数年にわたって通い続けた通所施設にお別れをすることになった日。文字盤や手の合図でコミュニケーションのとれる○○さんと、2スイッチワープロでゆっくりと会話できた。
いいすいっちですね ほしいです ひとりではむずかしいの
ねがいはじぶんひとりでやれるようになることです
ちいさいときからのゆめでした
きぼうがでてきました
じのべんきょうはちいさいときにしたのですが あとはふつうのがっこうにいけなかったのでべんきょうしていませんでしたから あまりむずかしいかんじはわからないけど だいたいのかんじはしっています
彼は、そのコミュニケーションの力によって障害は運動障害のみであると思われてきた人だが、勉強が十分にさせてもらえたわけではなさそうで、その無念の思いが伝わってくる。彼は、また、たくましい方で電動車いすで自在に行動している。そんな彼が次のような思いをしながら町中を移動しているとはなかなか気づきにくいことかもしれない。
きいてもらいたいことがある
きのうきんじょでちいさいこどもをつれたおとなにばかにされて くやしいきぶんになりました
きんじょのひとはみんなやさしいけど しらないひとはみんなつめたい
きんじょのひとたちとはうまくいっているけどくやしい
たたかってきたけどしらないひとはさべつてきです
さべつはとてもなくならない
そして、差別という言葉から、次のように話題が切り替わっていく。
きっとじぶんもさべつをしてきた
しょうがいのおもいなかまをりかいしてこなかった
いしがあるとはおもわなかった
ちいさいうちはりかいしていたけど だんだんそまってしまった
きたないこころになってしまったのがかなしい
さべつしてしまってもうしわけない
じぶんもしょうがいしゃなのにはずかしい
(○○さんを差別した人とはちがうのではないですか?)
ちがわないとおもう
きちんとあやまりたいとおもう
さべつてきだったじぶんをかえていきたいとおもう
この通所施設で、私たち夫婦は、多くの重度といわれる人たちの言葉の存在に気づかされてきた。それを見ていた彼が、率直に述べた言葉である。私もまた、差別してきたということを重く受け止めなければと思った。
この通所施設での関わり合いには、一区切りがこれでつく。障害の重い人や自閉と呼ばれる人たちの言葉の存在を明らかにしてきたとはいえ、その方法を必ずしも伝え切れているわけではない。関わり合いがとぎれることで、その方々は、再び、表現の機会を失うことになるかもしれない。それを思うと後ろ髪を引かれる思いだが、また、いつか再会する日もあることだろう。そして、○○さんが、きっと彼らのことをきちんと代弁してくれることだろう。
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2009年2月22日 14時36分
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都内のある通所施設でお会いしている女性が、気持ちを表現できることの喜びを述べたあと、北風の詩を書いた。
すばらしいじぶんのきもちをかけるのは
いしをつたえることができるようになってからなやみがなんでもいえるようになったのでせかいがひろがりました
じしんがでてきました
じぶんのきもちをきいてくれるのでたすかります
ぬいぐるみのじんせいにおわかれすることができました
きたのくにからふくかぜは
すなおなじぶんにねがいがかなうようにとふいてくる
きたのくにからふくかぜはさいはてのくにから
ちいさいじぶんにきぼうをつたえるためにふいてくる
きたのくにからふくかぜは
きのうのじぶんにじしんをあたえ
しらないくにのきぼうをじぶんにくれた
にしのくにからふくかぜは
かなしいこどものこえにみちあふれ
すぎたむかしとすぎたかなしみをつたえてくる
いいたのしいきぼうのかぜは
きたのかなしみをのせてきたのほうからふいてきて
じぶんにきぼうをくれる
じぶんにじしんとゆうきをあたえ
きたのくにからふいてくる
きたのくにからふくかぜは
じぶんにじしんとゆうきをあたえ
ひとりきりのじぶんにきぼうをくれた。
家庭でも、ご両親とパソコンで気持ちが書けるようになり、生活が変わったとのことだ。
重い内容の詩だったが、時折こみあげてくるような笑いとともに、とても満ち足りた表情で書いていたのが印象的だった。
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2009年1月9日 21時32分
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自閉と呼ばれる二人の男性とワープロに挑戦した。一人は、スライドスイッチで、もう一人はプッシュスイッチで。ともに、自由に行動できる方だが、これまで、パソコンでは、主に、音楽がなるソフトを中心に関わってきた。その彼らに、ワープロに挑戦したのは、先月、東田直樹さんの講演会を聞いたことも大きかった。前から、よく言葉を理解していると思われるお二人だったから、可能性は十分にあると思われたのだ。
まず、○○さん。スライドスイッチを介助して書いてもらった。
なぜわかったの ぼくがことばがわかっていることが
ねがってきた ことばではなしをすることを
ちいさいころからきもちがつたえたかった
いいきぶんです きもちがいえて
(先月、○○さんのことを昔の彼に似ていると言っていた実習生の女性がいたけど、ずっと寄り添ってあげていましたね。覚えてますか。)
おぼえています きもちのやさしいひとでした つよくいきてほしいとおもってそばにいました よいこでした
きもちしんじてくれてありがとう
にんげんだからいいたいことがいいたいとおもう
しんじてください とてもくやしい
ちいさいころからいいたかったいいたいことがいっぱいあったけどなかなかいえなかった
きもちをことばでいえたらいいとおもってきた
(こんなこと聞いて悪いけど、どうしてつばを服にはいたりするのですか。)
つばはきもちをおちつかせるためです
またやりたいです
きもちがつたえたかったけどつたえられなかった
にんげんだからはなしたかった
きもちをつたえたい
ふしぎですどうしてわかったの ぼくがことばがわかっていることが
うれしいです
ことしもありがとうございました らいねんもよろしく
次は、▽▽さん。プッシュスイッチを一緒に押しながら、選択の場所で、ふっと力を押しつけてくるという方法で書いてもらった。途中で、妻が交代して、できた文章だ。
ちいさいときからはなしたかった
きもちをことばでいいたかった
くやしかった
ふしぎことばがかってにすらすらでてきます
ねがっていました じぶんのきもちいえるようになることを
すいっちがほしい かいたい
ひまなときやりたい
いいすいっちですね
たのしかった
(○○さんも書いたんだよ。)よかったね
すばらしい
りかいをありがとう
私にとっては未知の領域に足を踏み入れた感じだ。いつもは、すぐに立ち上がって行ってしまうのに、ずっと、パソコンに向かい続けたお二人だった。
お二人の、ふだんには見られない、心のそこからの笑顔が印象的だった。
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2008年12月21日 01時04分
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都内の通所施設でのできごと。6月に初めて文章を綴り、9月にご両親が見に来られた◇◇◇さん。さっそく、おうちでも取り組み、自由に気持ちを伝えられるようになっていた。日記として、ほとんど毎日パソコンに向かって来られたとのこと。とても、励まされる話だった。
いただいた日記は、ご両親との会話が満載だった。祖父母への手紙、東京ディズニーランドの話、成人式の衣装の話、通所施設でのハロウィンの行事の話などなど。喜びがひしひしと伝わってくる日記だった。その中に、自由に書かれたものとして、繰り返し出てきたのは、ご両親への感謝の言葉だった。いちばん言いたくても言えなかったことが、この言葉だったのだとつくづく思う。
この日は、おとうさんにまずやっていただいて、私が代わった。すでに相当なスピードでうてるようになっておられるのだが、どうやって、さらにスピードをあげるかということを伝えるためだった。
◇◇◇(名前)。ありがとう。
ここまで、お父さんと書いて、私に交代。
みてくださってかんしゃしています。
ていねいな言葉遣いにお母さんが思わず感激。
つかいやすいです。ていこうがないのでかんたんです。
うれしいです。かんがえただけでことばがでてくる。
のぞみはみんなとはなせるようになることです。
このやりかたをみんなにおしえてあげてください。
すぴーどがはやいのでらくです。はやいほうがとてもつかれません。すばらしいです。
しんじてもらえてうれしいです。
ここで、文章のトーンが変わった。
ねがいはすなおなひとになることです。
今でもとてもすなおだよというご両親の言葉かけを受けながら、こう続けた。
だれとでもしょくじができることやせまいきもちにならないことです。すなおなきもちのひとがこどものころからのゆめでした。
言葉を話せないという状況では、受け入れられないことを、ていねいに断るということはできず、断固とした拒否というかたちでしか表現することができないことも少なくない。私も、そういう拒否にいろいろな場面で出会ってきたが、まさか、本当はすなおにすべてを受け入れるような人でいたいのに、拒否せざるをえないことに、本人自身が傷ついているとは、思ってもみなかった。ハンディは、すなおに生きたいという夢さえ簡単にはかなえさせてくれないのだ。
どうしてしばたせんせいはわたしがことばのりかいがあることがわかったのですか。おしえてください。
多くの方々が問いかけてくる質問だ。答えはいつも同じだ。わからなかった私に切実に訴えてきた方々の力によって、ようやく言葉の存在がわかるようになったということだ。扉を開いたのは私ではない。知らず知らずのうちに押さえつけてしまっていた扉は、そういう方々によってこじあけるようにして開かれたのである。
そして、最後にこう綴った。
しばたせんせいのおかげでじがかけるようになれたのでかんしゃしています。
おとうさんにもとてもかんしゃしています。
すぐにやってくれてすごくうれしかったー
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2008年11月8日 09時54分
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都内の通所施設でのできごと。
ずっと気にかかっていて、関わることのできなかった○○さんと、ようやく関わることができた。簡単な言葉を発してはいたが、どこまで、そのような力を秘めているかは、まったく予想はできなかった。ただ、これまでも、仲間がパソコンで文字を綴るのを遠くから、鋭く訴えるようなまなざしで見ているようなことがあることが、とても心にひっかかっていた。
そして、実際に取り組んでみると、一気に文章を綴り始めた。
てをつかえるなんておもわなかった
このすいっちがほしいです
ください いくらしますか かいたいです
ねがっていました じぶんでかけるようになることを
かのうせいをしんじてくれてありがとうございます
こんなにすぐにかけるとはおもいませんでした
しんじられません
なぜことばがりかいできるとわかったのですか
ともだちはわかってくれたけどおとなはりかいしてくれませんでした
がっこうのともだちです
×××しょうがっこうです
つかれませんすいっちがかるいので
すばらしいです このほうほうは。
あしたのきぼうがわいてきました
そして、このことを横でずっと見守りながら、応援をし続けていた車いすの▽▽さんに向かって、次のような言葉をかけた。
いちばんうれしいのは▽▽さんがよろこんでくれることです
すてきなともだちです
こんどいっしょにおちゃをのみにいきましょう
きぼうがわいてきました
ついにてをつかうことができました
うれしいです
じぶんでかいていてもじぶんでかいているきがしません
ところで、この通所施設には、2階に別の部門があり、そこに、私がかつて、関わったことのある◇◇さんがいる。彼女とは、この施設ができる前に、彼女が以前通っていた施設で関わったが、こちらでは、関わりは途絶えている。その彼女のことが突然語られたのだ。
うえのかいにいる◇◇さんがいっていました
ことばをきいてくれるひとがいるときいていましたがしらないのでわすれていました
◇◇さんはわたしのいえのちかくにすんでいます
ここで、本人から聞いたのかお母さんから聞いたのかと尋ねると、
ほんにんからです
と返ってきた。
かんげきしています
けしてこどくではありませんがしんゆうは◇◇さんだけです
◇◇さんは、かつてこんな文を書いた人である。ちょうど3年前の11月のことだ。当時は、今ほどに長い文章を綴る方法を発見していなかった。
◇◇(自分の名前)かわいいさ うれしい
くすりのみたくないから かあさんくすりへらしてください。
発作のコントロールのため薬をたくさん飲んでいて、いつもうつろな表情をしていたが、いったんスイッチを押すと、こんな文章を書いて、周囲を大変驚かせたのだ。
けっしてわかりやすい発声ができるわけでもない◇◇さんが、○○さんにこうしたことを教えていたというのだ。誰も知らないところで交わされていた二人だけの会話があったというそのことが、何か切なさをもって迫ってきた。
一方、話は、さらに大きな夢へと向かっていく。
もしねがいがかなうならいいひとといっしょにくらしたい
けっこんだってしてみたい
りそうのひとはかっこよくてやさしいひとです
おとこのひとです
そんなひとがあらわれることをしんじています
すてきでしょう?
20代の女性として、当然の思いだ。「すてきでしょう?」という言葉が、彼女の笑顔と響きあっていた。
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2008年11月8日 00時51分
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都内の通所施設でのできごと。
☆☆さんは、自分で何とか車いすをこいで、ゆっくりと短い距離ならできる方だ。短い言葉も話している。まったく表現手段を持たないと思われていた人の言葉を援助するということが多いため、こんなふうに話せる人は、あえて、パソコンでなくても、十分に気持ちを表現できているかもしれないと、つい思ってしまうことがある。しかし、実は、話すことも運動の一つである以上、障害は、発語にもおよび、思っていることの何分の一しか話せていないということが起こっているということも、最近、ようやくわかってきたことの一つだ。そして、☆☆さんもまさしく、そうした方の一人だった。
別のもっと障害の重いとされる方がパソコンをやっているのを遠巻きに見ておられたので、一区切りがついたところで、誘ってみた。はっきりとうなづいて、やる意志を表現した。
スライドスイッチの棒を握って、こちらがオンオフを軽く繰り返しながら、ほんのわずかな力が加わることによって選択の意志を読み取るという方法で、さっそく、2スイッチワープロを始めた。
まず、彼女は、手を使って文章を書ける喜びを語った。
のぞみねがっていました てをつかえるようになることを
てがつかえてうれしい
よくやれるとおもっていましたがきかいがありませんでした
ぶんしょうがかけるとはおもいませんでした
次に、私への質問が続く。
どうしてわたしがこんなにできることがわかったのですか
私は、いかに私がわからない人間であったかということ、そして、たくさんの障害の重いとされる方々によって、その間違った考えを打ち破られてきたこと。今だって、会ってすぐにこの人はこういうことができているから文字も綴れるというようなことがわかるわけではなく、これまでのそういう経緯から、可能性を信じていきなり文字に挑戦しているということを伝えた。
よくりかいしてくれてありがとうございます
のぞんでいたことがかなってとてもうれしいです
ふしぎですじぶんのきもちをすらすらかけるとはおもいませんでした
そして、この方法について質問や感想が語られる。
どうしてじぶんのきもちがよみとれるのですか
じぶんでかいているようなきがしません
すばらしいほうほうですね
彼女にとって、運動は、大変な努力の結果起こるもので、しかも、起こったその運動は、力が入りすぎ、しかも、とても制限されたものだった。しかし、このワープロでは、ただ、運動を起こすために身構えるだけで、スイッチがその力を拾えるので、不思議な気持ちになったらしい。
ついで、私への質問が続く。
せんせいはどこでおしえているのですか
どうして×××にきたのですか
ここで、いろいろ感じてきたことを書くように勧めたところ、内容は、いっそうシリアスなものになっていった。
くるしみからかいほうされました
かなしかったのはいつもちえおくれといわれてきたことです
だれもわたしのちからをしんじてくれませんでした
ぶんしょうだってかけるのにむずかしいことだってかんがえているのにことばがまともにしゃべれることもりかいしてもらえませんでした
でもとうとうほんとうのわたしをわかってもらうことができました
よくりかいしてくれてありがとうございます
ぶんしょうをかけることがわかってもらえてうれしいです
りそうはじぶんひとりでできるようになることです
ここで、突然だったが、自分で計算の問題を作って解いてみてほしいと尋ねた。テストをするつもりはなかったが、数の面でも、いろいろなことがわかっていることを明らかにしておいた方がよいと考えたからだ。すると、次のような式と答えと感想が書かれた。
333÷3=111
どうしてすうがくがわかることをしっていたのですか
最後に、次のような言葉をいただいて、文章は終わった。
これからもよろしくおねがいします
よかったらまたいっしょにかいてくださいおねがいします
私たちは、取り返しのつかないことをしてきたのだとつくづく思う。障害のある方々のことを十分わかった上で、「理解のない」社会に向かってともに訴えていくというようなおごった見方や、この人はこういう段階の方だからそれをふまえて関わるといいつつ結局は、相手の本当の力を見抜けず、相手の尊厳をふみにじるようなことをしてきたということだ。
また、彼女からぎりぎりのところからの言葉を聞きたいと思う。
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2008年11月7日 23時42分
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隔月で通う通所施設に、電動車イスを駆使して町中を巡り、数々の武勇伝を持つ方がいる。基本的なコミュニケーションは、指で丸を作って空中に差し上げる気持ちのいいイエスを初めとして、指さしなどの身振りを交え、ほぼスムーズにできる。もうこの施設に通い始めて数年になるが、世間話はするものの、あえてパソコンを介して関わる対象とは、お互いに考えてなかったように思う。そんな中、初めて、彼に2スイッチワープロを出した。2つ並べたスイッチをゆっくり押し分けることは十分に一人でできると思ったが、そのスピードで表現できることだと、身振りを越えることはないと思ったので、力をあえて抜いて、スライドスイッチの棒の取っ手に手をかけてもらい、こちらがリズミカルにオンオフを繰り返す中で、彼の微妙な力を読み取る方法で挑戦した。以下、彼の文章である。
すごいすいっちがすいすいうごく
うれしい ください
すいっちがこうなったのはどうして
(一人でスイッチを動かして試してもらうと滑りすぎてうまくいかなかったのを受けて)
つよくうごかすとうまくいかないのがふしぎです
つよいうごきのすいっちはありますか
(今は、持っていないということを告げ、続けてもらう)
ふしぎです
おもっただけでことばになっていくこのやりかたをだれがかんがえたの
すばらしい
(このスイッチで、この通所施設の障害の重い方々の言葉を聞き取っていることを説明すると)
かれらにことばがあるとはおもわなかった
このやりかたはすごい
すいっちをたくさんつくってください
つらいきもちでまいにちをすごしているひとがたくさんいるのでがんばってください
こんなことがみぢかでおこるとは
たくさんのコミュニケーション手段を持つ彼の言葉だからこそ、また貴重でもあった。そして、強い励ましの言葉がうれしかった。
いつも、どちらかと言えばいたずらっぽいおどけ役を演じている彼の、本当の心がかいま見えたように思えた。
「本当はまじめな人なんですよね」と声をかけると、空中に指で作った丸が高く差し上げられた。
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2008年10月5日 08時09分
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隔月でうかがっている通所施設で、○○さんに会った。休みのことも多いので、彼と関わり合いを持ったのは実に1年以上も前のことになる。ちょうどその頃、新しい通所施設が開設され、多くの仲間が、そちらに移るということがあった。それまで毎月通っていた私たちも、両方の施設に隔月でうかがうようになった。
あいさつの言葉を書いてくれたあと、すぐに彼が書いたのは、新しい施設に移って、この5月に亡くなってしまった☆☆さんのことだった。二人は、この施設の中でも格段に障害が重く、二人はよく並んで時間を過ごすことも多かった。
げんきでしたかなか
なかあえなかったけどげんきそうであんしんしました
くるしいこともありました
☆☆さんがしんだことです
☆☆さんがしんでからずっとかなしみがきえません
亡くなってもう5ヶ月が経過したけれど、彼の中では、悲しみが消えないのだという。先月うかがった新しい施設の方でもやはり、同じように重い障害をもった方が、同様の言葉を綴っていた。同じ状況にある者同士にしかわからない、深い絆がそこにあったのだろう。そして、さらに言葉は続く。
☆☆さんはことばがわかっていたのにはなせませんでした
なんでもよくわかっていたのにりかいしてもらえませんでした
このすいっちはできるとおもいます
彼女がこちらの施設にいる時には、私たちは、彼女の言葉を聞き取ることができなかった。まったく動かないその手から、力を読み取ることができなかったのだ。彼は、そういう状況を見ていたのだ。彼には、彼女が「なんでもよくわかっていた」のは自明のことだった。それは、自分自身に重ね合わせれば、疑いようのない事実だったことだろう。しかし、残念ながら、現在の常識では、そんなふうに思える人は、ほとんどいない。
そんな中で、彼は、自分と同じように彼女も言葉を語ることができたはずなのに、と無念の思いを綴った。
ここで、すぐに、彼女が新しい施設での関わり合いで文章を綴れたことを伝えた。すると、彼は次のように答えた。
よかったそのことがきけて
とてもうれしい
なくなってしまったことはざんねんですがことばをはなせてほんとうによかった
くよくよせずにぼくもがんばらなくてはいけない
彼女が一言も発することなく逝ってしまったのではないかと痛恨の思いを抱えていた○○さんにとって、彼女が言葉を話せたことはせめてもの慰めだった。ずっと言葉を話せずにいることや言葉を本当はすべて理解できていることを知られずにいる苦しみは、彼らにしかわからないものだろう。そんなぎりぎりの場所から発せられた言葉だった。
この後、彼は私の読み取りが以前よりも非常に速くなったことをめぐって次のように語った。
すいっちがなぜすいすいことばをしらせてくれるのかふしぎです
(ちゃんと読み取りはまちがってないですか?
)
かけています
うれしいです
このすいっちがほしいです
てがつかえるとすばらしいです
このことをかあさんにもしってもらいたい
かあさんにしらせてもらってとうさんにもしってもらいたい
りかいしてもらえてとてもうれしい
のぞみがかなってうれしい
「おかあさんにおしえたい ぼくがすきだということ めんどうみてくれてかんしゃしています。」という言葉を書いて、部屋中に響き渡る大きな喜びの叫び声をあげたのが、3年前の12月。
「かあさんにいいたい ちゃんとしたありがとうはいえないけどいきてることにかんしゃしています。あいしてくれてありがとう ぼくこどものころからだいすきだったかあさんのこと。かあさんいつまでもともにいつまでもささえあいがんばってりかいしていこう。あしたがあればしんぱいはいらないとおもう」と書いたのが昨年の6月。
彼の心は、いつも家族への思いであふれている。
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2008年10月4日 08時53分
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「人間としての当然の願い」と書いた○○さんの文章に出てくる◇◇さんの文章を紹介したい。
▽▽さんの死をめぐる、切々とした文章だ。亡くなった▽▽さんは、生前の文章の中で、◇◇さんのことをこう書いていた。「いつもひとりきりで◇◇くんとめであいずやよろこびをつたえあっているだけです。」互いに、豊かな言葉を持っていながら、その言葉ではとうとう語り合うことができなかったが、いつも目と目で語り合っていた二人だった。▽▽さんが亡くなってから彼に会うのは初めてだ。あれから4ヶ月が過ぎたが、思いをずっと胸に秘めていたのだろう。パソコンを開くとあふれ出すように、言葉が綴られていった。
▽▽さんがなくなってとてもさびしいです
かなしくてしかたありません
つらいひびがつずいてなきたいきもちです
どうしてともだちをおいてさきにいってしまったのだろうか
こいしくてたまりません
うちにいてもそのことばかりかんがえています
くるしいときもさびしいときもいつもいっしょだったのにことばでいつかかいわしたいとおもってきたのにもうそれもかないません
このあいだくやしくてはきました
くつうです
▽▽さんがいない×××はさびしいです
どん底の思いが綴られていく。しかし、言葉は、少しずつ、明日に向かおうとその調子を変えていく。
×××につまらないときみんなでつまらなくならないように×××に▽▽さんをよびぼくたちずっとうちひしがれていないようにすごすことができるようにおねがいしたいです
うすいしあわせしかえられなかったかもしれないけどくいのないじんせいだったとおもいたいです
▽▽さんの人生を「悔いのない人生だった」だろうと思い、▽▽さんを失った思いに一つの区切りをつけ、さらに文章は、この悲しみを越えて強く生きる方へと向かう。
くるしいときのことをおもいだすとこんなことでないてばかりはいられないとおもうのでてんごくの▽▽さんにたすけてもらいながらつよくいきることにしたいです
うらやんでばかりはいられないのでこのからだでいることをほこりにしたい
自らの体を誇りにしたいという究極の自己肯定によってこの鎮魂の文章が結ばれたことによって、私もまた救われた思いがした。
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2008年9月26日 15時52分
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人間としての当然の権利と書いた男性の文章の中で触れられていた☆☆さんの文章を紹介したい。
前回6月に文章を書いてもらったとき、その場で手紙を書いて連絡帳にはさんでもらった。さっそく、お母様からごていねいなメールをいただき、次回はぜひ一緒に、ということで、3ヶ月も経ってしまったが、ようやくその日を迎えることができた。ご両親の見守る中で、さっそく文章が綴られる。前回の書き出しが「くやしいですきもちをおかあさんにつたえることができなくりかいしてもらえないです。」だったから、3ヶ月で状況が変わったことがわかる。ただし、「りかいしてもらえない」というのはあくまで文章を綴る力を秘めていたことである。
りかいしてもらえてうれしいです
てがつかえてわたしはそれもうれしいです
もっといろいろなことをはなしたいです
ぬいぐるみのようないきかたはしたくありません
ずっとかんじてきました
ねがいはつよいきもちでなんでもやることです
すぎたことはもどってこないからしかたないけれどみらいにむかってきぼうをもっていきていきたい
らくにできてうれしい
あまりにも多くの同じ境遇にある仲間たちと相通じる思いが、同じ言葉で語られている。感覚がマヒしてしまいそうな自分がこわいくらいだ。理解されること、手が使えることの喜び、ぬいぐるみという比喩、そして過去を食い入るのではなく未来に向かう強い意志…。
そしてさらに次のような美しい言葉に高まっていく。
のぞみはそらのようにすみわたるこころでいきていくことです
のぞみどおりのいきかたはむずかしいかもしれないけれどこどものようにきよらかなきもちでいきていきたい
このように高まった表現を一度自ら鎮めるように次のような言葉が続く。
はずかしいけれどくるしいときはなきたくなります
すてきなひとがすくいにやってこないかとおもいます
そして、目の前のご両親に向けられた次の言葉で、一段落した。
くるしいときはおかあさんとおとうさんがたよりです
これからもよろしくおねがいします
この後、見えないと言われていた目が見えていること、そのことがわかってもらえずくやしかったこと、姿勢のこと、寝る前に決まって手をかりかり動かして遊んでいるのは手が勝手に動くことなど、日常生活の様々なことを話し合った。
そして、もう一度切実な思いが綴られる。
なかなかわかってもらえずいつもくやしかったです
つらいのはがまんできますが
さびしいのはがまんできません
けっこうまいにちたのしくやっているけれどきもちがつたわらないとさびしいです
ねがいはみんなにりかいしてもらうことです
つらさはがまんできてもさびしさはがまんできないという言葉をもう一度かみしめながら、彼女の願いがかなう日に向かってがんばりたいと思う。ただ、もう、彼女は一人ではない。みんなで、つながりあって今を変えていきたいと思う。
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2008年9月23日 01時10分
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隔月で通う都内の通所施設で、3人の方とパソコンで関わった。8月時間が作れなかったので、今回は3ヶ月ぶりだった。この日3番目に関わった○○さんは、二人の文章を受けて綴り始めた。
最初は、2回前から文章を綴り始めた☆☆さんのことだ。この日は、ご両親も様子を見にいらしていた。
☆☆☆さんができないなんていがいなことですからぼくはかけるとしんじていました
おかあさんとおとうさんがおはなしをききにくるときいてうれしかった
えがおがきれいなふうふでした
となりでみてましたね
なかなかできないかもしれないけれどあきらないでさへいたらかならずできますからがんばってください
現在の常識では、言葉を綴ることを予測するのは容易ではない☆☆さんだが、○○さんの目には、当然書ける人だと映っていた。私たちが彼女にパソコンを出すまでには、だいぶ時間が経過したから、その間、○○さんはずっと、その日が来るのを待っていたのだろう。「がんばってください」とはご両親に向けられたもの。家でもやれるようにとおっしゃっていたご両親へのエールである。
次は、◇◇君の文章について。◇◇君は、5月に亡くなった女性への思いを切々と綴った。親しい友を亡くした絶望的な思いから始まり、最後は、自分自身が力強く生きていこうという言葉で結ばれる長い文章は、張り詰めた気持ちが一貫して流れる拡張高い文章だった。その文章を聞いて○○さんは、次のように綴る。
◇◇くんがかいていたのはすてき
いなくなってもにんきがあるなとおもう
▽▽さんはかわいいしみりょくてきだからさびしいとおもう
彼もまた、昨年12月に彼女が初めて文字を綴った日に、「▽▽さんはのぞみをかなえられてよかった。てがつかうことができなくてもわかっているひとがたくさんいるけどなかなかいいたくてもいえなくてかなしい。このことはりかいされにくいけれどさんぴめぐるぎろんよりもだいじなのはなかなかはなせないひとのきもちです。」と綴り、5月には、「▽▽さんがなくなってさみしさがつのりかなしみがふえてつらいひがつづいています あうことがかなわなくなってしまいなんとなくくやしい あいたかった とつぜんのことで(…)」と書いていた。
亡くなった方も含めて、○○さんの通う施設には、言葉でのコミュニケーションは難しいと思われながら、パソコンで気持ちを表現できる人が4名いることになる。初めは、何よりも表現することが先だったが、こうして、少しずつ互いに書かれた言葉をやりとりできるようになり、○○さんの中に新しい願いが生まれつつある。それは、次のようなことだ。
ねがいはみんながねがっていることをなんでもいえるようになることです
ねがいはかんたんにきもちをひょうげんできるようになることです
ともだちとどんなことでもはなしたい
もっとかんたんにはなせるといいとおもう
とてものぞめないとおもっていたけどすいっちがみつかってよかったです
このすいっちをなんこもつくってみんなとはなしたい
なんこもあればみんなではなしができます
にんげんとしてのとうぜんのねがいです
すばらしい
ほんとうのすばらしさはみんなとはなしができることです
ねがいをかなえるためにがんばりたい
そのひがくることをゆめみてがんばりたい
人間としての当然の願いがかなえられる日が、まだ、夢見る先のできごとである。「すいっちをなんこもつく」り、「みんなではなしができるひ」の夢を実現すること、あちこちで語られ始めたこの思いがかたちになるために、具体的な一歩を前に向かって出し続けていかなければならない。
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2008年9月20日 13時13分
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隔月で通っている都内のある生活実習所にうかがった。前回の訪問と今回の訪問の間に、たいへん大きなできごとがあった。それは、この生活実習所に通っていて、昨年、近くに新しくできた通所施設に移った一人の女性が亡くなったことだ。その女性のことは、5月に紹介したが、彼女がこの施設に通っていた時は、まだ私たちは彼女の言葉を見いだすことはできなかった。彼女が初めて言葉を綴ったのは昨年の12月。全部で3回の言葉のうちの2回の言葉の中に、ここの仲間のことが登場する。2度目のものが、「×××のみんなげんきかな あいたいわ てがみをかきたいです こんどあそびにきてください」であり、3度目は、「らいげつは×××ですか。みんなによろしくつたえてください。わたしはげんきですとつたえてください。またあいたいですとつたえてください。」と綴ったあと、仲間の文章のいくつかを見せたところ、「すてきなことばでしたほんとうに。のぞみをすてないでよかったね わたしたち」と綴っていた。
朝、最初に関わった◇◇さんは、こう綴った。「とてもかなしいことがありました ○○さんがなくなりました つやのせきにでかけておわかれをしたかったけどできませんでした かなしかったけどかあさんがいきましたのでかわりにせんこうをあげてくれました きになっていることがあるのですが○○さんがかいたことばはどのようなものだったのでしょうか てがみのようなものだったのでしょうか」そこで、◇◇さんに○○さんの言葉を改めて見せたところ、「すてきなことばでした ねがいがかなってしあわせだったのですね しんじてもらえず ○○さんはさびしかったね でもじぶんのきもちがいえてよかったね じぶんのきもちもいえずになくなってしまったら もっとかなしかった」と続いた。
また、▽▽さんは、「せっかくことばがはなせたのに○○さんはざんねんでした すてきなぶんしょうでした ほんとうにざんねんでたまりません かあさんが○○さんのおそうしきでいただいてきました かあさんからせんせいのことをきいておどろきました ○○さんのことをみていたとはおもわなかったからです ○○さんのことはぜったいにわすれません くやしかったとおもいます みんなになかなかわかってもらえず わたしにはそのきもちがよくわかります とくにりかいしてもらえないつらさはわたしもおなじですから りかいされないくるしさはとてもことばではいいあらわせません」と綴った。
お二人は、ともに30代半ばの女性。お二人とも、今年になって初めて文章を綴った方々である。10ほど若い○○さんのことを妹のように思っていたことだろう。ともに同じ場所で過ごした日々は、互いの思いを言葉で知ることはなかった。そして、○○さんが別の施設に移って初めて、互いの言葉を交わし合った。容易には、はかりしれない思いがそこにあることだろう。
そして、同じグループにいた男性▽▽さんは、短いながら、次のように綴った。「せんのかぜになって(の?)うたをききにいきたいとおもっていますのでおかあさんおねがいします」。確かめることはしなかったが、もしかしたら、○○さんへの鎮魂の思いをこめていたのかもしれない。
すでに○○さんが、逝ってから2ヶ月が過ぎた。しかしみなさん、それぞれに、その死の意味、あるいは生の意味を考え続けてこられてきたのだろう。
また、5月に初めて文章を綴った☆☆さんは、次のように綴った。「おはよう こまっています はやくわたしたちのことばがあることをかあさんにおしえてください。◇◇さんがはなしていることでもかまわないのでなんとかことばがわかることよくもっとつたえましよう。せんせいはなぜ、そんなことやれたのか おかあさんにおしえて」。そして、そこへタイミングよくお母さんがおみえになった。すると「まねしてやってもらう。」と書き、お母さんとともに、自分の名前を書いた。彼女が5月に書いた生まれて最初の文章は、「みなぱそこんがせんぶてでできるようになったときいたけどよかた。すきそうなしがかきたいわ。わたしたちやさしいかぜがいる。せいかつじっしゅうじょにあなたいなきゃいね。ぬくいかぜがふいてきそうです。(彼女の両親は西日本出身で、「ぬくい」は、そちらでよく使う言葉だ)よいきもちにさせてくださいます。くらいきもちをあかるくしてくださいます。ねがいごとはこんなんにまけないきもちをもつことです。のぞみはわかってもらえることです。ごかいされてほんとうにかなしいときがあります。といれがいえないのでくやしいです。にんげんとしてあつかってほしいです。ねがいはにんげんとしてけだかくいきていくことです」というものだった、お母さんには直接渡っていなかったとのこと。お母さんは、ただただ驚いて、彼女をだきしめ、いろいろな言葉をかけ続けた。38歳の彼女が、突然、言葉を綴ったという事実を、一瞬のうちに受け止めるというのは、お母さんにとっても大変なことにちがいなかったが、お二人の姿は喜びに包まれているように見えた。
彼女は、数年前、私がボランティアとしてパソコンとスイッチをかかえてこの施設に通い始めた時、もっとも障害の重い人のグループにいて、最初にスイッチをたたいて笑顔を見せてくださった人だった。しかし、その反復的で、瞬発的なたたき方は、もっとも初期的な手の使い方であり、それゆえ、言葉から大変遠い方だと決めつけていた。ただ、そういう方とのつきあいこそ私の専門と考えていたので、彼女の存在は私にはとても大きかった。施設の方も、あの☆☆さんが、喜んでスイッチを連打しているということを、関わりとして高く評価してくださったし、そのことで、外部者である私は、受け入れてもらえたと思ってきたのだ。そんな☆☆さんが、深い思いを言葉で語っている。長いこと、言葉がないけれど、音楽が好きと決めつけていた私たちの誤り。償いきれないほどの誤りが、また、ここにもあった。
また、次の関わりあいは2ヶ月以上先のこと。その間、たくさんの言葉と気持ちをあたためておられらることだろう。
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2008年7月18日 23時02分
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今日、うかがったのは、都内の通所施設。お二人の方とゆっくり関わった。
午前中は、二十歳くらいの女性である。2月に初めて関わって、今日が2度目だった。音楽がとても好きと言われていて、彼女のそばではいつもすてきな音楽が流れている。前回は初めて文字を綴ったのだが、「やっとはなすことができてうれしい たあくさんはなしたい」と率直に笑顔で喜びを綴っていた。
しかし、今日は、どこか意を決したような表情から始まり、「くやしいです きもちをおかあさんにつたえることができなく りかいしてもらえないです。(…)くやしいのは なかなかことばがわかっているとおもってもらえないことです。」という文章ができあがった。これまで、彼女が言葉を当たり前に理解し、文字もきちんと理解していると考える人はほとんどいなかったから、こういう状況も無理もないことだった。そこで、私は、どうやって文字を覚えたか教えてくれると、みんな納得するかもしれないと問いかけてみた。すると「ちいさいころからてれびをみておぼえました。きっといつかかけるひがくるとかんがえていました。ねがいがかなってとてもかんげきしています。」という答えだった。こんなふうにいろいろやりとりをしているうちに、彼女の言葉は、別の方向に向かっていった。「ねがいは いろいろなひとにのぞみをわかってもらうことです。いつまでもげんきにしていてほしいとおもう、おかあさんには。いつもめんどうをみてくれて かんしゃしています。なかなかいえずにいたけど いえてよかったです。」としめくくられた。今日、書いた文章に私からのお手紙を添えて、彼女のかばんに入れてもらった。うまくお母さんに伝わったか、それが気がかりだが、きっと彼女の懸命な思いは、伝わるにちがいないと信じている。
午後からは、25歳を過ぎた男性だ。5月に親しい仲間の女性を亡くし、そのことから始まった。この女性のことを綴った文章は、「○○さんはのぞみをかなえられてよかった。」(07年12月)というものから始まる。彼女がようやく気持ちを表す手段を得たことをめぐる言葉だった。そして、「ずっとしんじてもらえずに○○○さんもつらかったねとちゃんといってあげたい。よいめぐりあいができてほんとうによかったね。われわれはりそうめざしてがんばろう こんなんにたちむかいしんけんにやっていこうと いいたい。てにいれたしあわせをてばなさないで くなんをのりこえていこう。くるしみとかなしみのむこうには おおきなきぼうがまっているから めのまえのこんなんがどんなにおおきくても むねをはっていきていこう。いつまでもずっと。ほんとうのしあわせをてにいれるまで。」(08年4月)と続く。そんな矢先、彼女が突然旅立ってしまった。その直後に、「○○○さんがなくなってさみしさがつのりかなしみがふえてつらいひがつづいていますあうことがかなわなくなってしまいなんとなくくやしいあいたかったとつぜんのことでみこと(言葉)がでてきません」(08年5月)という言葉が綴られる。そして、今日を迎えた。
蒸し暑い一日で、疲れが見えた彼だったが、時折瞑想するようなまなざしで、次のように綴った。「めいふくをいのっています。かぎられたいのちなら できるだけずっとおかれたかんきょうにとらわれることなく かりそめでもいいから いのちがつきるまで わらいをなくさずにいきていきたいとおもう。なぜてがつかえないといきるのがいきにくいのだろうか。わからないけどよくいきていきたい。」仲間の死は、たくさんの問いを彼につきつけたようだ。
2ヶ月前、元気に「ろまんいっぱいにこれからもいきてゆこうね。」と綴った彼女の姿は、今日この場所にはなかった。そのすっぽりとあいた穴のことをあえて語る人はいなかったが、みんなそれぞれに問いをつきつけているにちがいなかった。いのちの問題の重さをいちばん受け止めているのは、障害と向かい合ってきた人たちなのだから。
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2008年6月20日 23時57分
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通所施設 |
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隔月で通っている通所施設の女性が逝去された。自発的に動かせる体の場所はほとんどなく、スイッチを通した関わり合いは、ことごとく失敗して何年も経過してきた方だ。ところが、体調が安定してきた昨年の12月、彼女は、突然文字をパソコンで綴った。「うれしい ぱぱいろいろありがとう ままいままでありがとう」という両親への感謝をつづったものだった。そして2月の文章は、53文字で、昔の仲間に手紙を書きたいという思いだった。最後の関わりとなった4月、文章は、427文字と飛躍的に長くなったが、冒頭は、「くやしいのしんじてはなやくさのようにほこりをろまんいっぱいにもちつついきていてもしんじてもらえないの」というものだった。現在の常識では、彼女ほどの重い障害を持っている方が、いきなり文章をつづるということは、にわかには受け入れがたいことである。私も、もっと時間を重ねていく中で、徐々に理解されていけばよいと考えていた。しかし、彼女にとっては、せっかくつづれた思いが思うように届かないことははがゆかったことだろう。そして、文章は、さらに「ねがいはたくさんのひとにしんじてもらえることです。」と続いた。しかし、文末は、「のぞみをすてないでよかったねわたしたち。りかいしてくれてもっとわたしたちのことをよのなかにつたえてください。ろまんいっぱいにこれからもいきてゆこうね。」と希望の言葉で結ばれた。
ご葬儀で、私は、ご家族に初めて彼女の文章を手渡した。生前にお渡しできなかったのは、本当に残念だったが、それは、私の力のなさのなせるわざだった。
ご葬儀は、彼女がどれほどご家族や周囲に愛されて日々を生きていたかをうかがわせる心のこもったものだった。言葉を越えたつながりの中で彼女が幸せに生きていたことをしみじみと感じた。
死という冷厳な事実の前には、ただ立ちすくむしかないのだけれど、やはり、「もっとわたしたちのことをよのなかにつたえてください」という彼女の思いを、しっかりと受け止めて、また明日からの関わり合いの場に向かおうと、思いを新たにしているところだ。そして、少しでも、はやく、彼女たちが言葉を豊かにもっているということが、当たり前の常識となる日がくればと思う。
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2008年5月12日 00時35分
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