ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2014年01月28日(火)
風疹をめぐる議論について
 風疹が原因と思われる障害のある20代の男性とご両親にお会いしました。先日、昨年風疹で障害児が生まれた障害児が31人に上るとの報道がありましたが、お母さんはこの記事をため息をつきながらご覧になったとのことでした。お母さんは、息子さんが妊娠中に風疹に感染し、障害の可能性を医師に告げられましたが、宿っている命を消したくないと考え、生むことを決断されました。そして、生まれて障害があることがわかった時、この子を幸せにしてみせると心に決めたそうです。
 息子さんには確かに「重い」と言われる障害があり、気持ちを言葉で表現したのは、この日が初めてですが、両親に感謝していること、母の決断を誇りに思うこと、母の願った通りに幸せに生きていると語りました。
 それでは、お母さんのため息は何だったのでしょうか。それは、31人のお母さんと子どもたちのことです。このお母さんのようにあえて生むことを決断した方もいるだろうし、生まれた子どもたちは豊かな可能性を秘めた一人の人間のはずでしょう。しかし、ニュースはまるでそんなことにはふれることもなく、生まれてきたのは間違いだったかのように語る。どんな思いで、この31人のお母さんは報道に接したのか、そうした思いが深いため息につながったとのことでした。
 こうした報道を見る限りにおいて、社会はこの母親たちを祝福する視点を持ち合わせていないし、この子どもたちを同じ人間として社会に招き入れようとする視点を持ち合わせているようには見えません。これに昨今の出生診断をめぐる社会の風潮を重ねれば、社会はいつのまにか障害者は生まれてこない方がよいという考えや、同じ人間としては認めていないという考えに染め上げられてしまったということが、明らかではないでしょうか。

 また、この日の翌日、町田市の障害者青年学級でも、同様の議論がありました。そこでは、ある自閉症と言われる方が、出生前診断の議論では、生まれる前の命と生まれた後の命を区別して議論しているということが言われていたけれど、風疹のことをめぐる報道で問題になっているのは生まれた命のことなのに、まったく出生前診断の時と同じように生まれてこないほうがよいというような論調なのは、実は、出生前診断の時の議論がいかに偽りだったかがわかるとの意見が出されていました。
2014年1月28日 09時03分 | 記事へ | コメント(0) |
| 人権侵害 / 自主G多摩2 / 出生前診断 |
2012年09月05日(水)
「心の理論」について
 自閉症と呼ばれる青年とお会いしたました。今回が2度目です。
 前回、彼は、様々な話の中で、今、自閉症研究の中でよく語られる「心の理論」に関する議論について、批判を述べました。記録が残っていなかったのですが、再会した彼は、まっさきに、そのことから語り始めました。

 さっそくですが僕は心の理論について改めて述べたいと思います。僕たちには相手に心があるということがわからないなどと言われていますがそれはまちがいです。僕たちにも相手に心があるぐらいわかっていますがただテストは苦手です。なぜなら人間には心があるけれど僕たちはテストで何を聞かれているかはわかりにくいからです。テストには引っかける問題がありますがそれがよく理解できないからです。誰でもわかることは評価されないで難しい問題に間違うとそのことだけを取り上げられて困ります。特に心が理解できないなどということを言われるとまるで僕たちが人間ではないかのように言われて残念です。なぜむずかしいかというと問題が何を並べているかわからないからです。なぜかというと見るのが難しいからです。順番がわからないと何を聞かれているかわかりませんからかえって言葉だけで聞かれた方がまだわかりますが言葉がわかるとさえ思われていないのだからどうしようもありません。
 初めて心の理論を否定する研究者に会えたのでもう一回きちんと言いたかったです。ばかばかしいとまでいう人もいたのですね。僕たちは何度傷つけられてきたかわかりません。でもこうしてわかってもらえてよかったです。


 「心の理論」に関する議論は様々で、指示する意見も批判する意見もあります。私は、恥ずかしいながら、十分にそれらを理解しきっているわけではありません。ただ、心の理論に関して書かれた本の名が「マインドブラインドネス」(心について盲目とでも訳せばいいのでしょうか。)というようなことことからも、当事者に寄り添おうとする気持ちがあまり見られない話だと思っていました。
 心の理論にまつわるテストを自閉症と呼ばれる方が苦手としているのは事実です。しかし、その説明をどうするかということで、決定的な過ちをおかしていることがわかります。当事者のこうした発言をまだ、学問的に認める人はいないかもしれませんが、あまりにもまっとうな彼の言葉を、私は、ただただ認めるしかありませんでした。
 
2012年9月5日 00時27分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G多摩2 |
2012年04月22日(日)
私たちの夜明け
 4月から社会人になった○○さんが、こんな力強く、また、悲しみのこもる詩を書いた。


     私たちの夜明け

小さい未来にわずかな希望
私たちはそれだけを頼りに生きてきた
わたしたちはランプの光が今にも消えてしまいそうな暗闇を生きている
みんなで手を取り合ってこの暗闇を越えていこう
僕よりももっと声の出せない仲間も
僕よりももっと体の動かない仲間も
みんな僕と同じように言葉を持ち考えている
望みはようやく暗闇の向こうに夜明けが見えていることだ
わずかに白む夜明けの兆しだけが僕には希望だ
私たちの仲間の中には手が離れてしまって見えなくなってしまった仲間も少なくない
もうすぐ明けるこの暗闇の先に見える
じんじんとするような夜明けの世界にたどり着くまで
けっして手を離さずにみんなでともに歩んでいこう
私たちの仲間は誰一人なくさずに夜明けに向かっていくことが
今こそ僕に課せられた使命だ
なぜなら僕には動く身体も動く手もあるからだ
僕が先にたどり着かなければ仲間はなかなかたどり着けないだろう
だから僕は先頭に立って仲間の手を決して離さずに夜明けに向かって歩んで行く
だから見えなくなった仲間もどうか遠い世界から僕を見守っていてほしい
僕の勇気を育ててほしい
勇気さえあれば何とか前に行けそうだから


 「手が離れて見えなくなってしまった」という表現があまりにも悲しい。だが、夜明けが近いことをまた○○さんは感じ取ってくれている。朝は、待っていればやってくるが、ここで歌われた夜明けは、挑みかかるようにして闇をはぎとっていかなければ決して明けない夜明けだ。夜は、絶対に明けさせなければならない。
2012年4月22日 00時47分 | 記事へ |
| 自主G多摩2 |
2012年02月23日(木)
僕の障害について 社会人になるにあたって
 3月に高等部を卒業し、新しく通う通所施設も決まった○○君は、高揚した気分の中で、力強い言葉を綴っていった。

 みんな悩んでばかりなので理解してもらいたいです。私たちはみんなで私の我慢を世の中に伝えていきたいです。みんながまんばかりして生きてきたのでそれをもっと世の中の人に伝えたいです。なぜなのかわからないのですが勇気が湧いてきました。

 ここで、新しい場所で彼のことをどうやってわかってもらうかということについて私が切り出し、スイッチの援助については、○○君が、手を触られたくないので、手以外の場所にスイッチを押しつけていく方法で読みとらなければならないので、むずかしい方だが、○○君の援助ができれば、ほとんどの人の援助が可能だということを語り、○○君と初めて文字が書けた頃のことを話した。○○君は、一人でスイッチを押せるが、一人だと連打してしまい、なかなか止められなくなる。そこで、ある時、彼の手をとって、こちらが主導的に動かしながら一緒にスイッチを押していったのである。すると、選びたいところ力が入って選択の意志が伝わってきたのである。それを受けてこう書いた。

 僕は触られるのがいやなのでやりにくいというわけですが僕ができれば誰でもできるということですね。がんばってきましたね。文字の勉強も頑張ってやりましたが本当はわかっていましたが誰にも伝えられなかっただけでした。先生だけでしたね、僕が文字がわかっているはずだということを信じていたのは。とてもうれしかったのですがうまく選べなくていらいらすることも多かったです。駄目かなと諦めかけていましたが先生が僕の手を動かしたときはびっくりしました。まさかそうすると選べるとは思ってもみなかったからです。それが選べたので本当にうれしかったです。

 こういう風に書いている間も、彼は、座っていられなくなって、何度も席を立ち上がって一歩きし、落ち着くと戻ってくる。ふと、彼に、今度の施設の職員に自分のことをわかってもらうための障害に関する自己紹介を書いたらどうかと提案した。そうしてできたのが、次の文章だ。

  僕の障害について

 僕の障害はなかなか思い通りに見たり書いたりできないことです。見ようとすると見えなくなったり手を伸ばしたくなくても手が出たり何にでも手を伸ばしたりしてしまうので誤解されてばかりです。
 こだわりとはそういういらだちを鎮めるためのもので、もし理解され続けていればなかったはずですがそれはもうどうしようもありません。だけどじぶんのことをわかってくれさえすればわずかずつでも消えるはずです。
 よいわかりかたさえしてもらえれば本当はこだわりなど生まれなかったはずですからこれから小さい子たちにはこだわりの少ない育て方をしてほしいです。
 敏感さも障害の一つです。触られるだけでびっくりしたり小さい音にでも驚いたりするのでとても困っていますが理解されさえすれば大丈夫です。
 だからそういう風に理解してください。わかってほしいのでよろしくお願いします。
 どうにもならない苦しみの中で生きている仲間がたくさんいるのでよろしくお願いします。
 誰が見てもわかるわけではないかもしれませんが僕のことを知りたいと思う人にはわかってもらいたいです。
 なぜ僕たちが何もわかっていないと言われてきたのかがこれでわかってもらえたでしょうか。なかなかうまく理解されてこなかったけれど僕たちにもようやく日が当たってきました。


 私たちが、その理由がわからないまま、まちがった理解をしてきてしまったいくつかの事柄がここにある。特にこだわりなど、私たちの誤解が作り出したものとさえ言えるのである。「小さい子たちにはこだわりのない育て方をしてほしい」という言葉がつきささってくるとともに、私たちがなすべきこともまた見えてきた。
2012年2月23日 00時30分 | 記事へ |
| 自主G多摩2 |
2011年08月02日(火)
犠牲になった仲間たちへ
 なぜこの日だったのかはわからないが、○○君は、亡くなった仲間を偲ぶ詩を一編、用意していた。なお、犠牲という言い方は、早くなくなった仲間たちのことをそう呼んだものだ。
 
 聞いてほしいことがあります。犠牲になった仲間たちのことを詩にしました。Nくんのこともはいっています。

みんなまっすぐと生きて
ぼくを友だちとして認めてくれ
空の上から見守って
空高いところから応援の光を送ってくれる
なぜみんなを置いて先に空に行ってしまったの
望みのかなわないままどうしてここから旅立ったの
みんなどうして泣いてばかりいるの
もっと未来の夢を大切に生きていきたかったことだろう
なぜ涙は乾かないの
夢を持ち続けようとあんなに頑張ったのに
理解されないままなぜ逝ってしまったの
理解された喜びも知らなくて
なぜ私たちの前から去っていったの
街の明かりは見えますか
夏の暑さは洋服を通して伝わりますか
もうすぐ私たちを理解してくれる世界がようやくやってきます
その時をぼくは君たちとともに迎えたかった
その時を涙ではなく
笑顔で迎えたかった
夢をかなえるまでもう少し空の上から見守ってほしい。

 私たちのつらい気持ちを詩にしました。聞いてもらえてよかったですがみんな本当にどうして亡くなってしまったの。夜の暗闇がようやく光に満たされようとしているのに。そんなにみんな早く行かなくてもいいのに。夜はもう明けようとしているのに。もっと光が射してくるのに。


 彼は、歩くことはできないが、一人で車いすをこぎ、自分で食べることもでき、いくつかのサインで意思表示ができたりする。しかし、言葉を話すのは困難で、しかも、ここが大変理解されにくいことだが、こだわりが強いように見えたりする行動や、気持ちの高まりとともに物をたたいたりするような行動があり、それは、実は意図に反して起こっているものだと本人自身が説明している。勝手に起こしてしまういくつかの行動は、他人からは意図的な行動と見えるために、その行動を起こしてしまうことから認識の水準を不当に類推されてしまうのである。
 そんな彼がパソコンで気持ちを表現できるようになって、「私たちを理解してくれる世界がようやくやってきます」という実感を持つことができるようになったのだ。だからこそ、先に倒れた仲間の思いがつらくつきささってくるんだろう。不覚にも思わず涙ぐんでしまった私の顔を彼は手でそっとふこうとしてくれた。
2011年8月2日 13時08分 | 記事へ |
| 自主G多摩2 |
2011年07月10日(日)
東日本大震災に思う 4月30日
 震災の後、このグループとの関わり合いは2度目となる。みんなこのひと月の間、胸を痛め続けていた。 
 最初は高校生の○○さんの言葉。

 聞いてほしいことがあります。地震の後どうしてこんなに悲しいことが起こるのかと思ってきたけれどばらばらになった家族がまた一つになったり茫然としていた人がまた元気になったり私たちのように絶望から立ち上がるのを見てまた希望が湧いてきました。わずかの希望さえあれば人は生きてゆけるということが証明されました。わずかの希望であっても私たちが生きてゆけたように元気になった人の笑顔がとても救いです。わずかの希望があれば人は生きてゆけるので悩みや苦しみがあっても人は生きられるのですね。みんなの気持ちを聞いてみたいです。みんなの文章が見たいです。
小さな僕たちの意見ですがわかってもらいたいと思ってい益す。私たちの私たちらしさを伝えたいです。地震のいいところが生まれたような気がします。みんなはまた立ち上がれるということがわかりました。聞いてよかったです。理想をまた取り戻せそうです。日本の残酷な災害がまた平和への少しずつの望みとして私たちにも歴史は刻まれていくのですね。瑠璃色の光が射してきました。地震を乗り越えるためにがんばれそうです。理想を再び取り戻して生きていけそうです。理想はなかなかかなわないけれどいつかかなうと期待しながら生きていきたいと思います。悩みはなくなることはないけれど悩みを乗り越えてゆかなくては未来は開けないということがよくわかりました。分相応の人生をもう乗り越えて生きてゆかなくてはいけないと思いますからよろしくお願いします。なぜ人はつらいことがあっても美しい心をなくさないのか不思議だったけれどどうしてなのかがわかりました。それは地震でそうだったように私たちを認めてもらいたいという気持ちと似ていて希望があるからです。わずかの希望さえあればなんとか生きていけるということがわかったのでよかったです。


 次は、同じく高校生の◇◇さんの言葉。 理想は楽な生き方をすることですが私たちはなかなかわかってもらえないので私たちはつらい生き方をするしかないのですが津波でなくなった人のことを考えるとつらい人生を生きなくてもよかった人までがつらい人生を強いられて僕はかわいそうでなりません。なぜそんな残酷なことが起こるのかと考えていますがその答えは見つかりません。なぜなのかと考えているうちに一つわかったことがあります。それは僕たちの苦しみにも意味があるように被災者の苦しみにも意味があるということです。私たちの苦しみの意味はなかなか伝えられないけれど私たちはもっと世の中に私たちの生きている意味を伝えなければなりません。なかなかわかってもらえないけれど理想はもっと私たちの言葉を届けて世の中の人にもっと私たちの悶々とした思いを伝えていくことです。私たちの悶々とした思いは理想をなかなかかなえられないことですが私たちをもっと輝かせなければいけません。そんなことを考えているとまたわからなくなったのは人々がなぜ私たちのことをなかなか理解してくれないのかということです。なかなかわかってもらえなくて私たちはもうどうにでも慣れという思いにとらえられそうになります。だけど私たちはまだ諦めるわけにはいきません。私たちの言葉を世の中に届けるためにはどうすればいいのかわかりませんが理想はこうやって気持ちを伝えられると言うことを世の中が認めることです。どうしてなかなか理解されないのかわかりませんがもう少しの辛抱ですね。

 △△さんのも高校生だが、だが、彼は今回、被災地をテーマにした詩を作ってきた。



 地震の話からします。なかなか涙は乾きませんがようやくわずかな希望が出てきました。なかなか理解されないけれど涙を流すことよりも立ち上がる人々の勇気の方が目立つようになりました。部分的なことなのですが文明の危機だと思われるのはどうにもならない原子力です。わかったようなことばかり言う学者ばかりの割にはどうにもならないのが問題です。私たちは別に原子力がなくても生きていけると思うので早く他のエネルギーに転換すべきだと思います。私たちはもうすぐ爆発的に人口が増えたり何度も困難なことに出会うと思うので早く新しいエネルギーを何とかして見つけないと行けません。それが今日いちばん気になっていたことです。勇気づけられたことは理想をなくさずに人々が立ち上がっていることです。なぜなのかはわからないけれど人は立ち上がる強さを持っているのですね。人間はとても小さいけれど強いと言うことがよくわかりました。文明もそうやってどうにか続いてきたのですね。早く元の生活に戻れる日が来ることを待ち望んでいます。小さな希望という詩を作りました。

小さな希望の小さな勇気
わずかなわずかなぼくの目指す理想の光
どうしてなのかわからないが
わずかな夢はここまでみんなを引っ張ってきた
浜から吹く風は
夕焼けを浴びて美しい空を染める
みんなは家路を急ぐけれど
夕日はなかなか沈まない
私たちは夕日の輝きのように力強く
また立ち上がろう
たとえ失われた命は返らなくても
涙は乾かなくても
夕日はそんな悲しみをすべて包み込んで沈んでゆく
水平線の向こうには誰も知らない未来が待っている
その空の向こうには夜の暗闇が待っているが
涙はろうそくの明かりを何度も何度も映し出し
明るい光を照らし出す
そんな未来がある限り
人間はまた立ち上がる
意地悪な自然と向かい合いながら
よくわからない明日に向かって


 最後は、この4月から社会人になった☆☆さんの言葉だ。

 こんにちは。とても悲しい出来事が続いていて私はとても悩んでいます。忘れたくても忘れられません。小さい子どもや仲間たちが亡くなってつらかったです。小さい子どもたちを助けようとしても助けられなかった母さんたちの悲しさが伝わってきました。強く結ばれた絆が一瞬で断ち切られて悲しかったです。なぜなんだろうと私なりに考えてみましたがとても難しくてわかりませんが唯一の希望はみんながまた希望を胸にして立ち上がったことです。私はなかなか気持ちが言えなくて苦労してきたので苦しみについてたくさん考えてきましたがよくわからなくなってしまいましたがまるで私たちも津波の被害者のようなものなので私たちも希望を大切に生きていこうと気づきました。まだまだ悲しみは癒えませんが早くまた元の平和な世の中に戻ってほしいです。なかなか言う機会がなかったので言えてほっとしました。
2011年7月10日 13時46分 | 記事へ |
| 自主G多摩2 / 東日本大震災 |
2011年04月03日(日)
大震災をめぐる4人の少年の思い
 大震災をめぐる4人の少年の思いを聞いた。

 ○○君は、この4月から社会人になった。何かを強く言いたいというように大きな声を出しながら部屋にはいってきた。

 人間は備えが必要だと言うことがよくわかりました。備えていないと何もできなくなってしまうのですね。夢のような一月でした。何が何だかわからなくなりそうです。夢ならさてほしいと何度も願っていますがわざと夢を長引かせているわけではなさそうなのでまさしくこれが現実なのだと思い知らされています。敏感な人はランプの明かりが消えそうになっているのではないでしょうか。わざわざむずかしく考えることもないとは思いますがわずかな希望は地震のあとろうそくのあかりをともそうとして日本中の人がわざわざよい心をたくさん被災地の人々に寄せようとしていることです。勇気づけられる人もたくさんいると思いますが勇気だけでは悲しみは乗り越えられないと思うのでつらいです。ぼくたちはわかってくれない悲しみを知っていますがみんなそれと必死に戦っています。わかってくれなくてもしかたないとあきらめている仲間もたくさんいるので未来を切り開くためにはあきらめないことが大切だということがわかっています。わざわざみんなに届けることはむずかしいですがなるべくあきらめないようにしてほしいです。よい未来が被災地にも訪れることを望んでいますが長い時間がかかりそうですね。わかってもらうのに長い時間がかかるのと同じです。
わずかな仲間しかいないけれど何とかしてぼくたちのことをどうにかして世の中に認めさせたいのでがんばりたいです。悩んでいても未来が開けてこないのは何でも同じですね。悩むよりも行動だということもこの災害から教わりましたが勇気はやっぱり必要ですね。わずかな勇気でもあればあきらめと戦えますから運命という考えはなるべく使いたくないけれど今回はそれを強く感じます。
小さい時から何か出来事が起こるたびにいろいろ考えてきましたが夢のようです。それを言うことができて。何でもぼくたちは理解しているのにそれが伝えられなくて残念です。人間として言いたいことがたくさんあるのに言えないのは苦しいので早くこういうやり方を世の中に伝えてほしいです。ろうそくのあかりがともる日を夢みつつぼくも社会人としてがんばりたいと思います。わずかなものかもしれないけれどぼくもせいいっぱいがんばっていくので手助けしてください。よろしくお願いします。


 ◇◇君は、お母さんが陸前高田の出身で、足に津波が押し寄せる中何とか助かったおばあちゃんが、2週間の地元での避難生活の後、今は◇◇君の家に身を寄せていらっしゃる。◇◇君は陸前高田で生まれ、長期休暇には必ず訪れていたという。
 ◇◇君のコミュニケーションの手段はお母さんの援助による筆談で、家で2編の詩を書いてきた。それは、被災地に身を置いて書かれた詩だった 詩の紹介は別の機会に譲るが、筆談で話し言葉のように様々なことを語った。

 津波の映像を見て大変なことが起こったと思いましたが、それは予測していました。こんなことが起きるだろうなって。だけど、こんなに人がたくさん亡くなったり、原発の事故というものが起きるってことは得体の知れない災害です。総増益ません。だから物がないってパニックになるのもしかたないでしょう。でも人は本来、助け合いいたわり合って生活する動物です。科学が発達して人間だけ別の生き物と思っていた人間は思いやりいたわりが大事だと気付かないといけない。気付いて新しい世界を作らないといけない。それができればこの災害をステップにできると思います。ママもそう思う?ぼくは動けないけどわかります。
 人は何のために生まれてきたのか、考えながら生きていかないといけません。大事なことを考えずお金もうけや出世ばかり考えていたら、意味のない人生を送ります。あくせくと金儲けばかりしていると、死ぬときお金のこと気になって、いい臨終できません。ぼくは亡くなった人、なくなった建物や道具に敬意を払っています。それをしてくれる人が増えていけば、なくなった人、物、道具も意味のあるなくなり方となりますから。一人でもそう思う人が増えてほしいです。そんな詩を書きました。被災した人はこれからが大変です。ばあちゃんも軽いパニックですし、これが収まると孤独とのたたかいになるよ私のことわかってくれる人いないって悲しみがわき出てくるでしょう。ママはそれもわかってて、でもがんばって自分のことは自分でしてよって言ってますから。
 ママとぼくもいつか行こうよ。ママ行けなくて申し訳なかったね。


 ◇◇君と同級生の▽▽君は、いくつかの身振りのサインを持っているが、この日両手を胸にあてて、つらいということを全身でアピールしながら現れた。

 聞いてほしいことがあります。なぜこんなに悲しい災害が起こるのでしょうか。みんなわかっているのかもしれないけれどぼくにはよくわかりません。だけどぼくたちはいつも自分の体のことで苦労しているのでとてもつらい人の気持ちはわかります。小さい時から苦労してきたのでぼくにはつらい人の苦しみがよくわかります。理解されない苦しみと大切な人を亡くした悲しみは違うとは思うけれどわかってもらえない苦しみとよく似ているのは人間として一番大事なことに関わっているからです。でも簡単にそういうことを言ってもみんなはどうせわからないと言うかもしれないけれど涙を流しています。つらいのはみんな同じかもしれないけれどぼくたちの悲しみはなかなか理解されないのでよくわかります。人はなぜつらいことにもがんばっていかなければいけないか犠牲になった仲間の分までなぜきちんと

 ここでちょっと中断して、◇◇君のお母さんが陸前高田の出身だということや、それをめぐる様々な話をした。すると、それを承けて▽▽君はさらにこう続けた。

 小さいことなのですが小さいときにみんなと遊んだところがなくなるのはつらいですね 。そんなことにも今度の地震は関係しているのですね。びっくりしました。◇◇くんのおかあさんが東北の出身だったということに。小さいころの思い出も茫然としたままなくさなければならなかったということが。そういうことも含めて今回の災害はとても悲しいことでした。

 ◎◎君も、◇◇君も同級生で、高等部3年になる。一つの詩を間にはさみながら、震災について語った。

 なかなか話せないので私たちの言葉を聞いてもらいたいです。なぜこんなに悲しいことが起こるのかわからないけれど地震はとても大変でした。私たちには私たちの悲しみがあってそれをみんなの悲しみに重ね合わせればよくその意味がわかります。わずかな希望でもあればまた未来は開けてきますが涙はすぐにはかわきませんでした。そのことはきっと同じだとおもいます。涙はかわこうとしてかわくものではないので時間がかかります。涙は時間がかかるけれど希望はすぐにものにすることができます。人間はそういう風にできているのだと思いますがなぜ様子がわからないうちに悲しさだけは湧いてきたのでしょうか。それはどうしてかはわからないけれど人間は悲しみにはとても敏感なのだと思います。敏感なのは希望に対してもです。すぐに希望がとんでもない苦しみの中にあっても茫然とした人間を我に返らせまたつらいことを乗り越えて茫然としたところから立ち上がる勇気を与えてくれます。そしてそこからまた歩き出そうとするものです。人間はそんな風に希望と悲しみの間で生きているということをぼくたちはいやというほど味わってきました。人間はまるで風の前の塵のようなものですがぼくにとってはかけがえのない存在なのでわずかの希望でもあれば生きていけるということを信じています。人間として力強く生きていきたいです。

苦しみの中でを聞いてください

苦しみの中に見つけた希望
それは瑠璃色に輝いて
ぬいぐるみの私に希望を与え
小さな未来を平和に変える
小さな未来は小さいけれど
中でも僕の小さな夢は
小さいままに未来を照らす
無難な生き方捨て去って
存分に未来を夢見よう
未来は大きく膨らんで
未来を世界に伝えよう
敏感な望みは別によいけれど
小さい星の大きな希望
よい願いの開くとき
すてきな未来が開けてくる。

ぐっとずきんと苦しかったです。みんなも同じだったと思います。友哉くんの言葉が気にいりました。◇◇くんのはどんな詩ですか とても共感しました。まさかみんなが自分と同じようなことを考えているとは思わなかったので驚きました。みんなの考えにはとてもわかってもらえない悲しみがあってそれが災害にあった人々たちと重なり合っているのですね。驚きました。茫然としていたのはぼくだけではなかったのですね。だれもが理解されたいと思っているのですね。早く理解されたいです。

2011年4月3日 11時04分 | 記事へ |
| 自主G多摩2 / 東日本大震災 |
2011年02月10日(木)
森をつくろう
 あと1年あまりで社会人となる○○君は、卒業の時期が近づき、様々なことを語った。そして地域で生きていくことをテーマにした詩と、その詩を歌にして聞かせてくれた。

こんにちわどんなに理解されなくてもこうしてわかってもらえる仲間がいるのでぼくはなんとかがんばってこれたけど、また卒業してお別れいうのがもう何回も経験したことだけど寂しいです。みんなも何とかがんばっていくと思うけれどわかってくれない人しかいなければつらいと思うのでどうなっていくのか心配です。
 地域で生きていくというのはどういうことなのか聞きたいです。地域で生きたいけれどむずかしいですね。でもなんとかして地域で生きていきたいです。どうにかして中身を変えたいです。どうすればいいのでしょうか。私たちを世の中が理解してくれるにはどうやったらいいのでしょうか。わからないけどがんばりたいです。
 詩を聞いてください。地域で生きていくことがテーマです。

 森をつくろう

小さな昔のみんなの願い
なんども空にこだまして
遠くの森に消えていった
ほんとうの森はどこにある
ぼくたちを育み
望み通りに育ててくれる
小さいころ森をぬけ
別の世界に来てしまい
森に帰れずに困っている
そんなぼくにも森の声が
はるかかなたから聞こえてくる
理想に満ちた新しい森を
みんなでもっと作ってゆこう。

 歌:森をつくろう

森をつくろう僕らの森を
不思議な歌や夢に満ち
願いのかなう不思議な森を
小さい願いに願いを重ね
ひとりひとりの声を集め
願いの森をみんなでつくろう。


2011年2月10日 18時58分 | 記事へ |
| 自主G多摩2 |
2010年10月23日(土)
仲間の造形作品に寄せて 「あなたしか知らない」
 学校の仲間の造形作品が、全国的な規模で募集された作品の中から選ばれて特別支援学校などに配布されるカレンダーに掲載されることになった。
 そのことを自分のことのように喜ぶ○○君はこんな詩を作ってきて仲間を讃えた。

  あなたしか知らない

小さなみんなの心の声と聞こえない叫びが
僕には聞こえる
小さな心の声と叫びはびいどろ細工の物語
自分にしかわからない物語が初めて形になったもの
いい時間がそこにはじっと止まっている
時間が流れても
永遠に止まった喜びの時間がそこにはある
犠牲になった仲間の声もそこには聞こえ
人間としての勇気に満ちた歌が聞こえる
じっと耳をすませていると歌の向こうに
あなたしか知らない不思議な優しい忘れられた者の
悲しみを越えた希望の声が聞こえる
敏感にそっと願いを望みに変えて
夏の若い心と
秋の優しい心と
冬の厳しい心と
私たちの楽園みたいな春の心がつまったこの作品は
いちいち何も語らないけれど
みんなに勇気をくれた
小さい願いがずっと心の中でこの日を待っていた
僕たちにも言葉があることを
まだ世界は気づいていないが
夢見ていよう
いつかそのことに世界がのけぞる日が来ることを
聞いていた光を心にかかげて
ここからまた歩き出そう


 「世界がのけぞる日」が来ることを、私もともに夢見ていよう。
2010年10月23日 19時49分 | 記事へ |
| 自主G多摩2 |
2010年09月21日(火)
高らかな宣言
 高等部卒業後の進路について悩んでいる○○君は、こんな願いを述べた。

 小さい願いですが理想はよい作業所に行くことですがぼくのことはわかってもらえるでしょうか。理解者がほしいです。勇気がほしいです。願いは理解してくれる人のいる作業所に行くことです。

 そこで私は、ふと、○○君に、自分のことをいつでも自己紹介できるように、自分のことを自分自身で紹介する文章を書いてみませんかと勧めてみた。すると、○○君は、少し考えた後、次のような自己紹介の文章を書いた。

 矩(のり)を越えずという言葉がありますが、ぼくは自分なりに矩(のり)を越えないようにがんばってきましたがなかなか体をコントロールできず困っています。でも自分の気持ちをしっかりと持って生きています。よい理解者がほしいです。よい理解者がいれば地域で生きていけると思います。
 どんなにがんばってもなかなか言いたいことを一人で言うことはできませんがパソコンで気持ちを伝えることができるようになり、ぼくはようやく理解されることができました。 わかってくれる人はまだ少数ですがよいやりかたを見つけることができてぼくももう願い通りの人生を生きられそうな気がしています。
 わかってほしいですがなかなか方法がむずかしいので早く広がってほしいのですがうまくいきません。でも理解しているということを前提に話しかけてください。ぼくはどんなことでも理解できていますから。
 小さいときから一人で字も学習してきたしもやもやした気持ちも乗り越えてきました。
 願いはよい方法が広がることです。
 わかってほしいです。
 ぼくたちのことを見た目で判断しないでください。みんなとても苦しんでいますから。 一人でも理解者が増えてほしいと思いますのでよろしくお願いします。


 力強い言葉だった。きっぱりとしたこの言葉は、一つの高らかな宣言と言ってもよいだろう。
2010年9月21日 01時27分 | 記事へ |
| 自主G多摩2 |
2009年01月17日(土)
2編の詩 そして花と川、仏像のこと
 手書きで気持ちを伝える○○君は、2編の詩を携えてやってきた。
 最初の詩は、12月に亡くなった仲間のことを偲ぶものである。

 人はみな 光りにもどり ねむる
 人はみな 神のもと 光りのままで ねむる
 人を愛し 人に愛され 光り 成長をとげる
 君はまた そこへ もどっていったんだね


 2編目は、幼い少女を歌った小品だ。

 君は わらった
 ヒラヒラと キラキラと
 君は ないた
 ピチピチと キュッキュッと
 君は うごいた
 スイスイと
 スカートをヒラリなびかせて
 やさしい母の手をひっぱり
 もも色の風を感じ
 自由におよく魚のように


 詩について、話し合ったあと、少し彼は、今の自分の状況を嘆いた。
 そこで話を切り替えて、詩とは言わないまでも、なにげなく、いろいろなものを見て感じていることを話してというと、少し、気持ちを取り直して、花と川の話をした。そして、そんな時、生きていてよかったと感じ、その感動を母に伝えたいために詩を書くと語った。
 話は、さらに、仏像の話へと発展する。鎌倉時代の仏像が見たいと彼は言う。私は、仏像をじっくりながめてその感動を生に言葉にしたことはないが、その感動を記した他人の文章ならいろいろ読んだことがあると伝えた。そして、仏像には、たぶん、その時代を生きた人々の、苦しみや悲しみや願いがこもっていると伝えた。彼は、今度は、仏像の話をしたいと行って、さわやかな表情をして、帰っていった。
2009年1月17日 22時26分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月15日(土)
一輪の花 首をうなだれ かぼそく咲く
 手を添えてもらって行う手書き文字で、小学生の頃からこれまでたくさんの詩を書いてきた中学3年生の少年は、しばらく、詩が作れないで困っていたが、9月に続き、今回も詩を携えてやってきた。
 2編の詩を、そのまま、ここに記しておきたい。


月の光の下で
月の光にてらされて
一輪の花
首をうなだれ
かぼそく咲く
落としたしずくは
天にとどく
大いなる母よ
ここに咲け
あなたの涙が
力となり
人々のいやしと
かわるから


夕日の上にぼくは立つ
ぜったいにくじけない
あきらめない
ぼくは夕日の上に立つ


 なお、彼とは、後者は、詩というよりも、個人的な意志表明のようなものだねということで、話が落ち着いた。いつか、また、この思いは、詩として昇華されるかもしれない。
2008年11月15日 23時01分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年10月26日(日)
りかいしてみせます
 歩くこともでき、日常生活の動作もかなり自分でこなせるけれども、限られた言葉しか発声できない○○君に、2スイッチワープロを試みて、数ヶ月が過ぎた。もっと体の動きに困難を感じている方々に行っている援助をすれば、すらすらと文章を綴れるのだが、彼は、前に、自分でやれるようになりたいときっぱりと宣言しているので、今、私の課題はどうやったら彼が独力でワープロを操作できるようにしてあげられるかということである。
 彼の運動をめぐる困難は、2スイッチワープロをやってみて、初めて明らかになった。スライドスイッチやプッシュスイッチを一回だけオンオフするだけだったら、それほど困難はない。しかし、繰り返しリズミカルにそれを行い、しかもあるタイミングでもう一つのスイッチをオンするとなると、急に大変になる。
 楽なスイッチを探すのはこれからだが、2スイッチワープロのプログラムを、少し変えてみることにした。行や段を進めて行くスイッチを、これまでは、一回ごとにオンしていたのを、一回オンすると、オフにするまでは行や段が進んで行くようにしたのである。
 思いついてプログラムを改良したのは、前夜のこと。やっつけ仕事もいいところだった。
 ○○君と会うと、さっそくこの改良型の2スイッチワープロを試してみた。すると、少なくとも送るほうのスイッチに関しては、独力でやることができた。残された課題は、決定の方のスイッチの操作をいかに独力でやるかということだが、工夫次第で何とかなりそうに思えた。
 そんなふうにして、彼が、独力で綴った文は、以下のようなものだった。

りかいしてみせます
すてきなひとになりたい
うすいきほ

 ここで、時間も迫ってきたので、たくさん援助する方法で改めて続きを書いてもらった。すると以下のように続いた。

うすいきぼうでもよいから

 もっと先がありそうだったが、やさしい彼は、次の仲間にゆずることの方を大事にした。
 短い言葉の中に、強い意志と、リアルな現実を見すえるまなざしを感じた。
2008年10月26日 01時26分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年09月07日(日)
二編の詩
 今日、すてきな2編の詩が届いた。○○君の表現手段は、支えられての手がきだが、先日の関わりあいで2編の詩を書き出した。
 いつもなら、そのまま受け取るところだが、今回は、意見を求められたので、率直にいくつかの意見を述べた。これだけ立ち入った意見を言ったのは初めてかもしれない。ただ、あくまで私の言葉が詩の中に入ってしまうことは慎重に避けて意見を述べた。
 私に詩の素養があるわけではない。ただ、青年学級で歌を作り続けてきたことを便りにしながらの意見である。
 だが、彼は真剣に受け止めてくれた。そして、その場で何度か遂行を重ねたけれども、もう一度家で考えてくるからということだった。
 そうやって届けられた詩は、2編目が、最後の1ページが抜けていたので、まだ、完成形ではないが、あまりにもすてきなので、紹介することにした。

   雨ふりの朝

ぼくがおきると母は長そでをもってきた
「今日は雨でさむいの」
やさしくわらった
ぼくはえがおにつられて笑った
みそ汁のにおいと玉子焼きのにおい
とうめいのグラスがカチカチなった
やさしい時間が今ある
あたりまえの時間がある
それなのにぼくは早く早くとわがままいって
母をあわてさせた
二人だけの朝


   にじが出た日

ぼくはおばさんと車イスに乗って出かけた
母でない人と出かけたのは初めてだ。
ぼくが草や花が好きなことに気ずいて声をかける。
「君はみどりの好きな子ですか。私も大好き。」
おばさんの声ははずんでいた。
「いいえ、ぼくは母さんの好きな草や花が好きなんです。」
こころの中でつぶやいた。
おばさんはしらないだろうな、
花の中に母が笑い、
草の中に母が泣いていることを。
ゆっくりと頭を上げると
にじが見えた
2008年9月7日 01時05分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年06月22日(日)
土曜日の学習会から
 土曜日の学習会、また、いろいろな発見があった。
 ○○君は、もう、ずいぶん長いことこの会で学習を続けてきた少年。見ることにハンディがあるのか、ちらっとでも見ることができる時には、それなりの弁別をすることができるのだが、その回数が少なく、なかなか先に進めないということで、足踏みのような学習を続けてきた彼に、徐々に2スイッチワープロのソフトを導入してきて、先月、初めて自分から単語を綴ることができた(使ったスイッチは二つのプッシュスイッチである)。その言葉は「うれしい いきたいそと」というものだったが、それに続けて1週前の母の日のことを書いてもらったところ、「おかあさんありがとう」と書いて、お母さんをとても喜ばせるということがあった。
 それから、ひと月後の関わり合いで、彼は突然「くやしい」という言葉から気持ちを綴り始めた。せっかく文字を綴ることができたのだが、なかなかすぐには認められないことをめぐるものだった。そこで、私は、どうやって文字を覚えたかなど、教えてくれるとそれだけわかってもらいやすくなると思うと提案したところ、「こどものとき ともだちがべんきょうをしていたのをみておぼえた」と答えが返ってきた。そして「はやとくんがわかってくれたけどほかのひとはだれもわかってくれなかった」と続く。はやと君とは誰かとさらに尋ねると、「じぶんでつくったともだちです」と。孤独な心の世界が作り上げた想像上の友人がここにもいた。もちろん彼はまた、暖かい家族の愛情の中で生きてきたことも事実だ。「よくめんどうをみてくれてほんとうにかんしゃしています おとうさんもよくあそんでくれてすてきなかぞくです」と文章は結ばれた。
 △△君は、2スイッチワープロで文字を綴ることをずっとしてきたが、ここのところ、ずっとオートスキャン方式の1スイッチのワープロで文章を綴ることにチャレンジしてきた。なかなか手こずっていたが、いつか独力で文章を綴ることを夢見てである。その彼が、ようやくスムーズに文章が綴れるようになり始めた。そして、綴った文章は、「このあいだじっしゅうにいきました。うまくいってよかった。じんせいをいっしょにいきるなかまがいればうれしい。」というもの。実習先には、多くの先輩がいた。人生を一緒に生きる仲間を探す大人の世界への旅立ちがもうすぐそこに迫っているということだ。最初に出会った頃、童顔だった彼は、いつか、ひきしまった顔つきの青年になった。
2008年6月22日 01時21分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年05月18日(日)
ある学習グループでのできごと
 毎月一度集まっているグループでのできごとだ。脳性マヒのための構音障害のせいではっきりとした発語はむずかしいものの、「はいといいえ」や、身振り、表情などで日常のコミュニケーションは豊かにとれている一人の少年がいる。そのグループの中では身体障害の程度がいちばん「軽く」、学習も文字と数の学習に照準を合わせてこれまで関わり合いを続けてきた。彼が示す行動も、どのように教材がとらえられているかを示唆してくれるもので、私たちにとっては、「先生」であった。そして、きっと文字を自由に読めるようになれば、トーキングエイドのような機器を使いこなしてコミュニケーションをとるにちがいないと思っていた。だが、「あいうえお」の5文字の弁別でも不正確さを残している彼には、まだまだ踏まねばならないステップがあるように思われていた。
 ところが、最近になって文字の弁別のあとに、手をとって文字を書いてもらったところ、円運動で書く部分などが実に正確で、文字の成り立ちをよく理解しているように思われ、弁別学習における彼の姿との間にギャップのようなものを感じたのである。
 私たちは、文字や数の問題は、「認識」の問題と考えることになれているが、彼の場合、思った以上に見え方の問題がからんでいるのかもしれないということを改めて考えるようになった。
 そして、ひとしきり文字の弁別学習を行った後、パソコンでワープロに挑戦してみた。すると、けっこう画面をみながら文字を選べることがわかった。
 昨日もそうやって選んでできた文章が、次のようなものだった。

 さぎょうしょじっしゅうがんばり しごとみつけたい
 たすけあってまいにちしごとしていきたい

 どこか、あどけない彼を、知らず知らずのうちに大人として見てこれなかった自分を、恥じるばかりだ。
 それとともに、彼のような状況にある子どもの書き言葉の問題を、今新たにつきつけられることになった。彼には、確かな弁別の力を身につけてもらいたい。だが、一方で、すでに存在する彼の豊かな表現の力を十分にかたちにする責任もまた、私たちにはあるはずだ。
 高等部2年になった彼は職場実習が始まる。こうした表現する力を秘めた存在として、卒業後の社会に受け止めてもらえたらと思う。
2008年5月18日 23時15分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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