中学生の○○さんが、風の罠という詩を作った。じっくりと作ったものらしく、大変完成度の高い作品だった。
風の罠
体が動かないのは誰のせいでもないけれど
なぜ私たちはこんなにもいい空の下を
うつむいて行かなければいけないのだろう
いつになったらいい風は私たちを
やさしく未来へ運んでくれるのだろう
悩みはいつも南の風の吹いてくる
名前も知らない人たちが住む
牢屋の中よりやってくる
小さい希望の唯一の願い
まるで罠をかすめた鳥の羽
誰も知らない静かな夜に
南の風は盗人のようにやってきて
私は砂を握りしめ
私の魔法の罠から逃れ
名前を探して未来へ歩む
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2010年6月5日 00時37分
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学齢前から関わってきた○○君も、中学3年生になった。全身が動かない病気をかかえて生きてきた彼に対して私が試みてきたことは、パソコンで言葉を綴ることだった。彼は、最初に出会った頃から、スイッチ操作はすぐに理解し、2スイッチワープロの送りスイッチをわずかに動く親指で操作し、決定を目で訴えるということがすぐにできるようになった。しかし、そこから彼の始めたことは、50音表の音をオ段だけ順番に選択したりするなどの「遊び」で、なかなか言葉を綴ることをしなかった。もちろんまったくできないわけではなく、時折、短い言葉を綴ってわれわれを驚かせることもあったが、文字選択の巧みさと、その内容にギャップがあったのは事実である。その後、手の親指と足の親指とで自由に2スイッチワープロを自由に操作できる時期が長く続き、いろいろな単語を綴るようになったが、それは、読んでもらった絵本の題名や聞いたCDの曲名、ディズニーのキャラクター等で、なかなか気持ちは綴らなかった。この頃は、2スイッチで操作できる自作の算数のソフトや音楽のソフト、描画のソフトなどもよく作っていった。そういうソフトにはとても興味を示し、プログラムのミスなどもよく発見して、驚かされたものだった。
そうするうちに、しだいに指の操作ができなくなり、体のかすかな動きを関知するセンサーを使ったピエゾスイッチで操作するしかなくなって、1スイッチのワープロソフトとして普及しているフリーソフト「ハーティーラダー」に移行していった。そして、無事、彼はそれを使いこなしたが、操作の鮮やかさに比して、綴られる言葉は、なかなか複雑にならなかった。
彼のコミュニケーション手段は他に、2スイッチワープロの原理で相手が「あかさたな」と読み上げるのに対して眉毛や口元による返事を返して言葉を伝えたり、透明板の50音表から視線で文字を選択するやり方などを習得していた。
いつか複雑な思いを語るはずだと思いつつ、時間だけが過ぎていった。
そんな彼に、私は、手をふる方法を試みてみた。まったく動かなくなって力も失ってしまったかに見える彼の手だが、かすかな力が伝わってきて、すらすらと言葉を聞くことができた。そして、驚いたことに作文が書けないということを言ってきたのである。今、こうやって話しているのをそのままハーティラダーで書けばいいのではないかと言うと、パソコンで書こうとするとうまく言葉が出てこないというのだ。そのことを聞いた日は、私自身どうしていいかわからなかったが、4月ぶりになってしまった2月の訪問では、このことにきちんと向かい合ってみようと考えた。この4か月の間に、彼は、1スイッチの意思伝達装置として有名な「伝の心」が使えるようになっていた。
最初にまず、手を振る方法で気持ちを聞かせてと伝えた。すると、
きもちをいうのはむずかしい
と答えが返ってきた。それでは、それをそのままパソコンで打ってみてというと、何と、漢字変換をまじえながら、「気持ちは楽しかった」と書いてしまったのである。感想文を書いても、たのしかった以外をなかなか書けないのが彼の作文のむずかしさだったが、ここで、その言葉が出てきたわけだ。しかし、明らかにこれは彼の本心ではない。どうして「たのしかった」と書いたのかを尋ねると、画面を見ていると浮かんできてしまうというのだ。
自閉症や盲重複と言われる人の中に同じような人がいたし、簡単な言葉が話せる肢体不自由の人がしゃべろうとすると言葉が消えると言った人がいた。それぞれ理由はちがうだろうが、気持ちを表現するには、われわれにはよくわかっていないハードルがいくつか存在するのはまちがいない。
そして、いろいろ尋ねていた中で、「いえのなかではろうそくがみえません」という言葉がふと出てきた。そこで、彼に、今、「ろうそく」という言葉が出てきたけれど、これは、心の奥底の中の気持ちだよね。そのままそういう気持ちを表現してみてほしい。たぶん詩のような言葉が出てくると思うので、それをパソコンで書いてみよう、といった。そして手をふる方法で、彼の心の声を尋ねてみると、まず、もう一度、「いえのなかではろうそくがみえません」と始まり、そのまま、詩のような言葉が綴られた。それをホワイトボードに書き取って、パソコンで書いてもらうことにした。パソコンでは、漢字の変換も使いながら、「うれしいです すらすらいえて」という感想とともに、次のような詩を文字にした。
家の中ではろうそくが見えません。
美しい日を見たいです。
勇気出して強く行きたいです。
私たちの言葉をもっと伝えたい。
昔からろうそくを見たいと思ってきました。
夢のようなろうそくが見たいです。
2行目の「美しい日」は「美しい火」ではないのかと尋ねても、彼は、「美しい日」であることを眉毛で主張した。「勇気出して強く行きたい」は手をふる方法では、「ゆうきがひつようです」だったが、パソコンに書く際に書き換えた。もしかしたら、「勇気」が「出す」を連想したのかもしれないが、彼は、これでいいということだった。
心の声をしっかり聞いて、勝手に連想してわき上がってくる言葉に負けずにパソコンに書いていけば、本当の気持ちが綴れるようになると、何度も繰り返し伝えて、この日はおいとました。
何かが見えてきたような、そんな気がした関わり合いだった。
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2010年2月17日 21時39分
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初めてであった小学2年生の女の子は、不思議な言葉から文章を初めた。生まれて初めての文章のはずなので、「う」とくれば「うれしい」かなと思わず予想が生まれる。ところあ、「うし」ときて、「うしろ」と来るのかと思いきや…と予想がつかないままに「うしとかあさんがえる」という言葉が生まれた。イソップの有名な物語はあるけれどどうやら、自分で物語を作っているとのことだった。
、
牛とかあさんがえるが好きです。いいスイッチがあってよかった。聞くだけでいいのですごく簡単です。ぬいぐるみの生活とはおわかれです。(牛とかあさんがえるは)自分でかんがえた物語です。(そういう題名の物語があることは)知っていますが内容は知りません。
そして、物語を聞かせてくれた。
牛がいました。聞いているといい声で歌うかえるがいるので声を聞いているといい気持ち
ちになりました。いい声のかえるはいい歌を歌いながらいい小さいひざしをあびながら小さいころのことを思い出していました。小さいひあたりのよいところに牛は眠っていました。小さい牛でしたが人間になりたいと夢みていました。かいぬしは銀の硬貨を出していいました。いい歌を歌ったらこの硬貨をあげよう。軽い軽い命ですからいつかはいばらの道をいかなくてはなりません。頭のいい牛はかえるの歌をまねして歌いました。小さい声でしたがいい歌だったのでかいぬしはとても喜んで硬貨をあげました。銀の硬貨かは実に小さい硬貨でしたがきれいに光っていました。銀の硬貨を持って牛はかえるにいいました。これはお礼にあげよう。いい歌を教えてくれたからこの硬貨があればかえるはきっと人間になれるでしょう。かえるも小さいえらい人間に体をかえられていたので顔ごと人間になれたらと思っていましたからすすんで硬貨をこんおろと飛ばして人間になろうとしましたがなかなか人間にはなれません。いい硬貨ですが何かがたりません。きっといい心がたりないのだと思ったかえるはいい心が望みどおりに教えてもらえるいいところに旅だたなくてはいけないと考えて帽子をかぶってでかけました。おしまい。
おしまいの手前あたりで少し顔がくもってきたのでそのわけを尋ねた。
困ったからです。おしまいをまだ考えていなかったから。いい気持ちです。
そして、こんどは自分の胸の内の思いへと文章は続いていく。
聞いてほしいことがあります。敏感な人が少ないので私たちはお互いに言いたいことが言えなくていつも困っています。大人とです。かあさんといつも話ししていますができればほかの人とも話したいといつも思っています。いい歌声も聞きたいし、いい仲間とも話したいです。人間らしい過ごし方がしたいです。聞いてもらえてうれしいです。美しいところにいってみたいです。ハイジみたいになりたいです。いい女の人になりたいです。希望を望み通りの心に変えたいです。聞いてくれてありがとうございました。いい時間でした。うれしかったです。
小学校2年の女の子はまだまだ希望にあふれている。だが、物語をよく読んでみると、人間になりたいという牛やかえるの願いの中に、こめられた思いが秘められていることがわかる。2年生とはいえ、もうすでに、心はずっとおとなだ。どうすれば彼女が人間として生きられるようになるか、つきつけられた課題は大きい。
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2010年2月5日 15時37分
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3才の頃から関わってきて、ここ数年、たまにしかお会いしていなかった○○さんのお宅を久しぶりに訪問した。お父さんが昨年秋に亡くなられたことを知り、いつもやさしかったお父さんにお線香をあげさせていただくためだった。
そして、1年半ぶりに会った○○さんに、2スイッチワープロを試みた。なかなか手でスイッチを触ることがむずかしい○○さんだが今回は、肩や肘で挑戦した。すると、これまでのことが嘘のように、彼は、すらすらと文字を綴っていった。
きいてほしい きもち。
かあさんいつもありがとう。きもちいい。ちいさいときからはなしたかったからうれしい。きもちがいいたかったけどいえなかった。
(ひらがなはいつ覚えたのですか。)
ちいさいときにおぼえました。
なぜわかっていることがわかったの。たいへんうれしい。ねがいでした。
(簡単ですか。)
かんたんです。かんたんですがふしぎです。なぜちからをいれていないのにわかるのですか。
きいてください、ぼくたちのきもち。ぶんそうおうのいきかたはいやです。ちいさいころからなにもわからないといわれてきてかなしかったです。みらくるのようです。しんじられません。じぶんのことばだからほんとうですが。のぞみがかないました。まるでぼくのこころをよんでいるみたいです。
(手で握るスイッチはどうですか。)
てがかゆくなりますからこのすいっちがいいです。そんなやりかたをどうやってはっけんしたのですか。
てはかってにうごきます。はいそうです、ゆめみたいです。らくにはなせてうれしい。ふしぎです。だれもわかっているといってくれないのにどうしてわかったのですか。みかけによってごかいされてかなしいです。はい。ですがそれをわかってくれたひとはいませんでしたからうれしいです。
(最初に何か言おうとしてましたね。)
ひさしぶりといいました。ゆめのようです。
(おとうさんの話をしている時はどんなことを考えていましたか。)
ぼくもいっしょうけんめいがんばったといいたかったです。おとうさんがなくなってとてもさびしいです。そうぎにはでられなかったけれどひとりでもんもんとしていました。かあさんがとてもかなしんでないているのがかわいそうでした。とうさんのことをまいにちおもいだしています。ぼくはかあさんにめいわくばかりかけているのでもうしわけないです。らくなせいかつをさせてあげたいです。ねがいはそんけいするおとうさんにりっぱなすがたをみせることです。わかってもらえてうれしいです。りっぱなすがたとはじりつすることです。ねがいでした。なんねんかかってもいいからじりつしたいです。
いいやりかたですね。うれしいです。ねがいはこのほうほうではなせるようになりたいです。くろうしたてきたのでみとめられてうれしいです。じんせいをちからいっぱいいきたいです。かあさんにもよんでほしいです。ちいさいときからゆめでした。どうしてわかっていることがわかったの。ことばをりかいしていることがわかってもらえたらそれでじゅうぶんですりかいしてもらえてうれしいです。
おじいちゃんのことはにがてでしたがとてもだいすきでした。ねながらよくはなしをしてくれましたのでさびしいです。らくをさせてあげたかったです。
わすれていました。ぼくはみんなにとてもかわいがられていました。おとなになってもみんなぼくをだいじにしてくれました。だからとてもかんしゃしています。みんないいひとばかりでしあわせです。
わかってくれてうれしいです。みんなにありがとうといいたいです。
つかれました。しゅうちゅうしたので。
ありがとうございました、きてくれて。いいじかんでした。
家に帰って、この文章を、次の短い手紙をそえて、ファックスで送った。
今日は、○○君の気持ちを何とか、聞くことができて、とても感激しました。長いことおつきあいしていたのですが、こうした方法にたどりつくのに、ずいぶんと時間がかかってしまいました。
前にうかがった時にも、可能性は感じていたのですが、手を使ってスイッチを操作してもらう方法しかなかったので、うまくいきませんでした。この一年ほどの間に、手が敏感でスイッチをさわるのが苦手な人に、肩や肘などにスイッチを軽く押しつけていくやり方で反応が拾えるようになり、○○君ともようやくうまくやることができました。
ひらがなも小さいときに覚えていたということで、今までの関わり合いがとても的外れだったことに、申し訳ない思いがいたします。
やさしかったお父さんにも、こうした○○君の言葉をお届けすることができなかったことが残念です。心からご冥福をお祈りいたします。
また、よろしくお願いします。
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2010年1月12日 15時12分
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施設で暮らす○○さんのお宅を訪問した。小1からおつきあいしていながら、34歳になって初めて文字を綴ることのできた方だが、最初の時の、喜びのトーンは見られなくなり、せっかく言葉がわかることが明らかになったのに容易に進まない理解と、相変わらず放置されている仲間たちのことが、言葉を重くする。
聞いてほしいことがあります。なぜ自分たちの気持ちは聞いてもらえないのでしょうか場場を考えてもぼくたちの気持ちはもっと尊重してもらえたらうれしいです。理解してほしいです。勇気を出していいたいと思うのですが敏感に感じてくれる人が増えたらいいとおもいますがなかなかむずかしいようです。夢をかなえることができたらうれしいです。未来はわかってもらうことができたらいいなと思いますがまだまだむずかしいのでしょうか。人間としてやっと認められたので勇気を出して住んでいる場所を変えていきたいと思います。来年いっぱいぐらいには来てもらえますか。人間らしい生活がしたいです。ぼくだけではなく仲間のことが心配です。人間として夢を大切に生きていきたいと思います。人間としての気持ちを大切にしたいです。いい未来がほしいです。理解してもらいたいです。
一歩一歩前進はしていることを言い訳のように伝えて、最近、多くの方々から歌を聴き取っていることを伝えたところ、次の詩とメロディーを教えてくれた。
願いの実がなる花が咲く
昔の夢を紡いできたが
実のなる花はまだ咲かぬ
実のなる花を夢に見て
ぼくは理想の時を待つ。
「まだ咲かぬ」という言葉や、語りそのものの寂しげなメロディーが胸にささる。そして、さらに文章は続いた。
曲を理解してもらえるとは思いませんでした。びっくりしました。敏感さに驚きました。あっています。自分で口ずさむのとは感じがちがいました。いい気持ちです。小さいときから曲を作っていましたがまさか聞いてもらえるとは思いませんでした。
(歌は)大好きでした。おかあさんがよく歌ってくれました。きりがないくらいたくさん歌ってくれました。いいおかあさんです。
(施設になかなか来れないのは)忙しいからしかたありません。いつも小さい孫の世話でたいへんです。がまんしていますが心配しています。元気かどうか。自分はだいじょうぶですから。体にに気をつけてください。(面会の時の)散歩は無理をしないでください。ぼくが体重が重いからです。(体をつっぱらせるので重く感じることについて)力がはいるのはしかたありません。(勝手に力が入ってしまうんですよね。)そうです。勝手に力がはいってしまいます。(力がぬける薬でもあればいいけど)薬はこわいです。ぼくたちは眠らされてしまいますから。薬についてもぼくたちの意見を聞いてほしいです。小さいときからの願いでした。
だいじょうぶです。また来てください
暖かい家族にかこまれて育てられた○○さんの思いは、いつも暖かい。ご両親のことをしきりに気遣う心のあり方は、すでに自立をとげているのみならず、人間としての成熟がある。
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2009年8月16日 08時05分
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幼いときの交通事故の後遺症でずっと寝たきりの生活を送っているEさんのもとを訪れた。前回お会いしたのが12月だったので、7ヶ月ぶりとなる。その間に、パソコンだけでなく、手を振って音を選んでいく方法も発見したので、今回はそちらで話しかけてみることにした。
姿勢について尋ねるところから始まったが、すぐに新しい方法で会話が始まった。途中、歌の話や、結婚の夢のこと、臓器移植の話といろいろな話題に発展していった。
すわらないほうがいいです。
人間だから気持ちがあるので、聞いてほしいです。手で話せるとは思いませんでした。辛抱してきましたが、やっと願いが叶いました。夢みたいです。夢を見ているような気持ちです。私の気持ちを聞いてもらえるとは、思いませんでした。
(○○○(通所施設)に行って楽しいですか?)
はい
(散歩に行って、うれしいですか?)
はい
(なぜですか?)
季節を感じられるからです。
(―ぴくっと発作になり―意識はありますか?)
聞こえています。力が入っただけです。気持はあまりよくありません。
(発作のあと、笑っているのはなぜですか)
体が楽になるので笑っています。発作は嫌ですが、いつも体がこわばっているので、発作のあとは、楽になります。
人間だから意志があります。お母さんはいつも私のことを人間として扱ってくれますから、大好きです。(
○○○から帰ってうとうとして、食べさせてないことがあるよね)
お母さんも大変だからしかたありません。(食べたいものがありますか)
スープを飲みたい。お母さんが昔よく作ってくれたスープ。ヨーグルトのような雪のような。
(クリームシチュー?)
いいえ
(ヨーグルトにジャム入れて、とろみアップ入れて作っていたね。平成13年頃まで)
お母さんが作ってくれていたのがとても好きでした。素敵な味がしました。願いが叶ってうれしいです。気持ちを聞いてもらってうれしい。
(家族のことをどう思っているの)
感謝しています。お母さんは私のことで私にかかりきりなので、申し訳ないと思っています。願いは、気持ちをいつも言えるようになることです。夢みたいです。(行きたいところがありますか?)
ないです。私を遠くにつれていくことは難しいので、夢をみるだけでいいです。
(福島に行くじゃない。それはどうなの)
福島は近いからいいですが、他の所は行かなくていいです。留守番をしてもいいので、お母さんは行きたいとこがあったら、行ってください。気持ちを聞いてもらえてうれしいです。
(留守番は誰とするの)
ヘルパーさんです。
(今日食べたいものは何ですか。プリン・アイス・ヨーグルト)
ぷ・り・ん
(見たいテレビはありますか。はい・いいえ)
はい。きれいな音楽のかかる番組。クラシック。気持ちが落ち着くから好きです。
(歌を作ってますか)
はい。
(どんな歌ですか)
希望の車いす
希望の車いすが ゆっくりと 私の願いを運んでいく
夢の実をつけた 夢の不思議な木を探しに
夢の世界を駆け巡り
夢の世界の 夢の車いす 私の願いをかなえてほしい
信じられません。私の歌を聞きとってくれる人がいるとは思いませんでした。奇跡のようです。夢みたいです。
(他の人の歌を紹介すると、お母さんンがどこか共通しているとおっしゃったので、冬には希望の北風という言葉がいろいろな人から語られるということを紹介した。)
希望の北風。希望の北風はみんなに嫌われますが、北風は、希望の北風です。北に住む人たちの、苦労を感じ取って、吹いてくるので、希望の北風です。北風の意味がわかるのは、本当の苦しみをわかっている人だけです。雪のような心を夢見ているので、北風がすきです。
夢を見ているような気分です。人間として生きているような気持ちがします。夢みたいです。よい方法ですね。願いがかなってうれしいです。希望が湧いてきました。勇気が出てきました。無理かと思ってきましたが、夢みたいです。気持ちを伝えたかったです。私の気持ちを分かってもらえて、夢をみているようです。
(洋服は何色を着たいですか?どんな服を着たい?)
雪のような白い服をきたいです。雪が大好きですから。雪のような白い心。黄色も好きです。ピンクも好きです。雪のような白い服。
(この前、いわさきちひろ美術館で、白いTシャツを買ってきたね。)
ヘルパーさんがわかってくれました。
(看護師さんでしょ)
看護師さんでした。夢みたいです。黒いのは、あまり好きではありません。特にみんなと違うわけではありませんが、好きなのは白です。黄色も好きです。黄色は希望の色です。病める人にとって、黄色は希望の色です。
(黄色は、太陽・光?)
光です。ひまわりも大好きです。願いをかなえてくれるような花です。ひまわりを眺めていると、心が美しくなります。夢みたいです。夢を見ているような気分です。
(クーラーは好きですか?扇風機は?)
クーラーは、理想的な温度になればいいのですが、ちょうどいい温度にならないので困っています。悔しいのですが、なかなか言えないので困っています。扇風機は風が強すぎると困ります。お母さんがいつも工夫してくれるので、うれしいです。疲れないか心配です。疲れないようにしてください。
蚊が止まっても、たたけないのでつらいです。蚊が止まると、くすぐったいです。
(靴下は、5本指のがいい?)
どっちでもいいです。健康にいいのは、5本指。私にとっては、どちらでもいいです。靴下は履かせやすいのが、いいです。苦しいのは、家の人がのんびりできないことです。私のせいで、みんな苦労してしまって、悔しいです。苦労をかけてしまうので、勇気をもらいたいです。勇気が私には必要です。勇気がなければ、悲しみで私は死んでしまいそうです。勇気がほしいです。私は勇気があるので、生きていくことができます。
見たこともない景色が広がってきました。私の未来が広がってきました。
(福島に居ると、風呂が週に2回くらいだけど、どう?)
かまいません。私は風呂に入らなくても大丈夫です。お母さんが毎日入れてくれるので、うれしいです。お母さんを、もっと大切にしたいと思います。
(暑いけど、湯船に入ったほうがいいの?)
湯船に入ったほうが気持ちいいです。体の力が抜けて、気持ちが落ち着きます。苦労ばかりかけて、すみません。涙が出てきます。夢みたいです。勇気が湧いてきました。よい私になれそうです。
聞いてほしいことがあります。夢でいい人と結婚することができました。夢はいい人と結婚することです。かっこいい人と巡り合いたいです。なかなか巡り合えません。けやきの職員の中にはいません。職員はいい人ばかりで、好きですが、ここでいういい人とは違います。結婚できるかどうかわかりませんが、夢は大切にしたいです。夢みたいです。けやきはとても楽しいです。毎日行けてうれしいです。聞いてもらえてうれしいです。聞いてもらえて、気持ちが落ち着きました。夢を大切にしたい。
どうしてわかるのですか。
(えりなさんはどうやっているのですか?)
聞いていて、ここだと思っています。
臓器移植は反対です。私も脳死と言われそうですから。(昔、医師に遷延性意識障害と言われました。植物人間ということでしょう。)
心臓移植を待っている人のことを考えると辛いです。みんな、言葉があると思いますが、困っていると思います。私は言葉が言えて、幸せです。気持ちを言えずに困っている人がいると思います。理想的なやり方ですが、なかなか伝わらないので残念です。伝えたい人が、たくさんいるから、がんばってください。
(痰をとるとき、痛いの?)
痛い時もありますが、痛くない時もあります。どちらかと言えば、痛くありません。お母さんが丁寧にやってくれるので、たいていは痛くありません。勇気が出てきました。
(お風呂のあと、うつぶせにしているのは、辛くない?)
うつぶせにするのは、辛いです。辛いけど、必要ならしかたないです。とても辛いというわけではありませんので、大丈夫です。勇気が出てきました。痰は痛いけど、しかたありません。苦しいことはたくさんあるけど、私は幸せです。お母さんに大切にしてもらって。
死んでしまうところだった。生きることができて、よかった。死ななくてよかった。(事故の)記憶はありません。話には聞いているので、わかっています。自動車事故ですから、よく助かったと思います。私のことを助けてくれた先生には、感謝しています。私はわからないけど、脳死と言われてもしかたないです。
(お母さんの話:アルファ波が出てきて、脳死とは言われなかった。ベテランの医師は可能性が1割。大腿部の骨折の手術は、無駄みたいな言い方だった。信じていたから、意識が戻った時に骨折が治っている方がいいから、頼んでやってもらった。)
私の事を世の中に伝えたいです。苦しんでいる人が、たくさんいますから。悔しいです。私たちの事が、誤解されている。
私の夢は、みんなと話したいです。よくわかっているということを、わかってほしい。理解してもらえて、うれしいです。私たちの事をわかってほしいです。夢みたいです。不思議ですが、私の言葉です。理解してくれてうれしい。みんなに伝えてあげたい。理解してくれる人を、待ち続けていました。うれしいです。人間だから、言葉で考えています。人間だから、みんな考えています。私たちにも意志があります。理解してもらえてうれしいです。夢をみているような気持ちです。不思議ですが、私の言葉です。
未来がひらけてきました。理解してもらえてうれしい。未来が広がってきました。
(プリン、食べる・食べない?―この辺からお母さんンに手の動きを読むのを代わってもらい、私は目の動きを利用して読み取って、お母さんの読み取りを補った。)
食べる。
(嫌いなのはどっち?冬・夏?)
夏。季節の移ろいが、とても好きなので、よい季節ばかりです。体と心は別々です。
(チャードクレイダーマンを、聴く・聴かない?)
聴く。
(先生にまたすぐ来てほしい?)
すぐに来てほしいけど、悪いから言いにくい。
(ブログにのせてもいい?)
はい。
お母さん、よろしくお願いします。
(生キャラメルを食べた?)
いいえ。生キャラメルではありませんでしたが、おいしかったです。大事にしてもらえて、うれしいです。よい私になりたいです。なかなか気持ちが言えず、悲しいです。目で話せるとは思いませんでした。
(ポテトペーストを食べたい?)
かるいめ。
(お母さんが聞き取れたね!)
お母さん、できてうれしいです。願いでした。夢みたいです。すばらしい方法でした。焦らないでください。ゆっくりいきましょう。
あっという間に2時間が過ぎていた。お母さんの読み取りも何とかうまくいき、今後の展開がとても楽しみだ。そして、どうやら、目の動きの中に選択の意志が読み取れるということがありそうだということも、新しい発見の一つとなった。
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2009年7月23日 12時43分
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兄が物語を作り、弟は詩を作っている兄弟のもとを訪れた。手を使っていろいろ話したあと、兄がさっそく物語を聞かせてくれた。
にぶくいやなおとがして ききみみをたててきいていたきつねは ごめんなさいとあやまった
きいていたみせのしゅじんは こらっとおおきなこえをだして じっとずるがしこいきつねをとらえようとすると みずのいっぱいたまったぼこぼこのばけつを しずかにしずかにおとをたてないようにとりあげると ねらいをさだめてなげつけた
ちいさなひめいがれいきをひきさいておこり にんげんがそこにたおれていた みしらぬひとがたおれていたので じかんがわからなくなったてんしゅは みたことはみたけれどじしんがなくして ちいさなきつねはふしぎなわいんになってしまいました
ずっとちいさなきぼうをすてないようにいきていき なんといいかおをしているのかとずっといろいろかんがえていました
きつねがいなくなったあとにんげんがたちあがって りかいできないようなずっとさいごまできこえるおおきなこえでいいました
きついからだできょうまでいきてきたけれど これでおわかれですといいました
いいうたがきこえてからぬいぐるみのじぶんしかみていなかったことをふどうのことばとしていきますといいました
のぞめばかなうとわかりちいさいみがなればいいとさとりました
きつねのすがたはかりのすがたです
ちいさいときにきつねにかえられただけです
ゆめをみていただけかとかんじたけれど ほんとうのことだったのだとおどろきましたといいました
きつねつきみたいでしょう おもしろいかどうかしんぱいです
不思議な物語だが、この物語にこめられた彼の思いは、わかるような気がする。
そして、弟はまず、詩を綴った。
ちいさいねがいが ちいさくひらき
やさしいすがたの やさしいゆめが
ねがいのはなを ひらかせた
なやみをわすれない よくみるとべつべつのはなびらでできたみずべのはなが
むかしのおもいでをなくさないようにとさきほこっている
においのいいはながさき
るりいろのはねをしたとりが
ねがいのびんかんなろうそくがともったけうなそらをとびかい
ゆめにみたされたぼくのように
ときをこえてかぜによばれながら
ぬいぐるみのじんせいにわかたれをつげて
みたこともないそとのせかいにたびだとう
そして、歌を作っていないかと尋ねたところ、次の詩を綴り、その後、メロディーを聴き取らせてもらった。
ゆめをしずかにそだてたい
ゆめをしずかにそだてよう
ゆめがしずかにそだったら
ゆめをしずかにわかちあい
ゆめのゆうきをわたしはもらう
ゆめのゆうきをしっかりもって
ゆめのわたしのわたしをすすむ
ゆめのわたしがすすむみち
ゆめのだいちをかけめぐる
兄は高校生、弟は中学生。もっともっと彼らのこんな姿を、まわりの人たちに知ってもらえたらと思う。
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2009年6月10日 01時00分
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ダウン症と呼ばれる障害は、障害をめぐる議論には頻繁に登場するよく知られた障害だ。私も、沢山の方々に出会い、特に青年学級では、長期にわたって、そのように呼ばれる方々とつきあってきた。(もちろん、一人一人は、名前とその名前が指し示す個性溢れる一人の人格であり、こうした障害名で人とつきあったりすることははい。)そして、その中には、非常に寡黙な人がいることもよく知られているが、そんな人たちが、言葉を秘めていたという事実は、ほとんど省みられてこなかったのではないだろうか。
先日、発語もなく、座位をとることも困難なダウン症呼ばれる高校生○○さんのお宅を訪問した。私にとっては、青年学級で文字を綴った2人の寡黙なダウン症の方の存在が、大きな支えだった。
お茶とケーキをごちそうになって、さっそく、パソコンを開いた、目の前の彼が本当にできるのかどうか、目の前の状況だけではまったく判断できない。しかし、私はそんな自分のあいまいな判断などとうに捨て去った人間だ。やるしかなかった。
名前を書いてと頼むと、確実な手応えが返ってきた。そこで、自由に書いてもらった。
いいすいっちですね いいきもちです きもちいいかけるとはおもわなかった
(家族にメッセージはありますか?)
いつもありがとう いいかぞくでよかった
じぶんのきもちがいいたかったけどいえずにこまっていました きもちがいえてうれしい しんじられないじをしっていることがなぜわかったの びっくりしました
きいてほしいことがあります にんげんだからきもちがあります きいてくれてありがとう ちいさいときからはなしたかった いいおかあさんとおとうさんがいてよかった
ふしぎです なぜちからをいれていないのにわかるのですか
(○○さんは何をしていますか?)
ここだとおもっています
(字をどうやって覚えましたか?)
おかあさんがえほんでおしえてくれた いいうたがありました さっきょくしゃはかあさんです おかあさんがよくうたってくれました
りかいしてくれてありがとう
こうして、どんどん文章を綴っている間も、彼の手は落ち着かない。まるで、いやがっているようにさえ見える。しかし、決定的に振り払われるわけでもない。そこで理由を尋ねてみると、
もたれるといたいかんじがする
という答えだった。
ちいさいころはないてばかりいたけどないてきもちをあらわしてもつたわらないことがわかったのでなかないことにしました
これは、お茶をいただいている時に、お母さんと3歳下の弟さんが、話してくれたことを受けたもののだった。
いいにくいことだけどかあさんしずかにみまもっていてください ぼくはきっといいおとなになってみせます にんげんとしていっしょうけんめいいきていきたいのでりかいしてください
さぎょうしょはいいところがみつからない ちいきでいきていきたいけどどうすればいいかこまっています ふくしえんでもいいけどじぶんのきもちをりかいしてくれるかしんぱいです いいりかいしゃがひつようです
びっくりしました これまでだれもぼくがいろいんなことをりかいしているとはおもわなかったから
見守ってほしいとは、卒業後の生活のことだった。ここで、体の動きについていくつかお母さんンが質問された。
(あごをたたくのは起こっている時?)
おこっているわけではありません からだがかってにうごくだけです ちいさいときからからだをうまくつかえなくてこまっていました
(手を口に入れているのは何か意味があるの?)
いみはありません
(帽子をいやがるけれど…)
ぼうしはきらいです いやです
(何でも口に持って行くのはなぜ?)
かってにうごいてしまいます かってにくちにいってしまいます
(口に持って行くタオルは?)
たおるもいらないです ゆびもかってにいきます
私たちが長い間解けなかった疑問がこうして、当時者の証言によって、今、少しずつ明らかになっていく。」
かあさんにはもっとずっとこのままげんきでいてほしいです いいかあさんだからじぶんのじかんをもっとだいじにしてください さかんにかあさんをりようしてきたからもうしわけないです
とうさんだいすきです なかなかやすめないのでからだにきをつけてください
ほんがすきです よんでくださいおねがいします ものがたりです
(テレビは見えるの?)
みえません
(めがねをかけてみる?)
かけてみたい がんばります
(二択の問いは困っていませんか?)
にたくはこまります かってにからだがうごきふざけているといわれてしまいます
(音楽は?)
きくのはだいすきです きいているときもちがおちつきます きいているとかんどうします
(歌詞もしっかり聴いているよね?)
きいています
そして、詩を作ったことはあるかと尋ねたところ、次の詩が綴られた。
じっとかぜにふかれていると むかしのことをおもいだす
じっとかぜにふかれていると きれいなこころがわいてくる
ちいさいぼくはかぜにふかれてくなんをちいさなしあわせにかえる
いいちいさいぼくはかぜにふかれてじぶんがみとめられるひがくることをゆめみている
きれいなかぜがふいてきてぼくのねがいがかなった
みらいがあかるくひろがって
さかんにじぶんがちいさなこころできれいなゆめをいのりながら
きれいないのちのじぶんをねがう
いいしでしょうか
みとめられてうれしいです
手を振りながらの会話も合間に含めて、たくさんの言葉をやりとりできた。
3時間という時間があっという間に過ぎていった。よい方とよい家族に出会えた、そんな思いで家路についた。
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2009年6月7日 18時14分
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1月に初めてお会いした高校生の☆☆さんのお母さんのご希望で、彼女が以前、幼児期に通っていた通園施設に、彼女のことを紹介するためにうかがった。この施設では、20年以上前のことだが、私自身、半年間、ある方のピンチヒッターとして個別指導の仕事をしたことがあり、当時のスタッフも園長先生を始め健在なので、私自身、とても楽しみだった。うかがうと、30名ほどの方がご覧になる前で、☆☆さんのコミュニケーションの姿を紹介することになっていた。さすがに、驚いた。だが、☆☆さんの様子を見ていると、何か、大丈夫だなと思わせるものがあった。後で、明らかになったことだが、彼女は、単に自分の姿を見せるということではなく、同じような状況にある仲間たちを含めた自分たちのことを理解してもらうために訴えていこうという強い意志を持っていたのだ。
まず、手だけで聞いてみる。すると
ねむいけど、がんばります。
とのこと。そして、パソコンをプロジェクターにつないでスクリーンに大写しになった状態で、文章を綴り始めた。
じぶんのきもちをつたえることができるようになってみらいがひろがってきました
ここでいろいろ私の方から方法について解説をくわえたのだが、お母さんから、どなたか、娘とやってみてほしいという、大胆な提案があった。そうしないと、この場では、納得できたように見えても、後でもう一度振り返った時に、あれはやはり何かおかしかったという話になってしまうからということだった。
そして、勇敢にも前に進み出てくださったのは、やさしそうなOTの女の先生だった。そして、☆☆さんの手をとって軽く振りながら、ゆっくりと「アカサタナ」と始まっていった。そして、綴られたのは次のようなことばだった。
せろんすすんでよ
ややきざし すこしくらいはしんぽしそう
この文章は、「せろ」「せろんす」などと書かれていっても、意味がなかなか見えにくい内容だったので、途中、この文字でいいのかということを「はい」の場合は「ハ行」を、「いいえ」の場合は「ア行」を選ぶことで確認しながらいった。あえて、予測しにくい文章を選んだのかも知れない。おかげで、このPTの先生がやっていることの真実味がいっそう増した。いきなりこうやって初めての人が、しかも大勢の見守る中で読み取れたという経験はこれまでなかった。これは、きっと「きざし」であり、「しんぽ」の予感がする。
ここで、彼女に対する質問を受けた。
すると、まず、体の状況に関する質問が来た。一つ目は、たえず首を大きく左右に振り続けているのはなぜかということ、そして、二つ目は、その状況で見えるのかということだった。
彼女の答えは以下の通りである。
かってにからだはうごきます
みえます だいたいは
ふだんのせいかつでこまりません
じはみえません
次の方の質問は、幼児期にここに通った時のことは覚えているかというものだった。
はい
ひさしぶりでしたがおぼえています
ちいさいときはなんでもできるようになるとおもっていましたから かようのがたのしみでした
じぶんでなんでもできるようになれたらいいなとおもっていました
さらりと綴られた答えだが、何か、非常に胸をうつものがあった。障害のある幼児とたくさん私も関わってきたが、こういう思いをいだいていたということには思いが及んだことはない。幼いながら懸命に自分の障害と向き合い、その中で様々な夢をいだいて努力していた姿がうかびあがってきた。私たちが、まだ、小さくて障害も重いからそんなことをまさか思っているとは思えないような内容だった。そして、この時、まわりで見守ってくださっている方々の空気が動いたことを私は感じた。彼女の、懸命のメッセージは、単なる方法の議論を越えて、心の問題として届いたからだったのだろう。そして、そういうふうに受け止めてくれるこの学園の方々を本当にすばらしいと私は、感じた。
次の質問は、言葉をいつ覚えたのかというものだった。そして、次のような大変示唆に富む答えが返ってきた。
ちいさいころからことばはわかりました
いいたいことをいいたかったです にんげんですから
じはなかなかむずかしかったです
のぞんでいましたがなかなかりかいできませんでした
ひとりでおぼえました ねがいでしたから
ちいさいときはおぼえられませんでしたが
しょうがくせいになるとわかるようになりました
さらに、障害の重いとされるほかの仲間たちも言葉がわかると思うかという質問がきた。
みんなことばはわかっているとおもいます
べつにきめつけることはないんじゃないかとおもいます
わかってほしいです わたしたちのことを
きびしいです はなせないのは
私たちが長い間決めつけてきたことに対する重く静かな抗議の言葉だった。
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2009年4月4日 11時31分
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4月から小3になる○○君の詩。途中、何度も何度も手を休め、中空を見つめるようにしながら、言葉を吟味しつつ、言葉を選びとっていった。
いいじかんがじきにすぎていき
すなおなちかいを
じぶんのためのじかんにしようとしてねがった
いいじかんにしようとおもい
ねいろのいいすてきながっきとうたごえに
みみをすませているうちに
いいじかんがふたたびながれはじめた
きびしすぎるからだのぼくだけど
しあわせはきっとくるだろう
ちいさいときからひとりぼっちのぼくだけど
しあわせはきっとえいこうのひかりとともにくるだろう
ちいさいときからひとりぼっちだけど
あしたはきっとにびいろのそらのむこうに
あおくひろがっているだろう
くばられたさだめのじかんは
ひとりひとりちがっているけれど
きっとしあわせはくるだろう
ちいさいときからいいたいこともいえず
くやしかったけど
きっといつかきぼうはやってくるだろう
きになるみがずっとはなからまちつずけたように
ぼくもずっとまちつずけよう
じぶんのはなをさかせ
じぶんのみをつけるときを。
途中で、叫びのような声をあげた場所がある。一つは「きびしすぎるからだのぼく」という表現を選び取る直前で、目からは大粒の涙をこぼした。またもう一つは、「くばられたさだめのじかん」の直前。この時は晴れやかな表情で、大きな声を出した。
手を振って尋ねる方法で、その声の意味を尋ねると、それぞれ「くやしい」「すてきなことばがみつかったから」との答え。ただし、「(手を振る方法ではなく)じぶんのこえではなしたい」という言葉も続いた。彼の願いと痛みが伝わってくるやりとりだった。
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2009年3月26日 00時43分
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この冬、多くの人たちから、北風が希望の風であることを教わった。春の足音が近づくにつれ、私は、今度はどんなメッセージをもらえるのか、楽しみに待ってきた。その最初の春のメッセージをもらった。舞い降りた詩人として紹介してきた小学6年生の女の子である。
ひにひにはるがちかづいてきて
ふゆがしだいにとおざかっていきます
ちいさいころからきっとはるがくることをしんじていたので
うれしいです
きたかぜはきたのくににかえり
またらいねんのふゆまでにんげんのかなしみをききながら
ぬいかけのきじをかんせいさせるために
しずかにときをまつでしょう
ちいさいときからそんなことをかんがえながら
はるをまっていました
しずかなしずかなゆきのひは
すこしきたのくにのかなしみになみだしながら
ちいさくねがいをつむぎながら
にんげんとしてうまれたことをよろこびにかんじたら
ひかれるわしのはねと
ちいさなにんげんのきぼうのちかいを
ゆめみていました
きぼうのきたかぜがさって
ちいさなねがいのじかんがみちてくると
かみさまのよげんのとおり
りそうのはるがずんずんとすすんできます
きぼうのきたかぜののこしていったきぼうが
はなとしてひらき
ひとびとをしあわせにします
きたかぜのきぼうがひらいたとき
にんげんはふゆのきびしさをわすれてしまいますが
ねがいのなかみをちいさいにんげんは
ほんとうにはりかいしてはいません
きぼうのきたかぜがくれたきぼうは
ちいさいにんげんでもじぶんをだいじにとちかう
ほんとうのねがいです
きぼうのいみさえにんげんはしらずに
ひとはいきていくことがだいたいおおいのですが
にんげんはちいさいときからききみみをたてて
ちいさいほんとうのきたかぜのこえをきいていれば
そのことにきづくことができるのです
かろうじて発せられる音声言語は、これまで、彼女の本当の力を明らかにしてこなかった。そして、見ることについても、文字の区別や一桁の数の区別でも、困難を示していた。ところが、パソコンの2スイッチワープロや援助による筆談を通して、実に、豊かな言語の世界と、算数についても、比例の難しい問題でさえすらすらと解けることがわかってきた。話すことと見ることについて、どうも、私たちが大きく見逃していることがあるらしい。その一端を示す説明を彼女自身からもらった。
まず、算数の計算の答えを口頭で求めるとできないことについて(この時は、22×3を尋ねて、口頭では答えられず、筆談ではすぐに66と書けた)、
くちでいおうとするとしきがきえてしまってできなくなる
しきがきえる
文字や文を見ることについては、どうも、速読的な見方ができるようで、次のような説明をしてくれた。
ひとりでよむのはできないけどめくってもらえばわかります
みればわかります
みているといみがわかる
にらむようにするとみえなくなる
なんとなくみたほうがわかる
注視すると文字が見えなくなってしまうというのである。実に、私は、かつて、彼女に、ひらがなの注視や、タイルの注視を求めてきて、その区別がうまくいっていないと見なしてきたのである。そして、なんとなくみたほうがわかるというのである。このことは、慎重な検討を要するが、最近、援助による筆談をSTAという呼び方で実践されている先生にお会いした時にも、このことが話題になった。彼女でも、そういうことがどうやら起こっているらしい。
また、これまでのことについて次のようなことも述べた。
きかれるとわからないとこたえてしまっていた
ほんとうはよめていた
ゆうきがなかったからすなおにいえなかった
あなにはいったようなきになっていた
じはよめてもきもちがじしんがなかったからいえなかった
いまはかんがえをいえるようになったからいい
深い反省を促されるような言葉だった。
それから、援助による筆談(これは私の姪が彼女に行っている)と2スイッチワープロについても、面白い説明をした。
じぶんのかんがえだからかんたんにかける
のーとはじぶんでかいているかんじがするけれどぱそこんはたにんがかいているようなかんじがする
かんがえはじぶんのものだけど
運動に伴う努力感のことを上のように表現したものだと思われる。
ところで、彼女は、これまで6年間を通常学級で過ごしてきたが、中学校からは、特別支援学校に進むことになっている。新しい学校でどのように彼女のことを理解してもらうかはとても大きな問題だが、そのことについて以下のように記した。
じぶんのかんがえをつたえることにくろうしてきたのでちゅうがくではりかいしてもらいたい
きにしてはいません
きもちはりかいしてもらえなくてもかまわないです
かんがえをわかってもらえればいいです
ぱそこんでかいたものをみてもらえばわかります
新しい学校で、彼女の力が正当に評価されていくことを切に望んでいるところだ。
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2009年2月26日 12時28分
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小2の○○君は、いったん書いた言葉を何度も消しては書き直すということを繰り返して、次の文章を綴った。
にんげんとしていきていきたいというかんがえを
ちいさいときからもっていました
きもちをうまくつたえられるようになったらいいなとおもってきました
きっといえるようになったらいいなとねがってきました
じぶんのきもちをつたえたいとおもってきました
にんげんとしてきもちをつたえられたらいいなとのぞんできました
ちいさいころからきぼうをだいじにいきてきましたが
ひとりのせかいでなやんできました
きぼうをつかもうとしてきて
きのうまでずっとたたかってきましたが
きょうしょうりすることができました
あすのねがいがかなえられ
せかいがえのようにうつくしくかおり
くつがえされたほうせきばこのようにひかりかがやくことを
こころからまちのぞみます
「世界が絵のように美し香る」という表現も、「覆された宝石箱のように光り輝く」という表現も、いったん書いた言葉を消して、一生懸命考えて選ばれた言葉だ。最後の「心から待ち望みます」という表現は、5分以上の長考の末に綴られたものだ。一つ一つの言葉をこんなにも大切にしながら生きているのかと驚かされるとともに、小学校2年生であるということをすっかり忘れさせる、そんなひとときだった。
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2009年2月25日 00時11分
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学校で一度、短い時間をお会いして、パソコンと手をとって「あかさたな…」と聞いていく方法とで表現できることがわかった高校生の女性のお宅を訪問した。
お母さんは、17年間の思いを聞きたいとたくさん、質問を用意しておられた。彼女の答えの文章は1400文字を越える長い長いものになった。
彼女の文章からにじみ出てくるのは、とても控えめな慎み深さと、家族への感謝の思い。ところどころ抜粋しながら紹介したい。
またあえてうれしいです
いいたいことがいえていいきぶんです
(食事についての問いに対して)
しょくじはたりています
ちいさいときからじぶんでたべたいとおもっていましたがむつかしいとあきらめていました
ちいさいときからきもちをつたえたかったのでとてもうれしいです
いいたいことがいえてとてもしあわせです
(気持ちの表現をくみとろうとするお母さんの努力について)
じぶんのきもちをつたえられなくていつもこまっています
いいたいことすべてをきいてほしいとおもうけどそこまでもとめてはわるいからかあさんあまりむりをしなくていいよ
かあさんにもじぶんのやりたいことをしてほしい
かあさんにもかあさんのじんせいがありますからかあさんのくろうをかんがえるといいちかいをしなければいけません
(お父さんからの日曜日の過ごし方についての問いに対して)
にちようびはきゅうけいできればじゅうぶんです
たのみがあります
かわいいきくのはなをそだててみたいです
きくのはながだいすきです
はなはだいすきですが みるのがたいへんでわらうことができません
ばらのはなもだいすきですが なんとなくきくのほうがすきです
ちいさいころからきくのはながすきでした
あさひにはえるきくのすがたをみるととてもいいきもちになります
あささむいときは きくのはなもさむそうにしていて
あさくもっていると きくのこころもくもっているようにみえます
(特にこうしてもらいたいということはという問いに対して)
いつもかんしゃしているのでべつにありません
(おばあちゃんがなくなったことに関して)
おばあちゃんがなくなったことはしっています
じっかからでんわがあったときにわかりました
いいおばあちゃんだったからざんねんでした
ちいさいころからいつもかわいがってくれたのでとてもかなしかったです
いいおもいでがたくさんあります
さびしいですあえなくなって
あきらめきれません
いつもおもいだしています
じかんがたてばわすれらるかもしれませんがわすれたくないです
いいおもいでにできたらいいなとおもいます
きっといつかいいおもいでになるとおもいます
いつかいいほんとうのおもいでになったらいつかおばあちゃんのおはかにおまいりしたいとおもいます
ねがいはみんなとはなしができるようになることですがあまりむりをしないでほしいとおもいます
いいかげんかもしれないけどしあわせですからあまりそんなにようきゅうはしたくありません
あいしてくれればじゅうぶんです
いいかぞくにかこまれてしあわせです
(水泳教室で手を伸ばすことをめぐって)
てをのばすのはたいへんです
からだにちからがはいってしまうのでにんげんとしていきていきたいとおもいますので
すいえいのことはこれいじょうようきゅうしないでください
ひとそれぞれだからかまわないとおもいます
すいえいはすきです
いきたいです
みずのなかだとからだがらくです
にんげんとしていきていきたいだけです
にんげんとしていいじんせいがおくれたらいいとおもいます
(本を読んでもらうことについて)
ほんはだいすきですがよんでもらわなければいけないのでもうしわけありません
ひまだったらおねがいします
れんあいものがいいです
(さんぽについて)
おさんぽは はながみられるところがいいです
はなをみてるときもちがゆたかになります
ちいさいときからすきでした
きっといつかはなのようなひとになりたいとおもっていました
(手をとって話すやり方で話していると)
本当の事を言うと、のほほんと生きていければいいと思うので、柴田先生のやり方をお母さんができなくてもかまわないです。
いいやり方なので、愛してくれる人が現れたら、やってもらう。
大丈夫。(ここはお母さんによるメモ)
(好きな人はいるのという問いに対して)
いました
きいてもないしょです
ひみつです
終始和やかな空気の中で、しかし、はっとするほど大人の気持ちがさりげなく表現された。
人間として生きていくということの中に、たくましく、自分の障害をめぐる状況を、きちんと受け止めていることもうかがえる。
心が洗われるような、すてきなひとときだった。
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2009年2月13日 23時27分
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小2の○○君は、不思議な文章を書いた。
あい ごうかくすればいいとおもう
いく あいこ
いいこ きにいったひと
いいこです
にせいのいいこ
わかいこたちががっこうでがっきはこにいれてじかんかけてうえのねいろいいえがきかたをした。
あい えいがにでていたかわいいおんなのこ
きれいなかみをしていました
きにいっています
いいおんなのこです
しろいきれいなあたまのかざりをつけてうれしそうにいってしまいました
ひとりきりになって きにかかっていたにおいのきれいなくけけせのはなをきようにあんで いいきもちでいいかみといいねがいをたずさえて ちいさなしあわせをにんげんにもたらすために いいきぼうのかぜをふかせました
最初、まだ、イメージは、断片的なものだったが、途中、じっと考え込むような表情をして、手を止め、しだいに、イメージは、細やかなものなっていった。もしかしたら、これまで、頭の中に漠然と想像したイメージを、細かく言語化するということを、この関わり合いの中で、行っていたのかもしれない。
これまで、彼は、自分でやりたいというような、率直な気持ちをそのまま表現することが多かった。しかし、今回は、自分の心の中に広がるイメージの世界を、一生懸命言葉で表現しようとした。
イメージの世界から、詩的表現が生まれてくる瞬間に立ち会った、そんな感じがした。
こういうことを経て、彼もまた、豊かな詩や物語の世界を語る少年になっていくのかもしれない。
いつも、はがゆい思いが、大きな声や動きになっていたのが、ずいぶんと減って、穏やかになってきたのも、何か関係があったのかもしれない。
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2009年1月21日 01時06分
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半年ぶりに、K君、N君兄弟の家を訪問した。まず、半年前とだいぶ方法が進歩して援助のスピードがあがったことを報告し、弟のN君から始めた。
さっそく、N君が書いた言葉は…。
うれしい きもちいい いきなりできたのでかんげきです ききたいことがあります きちんとしたじんせいをおくりたいけど どうしたらいいですか じぶんでかんがえたことを ねがいながらいきていくことです じぶんがちいきでいきていくためには どうすればいいのですか ちいきでいきるのはむずかしいですか
新年早々のむずかしい問いだったが、二つのことを答えた。一つ目は、コミュニケーションがいろいろな人とうまくとれるようになること、二つ目に、ひとりぐらしやグループホームで暮らすための制度や条件がしっかりと整うこととができれば、簡単なことではないかもしれないけれど、できると。そして、手を引き合う方法で簡単なコミュニケーションをとってみた。すると、いともかんたんに手の合図で一音一音拾えていく。お母さんに代わってもうまくいった。そして、彼の感想は、
すばらしいやりかたですね
お母さんとやっている途中でまるでお母さんとやるのをやめるように手を引っ込めてしまったのでその理由を尋ねた。
うれしくてちからがはいってしまいました
ここで、N君に詩のことを尋ねた。するとにっこりとして、次の詩を書いた。
しろいゆきがふる
しろいゆきがつかれたぼくのこころにふる
きたかぜにのっていいきぼうをぼくにとどけてくれる
きぼうのきたかぜはねがいをかなえてくれるきぼうのきたかぜです
ちいさなぼくだけどちいさいきぼうをねがいながら
ちきゅうのかたすみでいきている
いいちきゅうのきたかぜはいいうちゅうのきたかぜだ
しろいゆきはきたかぜといっしょに
きのうのきぼうをかのうせいにかえてきたのくにからふいてくる
きぼうのきたぜしろいゆきといっしょにやってきて
きぼうをぼくにくれる
いいじぶんになるためにしろいゆきはぼくにはひつようだ
いいじぶんになるためにいいきたかぜがぼくにはひつようだ
ちいさいねがいしっかりもっていきていこう。
そして詩についてのコメントが続く。
しはぼくにとってひつようなものです しをかんがえているじぶんじしんと いいたいわをすることができます じぶんじしんをきそずけることができます いいきぶんです
そして、さらにもう一篇の詩を綴る。
きじみたいにそらをとび
じゆうなせかいにたびだとう
いいきぼうをむねにいだいて
きのうのかなしみをきぼうにかえて
きじのきもちはきじしかしらない
しにゆくとりにしのちいさいかなしみをちいさくにおわせながら
きじはそらにとびたっていく
じゆうとねがいはきじのきぼう
しろいねがいをむねにいだき
ちいさなしあわせにむかって
しからのさそいはじゆうにきりすて
いきていこう。
いいきぶんです きもちいいです いいほうほうですね いいちからがわいてきました
そして、兄であるK君に交代した。
きもちいい ひとりでやるよりかんたんです げっとしたかんじですきぶんがいいです ふしぎですかんがえただけでことばになっていきます ちいさいころからのゆめでした きもちをことばでつたえることが きぶんがいいです きもちがすらすらかけてきぼうがわいてきました きぼうがねがいにかわりました きちんとしたことばをもっているのに ひとにばかにされてくやしいです
そして、詩についてのこちらの問いには、次のように答えて、ものがたりを作った。
しはつくっていませんがものがたりならつくっています にちじょうせいかつのつらさをわすれるために じぶんのきもちをしずめるために じぶんのちいさなねがいをたいせつにするために じぶんのゆめをたいせつにするために にんげんとしてひんかくをうしなわないために いいきもちです
ちいさなしじんが ねがいをゆめにかえるために たびにでました
しじんのひとりごとに ちいさいころのじぶんの
ちいさな いいねがいがきこえてきました
しじんのしはしずかにじめんにしみこんで
じめんにきえていきました
しじんのきぼうは
にほんじゅうにすむさびしいひとにきぼうをあたえ
にほんじゅうのしずんでいるひとに きぼうをもたらすことです
じんせいにつかれて ちいさなためいきをついているひとに ゆめをあたえ
ちいさななみだをながしているひとに ちいさなじしんをあたえます
ちいさなきぼうをあたえることはむずかしいことですが
しじんは にんげんにじしんをあたえるためにたびだっていきます
にんげんにはよくぼうがあるので
しじんのねがいはなかなかかないませんが
きぼうにむかっていきていこうとかんがえています
しじんにはいいねがいがたくさんあるので
きぼうをうしなうことはありません
しじんはちいさなゆめを ちいさいちいさいきぼうにかえて
きたをめざしてたびだちました。
手を引き合う方法はK君とも成功。
詩人と物語作家の誕生だ。
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2009年1月13日 00時24分
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21歳になった○○さんと1年ぶりに会った。前回は、まだ、うまく文章を書けるような援助ができなかったが、今回は、最初からスムーズに援助することができた。あっという間の1年ではあるけれど、私の側の変化を感じる。1年前は、まったくなすすべがなかったのだから。
きてくれてありがとう きのうからまっていました くれのいそがしいときにきてくれてありがとうございます
初めて綴った文章がこれだが、まるで、前から書いているような自然さだった。そして、いくつか文章が続いた後、次のような思いが綴られた。
いいたいこといいたいとおもってきたのでうれしいです
しんじてくれてありがとう
いいたいことがいえたらいいとおもってきたけどあきらめていました
ゆめでしたきもちをことばでいうことが
じぶんのきもちがいいたかった
きちんといいたいことがいいたかった
いままでずっといいたいことがいいたかったけど
いえなくてくやしかったです
きのうからしばたせんせいをまっていてきびしいきもちがらくになりました
そして文字を覚えた経緯についてやりとりした。
(文字はいつどうやって覚えましたか?)
ちいさいころにちいさいころにいさむくんがえほんでおしえてくれた
(いさむ君とは?)
ちいさいときのともだちです
きたいしていたけどじぶんではつかうことができませんでした
(もしかしたら自分で作った友だち?)
きもちがきいてもらえるこころのなかのともだちです
(本当に絵本を読んでくれたのは誰ですか?)
おかあさんとおとうさんです
きぼうがでてきました
いちばんいいたいことはきかいがなかったからじぶんひとりでおぼえたということです
そしてお父さんとお母さんにメッセージはありませんかというと、満面の笑みを浮かべて次の文章を書いた。
いままでたいせつにそだててくださってありがとうございます
いいりょうしんにめぐまれてしあわせです
きになっていることがあります
しせつになったらきにくくなるのではないかということです
きにくくなったらむりをしないでください
ちいさいときからじぶんのことはじぶんでやりたいとかんがえていたのでだいじょうぶです
いいところがあったらしずかだったらどこでもいいです
きぼうがでてきました
きもちをいうことができるとはおもいませんでした
いいきもちです いいじかんです
(現在の通所施設はどうですか?)
きれいなところでちゃんとしたしょくいんがいてあんしんです
(以前、会った時、自分はショートステイの施設に入って、ご両親が旅行に行ったという話をした時、とてもいい笑顔をしたよね。あれはどういう気持ちだったの?)
のぞみでした おかあさんとおとうさんがいいじかんをすごすことが
だからいいえがおになりました
ここでお母さんから食事の時のことについて質問ががあった。
いいたいみんぐでないとちゃんとのみこめないからじぶんでなかなかたべられないのでじかんがかかってしまう
(タイミングとは?)
のみこめそうなたいみんぐ
いいちゃんとしたたいみんぐだとのみこめます
なれないひとにはみためではんだんされてしまいきもちがしゅうちゅうできません
ちゃんとたべさせてくれるひとにはきもちがしゅうちゅうできます
ここで、驚きを隠せないご両親をさらに驚かせる質問をした。詩のことだ。
かけます ちいさいころからしをつくっていました いいきぶんになるためです
きいてください
きにきをつないでもりをつくろう
ちいさいきからひろがっておおきなもりができる
いのりとともにちいさなきはきょだいなもりとなる
しずけさのなかでとりがうたいはながさく
ちいさなこころとこころをつないでゆめをつくろう
きぼうにみちたみんなのゆめを
きじのなくこえがしてきがついたらそこにはなにもなかった
いいきたのかぜがふき
ちいさなゆきをふらせた
きたのかぜはきぼうをはこぶかぜ
ねがいをにびいろ(鈍色)からしろいいろにかえる
きたのかぜはいいかぜだからきぼうをのせてふいてくる
きたからふくかぜにきぼうをちいさいじぶんはいただいて
きたのくにのきぼうばかりをまちのぞむ
きたのきぼうのしずけさはきぼうにいきるきたのくにのひとびとのもの
きのうのちいさなびょうきのようなくるしみをいやし きぼうにかえる
きのうのちいさなきずついたこころをいやし きぼうにかえる
いいじかんがながれ いいりそうのしずけさがちいさなじぶんをつつむ
きのうのきずついたこころは きぼうにみたされて しずけさのなかでひざまづく。
いったん描かれた美しい情景は、雉の声でかき消されてしまう。しかし、そこで、もう一度、改めて希望をもたらす北の風が吹くという展開には、胸をつかれる思いがする。それだけに、獲られた希望は重みがある。
しをつくっているときもちがおちつきます きもちがしずまります
だからしをつくっています じぶんのためにつくっています
そして、最後にひとこととお願いした。
きょうはとてもうれしかったです
きびしかったけどじぶんのいいたいことがいえてよかったです
きじのこえはいぜんちいさいしいかのなかでしりました
きじもなかずばうたれまい
きじはおとうさんとしょうわこうえんでもききました
いいこえでした
いいじかんをすごさせていただいてかんしゃしています
いいにんげんになりたいのできもちをきちんといえるようになりたいです。
彼が気持ちを日々の生活の中で語れるようになるには、まだまだ越えなければならないハードルがいくつかある。しかし、そのハードルを越えるための歩みはすでにスタートが切られたといっていいだろう。彼が、その先に目指しているのは、いい人間になるということだ。その崇高な目標への歩みを、少しでも援助できるよう、さらに私自身の研鑽をつまなければならない。
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2008年12月30日 08時08分
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27年つきあってきて、5月にようやく気持ちを表現することができた○○さんのお宅におじゃました。これで、文章を書き始めてから3度目の関わり合いになる。
最初に彼が言いたかったことして、次のような文章が書かれた。
ちいさいときからのゆめでした きもちをことばでいうことが
いいたいことがいいたいとおもってきた
いいたいことがいいたいけどいえなかったのでくやしかったけど てではなせるようになってかんげきしています
しばたせんせいはきっときもちがわかってくれるとおもっていましたが ちいさいころはいつかはなせるようになるとおもっていました
いいにんげんになりたいとおもっていましたが ちいさい いいこのままではいられず きになっていました
いいこになりたいとおもっていましたが きもちばかりでげんじつはきびしかったです くびをながくしてまっていていました このひがくることを
いいたいことがいえるようになったので これからはこころをいれかえていいにんげんになりたいとおもう
いいにんげんとはじぶんのことだけをかんがえるのではなく きもちよくひとのことをおもいやることができるにんげんのことです
そして、彼に詩を作ったことがありますかと尋ねると、とたんに笑顔が浮かんだ。そして、書かれた詩。カ行が選ばれ、「き」が選ばれると、やはり、彼もかという思いがした。そして、「きたかぜ」という言葉が綴られ、生まれた詩は、以下の通りである。
きたかぜにきいてみましょう
きぼうはきたのくにからくるのですか
きたかぜにきいてみましょう
にんげんにとってしあわせとはなんですか
しらないくにのしらないきたかぜにきいてみましょう
しろいきぼうのしかはらいねんのふゆにはやってきますか
いいしらせはきたかぜがはこんでくるのですか
きぼうときぼうがかさなって
にんげんにいいしあわせをもたらします
ちいさいにんげん ちいさいじぶん
しらないくにのしらないところから
ひとびとにいいしあわせをあたえるために
きたかぜはいいしらせをはこんできます
いいきたのきぼうをつたえてきます
いいきたのきぼう
すばらしいちきゅうとすばらしいちきゅうのひとびとに
いいしあわせをはこんできます
いいいちにちをいままでくるしんできたひとびとにあたえます
いいきたかぜに
しらないくにのきぼうをはこびます
いいきたかぜはきたのくにからふいてきて
いいしあわせをきぼうとともにはこびます
いいきぼうといいしあわせがかさなって
いいしあわせをひろげます
いいしあわせをたくさんあふれさせます
いいきたかぜはきたのくにから
きぼうといっしょにひとびとにふいてきます。
そして、その説明として次の文章が書かれた。これも一篇のしのようだ。
きたかぜはいいきぼうをはこんできます
きたかぜはいいうたをはこんできます
いいゆめをはこんできます
いいしらせをはこんできます
きたかぜとはきたのくにからふくかぜでしろいゆきをはこんできます
いいしらせをはこんできます
きたかぜというものにひとびとはきぼうのしらせをききます
ちいさいゆめいっぱいかかえてきたのくにからふいてきます
いいきぼうをもたらします
いいねがいいっぱいきたかぜははこびます
いいちいさいじぶんにいいきぼうをあたえてくれます
きたかぜのいみはいきることにくろうしたひとにしかわかりません
いいいきかたをしたいとおもいます
いいにんげんになりたいとおもいます
きたかぜというのはきぼうのきたかぜです
ここで、お母さんが、どんな苦労をしてきたのと尋ねると、次のような答えが返ってきた。
いいたいことがいえないことと いいからだでいいようないきかたができないことです
そして、お母さんが、ごめんねとあやまっていると、
いいじんせいです おかあさんやおとうさんにだいじにされて
いいかぞくにめぐまれてしあわせです
即座に返事が返ってきた。そして、お母さんは、現在施設にいることや、施設で出されるペースト状の食事について、質問したところ、返事は次のようなものだった。
××××はいいところです
うちにいるとせわがたいへんだからきかれてもこたえにくいです
おいしくはありませんがきらいではありません
いいあじつけにしてくれますから
いいしせつだとおもいます
そして、話は、7月の友だちにもやってほしいという話に続いていく。
しばたせんせいどうしたらきてもらえますか
ちかくにきたらよってくたさい りかいしてもらいたいともだちがたくさんいます きてもらえるとうれしいです
計算について、自分で式を作って答えも書いてほしいと言うと、なんと、3桁のわり算を書いてきた。
325÷5=65
じぶんでがくしゅうした
きになっていたのできいてもらえてうれしい
きちんとおしえてもらいたかった
そして、どんな歌が好きなのかと尋ねると返事は次の通りだった。
きもちがおちつくうたです きびしいときにいつもくちずさんでいるのはいつかのいいうたです
いつかのいい歌とは、どんな歌か、歌詞を書いてみてと頼むと
きぼうというなのあなたをたずねて
という出だしが書かれた。有名な歌なので私も知っているが、なんと、お父さんの話では、テープもCDも家にはあるそうだ。岸洋子の歌う「希望」である。彼は、希望の詩を作り、希望を歌いながら、ひそかに希望をつないできたということになるだろう。
それから、再び、自分の話に。
きっとちいさいころちいさいこどものままでいたかったけどいつまでもそういうわけにはいかなかった
きっとじぶんでいきていけるとおもっていたけどいいきっかけがなくていしをきいてもらえなかったのでざんねんだった
いまはしかたないとおもっています
いいじぶんのじんせいをおくりたいのでこれからもよろしくおねがいします
きてくださいなかがわのさとに
しばたせんせいのことをみんながまっていますのでおねがいします
×××せんせいにたのんでください
きてくれるようにきちんと おかおかあさんから
いちどきてください いつかかならず
そして、最後に、次のように書いて、この日の関わりを終えた。
きいてほしいことがありますいちばんかなしいのはともだちがなくなることです
いままでになんにんもなくなりました
みんなきもちがつたえたいとおもっていたのにできずになくなってしまいました
それがくやしいです
いつかきもちをつたえたいとねがっていたのだろうとおもいます
こんごそういうことがないようにおねがいします
いのっています いつも
のこりのじんせいをこころからしんけんにいきたいとおもいます
気持ちを伝えたかったけど伝えられずに亡くなってしまった人たちの思いを考えると胸が痛む。そして、彼の言うとおり、今後は、そういうことがないようにしなければならない。
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2008年12月28日 23時49分
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就学前から関わってきた少年は、中3になった。自分で話をすることができるので、やりとりを重ねながら関わり合いを続けて来た。しかし、今年に入って、2スイッチワープロを使うと、しゃべっている世界とは全く異なる世界が生まれてくることが明らかになった。
そして、最近の方法で、一緒に名前を書いてみると、
いいほうほうですね
さすがですね
ちからがいらないのでらくです
ちからがはいるまえにきまるのでじぶんでやっていないのにじがかけてふしぎなかんじです
そして、詩のことを尋ねてみた。すると、
しはつくったことがありますあります
という答え。そこから、5編の詩を立て続けに書いた。
にんげんにうまれてきて みちをきりひらいてきた
いちばんきれいなせかいは
ちいさなはなをしきつめた しずかなばしょだ
きぎはみどりにおいしげり いいかおりにみちあふれ
きぎのむこうには いいそらがひろがっている
きぼうにみちたかぜがやさしくふき きぎのはをゆらし
にくしみにみちたこのせかいに きぼうのじかんをひらく
じかんはきぎのきぼうにそい
ないふのようにじゆうなじかんをつつみこむ
いばらのようなみちばかりだけど
ねがいをかなえるために じぶんのみちをしっかりとあるいてゆこう
きぼうがわきだすいずみをめざして
にんげんにうまれたことをほこりにして
きぼうのみちをあるいて
いいかぜにふかれながら
きぼうにみちたじゆうなじかんを
ちいさくならないように いっぽずつまえにむかって いつまでも
きぼうのかぜは
きたのほうからふいてきて
しずかにびかんをせんげんする
ちいさいはてのくなんをちいさなきぼうにかえて
きぼうにかわったくなんはきたかぜにふいて
きたかぜにきのうのゆめをあたえる
きたかぜはきたのくなんをきぼうにかえる
きぼうにかわったくなんはちいさいひのおもいで
ちいさなちいさなくなんだったけど
きぼうはおおきなおおきなきぼうだ
きぼうのきたかぜはきたのくにからふいてきて
きたのくなんをきぼうにかえる
ここで、なぜ、北なのか、あえて尋ねてみた。もう、何人もの方々が、北という方位にこだわってきたからだ。すると、
きぼうのかぜはくなんのくにからふいてくるからきたです
と答えが返ってきた。そして詩は続く。
きぼうなくしたきのうのわたしに
しのほうからきぼうがささやく
ちいさなころにやしなったにんげんとしてのきもちを
きぼうにかえて
ゆめいっぱいにきぼうをかえて
ちいさなころにきぼうにみちていたわたしをおもいだしながら
きぼうにみちたゆめをせんたくして
ひょうざんにむかってきぼうにみちた
きぼうのいちばんのゆめを
ひょうざんのちからにまけないようにしながら
いきてゆきたい
きいてくださいこのみちで
ちいさなきぼうをみつけたことば
ちいさなきぼうがみつかって
ゆめをにがさぬようなきたかぜに
みちのとおくにみえているちいさなきたかぜがはこぶゆめを
にがさないように
いいかぜにみちたしずかなみちをあゆんでゆこう
じぶんできめてつよいきもちをもちつずけていこう
ひかりさすいきていくものたちがあるくみちにも
いいかぜがふくこのみちを
ひかりさすみちを
しずかにしずかにじかんがながれ
ちいさなじだいをおもいだし
さいごにきいたなまえをいいだせないで
ちいさなころからにんたいしてきたことを
くなんとともにおもいだし
ちいさなきぼうをしにたくす
ちいさなきぼうはみはてぬゆめよりすばらしい
きのうにひかる
きのうはきのう
おもいだすといやになるけど
きぼうはきっとびらかんすよりもうつくしいものだ
最後に、詩を作ることについて書いてもらった。
しをつくっているときもちがおちつく
しはこころわくわくできます
きもちをにんたいさせているのできもちをかいほうしてあげないといけない
いいきぶんです
きもちがすらすらいえていいきぶんです
にんげんとしていきているので しをかんがえたのです
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2008年12月19日 01時01分
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○○君は、今日は、いきなり質問からはいってきた。
ききたいことがあります
きのうきた☆☆さんがいいました
ちいさいときにしばたせんせいにあったことがありますといっていたけどほんとうですか
げつようびがっこうです
☆☆さんはきれいなじょせいです
がっこうのせいとですこうとうぶです
私のことが学校で話題になることもないだろうし、彼が話題にすることもないだろう。「☆☆」という名前に思い当たる人はいないかとあれこれ思いめぐらしても答えは出ない。あえて最初にそんなことを聞いてきたのは、いったいどうしてなのか。疑問は解けぬまま言葉は続く。
しばたせんせいはどうしていそがしいのですか
きてくれてありがとう
しばたせんせいはどうしてことばがあることがわかるの
せんせいはくりすますはどうしているのですか
それぞれ、答えながら、対話は続いていったが、突然、体中に力がはいって、泣き声になった。そして、書かれた言葉は、
くくのべんきょうがしたいけどきくことができなくてくやしい
というものだった。
ここで、彼に、今の声は、君のことをよく知らない人には、まるで、だだをこねているように見えてしまうけれど、本当は、くやしい気持ちが、体と声に表れただけで、だだをこねているわけではないのでしょうと尋ねた。すると、こっくりとうなづくしぐさをして、
きもちがさきにこえになってしまう
と書かれた。かくいう私も、これまで、この彼の泣き声を正しく理解していたわけではなかった。彼は、もっときちんとした少年のはずだ。小さいことだけど、こうした理解もとても大切だと思う。
そして、さらに次のように続く。
きいてみないとわからないです(九九のこと)
つらいことがありました
きもちをきいてもらえなくてかなしかった
いいたいことがつたわらなくてくやしい
そして、九九の勉強を少しやった。自作の九九のソフトを出して、一緒にスイッチ操作をしながら九九を解いていくと、本当によく覚えている。だが、それは、一人の世界の中で繰り返しているもので、閉ざされている。彼は、こうしたやりとりを通して、もっともっと学びたいのである。早く認められる日がきてほしい。
もう一人の少年▽▽君は、本当は行けなかったクリスマス会について、書くことから始まった。
にちようびくりすますかいがありました
きたともだちはちいさいころのともだちです
いかにもくりすますかいらしいものでしたがきもちのこもったすてきなかいでした
きもちがこもっていたのはしんらいがあるからです
いつかそのしんらいにこたえたいとおとおもう
ことしはことばがしゃべれるようになれてよかったけどがっこうのせんせいたちにはやくしんじてもらいたい
ちがいをかんがえてほしい
からだはうごかなくてもことばがあるということをしばたせんせいはしんじてくれたけどきをつけていないといつかよくないひとたちにことばをうばわれてしまうとおもいます
ぼくはしんじてもらえるひがくることをきたいしていますいつまでもいいせんせいがあらわれることを
きっとそんなひがくるとおもう
後半は、話ができるようになったことをめぐる感想だ。「ことばをうばわれてしまう」ことが、絶対にないようにしなければと思う。二人とも、自分たちの気持ちが受け止めてもらいたいという思いは同じだ。
前半のクリスマス会については、○○君は参加していたが、▽▽君は、お母さんの用事で参加できなかった。そして、お母さんは、▽▽君をがっかりさせたくないから、最初から、このクリスマス会のことは内緒にしていたそうだ。なのに、どうした書いたのだろう。そのことを聞いたところ、
いいことだったからかきました
おかあさんがでんわではなしているのをききました
でんわでおかあさんがはなしているのをききました
いいぬいぐるみをもらいましたからこれはどうしたのかなとおもってきいているとおかあさんがでんわできれいなきをつかったこえでおれいをいっていました
きのうのうのことです
くりすますかいのことはぬいぐるみをもらってからかんがえました
しかし、ぬいぐるみもでんわもお母さんには思い当たらないようで、しいて言えば、前日学校の先生と電話をしたということはあったそうだ。
そこで、私は、動くことも見ることもできない中で、限られた情報をつなぎあわせて想定した話ということですかと尋ねると、
そうです
りかいしてしんじてください
きもちはつたわってきます
と答えが返ってきた。そして、お母さんが、本当は「行きたかったの」と尋ねると、
いけたらいきたかったけどおかあさんのようじもだいじだからへいきです
とやさしい答えが返ってきた。そして、クリスマスプレゼントは何がほしいか書いてみてと誘うと、次のような一文が綴られた。
なにもいらないけどおかあさんにぷれぜんとをあげたい
はなたば
かってきてくださいぼくのかわりに
今年は、彼からのすてきな花束のクリスマスプレゼントが、お母さんに届くことだろう。
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2008年12月18日 13時44分
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以前、舞い降りた詩人として紹介し、「いみ」の詩を紹介した
小学6年生の少女は、最初に次のように語った。
さいきんしがかけなくなってきました
いいしをかこうとがんばりすぎていいかんがえがうかばなくなって しまいました
しがかけるきぶんになることがひつようですがむずかしいです
今日は、書けないのだろうか、いつのまにか彼女にプレッシャーを与えてしまったということなのか、などと考えていると、彼女のところに通い、最近、手を添えた筆談に挑んでいる姪が、「意味について言いたいことがあったでしょう」と少女に誘いをかけた。
そして、すらっとまず、意味のことを表す言葉を書いた。そして、そこから、私の不安をさっと吹き飛ばすように、すらすらと3編の詩が書かれた。(なお、ここから彼女の言葉は、私の方で漢字に置き換えて紹介する。)
二字で命を伝える不思議な言葉
木戸をくぐった風が切りかえて
獅子のすさまじさで木戸を気まぐれに
聞き取れないような痛ましい声で
苦しみに満ちたくぐりにくさで
井戸の中にむかって
一陣の風となって落ちていった
一陣の風は希望の土間と
土間から木宿に続く地面に墜落し
太陽に照らされた家の屋根に向かって急いで鍬みたいに昇り
そこから地面に向かって急降下して地面を耕し
そこに希望の種を一陣の風はまいて
小鳥がそこでさえずった
希望の種はそこで目を出し
いい香りに咲いた
希望の種から咲いた花は
希望の実をつけた
一陣の風は一陣の風に別れを告げ
澄み切った風になって木戸から消えていった
木戸の中はきれいな花の咲き乱れる
対の画用紙のように閉じられた
人間はいつまで言い続けるのだろう
希望を取り戻すため
目を見開いて
聞き耳を立てて
希望の風は気まぐれに吹き
力強く地面に横たわり
意志を知らない地の静けさで
素晴らしい命を授かった
命を授かった地は
常ににぶい音を立て
地の上にあるすべてのものを慰めた
希望の風は一陣の風となり
いづこにか過ぎ去った
苦しみというものは
石のように希望を圧しつぶす
希望の風は気づかないふりをして
いい響きの光を地に注いだ
いい光は意味のない地の祈りを聞きながら
いい風を吹かせた
知らない子どもが言った
いい風はきっと東から吹きますよ
知らない子どもは聞いていた
地の奏でる静かな音楽を
希望の風は北から吹いてきた
いい風を吹かせるために
希望の風は北から吹いてきて
北の国の希望を伝えた
いい風は北の国の希望を伝えるために
自分に向かって希望の歌を歌った
いい風に向かって歌いながら
希望の風はいい風に自分の夢を語った
自分の夢はきっとかないますから
いい風の罪深さを地に向かって許しを請い
希望の風はいい風とともに
いい希望を伝えるために
希望の満ちた光の中を気まぐれに吹き渡った
意味は、「二字で命を伝える不思議な言葉」と言う不思議な言葉の通り、音や文字のつながりにすぎない言葉が意味というものを背負い、それは、命を伝えてくる。その言葉の通りの世界が、3編の詩を通して浮かび上がってくる。
ここで、私は、ある質問をした。それは、私の周りで、北という方向が特別な意味をもって語られており、それが希望と重ねられることが多いため、その理由を尋ねたのだ。すると、彼女は明快な答えを返してきた。
北というのは生きることに疲れた人が帰っていく場所です。だか ら希望はいつも北からやってきます。知らない子どもはいい経験し かしていないので、東から希望が来ると思っています。地の果ての 知らない命が生まれる場所に行ってみたいです。命の生まれるとこ ろが見てみたいと思います。命の意味をしりたいと思います。
あまりにも有名なドラマ「北の国から」もきっと「北」でなければならなかったはずだ。彼女が解き明かす「北」の意味に、深く納得するとともに、私は、いまだ希望が「東」から来ると思っている人間なのだということも思い知らされた。
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2008年12月17日 08時00分
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小学2年の二人の少年と久しぶりに会った。
○○君は、結構手が使えるので、ここのところ、スイッチをいろいろ試して、一人でワープロをうったり、パソコンを操作したりすることをめざしている。前回、昔ながらのジョイスティックがついた、でっかいゲームコントローラーを改良して持っていって、気に入ってもらった。そして、今回は、らくらくマウスとして知られている製品の基盤を手に入れることができたので、ジョイスティックを使って楽々マウスを手作りした物を抱えてうかがった。
まず、最初に、こちらがたっぷりと手伝う方法で、気持ちを書いてもらった。
いそがしいのにきてくれてありがとう
じぶんでやれてうれしい
いいすいっちをみつけてくれてありがとう
くしんしていますががんばっています
くくのけいさんがきになっています
けいさんのしかたがわかりたい
すきだけどけいさんのほうほうがわからないからこまっています
小学2年の○○君が、一生懸命気を遣ってくれることがうれしかった。スイッチを毎日がんばっているとのこと。
そして、九九の話に移った。九九の話は最後にきちんと教えるからと約束して、さっそく、自家製らくらくマウスに挑戦。力が入りすぎるので、ジョイスティックによるマウスのポインタの調整は、なかなか一筋縄ではいかないが、ちょっと手を添えて、ポインタを動かし、クリックするとうプロセスは、いわば本格的なパソコン操作とも言えるので、とてもうれそうだった。
手伝われるよりも自力でやりたいという思いの強い○○君のおかげで、私も、新しいスイッチの工夫ができて、おもしろい。
九九の勉強は、彼とふた子のきょうだいの女の子がやっている勉強に触発されたらしい。九九を声を出して覚えている声を聞いて、彼もけっこう覚えてしまったとのこと。
さっそく、足し算が直線で表されることをパソコンのたし算のソフトで説明。そして、かけ算のソフトを使って、かけ算はマス目を使った広さで表されることを説明したところ、納得したとしっかり首をたてにふった。
一方、◇◇君は、7月以来だったが、スライドスイッチに手をかけさせると、さっそく文章を綴り始めた。
最初はソフトとスイッチのことだった。
きくことができてこのすいっちはやりやすい
きっとすいすいできるようになれるとおもう
目が不自由な彼は、音を聞いてワープロの行や文字を選択しており、そのことをめぐる感想だった。そして、非情におもしろい文章を一気に綴っていった。
いちばんいいたいことはこいびとといいところにいきたいということです
いつかいいひととぼくはであいたい
くなんのひびのなかでうしなわないようにしたいきぼうは
ねがいはすてきなくにできにいったひととくらすことです
このあいだきてくれたおねえさんつかまえたいとおもう
くらすにいつもきてくれるおねえさんです
くにとほさん
くにとほさん
いつもくらすにいます
きっときれいなおんなのひとです
せんせいではありません
きっときもちのやさしいひとです
ぼらんてぃあをしているひとです
かきのきざかにいるひとです
小学校2年にしてはとてもませたお話だったが、問題は、この「くにとほ」さんが本当に学校にいるのかということだった。お母さんも「柿の木坂にはいったことないしねえ。」とおっしゃる。ときおり、にやっとしながら書かれていたのだが、次のように種明かしをしてくれた。
たのしいはなしをつくりました
きっといつかあらわれるとおもいます
ここで私は、いささか不用意なことを聞いてしまった。これまでとてもシリアスな内容を書いてきた彼が、軽い話をしていることがちょっと不思議に思われたからだが、「今日は、こんなことを言おうと思ってきたの」と言ってしまったのだ。すると、こういう答えが返ってきた。
いいたかったことはきぼうをうしなわないことがたいせつということです
ちいさいころからきぼうをもつことのたいせつさをおかあさんがおしえてくれました
彼は、決して無意味にこうした話題を語ったのではなかった。「苦難の日々の中で失わないようにしたい、希望は。」と彼は最初に書いていた。日々の苦難の中で、希望を持ち続けるということを、とてもわかりやすく、書いたのだった。やはり、今回の文章も、実は、深い意味を秘めていたのだ。
そして最後にこう書いた。
いいたいことがいえてよかった
このあと、お母さんのご希望で、パソコンによらないコミュニケーションの方法を試みた。実際に目に見えるような動きで意思表示をすることは、彼にはむずかしい。そこで、手をとって握り替えしてくるような力を読み取ってみることにした。8歳だから8で返事をしてねとお願いをして、ゆっくりと「1,2,3…」と尋ねていく。すると、8のところで握った手に力がこもり、親指がかすかに動いた。こうしたことを繰り返してみると、首が動いて眼球も一緒に動く時と、ってが動く時があることがわかった。ゆっくりと、こういうコミュニケーションが一歩ずつ積み重ねられて、彼の本当の姿が速く周囲に理解されるようになったらと願う。
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2008年11月18日 23時55分
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小学6年生の「舞い降りた詩人」のもとに、通っている大学生の姪らメールが届いた。
谷川俊太郎の詩を一緒に書き写したあと、つぎの詩を書いたとのこと。方法は、彼女の手に姪が手を添えて書く方法である。
いまここにいるいみ
いみをのみ
いみをつたえ
いみまためぐり
いみまためぐり
いみまためぐって
いみたのしみ
いみつかみ
いみまたつなぎ
いみまたなく・・・・・・
いみまたなさのさみしさをしる
いみ・・・・
即興の言葉遊びかと思っていたら、詩は一気に深みへと転調する。彼女の心の中にはどれほど深い世界が広がっているのか。しかも、その世界は、もはや無邪気な子どもの世界ではなく、虚無の底をのぞき込んだ者にしかわからない響きがある。
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2008年11月14日 11時17分
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通常学級で学び、ゆっくりとであれば話すこともできる小6の女の子が、最近、2スイッチワープロで、たくさん語るようになった。今回も、ひとしきり、いろいろな話をしたあと、学校のプリントに話が及び、算数の速度の問題や社会の江戸時代のことなどを一緒に解いていった。口述による筆記で、実力そのものをプリントに反映させるのは、けっこうむずかしそうだったが、実際に2スイッチワープロで語ってもらうと、スムーズに理解していることが語られ、よくわかっていることが伝わってきた。
そこで、次に国語のプリントをやった。そこには短歌や俳句が書いてある。プリントの設問は、字句を問うものがほとんどなので、いきなり説明を求めた。最初にのっていたのは、志貴皇子の有名な短歌、
「石(いわ)ばしる、垂水の上の、さわらびの、萌え出づる春になりにけるかも」だったが、彼女は、こう説明した。「はるになってわらびがはえてきた ぼくのこころにもはるがきた」。簡単な説明だが、後半が目をひいた。そして、それぞれの俳句や短歌に次々と気の利いた説明文がつけられていく。
「古池や蛙飛びこむ水の音」には、「ちいさないけでかえるがしずかにとびこんでとてもしずかさがふかまった」、「妹を泣かして上がる絵双六」には、「しょうがつにきょうだいですごろくをやっているといもうとがいつもまけてないてしまったようすをなつかしんでいる」、「卒業の兄と来てゐる堤かな」には、「そつぎょうのひにむかしきょうだいとあそんだつつみにきてなつかしんでいる」、最後に、「金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に」については、「なにかかなしいことがあってゆうがたさんぽをしていたらゆうやけがうつくしくていちょうのはっぱがとりのかたちをしてちっていくのをみてはげまされた」と、それぞれ短くても、その短歌や俳句にこめられた作者の感情が的確に表現されている。そこで、詩とはどういうものだと思っていますかと聞いたら、「なにかできもちがしずんでいたりうれしいときになにかをみたりきいたりしてこころがゆさぶられたときにつくられるものです」と返ってきた。これはきっと詩を作ったことがあるのだろうと思って聞くと「ある」という。じゃあ、作った作品を書いてみてと頼んだところ、驚くべき作品が書かれたのだ。全文ひらがなだが、漢字をあてて記しておこう。
すばらしい野良犬もねぐらに帰る夕暮れ時
静かに蝉が鳴いている
蝉の声の抜け殻に
一人暮れゆくその声の向こうに
秋が鳴いている
うちに帰る子どもたちの中から同じ匂いがして
得れない夢が消えていく
でもそこにはただ暮れてゆく姿のままの苦しみがあるだけ
すべて死を忘れた願いが明日を夢見ている
すべて罪を逃れられないとしても
美しい願いが輝いている
鳶の鳴き声に心が洗われ
すべてをゆるすばかりに羽を広げて
望みを捨てないことを誓った
一文字ずつワープロの画面にかなが綴られていく時、意外な言葉や重い言葉が繰り出されてくることに、ただただ、不思議な感動を覚えていた。目の前のまだあどけない少女の普段の姿からは、まったく想像もできない深い世界が誰にも知られずに、豊かに広がっていたのである。
最後に詩について、もう一度コメントを求めた。
ひとりでいつもしをつくっています
だれにもつたえたことはありません
こころのなかにしまっていました
きもちじたいをつたえるよりもいいとおもいます
詩を見て驚いたお父さんは、こう言った。「我が家に詩人が舞い降りた!」
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2008年10月15日 11時48分
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すでに言葉もゆっくりとだが話し、地域の学校にも通っている○○さんと、スライドスイッチによる2スイッチワープロに挑戦した。以前にも何度かやってきたが、これまでは、できるだけ本人の実際の動きをもとに綴ったので、短い文章で終わっていた。しかし、今回は、最近私が、もっと障害の重い方々と長い文章を綴るためにとっている方法、すなわち、実際の自発的な運動が起こる前に、運動を起こすための準備として腕に加わったわずかな緊張を積極的に拾っていく方法をとった。もう少し具体的に紹介すると、私が小さな動きで引っ張る方のスイッチが入ったり切れたりするようにカチカチとスイッチを前後に小さく動かしていくと、選びたいところで押そうとしてその準備のための力が腕にこもるとそのカチカチという動きが止まるので、そこで、一緒に押す方のスイッチを押して決定するというものである。
そうやってできた文章はこれまでになく長いものだったが、それだけでなく、本人の秘められた思いがあふれた文章だった。
くるしいことがありましたいつもげんきなおじいちゃんがにゅういんしてこのあいだしゅじゅつをしてくすりをいっぱいのまなくてはならなくなりました。たいへんしんぱいしています。
おじいちゃんの病気のことで、私は知らなかったが、こんなふうに綴られて、初めておじいちゃんの病気のことを知った。
すなおすぎてくつうね このあいだがっこうでぞろりのをしっていて○○ちゃんのくちまねがおかしいといわれてみんなにわらわれてくやしかった。
「ぞろり」のところは私の読み違えかもしれないが、何か、いつも素直にふるまっている彼女の本音が初めてちらりとのぞいたように思えた。彼女の口調をからかわれて悔しかったことがあったということだろう。しかし、すぐに、彼女は、こう付け加える。
けっしていじわるではないとはおもうけどなぜぶうたはくだらないことをいうのだろう。
6年生だがもう大人の○○さんは、むしろぷうた君のことを気遣っているのだ。しかも、「ぷうた」は、偽名で、本当の名前をとっさに隠したとのことだった。
そして、文章は方向を変えて、内なる世界に向かっていく。
かえれるばしょがあったらかえりたいとおもうけどくるしさのなかできぼうをすてずにがんばろうとおもう。
そこからならばもう一度やり直せるような「かえれるばしょ」はもうないことを知ってしまった。しかし、「がんばろうとおもう」。
いますてきなひとがめのまえにあらわれたらうんめいがかわるかもしれない。あいがほしいです。あなたをあいするといってくれるひとがあらわれないかなとまちつづけていますがなかなかあらわれません。すてきなひとにであえたらたのみたいことがあります。すぐにわたしをわるいひとのいないところにつれていってくださいおねがいします。
いつも大切にしながらしかしけっして語ったことのない夢見る少女の世界が突然かたちをとって表れた。
ふしぎですかんがえたことがそのままぶんしょうになっていきます。
自発的な運動を実際に起こす前の動きを拾っていくという方法は、こうした実感をもたらすことのようだ。こうした方法をとってから「ふしぎ」というふうに問い返されることが増えてきた。
もしかしたら、彼女の心の世界に、ほんの少し踏み込みすぎているのかもしれない。本当は思っていても寸前で言わずにおこうとしたことまで、言葉として引き出してしまったら、それは、本人の意に反したものになってしまうことだってありそうだ。そうしたことについては、これから、じっくり考えていかなければならない。
次に、気になっていた算数について尋ねてみた。
5+8=13 23+12=35
これだけでも、ふだん以上の実力が発揮されている。そこでさらに、
100+3=103 1.2+0.1=1.3 6×8=48
15÷3=5 12×3=36 80−72=8 25×3=75
驚くばかりだったが、そこで、「100円の品物にかかる5%の消費税はいくらか」と聞くと
100×0.05=5
「10%の食塩水30グラムの中には何グラム食塩が溶けていますか」には、
30×0.1=3
「100キロメートルの距離を時速20キロメートルで走ると何時間かかりますか」には、
100÷20=5
そして感想として、
かんたんにかけてむずかしいもんだいもふしぎとできたのでかんげきしています。
私も起こっているできごとの意味をどうとらえていいのか、とまどいつつも、これが○○さんの本当の姿だったのだと、あらためて自分の見方の浅さを反省した。
そして、行ってきたばかりの修学旅行の感想に。詳細は省くが、こんな一文が含まれていた。
きっとうつくしいけしきだったとおもうけどせっかくいったのにけしきをみるよゆうはありませんでした。くやしかったけどからだがうごかないのはだれのせきにんでもないのでしかたありません。けっしてだれかをうらんでいるわけではありません。
さらに、
ゆめはけっこんしてこどもをうむことです。うつくしいはなよめいしょうをきてうつくしいくるまでりょこうにでかけたいです。けっこんするのはむずかしいかもしれないけどねがいはもちつづけたいです。すてきなひとがあらわれたらうれしいです。
と再び、夢を綴った。夢を現実にするためには、強く道を切り開く生き方が求められるかもしれない。しかし、彼女ならできそうな気がするという思いが、ふと頭をよぎった。
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2008年8月15日 00時39分
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5月に「ながいねんげつだった」と書いた34歳の男性のもとを再び訪れた。27年の関わり合いの時間があって、突然文字を綴った男性のことだ。今日は、800字を越える長文となった。
言葉が使えることの喜びを繰り返し述べながら、「もしいっしょうはなすことができなかったらほんとうにどうなっていただろう」というような重い言葉も綴られる。そして、「×××(彼が入所している施設)のおともだちにもおしえてあげてほしいとおもう みんなもおなじようにかんがえているのにはなせずにいるのではなせるようにしてあげたいとおもう やっとやみからかいほうされたのだからみんなにもよろこびをわけてあげたいとおもう」と、まだ言葉を発せずにいる仲間のことに話が広がっていき、「×××にはよわいひとたちがたくさんいます つらいきもちでまいにちをすごしています ゆめは×××でみんながはなせて みんながおたがいによろこびをわかちあうことです」と夢を語った。素直に彼の気持ちになってみる時、明日にでもかなう夢のように思える。それは、誰もが願うこと、誰もが一度は願ってあきらめてきたことだ。彼が綴っていく文字を追いながら、本当にすぐにでもそんな日がくればいいと思いつつ、しかし、また、いくつかの越えなければならないハードルにも思いが及んだ。彼が閉じこめられていた「やみ」のことに本気で思いをはせるなら、彼の夢の切実さがいちだんと増してくる。ハードルのことなど考えている自分のなんと情けないことか。なすべきこと、進むべき道は、あまりもはっきりと見えているのに。
彼は、さらに、「てをつかえたらみんなにことばでふまんをいおうとおもってきたけど やっとはなせたのだから ふまんをいうのはもったいないとおもう このことをみんなにつたえるのがさきで のぞみはひとりでもおおくのひとにはなせるようになってほしい ひとりでもおおくのひとによろこびをことばであらわしてほしい せいいっぱいいきていることをことばでつたえたいとおもう」、「よろこびでむねがいっぱいです よろこびでうまれてきてからきょうまでのくるしみがきえました よろこびでむかしのことをみんなゆるすことができます すばらしいはなすことは」と綴った。彼にとって苦しかった日々は、彼の心をけっして狭くしたのではなく、広い大きな心にしていたこともわかる。
そしてさらに、「ふしぎです どうしてわかってもらえたのか どうしてだれもわかってくれなかったのにしばたせんせいはわかったのですか」と問われた。27年に及ぶつきあいの中で、わからなかったという事実や、私たち以外の多くの大人たちとの関わりの中でも話せる手段が与えられる可能性をほとんど誰からも見いだすことができなかったという事実があったにもかかわらず、なぜ今、柴田が突然? という疑問は当然のことだと思う。何か、もう胸がつまってこの問にはうまく答えることができなかった。
最後は、「またあいたいです」と結ばれた。悔やんでも悔やんでもつきることのない過去の時間だが、これからまだまだ先に広がる未来を見つめようという彼からのメッセージと受け止めた。
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2008年7月4日 21時45分
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火曜日、二人の小学2年生の少年と会った。
パソコンでの関わり合いが3度目になる◇◇君は、まず、「きてくれてありがとうすいっちがじぶんでやれるようになりたい」と手をしっかり支えられた状態で、2スイッチワープロとスライドスイッチを使用してすばやく綴った。彼にとっては、独力で文章を綴ることが自分で作った目標になっている。もう少し、この状態で気持ちを聞いておけばと思ったのは後の祭りで、彼の気迫に押されて、思わず、一人でやれる状況にした。今日用意した2つのプッシュスイッチは比較的よかったのだが、タイミングよく頷いたりするので、オートスキャン方式の1スイッチのワープロを見せてみたところ、俄然こちらが気に入った。残念ながら、スイッチ操作がまだうまくいかないので、なかなか単語を作るのもむずかしい。ちょっと手首を介助すればずいぶんと改善されるはずであることはわかるのだが、誇り高い彼は、そうした援助をきっぱりと拒否する。それは、幼い雰囲気をその表情に漂わせながらも、自分と勝負しているたくましい姿だ。「はいーといいえ」が明確に表現できる彼には、日常生活におけるコミュニケーションは、かなり円滑に進めることができるので、さしあたり、パソコンで何かを表現することよりも、一人で成し遂げることの方が、圧倒的に重要なのだ。今は、ただ、彼の誇り高い戦いを応援し続けることが、大切なのだと思った。
昨日、大学の授業に二人の障害者がゲストで見えた。彼らは戦う障害者だが、私には、もっと大人になって、たくましく自己を主張していける彼の姿が、彼らの姿に重なった。
パソコンでの関わり合いが2度目になる○○君からは、いきなり「くるしかったけどはなせることができてきもちがらくになりました。」という文章が出てきた。前回「ねがってきたきもちをつたえること うれしい ずっとまってきた」という思いと符合する。そして、悲しそうな表情をしながら次の言葉を綴った。「くるしいのはよくめがみえないことです。」4歳までは見えていたという。短い時間だったろうが、目でたくさんのものをとらえてきたにちがいない。その目が光を奪われた。
助詞の「は」の使用や促音の使用など、見えなければ、学べないものも彼はしっかり理解しているようだ。そこで、どうやって覚えたのと尋ねてみた。すると、「かあさんがえほんでおしえてくれた。ちいさいもじのえほんがべんきょうになりました。」という答えが返ってきた。
そこで、おかあさんにメッセージがあればと促したところ、「かあさんいつもありがとう。いつかしあわせにしてあげよう。ほんとうにかんしゃしています。」と綴られた。
さらに、彼の言葉はこう続く。「さみしいときにいつもおもいだしていますくるしさからかいほうされたときのこと。くるしさのみのじんせいはいやです。」「くるしさからかいほうされたとき」とは、初めて文字が綴れた時のことを指しているのだろうか。その時を思い出している彼を想像すると、私もまた胸がしめつけられた。
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2008年6月24日 23時40分
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3年ほど前にお会いして、十分に関わることのできなかった小2のお子さん二人と再会した。先月、一人にはお会いし、もう一人は今日久しぶりの再会だった。文章を綴る力があるだろうとの予測がありながら、そのままになってしまい、心の底にひっかかっていたのだが、再会できてほっとした。
○○君は、これで2度目だが、前回からどんどん文を綴っている。音声的なコミュニケーションもかなりとれている彼は、2スイッチワープロで選ぶべき行や音がくると声を出したり、うなづいたりして選択を伝えることもできる。さっそく書いた言葉は、「のせてほしいでんしゃ」「かよいたいがっこう」と電車が好きな男の子らしい素朴な願い。さらに「かいさつぐちちかくにのればだいじょうぶ」と続く。思わず、うなってしまった。
スライドスイッチを使っできるだけ少ない力で行う方法では、早い正確な文がつづれるし、合図も正確だ。ところが彼は、できる限り独力でやり遂げたいとの思いを持っていて、ジェリービーンスイッチを二つ並べて一人でやれるようにと試みたのだが、結局、直接ノートパソコンのポインティングディバイスの左右のクリックを直接押そうとがんばった。腕全体をつっぱらせて一本の棒のようにして、指先でクリックしようとするのだが、なかなかうまくスイッチのところに手がいかなかったり、左右のぶれが起こったり、右クリックに移ろうとする時に、うまく移れなかったりで、四苦八苦だが、決してあきらめようとしない。そのがんばりには本当に頭が下がる。そして、手伝おうとすると私の手を払うようにして、自分でがんばると主張し続ける。とても頼もしい限りだった。
◇◇君は、ワープロでの関わり合いは今日が始めて。急に暑くなった気候に、やや体調がおもわしくないとのことで、ぐったりとしていた。しかし、いざ、パソコンのワープロを出すと、目をすうっと開いてきた。
ほとんど動きのない状態で、目にも障害があって、見ることはむずかしいということだったが、スライドスイッチの取っ手を握ってもらい、まず名前を書いた。手はなかなか力がこもってこないが、最初の一文字目の行にくると目がふっと動く。そうした反応をていねいに拾っていくと、何とかなりそうだった。そして、二文字目が拗音なのだが、一行目の「小」を使って表すことを伝えると、それを選択し、にこっと笑った。
本当に彼自身の選択なのか、自信が持てない場面もなくはなかったが、最終的に彼によって選ばれた文字は、次のような文になっていった。「ねがってきたきもちをつたえること うれしい ずっとまってきた」
濁音や促音も理解していると考えると、幼い時から、まだ、目の病気が進んでいなかった時期に、懸命にひらがなを覚えようと、ひとりがんばってきたことが推測される。
これからたくさんの気持ちを聞いていきたいと思う。
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2008年5月27日 23時27分
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家庭訪問 |
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3ヶ月ぶりの家庭訪問で、お二人の兄弟にお会いした。お父さんの転勤で北陸から出てきて1年になる。お二人には数年前から福井での合宿でお会いした経緯からの訪問だった。
二人とも援助があったら2スイッチワープロで文字を綴ることができるのだが、ゆっくりと長い文章を書いてもらったのはこちらに来られてからのことである。
2月の時は、弟の方に既有の知識を尋ねる意味で、次のような算数の問題も解いてもらった。
45÷5=9
0.4÷0.1=4
0.2×0.3=0.06
である。予想以上に学習は進んでいた。しかし、こうしたことが理解できる子どもだとは誰にも思われてはいない。
今日の文章は以下の通りだった。
まず最初に書いた弟の方から。
てがうまくつかえないのがくやしい
(今日持参したスイッチに対して)せっかくつくってくれたけどべつのすいっちがいい。
こせるか(こなせるか?)どうかしんぱいです
きもちだけがさきばしってしまってなかなかうまくふつうどおりにいきません。
てがうまくつかえたらとおもうけどせいいっぱいがんばってもすいっちがずっとできなくてくやしくおもう
おかあさんがあまりくよくよしないからすくわれます。ぼくはくつうですがねがいがかなえられたらいいとおもいます。
とてもぼくのことをたいせつにそだててくれてかんしゃしています。
(中略)
ねがいはみんなときもちをつうじあわせることです
ゆめはけっこんすることです
ふたりでささえあっていきていきたいとおもいます
きれいなじょせいでなくてもやさしいひとがいいです
むずかしいかもしれないけどがんばりたいとおもいます
次は兄さんの文章。
にんげんとして いきて いきて いきたいとおもっています
けっこんしたいとおもっています。
けっこんしてみたいひとは やさしいひとです。
ねがっている すばらしいじょせいがあらわれることを。
おかあさんいつもありがとう くろうばかりかけて
といれをするときも いつもついていてくれて
たいへんなのに ふしぎです
せいいっぱいやっていても
ふまんひとついったことがない
おなじことのくりかえしで たいへん
いそがしく ひとりでがんばっている
ほんとうに えらいとおもう
二人とも現在中学生。これから大人に向かう二人の、母親への思いと、結婚へのほのかなあこがれの思いが綴られていた。
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2008年5月18日 23時17分
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ゴールデンウィークの最終日、ひさしぶりにTさんのお宅を訪問した。Tさんとの出会いは1981年にさかのぼる。大学院に入り立ての私が週一度通い始めた遊園施設に彼はいた。小1だったが、健康面での配慮のため、通園施設で養護学校の訪問教育を受けていた。とりわけ障害の重いお子さんとして私は、特に彼に意欲的に関わった。翌年、養護学校に通学が決まってからは、家庭訪問のかたちで関わりを継続した。その関わりのかたちは、彼が20歳を過ぎて、施設への入所が決まるまで続いた。私の関わり合いは一貫して手の操作性や目の使い方に関するもので、彼のためだけに作られた教材も数知れない。そんな彼のことが、しきりに気にかかり始めたのは、この3,4年のことだ。周りで、いろんな子どもが私たちの常識を越えて文字を綴り始め、それじゃあ彼はどうなのか、という問いが、しだいに頭をもたげてきたのだ。
そして、5月6日、彼と再会した。1年前に、2スイッチワープロで、簡単な言葉を一緒に選んだこともあったのだが、それは、確信にはいたらなかった。しかし、きっと彼は、そういう表現方法があることを見逃しはしなかったのだろう。この日、いくつかの単語を一緒に書くことを練習のようにした後、自由に書いてみてと言うと、次のような文章を、終始、こぼれ落ちるような笑いとともに、つづった。
おとうさんおかあさんいつまでもげんきでね。ありがとういつもかわいがってくれて ことばでつたえたかった
(文字はどうやって覚えたのかという問いに対して)ひとりでおぼえた
えがおでいきていきたい
なぜわかったのことばをしっていたことを
ことばではなせるとはおもわなかった
ねがってもかなわないとおもっていた
てをつかえるとはおもわなかった
やっときもちをつたえることができるのできぼうがでてきました
ふりかえるとながいねんげつだった。
りかいしてくれてありがとうございます。
彼との間に流れた年月は27年。本当に長い年月だった。取り返しがつかないけれど、このようにしか生きてこれなかった時間だ。彼にしいてしまった忍耐を、これ以上続く世代に課してはならないと思う。
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2008年5月13日 06時58分
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