分ではありませんが、開始前の時間等でお時間を作れたらと思っております。
 よろしくお願いします。

2014年5月17日 00時31分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 / 大学 |
2014年02月15日(土)
2014年3月は、きんこんの会は行いません。
 2014年3月のきんこんの会は行いません。
 通常のペースでしたら2014年3月にきんこんの会を開催するところですが、大学の内装工事が入っていて、広い教室が使えないため、きんこんの会は、3月は行いません。ご予定されていた方々には大変申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
 4月以降の予定はまた、お知らせいたします。、
2014年2月15日 22時57分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 / きんこんの会 |
2013年12月18日(水)
このあいだ施設で虐待があったのを知っていますか。
 ゼミの授業を訪れたKさんが、最初に言いたいことがあるということで話を始めました。まさに今この時、語っておかなければならないということで、話をしたとのことです。

 このあいだ施設で虐待があったのを知っていますか。理想的な施設はもちろんありますがみんな何もわかっていないというのが前提なのでまだまだと言わざるをえません。とくに自閉症の人たちは誤解が激しくて理解できていないというのが前提なのでこういう事件が起こってしまいます。理解できていても自由に体が動かせないのだということを理解してもらえないといつまでもこんなことが繰り返されると思います。理想的な施設はもちろんありますがみんな何もわかっていないというのが前提なのでまだまだと言わざるをえません。とくに自閉症の人たちは誤解が激しくて理解できていないというのが前提なのでこういう事件が起こってしまいます。理解できていても自由に体が動かせないのだということを理解してもらえないといつまでもこんなことが繰り返されると思います。

 この後、彼は、私の手を使ったあかさたなの通訳でさらに続けました。この事件の背景をきちんと理解することが大事で、普通の犯罪なら犯人の過去の経歴というのが背景になるが、この事件の背景にあるのは、社会全体がまだ障害のある人もちゃんと理解ができているけれど体がうまくコントロールできていないということを知らないという背景があるのだから、この事件の責任は、社会全体にあるというようなことを述べ、強度行動障害と呼ばれるものも、もともとの障害ではなく、まちがった働きかけが生み出したものだということなどを、懸命に語りました。
2013年12月18日 14時11分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 / 人権侵害 |
残酷な知らせが届いた
中学1年生の少年が、12月16日に綴った詩です。
千葉の施設の事件を受けてのことでした。

残酷な知らせが届いた
昔の仲間を
どうにもできないからといってけとばして
死なせてしまった
ぼくは言葉を失った
理解していることさえわかられぬまま
なぜ彼は死なければならなかったのだろうか

また、この詩の前に次の言葉も記しています。

気持ちが言いたいので夢みたいですが人間としてぼくたちが認められるためにはなんとかしてこの事実を伝えなくてはいけませんね。どうにかして私たちの言葉を伝えたいので人間はみんな言葉があることを伝えてほしいです。わだかまりもあるけれどみんなを許して学校を楽園にしたいです。
2013年12月18日 09時24分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 / 人権侵害 |
2013年01月11日(金)
自閉症と呼ばれるある青年の思い その1 12月11日
 自閉症と世の中の人が名指しているある青年にお会いしました。様々な誤解に満ちた視線の中でいろいろな「問題」を起こさざるをえないところに追いつめられていました。その青年の最初の言葉です。

 聞いてほしいことがあります。人間として認められたいのでこんなやり方があるなんてとてもうれしいです。願いは私たちにも気持ちがあることをわかってほしいといことです。小さい頃からつらかったのはわずかな人しかわかってくれなかったことですがかあさんは最大の理解者でした。長い間苦労をかけて申し訳ありませんでした。誰にも理解されなくてもう諦めていましたがようやくわかってもらえます。言葉は普通に理解しているということです。夢のようです。
 もうだめだと諦めていましたから時々どうしようもない気持ちになってどこか遠くに出かけたくなってしまいますがもうやめます。せっかく理解されたのだからもう理解にふさわしい人間になりたいです。
 ばらばらな気持ちと体のせいで迷惑ばかりかけてしまいましたが勇気が出てきました。
 小さい時は先生たちはかわいいと言ってくれましたが馬鹿にされるようになったのは小学校の低学年を過ぎた頃からです。わずかにわかってくれたのがI先生たちでしたからとても感謝しています


 ここで、お母さんから、何でもお母さんに許可を得るようなしぐさをするのはなぜなのという質問がありました。 

 それはどうしても許可がないと落ち着かないからです。それをやれるまでは手が勝手に出ていました。今でも母さんがいないと困るときがあります。

 勝手に出てしまう手をコントロールするために母さんに同意を求める方法を編み出したというのです。言われなければとうていわからないことですが、自分の運動を制御するということをめぐる彼の深い思いと、言われてみればなるほどと思わせるものがありました。
 さらにお母さんは、今後の希望をお尋ねになりました。

 なかなか考えがまとまりません。だけどわがままかもしれないけれどどうにかして一人暮らしがしたいです。自立したいです。誰も本気にはしてくれませんが。自立生活をしたいですがまだまだ僕には無理でしょうか。

 いくつかの問題を起こしてしまったのでこういう生活が彼には今難しいとのことでしたが、もう彼はわかってもらえたので大丈夫と言っています。しかし、そのこおとは行動を通してしか、つまり、zる一定期間大丈夫だったという事実が求められてしまうのです。私はそういう考えはどこかおかしいと思うのですが、現状では受け入れざるをえません。「無理でしょうか」と問う彼に、私がやっとの思いで答えられたことは、「大丈夫ですよ。ただ、一度の失敗がまたご破算にしてしまうから、何か危ないと思ったら、とにかくここへ来てほしい。」と言えるだけでした。そして彼は続けます。

 小さい頃から何もできないこと言われて悲しかったけれどこれでようやく未来が開けてきました。自分で何かできるようになりたいですがまさか気持が普通に聞いてもらえるとは思わなかったのでもっとがんばりたいです。大学にも行きたかったです。長い間の夢でした。いい努力をして自分でできるようになりたいです。

 そして、「詩を書きます。」と言って次の詩を綴りました。

緑に萌える春よりも僕は寒い冬が好き
理解されない悲しさは
わずかにわずかに北風だけがわかってくれる
人間は北風が嫌いだけど僕だけは北風が好きだ
びろうどのような美しい雪景色も
みんな北風が運ぶものだ
私たちの悲しみは
夏の綺麗な青空ではまぶしすぎる
人間の本当の悲しみは北風だけが知っている
どうか今年も北風よ
青い空と白い雪を運んでおくれ


 一度あふれ出した言葉はさらにあふれ出していきました。

 僕はたぶんもう逃げ出さないと思います。なぜなら理解されたからです。存分に書けたのでもう大丈夫です。
 長い間本当にありがとうございました。敏感な母と父のおかげで僕は何とかここまで人間として成長することができました。小さい時から僕のために何も自由にできなかった母と父にどうやったら恩返しができるのだろうといつも考えているのですが理解されたので本当に何かしたいです。大事な母と父に旅行や食事のプレゼントもしたいです。犠牲になってしまった母へという詩を書きます。

母は人間として僕が認められるようにと
敏感な心で奔走してきて
残りの人生さえ僕のために使おうとしている
だけど母はもうこれ以上僕の犠牲にならないでほしい
母の残りの人生は母のために使ってほしい
よいわずかな希望は
僕にも母への感謝の存分な気持ちがあることを伝えられたことだ
ばらばらな気持ちと体の僕なので
わだかまりだらけの人生だったが
勇気が湧いてきた
僕もいつか一人で暮らせるように
よい心を望みながら
これからの日々を生きていきたい


 穏やかな笑顔に、私の心の方が何かいやされていくとともに、こうした本当の穏やかさ心の奥底に持っている人を、私たちの社会は、「自閉症」と簡単に呼び、その穏やかさを奪ってきたのです。私自身を振り返って、確かにわからなかったからという言い訳は、浮かんできます。そして、私も彼も、過ぎ去った時間を巻き戻すことはできません。だからこそ、これからの時間をこうした失われたものを少しでも取りもどし、これから一人でもそういうつらさを味わう人がないように努めていくしかないと言えるでしょう。
2013年1月11日 20時24分 | 記事へ | コメント(1) |
| 大学 |
2012年12月08日(土)
きんこんの会通信の提案 茨木卓哉さんより
 前回のきんこんの会で、茨木さんからの提案として、こうした活動の場に出てくることのできない仲間たちに声を伝えるために、通信を作ろうという提案がありました。家で文章を書くことのできる条件のある方は限られているかとは思いますが、可能な方は、ぜひ、よろしくお願いいたします。

 以下、茨木さんからの提案文です。

 人生をどう生きて行くかということについてみんなで考えてきましたがわざわざ会に参加できない仲間もいるので通信を作りませんか。そうすれば来れない人にも伝えることができると思います。原稿を家で書ける人は限られていますがとりあえずできる人から始めましょう。よい人生が送れる人が少しでも増えるように。

 ばらばらになった友だちはどうしているのだろうと思っています。なぜなら卒業してからなかなか会えないし、何をしているのかもわからないからです。わざわざ私たちは連絡も取れないし、わざわざ様子を聞くこともできないので、わがままかもしれないけれどみんなに手紙を出してみたいです。大学生になれなかったしわだかまりもかかえている仲間や人間として認められないまま過ごしている仲間が心配です。だから何かを始めたいですが何から始めたらいいのかわかりません。いい考えはないですか。そうですね。わたしたちの状況を知らせるというのはいい考えですね。きんこんの会通信を作り、友だちに配るといいかもしれませんね。斬新な通信ができればいいですね。(茨木卓哉)

 第1号は、1月の初めに作りたいと思いますので、原稿等用意できる方は、メールか郵便でお送りください。
メールアドレス
 yshibata@kokugakuin.ac.jp
住所 
362−0074
上尾市春日1−33−1−307  柴田保之
2012年12月8日 11時25分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 / 大学 |
1月のきんこんの会のお知らせ 1月12日
 いつも日程のお知らせが急で申し訳ありません。
 1月のきんこんの会ですが、1月12日土曜日2時から開催させていただきたいと思います。新年の始めのお忙しい時であり、また寒さの厳しい時期ではありますが、どうぞよろしくお願いします。
 会場は、国学院大学横浜たまプラーザキャンパス1号館410番教室です。
 きんこんの会は、コミュニケーションに援助を必要としている当事者が語り合う会です。参加は自由です。
 見学の方も、ご参加はもちろん自由とさせていただいております。
 
 駐車場について、土曜日は、部活動等の授業外の活動で様々な外部の方が大学を訪れるために、台数が3台までに制限されている関係で、大変申し訳ありませんが、できる限り外部の駐車場のご利用をお願いいたします。
 
2012年12月8日 10時48分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 / 大学 |
2012年10月29日(月)
11月のきんこんの会のお知らせ 11月24日土曜日
 11月24日土曜日、2時よりきんこんの会を国学院大学たまプラーザキャンパスの410番教室で開催いたします。
 参加は、ご自由です。
 参加してくださる方がたくさんおられて、少しずつでも援助の方法を伝える時間も増やさなければいけないのではないかと思っています。
 当事者の会として、軌道に乗ってまいりました。スケジュールがいつも直線でたいへん申し訳ありませんが、どうぞ、よろしくお願いします。
2012年10月29日 13時24分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 / きんこんの会 |
2012年08月27日(月)
きんこんの会のお知らせ 10月6日です
 きんこんの会のお知らせです。本来なら9月に行いたいところでしたが、日程の関係等で、次回のきんこんの会は、10月6日土曜日2時から国学院大学たまプラーザキャンパス410教室にて開催させていただきたいと思います。
 よろしくお願いいたします。
2012年8月27日 00時16分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 |
2012年06月16日(土)
7月のきんこんの会のお知らせ
 7月のきんこんの会ですが、7月21日土曜日午後2時から開催させていただきたいと思います。会場は、國學院大學たまプラーザキャンパス410番教室です。
 これから暑い季節に向かいます。どうぞ、みなさまお体をくれぐれもお大事にしてください。
 去年は、この時期、計画停電等で部屋の使用にいろいろな制限がかかっていたのですが、今年は、特別な制限はありませんでした。
 前回、たいへんたくさんの方々に来ていただいて、大盛況でしたが、今回はまた、どのような展開になるか、楽しみです。よろしくお願いいたします。 
2012年6月16日 22時58分 | 記事へ | コメント(1) |
| 大学 |
2012年04月22日(日)
5月のきんこんの会のお知らせ
 5月のきんこんの会についてお知らせいたします。(ご連絡が遅れて申し訳ありません。)
 5月のきんこんの会は、5月3日の祝日に開かせていただきます。時間は2時から。場所は、國學院大學横浜たまプラーザキャンパス、410教室です。
 連休中で都合のつかない方もいらっしゃると思いますが、よろしくお願いいたします。
 きんこんの会は、援助によるコミュニケーションの可能な当事者の会です。参加は、まったく自由です。
 どうぞ、よろしくお願いいたします。
 
2012年4月22日 00時42分 | 記事へ |
| 大学 |
2012年04月11日(水)
最低の人権は言葉を否定されないこと 最大の人権は表現の自由
 石川県の特別支援学校の山元加津子先生の元同僚である宮田俊也先生の、脳幹出血からの回復の記録を映画にとり続けておられる岩崎靖子さんにご訪問していただきました。田園都市線沿線にお住まいの仁科さんもご一緒でした。インターネットに岩崎さんが撮られている宮ぷーの回復の記録は以前授業でも取り上げ、学生たちに大きな感動を呼んだことがありましたので、岩崎さんの名前やお仕事は存じ上げていたのですが、お会いするのは初めてです。
山元先生からお電話をいただいて急遽決まった話だったので、すぐに動いていただけそうな大野剛資さんに手伝ってもらうことにしました。大野さんは詩集『きじの奏で』の著者です。
 簡単なあいさつなどは、私が体に触りながら「あかさたな」と聞いていくやり方で行いましたが、中心の部分は、パソコンで表現していただきました。
 最初に、かつて、本人の実際の動きを私が援助していた時代の方法を実演してもらいました。まだ文字数も少なかった時代です。別に打ち合わせをしていたわけではありませんが、彼は俳句という、短い字数の形式を選んでくれました。
 
やさしき手差し出した人がためわれ祈る
ぐんぐんいい季節が近づきましたね。うきうきした希望に満ちた祈りをがんばって俳句にしました。


 そして、こちらが積極的にスイッチを動かしていく援助の方法に移って、まず、私が方法を説明しながらスイッチの援助をしていることと同時進行で、自由に語ってもらいました。
 
 がんばって僕もいっぱい詩を作ってきましたがぼくがまさか詩集まで出版できるとは思いませんでした。なぜ詩を書いているかというとぼくたちは分相応の生き方を超えていくために夢を持つ必要があるからです。詩の中に私たちは夢を探し詩の中で過去の痛みを癒やすのです。いつまでも詩は外に出ることはないと思っていましたが突然柴田先生がなつかしいですが僕にパソコンを出してくれて言葉を聞き取ってくれました。僕はぞくぞくするくらい感激しました。わずかな希望が何倍にもふくれあがって私たちは希望に満ちた人生を生きることができるようになりました。(…)僕は単語が話せたのだけど全く気持ちを表現できなかったので僕は何度も諦めかけてきました。わざわざ僕たちと関わろうとする人もいないしわざわざ笑いながら近づいてくれる人も少なかったからもう僕の人生は何も理解されることもなく終わるのだと思っていました。まさかこんな方法が見つかるとは思いませんでした。わざわざという言葉が繰り返されているのはまさに僕たちとつきあっても何の得にもならないからです。(…)
ここから、岩崎さんとのやりとりになりました。

「理解されるようになってよかったことは何ですか?」

 なつかしいなつかしい話になりますが理解されてから何より母さんががんばった成果を確かめられたことが大きいです。僕を普通の小学校に通わせた意味など世の中の人にはただの親の見栄ぐらいにしか見なされてきませんでしたが僕にとって本当に意味があったことが証明されました。人生が広がったことが次に大きなことでした。人生に強く向かい会うことができるようになりました。人生がまったく違うものになりました。涙を流した日も過去の懐かしい思い出になりました。(詩はいつから作っているのですか?)
僕が詩を作るようになったのはもうずいぶん前のことです。僕が人間であることを認めてもらえないかと思っていたときどうにかして自分の思いを伝えたいけれど伝えられないのでわが道を行くしかないと思い詩を作り始めました。楽な私という詩を確か小学校の中学年の時に作りました。私たちの仲間もみんな詩を作っているのですがみんな同じような気持ちからだと思います。わずかな未来をみんな信じて理想を失わないようにと詩を作り続けてきました。

「言葉を表現するということにどんな意味を感じていますか?」

 理解し合えるということがみんなの究極の目標なので理解し合えたらごんごんと喜びが湧いてきます。理解し合えた喜びを頼りに僕らは生きているのでわがままかもしれないけれど僕は人と話が存分にしたいです。なつかしいのは小学生の頃はみんな純粋な気持ちでたくさん僕に話しかけてくれました。それがだんだん中学生になるとみんな話しかけてくれなくなりとても寂しかったです。なぜみんな話さなくなったかというと僕は何もわかっていないと思われるようになったからです。忘れられないのは柴田先生が初めてうちに来てくれた日のことです。たぶん先生も僕が何でもわかっているとは思っていなかったと思うのですが先生は笑いながらたくさん話しかけてきましたしいろいろなスイッチを出してくれたのでとても楽しかったです。小さいことですがいきなり最初にひらがなを出した時は驚きました。最初はうまくいかなかったのですが僕にひらがななど出した人は初めてでした。それからしばらくは小さなことですが簡単なソフトで試行錯誤をしてくれだんだんひらがなに到達しました。そしてなつかしいですが初めて僕が「ありがとうぱそこん」と書いてから突然先生がパソコンで気持ちを聞き取ることに真剣に取り組んでくれていつしか長い文が読めるようになったのです。最初の質問からそれてしまいましたがもっともいいたいことは柴田先生も奈苗先生も理解し合えることをとても大事にしてくれたということです。そういうことがこういう成果を生んだのだと思います。

「社会に訴えたいことはありますか。」

 わかってもらいたいことはみんな言葉を持っているということです。先生も名前に使っていますが人間として最低の人権は言葉を否定されないということです。最大の人権は表現の自由です。人間として生まれて生きてきて僕たちはようなしの存在と言われてきましたが確かに何も作ることもできないし問題もたくさん起こしてしまうけれど僕たちも人間として生きたいのです。まだまだ僕たちは理解されていませんが僕たちを受け入れられる社会こそが本当に人を大切にできる社会なので何とかして僕たちを認めない社会にはなってほしくありません。ばかにされた日々もあったけれど僕たちをばかにしない社会こそが理想の社会だと思います。理想なのかもしれませんが何とかしてそういう社会を実現したいです。地域で生きるという言葉がありますがそういう言葉にはそういう思いが込められているのです。なつかしいです。奈苗先生が初めて僕の気持ちを読みとってくれた日のことが。あれがすべての始まりでした。そしてここまで来れたのがまるで夢のようです。なつかしくまた今日の日が思い出されるよう前に進んでいきたいです。

 ところで、山元先生は、白雪姫プロジェクトというのをお始めになりました。宮田さんの回復のプロセスの経験から、眠ってしまった白雪姫が王子の口づけに目覚めるように、今意識障害と言われている人が、再び表現手段を取りもどしたり、病気そのものからの回復をすることの可能性をもっと広く世の中に伝えていこうとする希望に満ちたプロジェクトです。私も応援団として参加させていただきました。
 こうしてたくさんの人々のつながりの中で、どんどんと広がりが生まれてくることがとてもありがたく思われます。
2012年4月11日 23時40分 | 記事へ |
| 大学 |
2012年03月29日(木)
3月のきんこんの会のお知らせ
 30日に開くきんこんの会ですが、会場は、2号館(私の研究室のある図書館の建物)の5階の2510教室で2時からになります。
 車いすは図書館の玄関からお入りになれば、段差がありません。
 お知らせが遅くなって申し訳ありませんでした。
 よろしくお願いします。
 
2012年3月29日 12時41分 | 記事へ |
| 大学 |
2012年02月21日(火)
3月のきんこんの会は3月30日の予定です
 厳しい寒さが続いており、なかなか春の兆しが見えてきません。
 3月のきんこんの会は、3月30日金曜日2時からたまプラーザキャンパスで開催させていただきます。
 会場は、前回、前々回使用した1号館410教室になるか、私の研究室の傍の部屋になるか、まだ未定ですが、近づいたらまたお知らせいたします。
 
 きんこんの会とは、障害が重いために、援助によって初めて気持ちを伝えることができる人たちが、ともに心を響き合わせるために集う会です。一昨年の1月、たまプラーザキャンパスの一室で数名の仲間が出会ったことから、この会が生まれ、4月から活動を始めました。
 参加は自由です。詳しいことをお知りになりたい方は柴田までご一報ください。
2012年2月21日 21時48分 | 記事へ |
| 大学 |
2012年01月18日(水)
きんこんの会のお知らせ(続)
 1月23日のきんこんの会は、1時から410番教室で行います。
 午前中から利光さんを研究室にお招きしています。少し早めに来られても大丈夫です。よろしくお願いします。
2012年1月18日 00時42分 | 記事へ |
| 大学 |
2012年01月15日(日)
1月のきんこんの会のお知らせ
 1月のきんこんの会は1月23日、1時から國學院大學たまプラーザキャンパスで開催させていただきます。今回は、福岡から利光さんが見えるのに会わせて、取り急ぎ決めさせていただいたので、ご連絡が遅れて大変申し訳ありません。
 時間についても、今回は利光さんのご都合で1時から開催させていただきます。昼食のことなどご迷惑をおかけしますが、大学で召し上がれるように部屋を確保したいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 
2012年1月15日 01時20分 | 記事へ |
| 大学 |
2011年12月10日(土)
東田直樹さんの講義
 大学の授業に、自閉症の作家東田直樹さんを招いた。授業は、2,3年生を対象とした授業だったので、今年高校を卒業した直樹さんより一つないし二つ年上の学生が受講者だった。そして、きんこんの会からは、4人のメンバーが参加し、町田の青年学級から自閉症と呼ばれるEさんも参加した。パワーポイントであらかじめ準備した原稿を、自分で読み上げながら、東田さんは、堂々と講義を行った。そして、いったん彼の講義が区切りがついたところで、まず、きんこんの会のメンバーやEさんとの質疑応答がなされ、その後、学生たちの意見を聞いていった。学生たちも懸命に彼の講義を聴き、精一杯彼に問いかけた。
 この日、参加者の中に、小説と映画「ぼくはうみがみたくなりました」の原作者山下久仁明さんもいらっしゃった。自らの息子さんをモデルにした作品だが、残念ながら、息子さんは中3の最後の春休みに電車事故で亡くなっていた。山下さんのコメントは、息子さんの気持ちを聞いてみたかったという深い言葉だった。
 授業の後、部屋を移して懇談の場を持った。障害は違うけれども、コミュニケーションに困難を持ち、援助によって初めてコミュニケーションが可能になった者どうしとして、新しい絆が生まれた会となった。
 
 
2011年12月10日 00時39分 | 記事へ |
| 大学 |
2011年12月02日(金)
臨時のきんこんの会のお知らせ 12月9日金曜日
 直前のお知らせになりますが、12月9日に東田直樹さんを授業にお招きしており、それに合わせて臨時のきんこんの会を開催して、講義のあとに、懇談会を行いたいと思っております。
 教室は、1時10分から本館2階AV1教室、2時50分から同じ階の410番教室です。
2011年12月2日 23時42分 | 記事へ |
| 大学 |
2011年10月26日(水)
6人の学生との対話
 後期の授業から少人数の演習という授業が始まり、Iさんに来てもらった。先日、9月のきんこんの会の時に、合わせて60名ほどの授業にも仲間とともに出ていただいたのだが、今度少人数の時にという希望をうかがっていたので、来ていただいた。受講者は、ちょうど彼と同じ年齢になる3年生だ。
 今日は、教育実習や就職活動などで、参加者は6名だったが、ゆっくりと話をすることができた。
 まず、彼からのメッセージ。

 そんなに緊張しないでください。もう少しリラックスしてください。小さいことですがぼくにとってはなかなかない経験なのでよろしくお願いします。どこで呼んでもらえるわけではないのでわずかのチャンスを大切にしたいですからよろしくお願いします。ところでぼくのテレビを見たそうですが何を感じましたか。

 テレビとは、小6の時にテレビの取材を受けた時の録画を先週みんなに見ておいてもらったものだ。これは、援助によって50音表を指さして話す少年のドキュメンタリー『奇跡の詩人』というテレビ番組が様々な物議をかもしたので、その検証の番組という意味で制作されたと言われるもの。彼は、援助による筆談のできる少年として登場していた。

(最初の女子学生の感想に対して。理解することの大切さについてわかったということをのべた。)
 そうですか。ありがとう。よくそこまで見てわかりましたね。私たちは私たちらしく生きようとしているのですがなかなかうまくいかないので困っているので理解者がほしいので学生さんたちには期待しているのでよろしくお願いします。
(二人目の女子学生。一生懸命伝えようとしているのがよくわかったというような感想に対して)
 ありがとう。ぼくはまんざらではなかったですがテレビに出られて。だけど誰も何もいってくれなかったので寂しかったですがみんなに見てもらえてよかったです。ふざけて書いたのはわかりましたか。あれはふざけただけです。
(テレビでは、英語を使う国を書いてくださいと言われて、彼が「ホンコン」と書く場面が映っていた。)
 みんなまじめですね。ぼくはまじめではないので気をつけてください。

 愉快な先生ですね。いつもそうですか。(これは私の発言に対して。)

(3人目の学生は、自分もやれるようになりたいという感想。彼は、また、特別支援学校の教師を目ざしていると語った。)
 なるべく私たちのことを理解してほしいのでぜひぼくと話せるようになってください。いい先生になってくださいね。

(4人目の学生は、研究室にいつも出入りしていてきんこんの会にも参加したことがある学生で、Iさんとは何度か会っている。)
 ありがとう。なかなか理解されないのが理解してもらえてうれしいですが何度もあってますね。思い出しました。そうでしたね。ところでみなさんの中で僕たちのような障害のある人とつきあった人は?

 学生たちはそれぞれの経験を語ったが、その中で、教職希望の学生に義務づけられている介護等体験の話が出て、彼はそれについて次のように述べた。

 ぼくは○○養護ですが介護の学生が来るのがとても楽しみでした。若者は純粋だからです。勇気づけられることも多かった。それは何度でも聞き直してくれたりして、いつか社会に出ても大丈夫だと思えたから。理解者が増えればいいといつも思ってます。

 そして、彼の次のよう発言をもとに、みんなで練習をすることになった。

 ぜひぼくで練習してね。言葉をぜひ聞き取れるようになってね。

 一人ずつ、4文字程度聞きとる練習をしてみた。すると、最終的に、6人の学生全員が彼の言葉をスイッチで聞き取ることができたのである。いつも、あんなに難航するのに、これはとても面白い経験だった。彼も、「できる人は、少し変わっている人だということをいいながら、この部屋の学生はみんな変わっているね。」などといいながら、大変な手応えを感じた様子。
 一つ、わかったことは、最初の一人目の学生は、いろいろと手探りだったのだが、それを見ている仲間の学生たちは、その学生と気持を一体にして、応援しながら、いつのまにか、見ているだけでやっているような感じになっていて、学生が変わるたびに、どんどん読み取りが正確になっていったことである。「若者はちがう。大人だったら、変わるたびにまた最初からやり直しなのに。」と言うのが彼の感想。
 ちなみに彼の綴った文章は、

なつき えにかみ つすをや てめむよ せあああ やすわは から。ひ れとしめ

 最初は、「なつき」という学生の名前。「えにかみ」はその学生の髪が絵になるという意味。「つすをや」は2スイッチワープロをやって。ここまでは、意味のある言葉だったが、そこからはわざと意味のない文字を羅列した。これは、まちがいなく伝わっていることを彼自身が確かめたかったからだ。
 何か新しいことの生まれそうな予感に満ちた授業だった。
2011年10月26日 17時57分 | 記事へ |
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2011年10月11日(火)
利光徹さん、アフリカ旅行の報告会のお知らせ
 きんこんの会にも時折ゲストとして参加してくださる福岡の脳性まひ者の利光徹さんが、9月にアフリカ旅行に行ってこられました。その報告会が以下のように開かれます。
 日時 10月31日月曜日 18:30〜21:00
 場所 国学院大学渋谷キャンパス3号館3階(3304教室)
 なお、それに先だって3時間目(12時50分〜2時20分)と5時間目(4時10分〜5時40分)は、この報告会を主催されている楠原彰先生の授業の中で、利光さんも話されると思います。
 楠原先生は、私が人間開発学部に移る前に所属していた渋谷キャンパスの教育学研究室の先輩の先生で、すでに退職されて現在は非常勤講師の立場で教壇に立っておられます。2001年には利光さんとインド旅行もされており、私もその際は同行しました。
 利光さんからも、ぜひ、きんこんの会に参加しているようなメンバーにも声をかけるようにとお誘いがありました。報告会は、ボランティア学会のメンバーにもお誘いが回っているので、いい機会になるだろうというのが利光さんの考えです。
 ふるってご参加ください。
2011年10月11日 00時47分 | 記事へ |
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11月のきんこんの会のお知らせ
 秋らしく、過ごしやすい日々が続いていますが、みなさまお元気でお過ごしでしょうか。
 11月のきんこんの会についてお知らせいたします。
 11月のきんこんの会は、3日(木曜日)文化の日に2時から國學院大學たまプラーザキャンパスの410番教室で行います。
 きんこんの会は、援助によってコミュニケーションが可能になる方々がともに語り合う会です。参加は自由です。
 今回は、正面玄関ではなく、事務室のところから入って、その近くにあるエレベーターで410番教室のある2階にあがるようになります。
 9月のきんこんの会は、前半が授業でしたので、話し合いの時間が少し短くなってしまいましたが、今回は、ゆったりと話し合えると思います。みなさまのご参加お待ちしております。
2011年10月11日 00時38分 | 記事へ |
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2011年09月20日(火)
きんこんの会 9月23日のお知らせ(続報)
 以前お知らせした9月のきんこんの会ですが、1時10分から2時40分まで「重度重複障害児の教育」の授業の中で受講者の学生たちをまじえていろいろな意見を聞かせていただき、授業後に2時40分から4時半頃まで通常のかたちできんこんの会を開きたいと思います。
 場所ですが、いつもの研究室の近くの部屋が使えないので、1号館(事務課等のある建物)の2階のAV1教室で授業を行った後、同じ階の410番教室に移る予定です。
 これだけでは場所はわかりにくいと思いますので不明な点は柴田の携帯に電話ください。
 よろしくお願いします。
2011年9月20日 23時27分 | 記事へ |
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2011年08月20日(土)
きんこんの会のお知らせ 9月23日
 次回のきんこんの会は9月23日に開催する予定です。休日なのですが、大学の授業が変則的に行われる日になっています。1時10分から2時40分まで「重度重複障害児の教育」という授業があるので、学生たちと話し合いを持てるようなかたちを作りたいと考えています。詳しい時間や進め方などは、また改めてお伝えいたします。
2011年8月20日 00時51分 | 記事へ |
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2011年08月11日(木)
『きじの奏で』の感想レポート
 大野さんに参加していただいた「発達と学習」では、学期末にレポートを課したが、その中にこの『きじの奏で』をとりあげたレポートが入っていた。
 以下のようなレポートである。


  「きじの奏で」について

 私は大野剛資さんが授業に来てくださり、そして文字をあらわすことのできる機械で“この今言っている声は、体から発してしまう声なのです。‥”という言葉を見て、衝撃を受けました。私は勝手に障害者の方は“自分が障害者ということも気付くことのない、幼い精神を持っている人”というようなレッテルを貼ってしまっていたので、なおさらでした。 
 そんな驚きのあった授業を終えて、「きじの奏で」を読んで、大野さんの今まで育ってきた環境や生い立ちから、人との出会いの大切さやまわりの環境の大切さについてとても考えさせられました。私も色々な人に出会うことで影響され、私自身も出会った人に対して何かしら影響しているのだなと思うと、本当に生きているうえで、無意味なことなんて何もないのだなと改めて思いました。
 そして読み進めていく中で、私は “静かに気付いた1歳”という詩に1番心打たれました。大野さんの中で形がつじつまをあわせることが出来ないという真実をつきつけられ、知識は十分にあり、表現したいのに出来ない苦しさの中、生きてきたのだなと素直に伝わるこの詩はとても印象に残ったものでした。
 私も“友達はこんな簡単に出来てしまうのになんで自分だけ‥”と自分を批判することが多いので、“出来ない苦しみ”という事がとても伝わってきました。その上、私の悩みはまだまだ小さいのだなと思いました。私の悩みならまだ、友達のように簡単に出来なくても、時間をかければ、少しずつ近づくことはできます。でも大野さんはいくら十分に“頑張ろう!”と思っても、体が自分の意思の言うことを聞いてくれることはないのだなと思うと、私は“出来ない!”と自分を否定していないで、もっと前に進んでいかなくてはいけないなと思いました。
 あと私は、まだまだ知識不足や詩から学ぶ能力がないため、全ての詩を理解することや考えることができませんでした。だからもっと何回も読むことによって深く理解できるようになりたいなと思います。そしてもっと内なる想いを障害者の方と直接関わることによって知っていきたいと思いました。そのためにも2日間連続で障害者の方のすぐそばで関わることができるという貴重な介護体験を有意義なものにしていきたいと思います。
 最後に、人間として初めて産まれてきた障害者の子はきっと“なんでこんなに変わっているのだろう”と周りから言われ続け、そこから“障害者”というくくりができ、差別されるようになり‥。しかし今障害者の気持ちを読み取ることが出来るようにまでなりました。全てが機械化されていく未来になってしまうのかという不安もありながら、このように機械によって障害者の方の中に秘める想いを表現できるようになったり、意思疎通できるようになったりして、機械や物理のような目に見える進歩ではないけれど、人間としての着実な進歩を今回感じることが出来ました。これからもっと人間の心も発展して、お互いに誰でも認めて、そして認められる世の中になっていければいいなと思いました。

2011年8月11日 10時24分 | 記事へ |
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大野剛資さんの講義2 「発達と学習」の講義にて
 「ボラティアと社会参加」の授業に続いて、「発達と学習」の授業にも大野さんに参加していただいた。
 「発達と学習」には初等教育学科の2年生と3年生がやり100名ほど受講している。この日は、大野さんが来ることと合わせて、茅ヶ崎の浜之郷小学校における「いのちの授業」をとりあげたが、最初に、大野さんにあいさつしていただいた。

 お疲れのところ失礼します。僕は大野と言います。今出ている声は勝手に動くからだが発しているものですがなかなか止められないものです。なぜ今日大学に来たかというと僕が出した詩集を宣伝してくれると言われたからです。この春に僕は『きじの奏で』という詩集を出しました。なるべく多くの人たちに読んでもらいたいと思います。地域で生きていくことはとても大事なことだということをさっきの授業で話しました。僕は地域の学校で小中学校を過ごさせていただきましたが理想的な時間でした。もっと地域で生きていきたいけれどなかなか難しいですが皆さんのような若者の皆さんに理解してもらえると未来が開けてきそうな気がします。また大学には時々来るので声をかけてくださいありがとうございました。

 「いのちの授業」では、江戸時代の浅間山噴火の際に発生した大火砕流によって一つの村がなくなってしまうということがあったが、その際に、高台に逃げる最中に年老いた女性を背負ったまま亡くなった若い女性のことが、発掘された遺骨とともに語られていく授業だ。今年は、東日本大震災のあとだけに、また新しい意味を持つと思われた。
 大野さんをまじえた授業は、いつも以上に熱く進めることができたように思う。
 時間がなかったので大野さんにもう一度感想を求めることはできなかったが、授業の後で、「僕に合わせた内容だったのですか」と大野さんに問いかけられた。もともと扱うつもりではあったが、すでに述べたように大野さんの来る日に合わせたのは事実だったが、大野さんの意見をまた機会があればうかがってみたいと思う。
 
 
2011年8月11日 10時10分 | 記事へ |
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大野剛資さんの大学の講義1 『きじの奏で』の著者として
 4月に詩集『きじの奏で』を出版した大野さんに講義に来ていただいた。プロジェクターでパソコンの画面を映し出してその場で話しをしていただいた。
 
 こんにちわ。僕は大野剛資と言います。誰にも言葉があると思われずにずっと生きてきましたが突然柴田先生が現れてこの取り組みを始めてくれて僕は言葉を話せるようになりました。なかなか簡単な方法ではないのですが勇気を出して今日は皆さんの前で何か話そうと思ってきましたがあまりに大勢の人なのでぞっとする思いがしましたが頑張って話したいと思います。

 初等教育学科の1年生100名あまりを前に、なめらかに講義は始まった。 

 夏休みになると僕は小学校のことを思い出します。夕涼み会や蝉捕りに友だちが連れて行ってくれたり摘んできた花を押し花にしたりしました。みんな僕のことを仲間として認めてくれてとてもすてきな小学生時代を過ごしました。分に応じた生活をしろと世の中の人は言いますが分不相応な生活をさせてもらいました。びっくりするかもしれませんがその当時は全く意思表示はできませんでした。なぜそれでも仲間と通じ合えたかというと敏感な感性の子どもが多かったからだと思います。なぜそんなにうまくいったかというと先生がとてもいい先生だったからです。未来の学校の先生になる人なのでぜひそのことはわかってほしいです。またなんでもよくどこに行きたいかとか何がほしいかとか仲間たちは聞いてくれました。忘れられないのはロードレースの時のことです。何もできない僕の車いすを仲間たちは押してりんどうの咲く山道を一緒に走ってくれました。まるで映画の中にいるようでした。みんなもきっと忘れられない思い出として心にとどめてくれていることでしょう。

 彼のような障害の重い人が地域の学校でともに学ぶことをめぐってはこれまでたくさんの議論が繰り返されてきた。彼のように言葉で十分に状況を理解することが困難とされていた方が、実はこのような体験をしていたということは、これまで十分に語ることはできなかったことだ。ドラマのような体験であり、ともに学んだクラスメートたちにも大切な体験として残っていることだろう。 

 地域で暮らすということがよく言われますが皆さんはどう思いますか。地域に障害者は必ずいるはずですが分相応の生き方を強いられている障害者にはなかなか会う機会さえないのではないでしょうか。何度となく僕もそういう立場に置かれてきたのでよくわかりますが忘れられないのは世の中の人たちから完全に忘れ去られたときのことです。なぜそんなことになったかというともっと僕が声が勝手に出ていたときのことですが何かのコンサートで係の人から出て行ってくださいと言われたことがあります。僕もその気持ちはよくわかったのですが何度も言われるうちに僕たちは社会の中では生きられないのだなと思いました。僕たちのように静かにできない人間には生きる場所はもうないのだと思いました。

 一転して、地域で生きることの厳しさに話が及ぶ。コンサートでのこうしたできごとは実は大変むずかしい問題だが、その例の引き方の中に、彼がこの問題をいかに深く考え抜いてきたかが表れていた。
 ここでずっとプロジェクターで映し出される文字に対する集中がとぎれたのか、一部の学生の私語が始まった。大野さんの言葉が耳障りがよい言葉だけではなかったことも関係していたかもしれない。私は、それを注意することで壊れてしまう関係性がいやだったので、特にうるさく注意はしなかった。大野さんには、それは、自分たちを排除してきた社会を彷彿とさせるものかもしれなかった。
 
 僕の目的はみんなに僕たちのことを聞いてもらうことでしたがなかなか難しいようですね。どうしても僕たちは理解されないので世の中ではそう簡単には理解が進まないのでろうそくの灯はようやくまだともっていますが僕たちの希望の火はなかなか燃え上がるほどにはなりませんが、こうしてこんな僕が大学で話せるようになったのは前進なのだとは思いますがどうにかしてみなさんにはわかってほしかったです、人間として生きているということを。だけどうまく伝わらなかったみたいで申し訳ありません。
これで終わります。


 もちろん大半の学生は終始集中をとぎらせることはなく、深い感銘を受けた1時間であったし、私語をしてしてしまった学生も、理解していないはずはなかった。
 いつになく深い感想が寄せられた1時間だった。
2011年8月11日 08時21分 | 記事へ |
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2011年07月12日(火)
東日本大震災に思う 6月7日
 研究室を訪れた☆☆さんは、お会いするのは2度目だが、今回は地震の話から始まった。

 聞いてほしいことがあります。なぜ地震で悲しいことがあんなにたくさん起こったのでしょうか。なぜというわけはないかもしれないけれど私はとても悩んでいます。
私たちは障害があることでとても苦しんできたのでよく苦しみのいやなことがわかるけれど私たちはどうにもならない悲しみもいつかはだんだん静まっていくことを知っているけれど被災地の人たちはどうにもならない悲しみと戦っていて大変ですから何とかしてあげたいです。人間としてのどうにもならない気持ちを何とかして静めてあげたいけれどなかなか難しいです。でも地域の支え合いや遠くからかけつけた人たちの行為(好意?)でみんな何とか希望を取り戻しつつあることが救いです。


 震災と自分との重ね合わせなど、支え合いに希望を見いだしているところなど、やはり、同じ立場の仲間たちと共通の心を持っていた。
2011年7月12日 21時48分 | 記事へ |
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2011年06月04日(土)
7月のきんこんの会のお知らせ 7月2日土曜日に開きます
 7月のきんこんの会のお知らせです。7月2日に國學院大学たまプラーザキャンパスで午後2時から行いたいと思います。
 部屋は、私の研究室の向かいの部屋(2号館2510教室)です。
 電力事情などで、なかなか日程調整が遅くなってしまいましたが、よろしくお願いします。
 前回は、大震災の話でたいへん深い議論をすることができました。今回もまた、様々な議論を期待しています。
 
2011年6月4日 11時16分 | 記事へ |
| 大学 |
2011年04月14日(木)
5月のきんこんの会のお知らせ 5月4日に開催します。
 東日本大震災の影響で3月はお休みしてしまいましたが、5月4日2時から行いたいと思います。場所は、國學院大學たまプラーザキャンパス、2号館の2510教室の予定です。
 連休の真ん中の日で、遠出を予定している方には申し訳ないのですが、いろいろな都合で、この日とさせていただきたいと思います。
 大震災をめぐる様々な思いなど、また、語り合えればと思います。
 よろしくお願いします。
2011年4月14日 00時00分 | 記事へ |
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2011年03月20日(日)
3月のきんこんの会の中止のお知らせ
 3月29日のきんこんの会は中止とさせていただきたいと思います。
 ブログにも書きましたが、埼玉アリーナで、この災害の現実のほんのいったんにですが、肌で触れさせていただきました。ただただ、大きな悲しみが時間によって癒されていくことと、生活が再建されることを祈るばかりです。
 きんこんの会ですが、何とか実施したいと考えておりましたが、車のガソリンの事情や交通機関の乱れ、計画停電など、円滑に会を行うことにいくつか困難な要素があることと、私自身、新学期を前にして、臨時の対応がありそうなので、残念ながら、今回は見送らせていただきたいと思います。
 こんな時期だからこそ、一人ひとりの思いを表現し合っていくべきだと思いますが、残念です。
 すでにブログでも紹介していますように、何とかお会いできた方々は、この大災害について、独自の考えを紡ぎ出しています。また、そういうものを紹介していきたいと思います。
2011年3月20日 08時56分 | 記事へ |
| 大学 |
2011年02月01日(火)
3月のきんこんの会について 3月29日火曜日に行います
 1月のきんこんの会は無事終了しました。
 今回は、みんなが作っている歌のことをひとしきりしたあと、地域で生きることについて話をしました。詳細は別の機会にまとめます。
 2月はお休みさせていただいて、3月は29日火曜日2時から開く予定です。
 参加はご自由ですので、ご興味のある方はどうぞ気楽にいらしてください。
2011年2月1日 01時12分 | 記事へ |
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2010年12月15日(水)
1月のきんこんの会のお知らせ
 1月のきんこんの会は、1月18日火曜日午後2時から國學院大學たまプラーザキャンパスの2号館2510教室を予定しています。
 きんこんの会は、援助によって初めて自分の気持ちを伝えることができた障害の重い人たちが、互いに思いを語り合い、思いを共有するとともに、いかにして自分たちの存在や思いを世の中に訴えていくかということを考え合う場です。
 参加はまったく自由ですので、どうぞお気軽においでください。
2010年12月15日 01時52分 | 記事へ |
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2010年10月12日(火)
11月のきんこんの会のお知らせ 11月は23日火曜日です
 きんこんの会は、11月は23日火曜日2時より行います。なお、この日は、勤労感謝の日で祝日ですが、大学は、授業の回数を確保するために、お休みではありません。
 10月のきんこんの会では、どうやって自分たちのことを伝えていったらいいのかということを前半議論しましたが、その中で、テレビに出て訴えたいということをめぐっていろいろな意見が交わされました。
 また、後半は、ある通所施設で、職員でパソコンの介助ができるようになったということが報告され、やはり、一人でいいから職員ができるようになると全然違うので、そういう人を作っていこうという話になりました。
 今回も白熱した議論がたくさん出た有意義な会でした。、
2010年10月12日 23時59分 | 記事へ |
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2010年09月12日(日)
10月のきんこんの会は10月5日に行います
 当事者の語らいの場【きんこんの会】10月は5日火曜日に、午後1時半からとしたいと思います。
 きんこんの会は、通常のコミュケーションが困難で、援助によるコミュニケーションによって、思いを表現している人たちの会です。参加は、自由です。
 ウィークデイでなかなかご都合がつきにくい日程で恐縮ですが、よろしくお願いします。
 なお、連絡先は、以下の通りです。

 e-mail yshibata@kokugakuin.ac.jp

  
2010年9月12日 12時33分 | 記事へ |
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2010年08月30日(月)
きんこんの会の報告
 8月のきんこんの会が28日土曜日に開かれました。参加者は、15名、土曜日ということもあって、大勢の方に参加していただきました。ふだん、当たり前に言葉で考えていることさえまともに理解されない人々が、15名も集まって、若者らしく当たり前に議論をしている姿は、夢の世界のようでもありました。
 詩の話、わかってもらえない悔しさの話、どうやって社会に訴えていくかということ、ふだんの過ごし方、友達の話、まだ気持ちが伝えられないでいる仲間たちのことなど、3時間にわたって、熱い議論が交わされました。
 仲間が直接に気持ちを伝えあうことによってつながりを持ち合っていくことの大切さと、自分たちの意見をいかに周囲や世の中に伝えて変えていくかということが、基底に流れている議論だったと思います。
 世の中の現状は、こうした気持ちがあることが本当かどうかという段階ですが、私たちは、その先の段階として、お互いがどのように手をつなぎあっていくかということ、そして、そこから何が発信していけるかということを試行的に議論しています。
 当事者活動という言い方があります。歴史的にいくつかの当事者活動が障害者の歴史を塗り替えてきました。たとえば1970年頃の脳性マヒの当事者の運動、1990年頃から始まった知的障害者の当事者運動(私は、この中心メンバーとともに活動していましたのでこの時の熱気は今でも忘れられません)などが時代の節目を作ってきたように思いますが、そんな当事者が声をあげていく中で、今、きんこんの会に集う人たちは、その中でも忘れ去られてきた存在といえるでしょう。2010年という年が、新たな当事者活動の始まりを象徴する年になったらという密かな思いをいだきながら、この熱い会に通訳として参加させてもらいました。
2010年8月30日 11時14分 | 記事へ |
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2010年07月08日(木)
望みの花園
 大学を訪れた今年社会人1年目の女性が、5月のある日、こんな詩を綴った。

   望みの花園

夢の私らしさを私は求め
私を私らしく開かせる
ワンダーランドは空の彼方夢の彼方に広がって
よい私を旅立たせ
もんもんとした気持ちを私はなくし
光とともに私は心を踊らせて
私を空に舞い上がらせて
忘れられないきれいな歌を
私はひとり歌いながら
遠い世界に望みをいだき
この世のどんなものよりも
すてきなどこまでも理想を求めて
めざすはやさしいよいことの満ちあふれる
デコレーションののっかった私だけのいばらの花園
まるで私の苦しみが楽園として生まれ変わったような場所
まさか名前はわからないけど
半月前には鳥さえ通わぬところだとは思えないところです


 彼女は、詩に添えて次のような言葉を語った。

 私の心の風景を詩にしました。それだけひとりの時間が長いということを意味しています。
2010年7月8日 17時34分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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きんこんの会 次回は8月28日土曜日です。(7月は行いません。)
きんこんの会、一部の方々に7月25日に開催する予定であるとお伝えしておりましたが、冷房の関係等で、大学がこの日は使えないことになり、8月28日土曜日1時半に開催させていただきたいと思います。場所は、たまプラーザキャンパスの1号館1階第5会議室を予定しています。ご予定をたてておられた方もいらっしゃるとおもいますが、大変申しわけありません。よろしくお願いします。
 
2010年7月8日 17時17分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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きんこんの会 次回は8月28日土曜日です。(7月は行いません。)
きんこんの会、一部の方々に7月25日に開催する予定であるとお伝えしておりましたが、冷房の関係等で、大学がこの日は使えないことになり、8月28日土曜日1時半に開催させていただきたいと思います。場所は、たまプラーザキャンパスの1号館1階第5会議室を予定しています。ご予定をたてておられた方もいらっしゃるとおもいますが、大変申しわけありません。よろしくお願いします。
 
2010年7月8日 17時17分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年05月28日(金)
5月のきんこんの会のこと 6月は15日に開催します。
 5月のきんこんの会は、5名のみなさんが集まりました。司会をどうするか、発言の方法をどうするかなど、これから少しずつスタイルを作っていかなくてはなりませんが、今回は、4月の反省をふまえて、会話が平行しないように、一人ずつが発言していって、話が一本の糸でつながっていくようにしました。たまたま、3時間目の私の授業で、アイデンティティ(=私らしさ)の形成の問題を扱っており、そこに3名の方は参加したこともあって、前回の議論の中でも繰り返し語られた私らしさのことをふまえて話が始まりました。
 なお、通訳はDさんについては、お母さんによる50音表の指さしの介助、他の方は私が手を振って「あかさたな」と聞きとっていく方法をとり、終わり近くでDさんのお母さんが50音表の介助を試み、とてもうまくいきました。なお、途中Cさんのお母さんもCさんに対して50音表の指さしの介助で通訳をしました。コミュニケーションの方法も少しずつ広がりを見せています。


Aさん(女性):私の母さんのピアノを聞いているとうれしい気持ちになります。こんなに私の気持ちをすらすら言えるのは、不思議です。自分の気持ちと合っているので、信じてほしいです。よいやりかたなので、みんなにわかってもらいたいのですが、なかなか信じてもらえませんでしたから、くやしかったです。私のろうそくに火を灯してくれた先生です。よい先生でしたが、信じてもらえません。疑われていてくやしかったです。
(私らしさについて)私らしく生きることが大切だと思っています。なかなかそれを見つけるのは大変です。勇気がないので私らしさを人に伝えることが難しい。なかなかわかってもらえないので、伝えるのが難しいですから、私らしさをもっと伝えていきたいと思っています。私らしさとは、いつも夢を見ていることです。私らしさを知っているのは、お母さんと先生ですが、まだまだ私らしさを伝えられていません。私らしさを伝えたいと思います。

Bさん(女性):良い会ですね。私らしさについては、よくわかりませんが、私の私らしさについて、考えています。勇気をもらいたいと思って、今日は来ました。私の私らしさを私自身が見つけられるように、これからも一緒に考えていきたいと思います。勇気がほしいです。勇気をもらいたいです。私はもっと言いたいことがあるけれど、私の言いたいことの半分も言えてないので、私ともっと私らしく伝えていきたいです。勇気がほしいです。まだまだ勇気が足りないので、美しい気持ちになるためには、勇気が必要ですが、まだまだ足りませんから、勇気をもらいたいです。よろしくお願いします。
 俳句を作っているのでみんなに聞いてもらいたいのでよろしくお願いします。美しい歌も作っているので。

Cさん(女性):あのね、なぜ自分は何者かと考えるの? 私は私。ラフに考えよう。まだ私にはわかりません。もっと、やさしく、先生教えてよ。母を見ていると、私とは何?と考えてないよ。

Dさん(男性):先生、自分とは、ということについての質問でいいでしょうか。僕は自分を見つめる時間があまりにも長くて、たまらなくなる時もあります。障害を持ったおかげで、先日の利光さんが天井ばかりを見ている生活なんかいやだとおっしゃったけれど、今まさに僕は天井を見つめている生活をしています。自ら動けないということは、こんなにも限られた世界観を植え付けるものなのかと、本当は思っていましたが、あの授業(3時間目)では、学生が障害者に対して、かわいそうとかと思われるのも嫌だったので、言いませんでした。僕の今までの自分探しは、時間があるのに何もできない自分にどう立ち向かうかでした。僕たちは、こんなにたくさんの言葉を言っているのに、僕の気持ちを本当にわかってくれる学生が何人いるでしょうか。自分とは何もできない、悔しい存在でもあります。こんちくしょうと思っては見ても、動けない、しゃべれないという、この現実にすごく悔しい日々が続きます。文章ではかっこいいことを言っていますが、確かに介助してくれる人には感謝していますが、僕の気持ちを聞き取ろうと、ボードを持ってくれる勇気のある人がなかなか現れないのが現実です。自分はどこへ向かうのだろうか。僕の人生はこの先どうなるのだろうか。そんなことを考えさせられた授業でした。学生の中には居眠りをしていた人もいたけど、あれは、自分でできることが多い人の怠慢のように思われました。僕らは、体力もなくて、聞きたくても聞けない授業もあるのに、聞こうともしない人が小学校の先生になるのは、どうでしょうか。先生の言葉も大切だと思いますよ。教育とは人を育てるものです。僕は寝ていた人に教わりたくないです。

Eさん(女性):いつもわからないことがあります。私の意見は、運命だと思ってあきらめています。運命だからしかたないというのは、おかしいでしょうか。

Bさん:私はいつも運命だと思ってあきらめるの。運命とは、戦いたいと思っています。

Eさん:私も戦いたいと思っていますが、どうやって戦えばいいかわかりません。

Aさん:いつもみんなといっしょに戦っています。戦い続けています。私の戦いは、運命というものを、私から忘れることです。

Dさん:戦いとは相手がいることで、Aさん(女性)さんのお母さんは、Aさん(女性)に誰を戦いの相手だと言っていますか?

Aさん:私は私自身と戦っているので、誰かと戦っているわけではありません。

Dさん:自身との戦いでは、負けたとき、自分がこわれちゃうよ。

Aさん:私は別に私自身と戦っても負けるわけではありません。私の戦いは私自身との戦いですが、いつもいつも私の勝ちです。それは、私は私の運命を忘れて、私らしく生きていくことを、私に課している。あえて言えば、そういう言い方になります。勇気があれば、私はいつも勝つことができます。運命にはいつも負けたくないので、私はいつも私に勝っています。私の殻に入っているわけではありません。私の運命と戦っているので。

Dさん:社会に自身の考えを発しようよ、この会を、僕らのような障害者でもこんな熱い想いがあるということを。そう僕は思っています。

Aさん:私の中に閉じこもっているわけではありません。社会との戦いは、まだ始まっていないので、これから社会との戦いを考えたい。

Eさん:私はまだ私の言いたいことを言えていないので、私は運命のままに置かれたままになっているので。

Cさん:ねがっていてもしかたない。方法を考えよう。

Bさん:私らしくなるまでの戦いができない。自分の気持ちを伝えることができない。戦いが始められていません。

Dさん:戦いではなくて、僕らの想いを伝える詩でも文でも、君のやってる俳句や短歌でも、形になって世間に出せば、その反応をみることができる。

Cさん:Bさんさん、いい笑顔になった。

Dさん:Mくん(学生)、僕らのこの話し合いを文章にしてくれますか。学校中に配って。僕はせっかく作ったこの会を、どうにかして社会とのパイプにしたいと願っています。それには、ここに来てくれた動けるいい人たちにお願いして、助けてもらいたいと思いますが、どうでしょうか。

Eさん:どうやっていったらいいのか、よくわかりません。私の言いたいことを歌にしてみたけど、あまりわかってもらえませんでした。わかってもらったのは、仲間ばかりでしたから、私はまだ社会の人がわかってくれたとは思いません。私の歌はわかってくれたのは、いつも仲間ばかりでした。もっともっと勇気を持っていきたいと思います。

Aさん:歌を聴かせてください。

(Eさんが作詞した『野に咲く花のように』の歌を流す。)

野に咲く花のように私はばてない
無理せず生きてゆけばいいこともあるはず
遠くに舞い降りた鳥のように見える
希望に向かって呼んでみよう
願いはただ一つ
たとえ道は遠くても夢さえなくさずにいけたらと思う

目の前に続く道は楽な道ではないけれど
へんてこな私だって戦い続けていきたい
悩みがあまりに多くて前が見えなくなっても
野に咲く花のような気高さでもって生きていこう
いつまでもへこたれないで

Aさん:私にはとてもよくわかりました。私には、Eさんの戦いがよくわかりました。

Dさん:僕は全然それでは進まないと思うけど、だから、号外を出して。ひとりひとりの意見をまとめるというよりも、ひとりひとり

にこんなにたくさんの想いが詰まっているんだと、知ってほしいです。F君(学生)、M君と一緒にお願いします。僕も本当は動いてみたいですが。

Eさん:私の言いたいことを、忘れてしまっていました。弱気になっていました。歌を作った時は、そう思っていたけど、わかってもらえないので、弱気になっていました。私の言いたいことは、私が忘れてはいけませんね。私が言いたいことを大切にしていきたいと思いますので。まだまだわかってもらえません。

Bさん:言いたいことがいっぱいあるけど、伝わらないのが悲しい。私の言いたいことはいつもわかってほしいということです。
(Dさんの母の50音表の介助に変わってみる)
Bさん:Bちゃんはとても手が動きにくいけど、気持ちはいっぱいあるよ。みんなの意見もすごくすてきだし、Bちゃんだって負けてないよ。気持ちはたくさんあるから、短歌も作っています。みんなと社会に発信できることを初めて聞き、うれしく思いました。学生さんが、あんな風に手伝いを簡単に引き受けてくれるなんて、うれしくてうれしくて夢のようです。Bちゃんって、(自分で)自分のことを言ってたの、ママは知っていますか。ママ、私はBちゃんって言っていますよ。いい子です。ママをとても愛しています。いつまでも私と短歌を作り、それを社会に出せたら素敵ですね。いい会になりそうです。お友達も増えて、とてもうれしいです。Bちゃんは幸せ。先生、素敵な会を思いついてくださって、本当にありがとうございました。Bちゃんは幸せ。みんなも幸せ。M君、F君もいい人ですね。会えてよかったです。

Aさん:(Dさん(男性)の母のボードの介助)
 私はもっと話がしたい。みんなに負けない気持ちがあります。Aさんはちょうちょになります。たくさんの友達、素敵です。M君、素敵。私も握手をしたかったのに、おばさん気をきかせてね。たくさん話したい。私だって生きています。気持ちもあるよ。みんな見て、私がいることを。みんな、知って。いい日になれたな。

 一人一人の気持ちを聞き取ることから互いの語り合いへと、新しい時代が切り開かれてきました。それは、まだ、密かな到来ですが、歴史の歯車が反対に進むことはありません。日本の障害者の歴史の大きなターニングポイントは1970年だと言われます。これは、主として身体障害のある人々を中心としたものでした。その20年後の1990年、知的障害者の本人活動のスタートが切られました。そして、今年はその20年後にあたります。言葉を閉ざされてきた人たちの新しい時代の始まりであることを私は確信しています。
 
 次回のきんこんの会は、6月15日に開催します。
  
2010年5月28日 13時38分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年05月16日(日)
きんこんの会5月18日のお知らせ
 すっかり間際になってしまいましたが、改めて、5月のきんこんの会についてお知らせいたします。
 今月は、18日火曜日です。3時から私の研究室のそばにあるゼミ室を使用して、行いたいと思います。
 今回は、特別な企画はありませんので、ゆっくりと語り合いながら、これからのことなど、話し合っていけたらと考えています。
 お車で来られる際は、正門を入った駐車スペースに止めることができますので、駐車した後、受付で駐車許可のカードをもらってください。わかりにくいこと困ったことがあったら、どうぞご遠慮なく携帯にお電話ください。
 この日の私の講義は2時間目が411教室で「ボランティアと社会参加」(午前10時40分〜12時10分)、3時間目がAV1教室で「発達と学習」(午後1時10分〜午後2時40分)です。授業への参加も大歓迎です。
 参加できる方は、ご一報いただけるとありがたいですが、突然いらしてもまったくかまいません。
 よろしくお願いします。
2010年5月16日 21時34分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年05月03日(月)
きんこんの会の報告とお知らせ 5月は18日です。
 5月のきんこんの会は18日に行います。時間は、3時からです。2時間目と3時間目の授業に参加してくださる方、大歓迎です。
 また、近づいたら改めてお知らせします。以下、4月の会の報告です。

 4月27日にきんこんの会が開かれた。集まったのは援助によるコミュニケーションによって気持ちを表現する11人のメンバー。そのうち6名は親御さんによる通訳で、その手段の内訳は、50音の文字盤2名、ローマ字の文字盤1名、パソコンの2スイッチワープロ1名、あかさたなと聞いていく方法1名であった。そして私はあかさたなと聞いていく方法で5人のメンバーの通訳をした。
 当日は脳性マヒの当事者で言語障害はありながらも自由に音声言語は操って地域で福岡で自立生活を営む利光徹さんを2時間目と3時間目の講義のゲストに迎えていた。メンバーの幾人かは3時間目の利光さんの講義から参加した。発達と学習という講義題目なので、半ばこじつけながら、利光さん自身の青年期のことを語っていただいた。利光さん自身生涯でもっともきつかったという孤独な閉ざされた10代の半ば、突然、親から、自分たちが死ぬ時は一緒に死んでくれと告げられ、まだ何一つやりたいこともやっていないのに、死ぬわけにはいかないと思いつつも、その先が見えない苦しみの中で、仲間の集まりに通うようになる。一歩町に出てみると、バスの乗車拒否に始まり、喫茶店の入店拒否など、たくさんの理不尽な差別にさらされた。そこで、しだいに気づいていったことが、なぜ自分たちが当たり前に生きてはいけないのかという思いだった。利光さんたちを阻んだのは社会の厚い常識の壁だったが、利光さんたちの闘いは、その常識の壁を打ち破っていくことだった。そして、26歳のとき、今やらなければ一生もうそのチャンスはないだろうと考え、家出同然でアパートを借りて自立生活を始めるにいたったという。
 自力で話ができるということにおいては状況が異なるとはいえ、社会の常識の壁に阻まれて当たり前のことが当たり前のこととして認められないということにおいては、同じ状況にあるメンバーにとって、みずからが直面している抜き差しならない問題そのものが語られていく。中には、話に共感するあまり、声が出てしまうメンバーもいた。
 そして、授業のあと、教室を借りて、きんこんの会が催された。話題は、もっと勉強がしたかったということや、どうやったら自立生活ができるのか、親との関係はいかにあるべきかなど、それぞれが様々に語った。これまで、ともすると個別的な関わり合いに終始しがちだった関係が、横につながるということの意味の大きさを痛感させられた一日となった。まさに青年期のただ中にあり、しかも、未来が容易に見えないという状況の中を生きる若者たちの言葉を聞きながら、利光さんの発した言葉は、よくみんなしっかりものを考えているということだった。もちろん、それは、利光さんが差別を見つめることによって確かな生き方を見いだしたことと相通ずるものである。言葉を禁じられるという厳しい状況の中で研ぎ澄まされてきた気持ちが、おのずと、深い意見を引き出していたと言える。そして、利光さんは、みんなの課題は、私や家族ではない学生のような存在に、通訳者を見いだすということだと語った。
 まだ、手探りの会だが、新しい時代を切り開く動きの一つとなったらと心から祈っている。
 会の後、居酒屋で二人になると、利光さんは、社会に迷惑をかけないということにしばられていた自分の母親の時代に比べて、確かに、今の母親の意識は大きく違っていると感想をもらした。そして、通訳の方法について、彼らが話しているということを自分はまったく疑わないと言った。それは、本人を見てればわかると。自力で話すということにおいては、利光さんは私たちと同じ側にいる。しかし、やはり、利光さんは、彼らの気持ちのすぐ側にいるということがわかった。
2010年5月3日 23時34分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年04月18日(日)
きんこんの会 4月の日程
 以前に予告しましたが、援助によって気持ちを表現している人たちがともに語り合う場である「きんこんの会」を4月27日、國學院大學たまプラーザキャンパスの柴田研究室にて開催いたします。
 参加はご自由ですが、人数をあらかじめ把握しておきたいので、ご一報いただけると幸いです。大学に到着した際のご連絡方法なども打ち合わせておきたいと思います。
 時間は、次のようになります。当日2時間目と3時間目は授業があるのですが、ご希望の方は、そこからご参加下さい。この日は、利光徹さんという福岡市で自立生活を送る脳性マヒ者の利光徹さんという私の授業の常連のゲストに来ていただき、2時間目と3時間目では彼を交えた授業を行います。

きんこんの会 午後3時から 柴田研究室にて(2号館5F)
2時間目の授業「ボランティアと社会参加」 午前10時40分から411教室
3時間目の授業「発達と学習」午後1時10分からAV1教室

 
 終わりの時間は特に定めていません。(利光さんとは夜まで約束しています。)
  
 初めての試みなので、いろいろと行き届かないことも多々あるかと思いますが、よろしくお願いします。
2010年4月18日 10時28分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年03月19日(金)
きんこんの会の船出
 個別的な関わり合いの場から、お互いの気持ちを語り合う場へどうやって発展していったらいいのか、その答えの一つが、ようやく出た。研究室が横浜たまプラーザキャンパスに移ってもうすぐ1年になる。ゆったりとした空間でできることはないかと、思い巡らしてきたが、答えはひょうんなことから訪れた。ともかく、来れる人で集まってみよう、それがきっかけだった。1月に町田のかりんくらぶのメンバーの三人と、横浜在住の青年とが私の研究室を訪れた。たまたまみんな去年の3月に学校を卒業した社会人1年目のメンバー。通訳を会しながら、話しは面白いようにはずんだ。そして、次の日程を3月に決めた。
 横浜の青年と、かりんくらぶの女性1名は、体調不良で残念ながらこれなかったが、今回は、新宿の学習会サロンのメンバーが二人があらたに参加してくださった。
 そして、そこへ、何と、東大駒場の哲学の先生まで来てくださって、話は哲学からコミュニケーションの方法まで、縦横無尽に広がった。
 そして、そんな会話のさなか、かりんくらぶのメンバーの女性が、突如、この会の名前を「きんこん」にしようとパソコンで綴った。意味は響き合いとのこと。ひそかに、いつか会を作るとしたらどんな名前がいいだろうと想像をめぐらせていた私の貧困な想像力をはるかに越えて、すばらしい名前が提案された。
 4月から、学生も交えながら、どんな展開ができるか、まったく未知数だが、来れる人が月に1度でも集まって言いたいことを言い合い
ながら、みんなの存在をどうやって社会に認めさせていくかを考えていきたいと思う。
 開催日は、このブログで公表していこと思う。もし、興味のある日尾は、ぜひ、ご自由に参加していただけたらと思う。
 
2010年3月19日 00時49分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年12月28日(月)
Tさんからのメール 2009年12月22日
 Tさんの言葉のメールが届いた。きっと、私のブログの誰かの文章を読んでくれて書いたものなんだと思う。

ぬいぐるみのようなじんせいもなける。
さびしいときにともとゆっくりといまははなしがしたいのにひとりがやっぱりわたしにはまっている。
ぬいぐるみのようなじんせいをおわりにしよう。
いぬたちがぼくをげんきづけてくれる。

 そして、犬の写真も一緒だった。彼を元気づけてくれる犬の澄んだ瞳が印象的だ。

2009年12月28日 23時23分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年12月12日(土)
学生たちと声を合わせて〜「ぬいぐるみの歌」と「未来の夢」
 11月のある日、20代前半の☆☆さんをたまプラーザキャンパスにお招きした。6月に引き続いて2度目だ。今回は、☆☆さんのことを以前から取材している音楽療法の雑誌の編集者の方もご一緒だった。
 歌が大好きな☆☆さんだから、必ずや歌を作っているにちがいないと思ったので、今回の日程を打ち合わせる時のメールに、歌を聞き取りたい旨を書かせていただいておいた。
 最初、少し、手をふる方法で話して、彼女のパソコンを開いていただいた。彼女のご両親はスイッチの介助がおできになるので、毎日日記を書いているパソコンである。


 感激です。いい気持ちでした。明るい光がさしてきました。人間として小さく夢を紡いできましたが、ようやくかないました。
 勇気がほしいです。
 願いは私のもっと私らしさを表現したいです。未来が開けてきました。いい気持ちです。
 ずきんとするような痛みを感じることもありますが、それも乗り越えていくことができそうです。ぬいぐるみのような生活にもお別れです。人間として認められてうれしいです。小さいときからの夢でした。


 そこで、歌のことに話題を向けた、するとさっそく、歌詞が書かれた。題は「ぬいぐるみの歌」。

小さいぬいぐるみ なぜ泣くのだろう
きのうの悲しい思いかしら
泣くのはやめて みんなも同じ
ひとりぼっちのさびしさに
ろうそくをともして生きている
小さいぬいぐるみ なぜ泣くのだろう
人生はもっと輝いているよ


 そして、手を振りながら「ドレミファソラシド」と言いながら、ひとつずつ音をひろっていった。☆☆さんは、この方法は初めてで、驚いた様子ともに、こみあげるような笑いを浮かべながら、メロディをつたえてきた。



 そして、歌を伝え終わると、次のような感想をくれた。

 信じられません。歌を聞きとれるとは思いませんでした。小さい頃から気持ちをしずめるために歌を歌っていました。理解してくれてうれしいです。未来が開けてきました。うれしいです。

 そこで、私はよくばって、まだほかの歌はありますかと尋ねると、

もっとありますが聞いてもらえますか。

 そして、「未来の夢」という歌が書かれた。

人間として生まれて生きてきて
私は夢をかなえたい
未来の夢は願いの理想
光の中で光り輝き
太陽のように 遠くをてらす
私の私らしさを願いながら
私は私の理想を紡ぐ
 



 そんな時、数名の学生たちが授業を終えて入ってきた。6月にも☆☆さんと会った学生たちだ。
 ☆☆さんとしばらく語りあっているあいだに、音楽に造詣の深い編集者の方にお願いして楽譜にしていたいたので、研究室においてあるギターの伴奏で、歌ってみることにした。
 ☆☆さんの心の中で静かになりひびいていた歌が、同世代の若者の歌声によって部屋中にひびきわたった。すばらしい瞬間だった。
 ☆☆さんも、本当に喜んでくださった。
 後日、女子学生が☆☆さんの歌について語りにやってきた。「ぬいぐるみの歌」は、やっぱり、自分のことなんですよねと言いながら。歌を通じて、☆☆さんの思いは、深く伝わった。
 
 
2009年12月12日 02時38分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年07月06日(月)
臓器移植法案をめぐって
朝1時間目の授業に、O君がやってきた。3時間目の授業にはなんどか参加できたが、早朝からのこの授業には初めてだ。パソコンを通じた彼からの学生へのメッセージは、次のようなものだった。(原文はひらがな)

朝からみなさん早起きですね。人間として認めてもらえるかどうか、理解しているかどうか、眠っているように見えるかどうか、心配です。僕の言いたいことを聞いてください。技術的な問題はあるかもしれませんが、自分たちはみんな気持ちを持って生きています。みんな伝えたいことがいっぱいあります。みんなもう一度生まれ変わったらやりたいことがたくさんあります。人間の権利というものがあるということは盗人にも権利があるということですが、僕たちにはちっとも権利は認められていません。理想は学校で本当の勉強ができるといいなと思いますが、まだ僕たちにはそんな簡単なことが認められていません。理想は、学校で本当の勉強ができるといいなと思います。まだ僕たちには、そんな簡単なことが認められていませんが大学に行きたいと思ってもずっと前から物理的に無理だということがわかってしまいました。人間として日本の中で生きて大変なことですが、僕たちは、自分たちの意見を言って生きていかなくてはいけないということにようやく気づくことができました。わかってくれようがくれまいが自分たちの意見を言わないと何も変わらないということがわかりました。人間として生きていく楽しさだけでなく、苦しさも含めて言いたいことを言っていきたいと思います。

 この後、彼は、文字盤で臓器移植問題について語る。記録がないが、彼は、私や病院の主治医と対話を重ねたりしながら、脳死状態と判定された、あるいはそれに近い状態にある障害のある子どもの問題について心を悩ませていて、自分にとっては人ごとではないということをいい、自分としては、もういっぱい苦労してきたから死んでまで苦労したくないから今はドナーにはならないと語った。
 この日の2日前、ある関わり合いのグループで、このことを何人かが問題にした。その資料もこの授業では紹介した。

K君(10代男性)(パソコンで:原文はひらがな)

今朝質問を考えました。脳死と死とは同じでしょうか?脳死は死ではないと思います。柴田先生、たとえば僕が脳死と言われたら、臓器移植はしません。つらいことが多かったので移植の手術はしたくありません。

Hさん(10代女性)(筆談で:原文はひらがな) 取り上げていた”脳死”について、K君から意見を聞かれて

脳死は人の死ではありません。人は命がある限り生きているはずだと思います。生きているとは命があるということ。命がある限り、生きているはずだと思います。生きているとは命があるということ。命があるというのは、意志があるということ。意志があるとは意味があるということ。意味があるとは、命が続くということ。命が続く限り、命は意味がある。命の意味がある限り人は生きていけるはずだ。人は命の限り生きていく。生きていくとは命をつなぐこと。命をつなぐとは、意味をつなぐこと。意味をつなぐために意志をつなぎたい。意志をつなぐために意志を伝えたい。意志を伝えるために、みんなとつながりたい。みんなとつながるために私は生きていく。私が生きていくのは命をつなぐため。私が命を伝えたら、命はきっとつながる。命はきっとつなげられる。命はきっとつないでいくはずだから。命は一つしかない。一つだけの命を、一つだけを大切にしたい。一つだけの命はいつまでもつなげていきたい。命はつなげていくもの。命はつながっていくもの。一つだけの命を大切にしたい。大切につなげていきたい。大切につなげるために私は生きていく。私は一人の命として生きていきたい。生きたい、生きたい、生きたい、生きたい、生きたい、生きたい。
関わっていた妻は、Hさんに”脳死になったら臓器移植を望みますか”との質問をした。

移植はしません。しない理由は大切な体だからです。したくないのは、いつも同じ気持ちです。したくない理由は、もう一つあります。なぜなら、私は親から与えられた大切な子だからです。私はこんな体だけど大切に育てられたので、大切に生きていきたいと思います。大切に生きていきたいです。のhしは人の死ではない。脳死は人の命をつないでいる能力が少し弱くなっただけです。少し弱くなっただけで死だとされるのはつらいことです。死は一つの命が消えること。死は人の命をなくすこと。死は人の命の意味を消すこと。死は人の命をつながないこと。死は人の命を断つこと。死は罪です。死ぬことは罪です。死はとても大変な罪です。大変な罪だと思います。死は始めから決めるべきこどではありません。死は定められるものではないと思います。死は定められてはいけないと思います。死は定められるべきではない。死は定められない。死は定めるものではない。死は気になることだけど、死は気にしても仕方がない。死は気にしてもいつかやってくる。死は気にしてもいつかやってきます。死は気になるけど避けられない。死は気になるけど定められた運命。死は気になるけど、気になるものだけど、決められないことです。決められないので仕方がありません。死は逃れられない。死は逃れられない。死はいつかやってくる。死が望まれないのは、命があるから。命があるから

Nさん(20代女性)(パソコンで)

脳死は人それぞれの姿勢です。死は気遣い、くの苦労しだいで決まってくると考えています。人とは奇跡と初めて気がつくと、好きな奇跡、意味相応に生きるのです。生きていれば奇跡はきっと来て、静かにあかりを照らす。奇跡信じて生きていきたい。人間、くししつつ奇跡に手が

 臓器移植法案が衆院を通過した時、とたんに脳死ないし脳死に近いとされる障害のあるお子さんたちが紹介された。青い芝の会の利光さんは、以前から臓器移植法案に反対しながら、この話は障害の重い子どもをすぐに巻き込むことになるとおっしゃっていたが、まさかこんなに早く報道されるとは思ってもみなかった。確かに、1年ほど前、読売ウィークだったかが脳死の子どもたちという特集をした時に不気味さを感じたが、すでに事態はここまで来ていた。私は、いちいち自分の関わっている相手の方の脳波の所見がどうなっているかなど聞くことはない。だが、脳死ないし脳死に近いとされる子どもたちは、私が関わっている人たちと同じ状況にあるように見える。単に可能性に過ぎないが、私には彼らにもまた言葉があるように見えるのだ。
 そして、期せずして、当事者たちから意見を聞くことになった。臓器移植を待ちわびる人たちのことを思うと口は重くなってしまうが、少なくとも私は、脳死ないし脳死に近いとして報道される子どもたちの言葉の可能性を感じる以上、脳死の議論を非常に危ういものと感じないわけにはいかない。

 なお、ブログで紹介する文章をできるだけ漢字まじりの文章で表すことにした。置き換えのミスもあるので、慎重にやらないといけないが、これは、ある学生さんからの指摘による。これだけの内容を綴る方々は、本当は感じで表現したいのではないかという指摘だった。そのままコピーする手軽さと、ひらがなだけで綴られる文章が、いかにも臨場感を出すのではないかなどと漠然と考えていたが、この学生さんの指摘は大変納得のいくものだった。大変ありがたい指摘だった。漢字の使用の個人的な好みには合わせられていないが、やはり、こうした形で表現されるべきものなのだろう。そして、情報保障という観点からは、ふりがなをふる必要もあるが、これは、単なる手続きの煩雑さの理由だけからご容赦いただきたい。
2009年7月6日 21時00分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年06月19日(金)
大学の授業で
 大学の授業で、今年3月に学校を卒業した男性方が、同い年の学生に話をしてくれた。この授業では、学生と同世代のゲストは3人目になる。一部の学生は、慣れもあってなかなか私語をやめない。注意をすると雰囲気も悪くなるし、いくらなんでもやむだろうと考えて、特別の注意もせず、話を始めていただいた。

 わたしのなまえ○○○▽▽▽▽といいます。
名前はいいですが、不自由な体で見たとおりの体です。自由に言いたいことが言えないので、自分の気持ちを伝えることがむずかしいです。
聞いてほしいことがあります。自分たちは、見た目で判断されるので人間として認められないことがあります。びっくりされるかもしれませんが、小さいときからぼくらは人間扱いされてきませんでした。

(一部の学生が私語をやめなかったことに対して)
 なぜ話を聞いてもらえないのでしょうか。残念です。小さい時からなかなか自分の気持ちを聞いてもらえなかったので慣れていますが、ない機会なので、大事にしたいと思います。
 自分にとってびっくりすることは、分相応の生き方をしていても、禁止されることが多いことです。ぎちぎちの決まりやずっとぞんざいに扱われてきたことで、なかなか人を信じられなくなっています。自分にとって小さい頃のみなさとの記憶が早くなくなればもPっと素直になれると思います。小さい頃のいい思い出がなかなかありません。小さい頃からみんなからばかにされたり人間扱いされなかったので、人間として聞いてほしいです。人間らしく生きようとしてもなかなかまわりは理解してくれません。人間として扱ってほしいです。小さい頃からのどうしても果たすべき夢でした。
 みなさんはなぜ学校で勉強しているのですか。びっくりするかもしれませんがぼくは学校で何も教えてもらえていません。小さいときからずっとそうでした。小さいとき―眠っている人がいるのがいらいらして話せません―から話せなくてみんなから無視されてきたことがつらかったです。みんなも勇気を出して言いたいことを言ってください。小さいときからの疑問でしたから聞きたいです。
びっくりしているのですか。なぜ何も言ってくれないのですか。

(学生:学校ではどんなことをやっているのですか?)
歌とか感触遊びとかずっとやってきました。みんなが幼稚園の時にやっていたものです。
(学生:今まででいちば楽しかったことは何ですか?)
 自分の気持ちが言えたことです。願いでしたから、気持ちを聞いてもらえるとは思いませんでした。びっくりしました。そんなことができるとは思いませんでしたからうれしかったです。人間として認められたような気持ちがしました。自力で話せるようになりたいです。小さい頃からの夢でしたが、なかなか信じてもらえません。学校の先生は、信じてくれませんでしたから。きびしいです、生きるということは。学校には行きたかったです。普通の勉強がしたかったです。分相応の生き方でも、ぎちぎちなのはいやです。みんなと同じ勉強がしたかったです。(学生:将来の夢はなんですか?)
将来の夢は夢に過ぎませんが、一人で生きていくことです。唯一のゆめです。だけどむずかしそうです。ぎちぎちの世の中ですから。
今日はいい機会を与えていただいてありがとうございました。自分の気持ちを人前で話したのは初めてです。自分の気持ちを聞いてもらえてありがたかったです。なかなかうまく話せなくてすみませんでしたが、よい時間をありがとうございました。


 けっして学生にはただ耳障りのよい話とは言えなかった。私語や居眠りをきっちり指摘する強さは頼もし限りだったが、生まれて初めて人前で語る自分のことを、本当に受け止めてもらえるのかと不安に思わざるをえないこれまでの日々を思うと胸がいたんだ。 
 途中私も、対等ということを学生に語った。
 これまでの歴史は、目の前の学生たちとあまりにも違うが、○○○さんを受け入れる同世代の対等な存在が、彼に自信を与えてくれたにちがいない。
 研究室にもどり、リラックスした雰囲気の中で、彼には詩を書いてもらった。次の通りである。

いい風が吹いてきて
においのいい風とぼくのハーモニーが
どこからともなく聞こえてきた
人間として初めて認められた
願いを携えて分相応の道を生きていこう
小さな頃の緑と白の交差する道を
南に向かって歩いていこう
別々に夢を見てきた私たちが
ここで一つになり
別々のよい小さな願いを分かちあいながら
じっとあしたを待ち続けよう
別々の時間が一つになり
別々の夢が一つになるとき
人間として生まれたことを誇りに思いながら
未来に向かって道を切り開いていこう
人間として生きながらえるだけではなく
一人の人間として生きていきたい
ぬいぐるみのような生き方に沈黙させられるのではなく
人間として誇りをもって生きていきたい
願いはびりになってもいいから普通の学校に行きかった自分もいて
夢いっぱい見ながら 今日まで生きてきた
自分の夢だけではなく 仲間たちの夢をともに理解しながら
人間としての道を切り開いてきた
夢は広がって 夢としてずっと小さな光を放ち続けているけど
小さい頃の夢は自分一人ぼっちの夢ではなく
分相応ではあっても仲間とともに見る夢だ
別々の夢が一つになって小さな光を放った
別々の夢が一つになって見知らぬ世界を開いてくれた
小さい人間でも願いは同じ 誇りを持って生きること
小さい人間でも願いは心の中で よい光を放っている
 小さい光かも知れないが 光は永遠の光として心の中でかがやき続けている
自分と仲間のために きっといつまでも
2009年6月19日 01時53分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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