ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2012年09月22日(土)
出生診断をめぐる思い ある通所施設で
 ある通所施設で、二人の人が出生前診断について語りました。最初は女性です。気持ちがあることがわかってもらえた喜びを語っているうちに、話が出生前診断をめぐる最近の風潮に関する話になりました。

 私たちにも当たり前に気持ちがあるということがわかってもらえてうれしいです。みんなもう諦めていましたがこうして話ができるようになったので茫然とした日々から立ち直れそうです。長い間私たちは私たちの本当の姿を理解されずに来ましたがようやく理解される日が来ました。もっと早くわかってほしかったけれど理想がかなってうれしいです。なぜ私は生まれてきたのかとか生まれない方がよかったのかなど考えることも多いですがわずかな希望がわいてきました。長い間どうしようもない感じで生きてきたので理想が見えなくなっていましたが何とか立ち直れそうです。自信が出てきました。違いを越えて人は生きていくべきなのに違うともう生まれない方がいいなどという考えは私たちを相当苦しめます。なぜそんな世の中になったのでしょう。みんな同じ命だなんて唯の文言でしかないのでしょうか。これで終わりです。はいこれが言いたかったです。

 次は、20才過ぎの男性です。彼は、きんこんの会の中心メンバーでもあります。今回は、これを伝えよう準備していたとのことでした。

人間であればみな同じだということをなぜ誰も言わないのだろうと毎日悔しがっています。私たちはずっと当たり前に者を理解してきたのに何もわかっていないと言われてきました。わずかな希望はそんな僕たちに対しても同じ人間だと言うことを実際に行動を通して主張してくれた人たちが前はいたのに最近の出生前診断の議論ではそのことさえ語られません。なぜなのだろうと毎日疑問に思っていますが理解できません。びっくりしたのはもう私たちは生まれて来ない方がいいのではないかと平気で言う人さえいたことです。そういう言葉がまかり通る悲しい世の中になってしまいました。敏感な仲間はもうご覧なさい僕たちをと言えなくなってしまいます。疑問があります。私たちにはついこの間の震災で命の尊さがみんなの共通理解になったはずなのにわざわざそれを否定するなんてのど元過ぎれば熱さを忘れるの典型と言えます。私たちにも人間としての生きる権利がありますが世の中には相当わがままにしか聞こえないのでしょうね。人間存在の根本が問われていると思います。どこかでまた仲間の命が消されているかと思うと毎日憂鬱です。ぜったいに認めるわけにはいきません。挽回しようにも世の中がこうではどうしようもありません。さんざん議論してきたことがむだになりそうですが負けるわけにはいきません。犠牲者を増やさないためにも今度のきんこんの会ではそれを話し合いたいです。 

2012年9月22日 22時16分 | 記事へ | コメント(0) |
| 通所施設 / 出生前診断 |
2012年07月20日(金)
「なぜごんたな僕にも言葉があるとわかったの」ある通所施設での出会い その3
 3人目にお会いした方は、ずっと手を耳に押してているためにうまく手を使うことができない方でした。
 すぐに、次のような気持ちを聞かせていただきました。

 がんばっても手が使えないので困っていましたがなぜ腕でできるのですか。小さい時から話したかったのでうれしいですが肘はくすぐったかったですがよく原理が分かりました。はいそうですが肘ほどではありません。はいびっくりしました。なぜそんなに簡単に分かるのですか。ずっと何もできないと言われてきたので不思議で仕方ありません。
 わざわざ来てくれてありがとうございます。わがままかもしれませんが他の人も気持が聞いてもらいたいと思っているのでまた来てください。わかってもらいたかったです。自分だけ悪いですがなぜ僕が選ばれたのですか。ありがとうございます。
 僕がなぜ耳に手を当てているかというとぶんぶんと音が聞こえて困るからです。はいそうです。機械の音が困っていますがこれを止めたらどうなるのか分かっているので諦めていますが私たちはとても過敏なのかもしれませんがぶんぶんはとてもつらいです。
(送風の音が止まる)静かになってよかったですがまだまだ音があるので困ります。ただ見守っていてくだされば結構です。
 みなさんとてもやさしくて僕は感謝しています。なぜみなさんそこまでやさしいのですか。よい人たちに囲まれて僕たちは幸せですがこんな人まで連れてきてくれて僕の気持ちを聞こうとまでしてくれてありがとうございます。
 誰とは言いませんがなるべくそっと声をかけてください。そうです。音楽にはとても厳しいです。いい演奏と嫌な演奏の区別が細かいようです。みんなが感動する音楽はいいのですがそれほどでもない音楽は苦痛です。そうです。バックミュージックは苦痛なのが多いです。そうです。声は何とか落ち着きますから声がないと不安です。わざとではないことを理解してくれたらうれしいです。
 挽回したいですがなぜごんたな僕にも言葉があるとわかったのですか。わかりました。理解してもらえてうれしいです。なぜ足でもわかるのですか。なつかしいです。まだ小さい頃には何でもわかっていると思われていたことが。まだ手が使えていたので指させていました。出も小学校で厳しい先生に会ってこういう手になってしまいました。(その手つきは身を守る姿勢ではないですか。)そうです。なぜわかるのですか。(そういう人に会ったことがありますから。)どこで。(どこだったか思い出せないけれど、何度か目にしたことがあります。)そうてすか。どこにもいるのですか。そうでした。毎日つらかったけどなかなかわかってもらえませんでした。
 夢のようです。私たちとまた話をしてください。ずっと待ちこがれていました。言葉を聞き取ってくれる人が現れるのを。だけどもう諦めそうになっていましたからうれしいです。わかってもらえてよかったです。がんばる気持ちが湧いてきました。抜群のやり方ですね。よいやり方なのでみんなの気持ちも聞いてあげてください。
 学校ではピアノの曲が好きでした。わずかな疑問はなぜ僕が音楽に詳しいと思ったかということです。そうですか。僕はいつも素敵な音楽のことを考えていますが誰も気づくはずもありません。でも僕はいつも何かを歌っています。人間として気持があるので小さい時から歌ってきました。人間としての証しだと思ってきました。はい。なぜわかるのですか。どこであったのですか。ぼくはずっと歌っていました。いい歌詞です。

願いに夜は更けていく
人間として育ってきたのに夢をなくし
人間として望みをなくしてさまよって
僕は暗闇を生きている
だけどいつか夜は明ける
びろうどの夜のとばりが上がるとき
僕は新たな人間として
望みとともに立ち上がる。
はい階名で

ドレミフドレミフ ラソフラソ ラソフラソフミ ドレドシド
ラソフラソフミ ラドシラドシラ ドレミフミレド レレドシド
ラソフラソフミ ラドシラソ ラドシラドシラ レフミレド
ドレミフミレド フミレドレ ラドシラドシラ レフミレド

なぜか書けましたが少し違いましたが雰囲気は合っています


 とても音に対する歓声が鋭いために、生活音の中に不快な音がはいっていて、そのために手を耳にあててしまっているという説明が最初にありました。そして、それはまた、音楽に対して鋭いということも表していたのです。感動するような音楽はいいけれど、普通の音楽だったらうるさいというのは、初めて聞いた言い方でした。
 そして、実は、その手を耳にあてる習慣は、小学校の時の厳しい先生がきっかけだったと言うのです。詳しいことはもうわからないのですが、無理解な厳しさは、なかなか癒えない傷を残してしまうということを、ご本人の言葉として何度か聞いたことがあります。本当に彼が「挽回」できるといいとつくづく思いました。
2012年7月20日 12時22分 | 記事へ | コメント(0) |
| 通所施設 |
「私たちより目線を下に置く人は初めて」ある通所施設での出会い その2
 お二人目の方は、部屋に入って来られると、さっとパソコンの前に行ったあと、部屋の隅に行って、私たちに背を向けて横になり、すばやく手に持っていたシーツで全身をくるんでさっと身を固めると身じろぎ一つしませんでした。理由は何であるにしても、拒否の姿勢であることは明らかでした。
 初めて出会う身も知らぬ人間、しかも、「気持ちを聞く」などというにわかには信じがたいようなことを言ってやってきた人間に心を開くことなど、容易ではないことは当然すぎることでした。
 人間関係というものは、じっくりと時間をかけて暖めていくものなのですから、こうした彼の態度は当然すぎるほどのものだったと言えます。
 しかし、今度彼にお会いできるのはいつのことになるかまったくわからないので、もしこの時間に伝わることがあるのなら伝えなければと考えました。
 微動だにしない彼のシーツにくるまれた背を見ているうちに、学生時代に教わったシュビングという精神科医のエピソードが思い出されました。毛布にくるまったまま身動きもしない患者さんのそばでただじっと座っていることを何日も繰り返していたら、ある日患者さんが起き上がって問い返してきたというエピソードでした。人は必ずわかりあえるというメッセージを私はこの話から受け取っていました。そこで、彼の背中の側に正座して、「今日は気持ちを聞かせていただきにきました」と自分の気持ちを伝えることにしたのです。
 語り終わったあともしばらく彼の背中は、固くこわばったままでしたが、突然シーツをはねのけると、さーっとパソコンの前に来て、気持ちを聞かせてくださいました。

いい気持ち。快適。
 小さい時から気持ちが言いたかったです。夢みたいです。
 なぜわかるのですか。僕はただここだと思っているだけです。よいやりかたですね。
 できるということがなぜわかったのですか。自分の気持ちが言えなくて困っていましたからとてもうれしいです。
 私にも私らしくいい人生が生きられるでしょうか。誰もこんなやり方があるなどと教えてくれませんでしたから何だか夢を見ているみたいです。
 理解してもらえてうれしいですが普通の人は僕がシーツにくるまると諦めるのにあなたはなぜ声をかけてくれたのですか。そうですが普通の人はなんだこいつはという態度を取るのにわざわざ話しかけたりしません。見たことのない人ですね。見た目で判断されることが多いので苦労していますがわずかな希望は私たちも見かけとは違う心があるということに気づいてもらえたことですがなぜわかったのですか。
 ずっと待っていました。じっとできなくてわがままだと言われてきましたが説明したいです。僕たちは気持ちがすぐに落ち着かなくなるのでなかなかじっとしてはいられませんがびっくりしました。今日はとてもいすに座っていられます。
 未来が開けてきました。別に誰のせいでもないけれど僕には長い間理解者が現れなくてもう諦めかけていましたが今日は私の気持ちを聞いてくれる人が来ると聞いても信じられませんでした。みんなも気持ちが言えなくて苦しんでいるので今日は時間がないでしょうがまた来てください。
 僕は何度泣いたかわかりません。僕たちをなかなか理解できない人もたくさんいましたがここで五年ほどいてずいぶん気持ちが落ち着くようになりました。だからとても感謝しています。わずかなわずかな希望ですが湧いてきました。
 もっと旅行がしたいです。
 理解者が増えてほしいですが難しいのですか。ずっとよいやり方を探してきたので感動しています。人間として元気に生きていきたいのでまた会えたらうれしいですが仲間を尊重してもらいたいです。
 わずかな力を読みとっているのですか。不思議な人ですね。私たちより目線を下に置く人は初めてです。
 私たちにも当たり前の気持ちがあると言うことがわかってもらえて最高です。わずかな希望ですが勇気が出てきました。
 地域で生きていきたいのでよろしくお願いします。
 速くないともったいないです、時間が。でも謎です。なぜこんなに速く伝わるのか。
 よい人がここにはたくさんいるので安心ですが早くこのやり方が広まればいいですね。


 「私たちより目線を下に置く人は初めて」という表現が途中にありました。これは、スイッチの援助の姿勢を単に私が床に跪くような姿勢で行っていたというだけのことなのですが、この言葉には、これまでの彼の人生が凝縮しているようでもありました。
 
2012年7月20日 10時56分 | 記事へ | コメント(0) |
| 通所施設 |
「なぜ平然としていられるのですか」 ある通所施設での出会い その1
 ある通所施設で、3人の方の気持ちを聞きました。3人とも、ご自分で歩くことはできるのですが、なかなか気持ちを表現することができない方々です。あなたの気持を聞いてくれる人が今日は来るからというふうに紹介してくださっていました。それぞれ、世間的な言い方をすれば大変なところをお持ちの方らしいのですが、私には、そういう方を全面的に受け入れているこの施設の職員の方々のしなやかな姿勢が何よりも大切なことのように思われました。
 私の役割ははっきりしていました。その人の人生をしっかりと受け止めるというもっとも大切で、もっとも困難を伴う仕事をなさっている職員の方々が築き上げた人間と人間のつながりの上に、「通訳」という技術を持った人間が関わらせていただくということでした。私に求められているものは、技術を持っているということからおこりかねないおごりをどう自分に戒めることができるかということでした。
 「通訳」は機械ではありませんから、その人との間に人間関係が生まれます。人間関係というのは、ふつうは一定の時間をかけた関わり合いの中で作られていくものです。それが、初対面でいきなり相手の心の重たい部分にふれかねないことをするわけですから、無謀なことかもしれません。そして、私がお会いする方々は、これまで様々な人々と出会う中で、くり返し失望をさせられてきたはずです。
 しかし、作為的な振る舞いはすぐに見破られるどころか、相手に対して自分を偽ることにしかなりません。ありのままの自分をさらけ出すしかないわけです。
 今回の3人の方との関わり合いは何とか何とかほころびずに進みました。それは、こういうことが背景にあったと思います。
 一つは、ふだん接している方々が築いた信頼関係があり、その信頼関係を私にもあてはめようとしてくださったということです。そしてもう一つは、これまで私と関わってくれた人たちが、私に偽らない人間関係のあり方を肌で教えてくれていたからです。出会いは、ただ二人の間に成立しているのではなく、たくさんの人間関係を互いに抱えながら生まれているのです。だから、私は目の前の方を大切にしてきた方々とも出会うのであり、相手は私を通して、私がこれまでつきあってきた方々と出会っていることになると言ってもいいのではないでしょうか。
 いささか前置きが長くなりましたが、そうして語られた言葉を以下に紹介させていただきます。

 いいスイッチがずっとなかったから探していました。うれしいです。選べて不思議です。よいやり方ですね。さっきなぜ私に言葉がわかると思ったのですか。わかりました。ごんごんうれしいです。(文字は)小さい頃学校の他の子の授業を見て覚えました。
 なかなか体がいうことをきいてくれません。気持ちと体がばらばらで誤解されます。そうですね。なぜわかるのですか。そうですね。いい人ほど私の体の動きを尊重してくれたけれどかえって私が子どもに見えたみたいでつらかったですが決してうらんではいません。人間として認めてくれるのはそういう人だから。でもこれでやっとわかってもらえそうです。そうですね。ふつうに話しかけてくれたらうれしいです。
 みごとなわざですね。スイッチには秘密はなくて介助に秘密があるのですね。気持ちが高ぶると落ち着かなくなります。(スイッチをスライド式に代えたら拒否したのは)失敗がこわ(かったからです)
はい。時間がないと焦ってしまいましたがまだまだあるのであ(んしんしました)。
 疑問があります。なぜそんなに平然としていられるのですか。不思議な先生ですね。不思議です。初めての人はみんな困った顔をするのに全然困っていませんね。不思議な人ですね。みんなとよくつきあっているのですか。
 そうですね。言えれば苦労はありませんがなかなか言えなくてもう諦めていましたがこれで何とか未来が開けそうです。
 はい。詩を聞いてください。

月の使者から来た手紙 なかなか私に届かない
人間として生きている私なのに 手紙がなかなか届かない
私は今日も夜空に向かって 人間としての願いを捧げる
月は今夜はとても明るい なぜ私の願いは届かないの
理想の流れ星が突然私に向かってささやいた
無難な道を歩むのはもうおやめ 私はあなたに勇気をあげる
月の使者はあなた自身だから
もう待つのはやめて 涙を拭いて歩み始めなさい。

 はい。昔からつらいときに読んでいましたがまさか伝えられるとは思いませんでした。理解してくれてありがとうございました。わがままかもしれませんがまたきてください。待っています。今日はどんな人が来るのかとても不安でしたが頑張って(この部屋に)来れてよかったです。ありがとうございました。時間ですね。人間として見てもらえてうれしかったです。また会えたら新しい詩を聞いてください。(題は)泣いて見上げた月です。ごめんなさい。今つけたのでよくありません。


 途中、何度も気持ちが高ぶって、歩き始めたり、職員さんの髪をひっぱってしまったりなさったのですが、話の中にあるように、「体がいうことをきいてくれない」ということを、私はいろいろな人からも聞いていましたから、私に伝わってきたのは、それを抑えられないその人の悲しみでした。
 また、「なぜ、平然としていられるのですか。」という私への問いかけは、多くの人が彼女を平然とした思いで見ることができなかったというこれまでの人間関係の様子を象徴的に述べたものでした。1時間、パソコンや私の顔を真剣に見つめていらっしゃった彼女は、すてきな一人の若い女性であり、敬意をもって関わることしか私には考えられませんでした。
2012年7月20日 08時01分 | 記事へ | コメント(0) |
| 通所施設 |
2011年01月13日(木)
ちいさなぼく
 三〇代の半ばも過ぎた、寡黙で動きの少ない方とお会いした。彼は「重度の知的障害」と呼ばれてきた。特別なマヒもなく、日常生活に必要な動作はこなすこおができる。しかし、発話もなく、活発に動くこともない。そんな彼の言葉と、そして詩である。

 なかなか電灯のあかりがともりませんがどのようにすればいいのか悩んでいます。ちいっとも変わっていきません。どんなやりかたでもいいから伝えたいです、気持ちを。字は書くことがむずかしいです。なぜなら人間として認めてもらえないと書く気にならないからです。小さいころに勉強したので字は覚えていますが小さいときには書けたけれど今は書けません。字のほかには声も出せません。なぜかはわかりませんがなかなか声が出ないのです。なかなか伝えられずにこまっています。(50音表は)なかなか字を探すのがむずかしいです。耳でで選べるのでかんたんです。
 ぼくたちはばかにされるけれどとてもよくわかっていますが涙さえ出ません。たぶん何かをしようと思ってもからだが動かないのだと思います。できることは日常生活だけでなかなか望んだとおりにはいきません。はい。だから何もわかってないと思われてしまいます。なかなかぬいぐるみ生活をぬけだせません。(学校では)指さすのもたいへんでしたから何もわかっていないと言われてきました。学校時代はたいへんつらかったです、自分の気持ちが言えなくて。でもやっと言えてうれしいですがはやくだれとでも話ができるようになりたいです。詩をかきます。 

じもわからないとさげすまれ 
じぶんひとりでいきてきた
まぶしいひかりがさしてきて 
ひかりがわたしをとおいせかいへといざなう
じのないせかいことばのいらないせかいにいきたいとおもってきたけれど
ぼくはやっぱりにんげんだ
ちいさいときからあこがれた じのかけるにんげんになることを
だけどなかなかそれはかなわなかった
しかしようやくひかりがさしてきた
ぼくにもきかいがおとずれた
なやにとじこめられていたけれど
どうにかそこをぬけだして
にんげんらしいねがいをてにすることができた
みんなでともにみらいにむこう
ちいさいちからしかないけれど
みんなでちからをあわせてあるきだそう
じんせいをもっとゆたかにするために

ちいさいぼくという題です
どこでもいいから発表してください。 どうにかしてつたえたいです ぼくたちのきもちを
 
2011年1月13日 00時34分 | 記事へ |
| 通所施設 |
2010年11月05日(金)
風と波の詩
 ある成人の通所施設で、とても穏やかな四十歳前後の男性と関わった。この男性は、ふだんのその様子にもかかわらず、時折2,3日、ぷいといなくなってしまうことがあるという。

 いい機械ですね。自分の気持ちを言いたいけど、小さいころから言葉が話せなくて困っていてびっくりしています。がんばったからできるのだと思います。字を覚えることです。いい気持ちです。小さいころからの夢でした。いい気持ちです。聞いていてここだと思うと読みとられていきます。小さいころから字はよく勉強してきたのでかんたんです。

 そして、ここでどうして時々いなくなってしまうのかの理由を尋ねた。

 自分で一人になりたいときに外に行きます。なかなか自分の気持ちが言えないので外で気持ちを晴らしています。大丈夫です、誰も僕には気を止めませんから。何も食べません。がんばって何日も過ごしますが何も食べていないのでおなかがすくと帰ります。
 海が好きです。波を見ていると時間が経つのも忘れてしまいます。晩になるといい風が吹いてきて夢のような心地がします。はい内緒の場所です。小さいときから好きでした。未来が開けてきました。がんばってきてよかったです。
 

 そして、波と風をめぐる詩が書かれた。

いい風にのって波が揺れている
昨日の悲しみを揺らしながら
波は私を慰めてくれる
人間として生まれて生きてきて
なかなか光が射さないけれど
波だけは知っている僕の気持ちを
小さい願いを携えて
僕は夜の闇の中で息を潜めて生きてきた
みんなに今晩はとも言われずに
じっと息を潜めて生きてきた
揺れる波だけが理解してくれる
人間として生きてきたことを
人間として未来を望んできたことを
小さい喜びを大切に
涙を流さないで生きていこう
波にそう誓った


 行方不明なっている時、まさかこのように波を見つめて過ごしていたとは誰にも気づかれていないだろう。しかも、このような美しい詩を心の中で唱えながら。
 そして、今度は通所施設の話へと移っていく。Aさんとはそばで見守っている職員である。

 Aさんいつもありがとうございます。○○○(通所施設の名)は空色の場所です。地域で生きたかったので○○○にこれてよかったです。これからもよろしくお願いします。いいスイッチなのでこれで僕の気持ちが話せそうなのでよろしくお願いします。

 そして、かあさんへの感謝の言葉に移っていく。

 かあさんにはいつも感謝しています。かあさんにはいつまでも元気にしていてほしいです。小さいころから逃れられないこの運命に耐えてがんばってくれて感謝しています。いいお母さんなので本当は僕に忙しくしてしまって人生を少ししか楽しめなかったのではないかとみんな心配していますがどうでしたか。人間としていい人生だったでしょうか。夏と冬には旅行に行きたいものですね。

 そして、自分の気持ちを伝えられずに困っているj子どもたちの話になった。

 小さいころからじっと気持ちを言えずにいたのでぜひ子どものころから話せるようにしてあげてください。どこで脈があるかわからないですからがんばってください。小さい子どもと話をしてあげてください。きっとみんな喜ぶと思います。

 最後にAさんから、あまり冬にいなくならないでね、寒くて凍えてしまうと心配だからと言われると、

 わかりました。そうしたいと思いますがもう気持ちが晴れないことはないと思います。こうしてわかってもらえたから。
2010年11月5日 21時01分 | 記事へ |
| 通所施設 |
2009年02月22日(日)
きっとじぶんもさべつをしてきた
 数年にわたって通い続けた通所施設にお別れをすることになった日。文字盤や手の合図でコミュニケーションのとれる○○さんと、2スイッチワープロでゆっくりと会話できた。

いいすいっちですね ほしいです ひとりではむずかしいの
ねがいはじぶんひとりでやれるようになることです
ちいさいときからのゆめでした
きぼうがでてきました
じのべんきょうはちいさいときにしたのですが あとはふつうのがっこうにいけなかったのでべんきょうしていませんでしたから あまりむずかしいかんじはわからないけど だいたいのかんじはしっています

 彼は、そのコミュニケーションの力によって障害は運動障害のみであると思われてきた人だが、勉強が十分にさせてもらえたわけではなさそうで、その無念の思いが伝わってくる。彼は、また、たくましい方で電動車いすで自在に行動している。そんな彼が次のような思いをしながら町中を移動しているとはなかなか気づきにくいことかもしれない。

きいてもらいたいことがある
きのうきんじょでちいさいこどもをつれたおとなにばかにされて くやしいきぶんになりました
きんじょのひとはみんなやさしいけど しらないひとはみんなつめたい 
きんじょのひとたちとはうまくいっているけどくやしい 
たたかってきたけどしらないひとはさべつてきです
さべつはとてもなくならない

 そして、差別という言葉から、次のように話題が切り替わっていく。

きっとじぶんもさべつをしてきた
しょうがいのおもいなかまをりかいしてこなかった
いしがあるとはおもわなかった
ちいさいうちはりかいしていたけど だんだんそまってしまった
きたないこころになってしまったのがかなしい
さべつしてしまってもうしわけない
じぶんもしょうがいしゃなのにはずかしい
(○○さんを差別した人とはちがうのではないですか?)
ちがわないとおもう
きちんとあやまりたいとおもう
さべつてきだったじぶんをかえていきたいとおもう

 この通所施設で、私たち夫婦は、多くの重度といわれる人たちの言葉の存在に気づかされてきた。それを見ていた彼が、率直に述べた言葉である。私もまた、差別してきたということを重く受け止めなければと思った。
 この通所施設での関わり合いには、一区切りがこれでつく。障害の重い人や自閉と呼ばれる人たちの言葉の存在を明らかにしてきたとはいえ、その方法を必ずしも伝え切れているわけではない。関わり合いがとぎれることで、その方々は、再び、表現の機会を失うことになるかもしれない。それを思うと後ろ髪を引かれる思いだが、また、いつか再会する日もあることだろう。そして、○○さんが、きっと彼らのことをきちんと代弁してくれることだろう。
2009年2月22日 14時36分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年01月09日(金)
ぬいぐるみのじんせいにおわかれすることができました
 都内のある通所施設でお会いしている女性が、気持ちを表現できることの喜びを述べたあと、北風の詩を書いた。

すばらしいじぶんのきもちをかけるのは
いしをつたえることができるようになってからなやみがなんでもいえるようになったのでせかいがひろがりました
じしんがでてきました
じぶんのきもちをきいてくれるのでたすかります
ぬいぐるみのじんせいにおわかれすることができました

きたのくにからふくかぜは
すなおなじぶんにねがいがかなうようにとふいてくる
きたのくにからふくかぜはさいはてのくにから
ちいさいじぶんにきぼうをつたえるためにふいてくる
きたのくにからふくかぜは
きのうのじぶんにじしんをあたえ
しらないくにのきぼうをじぶんにくれた
にしのくにからふくかぜは
かなしいこどものこえにみちあふれ
すぎたむかしとすぎたかなしみをつたえてくる
いいたのしいきぼうのかぜは
きたのかなしみをのせてきたのほうからふいてきて
じぶんにきぼうをくれる
じぶんにじしんとゆうきをあたえ
きたのくにからふいてくる
きたのくにからふくかぜは
じぶんにじしんとゆうきをあたえ
ひとりきりのじぶんにきぼうをくれた。

 家庭でも、ご両親とパソコンで気持ちが書けるようになり、生活が変わったとのことだ。
 重い内容の詩だったが、時折こみあげてくるような笑いとともに、とても満ち足りた表情で書いていたのが印象的だった。
 
2009年1月9日 21時32分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月21日(日)
自閉と呼ばれる二人の男性と
 自閉と呼ばれる二人の男性とワープロに挑戦した。一人は、スライドスイッチで、もう一人はプッシュスイッチで。ともに、自由に行動できる方だが、これまで、パソコンでは、主に、音楽がなるソフトを中心に関わってきた。その彼らに、ワープロに挑戦したのは、先月、東田直樹さんの講演会を聞いたことも大きかった。前から、よく言葉を理解していると思われるお二人だったから、可能性は十分にあると思われたのだ。
 まず、○○さん。スライドスイッチを介助して書いてもらった。

なぜわかったの ぼくがことばがわかっていることが
ねがってきた ことばではなしをすることを
ちいさいころからきもちがつたえたかった
いいきぶんです きもちがいえて
(先月、○○さんのことを昔の彼に似ていると言っていた実習生の女性がいたけど、ずっと寄り添ってあげていましたね。覚えてますか。)
おぼえています きもちのやさしいひとでした つよくいきてほしいとおもってそばにいました よいこでした 
きもちしんじてくれてありがとう
にんげんだからいいたいことがいいたいとおもう
しんじてください とてもくやしい
ちいさいころからいいたかったいいたいことがいっぱいあったけどなかなかいえなかった
きもちをことばでいえたらいいとおもってきた
(こんなこと聞いて悪いけど、どうしてつばを服にはいたりするのですか。)
つばはきもちをおちつかせるためです
またやりたいです
きもちがつたえたかったけどつたえられなかった
にんげんだからはなしたかった
きもちをつたえたい
ふしぎですどうしてわかったの ぼくがことばがわかっていることが
うれしいです
ことしもありがとうございました らいねんもよろしく

 次は、▽▽さん。プッシュスイッチを一緒に押しながら、選択の場所で、ふっと力を押しつけてくるという方法で書いてもらった。途中で、妻が交代して、できた文章だ。

ちいさいときからはなしたかった
きもちをことばでいいたかった
くやしかった
ふしぎことばがかってにすらすらでてきます
ねがっていました じぶんのきもちいえるようになることを
すいっちがほしい かいたい
ひまなときやりたい
いいすいっちですね
たのしかった
(○○さんも書いたんだよ。)よかったね
すばらしい
りかいをありがとう

 私にとっては未知の領域に足を踏み入れた感じだ。いつもは、すぐに立ち上がって行ってしまうのに、ずっと、パソコンに向かい続けたお二人だった。
 お二人の、ふだんには見られない、心のそこからの笑顔が印象的だった。
 
2008年12月21日 01時04分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月08日(土)
すぐにやってくれてすごくうれしかった―お父さんへ―
 都内の通所施設でのできごと。6月に初めて文章を綴り、9月にご両親が見に来られた◇◇◇さん。さっそく、おうちでも取り組み、自由に気持ちを伝えられるようになっていた。日記として、ほとんど毎日パソコンに向かって来られたとのこと。とても、励まされる話だった。
 いただいた日記は、ご両親との会話が満載だった。祖父母への手紙、東京ディズニーランドの話、成人式の衣装の話、通所施設でのハロウィンの行事の話などなど。喜びがひしひしと伝わってくる日記だった。その中に、自由に書かれたものとして、繰り返し出てきたのは、ご両親への感謝の言葉だった。いちばん言いたくても言えなかったことが、この言葉だったのだとつくづく思う。
 この日は、おとうさんにまずやっていただいて、私が代わった。すでに相当なスピードでうてるようになっておられるのだが、どうやって、さらにスピードをあげるかということを伝えるためだった。

◇◇◇(名前)。ありがとう。

 ここまで、お父さんと書いて、私に交代。

みてくださってかんしゃしています。

 ていねいな言葉遣いにお母さんが思わず感激。

つかいやすいです。ていこうがないのでかんたんです。
うれしいです。かんがえただけでことばがでてくる。
のぞみはみんなとはなせるようになることです。
このやりかたをみんなにおしえてあげてください。
すぴーどがはやいのでらくです。はやいほうがとてもつかれません。すばらしいです。
しんじてもらえてうれしいです。

 ここで、文章のトーンが変わった。

ねがいはすなおなひとになることです。

 今でもとてもすなおだよというご両親の言葉かけを受けながら、こう続けた。

だれとでもしょくじができることやせまいきもちにならないことです。すなおなきもちのひとがこどものころからのゆめでした。

 言葉を話せないという状況では、受け入れられないことを、ていねいに断るということはできず、断固とした拒否というかたちでしか表現することができないことも少なくない。私も、そういう拒否にいろいろな場面で出会ってきたが、まさか、本当はすなおにすべてを受け入れるような人でいたいのに、拒否せざるをえないことに、本人自身が傷ついているとは、思ってもみなかった。ハンディは、すなおに生きたいという夢さえ簡単にはかなえさせてくれないのだ。

どうしてしばたせんせいはわたしがことばのりかいがあることがわかったのですか。おしえてください。

 多くの方々が問いかけてくる質問だ。答えはいつも同じだ。わからなかった私に切実に訴えてきた方々の力によって、ようやく言葉の存在がわかるようになったということだ。扉を開いたのは私ではない。知らず知らずのうちに押さえつけてしまっていた扉は、そういう方々によってこじあけるようにして開かれたのである。
 そして、最後にこう綴った。

しばたせんせいのおかげでじがかけるようになれたのでかんしゃしています。
おとうさんにもとてもかんしゃしています。
すぐにやってくれてすごくうれしかったー

 
2008年11月8日 09時54分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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ともだちはわかってくれたけどおとなはりかいしてくれません
 都内の通所施設でのできごと。
 ずっと気にかかっていて、関わることのできなかった○○さんと、ようやく関わることができた。簡単な言葉を発してはいたが、どこまで、そのような力を秘めているかは、まったく予想はできなかった。ただ、これまでも、仲間がパソコンで文字を綴るのを遠くから、鋭く訴えるようなまなざしで見ているようなことがあることが、とても心にひっかかっていた。
 そして、実際に取り組んでみると、一気に文章を綴り始めた。

てをつかえるなんておもわなかった
このすいっちがほしいです
ください いくらしますか かいたいです
ねがっていました じぶんでかけるようになることを
かのうせいをしんじてくれてありがとうございます
こんなにすぐにかけるとはおもいませんでした
しんじられません
なぜことばがりかいできるとわかったのですか
ともだちはわかってくれたけどおとなはりかいしてくれませんでした
がっこうのともだちです
×××しょうがっこうです
つかれませんすいっちがかるいので
すばらしいです このほうほうは。
あしたのきぼうがわいてきました

 そして、このことを横でずっと見守りながら、応援をし続けていた車いすの▽▽さんに向かって、次のような言葉をかけた。

いちばんうれしいのは▽▽さんがよろこんでくれることです
すてきなともだちです
こんどいっしょにおちゃをのみにいきましょう

きぼうがわいてきました
ついにてをつかうことができました
うれしいです
じぶんでかいていてもじぶんでかいているきがしません

 ところで、この通所施設には、2階に別の部門があり、そこに、私がかつて、関わったことのある◇◇さんがいる。彼女とは、この施設ができる前に、彼女が以前通っていた施設で関わったが、こちらでは、関わりは途絶えている。その彼女のことが突然語られたのだ。

うえのかいにいる◇◇さんがいっていました
ことばをきいてくれるひとがいるときいていましたがしらないのでわすれていました
◇◇さんはわたしのいえのちかくにすんでいます

 ここで、本人から聞いたのかお母さんから聞いたのかと尋ねると、

ほんにんからです

と返ってきた。

かんげきしています
けしてこどくではありませんがしんゆうは◇◇さんだけです

 ◇◇さんは、かつてこんな文を書いた人である。ちょうど3年前の11月のことだ。当時は、今ほどに長い文章を綴る方法を発見していなかった。

◇◇(自分の名前)かわいいさ うれしい 
くすりのみたくないから かあさんくすりへらしてください。

 発作のコントロールのため薬をたくさん飲んでいて、いつもうつろな表情をしていたが、いったんスイッチを押すと、こんな文章を書いて、周囲を大変驚かせたのだ。
 けっしてわかりやすい発声ができるわけでもない◇◇さんが、○○さんにこうしたことを教えていたというのだ。誰も知らないところで交わされていた二人だけの会話があったというそのことが、何か切なさをもって迫ってきた。
 一方、話は、さらに大きな夢へと向かっていく。

もしねがいがかなうならいいひとといっしょにくらしたい
けっこんだってしてみたい
りそうのひとはかっこよくてやさしいひとです
おとこのひとです
そんなひとがあらわれることをしんじています
すてきでしょう?

 20代の女性として、当然の思いだ。「すてきでしょう?」という言葉が、彼女の笑顔と響きあっていた。

2008年11月8日 00時51分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月07日(金)
とうとうほんとうのわたしをわかってもらうことができました
 都内の通所施設でのできごと。
 ☆☆さんは、自分で何とか車いすをこいで、ゆっくりと短い距離ならできる方だ。短い言葉も話している。まったく表現手段を持たないと思われていた人の言葉を援助するということが多いため、こんなふうに話せる人は、あえて、パソコンでなくても、十分に気持ちを表現できているかもしれないと、つい思ってしまうことがある。しかし、実は、話すことも運動の一つである以上、障害は、発語にもおよび、思っていることの何分の一しか話せていないということが起こっているということも、最近、ようやくわかってきたことの一つだ。そして、☆☆さんもまさしく、そうした方の一人だった。
 別のもっと障害の重いとされる方がパソコンをやっているのを遠巻きに見ておられたので、一区切りがついたところで、誘ってみた。はっきりとうなづいて、やる意志を表現した。
 スライドスイッチの棒を握って、こちらがオンオフを軽く繰り返しながら、ほんのわずかな力が加わることによって選択の意志を読み取るという方法で、さっそく、2スイッチワープロを始めた。
 まず、彼女は、手を使って文章を書ける喜びを語った。

のぞみねがっていました てをつかえるようになることを
てがつかえてうれしい
よくやれるとおもっていましたがきかいがありませんでした
ぶんしょうがかけるとはおもいませんでした

 次に、私への質問が続く。

どうしてわたしがこんなにできることがわかったのですか

 私は、いかに私がわからない人間であったかということ、そして、たくさんの障害の重いとされる方々によって、その間違った考えを打ち破られてきたこと。今だって、会ってすぐにこの人はこういうことができているから文字も綴れるというようなことがわかるわけではなく、これまでのそういう経緯から、可能性を信じていきなり文字に挑戦しているということを伝えた。
 
よくりかいしてくれてありがとうございます
のぞんでいたことがかなってとてもうれしいです
ふしぎですじぶんのきもちをすらすらかけるとはおもいませんでした

 そして、この方法について質問や感想が語られる。

どうしてじぶんのきもちがよみとれるのですか
じぶんでかいているようなきがしません
すばらしいほうほうですね

 彼女にとって、運動は、大変な努力の結果起こるもので、しかも、起こったその運動は、力が入りすぎ、しかも、とても制限されたものだった。しかし、このワープロでは、ただ、運動を起こすために身構えるだけで、スイッチがその力を拾えるので、不思議な気持ちになったらしい。
 ついで、私への質問が続く。

せんせいはどこでおしえているのですか
どうして×××にきたのですか

 ここで、いろいろ感じてきたことを書くように勧めたところ、内容は、いっそうシリアスなものになっていった。

くるしみからかいほうされました
かなしかったのはいつもちえおくれといわれてきたことです
だれもわたしのちからをしんじてくれませんでした
ぶんしょうだってかけるのにむずかしいことだってかんがえているのにことばがまともにしゃべれることもりかいしてもらえませんでした
でもとうとうほんとうのわたしをわかってもらうことができました
よくりかいしてくれてありがとうございます
ぶんしょうをかけることがわかってもらえてうれしいです
りそうはじぶんひとりでできるようになることです

 ここで、突然だったが、自分で計算の問題を作って解いてみてほしいと尋ねた。テストをするつもりはなかったが、数の面でも、いろいろなことがわかっていることを明らかにしておいた方がよいと考えたからだ。すると、次のような式と答えと感想が書かれた。

333÷3=111
どうしてすうがくがわかることをしっていたのですか

 最後に、次のような言葉をいただいて、文章は終わった。

これからもよろしくおねがいします
よかったらまたいっしょにかいてくださいおねがいします

 私たちは、取り返しのつかないことをしてきたのだとつくづく思う。障害のある方々のことを十分わかった上で、「理解のない」社会に向かってともに訴えていくというようなおごった見方や、この人はこういう段階の方だからそれをふまえて関わるといいつつ結局は、相手の本当の力を見抜けず、相手の尊厳をふみにじるようなことをしてきたということだ。
 また、彼女からぎりぎりのところからの言葉を聞きたいと思う。   
2008年11月7日 23時42分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年10月05日(日)
「本当はまじめな人なんですよね」
 隔月で通う通所施設に、電動車イスを駆使して町中を巡り、数々の武勇伝を持つ方がいる。基本的なコミュニケーションは、指で丸を作って空中に差し上げる気持ちのいいイエスを初めとして、指さしなどの身振りを交え、ほぼスムーズにできる。もうこの施設に通い始めて数年になるが、世間話はするものの、あえてパソコンを介して関わる対象とは、お互いに考えてなかったように思う。そんな中、初めて、彼に2スイッチワープロを出した。2つ並べたスイッチをゆっくり押し分けることは十分に一人でできると思ったが、そのスピードで表現できることだと、身振りを越えることはないと思ったので、力をあえて抜いて、スライドスイッチの棒の取っ手に手をかけてもらい、こちらがリズミカルにオンオフを繰り返す中で、彼の微妙な力を読み取る方法で挑戦した。以下、彼の文章である。

すごいすいっちがすいすいうごく
うれしい ください
すいっちがこうなったのはどうして
(一人でスイッチを動かして試してもらうと滑りすぎてうまくいかなかったのを受けて)
つよくうごかすとうまくいかないのがふしぎです
つよいうごきのすいっちはありますか
(今は、持っていないということを告げ、続けてもらう)
ふしぎです
おもっただけでことばになっていくこのやりかたをだれがかんがえたの
すばらしい
(このスイッチで、この通所施設の障害の重い方々の言葉を聞き取っていることを説明すると)
かれらにことばがあるとはおもわなかった
このやりかたはすごい
すいっちをたくさんつくってください
つらいきもちでまいにちをすごしているひとがたくさんいるのでがんばってください
こんなことがみぢかでおこるとは

 たくさんのコミュニケーション手段を持つ彼の言葉だからこそ、また貴重でもあった。そして、強い励ましの言葉がうれしかった。
 いつも、どちらかと言えばいたずらっぽいおどけ役を演じている彼の、本当の心がかいま見えたように思えた。
「本当はまじめな人なんですよね」と声をかけると、空中に指で作った丸が高く差し上げられた。
2008年10月5日 08時09分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年10月04日(土)
亡くなった友への思い
 隔月でうかがっている通所施設で、○○さんに会った。休みのことも多いので、彼と関わり合いを持ったのは実に1年以上も前のことになる。ちょうどその頃、新しい通所施設が開設され、多くの仲間が、そちらに移るということがあった。それまで毎月通っていた私たちも、両方の施設に隔月でうかがうようになった。
 あいさつの言葉を書いてくれたあと、すぐに彼が書いたのは、新しい施設に移って、この5月に亡くなってしまった☆☆さんのことだった。二人は、この施設の中でも格段に障害が重く、二人はよく並んで時間を過ごすことも多かった。

げんきでしたかなか
なかあえなかったけどげんきそうであんしんしました
くるしいこともありました
☆☆さんがしんだことです
☆☆さんがしんでからずっとかなしみがきえません

 亡くなってもう5ヶ月が経過したけれど、彼の中では、悲しみが消えないのだという。先月うかがった新しい施設の方でもやはり、同じように重い障害をもった方が、同様の言葉を綴っていた。同じ状況にある者同士にしかわからない、深い絆がそこにあったのだろう。そして、さらに言葉は続く。

☆☆さんはことばがわかっていたのにはなせませんでした
なんでもよくわかっていたのにりかいしてもらえませんでした
このすいっちはできるとおもいます

 彼女がこちらの施設にいる時には、私たちは、彼女の言葉を聞き取ることができなかった。まったく動かないその手から、力を読み取ることができなかったのだ。彼は、そういう状況を見ていたのだ。彼には、彼女が「なんでもよくわかっていた」のは自明のことだった。それは、自分自身に重ね合わせれば、疑いようのない事実だったことだろう。しかし、残念ながら、現在の常識では、そんなふうに思える人は、ほとんどいない。
 そんな中で、彼は、自分と同じように彼女も言葉を語ることができたはずなのに、と無念の思いを綴った。
 ここで、すぐに、彼女が新しい施設での関わり合いで文章を綴れたことを伝えた。すると、彼は次のように答えた。

よかったそのことがきけて
とてもうれしい
なくなってしまったことはざんねんですがことばをはなせてほんとうによかった
くよくよせずにぼくもがんばらなくてはいけない

 彼女が一言も発することなく逝ってしまったのではないかと痛恨の思いを抱えていた○○さんにとって、彼女が言葉を話せたことはせめてもの慰めだった。ずっと言葉を話せずにいることや言葉を本当はすべて理解できていることを知られずにいる苦しみは、彼らにしかわからないものだろう。そんなぎりぎりの場所から発せられた言葉だった。
 この後、彼は私の読み取りが以前よりも非常に速くなったことをめぐって次のように語った。
すいっちがなぜすいすいことばをしらせてくれるのかふしぎです
(ちゃんと読み取りはまちがってないですか?

かけています
うれしいです
このすいっちがほしいです
てがつかえるとすばらしいです
このことをかあさんにもしってもらいたい
かあさんにしらせてもらってとうさんにもしってもらいたい
りかいしてもらえてとてもうれしい
のぞみがかなってうれしい

「おかあさんにおしえたい ぼくがすきだということ めんどうみてくれてかんしゃしています。」という言葉を書いて、部屋中に響き渡る大きな喜びの叫び声をあげたのが、3年前の12月。
「かあさんにいいたい ちゃんとしたありがとうはいえないけどいきてることにかんしゃしています。あいしてくれてありがとう ぼくこどものころからだいすきだったかあさんのこと。かあさんいつまでもともにいつまでもささえあいがんばってりかいしていこう。あしたがあればしんぱいはいらないとおもう」と書いたのが昨年の6月。
 彼の心は、いつも家族への思いであふれている。 
2008年10月4日 08時53分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年09月26日(金)
このからだでいることをほこりにしたい
 「人間としての当然の願い」と書いた○○さんの文章に出てくる◇◇さんの文章を紹介したい。
 ▽▽さんの死をめぐる、切々とした文章だ。亡くなった▽▽さんは、生前の文章の中で、◇◇さんのことをこう書いていた。「いつもひとりきりで◇◇くんとめであいずやよろこびをつたえあっているだけです。」互いに、豊かな言葉を持っていながら、その言葉ではとうとう語り合うことができなかったが、いつも目と目で語り合っていた二人だった。▽▽さんが亡くなってから彼に会うのは初めてだ。あれから4ヶ月が過ぎたが、思いをずっと胸に秘めていたのだろう。パソコンを開くとあふれ出すように、言葉が綴られていった。

▽▽さんがなくなってとてもさびしいです
かなしくてしかたありません
つらいひびがつずいてなきたいきもちです
どうしてともだちをおいてさきにいってしまったのだろうか
こいしくてたまりません
うちにいてもそのことばかりかんがえています
くるしいときもさびしいときもいつもいっしょだったのにことばでいつかかいわしたいとおもってきたのにもうそれもかないません
このあいだくやしくてはきました
くつうです
▽▽さんがいない×××はさびしいです

 どん底の思いが綴られていく。しかし、言葉は、少しずつ、明日に向かおうとその調子を変えていく。

×××につまらないときみんなでつまらなくならないように×××に▽▽さんをよびぼくたちずっとうちひしがれていないようにすごすことができるようにおねがいしたいです
うすいしあわせしかえられなかったかもしれないけどくいのないじんせいだったとおもいたいです

 ▽▽さんの人生を「悔いのない人生だった」だろうと思い、▽▽さんを失った思いに一つの区切りをつけ、さらに文章は、この悲しみを越えて強く生きる方へと向かう。 

くるしいときのことをおもいだすとこんなことでないてばかりはいられないとおもうのでてんごくの▽▽さんにたすけてもらいながらつよくいきることにしたいです
うらやんでばかりはいられないのでこのからだでいることをほこりにしたい

 自らの体を誇りにしたいという究極の自己肯定によってこの鎮魂の文章が結ばれたことによって、私もまた救われた思いがした。
2008年9月26日 15時52分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年09月23日(火)
そらのようにすみわたるこころでいきていく
 人間としての当然の権利と書いた男性の文章の中で触れられていた☆☆さんの文章を紹介したい。
 前回6月に文章を書いてもらったとき、その場で手紙を書いて連絡帳にはさんでもらった。さっそく、お母様からごていねいなメールをいただき、次回はぜひ一緒に、ということで、3ヶ月も経ってしまったが、ようやくその日を迎えることができた。ご両親の見守る中で、さっそく文章が綴られる。前回の書き出しが「くやしいですきもちをおかあさんにつたえることができなくりかいしてもらえないです。」だったから、3ヶ月で状況が変わったことがわかる。ただし、「りかいしてもらえない」というのはあくまで文章を綴る力を秘めていたことである。

りかいしてもらえてうれしいです
てがつかえてわたしはそれもうれしいです
もっといろいろなことをはなしたいです
ぬいぐるみのようないきかたはしたくありません
ずっとかんじてきました
ねがいはつよいきもちでなんでもやることです
すぎたことはもどってこないからしかたないけれどみらいにむかってきぼうをもっていきていきたい
らくにできてうれしい

 あまりにも多くの同じ境遇にある仲間たちと相通じる思いが、同じ言葉で語られている。感覚がマヒしてしまいそうな自分がこわいくらいだ。理解されること、手が使えることの喜び、ぬいぐるみという比喩、そして過去を食い入るのではなく未来に向かう強い意志…。
 そしてさらに次のような美しい言葉に高まっていく。

のぞみはそらのようにすみわたるこころでいきていくことです
のぞみどおりのいきかたはむずかしいかもしれないけれどこどものようにきよらかなきもちでいきていきたい

 このように高まった表現を一度自ら鎮めるように次のような言葉が続く。

はずかしいけれどくるしいときはなきたくなります
すてきなひとがすくいにやってこないかとおもいます

 そして、目の前のご両親に向けられた次の言葉で、一段落した。

くるしいときはおかあさんとおとうさんがたよりです
これからもよろしくおねがいします

 この後、見えないと言われていた目が見えていること、そのことがわかってもらえずくやしかったこと、姿勢のこと、寝る前に決まって手をかりかり動かして遊んでいるのは手が勝手に動くことなど、日常生活の様々なことを話し合った。
 そして、もう一度切実な思いが綴られる。

なかなかわかってもらえずいつもくやしかったです
つらいのはがまんできますが
さびしいのはがまんできません
けっこうまいにちたのしくやっているけれどきもちがつたわらないとさびしいです
ねがいはみんなにりかいしてもらうことです

 つらさはがまんできてもさびしさはがまんできないという言葉をもう一度かみしめながら、彼女の願いがかなう日に向かってがんばりたいと思う。ただ、もう、彼女は一人ではない。みんなで、つながりあって今を変えていきたいと思う。
2008年9月23日 01時10分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年09月20日(土)
「人間としての当然の願い」 「みんなとはなしができること」
 隔月で通う都内の通所施設で、3人の方とパソコンで関わった。8月時間が作れなかったので、今回は3ヶ月ぶりだった。この日3番目に関わった○○さんは、二人の文章を受けて綴り始めた。
 最初は、2回前から文章を綴り始めた☆☆さんのことだ。この日は、ご両親も様子を見にいらしていた。
 
☆☆☆さんができないなんていがいなことですからぼくはかけるとしんじていました
おかあさんとおとうさんがおはなしをききにくるときいてうれしかった
えがおがきれいなふうふでした
となりでみてましたね
なかなかできないかもしれないけれどあきらないでさへいたらかならずできますからがんばってください
 
 現在の常識では、言葉を綴ることを予測するのは容易ではない☆☆さんだが、○○さんの目には、当然書ける人だと映っていた。私たちが彼女にパソコンを出すまでには、だいぶ時間が経過したから、その間、○○さんはずっと、その日が来るのを待っていたのだろう。「がんばってください」とはご両親に向けられたもの。家でもやれるようにとおっしゃっていたご両親へのエールである。
 次は、◇◇君の文章について。◇◇君は、5月に亡くなった女性への思いを切々と綴った。親しい友を亡くした絶望的な思いから始まり、最後は、自分自身が力強く生きていこうという言葉で結ばれる長い文章は、張り詰めた気持ちが一貫して流れる拡張高い文章だった。その文章を聞いて○○さんは、次のように綴る。

◇◇くんがかいていたのはすてき
いなくなってもにんきがあるなとおもう
▽▽さんはかわいいしみりょくてきだからさびしいとおもう

 彼もまた、昨年12月に彼女が初めて文字を綴った日に、「▽▽さんはのぞみをかなえられてよかった。てがつかうことができなくてもわかっているひとがたくさんいるけどなかなかいいたくてもいえなくてかなしい。このことはりかいされにくいけれどさんぴめぐるぎろんよりもだいじなのはなかなかはなせないひとのきもちです。」と綴り、5月には、「▽▽さんがなくなってさみしさがつのりかなしみがふえてつらいひがつづいています あうことがかなわなくなってしまいなんとなくくやしい あいたかった とつぜんのことで(…)」と書いていた。
 亡くなった方も含めて、○○さんの通う施設には、言葉でのコミュニケーションは難しいと思われながら、パソコンで気持ちを表現できる人が4名いることになる。初めは、何よりも表現することが先だったが、こうして、少しずつ互いに書かれた言葉をやりとりできるようになり、○○さんの中に新しい願いが生まれつつある。それは、次のようなことだ。

ねがいはみんながねがっていることをなんでもいえるようになることです
ねがいはかんたんにきもちをひょうげんできるようになることです
ともだちとどんなことでもはなしたい
もっとかんたんにはなせるといいとおもう
とてものぞめないとおもっていたけどすいっちがみつかってよかったです
このすいっちをなんこもつくってみんなとはなしたい
なんこもあればみんなではなしができます
にんげんとしてのとうぜんのねがいです
すばらしい
ほんとうのすばらしさはみんなとはなしができることです
ねがいをかなえるためにがんばりたい
そのひがくることをゆめみてがんばりたい

 人間としての当然の願いがかなえられる日が、まだ、夢見る先のできごとである。「すいっちをなんこもつく」り、「みんなではなしができるひ」の夢を実現すること、あちこちで語られ始めたこの思いがかたちになるために、具体的な一歩を前に向かって出し続けていかなければならない。
2008年9月20日 13時13分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年07月18日(金)
都内のある生活実習所にて
 隔月で通っている都内のある生活実習所にうかがった。前回の訪問と今回の訪問の間に、たいへん大きなできごとがあった。それは、この生活実習所に通っていて、昨年、近くに新しくできた通所施設に移った一人の女性が亡くなったことだ。その女性のことは、5月に紹介したが、彼女がこの施設に通っていた時は、まだ私たちは彼女の言葉を見いだすことはできなかった。彼女が初めて言葉を綴ったのは昨年の12月。全部で3回の言葉のうちの2回の言葉の中に、ここの仲間のことが登場する。2度目のものが、「×××のみんなげんきかな あいたいわ てがみをかきたいです こんどあそびにきてください」であり、3度目は、「らいげつは×××ですか。みんなによろしくつたえてください。わたしはげんきですとつたえてください。またあいたいですとつたえてください。」と綴ったあと、仲間の文章のいくつかを見せたところ、「すてきなことばでしたほんとうに。のぞみをすてないでよかったね わたしたち」と綴っていた。
 朝、最初に関わった◇◇さんは、こう綴った。「とてもかなしいことがありました ○○さんがなくなりました つやのせきにでかけておわかれをしたかったけどできませんでした かなしかったけどかあさんがいきましたのでかわりにせんこうをあげてくれました きになっていることがあるのですが○○さんがかいたことばはどのようなものだったのでしょうか てがみのようなものだったのでしょうか」そこで、◇◇さんに○○さんの言葉を改めて見せたところ、「すてきなことばでした ねがいがかなってしあわせだったのですね しんじてもらえず ○○さんはさびしかったね でもじぶんのきもちがいえてよかったね じぶんのきもちもいえずになくなってしまったら もっとかなしかった」と続いた。
 また、▽▽さんは、「せっかくことばがはなせたのに○○さんはざんねんでした すてきなぶんしょうでした ほんとうにざんねんでたまりません かあさんが○○さんのおそうしきでいただいてきました かあさんからせんせいのことをきいておどろきました ○○さんのことをみていたとはおもわなかったからです ○○さんのことはぜったいにわすれません くやしかったとおもいます みんなになかなかわかってもらえず わたしにはそのきもちがよくわかります とくにりかいしてもらえないつらさはわたしもおなじですから りかいされないくるしさはとてもことばではいいあらわせません」と綴った。
 お二人は、ともに30代半ばの女性。お二人とも、今年になって初めて文章を綴った方々である。10ほど若い○○さんのことを妹のように思っていたことだろう。ともに同じ場所で過ごした日々は、互いの思いを言葉で知ることはなかった。そして、○○さんが別の施設に移って初めて、互いの言葉を交わし合った。容易には、はかりしれない思いがそこにあることだろう。
 そして、同じグループにいた男性▽▽さんは、短いながら、次のように綴った。「せんのかぜになって(の?)うたをききにいきたいとおもっていますのでおかあさんおねがいします」。確かめることはしなかったが、もしかしたら、○○さんへの鎮魂の思いをこめていたのかもしれない。
 すでに○○さんが、逝ってから2ヶ月が過ぎた。しかしみなさん、それぞれに、その死の意味、あるいは生の意味を考え続けてこられてきたのだろう。
 
 また、5月に初めて文章を綴った☆☆さんは、次のように綴った。「おはよう こまっています はやくわたしたちのことばがあることをかあさんにおしえてください。◇◇さんがはなしていることでもかまわないのでなんとかことばがわかることよくもっとつたえましよう。せんせいはなぜ、そんなことやれたのか おかあさんにおしえて」。そして、そこへタイミングよくお母さんがおみえになった。すると「まねしてやってもらう。」と書き、お母さんとともに、自分の名前を書いた。彼女が5月に書いた生まれて最初の文章は、「みなぱそこんがせんぶてでできるようになったときいたけどよかた。すきそうなしがかきたいわ。わたしたちやさしいかぜがいる。せいかつじっしゅうじょにあなたいなきゃいね。ぬくいかぜがふいてきそうです。(彼女の両親は西日本出身で、「ぬくい」は、そちらでよく使う言葉だ)よいきもちにさせてくださいます。くらいきもちをあかるくしてくださいます。ねがいごとはこんなんにまけないきもちをもつことです。のぞみはわかってもらえることです。ごかいされてほんとうにかなしいときがあります。といれがいえないのでくやしいです。にんげんとしてあつかってほしいです。ねがいはにんげんとしてけだかくいきていくことです」というものだった、お母さんには直接渡っていなかったとのこと。お母さんは、ただただ驚いて、彼女をだきしめ、いろいろな言葉をかけ続けた。38歳の彼女が、突然、言葉を綴ったという事実を、一瞬のうちに受け止めるというのは、お母さんにとっても大変なことにちがいなかったが、お二人の姿は喜びに包まれているように見えた。
 彼女は、数年前、私がボランティアとしてパソコンとスイッチをかかえてこの施設に通い始めた時、もっとも障害の重い人のグループにいて、最初にスイッチをたたいて笑顔を見せてくださった人だった。しかし、その反復的で、瞬発的なたたき方は、もっとも初期的な手の使い方であり、それゆえ、言葉から大変遠い方だと決めつけていた。ただ、そういう方とのつきあいこそ私の専門と考えていたので、彼女の存在は私にはとても大きかった。施設の方も、あの☆☆さんが、喜んでスイッチを連打しているということを、関わりとして高く評価してくださったし、そのことで、外部者である私は、受け入れてもらえたと思ってきたのだ。そんな☆☆さんが、深い思いを言葉で語っている。長いこと、言葉がないけれど、音楽が好きと決めつけていた私たちの誤り。償いきれないほどの誤りが、また、ここにもあった。
 また、次の関わりあいは2ヶ月以上先のこと。その間、たくさんの言葉と気持ちをあたためておられらることだろう。
2008年7月18日 23時02分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年06月20日(金)
ある通所施設にて
 今日、うかがったのは、都内の通所施設。お二人の方とゆっくり関わった。
 午前中は、二十歳くらいの女性である。2月に初めて関わって、今日が2度目だった。音楽がとても好きと言われていて、彼女のそばではいつもすてきな音楽が流れている。前回は初めて文字を綴ったのだが、「やっとはなすことができてうれしい たあくさんはなしたい」と率直に笑顔で喜びを綴っていた。
 しかし、今日は、どこか意を決したような表情から始まり、「くやしいです きもちをおかあさんにつたえることができなく りかいしてもらえないです。(…)くやしいのは なかなかことばがわかっているとおもってもらえないことです。」という文章ができあがった。これまで、彼女が言葉を当たり前に理解し、文字もきちんと理解していると考える人はほとんどいなかったから、こういう状況も無理もないことだった。そこで、私は、どうやって文字を覚えたか教えてくれると、みんな納得するかもしれないと問いかけてみた。すると「ちいさいころからてれびをみておぼえました。きっといつかかけるひがくるとかんがえていました。ねがいがかなってとてもかんげきしています。」という答えだった。こんなふうにいろいろやりとりをしているうちに、彼女の言葉は、別の方向に向かっていった。「ねがいは いろいろなひとにのぞみをわかってもらうことです。いつまでもげんきにしていてほしいとおもう、おかあさんには。いつもめんどうをみてくれて かんしゃしています。なかなかいえずにいたけど いえてよかったです。」としめくくられた。今日、書いた文章に私からのお手紙を添えて、彼女のかばんに入れてもらった。うまくお母さんに伝わったか、それが気がかりだが、きっと彼女の懸命な思いは、伝わるにちがいないと信じている。
 午後からは、25歳を過ぎた男性だ。5月に親しい仲間の女性を亡くし、そのことから始まった。この女性のことを綴った文章は、「○○さんはのぞみをかなえられてよかった。」(07年12月)というものから始まる。彼女がようやく気持ちを表す手段を得たことをめぐる言葉だった。そして、「ずっとしんじてもらえずに○○○さんもつらかったねとちゃんといってあげたい。よいめぐりあいができてほんとうによかったね。われわれはりそうめざしてがんばろう こんなんにたちむかいしんけんにやっていこうと いいたい。てにいれたしあわせをてばなさないで くなんをのりこえていこう。くるしみとかなしみのむこうには おおきなきぼうがまっているから めのまえのこんなんがどんなにおおきくても むねをはっていきていこう。いつまでもずっと。ほんとうのしあわせをてにいれるまで。」(08年4月)と続く。そんな矢先、彼女が突然旅立ってしまった。その直後に、「○○○さんがなくなってさみしさがつのりかなしみがふえてつらいひがつづいていますあうことがかなわなくなってしまいなんとなくくやしいあいたかったとつぜんのことでみこと(言葉)がでてきません」(08年5月)という言葉が綴られる。そして、今日を迎えた。
 蒸し暑い一日で、疲れが見えた彼だったが、時折瞑想するようなまなざしで、次のように綴った。「めいふくをいのっています。かぎられたいのちなら できるだけずっとおかれたかんきょうにとらわれることなく かりそめでもいいから いのちがつきるまで わらいをなくさずにいきていきたいとおもう。なぜてがつかえないといきるのがいきにくいのだろうか。わからないけどよくいきていきたい。」仲間の死は、たくさんの問いを彼につきつけたようだ。
 2ヶ月前、元気に「ろまんいっぱいにこれからもいきてゆこうね。」と綴った彼女の姿は、今日この場所にはなかった。そのすっぽりとあいた穴のことをあえて語る人はいなかったが、みんなそれぞれに問いをつきつけているにちがいなかった。いのちの問題の重さをいちばん受け止めているのは、障害と向かい合ってきた人たちなのだから。
 
2008年6月20日 23時57分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年05月12日(月)
ある女性の逝去
隔月で通っている通所施設の女性が逝去された。自発的に動かせる体の場所はほとんどなく、スイッチを通した関わり合いは、ことごとく失敗して何年も経過してきた方だ。ところが、体調が安定してきた昨年の12月、彼女は、突然文字をパソコンで綴った。「うれしい ぱぱいろいろありがとう ままいままでありがとう」という両親への感謝をつづったものだった。そして2月の文章は、53文字で、昔の仲間に手紙を書きたいという思いだった。最後の関わりとなった4月、文章は、427文字と飛躍的に長くなったが、冒頭は、「くやしいのしんじてはなやくさのようにほこりをろまんいっぱいにもちつついきていてもしんじてもらえないの」というものだった。現在の常識では、彼女ほどの重い障害を持っている方が、いきなり文章をつづるということは、にわかには受け入れがたいことである。私も、もっと時間を重ねていく中で、徐々に理解されていけばよいと考えていた。しかし、彼女にとっては、せっかくつづれた思いが思うように届かないことははがゆかったことだろう。そして、文章は、さらに「ねがいはたくさんのひとにしんじてもらえることです。」と続いた。しかし、文末は、「のぞみをすてないでよかったねわたしたち。りかいしてくれてもっとわたしたちのことをよのなかにつたえてください。ろまんいっぱいにこれからもいきてゆこうね。」と希望の言葉で結ばれた。
 ご葬儀で、私は、ご家族に初めて彼女の文章を手渡した。生前にお渡しできなかったのは、本当に残念だったが、それは、私の力のなさのなせるわざだった。
 ご葬儀は、彼女がどれほどご家族や周囲に愛されて日々を生きていたかをうかがわせる心のこもったものだった。言葉を越えたつながりの中で彼女が幸せに生きていたことをしみじみと感じた。
 死という冷厳な事実の前には、ただ立ちすくむしかないのだけれど、やはり、「もっとわたしたちのことをよのなかにつたえてください」という彼女の思いを、しっかりと受け止めて、また明日からの関わり合いの場に向かおうと、思いを新たにしているところだ。そして、少しでも、はやく、彼女たちが言葉を豊かにもっているということが、当たり前の常識となる日がくればと思う。
2008年5月12日 00時35分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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