ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

»くわしく見る
2014年09月16日(火)
わずかな目我の轍を意味と知り F君の俳句 2014年9月13日
 肢体不自由の特別支援学校高等部に通うF君の俳句です。

ないをわざとあるといううそ満ちるもの。これはわざとはスタップ細胞のことです。
わがままと元気な子どもに言うなかれ。
わずかなり我らを友と呼ぶ人は。
わだかまり解けることなく二年過ぎ。
小さき目見守るままに我進む。
技はよき知らせを伝え我が俳句。
わずかばかりどうして鷲は若い目か。
二本の轍未来に続く輪よ回れ。
二本の輪ともに理想を貫ぬきて。
技をなくし佇む我はぬかるみに。
わずかな目我の轍を意味と知り。
わずかな手我の車を願い押し。
わずかな日夏の轍を照らしたり。
瑠璃色に輝く轍空映す。
分相応貫き我は理想手に。
わずかな世わずかな希望を人間に。
わずかな分われにはありぬ輪にかけて。
未来こそ我は作りて人間に。
誰一人欠けることなく生受けよ。
よし行けと背中を押せよぬかるみで。
無慈悲な世わずかな光さえ消して。
世も末と夢の果てし日決意せり。
わずかな目瑠璃色の空映しつつ。
忘れないみんな黙らせ決めたこと。
茫然と佇む我ら愚の決定。
みな瞳光なくせり百合枯れる。
疲れた身理想さえなくぬかるみに。
無我になれわだかまりこそ理想ゆく。
わっと泣く心ふさぎて闇深し。
未来にも理想は続く輪のごとく。
よい知らせ届かず日本に理想なく。
分は我にあれど届かず我が理想。
茫然と人間は今未来なく。

2014年9月16日 11時32分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G埼玉2 / 出生前診断 |
Sさん、Kさん、Tさんのそれぞれの思い 2014年6月14日
 施設での虐待のニュース、繰り返し語られる出生前診断のことなど、重苦しい空気に対して、2014年6月14日、ある会で記された三人言葉です。掲載がたいへん遅くなってしまいました。

S.Uさん
 なぜみんな人生を乗り越えないままに施設にも入れられたり忍耐ばかりしなくてはいけないのでしょうか。もう少し早くわかっていたらみんな間に合ったのに残念です。私たちにも人間としての尊厳があるので人間としてがんばりたいです。


K.Fさん
誰にまだ我らを託す世ではなし。
小さき目なぜ摘み取るか濡れた顔。
人間に生まれた子どもとなぜ言わぬ。
分相応馬鹿にするなと僕は立つ。
理想などかなぐり捨てて悲しき世。
人間はわずかな希望さえあればよし。
わずかな手理解する目が我包む。
わだかまり越えてみんなでまなざそう。
ろうそくが消えてまたやみ深まれり。
技をなくし佇む前に光は無。
勇気なく理想を下ろすか我が仲間。
わだかまりなければ希望も湧くものを。
道遠し人皆生まれる時となる。
理想捨てランプも消えて我悶え。
わだかまる罪なら罪をなくすべし。
ろうそくは本気の光なくしたり。
瑠璃色を見せてあげたし生まれない子に。
和よなぜに断たれる人と結ばれる。
和は断たれ残酷な知らせ届き足り。
紫陽花を七色にする雨も散る。
罠ならば落ちぬと身に告げ五月雨に。
罠をなくし私も素直に空見上ぐ。
罠を探し小さな舟を浮かべたり。
わだかまり解かしてあたたかき雨の降る。
わだかまり忘れて私は空仰ぐ。
わずかな目ゆゆしきままに梅雨深し。。

 よい番組を見ました。ダウン症の人がテレビで検査に抗議していました。なぜか笑いを取りながらでしたがとても真剣な気持ちが伝わってきました。うちではみんな感激して見ましたがみんなには伝わったでしょうか。.



T.Eさん

    楽園よ再び

わずかな昔の希望さえ消え去った楽園は
もはや輝きを失って
わずかな未来はもう消え去ったかに見えた
勇気は体中から消え去り
ただこの体だけが自分の前に残った
呼んでも答えは返ってこずに
ただ空しさだけが残った
茫然とした耳に
かすかに昔聞いた希望の歌が聞こえてきた
未来をまた僕は取り戻せそうだ
勇気が再び体に満ちあふれ私は
もう一度楽園に森が戻っていくことを疑わなかった
2014年9月16日 11時06分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G埼玉2 / 出生前診断 / 人権侵害 |
2014年01月28日(火)
つらき技使う時なり
 いつも俳句を作っている中学生の○○君の新年最初の言葉は、いささか重いものでした。

利害を越えて暗き声
わざわざに理解を止めてつらき歴史
誰一人 人間と認めぬ暗き夜
昔から喜びをつくす森の中
昔から喜びを盆からこぼさずと
ランプの火 われを照らせりぼやのごとく
つんざく音 弓のごとくにわれひけり
習い過ぎ忘れてしまう初心かな
つらき技使う時なりボイラーに
つらき技ぬいぐるみなれどわれ動く
つらき技人間になるため使うのみ
つらき技人間になれると翻意せり
人間になる日のために願う技
人間にぼんやりとなる気持ちなし
ろくでなき僕の技なれど使う時
ろくでなき技は貫く翻意せず
人間になる日のために技磨く

 技とは言いたいことを言うということですがぜひまたインターネットで発信したいです。僕はやっと話せるようになったので僕はすぐに認めてもらえると思っていたけれどまったく認められないだけでなく否定までされるのでやっぱりはっきり言わなくてはいけないと思うようになりました。僕のかあさんがなぜいろいろ言われなければならないのかと思うと許せないです。利害などからまないことなのに悔しいです。理想など学校にはないのでしょうか。みんなの意見が聞きたいです。最近いちだんと言う人が出てきました。みんな言葉があるという意見があると言っている学者がいるけどありえないと言っていましたから先生のことですよね。ありがとうございました。やっぱり聞けてよかったです。一人で悶々としていましたから。ほっとしました。でも何とかしたいのでがんばります。人間として認められたいのでかあさんに手をわずらわしてしまうけれど少しずつ伝えたいです。


 学校でなかなか理解がえられない状況についてですが、お母さんと筆談もできている彼は、はっきりと物を言っていくべきだと決意したということのようでした。小学校のあどけない少年にこうした思いをさせなければならないことは、やはり悲しいことですが、この彼の決意を尊重したいと思います。
2014年1月28日 09時31分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G埼玉2 |
2012年03月19日(月)
震災忌 中学生の少年の俳句
 震災をめぐる俳句を中学生の少年がたくさん準備して待っていてくれた。俳句という表現の形式は、限られた文字数に言葉を凝縮することを要求するものだが、日常の生活の中で、周囲の出来事に感覚を研ぎ澄ませながら、また、それにふさわしい言葉を厳選しているということがひしひしと伝わってくる。それにしても、50句を超える俳句を一気に書いてしまうこと自体がすでに驚きだ。
 なお、彼は、「わだ」という言葉をテレビの万葉集の解説で聞いたらしく(「わだ」とは曲がっているという意味で入り江を意味する言葉である)、そこから「わだかまり」や「わたのはら」「わだつみ」などとの関連を自ら考えたそうで、今回の俳句の随所にその考えの跡が見られる。まったく独習のわけだが、ほんとうは、もっときちんと教えてもらいたいという強い思いがあるのだろうと思われた。

わざと泣く子どもの声はしあわせに
夏の夜もわざわざ私は忍耐す
これは夏の夜はみんな楽しんでいるのに僕たちはがまんしているからです。
小さき身勇気を認めて色づけり
わざと湧く歓声のように笑いけり 
これは満足した僕の気持ちです 
疑念なき赤ちゃんの目に理想さす 
忘れたる津波のことを敏感に 
津波なき世を夢見ては涙落つ 
見られても見られなくても唯祈る 
よいどんとかけ声はすれど進まぬ手 
わずかだがあかりは見えて夜を行く 
びろうどの着物はなくてただわんと 
わんとは泣き声です。
笑いなし未来をなぜか断たれし日 
理想消え勇気も消えたあの日過ぎ 
びろうどはなくとも胸に誇りあり 
勇気だけ洋服にして若者は 
理解され涙を拭く手休まりて 
わたの原わずかな怒り人をのむ 
ぶつかりしその涙なお湧きにけり 
瓶を割るどうとでもなれどうでもいい 
理想湧く瓶の破片の鋭き角 
わずかな理想悩みを抱いてまた先へ
わだかまるその先は月の海
理想湧くわだかまる海の流れから 
小さい手みどりごを抱きともに前 
わずかながら希望は見えて波静か 
震災忌理想もようやく回復す 
震災忌夜通し泣きてまた歩む
どうにもと理想を捨てた震災忌 
夏の轍まだ見えぬまま震災忌
震災忌逃げてもどこにも救いなし 
震災忌涙があふれ誓いあらた 
震災忌びろうどをそっと波にかけ 
つらい日も思い出となり震災忌 
人間がなぜ喜ぶか理由知る 
未来本に誰も書けずに震災忌 
茫然と立ちすくむ丘強き声 
理想見え強い声する震災忌 
わだかまる波のごとくに人泣けり 
わだつみの夜の叫びは誰に向く 
わだつみに理想なきわれ身を委ね 
誤解されわだかまり解け理想湧く 
未来わずかなぜ涙涸れずに夜もふけ 
わだつみの忘れじの色瑠璃深く 
わだつみの忘れじの夢じんとなる 
わだつみに漕ぎいでし舟希望乗せ 
わだつみの底に眠りし魂(たま)の燃え 
火が燃えるの燃えです。
夏の轍よき夢へと導びかん 
未来止まり夏の轍の途絶えたり 
未来の輪なかなか見えずもがくリボン 
わずかに夜明けぬるを知る波の凪ぎ 
勇気知るわずかなあかりに明ける夜に 
日の射して波きらめきて帯となる 
わずかな灯ともして偲ぶ震災忌 


 
2012年3月19日 01時22分 | 記事へ |
| 自主G埼玉2 / 東日本大震災 |
2011年10月23日(日)
3編の詩 ぶどう 百合の花 捨て猫
 暑い日は、来るだけで汗だくになって、なかなか気持ちよく始められないけれど、よい季節がやってきて、初めからとても気分良さそうに関わり合いは始まった。もちろんすべてを気候のせいにしたりするのはまちがいだけど、この日の笑顔はそんな感じのするものだった。 彼は、昔から、とても気分がよいと楽しそうに動いて、顔を近づけたりして関わり合いは求めてくるけれど、なかなか教材などに手をだしてこないということがあった。この日も、一度も座ることが泣く、1時間ずっと部屋の中を歩き通しだった。
 それども彼の横にパソコンとスイッチをかかえて寄り添って肩にすいっちを押しつけていくと、どんどん言葉が綴られていった。
 そして、3つの詩が綴られた。

 ぶどう

ぶどうのしぼりたてのような甘いジュースを
ぼくは一息に飲み干した
ぼくは一人の貧しい人生に別れを告げる
理解されない苦しみも
行き止まりのわが道も
ついにぼくは捨て去って
真新しいぶどうの実を摘みに
遠い森に向かう
勇気さえあれば世の中の煩わしさを遠ざけて
わずかなぶどうのみを探してまた旅に出る
呼ばれることもないけれど
私たちは私たちの声を心の中で唱えながら
この道を歩いて行けば
必ず道は開けてくるだろう


 百合の花

理想の花を探し求めてぼくは旅に出る
わがままな僕にもわずかな望みは理想の花を探すこと
人間としての喜びを呼んでみよう
ぼくの未来をなぜ閉ざすのか
理想の花を探しに行けば
わずかな希望を理解してくれる
望みの花をともに探そう。


 捨て猫

なぜおまえは捨てられたのか
まるで名前もないものらしい悩みに満ちた姿は
私たちのようだ
わずかな私たちの希望は
笑い声のためにかき消されてしまいそうだけど
喜びの私の歌を聴いたならば
また再び立ち上がれるだろう


 また詩の合間に彼は、お母さんから時々突然怒り出すのはなぜなのかという質問を受けて、次のような答えも書いていた。

 わがままではなくぞろぞろと昔の嫌な思い出が思い出されるときです。昔の思い出はどれというわけでもなく浮かびます。どこでも浮かんでしまうので困ります。

 いわゆるフラッシュバックと呼ばれるものだろう。嫌な思い出を突然思い出すと言えばすむものを、わざわざフラッシュバックなどという言い方をすることにより、これが特別なことになってしまって、私たち自身の経験との共通性が見えなくなってしまうことを大変おそれるが、そういう話もされた。
 終始、笑顔だった彼だが、また、ずっしりとした重い内面の世界をまたこの日も見せてもらえた。
2011年10月23日 00時05分 | 記事へ |
| 自主G埼玉2 |
2011年08月18日(木)
東日本大震災に思う 7月9日
 ○○君の話は、原発と政治への嘆きから始まった。

 夏らしくはなりましたがなかなか福島の原発は収まらないし、津波もまだまだ復興の兆しも見つからないどうなっていくのだろうと思っていたら政治がおかしくなってしまいました。僕の考えは政治に本当に必要なものは誠実さだと思います。僕たちは文字通り障害を持って生きているのでもし世の中が理想をなくしたら真っ先に生きていけなくなってしまいます。だから総理大臣はもっと理想を語る必要があると思います。まずいのは何でもかんでも批判ばかりしている人です。そんな人が多すぎると思います。僕たちどんなに我慢しても大丈夫ですが理想のない世の中では生きていくことができません。なるべく一人で生きていきたいけれどなかなかまだそのことが理解されていないので難しいですね。。

 そして、彼は一篇の詩を用意していた。

地震の詩をまた作りました。

文明の願いだった原子力
その夢が生活を切り裂き
私たちは電気を使うことさえ困難になり
違った暮らしを探し始めたが
それもなかなか問題だらけ
すべての未来は閉ざされて
何もわからない人間は
ただ茫然と立ちすくむだけだった
しかし私たちは知っている
なつかしいふるさとの美しい景色を
その景色の中にあった人々の生活を
小さいことかもしれないが
私たちもまた障害という重荷を背負いながら生きている
その意味を私たちは知らないが
その意味はきっと津波の意味と似たものだ
だから私たちにはわかっている
いつか希望がやってくるということを
理不尽な仕打ちをどれほど受けても
人は必ず立ち上がることができるということを
涙はいつか乾くということを
だから立ち上がりたいときに
人は必ず立ち上がれるということを
だから私は待ち続けよう
人々が立ち上がれるその日まで


2011年8月18日 00時37分 | 記事へ |
| 自主G埼玉2 / 東日本大震災 |
2011年04月10日(日)
大震災をめぐる3人の思い 桜の満開の日
 あの大地震と大津波からもうすぐ一月となる。例年より遅れ気味の桜も満開を迎えたが、今年の桜は特別な色合いを帯びた桜のように見える。
 3人のメンバーの会で、それぞれが、大震災への思いを語った。
 最初は、社会人3年目の男性○○さんである。

 日本が地震で大変なことになってしまった。大きな地震と津波でたくさんの人が亡くなったのでとても悲しいです。なぜあんなにたくさんの人が亡くなったのかわからなくて毎日悩んでいます。人間だからみんな自分だけでなく他の人のことも考えていると思うのでみんな混乱しています。ぼくも唯一の希望がなくなりそうな気がしています。人間に生きる意味がないと僕たちはどうしたらいいかわからなくなるからです。勇気を出そうにもなかなか感情がこみ上げてきません。小さな子どもまで亡くなって人間としてどう自分はとらえたらいいのかわからなくなりますがみんなもきっと同じ感じなのでしょうね。みんなもきっと悩んでいるの(でしょうね)。

 ここで、気持ちが高ぶって立ち上がって彼に、気持ちを尋ねるとみんなの気持ちが聞きたいということだった。みんなとは私たちのことだ。問い返されてもきちんとした答えを持ち得ているわけではない私は、つまりながらも、自分の考えを述べた。私の考えは、決して胸をはって言えるものではないが、ただただこの残酷な事実が現実であり、こうした出来事を何度も繰り返しながら人々はまた立ち上がって生きてきたという考えである。おそらくどのように語ってもどれが正解というものはないのではないかと私は思っている。ここで、○○さんに、同じ状況にある仲間の震災に関する文章をいくつか紹介した。涙を懸命にこらえるような表情で○○君はそれらを聞いていたが、その後、次のように書いた。

 疑問は解けないけれどわかり合える仲間がこんなにもいてよかったです。人間の生きる意味はわかりにくいけれど僕も考え続けます。人間の生きる意味もわからないけどびっくりしたのは(みんないろいろかんがえていることです)。
 ぜひぼくたちの考えを伝えてください。名前もないような存在だけどみんな挽回する時期だと考えたらいいということがわかりました。よかったです言いたいことが言えて。夢のようですぼくの気持ちがすらすら言えて。みんなにもぜひ伝えてください。がんばりたいと思います。別に理解されなくても勇気さえあれば大丈夫です。だから自分は大丈夫ですがわずかな希望がみんなにも感じられることが願いです。よい子が元気に生きられることが願いです。ありがとうございました。


 次は社会人2年目の男性◇◇さんである。最近の特に落ち着かない様子だということをご両親がおっしゃっていたが、彼もまた、いきなり、震災の話から始まった。

 僕は今度の地震と津波で若い人も年老いた人も子どもも亡くなったのがとてもつらいです。
苦しかったのはみんなのことが理解できないからです。
僕たちはいつも理不尽な苦しみをかかえているけれど、みんなも同じ理不尽な苦しみをかかえてしまうのがとてもつらいです。僕の言いたいことはいつもみんなのことです。昔からぼくはよくわからないけれど少しだけ苦労の意味をわかっていたので、ぼくはみんなのことが少しわかります。でもできるだけみんなのことをわかりたかったので、今度のことでわからなくなってしまいました。なぜ、あんなにたくさんの人が死ななければならなかったのでしょうか。ぼくにはわかりません。何か意味があるのならそれが知りたいです。むずかいしでしょう。苦しいでしょうがぼくもまた考えてみます。みんなことを言えてよかったです。みんなとは、亡くなった人や被害を受けた人です。
僕はずっと気になっていたので、それを言えてよかったです。わかってくれる人がいないので言えてよかったです。わかってくれてうれしいです。
死ぬか生きるかという気持ちになりそうでしたが、安心しました。苦しかったけれどよかったです。
 堅かった◇◇さんの表情は、少しずつ和らいでいった。言えないままにたまった思いは、今回は、まさに彼を押しつぶしてしまいそうだったのだということがよくわかった。
 3人目は、小学生の男子▽▽君である。

 言いたいことがあります 僕はなぜ地震で優しい人や朗らかな人が亡くならなければならないのかがわかりません。小さいことだけど勇気がなくなりそうでした。わかってもらいたいのは未曾有という被害でも人は生きていかなくてはいけないということです。ずっとそのことを考えています。理想はわずかな希望を持ちさえすれば人間は生きていけるということです。なぜなのかはわからないけれどもう少しで生きる意味がわからなくなるところでした。なぜかはわからないけれど理想をなくしてしまいそうでした。未来をなくしてしまいそうでしたが未来を信じて頑張ろうと思います。楽な生き方をしようとは思わないけれどぼくたちのような障害者はわかってもらえない苦しみからのがれられないので勇気が必要なのですがそれが被災した人たちの置かれた状況と相通じるところだと思います。泣かないでというのは無理だけど僕には理想があるので未来に向かって力強く生きていきたいと思います。小さい頃からの疑問でしたがなぜ僕たちが生きているのかがようやくわかりました。ぼくたちはみんなのことを理解するために生きているということだったということなのですね。よくわかりました。なぜぼくたちが生きているのか。理想の中にまた一つ理想が増えました。わずかな未来でもずっと目ざし続ければ必ず未来が開けるということがわかりました。

 銀色の未来という詩を聞いてください。

銀色の未来の小さなわずかな昔の光だったけれど
今銀色の未来の光は大きな光となってぼくを照らす
勇気さえあれば理想は遠くの勇気を集めて
じっと勇気は強くなる
強くなった勇気は未来をさらに明るく照らすだろう
自分の小さな未来だけではなく
人々の未来をも照らすだろう
勇気を持って生きることこそ未来を切り開く鍵だ
泣き明かした夜も 泣きはらしたまぶたも 
ともによい心の表れとして未来への糧としよう
涙はそんなに長くは水分としては残らない
ゆくあてのない煙と鳴って空に消えていくだろう
みんなを望みのデモンストレーションで飾ろう
なすすべもなく未来を恨むよりもなすべきことを見つめていこう
理想はわずかな勇気さえあれば再び力を取り戻すだろう
よい未来のために強い勇気で頑張ろう
未来は銀色に輝いているはずだから


 もちろんこの詩の背景には、この大震災があることはまちがいない。
2011年4月10日 08時51分 | 記事へ |
| 自主G埼玉2 / 東日本大震災 |
2010年12月15日(水)
銀色の願い
 ○○君が、聞いてほしいと書いた詩は、物語風の不思議な詩だった。

 銀色の願い

意地悪な唯一の泥棒が二番目のリボンを持った女の子の文字を奪った。
外には字の書けない女の子が泥棒のいいプレゼントを待っていた。
みんなごめんなさい。
私はいい女の子ではありません。
字を私は書きたかった。
それで人のがんばりを盗んでしまいましたが
みんなどうして字が書けるようになったのですか。
小さいときに頭のいい子だったのですか。
敏感な女の子が言ったのはみんなと同じようになりたいということです。
だから女の子は字を盗んでしまいました。
びっくりした純のナイフで泥棒は字を切り裂いて
忘れられた名前を望みの通りに取り戻しました。
ぶかぶかの下手くそないい服のように
銀のベルトをずっと着けながら
少年のような気持ち大切に。
びいどろの願いをどうして捨てることができようかと静かに祈りを捧げた。


 そして彼は、こんな説明をくわえた。

 銀色の願いは字が書きたいということです。字が書けなかったときの気持ちと同じです。泥棒は意地悪だけどかわいそうな人で名前をなくしていました。小さいときにあまり愛されなかった人ですが本当はいい人でした。名前は願いの文字でしたからぼうぼうの夢と一緒になくしてしまいました。だけど取り戻すことができました。(文字をとられた女の子はどうなるの。)大丈夫です別になくなる物ではないから。かわいそうな人です。犯罪を犯した人とか悩んでいる人です。

 世の中はけっして努力した者だけが報われるわけではなく、たまたま遭遇してしまった不運によってうまく生きられなかった人もまた等しく報われるべきだ、そんな隠れたメッセージが聞こえてくるようだ。
2010年12月15日 02時03分 | 記事へ |
| 自主G埼玉2 |
2010年04月11日(日)
望みをかなえたい子どもがいました…
 今日は、あまりご機嫌がいい様子ではなく部屋にはいってきた○○君に理由を尋ねる。手を振る方法で彼が答えたのは、「歌が歌えないから」だった。そして、「どんな歌?」と尋ねると、「森のくまさん」だという。そして、私が歌い出すと、激しく頭をたたき、「歌えないからくやしい」と伝えてきた。歌が聞きたいわけではなかった。歌いたかったのだ。そして、高ぶる気持ちを抑えるように、横になった彼に、歌ってごらんというと、メロディや言葉にはならないけれど、明らかに、「森のくまさん」と思われる声が発せられた。「ぼくらにはわかるよ、森のくまさんを歌っていることが」と伝えると、もちろん満足したわけではないだろうが、少しずつ落ち着いてきた。そして、パソコンを出した。

小さい時からわかっていることをわかってほしかったです。わかってほしいです。なぜ歌を歌えないのでしょうか。
くやしいです。わかってほしいです。理解してほしいです。わかってほしいけどぼくのふだんの行動を見たら無理でしょうね。


 ○○君は、手を服の中にしまうことが多い。人前でそれをやられると、おかあさんもたいへん参ってしまうとのことをおっしゃっていた。今日は、特に、それが目立ったらしい。そこでその理由を尋ねた。 

手を服に入れるのは気持ちを落ちつかせるためです。なぜそんなことをしないといけないのか不思議ですが忘れられないのは、ぼくをわるくいった先生に、 

 というところで、突然彼はすっくと立ち上がっていってしまった。きっと、何か思い出したのだろう。彼が手を服の中に入れ始めたのは、高等部のころだ。その頃、突然、掃除用具入れの中に閉じこもるということも耳にしていた。何か、つらいことが、彼をより落ち着かせなくしたということは大いに考えられる。
 そして、また、戻ってきて文を続けた。

自分でもわかりません。なぜ歌のことが気になるのか。でもくやしいです。理想はわかってもらうことです。
満足のいく子どもこどもになれなくて悲しいです。分相応の生き方はいやですがなんとかしたいです。
ぼくも話したいです。理想はいいたいことが言えて、もっといい人になりたいです。もっといい子どもになりたいから、悲しいです。ぼくもわかってもらいたいです。夢でしたランプのあかりをつけたいですす。ぼくもわかってもらいたいです


通所先では、自閉症の作家として知られる高校生東田直樹さんの本を施設長の方が紹介したということをお母さんが、おっしゃった。そこで、彼にも尋ねてみる。

(通所施設では、自閉症と言われる人がわかっていることを理解してもらえているんですね。)

はい でも ぼくがはなしがわかっているとはおもってはいません
(本を書いた人の話は聞いたんでしょう?)
はい ぼくも そのはなしはききました。うらやましいです。ぼくもわかってほしいです。


(1年半前に突然ぼくが○○くんに文字を出したのを覚えてますか?それは、その少年の話を実際に聞いたからです。)

そうだったんですか。望みはぼくもなんとか自分の気持ちを伝えたいです。わかってほしいです。夢のようです、言いたいことが言えて。ぼくもどこかの国に行ってしまいたいです。願いは地域で生きていくことですがなかなかうまくいきません。

 ここで、お母さんは、○○君に、どうしても半信半疑になってしまうから、お母さんと二人だけの秘密を書いてほしいとお頼みになった。○○君自身も言うように、目の前で紡ぎ出される言葉と普段の行動とのギャップがどうしても埋まらないからだ。すると、彼は、次のように述べてから長い文章を綴った。

物語を作ります。
望みをかなえたい子どもがいました。その子の願いはゆりの花をかあさんにあげることでした。ゆりの花はかあさんの好きな花でした。ゆりの花の咲くマントはどこにあるのでしょうか。近くの町に買いに行きましたが見つかりません。望みをかなえたいのでその子は旅に出ることにしました。旅はまだまだ続くでしょうがけっしてもとの町にはもどらずに前に向かっていこうと思いました。


(お母さんがゆりの花が好きだということを伝えたかったのですか。)

はい。

 書かれた文章を見て、お母さんの表情がぱっと笑顔になった。ゆりの花が好きだと改めて思ったことはないが、ゆりの花のきれいな場所に何度も行ったとおっしゃった。
 言葉をいくら綴っても、なかなか普段の行動が変わっていくわけではない。ご家族の日々の思いを考えると、言葉とのギャップをどう考えるのか、私もとほうにくれてしまう。しかし、いちばんそのことに悩んでいるのは、○○君自身であろう。そして、この物語の中には、そうした思いを根底にかかえながら、それでも何とか未来を見ようとしている○○自身の切ないばかりの思いが見えた。
2010年4月11日 08時24分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉2 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/299/
2009年05月24日(日)
にれのはなとみどりのかぜ そして手紙
 高等部3年になった☆☆さんは、こんな願いから始まった。

きいてほしいことがあります
にねんせいのときにじぶんのことばでいいたいことをいってもしんじてもらえませんでした
いいたいことがきいてもらえないのでざんねんでした
きいてほしいことはわたしたちにもみんなきもちがあるということです
ねがいはいいたいことをきいてもらえるようになることです
にんげんなのでのぞみもゆめもあります
じぶんのきもちをきいてほしいです
いいたいことがちゃんとつたえられたらうれしいです
がんばりたいとおもいますがなかなかむずかしいです

 昨年、仲間たちにも言葉があると思うから、学校に来てほしいと訴えた彼女の思いは、もちろん変わることはない。残念ながら、彼女の思いには応えられないまま、彼女の学校生活最後の1年が始まった。
 ここで、話は違う方向へ舵をきる。

しをきいてください

ちいさいにれのきに ちいさいはながさき
ひとりぼっちのわたしにもはるがきた
にれのはなはじぶんのようにうごいたりはなしたりすることもないけど
みどりのかぜにふかれながら
だまったまま らくえんのようなわかいりそうにあふれている
にれのはなも わたしも りそうはひとつ
よいかおりをはなつこと
にれもわたしもきぼうにみちて
ゆめをかなえようと みどりのかぜにいのりをささげる
ちいさいはなと ちいさいわたし 
みどりのかぜにふかれながら
みどりのかぜとひとつになる

 新緑の季節にふさわしい、にれの花と緑の風の詩だ。ここで、お母さんから、にれの花をどうやって知ったのかという質問が投げかけられた。

にれのきはじぶんでそうぞうしたきです なにかのうたできいたけどみたことはありません
なまえがきにいりました ざんねんながらみたことはありません
ふしぎなはなです いいかおりがしていいきもちにさせてくれます

 そして、この間、友だちから手紙をもらったけれど、返事を書きますかと再びお母さんからの問いかけ。すると…、

かきます
ついこのまえおわかれしたばかりだとおもっていましたが もうはんとしもたってしまいましたね
びっくりしました いいりかいしゃがいてじのべんきょうができるようになったとは
にねんせいのときはきいてもらうこともむずかしかったけど 
よかったですね きいてくれるひとがあらわれて
みんなおなじねがいをもっていきていますが なかなかねがいをかなえられずにいます
ゆめみたいですが ちいさいときからにんげんらしくわたしたちはいきようとしてきましたが
ふしぎとそうならずにいかされてきました
これからはきいてもらえることをいきがいにしてがんばりましょう。

 この手紙が書かれていくのをお母さんは真剣に見つめておられた。お母さんに内容を確かめると、どうやら、手紙をくれたのは、普段学校でケアルームで食事を取る際に顔を合わせている友だちだから、手紙はその友だちが相手だとちょっと食い違うないようだとのこと。そこで、車いすから降りた☆☆さんに、手で尋ねてみた。
 するとこれは、想像して書いたものだという。手紙を書こうと思った時に、浮かんだ想像の世界をそのまま言葉にしたものらしい。そのことを受けてもう一度読み返してみると、そこには、切ないばかりの願望がこめられていることがわかった。
 「きいてもらえることをいきがいにして」がんばれるような時代が、早く来ることを、いや、早く作り出していかなければならない。
2009年5月24日 00時25分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉2 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/233/
2009年03月31日(火)
りんごの歌と仕事のこと
 
 ☆☆さんからの「りんごの歌」という言葉が、思わず、こんな詩につながった。「りんご」というものが、願いにつながっているとは、非常に驚くイメージだったが、ともに、そのイメージを共有しているようだった。
 そして、☆☆さんが帰ったあと、1年下の◇◇君が早めにやってきて部屋のコーナーに座っていた。すると、次のような言葉を◇◇君に向かって投げかけた。

◇◇くんさぎょうじょはどうですか
ぼくははたらくことがゆめでしたから ねがいがかなってうれしいです
ちいさいときからはたらくのがゆめでした
ちかくのさぎょうじょですね
わになっていっしょにがんばりましょう
しあわせなせかいになってほしいです

 この言葉は、私たちにとってはとても新鮮だった。思うように作業を行うことができない中、学校で行われてきた作業の勉強をどうとらえているのかということも明らかになり、そういえば、作業学習では、できることを懸命にがんばっていたことが合点がいった。
 そして、このことをずっと聞いていた◇◇君は、次のように書いた。

きいてくれてありがとう
ぼくもはたらくのがゆめでした
ちいさいときからねがいでした
はたらくことがゆめにみていました
むりだとおもってきました
むずかしいです はなすのは
ひとりなやんできました
ふしぎです むりかとおもってきました
はなしがしたかった
りかいしてくれてかんげきしています
ちいさいときからのゆめでした
でくのぼうとよばれてきもちがかなしかったです
つらくかなしいくもをはらすことができました

 はたらくことをめぐる思いをきちんと考え直す必要があること思ったことと、「でくのぼう」と呼ばれたりすることのかなしさは胸につきささる。「つらくかなしいくもをはらすことができました」という一文は、学校時代の先生が援助を代わって書いたものだ。彼にとって私以外の人でも、うまくいった初めての言葉だった。
 そして、小学生の△△君がやってきた。彼には、まず、○○君のりんごの詩を聞いてもらった。そして、綴った言葉。

きぼうのひとのきもちをきいていいきもちになりました
ふかいいみがあるとおもいます
ふかいことばだとおもいました
りんごのことは ぼくもかんがえたことがあります
りんごは きぼうのうたをかなでてくれます
ふかいいみとゆめがいっぱいあります
ふしぎなかじつです
くだもののなかでは きぼうのきもちがいちばんいっぱいこもったくだものです
むずかしいいみのこもったしでした
きもちがよくつたわってきました
きもちがりかいできました
にんげんにはひんせいがひつようです
いいりそうをかかげていくことがたいせつです
にんげんとしていきていきたいとかんがえているので 
いつもふかいいみをだいじにとおしえられて 
いつもじぶんでめをちゃんとあけていきていこうとかんがえています
ねがいのとおりにいいにんげんになりたいとおもいます
ねがいはにんげんとしていつもいきがいをかんじながら 
いいじんせいをいきていくことです
ちいさいころからきもちをつたえたかったので 
じぶんのきもちがいえることがげんじつになったので うれしいです
ひとにゆめをあたえられるようなじんせいがおくりたいです
きいてくれる すなおなぼくのきもちを

じぶんのきもちがつよくしてくれるとおもってきたので 
みじかいきゅうなじんせいよりも
なだらかな ながいじんせいをいきていきたい
じぶんのじんせいだから 
ずっとりかいできるつらさは 
すぐにぞうぶんのくすりとして いきていこう
ばやときをかんけいなく 
ちきゅうじょうのすべてのいきとしいけるものが 
しあわせになることをいのるとしても 
きびしいいきかたにまけることなく
いきていきたいとおもう
だいじなことはいっぱいあるけど 
つねにゆめをいっぱいりんごのようにもちつずけて
いきたいとおもう。

 りんごと仕事をキーワードにして、4人の間で言葉のリレーが行われた一日だった。 
2009年3月31日 07時20分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉2 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/202/
2009年01月12日(月)
海中からきれいな太陽が昇って新しい最高の年が始まりました
 小学生の○○君が、新しい年の始まりのファンタジーを語った。

かいちゅうからきれいなたいようがのぼって
あたらしいさいこうのとしがはじまりました
しずかなとしのはじまりです
にばんめにちいさなとりがとんできて
じぶんのちいさなはねをひろげていいました
きぼうのしろいちいさなちかいをきいてください
いいしらせがあります
しらせのもうひとつちいさなものは
ちいさなにわとりがはこんできました
ねがいのきれいなろうそくをともして
にんげんによびかけました
ちいさいねがいをたいせつにしてください
ねがいはにんげんにはとてもひつようなものです
にんげんはちいさなねがいでもたいせつにできれば
ゆめをもっていきることができます
みんなゆめをもっていきていきましょう
ひかりにつつまれてしろいとりとにわとりは
しずかにとびたっていきました
ひかりをあびてしろいとりとにわとりは
きぼうにみちたくうきのなかをとびさっていきました
ちいさいねがいをいただいたにんげんは
みなみにむかうちいさなふねにのってふなでしました
にんげんはしろいとりとしろいにわとりからもらった
しろくかがやくきぼうをてにしながら
きぼうにみちたいいこうかいをつずけました
きれいなしろいとりは
みたこともないようなきれいなはねをひろげ
にんげんにしたがっていきました
きぼうのこうかいのぶじをみまもるためです
にんげんにはきれいなとりはみえませんが
ゆめをもらっていいねがいがのぞみにかわるのをしんじて
きぼうのこうかいをつずけました
きぼうのこうかいはにんげんにとって
しんじつをおいもとめるたびです
ちいさいゆめはひかりのなかからうまれて
きのうのかなしみをいやしてくれます
ちいさいしろ(…)

 イメージは次から次へと言葉を紡ぎ出していくようで、まだ文章は続きそうだったが、力尽きたという感じで、ここで終わってしまった。
 「ねがいはにんげんにはとてもひつようなものです にんげんはちいさなねがいでもたいせつにできればゆめをもっていきることができます」という言葉の中に、懸命に生きようとする強い意志を感じる。彼の前途には、嵐の海が待っているかもしれない。それでも、けっして願いを持ち夢を大切に生きていけることを祈る。

 
2009年1月12日 06時35分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉2 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/154/
2009年01月10日(土)
二人の青年の新しい年の始まり
 10年あまり前から関わってきて、先月、初めて、パソコンで気持ちを伝えられるようになった二人の青年がいる。ともに、知的障害の養護学校に通い、一人は、激しい自傷行為に特徴があり、もう一人は、自閉と呼ばれる状況にあって、二人とも、発語はなかった。手に、目立ったまひがあるわけでもなく、教材次第では、様々な操作も可能だっただけに、2スイッチワープロは、重い肢体不自由をかかえた方々に役に立っても、この二人には、通用しないであろうと思っていた。その二人が、先月から、2スイッチワープロで言葉を書くようになった。私自身も信じられないような思いで、今回も望んだ。
 最初の自傷の激しい○○君は、手を使うのを嫌ったので、肩にビッグスイッチと呼ばれる市販のスイッチを押しつけたり離したりしていると、選択したい場所でスイッチがはいりっぱなしになるということで、意図を読み取って文字を綴っていった。そして、以下の文章が綴られた。(句読点をくわえて紹介する。)

あけましておめでとうございます。いいいえがほしい。じぶんのいえで、ずっとくらしていけるいえがほしい。あたまでははなしができていても、くちではいえないのでこまっていました。さそっていただいても、てがつかえないのでつらかったです。きもちがことばでつたえたかったです。かたではなせるとはおもいませんでした。きもちがいいです。ちいさいころからはなしたかったです。ちがうたのしみがみつかりました。べんきょうがもっとしたいです。しりたいことがいっぱいあります。がっこうではちゃんとしたべんきょうしていないので、くやしいです。じゆうがほしい。きぼうがでてきました。なんでにんげんとしていきてきて、いいにんげんらしいいきかたができないのだろうか。くやしいです。てがかってにうごいてこまります。ちいさいときからこまっていました。ちいさいときは、いつかてがつかえるようになるとおもっていましたが、あきらめていました。たのしみは、がっこうでともだちとあうことでした。ききとりができても、こえではなせなかったので、うらやましかったです。きいていても、なにもりかいしていないとおもわれて、つらかったです。きくことができても、はなしができないと、しんじてもらえませんでした。いいたいことはたくさんあったけれど、きいてもらえませんでした。がっこうをそつぎょうしてからもおなじでした。ねがいはきもちをいえるようになることです。ちいさいころからのゆめでした。
 
 これまでの、つらかった日々の思いが切々と語られた。途中、彼は、大きな声で叫び声を上げるような場面もあった。気持ちが、そのまま声になっているのがわかったが、残念ながら、その声は、言葉になってくれなかったのだ。自由への思い、自立への思いも、いたいほど伝わってきた。
 また、文章が、一段落したところで、パソコンではなく、彼の手を握って、軽くふりながら「アカサタナ」と言う方法で、彼の気持ちを読み取ってみた。すると、選びたい行や文字で、確実にふっと力がこもってくる。今日、家に帰って聞きたいCDかビデオは何ですかという問いに対して、彼は、

むかしみたびでお。ととろ。

と答えを返してきた。一緒におられた先生方とも、簡単な単語に挑戦し、うまくいった。新しいコミュニケーションの可能性が開けそうなそんな予感がした。
 二人目の▽▽君は、とてもうれしそうに入ってきたが、どうも、長いこと座り続けることがこの日はいちだんとむずかしそうで、座っては立ち上がり一回りしてくるということを繰り返しながら、スライドスイッチで文章を綴っていった。
 今回は、途中から、いくつか質問をして、会話のように進んでいった。

いいきもち。きもちをいいたかったけど、いえなくてこまっていた。きぶんがいいです。きもちがいいたかった。
(お父さんにひとことお願いします。)
おとうさんいつもありがとうございます。しごといつもおつかれさまたいへんですね。がんばってください。
(お母さんにも一言お願いします。)
おかあさんいつもありがとうございます。からだにきをつけてください。しんぱいしています。
ちいさいころからはなしたかったけど、きもちをうまくいえませんでした。
(どうして手を服の中にしまってしまうのですか。)
かってにてがうごくのをとめるためです。
(服の中に手を入れるようになったのは、高等部からですよね。)
こうとうぶからとくにとめられなくなった。
(文字はいつどうやって覚えましたか。)
こどものときにおもちゃのつみきでおぼえた。
(お母さんから、冗談交じりに、心配なら、態度で示してよと言われて)
おかあさんごめんなさい。
さいきんじぶんがきもちをいえるようになった(…)

 最後の文は、まだ、続きがありそうだったが、二人とも、時計の長い針がきっちり12を示すと、さっとやめてしまった。今度理由を聞いてみたいが、次に来る人もいるし、気を遣っていたのかもしれない。
 本当に新しい一年になりそうだ。
2009年1月10日 22時52分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉2 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/153/
2008年12月16日(火)
きせつとからだがあしなみをそろえてくれないので…
 高校生の女の子から、生活の現実の中での、季節に対する思いを聞かせていただいた。しっとりとした表現で、体のきつさが伝わってくる。後で聞いたことだが、先週も熱を出して大変だったとのことで、そのことも語られている。

つかれていますががんばります。
ひかくてききせつのあゆみがおそいのでいいけれどさむいきせつはいやです。
いいきせつはあたたかいはるみたいにつらくないきせつです。
きせつによってはからだがきついです。
きもちがいいのはいいきせつです
きせつしだいでからだのちょうしがかわるのでつらいです。
きこうのへんかがあるのはいいことですがじぶんにとってはつらいです。
くるしかったです。きぶんがすぐれなくていちょうのぐあいがわるくてもどしたりくだしたりしてたいへんでしたし たべれなくなってからだがよわってしまいました。
きせつとからだとがあしなみをそろえてくれないのでじぶんにはこまります。
にほんはしきがあっていいくにですが からだのよわいこどもにはつらいです。

 その後、スイッチをお父さんと挑戦してみた。

おとうさんだいじょうぶかなつきあってくれますか。

 名前の6文字のうち、2文字がお父さんと一緒に綴れた。そして、再び私と代わって、お父さんとできるようになることに対して、彼女の思いが語られた。

きぼうがわいてきましたきたいしています。
きもちがつたわればうれしいです。
すてきですきもちをことばでつたえることは。
がんばりたいとおもいます。おとうさんよろしくおねがいします。

 そして、最後に丁寧な言葉が添えられた。

しばたせんせいことしもありがとうございました。
らいねんもよろしくおねがいします。
2008年12月16日 09時50分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉2 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/127/
しずかなしずかなよるでした つきのきれいなよるでした
 小学4年生の少年が、切ないばかりに美しい言葉を綴った。

きのうしらないひとがきていいました
きぼうというものはじぶんでみつけよう
きぼうのひかりをしっかりともしていきていきましょう
しらないひとはいいました
いきていくのはたいへんだけどちゃんとまえをみていきましょう
しらないひとはいいました
きぼうのひかりをなんどでもともしていきましょう
しらないひとはいいました
きぼうのときをたいせつにいきていきましょう
ちいさなひかりでもきっとおおきなきぼうにつながっていますからたいせつにしていきましょう
つきのきれいなよるでした
にわにはきぼうのひかりがさしていました
つきのきれいなよるでした
きぼうのひかりしずかにさしていました
きぼうのひかりちいさいけれどしずかにさしていました
しきりにしずかなよるでした
しずまりかえったよるでした
きぼうのひかりがしずかにさしていました
きをつけてよくみているときぼうのひかりはきれいなりりしいわかものにかわっていました
きれいなつきのよるでした
しずかなしずかなよるでした
きぼうのひかりがよくさしてしずかなしずかなよるでした
きぼうのひかりのしずかにさしてきぼうのひかりにかこまれてしずかなしずかなよるでした
つきのきれいなよるでした
きれいなつきのよるでした
きれいなつきのよるでした
いいわかものがつきにむかってさけびました
しずかなしずかなよるでした
きぼうのひかりのさしているしずかなしずかなよるでした
きぼうのひかりはきっといまでもさしているでしょう。

 繰り返しが、心地よく、読んでいる者の心の中に、静かな月の夜を、鮮やかに現出させる。おじいちゃんが読んでくれている物語が彼の中に育んだ調べなのかもしれない。
 以下は彼の感想だ。

いいきもちです
すらすらきもちがかけてきもちがそのままぶんしょうになっていくのでらくです
じぶんでやっていないのにどうしてことばになるのですか
ふしぎです
ひかりのしがかけてよかったです
らいねんもよろしくおねがいします
ことしもたいへんおせわになりましたさようなら

 年の瀬のひととき、不思議な光の世界に引き込まれた。来年、少年は、どんな世界を描き出すのだろう。
2008年12月16日 00時43分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉2 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/126/
自傷について・・・・「わからない かってにうごく」
 両手のこぶしで頭をなぐってしまう自傷行為に苦しめられてきた青年が、文字を綴った。関わり始めたのが小学部の3年生の頃。現在は、高等部を卒業し、通所施設に通い始めて2年目になる。
このグループには、二人の肢体不自由のお子さんがいて、パソコンで文章を綴っているが、彼には、ワープロはなかなかうまくいかず、彼の好きな歌のソフトを楽しんでもらっていた。しかし、この日は、意を決して挑むことにした。手には特別のマヒなどがあるわけではないので、手にスライドスイッチの取っ手を握らせようとすると、拒んでくる。いつもなら、この辺であきらめるところだが、プッシュスイッチに代えて、手を添えて押そうとするとやはりいやがる。それならと、肩の側面にプッシュスイッチを軽く押し当てたり離したりして、反応を読み取ることにした。そして、いっしょに名前を書いてみる。なんと、その行や文字のところで、わずかながら体全体をスイッチ押しつけるようにして合図を送ってくるのである。こんなことをしたのはまったく初めてのことだ。そして、以下の文章が綴られた。( )で添えているように、彼には聞きたいことがいっぱいあったので、対話するように進めた。その背景には、彼がこんな方法で気持ちを表現することへの、無意識の不安があったはずだ。対話を通して、彼自身が語っているという実感がほしかったのだ。

うれしい きすしたい
きもちがつたえたかった
かあさんいつもありがとう いついつまでもげんきでね
きやすくきもちがいえてうれしい きぶんがいい
(手はどうしていやなのですか?)
て いたいかんじがする
(どうして自傷をしてしまうのですか?)
わからない かってにうごく
(文字はいつ覚えたのですか?)
ちいさいときからしっていた
いいきもち ちいさいときからはなしたかった
(どうして☆☆ちゃんが帰ったとき怒ったのですか?)
もっといてほしかった
きもちがつたえたかった
(H先生へメッセージをお願いします)
かわいがってくれてありがとう
(K先生にもメッセージをお願いします)
かまってくれてありがとう
じぶんのきもちをつたえることができてうれしい じぶんではんだんしていきてないのでくやしい
ふしぎ ぼくしかかんがえてないことばがどうしてわかるの きもちがつたえられるとはおもわなかった きもちをつたえられてかんげきしています じぶんのきもちをつたえたかった
(音楽について教えてください)
きもちがおちつくからすきです かんどうします いいおんがくをきくと いつも
(おかあさんにもう一度何かあったら書いてください)
ありがとうかんしゃしています ひかえめなせいかくだけどまっすぐなところがすてきです きもちがやさしいからすきです
(来る途中、立ち止まるのはなぜですか?)
すきなくるまがみたいからです
(やっぱり手はいやですか?)
てはむずかしそうです きもちがつたえられてうれしかった
(▽▽君について)
ちいさいときからいっしょだったからともだちです
(お母さんからのご希望で、おねえさんについて)
きれいになったからうれしいです きれいなおねえさんがだいすきです きれいなかおをたいせつにしてください

 かたわらで母さんは、彼の言うとおり、控え目にじっと様子をご覧になっていて、目にいっぱいの涙をためておられた。H先生もK先生も、彼が学校でお世話になった素敵な先生。この会の発足時からのメンバーだ。小学3年から関わり始めて、卒業後1年半の年月を経て初めて明かされた彼の内面の吐露に、拍手喝采だった。
2008年12月16日 00時41分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉2 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/125/
2008年11月08日(土)
しあわせなつばさできっとそらたかくとべるでしょう
 小学校4年生の少年が、こんな文章を綴った。

ゆめにすてきなおんなのこがあらわれていいました
こどものねがいはいつまでたってもきえないかとおもっていたら すぐにおとなになってしまいますよ
だからきをつけなさい
こどものじかんをだいじにしなさい
よくねがいをきいてくれたら しあわせなつばさできっとそらたかくとべるでしょう
きっといきやすいいきかたができる
ねがいどおりにくらしていくことができるでしょう
しんじつはわかりにくいけど てをのばせばとどくところにあって かならずてにいれることができるでしょう
そのためには こどもじだいのゆめをすてないようにして じかんにながされることのないように いまをたいせつにしていきることがだいじです
きっといつかきぼうのかなうせかいがおとずれるでしょう

 夢に出てきた女の子とは、どうやら、小学校にあがる前に知っていた女の子と関係があるらしい。彼は、今度、彼女の学校の文化祭に行くとのことで(二人は別の特別支援学校に通っている)、そのことを母同士が電話で打ち合わせていた日の夜、じっと何か考え事をするようにしていたらしい。
2008年11月8日 23時20分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉2 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/103/
2008年10月12日(日)
きっとそんなひとがあらわれるとしんじています
 高校生の☆☆さんの文章は直前の大人たちの話題を受けて始まった。この会のメンバーの女性の○○先生のご主人が、☆☆さんのお母さんと同じ町の出身で、家も年代もそんなに離れていないということの話だった。

えんがあるのですねしらなかったです。すごいぐうぜんですね。○○せんせいのだんなさんとおかあさんがちかくにすんでいたそうでおどろきました。

 そして、そのまま話題は先生の結婚へ。以下は、先生との対話の中での彼女の言葉である。

せんせいたちはどこでしりあったのですか。おしえてください。がっこうのどうりょうだったのですね。どうしてけっこんしようとおもったのですか。きもちがつうじあっていたのですね。

 そして、そのまま、彼女の胸の奥底の思いへと発展していく。

けっこんもしてみたいです。うらやましくおもいます。けっこんできたらいいなとおもいますがなかなかむずかしいかもしれません。のぞみはまいにちいっしょうくらせるいいひとあえることです。けっこんできなくてもいいひとにはあいたいです。どうやればひとりぐらしができるのでしょうか。しりたいですわたしとおなじようなひとはどうやってくらしているのでしょうか。いちどみてみたいです。ねがいはどんなにまずしくてもじぶんのかんがえでじぶんのじんせいをきりひらいていきたいとおもいます。いちばんたいせつなことはつらくてもきぼうをすてないことです。でもりかいしてくれるひとがひつようなのでいつかそんなひとがあらわれるまでがんばりたいとおもいます。いいひとがあらわれたらけっこんしたいとおもいます。きっとそんなひとがあらわれるとしんじています。

 いっきに綴られた結婚や自立生活への思い。それが、そんなに簡単な道のりではないことは、誰よりも本人がわかっているはずだ。決して、現実から遊離した夢を語っているのではなく、現実を見据えた上で語っているのである。そして、「いちばんたいせつなことはつらくてもきぼうをすてないこと」だと改めて述べているのである。
 今は、まだ、彼女のこうした能力の存在を云々する段階であり、道は遠いが、手話通訳者のように、コミュニケーションの援助が当たり前に行われるようになった時、彼女は、自立生活を営む多くの障害者の仲間入りをすることができるはずである。
 最近は、学校でも、「移行支援」などという言葉とともに、将来を見通した指導や援助の重要性が語られるようになった。彼女のこうした思いも、本来はそうした中で受け止められていくはずのものだろう。
 自立への思いを強調したあと、彼女は最後に、こう付け加えた。

おかあさんにもかんしゃしています。おとうさんにもかんしゃしています。

2008年10月12日 12時13分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉2 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/84/
2008年09月15日(月)
「ともだにちにもしあわせになってもらいたい」
 高校2年になる☆☆さんが、見学に来られた自分の学校の他学部の先生を前にして、意を決したように次のような文章から綴り始めた。

××××(学校名)のせんせいがみにきてくれてうれしいです
なかなかすいっちのそうさがじょうずにできないのでこまっています
めんどうをかけてもうしわけないのだけどがっこうにきてくれませんか
まだほかにもはなしができるともだちがたくさんいるのでせんせいにあってもらいたいとおもいます
とおいかもしれませんがよろしくおねがいします

 控え目な☆☆さんだから、これだけのことを言うには強い思いがあったにちがいない。☆☆さんの学校の先生は彼女がワープロで文章を綴ることをわかってくれて学校でも取り組もうとしてくださっているが、なかなか操作がうまくいかないらしい。しかし本当に困っているのは自分がうまくいかないことではなく、仲間に広げることができないことなのだ。そこで、私に学校へ来てほしいと頼んできたのだろう。
 二つ返事で答えられればいのだが、学校にうかがうためには、いくつかの手続きがいる。あいまいな返事をしていたら、こう返ってきた。

わすれて 
すみません
わたしのたいせつなつまらないおねがいは。
とてもたいへんなおねがいをしてしまいました
すみません

 彼女のお願いが、単なる思いつきではなく、無理は承知ながら、それでも考え抜いた末のものであることがよくわかり、気持ちが痛いほど伝わってきた。それでもストレートな答えができず、いろいろ事情を説明したりしていると、 

どうしたらいいのでしょうか
おしえてくれませんか

と書き、さらに切々と思いが吐露されていった。

のぞみはともだちとはなしをすることです
ともだちもきっとはなしたいとおもうから
ともだちもたいへんなおもいをしています
やっとわたしのことばをなんでもきいてもらえるようになってしあわせになることができたからともだちにもしあわせになってもらいたい
(…)
けあるーむのともだちです
たくさんです
たくさんのともだちがはなせるとおもいます
はなしたいです
すいっちがあればはなせるとおもいます

 彼女は、目の前の子どもが言葉を理解しているかどうかについては、私たちよりもはるかに見抜く力を持っているのではないだろうか。だからいっそう思いは強いだろう。そして、私たちが知らない「たいへんなおもい」を彼女は身をもって味わい、そしてその「たいへんなおもい」を越えて今話せることの「しあわせ」を味わっている。当事者にしかわからない思いに裏打ちされた彼女の希望に私たちは、答える以外にとるべき道がありそうにも思えない。
 障害の重い子どもたちの言葉の問題について周りの私たちがあれこれ議論する時代はもう終わろうとしているのかもしれない。今回の彼女の言葉は、当事者からの正当な訴えである。このきわめて理にかなった訴えに真摯に答える以外に私たちがとるべき道は、ありえないだろう。
2008年9月15日 07時06分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉2 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/66/
2008年06月15日(日)
父の日を前に2
 明日はいよいよ父の日という土曜日、高校生の○○さんは、お父さんとやってきた。長いおつきあいの中で、二人だけで見えたのは初めてのことだった。
 そして、始めるなりさっそく綴った言葉が、「おとうさんいつもありがとうございます。ぐっどふぁざーしょうをあげたいとおもいます。ふだんはうちにいないのでつまらないけどおやすみのひはいつもあそんでくれてかんしゃしています。もうすこしらくなしごとになることができればいいとおもう。」お父さんは、さすがにてれておられたが、年頃のかわいい娘さんからの、最高の父の日のプレゼントになったのではないかと思う。
 さらに、「ふしぎなきもちがしています。とてもことばではいえないとおもってきたけどこうしておとうさんにかんしゃのことばをいえることが。とてもむりだとおもってきましたから。」と続いた。
 彼女とは小1からのおつきあいである。文章を綴るまでに、様々なスイッチを使った教材と姿勢への働きかけから始まり、絵カードによる選択、絵本のソフトへと発展し、文字の弁別、ワープロソフトへとゆっくりと学習内容は発展していった。しかし、文章への発展にはけっこう時間がかかった。途中、彼女は、わざわざ「えほん」と綴って、ワープロよりも絵本のソフトを要求する時期もあったりした。彼女にとって、その頃、ワープロソフトは、自分の気持ちを表す手段になるとは思えず、高いハードルに感じられていたのだろう。「あひしまにくかき(2002.5.11)」が、最初のワープロの記録である。その後、「えほん」「のんたん」など絵本をめぐる単語が続き、初めて自分の気持ちらしいものが綴られたのは、2003年の12月の、若い男性教師に対して「かくいい」という言葉だった。そして、2004年9月にプレゼントでほしいものとして「りぼんあかあたま」と綴った。彼女が自分の気持ちを表現できると感じたのは、このときからではないかと思う。これから、ほしいものを少しずつ綴るようになっていった。そして、文章になったものが、2005年10月の、「なきましーたーきにいらないかあさーんげんいんかみがあさきたない」である。2006年9月から文が長くなり、文体も「あたしのねっくれすいいいろでしょ。」から始まるようなものになっていく。そして、その中に、「ちいさいころからわかっていましたのでじがかけてうれしい。」という言葉が入っていた。
 こうした歩みは、彼女の成長の歩みともいえるかもしれないが、実は、それは、私たちの読み取りのテクニックの向上といった方が正確だろう。
 彼女の心の世界の奥底をかいま見るこんな文章も、最近は綴られれている。「ふしぎなえにかいてあったねがいごとに くやしいことやかなしいことはふしぎときえるし よろこびやたのしさはふしぎとながつずきするようにと。しらないひとがめのまえでいいました さみしいときにはよくほんをひらいてごらん きっとなにかきもちやからだにいいようなことがかいてあるにちがいありませんと。のはらにさいているはなのようにけだかくかわいくいきていきていきたいとおもいます。ゆっくりやればうまくいくとおもう。あせらずにいこう。」「ねがいはさみしがっているひとたちがわかりあえることです みんながしんにのぞめばできるとおもいます わたしかがみをみながらいのっています かがみのなかにはちいさなようせいがいて わたしのねがいをわかってくれます だからわたしはさみしくありません すきなかがみはにかいのきょうだいです(…)かがみはどれでもだいじょうぶです みたいところにはなかなかないけどあったらうれしいです すてきなかがみがほしいです」。容易に人に伝えられない心は、不思議なファンタジーの世界を作り、その中で、思いを様々に表現してきたということなのだろう。
 学校の先生も、見学にきておられた。彼女の思いに寄り添おうという人の輪は確実に広がっている。
2008年6月15日 00時25分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G埼玉2 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/22/