今日は、あまりご機嫌がいい様子ではなく部屋にはいってきた○○君に理由を尋ねる。手を振る方法で彼が答えたのは、「歌が歌えないから」だった。そして、「どんな歌?」と尋ねると、「森のくまさん」だという。そして、私が歌い出すと、激しく頭をたたき、「歌えないからくやしい」と伝えてきた。歌が聞きたいわけではなかった。歌いたかったのだ。そして、高ぶる気持ちを抑えるように、横になった彼に、歌ってごらんというと、メロディや言葉にはならないけれど、明らかに、「森のくまさん」と思われる声が発せられた。「ぼくらにはわかるよ、森のくまさんを歌っていることが」と伝えると、もちろん満足したわけではないだろうが、少しずつ落ち着いてきた。そして、パソコンを出した。
小さい時からわかっていることをわかってほしかったです。わかってほしいです。なぜ歌を歌えないのでしょうか。
くやしいです。わかってほしいです。理解してほしいです。わかってほしいけどぼくのふだんの行動を見たら無理でしょうね。
○○君は、手を服の中にしまうことが多い。人前でそれをやられると、おかあさんもたいへん参ってしまうとのことをおっしゃっていた。今日は、特に、それが目立ったらしい。そこでその理由を尋ねた。
手を服に入れるのは気持ちを落ちつかせるためです。なぜそんなことをしないといけないのか不思議ですが忘れられないのは、ぼくをわるくいった先生に、
というところで、突然彼はすっくと立ち上がっていってしまった。きっと、何か思い出したのだろう。彼が手を服の中に入れ始めたのは、高等部のころだ。その頃、突然、掃除用具入れの中に閉じこもるということも耳にしていた。何か、つらいことが、彼をより落ち着かせなくしたということは大いに考えられる。
そして、また、戻ってきて文を続けた。
自分でもわかりません。なぜ歌のことが気になるのか。でもくやしいです。理想はわかってもらうことです。
満足のいく子どもこどもになれなくて悲しいです。分相応の生き方はいやですがなんとかしたいです。
ぼくも話したいです。理想はいいたいことが言えて、もっといい人になりたいです。もっといい子どもになりたいから、悲しいです。ぼくもわかってもらいたいです。夢でしたランプのあかりをつけたいですす。ぼくもわかってもらいたいです
通所先では、自閉症の作家として知られる高校生東田直樹さんの本を施設長の方が紹介したということをお母さんが、おっしゃった。そこで、彼にも尋ねてみる。
(通所施設では、自閉症と言われる人がわかっていることを理解してもらえているんですね。)
はい でも ぼくがはなしがわかっているとはおもってはいません
(本を書いた人の話は聞いたんでしょう?)
はい ぼくも そのはなしはききました。うらやましいです。ぼくもわかってほしいです。
(1年半前に突然ぼくが○○くんに文字を出したのを覚えてますか?それは、その少年の話を実際に聞いたからです。)
そうだったんですか。望みはぼくもなんとか自分の気持ちを伝えたいです。わかってほしいです。夢のようです、言いたいことが言えて。ぼくもどこかの国に行ってしまいたいです。願いは地域で生きていくことですがなかなかうまくいきません。
ここで、お母さんは、○○君に、どうしても半信半疑になってしまうから、お母さんと二人だけの秘密を書いてほしいとお頼みになった。○○君自身も言うように、目の前で紡ぎ出される言葉と普段の行動とのギャップがどうしても埋まらないからだ。すると、彼は、次のように述べてから長い文章を綴った。
物語を作ります。
望みをかなえたい子どもがいました。その子の願いはゆりの花をかあさんにあげることでした。ゆりの花はかあさんの好きな花でした。ゆりの花の咲くマントはどこにあるのでしょうか。近くの町に買いに行きましたが見つかりません。望みをかなえたいのでその子は旅に出ることにしました。旅はまだまだ続くでしょうがけっしてもとの町にはもどらずに前に向かっていこうと思いました。
(お母さんがゆりの花が好きだということを伝えたかったのですか。)
はい。
書かれた文章を見て、お母さんの表情がぱっと笑顔になった。ゆりの花が好きだと改めて思ったことはないが、ゆりの花のきれいな場所に何度も行ったとおっしゃった。
言葉をいくら綴っても、なかなか普段の行動が変わっていくわけではない。ご家族の日々の思いを考えると、言葉とのギャップをどう考えるのか、私もとほうにくれてしまう。しかし、いちばんそのことに悩んでいるのは、○○君自身であろう。そして、この物語の中には、そうした思いを根底にかかえながら、それでも何とか未来を見ようとしている○○自身の切ないばかりの思いが見えた。
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2010年4月11日 08時24分
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高等部3年になった☆☆さんは、こんな願いから始まった。
きいてほしいことがあります
にねんせいのときにじぶんのことばでいいたいことをいってもしんじてもらえませんでした
いいたいことがきいてもらえないのでざんねんでした
きいてほしいことはわたしたちにもみんなきもちがあるということです
ねがいはいいたいことをきいてもらえるようになることです
にんげんなのでのぞみもゆめもあります
じぶんのきもちをきいてほしいです
いいたいことがちゃんとつたえられたらうれしいです
がんばりたいとおもいますがなかなかむずかしいです
昨年、仲間たちにも言葉があると思うから、学校に来てほしいと訴えた彼女の思いは、もちろん変わることはない。残念ながら、彼女の思いには応えられないまま、彼女の学校生活最後の1年が始まった。
ここで、話は違う方向へ舵をきる。
しをきいてください
ちいさいにれのきに ちいさいはながさき
ひとりぼっちのわたしにもはるがきた
にれのはなはじぶんのようにうごいたりはなしたりすることもないけど
みどりのかぜにふかれながら
だまったまま らくえんのようなわかいりそうにあふれている
にれのはなも わたしも りそうはひとつ
よいかおりをはなつこと
にれもわたしもきぼうにみちて
ゆめをかなえようと みどりのかぜにいのりをささげる
ちいさいはなと ちいさいわたし
みどりのかぜにふかれながら
みどりのかぜとひとつになる
新緑の季節にふさわしい、にれの花と緑の風の詩だ。ここで、お母さんから、にれの花をどうやって知ったのかという質問が投げかけられた。
にれのきはじぶんでそうぞうしたきです なにかのうたできいたけどみたことはありません
なまえがきにいりました ざんねんながらみたことはありません
ふしぎなはなです いいかおりがしていいきもちにさせてくれます
そして、この間、友だちから手紙をもらったけれど、返事を書きますかと再びお母さんからの問いかけ。すると…、
かきます
ついこのまえおわかれしたばかりだとおもっていましたが もうはんとしもたってしまいましたね
びっくりしました いいりかいしゃがいてじのべんきょうができるようになったとは
にねんせいのときはきいてもらうこともむずかしかったけど
よかったですね きいてくれるひとがあらわれて
みんなおなじねがいをもっていきていますが なかなかねがいをかなえられずにいます
ゆめみたいですが ちいさいときからにんげんらしくわたしたちはいきようとしてきましたが
ふしぎとそうならずにいかされてきました
これからはきいてもらえることをいきがいにしてがんばりましょう。
この手紙が書かれていくのをお母さんは真剣に見つめておられた。お母さんに内容を確かめると、どうやら、手紙をくれたのは、普段学校でケアルームで食事を取る際に顔を合わせている友だちだから、手紙はその友だちが相手だとちょっと食い違うないようだとのこと。そこで、車いすから降りた☆☆さんに、手で尋ねてみた。
するとこれは、想像して書いたものだという。手紙を書こうと思った時に、浮かんだ想像の世界をそのまま言葉にしたものらしい。そのことを受けてもう一度読み返してみると、そこには、切ないばかりの願望がこめられていることがわかった。
「きいてもらえることをいきがいにして」がんばれるような時代が、早く来ることを、いや、早く作り出していかなければならない。
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2009年5月24日 00時25分
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☆☆さんからの「りんごの歌」という言葉が、思わず、こんな詩につながった。「りんご」というものが、願いにつながっているとは、非常に驚くイメージだったが、ともに、そのイメージを共有しているようだった。
そして、☆☆さんが帰ったあと、1年下の◇◇君が早めにやってきて部屋のコーナーに座っていた。すると、次のような言葉を◇◇君に向かって投げかけた。
◇◇くんさぎょうじょはどうですか
ぼくははたらくことがゆめでしたから ねがいがかなってうれしいです
ちいさいときからはたらくのがゆめでした
ちかくのさぎょうじょですね
わになっていっしょにがんばりましょう
しあわせなせかいになってほしいです
この言葉は、私たちにとってはとても新鮮だった。思うように作業を行うことができない中、学校で行われてきた作業の勉強をどうとらえているのかということも明らかになり、そういえば、作業学習では、できることを懸命にがんばっていたことが合点がいった。
そして、このことをずっと聞いていた◇◇君は、次のように書いた。
きいてくれてありがとう
ぼくもはたらくのがゆめでした
ちいさいときからねがいでした
はたらくことがゆめにみていました
むりだとおもってきました
むずかしいです はなすのは
ひとりなやんできました
ふしぎです むりかとおもってきました
はなしがしたかった
りかいしてくれてかんげきしています
ちいさいときからのゆめでした
でくのぼうとよばれてきもちがかなしかったです
つらくかなしいくもをはらすことができました
はたらくことをめぐる思いをきちんと考え直す必要があること思ったことと、「でくのぼう」と呼ばれたりすることのかなしさは胸につきささる。「つらくかなしいくもをはらすことができました」という一文は、学校時代の先生が援助を代わって書いたものだ。彼にとって私以外の人でも、うまくいった初めての言葉だった。
そして、小学生の△△君がやってきた。彼には、まず、○○君のりんごの詩を聞いてもらった。そして、綴った言葉。
きぼうのひとのきもちをきいていいきもちになりました
ふかいいみがあるとおもいます
ふかいことばだとおもいました
りんごのことは ぼくもかんがえたことがあります
りんごは きぼうのうたをかなでてくれます
ふかいいみとゆめがいっぱいあります
ふしぎなかじつです
くだもののなかでは きぼうのきもちがいちばんいっぱいこもったくだものです
むずかしいいみのこもったしでした
きもちがよくつたわってきました
きもちがりかいできました
にんげんにはひんせいがひつようです
いいりそうをかかげていくことがたいせつです
にんげんとしていきていきたいとかんがえているので
いつもふかいいみをだいじにとおしえられて
いつもじぶんでめをちゃんとあけていきていこうとかんがえています
ねがいのとおりにいいにんげんになりたいとおもいます
ねがいはにんげんとしていつもいきがいをかんじながら
いいじんせいをいきていくことです
ちいさいころからきもちをつたえたかったので
じぶんのきもちがいえることがげんじつになったので うれしいです
ひとにゆめをあたえられるようなじんせいがおくりたいです
きいてくれる すなおなぼくのきもちを
じぶんのきもちがつよくしてくれるとおもってきたので
みじかいきゅうなじんせいよりも
なだらかな ながいじんせいをいきていきたい
じぶんのじんせいだから
ずっとりかいできるつらさは
すぐにぞうぶんのくすりとして いきていこう
ばやときをかんけいなく
ちきゅうじょうのすべてのいきとしいけるものが
しあわせになることをいのるとしても
きびしいいきかたにまけることなく
いきていきたいとおもう
だいじなことはいっぱいあるけど
つねにゆめをいっぱいりんごのようにもちつずけて
いきたいとおもう。
りんごと仕事をキーワードにして、4人の間で言葉のリレーが行われた一日だった。
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2009年3月31日 07時20分
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小学生の○○君が、新しい年の始まりのファンタジーを語った。
かいちゅうからきれいなたいようがのぼって
あたらしいさいこうのとしがはじまりました
しずかなとしのはじまりです
にばんめにちいさなとりがとんできて
じぶんのちいさなはねをひろげていいました
きぼうのしろいちいさなちかいをきいてください
いいしらせがあります
しらせのもうひとつちいさなものは
ちいさなにわとりがはこんできました
ねがいのきれいなろうそくをともして
にんげんによびかけました
ちいさいねがいをたいせつにしてください
ねがいはにんげんにはとてもひつようなものです
にんげんはちいさなねがいでもたいせつにできれば
ゆめをもっていきることができます
みんなゆめをもっていきていきましょう
ひかりにつつまれてしろいとりとにわとりは
しずかにとびたっていきました
ひかりをあびてしろいとりとにわとりは
きぼうにみちたくうきのなかをとびさっていきました
ちいさいねがいをいただいたにんげんは
みなみにむかうちいさなふねにのってふなでしました
にんげんはしろいとりとしろいにわとりからもらった
しろくかがやくきぼうをてにしながら
きぼうにみちたいいこうかいをつずけました
きれいなしろいとりは
みたこともないようなきれいなはねをひろげ
にんげんにしたがっていきました
きぼうのこうかいのぶじをみまもるためです
にんげんにはきれいなとりはみえませんが
ゆめをもらっていいねがいがのぞみにかわるのをしんじて
きぼうのこうかいをつずけました
きぼうのこうかいはにんげんにとって
しんじつをおいもとめるたびです
ちいさいゆめはひかりのなかからうまれて
きのうのかなしみをいやしてくれます
ちいさいしろ(…)
イメージは次から次へと言葉を紡ぎ出していくようで、まだ文章は続きそうだったが、力尽きたという感じで、ここで終わってしまった。
「ねがいはにんげんにはとてもひつようなものです にんげんはちいさなねがいでもたいせつにできればゆめをもっていきることができます」という言葉の中に、懸命に生きようとする強い意志を感じる。彼の前途には、嵐の海が待っているかもしれない。それでも、けっして願いを持ち夢を大切に生きていけることを祈る。
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2009年1月12日 06時35分
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10年あまり前から関わってきて、先月、初めて、パソコンで気持ちを伝えられるようになった二人の青年がいる。ともに、知的障害の養護学校に通い、一人は、激しい自傷行為に特徴があり、もう一人は、自閉と呼ばれる状況にあって、二人とも、発語はなかった。手に、目立ったまひがあるわけでもなく、教材次第では、様々な操作も可能だっただけに、2スイッチワープロは、重い肢体不自由をかかえた方々に役に立っても、この二人には、通用しないであろうと思っていた。その二人が、先月から、2スイッチワープロで言葉を書くようになった。私自身も信じられないような思いで、今回も望んだ。
最初の自傷の激しい○○君は、手を使うのを嫌ったので、肩にビッグスイッチと呼ばれる市販のスイッチを押しつけたり離したりしていると、選択したい場所でスイッチがはいりっぱなしになるということで、意図を読み取って文字を綴っていった。そして、以下の文章が綴られた。(句読点をくわえて紹介する。)
あけましておめでとうございます。いいいえがほしい。じぶんのいえで、ずっとくらしていけるいえがほしい。あたまでははなしができていても、くちではいえないのでこまっていました。さそっていただいても、てがつかえないのでつらかったです。きもちがことばでつたえたかったです。かたではなせるとはおもいませんでした。きもちがいいです。ちいさいころからはなしたかったです。ちがうたのしみがみつかりました。べんきょうがもっとしたいです。しりたいことがいっぱいあります。がっこうではちゃんとしたべんきょうしていないので、くやしいです。じゆうがほしい。きぼうがでてきました。なんでにんげんとしていきてきて、いいにんげんらしいいきかたができないのだろうか。くやしいです。てがかってにうごいてこまります。ちいさいときからこまっていました。ちいさいときは、いつかてがつかえるようになるとおもっていましたが、あきらめていました。たのしみは、がっこうでともだちとあうことでした。ききとりができても、こえではなせなかったので、うらやましかったです。きいていても、なにもりかいしていないとおもわれて、つらかったです。きくことができても、はなしができないと、しんじてもらえませんでした。いいたいことはたくさんあったけれど、きいてもらえませんでした。がっこうをそつぎょうしてからもおなじでした。ねがいはきもちをいえるようになることです。ちいさいころからのゆめでした。
これまでの、つらかった日々の思いが切々と語られた。途中、彼は、大きな声で叫び声を上げるような場面もあった。気持ちが、そのまま声になっているのがわかったが、残念ながら、その声は、言葉になってくれなかったのだ。自由への思い、自立への思いも、いたいほど伝わってきた。
また、文章が、一段落したところで、パソコンではなく、彼の手を握って、軽くふりながら「アカサタナ」と言う方法で、彼の気持ちを読み取ってみた。すると、選びたい行や文字で、確実にふっと力がこもってくる。今日、家に帰って聞きたいCDかビデオは何ですかという問いに対して、彼は、
むかしみたびでお。ととろ。
と答えを返してきた。一緒におられた先生方とも、簡単な単語に挑戦し、うまくいった。新しいコミュニケーションの可能性が開けそうなそんな予感がした。
二人目の▽▽君は、とてもうれしそうに入ってきたが、どうも、長いこと座り続けることがこの日はいちだんとむずかしそうで、座っては立ち上がり一回りしてくるということを繰り返しながら、スライドスイッチで文章を綴っていった。
今回は、途中から、いくつか質問をして、会話のように進んでいった。
いいきもち。きもちをいいたかったけど、いえなくてこまっていた。きぶんがいいです。きもちがいいたかった。
(お父さんにひとことお願いします。)
おとうさんいつもありがとうございます。しごといつもおつかれさまたいへんですね。がんばってください。
(お母さんにも一言お願いします。)
おかあさんいつもありがとうございます。からだにきをつけてください。しんぱいしています。
ちいさいころからはなしたかったけど、きもちをうまくいえませんでした。
(どうして手を服の中にしまってしまうのですか。)
かってにてがうごくのをとめるためです。
(服の中に手を入れるようになったのは、高等部からですよね。)
こうとうぶからとくにとめられなくなった。
(文字はいつどうやって覚えましたか。)
こどものときにおもちゃのつみきでおぼえた。
(お母さんから、冗談交じりに、心配なら、態度で示してよと言われて)
おかあさんごめんなさい。
さいきんじぶんがきもちをいえるようになった(…)
最後の文は、まだ、続きがありそうだったが、二人とも、時計の長い針がきっちり12を示すと、さっとやめてしまった。今度理由を聞いてみたいが、次に来る人もいるし、気を遣っていたのかもしれない。
本当に新しい一年になりそうだ。
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2009年1月10日 22時52分
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高校生の女の子から、生活の現実の中での、季節に対する思いを聞かせていただいた。しっとりとした表現で、体のきつさが伝わってくる。後で聞いたことだが、先週も熱を出して大変だったとのことで、そのことも語られている。
つかれていますががんばります。
ひかくてききせつのあゆみがおそいのでいいけれどさむいきせつはいやです。
いいきせつはあたたかいはるみたいにつらくないきせつです。
きせつによってはからだがきついです。
きもちがいいのはいいきせつです
きせつしだいでからだのちょうしがかわるのでつらいです。
きこうのへんかがあるのはいいことですがじぶんにとってはつらいです。
くるしかったです。きぶんがすぐれなくていちょうのぐあいがわるくてもどしたりくだしたりしてたいへんでしたし たべれなくなってからだがよわってしまいました。
きせつとからだとがあしなみをそろえてくれないのでじぶんにはこまります。
にほんはしきがあっていいくにですが からだのよわいこどもにはつらいです。
その後、スイッチをお父さんと挑戦してみた。
おとうさんだいじょうぶかなつきあってくれますか。
名前の6文字のうち、2文字がお父さんと一緒に綴れた。そして、再び私と代わって、お父さんとできるようになることに対して、彼女の思いが語られた。
きぼうがわいてきましたきたいしています。
きもちがつたわればうれしいです。
すてきですきもちをことばでつたえることは。
がんばりたいとおもいます。おとうさんよろしくおねがいします。
そして、最後に丁寧な言葉が添えられた。
しばたせんせいことしもありがとうございました。
らいねんもよろしくおねがいします。
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2008年12月16日 09時50分
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小学4年生の少年が、切ないばかりに美しい言葉を綴った。
きのうしらないひとがきていいました
きぼうというものはじぶんでみつけよう
きぼうのひかりをしっかりともしていきていきましょう
しらないひとはいいました
いきていくのはたいへんだけどちゃんとまえをみていきましょう
しらないひとはいいました
きぼうのひかりをなんどでもともしていきましょう
しらないひとはいいました
きぼうのときをたいせつにいきていきましょう
ちいさなひかりでもきっとおおきなきぼうにつながっていますからたいせつにしていきましょう
つきのきれいなよるでした
にわにはきぼうのひかりがさしていました
つきのきれいなよるでした
きぼうのひかりしずかにさしていました
きぼうのひかりちいさいけれどしずかにさしていました
しきりにしずかなよるでした
しずまりかえったよるでした
きぼうのひかりがしずかにさしていました
きをつけてよくみているときぼうのひかりはきれいなりりしいわかものにかわっていました
きれいなつきのよるでした
しずかなしずかなよるでした
きぼうのひかりがよくさしてしずかなしずかなよるでした
きぼうのひかりのしずかにさしてきぼうのひかりにかこまれてしずかなしずかなよるでした
つきのきれいなよるでした
きれいなつきのよるでした
きれいなつきのよるでした
いいわかものがつきにむかってさけびました
しずかなしずかなよるでした
きぼうのひかりのさしているしずかなしずかなよるでした
きぼうのひかりはきっといまでもさしているでしょう。
繰り返しが、心地よく、読んでいる者の心の中に、静かな月の夜を、鮮やかに現出させる。おじいちゃんが読んでくれている物語が彼の中に育んだ調べなのかもしれない。
以下は彼の感想だ。
いいきもちです
すらすらきもちがかけてきもちがそのままぶんしょうになっていくのでらくです
じぶんでやっていないのにどうしてことばになるのですか
ふしぎです
ひかりのしがかけてよかったです
らいねんもよろしくおねがいします
ことしもたいへんおせわになりましたさようなら
年の瀬のひととき、不思議な光の世界に引き込まれた。来年、少年は、どんな世界を描き出すのだろう。
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2008年12月16日 00時43分
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両手のこぶしで頭をなぐってしまう自傷行為に苦しめられてきた青年が、文字を綴った。関わり始めたのが小学部の3年生の頃。現在は、高等部を卒業し、通所施設に通い始めて2年目になる。
このグループには、二人の肢体不自由のお子さんがいて、パソコンで文章を綴っているが、彼には、ワープロはなかなかうまくいかず、彼の好きな歌のソフトを楽しんでもらっていた。しかし、この日は、意を決して挑むことにした。手には特別のマヒなどがあるわけではないので、手にスライドスイッチの取っ手を握らせようとすると、拒んでくる。いつもなら、この辺であきらめるところだが、プッシュスイッチに代えて、手を添えて押そうとするとやはりいやがる。それならと、肩の側面にプッシュスイッチを軽く押し当てたり離したりして、反応を読み取ることにした。そして、いっしょに名前を書いてみる。なんと、その行や文字のところで、わずかながら体全体をスイッチ押しつけるようにして合図を送ってくるのである。こんなことをしたのはまったく初めてのことだ。そして、以下の文章が綴られた。( )で添えているように、彼には聞きたいことがいっぱいあったので、対話するように進めた。その背景には、彼がこんな方法で気持ちを表現することへの、無意識の不安があったはずだ。対話を通して、彼自身が語っているという実感がほしかったのだ。
うれしい きすしたい
きもちがつたえたかった
かあさんいつもありがとう いついつまでもげんきでね
きやすくきもちがいえてうれしい きぶんがいい
(手はどうしていやなのですか?)
て いたいかんじがする
(どうして自傷をしてしまうのですか?)
わからない かってにうごく
(文字はいつ覚えたのですか?)
ちいさいときからしっていた
いいきもち ちいさいときからはなしたかった
(どうして☆☆ちゃんが帰ったとき怒ったのですか?)
もっといてほしかった
きもちがつたえたかった
(H先生へメッセージをお願いします)
かわいがってくれてありがとう
(K先生にもメッセージをお願いします)
かまってくれてありがとう
じぶんのきもちをつたえることができてうれしい じぶんではんだんしていきてないのでくやしい
ふしぎ ぼくしかかんがえてないことばがどうしてわかるの きもちがつたえられるとはおもわなかった きもちをつたえられてかんげきしています じぶんのきもちをつたえたかった
(音楽について教えてください)
きもちがおちつくからすきです かんどうします いいおんがくをきくと いつも
(おかあさんにもう一度何かあったら書いてください)
ありがとうかんしゃしています ひかえめなせいかくだけどまっすぐなところがすてきです きもちがやさしいからすきです
(来る途中、立ち止まるのはなぜですか?)
すきなくるまがみたいからです
(やっぱり手はいやですか?)
てはむずかしそうです きもちがつたえられてうれしかった
(▽▽君について)
ちいさいときからいっしょだったからともだちです
(お母さんからのご希望で、おねえさんについて)
きれいになったからうれしいです きれいなおねえさんがだいすきです きれいなかおをたいせつにしてください
かたわらで母さんは、彼の言うとおり、控え目にじっと様子をご覧になっていて、目にいっぱいの涙をためておられた。H先生もK先生も、彼が学校でお世話になった素敵な先生。この会の発足時からのメンバーだ。小学3年から関わり始めて、卒業後1年半の年月を経て初めて明かされた彼の内面の吐露に、拍手喝采だった。
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2008年12月16日 00時41分
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小学校4年生の少年が、こんな文章を綴った。
ゆめにすてきなおんなのこがあらわれていいました
こどものねがいはいつまでたってもきえないかとおもっていたら すぐにおとなになってしまいますよ
だからきをつけなさい
こどものじかんをだいじにしなさい
よくねがいをきいてくれたら しあわせなつばさできっとそらたかくとべるでしょう
きっといきやすいいきかたができる
ねがいどおりにくらしていくことができるでしょう
しんじつはわかりにくいけど てをのばせばとどくところにあって かならずてにいれることができるでしょう
そのためには こどもじだいのゆめをすてないようにして じかんにながされることのないように いまをたいせつにしていきることがだいじです
きっといつかきぼうのかなうせかいがおとずれるでしょう
夢に出てきた女の子とは、どうやら、小学校にあがる前に知っていた女の子と関係があるらしい。彼は、今度、彼女の学校の文化祭に行くとのことで(二人は別の特別支援学校に通っている)、そのことを母同士が電話で打ち合わせていた日の夜、じっと何か考え事をするようにしていたらしい。
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2008年11月8日 23時20分
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高校生の☆☆さんの文章は直前の大人たちの話題を受けて始まった。この会のメンバーの女性の○○先生のご主人が、☆☆さんのお母さんと同じ町の出身で、家も年代もそんなに離れていないということの話だった。
えんがあるのですねしらなかったです。すごいぐうぜんですね。○○せんせいのだんなさんとおかあさんがちかくにすんでいたそうでおどろきました。
そして、そのまま話題は先生の結婚へ。以下は、先生との対話の中での彼女の言葉である。
せんせいたちはどこでしりあったのですか。おしえてください。がっこうのどうりょうだったのですね。どうしてけっこんしようとおもったのですか。きもちがつうじあっていたのですね。
そして、そのまま、彼女の胸の奥底の思いへと発展していく。
けっこんもしてみたいです。うらやましくおもいます。けっこんできたらいいなとおもいますがなかなかむずかしいかもしれません。のぞみはまいにちいっしょうくらせるいいひとあえることです。けっこんできなくてもいいひとにはあいたいです。どうやればひとりぐらしができるのでしょうか。しりたいですわたしとおなじようなひとはどうやってくらしているのでしょうか。いちどみてみたいです。ねがいはどんなにまずしくてもじぶんのかんがえでじぶんのじんせいをきりひらいていきたいとおもいます。いちばんたいせつなことはつらくてもきぼうをすてないことです。でもりかいしてくれるひとがひつようなのでいつかそんなひとがあらわれるまでがんばりたいとおもいます。いいひとがあらわれたらけっこんしたいとおもいます。きっとそんなひとがあらわれるとしんじています。
いっきに綴られた結婚や自立生活への思い。それが、そんなに簡単な道のりではないことは、誰よりも本人がわかっているはずだ。決して、現実から遊離した夢を語っているのではなく、現実を見据えた上で語っているのである。そして、「いちばんたいせつなことはつらくてもきぼうをすてないこと」だと改めて述べているのである。
今は、まだ、彼女のこうした能力の存在を云々する段階であり、道は遠いが、手話通訳者のように、コミュニケーションの援助が当たり前に行われるようになった時、彼女は、自立生活を営む多くの障害者の仲間入りをすることができるはずである。
最近は、学校でも、「移行支援」などという言葉とともに、将来を見通した指導や援助の重要性が語られるようになった。彼女のこうした思いも、本来はそうした中で受け止められていくはずのものだろう。
自立への思いを強調したあと、彼女は最後に、こう付け加えた。
おかあさんにもかんしゃしています。おとうさんにもかんしゃしています。
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2008年10月12日 12時13分
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高校2年になる☆☆さんが、見学に来られた自分の学校の他学部の先生を前にして、意を決したように次のような文章から綴り始めた。
××××(学校名)のせんせいがみにきてくれてうれしいです
なかなかすいっちのそうさがじょうずにできないのでこまっています
めんどうをかけてもうしわけないのだけどがっこうにきてくれませんか
まだほかにもはなしができるともだちがたくさんいるのでせんせいにあってもらいたいとおもいます
とおいかもしれませんがよろしくおねがいします
控え目な☆☆さんだから、これだけのことを言うには強い思いがあったにちがいない。☆☆さんの学校の先生は彼女がワープロで文章を綴ることをわかってくれて学校でも取り組もうとしてくださっているが、なかなか操作がうまくいかないらしい。しかし本当に困っているのは自分がうまくいかないことではなく、仲間に広げることができないことなのだ。そこで、私に学校へ来てほしいと頼んできたのだろう。
二つ返事で答えられればいのだが、学校にうかがうためには、いくつかの手続きがいる。あいまいな返事をしていたら、こう返ってきた。
わすれて
すみません
わたしのたいせつなつまらないおねがいは。
とてもたいへんなおねがいをしてしまいました
すみません
彼女のお願いが、単なる思いつきではなく、無理は承知ながら、それでも考え抜いた末のものであることがよくわかり、気持ちが痛いほど伝わってきた。それでもストレートな答えができず、いろいろ事情を説明したりしていると、
どうしたらいいのでしょうか
おしえてくれませんか
と書き、さらに切々と思いが吐露されていった。
のぞみはともだちとはなしをすることです
ともだちもきっとはなしたいとおもうから
ともだちもたいへんなおもいをしています
やっとわたしのことばをなんでもきいてもらえるようになってしあわせになることができたからともだちにもしあわせになってもらいたい
(…)
けあるーむのともだちです
たくさんです
たくさんのともだちがはなせるとおもいます
はなしたいです
すいっちがあればはなせるとおもいます
彼女は、目の前の子どもが言葉を理解しているかどうかについては、私たちよりもはるかに見抜く力を持っているのではないだろうか。だからいっそう思いは強いだろう。そして、私たちが知らない「たいへんなおもい」を彼女は身をもって味わい、そしてその「たいへんなおもい」を越えて今話せることの「しあわせ」を味わっている。当事者にしかわからない思いに裏打ちされた彼女の希望に私たちは、答える以外にとるべき道がありそうにも思えない。
障害の重い子どもたちの言葉の問題について周りの私たちがあれこれ議論する時代はもう終わろうとしているのかもしれない。今回の彼女の言葉は、当事者からの正当な訴えである。このきわめて理にかなった訴えに真摯に答える以外に私たちがとるべき道は、ありえないだろう。
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2008年9月15日 07時06分
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明日はいよいよ父の日という土曜日、高校生の○○さんは、お父さんとやってきた。長いおつきあいの中で、二人だけで見えたのは初めてのことだった。
そして、始めるなりさっそく綴った言葉が、「おとうさんいつもありがとうございます。ぐっどふぁざーしょうをあげたいとおもいます。ふだんはうちにいないのでつまらないけどおやすみのひはいつもあそんでくれてかんしゃしています。もうすこしらくなしごとになることができればいいとおもう。」お父さんは、さすがにてれておられたが、年頃のかわいい娘さんからの、最高の父の日のプレゼントになったのではないかと思う。
さらに、「ふしぎなきもちがしています。とてもことばではいえないとおもってきたけどこうしておとうさんにかんしゃのことばをいえることが。とてもむりだとおもってきましたから。」と続いた。
彼女とは小1からのおつきあいである。文章を綴るまでに、様々なスイッチを使った教材と姿勢への働きかけから始まり、絵カードによる選択、絵本のソフトへと発展し、文字の弁別、ワープロソフトへとゆっくりと学習内容は発展していった。しかし、文章への発展にはけっこう時間がかかった。途中、彼女は、わざわざ「えほん」と綴って、ワープロよりも絵本のソフトを要求する時期もあったりした。彼女にとって、その頃、ワープロソフトは、自分の気持ちを表す手段になるとは思えず、高いハードルに感じられていたのだろう。「あひしまにくかき(2002.5.11)」が、最初のワープロの記録である。その後、「えほん」「のんたん」など絵本をめぐる単語が続き、初めて自分の気持ちらしいものが綴られたのは、2003年の12月の、若い男性教師に対して「かくいい」という言葉だった。そして、2004年9月にプレゼントでほしいものとして「りぼんあかあたま」と綴った。彼女が自分の気持ちを表現できると感じたのは、このときからではないかと思う。これから、ほしいものを少しずつ綴るようになっていった。そして、文章になったものが、2005年10月の、「なきましーたーきにいらないかあさーんげんいんかみがあさきたない」である。2006年9月から文が長くなり、文体も「あたしのねっくれすいいいろでしょ。」から始まるようなものになっていく。そして、その中に、「ちいさいころからわかっていましたのでじがかけてうれしい。」という言葉が入っていた。
こうした歩みは、彼女の成長の歩みともいえるかもしれないが、実は、それは、私たちの読み取りのテクニックの向上といった方が正確だろう。
彼女の心の世界の奥底をかいま見るこんな文章も、最近は綴られれている。「ふしぎなえにかいてあったねがいごとに くやしいことやかなしいことはふしぎときえるし よろこびやたのしさはふしぎとながつずきするようにと。しらないひとがめのまえでいいました さみしいときにはよくほんをひらいてごらん きっとなにかきもちやからだにいいようなことがかいてあるにちがいありませんと。のはらにさいているはなのようにけだかくかわいくいきていきていきたいとおもいます。ゆっくりやればうまくいくとおもう。あせらずにいこう。」「ねがいはさみしがっているひとたちがわかりあえることです みんながしんにのぞめばできるとおもいます わたしかがみをみながらいのっています かがみのなかにはちいさなようせいがいて わたしのねがいをわかってくれます だからわたしはさみしくありません すきなかがみはにかいのきょうだいです(…)かがみはどれでもだいじょうぶです みたいところにはなかなかないけどあったらうれしいです すてきなかがみがほしいです」。容易に人に伝えられない心は、不思議なファンタジーの世界を作り、その中で、思いを様々に表現してきたということなのだろう。
学校の先生も、見学にきておられた。彼女の思いに寄り添おうという人の輪は確実に広がっている。
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2008年6月15日 00時25分
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