ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

»くわしく見る
2010年12月02日(木)
詩と詩作 銀色の悲しみ そして 愚について
 中学生の○○君に久しぶりにお会いした。○○君は、歌と深い思索に満ちた言葉を聞かせてくれた。

 言いたいことがあります。いい歌ができたので聞いてください。外国から来た小さい女の子に捧げる歌です。いい詩ですから聞いてください。

昨日の悲しみ涙とともに
流して続きの夢を見よう
忘れなければ涙はけしてかわかない
泣くのはやめてりんどうの花に
悲しさ元気に告げて
不思議な祈りを捧げよう
じっと耳を澄ましていれば
未来は美しい調べとともに
りこうな響きの旋律にのって
本当のよい願いをかなえてくれるだろう。

いい歌ですか。 悲しい気持ちを歌にしました。みんなもきっとこういう気持ちを持っていると思います。外国から来て悲しい悶々とした気持ちを持っている女の子を考えながら作りました。銀色の悲しみという題です。ずっと考えてきたので不思議な気持ちです。自分の歌がまさか聞いてもらえるとは思いませんでした。


 歌のメロディーも聴き取ると、今度は「愚」をめぐる話になった。

 愚行という言葉がありますがどういう意味ですか。愚という言葉が気になっていましたから聞いてみました。愚という言葉、強いて言えばずっと変わらないという境遇のことですか。
(それはどういう境遇のことですか?)
 僕のような状態のことです。
(私にはよくわからないけれど、愚という言葉は仏教では、大愚とか安愚というような意味でも使われますね。)
いい言葉にも使われるなんて驚きました。哲学のことはよくわかりませんがずっと均等ということを考えています。はい、どうして願いが僕にはかなわないのかということをいつも考えています。答えは愚という言葉の中にあります。すぐには理解できないかもしれませんが愚に生きていればそのうちに願いはかなうと思っています。みんなもきっと同じようなことを考えていると思います。時間そろそろですか。ありがとうございました。分相応の人生を越えていい人生を生きたいです。

 とうてい誰も説明できない重い障害のある○○君の境遇について、懸命にみずから問い続けている姿があった。容易にコメントなどできるものではない。しかし、ここには、深く追求する中で、たくさんの絶望を乗り越えてきた彼のひたむきでたくましい思いがあるような気がした。
2010年12月2日 16時46分 | 記事へ |
| 学校 |
2009年08月26日(水)
勇気をもって暗闇から抜け出そう ある視覚障害の少年の「講義」
 ある盲学校でのこと。昨年度訪問した際に手を振って言葉を聞き取ることができた少年がおり、今年度の訪問でもまた、言葉をやりとりすることができた。それを受け、夏休み、その少年に来てもらって、彼の気持ちを改めてゆっくりと聞くという会がもたれた。なお、彼は現在中学1年生である。

 柴田先生とこれから気持ちを伝えるこのやり方について講義をしますのでよろしくお願いします。特に気持ちを伝えたいのは、よい×××(学校名)になってほしいからです。特に中学校に六年からなってから、幼稚部を×××に連れてきてもらって夢のようによい関わりをしてもらって×××のことが大好きなよい子どもでしたが、中学校になってから、とても勇気がなくなってしまいました。勇気がなくなってしまったのは、ぼくの気持ちをいつになってもわかってもらうことができそうもないような気がしてきたからです。勇気が出てきました。ようやく気持ちを少しづつようやく伝えられそうな気持ちがしてきました。このやり方を先生たちにもたくさん伝えてこのやり方をみんながたくさんできるように、理解してもらおうと思います。よろしくお願いします。

 10名あまり集まった先生方の前で、彼は、堂々と話し始めた。ここで、少し、彼に私からの質問を交えて話を続けてもらった。
 
(口で話すのはむずかしいですか?)
 ことばを話したくてもなかなか言葉を口で言うことができません。願いを言葉で気持ちを言えるようになることでしたが、このままではとうていむずかしそうです。
(机をたたく理由を聞いてもいいですか。)
はい。気持ちを口で言えないので、むしゃくしゃしてしまい、たたいてしまいます。
(止めようと思えば止められますか?)
止められます。もっと気持ちを伝えたいです。口で言えないことがいちばんつらいです。
(助詞の「は」を使えるのはどうしてですか?)
わかっています。なとく(納得)しているわけではないけれど、何となく知っています。
(点字の勉強についてはどう思っていますか?)
点字を読めるようになりたいです。このごろ点字のことがようやくわかるようになってきので、とてもすばらしいと思っています。勇気が出てきました。よい先生たちなので、よいやり方でわかるように、わかりやすく教えてくれているので安心しています。よい先生たちなので、よく教えてくれていますので、安心しています。
(算数はどうですか?)
算数の勉強もよく教えてくれています。
(答えながら指を口に入れてすっていたので理由を尋ねると)
つらいことを思い出しています。よい先生たちなので、わかりやすいです。
(つらいことって何ですか。)
それは内緒です。
(詩を作ったことはありますか?)
あります。勇気をもらうために、子どもの頃から詩を作っています。
(今、聞かせてもらってもいいですか?)
はい。

 勉強への思いや先生方への感謝の言葉、そして、内緒にしておきたいつらい気持ち。詩は、そんな彼の胸の奥底を伝えるものだっ

もう聞かないでください
 この世界はとても暗くて 
 少しもわたしのことを暗闇から解き放ってくれそうもありません
 暗闇こそ瑠璃色の紺のわたしの希望をろうそくの光として
 暗闇こんんんこんんんこんんんの暗い昔の勇気のない暗闇こそ
 暗闇をのがれようとして 海をめざして
 暗闇からわかれたくて
 暗闇の中で暗闇をみんなからなくすことができたらいいなと
 このぼくがもともと夢見たものだ
 勇気をもって暗闇から抜け出そう
 この暗闇を 夢とともに 野を行く旅人のように
 気持ちをこうこうとたきながら 抜け出してゆこう
 勇気をもって暗闇から抜け出して
 暗闇から抜け出して
 暗闇の向こうの明るい世界をこの手につかもう


 繰り返される暗闇という言葉に、その場のものはみんな圧倒される。言葉が思いところでは、体もまた重く沈み込むようになり、そして、最後は、再びぐっと顔を持ち上げて、まるで未来に向かって力強く身構えるようだった。

 わかってくれてうれしいです。暗闇のことをいつも考えていますから作りました。暗闇は望みをみんな飲み込んでしまいます。勇気をもってこの暗闇から抜け出したいです。うれしいです。わかってもらえて。暗闇は暗い暗い暗い暗いものです。勇気が必要です。うれしいです。気持ちを聞いてもらえて。

 そして、もう一つの詩を聞かせてくれた。
 
 明るい詩もあります。
 
 きれいなすてきな雲が
 空を 暗い空を明るくするために
 すてきな色の雲を
 こんんんこんんんこんんんこんんんわきあがらせて
 暗い空を明るくしてくれた
 きれいなすてきな雲が
 空を 暗い空を明るくするために
 すてきな色の雲を
 こんんんこんんんこんんんこんんんわきあがらせて
 暗い空を明るくしてくれた
 わたしは雲に乗り
 空をかけめぐり
 わたしの希望をかなえるために
 雲を夢のような色に変え
 雲を夢のような雲に変え
 暗い空を明るく変えて
 暗い空を感動的な空に変える

 夢を見たいと思って作りました。歌ではありません。詩です。こんんんというのはこんこんをもっともっと暗くする音です。


 こんこんをもっともっと暗くする音としてこんんんこんんんこんんんという音があるのだという。彼の心の深いところにある悲しみが、この音には込められているような気がした。
 ここで、二つの質問をした。どうやって文字を選んでいるのかということと、詩に登場する色は、彼に見えるのかということである。

 耳を集中させて音を聞いてそこそこだと思っていると読み取られていきます。苦労していますが、言葉を少しでもさくさく出すためにがんばっています。聞いているので疲れますが、考えていることがすらすら言えるのでうれしいです。
 色を苦労して覚えました。苦労したのは、見えないので、想像してよく考えて、色を想像しました。
 苦労したことはあまり言いたくありません。苦労したことを取り立てて言ってみてもよい苦労にあこがれているわけではありませんから、苦労の話をするのは好きではありません。勇気を出して話してみましたが、わかってもらえたでしょうか。


 そして、私がゆっくりと手を振ってこの方法をわかりやすく伝えようとした時、彼は、次の言葉を伝えてきた。

 のにさくはな 単語を言ってみました。

 ここで、誰か先生とやってみないかと彼に尋ねたところ、彼は恥ずかしそうに、一人の先生を希望する。しかし、なぜか、名前が出てこない。以下は、何とかしてその先生がだれであるかを伝えようとしてきたものである。

 姉さんのような先生の、感じがすてきな先生がいいです。かわいい先生、かわいい先生です。名前を言うことができません。苦しい時に助けてくれる先生です。とてもやさしい先生です。夢をいっぱいくれる先生です。この中にいます。はい、まだわかりません。この中のよい声の先生です。すてきな先生です。とてもいい先生です。名前はむずかしです。夢をともに見てくれる先生です。小学部。幼稚部ではありません。世界の歴史の先生。

 ここで、ようやく一人の先生が特定された。

 ☆☆先生だということを思い出しました。

 名前をなぜ言えなかったか、それは、多くの人に共通の現象としてある。まだ、その理由はわからないが、かえって、その先生へ寄せる思いの深さが、讃辞とともに明らかとなった。
 あっという間に、2時間が過ぎていた。彼の「講義」は盛況のうちに幕を閉じた。
 
2009年8月26日 14時21分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/265/
2009年05月20日(水)
イタリアでキリスト教の教会に行って祈りを…
 都内の特別支援学校で訪問教育を受けている○○君のスクーリングの日、学校におじゃました。前回、聞き取った「こゆびの歌」が担任の先生の手によって楽譜になっていた。
 聞いてほしいという彼からの希望があったので、担任の先生からピアノでメロディーを弾いた録音の音を聞かせてもらいながら、一緒に歌ってみた。気持ちが伝わってくる歌で、どこか、聖歌のような響きもする歌だった。
 
ぼくのこゆび あなたのこゆび あわせてみよう 
ねがいのひびく こゆび
ひとりのこゆびはちいさいけれど 
みんなのこゆびをつないでみよう
きっとおおきなねがいがかなう 
ゆめをみて きぼうをつないできた
ひらかれた こころで 
うつくしいかぜのようにふきわたり
どこまでものぞみをつづけて
よいにんげんとなることをねがいながら
すばらしいじんせいをいきていこう
こゆびとこゆびをあわせてどこまでも
ゆめがつながるように

 そして、気持ちをパソコンで綴っていただいた。

じぶんのきもちかよわせることがゆめでした
ねがいをよくきいていただいてうれしいです
ちいさいころからのゆめがかないのぞみがかなってとてもうれしいです
にんげんとしてみとめられたきぶんです
ゆめはみんなとふしぎなせかいにいってみたいです
ふしぎなせかいにはよきしらせがあふれていて
ねがいがかなえられるところです
ちいさいころからのぞんでいました
ゆめがかなったようなきもちです
ずっとまちのぞんでいました
ちいさいころからのゆめがかないとてもうれしいです

 ここで、ほかにいっぱいたまっている気持ちはないかと尋ねたところ、次のように展開していった。

かあさんにはいつもかんしゃしています
にんげんとしてよくみとめてもらえていつもいいかあさんだとおもっています
ひびのせいかつのなかでちいさなことでもきにかけてくれてありがたいです
ゆめはかあさんとがいこくにいくことです
ちいさいころからねがっていました
じつげんするといいなとおもいます

 ここで、そばにいた方々から、どこの国だろうという声が上がった。すると…

ねがいはとおいくにがいいです
いたりあできりすときょうのきょうかいにいって
いのりをききいれてもらえたらいいなとおもいます
にほんでもいいかもしれませんがにほんよりもねがいをきいてもらえそうです

 やはり、彼の心の中には、何か神聖な祈りのような思いが秘められているのはまちがいないようだ。「よきしらせ」という言葉もまた、そういう響きを持つものだろう。
 そして、どんな願いなのかを尋ねてみた。

ねがいはぼくたちすべてがたのまれなくてもきぼうにみちたじんせいをおくれるということです
ちいさいころからのゆめでした
じぶんとおなじようなきもちのひととはなしがしたいです

 そして、自分からしめくくるように、次の言葉が続いた。

きいてくれてありがとうございます
いいきもちです

 この後、担任の先生に手をふる方法をやっていただいた。すると、簡単な言葉は聞き取れていたそうだが、目の前で、するすると文章を読み取ることがおできになっていった。
 途中、ラ行を選んだあと、「ラリルレロ」でまったく反応がないというので、もしかしたらと思って、「今、何を考えていましたか」と私が尋ねて返事を聞き取ってみると、「先生ができたので、とてもうれしかった」と答えが返ってきた。感動で、反応できなかったのである。すると、今度は、先生がそのことに感動なさり、「鳥肌が立ちました」とおっしゃる。そして、本当に鳥肌が立っていたそうで、彼に、それをさわらせていた。
 すばらしいコミュニケーションの成立の瞬間だった。
 
2009年5月20日 01時01分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/230/
2009年03月15日(日)
にんげんのすなおさがねがい
 盲学校の高等部の女性の言葉を、パソコンと手を振る方法とで聞いているが、今回は、お母さんも見えた。なんと、携帯についたテレビ電話の機能で、学習中の様子を、彼女を大切にしている親戚の方のもとへ実況中継してくださった。その中で、彼女は次のような言葉を綴る。冒頭は、前回と同じ言葉だった。

しばたしわしわ
ゆめ ゆめ 
ねがい ねがい
にんげん にんげん 
きぼう きぼう
すばらしい 
にんげんのすなおさがねがい 
ちいさいときからきもちがつたえたかった
ねがってきました
かあさんいつもありがとう
きいてくれてありがとう
いいじぶん

 言葉を二つ並べることから生まれるリズムは、まるで、音楽のように彼女を包み込み、彼女の心の中に豊かな世界を生み出しているようだった。
 盲学校の重複学級に在籍する彼女は、2年前、この学校の高等部に入学してきたのだが、当初は、ずいぶんと心を閉ざしているように見えた。その彼女の心の世界を、担任の先生方は、彼女の存在を心から尊重しながら根気よく解きほぐしてきた。学習の内容も、いつか点字をさわるところまで到達している。まだ、彼女が読めているのかどうか、定かではないところがあるものの、点字を触る彼女の顔は、誇りに満ちあふれている。こうした言語表現も、そんな先生方の関わり合いの土台の上に花開いたものにほかならない。
 携帯で実況中継を続けるお母さんも、心から娘さんの成長を喜んでおられた。
 新年度もまた、最高学年になった彼女といろいろな言葉を交わしあえたらと思う。  
2009年3月15日 22時43分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/198/
2009年03月07日(土)
ハート展の日
 午前中、ある学校の訪問教育のお子さんのお宅にうかがい(そのことは改めて紹介したい)、夜の青年学級の会議まで、すっぽりと時間が余った。ともかく電車に乗って、ふと思いついたのは、NHK主催のハート展に行くことだった。私が関わった6年生の女の子の作品が入選して、展示されているからだ。たくさんの作品の中に、彼女の作品もあった。筆談ができるようになって、学校の先生に支えられながら書いた詩だ。

  あしたのこえ
みらい るるる
あしたのことはわからない
るるる るるる
あしたのこえ

 あしたのことはわからないという言葉、長い間、言葉が閉ざされていた時、明日は不安に満ちていたかもしれない。しかし、今、明日は、未知の希望にあふれているのではないか。るるるという言葉に、そんなことを思った。ささやかな一歩だが、彼女が、自分の声を社会に届け、社会に向けて歩み出した記念すべきだ一歩だ。展示されている多くの作品の一つ一つに、作品を見ただけではうかがいしれない、そんなドラマが秘められているのだと思った。
 そして、そのまま、町田に向かった。時計を見ると、まだ、余裕がある。そこで、思い立って、月曜日に手術をするために入院している53歳の青年学級のメンバーのお見舞いに行くことにした。病状は予断を許さないものであると、電話でお母さんからうかがっていた。
 彼、SYさんは、年末にパソコンで言葉を初めて綴った方だ。自分で身のまわりのことはだいたいできる方だが、言葉は少なく、単語だけを話される。行くと、ちょうど、お見舞いに来た授産施設の方々をお母さんと一緒に病院の玄関でお見送りするところだった。私を認めるとにやっと笑ってくださった。そして、そのまま病室におじゃました。お見舞いを買ってくるのを忘れていたので、ハート展の詩画集を彼に渡した。そして、たまたま、スイッチ一式を携えていたので、一度お母さんにも見てもらいたいという思いがあり、パソコンを出した。そして、彼は、次のような文章をさっと書いた。

きてくれてありがとう
うれしい
くるしいげんきになりたい
じぶんのきもちがいえないのですごくこまっています
かあさんしんぱいかけてすみません
ぎせいになってもうしわけありません
きのうかんごふさんがきてすきなおんがくについてきいてくれました
いしのまこがすきですからききたいです
ききたいです
くすりがにがくて
きらいです
がまんしてともかくちいさいころからのんできました

 ここで、流動食の食事が来た。そこで、パソコンをしまう前に、一言あったらと尋ねると、

きいてほしいことはくるしいけどがんばりますということです

 と綴った。そして、食事をする彼の横で、彼の言葉も入った今年度の音楽コースのオリジナル曲を流した。歌詞にしたのは彼の長い文から抜粋した次のような言葉である。

にじをみにいくことです みんなでみにいこう
じぶんでにじをつくりたい
ちいさいねがいだけどたいせつにしよう ちいさいねがいだけどしっかりもっていこう
にんげんだからきもちがあります
きびしいです ことばがはなせないのは
 
 メロディーに合わせた歌詞ではこうなった。

にじをみんなでさがしにいこう じぶんでにじをそらにかけてみたい
やっぱりきびしいはなせないのは にんげんだからあふれるきもちがある
ちいさなねがいたいせつにしよう ちいさなねがいしっかりと

 彼の食事中、思わず、お母さんと昔話に花が咲いた。私より3歳上の彼と出会ったのは、私が23歳の時、それから30年近い時間が流れた。お互い、すっかり年齢を重ねた。そんな話だった。彼の食事も終わり、そろそろおいとまをと思い、最後に、彼に、手を振る方法で、手術について尋ねた。

こわいけどがんばります

 エレベーターまで送ってくださったお母さんは、「かわいそうでね、代われるものなら代わってあげたいわ」とおっしゃった。大正生まれの気丈なお母さんだが、その思いが痛いほど伝わってきた。
 私たちのコースのオリジナルソングの最後に、こんな歌詞がある。

じぶんになにかがあったときは なかまがきっとたすけてくれる

 今、大変な病気と闘っている彼のたすけにいくらかでもなれただろうか。そんなことを思いながら、青年学級のスタッフ会議に向かった。
2009年3月7日 01時25分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 / 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/192/
2009年02月22日(日)
しばたしわしわ 
つるつる、すべすべ、ざらざらなどの感触を学習の中に取り入れている○○さんは、いきなり、手をとって「あかさたな」と聞いていく方法で、「しばたしわしわ」と綴った。
 そして、パソコンを出してみると、同じ言葉を書いてから、以下のような文章を綴った。

しばたしわしわ
ちいさいころにぶんをやりたかった
ねがいわはなせるようになることです
きいてくれてうれしい
くやしいちいさいころからはなせなくて
しばたふしぎ
ちいさいときからはなしたかった
きもちいいきいてくれてありがとう
ちいさいころからはなしたかった
きもちいい
ちいさいときからおかあさ

 彼女は、視覚障害のある方で、高等部の重複障害学級に所属している。小さいときからの話したい思いがいやというほど伝わってくる。
2009年2月22日 01時55分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/182/
しみわたるきゃらめるのあまさ
 ある特別支援学校で、出会ったお子さんに、まず、「あかさたな」と聞いていく方法で話をした。そして、そのままパソコンに移っていいった。

このほうほうはだれがかんがえたの
かんたんです

 ここで、詩を作ったことはないかと尋ねると、すっと、詩を綴ってくれた。

しみわたるきゃらめるのあまさ
くきょうのつづくぼくのじんせいのなかで
さいこうのあじだった
いつか
つぶくらいのぼくというそんざいが
ぬいぐるみのいのちとしてではなく
いちにんまえのいのちとして
せかいになにか
ちいさくてもいいあじわいを
もたらすことができたらいい

おしまい

 彼は、最近、今流行の生キャラメルを食べたという。そしてそれが詩を生み出した。私は、そんなできごとを知らないから、このキャラメルという言葉が、期せずしてこの言葉が紛れもなく彼のものであることを証明することになった。日常の何気ないキャラメルの味ひとつから、世界を考える想像力の飛翔にただただおそれいるばかりだった。
 そして、さらにこう続く。

きもちをしずめるためです
のぞみがかなってうれしいです
またあいたいです
ちかくにすんでいるのですか
しっています
さっかーのちーむがあります
ずっとはなしがしたかったのでうれしかったです
ちかくにきたらよってください
さようなら
ありがとうございました

 たまたま、お母さん、学校の先生、訪問看護の方など、多くの方が見守る中で関わりが過ぎていった。初めて表現された彼の心の声を、みんな息をのむようにして、そして、時おり、涙を流しながら、聞いてくださった。
 浦和には、サッカーチームがあることまで知っていた少年の心は、きっと大きく世界に開かれているにちがいない。
2009年2月22日 01時44分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/181/
2009年02月17日(火)
きぼうがわずかにでものこっていればにんげんはいきていける
 事故で体の自由を奪われてしまって1年半ほどの時間が経過した○○君と再会した。今回は、担任の先生の希望で、数の問題と目の見え方の問題を尋ねてみるところから始まったが、あらかじめ書くことを用意していたのだろう、私たちの問いとは別に、次のようなしみじみとした文章を最初から綴った。

じっとしているといるととおいむかしのことをおもいだします
きおくにのこっているのはちいさいころのおもいでです
いまでもあざやかによみがえってきます
いいおもいでばかりです
すてきなのぞみをたくさんもっていましたけど
きぼうはかなわなかったけれど
ふしぎといいおもいです
きぼうがとぎれてしまってもきぼうがわずかにでものこっていれば
きっとにんげんはいきていけるのでしょう
たとえびさいなきぼうでも
きっとちからをあたえてくれるのではないでしょうか
きぼうのみちをあるいて
いいじんせいをいきていきたいとおもいます
きっといいじんせいがおくれれるとおもいます

 ぎりぎりの状況を引き受けて生きようとする少年の魂の底からの言葉だった。
 そして、次のような感想をはさんだ後に、私たちの質問への答えが書かれた。

いいきもちです
いいたいことがきちんといえてすばらしいほうほうですね このほうほうは
きゅうにすうがくのことをきかれたのでいまはうまくこたえることがむずかしいですがだいたいのことはわかります
ただみることができないのでこまっています
きごうをつかったすうがくはまだなれずにおわってしまってしまったのでよくわかりません
かんがえかたがしりたいです
ちいさいころからさんすうはとくいだったのでやりたいです
めはよくみえませんがちかくのものならすこしはみえます
じっとみつめることができません
いつもせんせいがみせてくださるちいさなもじはみえませんが
きれいなえはみえます
きっときれいなえのほうがみやすいのでしょう
きっともじはみつめなければいけないからだとおもいもいます
かおならわかります
じっとみつめるひつようのないものはちかくならわかります

 非情に的確な答えをくれた。特に見え方については、以前の見え方を知っているだけに、現在の状況の説明が非常にわかりやすい。生まれつきの障害の方の場合は、両方の見え方を知っているわけではないので、なかなか私たちがどう見えているかを理解しづらいのとは対照的だ。これまで、おそらくこういうことなのだろうということの明確な答えがここにあった。
 この後、手をとってア行から聞いていう方法を紹介し、その方法で、自分がわかる範囲でいちばんむずかしいような計算の式を作ってもらい、自分で答えてもらった。効き方は、「1、2、3、4、5、6、7、8、9、0、記号」と聞いて、記号が選ばれたら、「+、−、×、÷、分数の線、小数点」と聞いて選んでもらった。そして、書かれた式は、3/8÷1/5=15/8 であった。彼の論理的思考の力が失われていないことも改めて明らかになった。
 そして、手での会話しながら、君の言葉はきっと仲間を励ますだろうし、少しずつだけど他の人たちのところに届けているということを伝えると、「ともだちにきいてもらえるとうれしい」というようなことをいい、ともだちとは、以前からの友だちとまだ会ったことがないけれど同じような状況にある人たちということだった。
 ベッドの周辺に限られた彼の世界だが、言葉は、もっともっと彼の世界を広げていくことだろう。
2009年2月17日 13時04分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/179/
2009年01月28日(水)
ある特別支援学校にて
 都内のある肢体不自由の特別支援学校におじゃました。午前中の2時間、4人の高等部の生徒さんと関わらせていただくことができた。みんなそれぞれ、パソコンで文章を綴ることができたが、今回は、必ず、手をとって伝え合う方法を合わせて行った。やはり、わかりやすく、また、やりやすい方法は、手をとりあうものだろうと思ったからだ。スイッチのやり方はなかなかこつを伝えるのが大変だが、手を取り合う方法は、その場で何とか伝えることもできた。一人は、学校のパソコンにすでに私のソフトがインストールされていたので、文章はそちらのパソコンに残っているので、3人分だけ、紹介したい。

ありがとうございます
なぜことばがはなせるとわかったのですか
しんじられません
じぶんのほんとうのきもちをいいたかった
うれしいです
ついにねがいがかないました
ずっとはなしがしたかった
いつあえますか
ちかくにすんでいるのですか

きいてくれてありがとう 
(濁点をすぐ選べたことについて)みえた 
きもちがつたえたかった 
(字の勉強したいですかという担任の先生の問いに)しりたかった
(でも、書けるということは知っていたんですねと私が問いかけると)しっていたけどいえなかった
(好きな曲は何ですか)てがみです
(なぜですか)きれいなかしだからです

じぶんのことばではなしたかった
ねがっていましたきもちをことばでいえるようになることを
いいすいっちでつかいやすいです
ちいさいころからはなしたかったです
のぞんできました
ないてばかり
じのべんきょうがしたかったです
いいきもちです いいたいことがいえて
(字は)ちいさいころにかあさんがおしえてくれました
ねがいがかなってうれしいです
ちいさいころからのゆめでした
またきてください
ありがとうございます

 最後の生徒さんは、終わったとたん、泣き始めた。あわてて手をとて理由を尋ねると「うれしいからないた」とのこと。思わずこちらもぐっと胸にこみあげるものがあった。そして、こういう小さなひとつひとつのことが伝えあえれば、本当にいいなと思った瞬間だった。
 短い時間だったけれど、みんなこれまでの思いを、それぞれに語った。いい出会いをさせていただいた。
2009年1月28日 00時48分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/169/
手をつないで伝え合ったこと
 一日、ある学校におじゃました。ゆっくりと学校の雰囲気を味わわせていただくことを目的としていたので、パソコンやスイッチは、控え室において活動に参加した。歩くことのできるお子さんが中心の学校だが、なかに、肢体不自由のお子さんもいた。
 絵本が大好きな男の子に求められてとっかえひっかえずっと絵本を読んであげていると、となりに、ちょこんと小1の女の子がすわって、私と男の子のやりとりをずっと見つめている。男の子が行ってしまったあと、その子を膝に抱えて、手をとって「あかさたな」ととなえて気持ちをきいてみた。パソコンとちがって消えてしまうので、うろ覚えの記憶になってしまうが、いろいろなことを語った。

 うれしい 
 ちいさいころからはなしたかった 
 いいやりかたですね
 げんきなこどもがうらやましかった 
 かあさんにもつたえてください 
 またきてください

というような内容の言葉をたくさん語ってくれた。また、絵本をとっかえひっかえ読んでいるのをおもしろそうにみていたけど、どうしてと尋ねると、

 たくさんきれいなえをみることができるから

と返事がかえってきた。
 担任の先生も、ずっと見守っていてくださって、その学校のあたたかい雰囲気もあいまって、とても、穏やかで密度の濃い時間を味わわせていただくことができた。
 
2009年1月28日 00時36分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/168/
2009年01月15日(木)
じぶんぎせいにしないでがんばりました
 盲学校の中学部の少年と、2スイッチワープロで関わった。彼は、弱視と肢体不自由があって、発声は、ゆっくりと単語を発音する。聞き取りにくい部分もあって、自由自在にコミュニケーションできるというわけではない。日常的には、自分一人でフィルムケーススイッチを両手に握って独力でワープロを使いこなしている。今回は、スピードがあがる援助で、関わってみた。

たのしみにしていました
いいたいことはちいさいときからことばできもちをつたえたかったということです
○○せんせいとたのしくべんきょうおしています
ぎもんあかしてくれていいじかんです
あきらめてはいけないとおもっていますがきもちのとおりにからだがうごいてくれないのでこまっています
かんがえをさいごまでずっとあきらめないことがたいせつだからどんなときでもがんばっています
こくごがすきです
しをちいさいときからつくってきたのできいてください

ねがってきました
ことばというものできもちをつたえることを
くなんいっぱいのりこえて
ちいさいぼくはにんげんとしていきてきて
ちいさいぼくはきぼうをたいせつに
きぼうをこころにひめていきてきた
じぶんぎせいにならないように
じぶんぎせいにしないでがんばりました
じぶんしんじてがんばりました
きのうのねがいはひをともして
きのうのちいさいくるしみを
しずかに(ゆめにかえる)

 時間がなくなったので、()の中は、手を握り合って、こちらが「アカサタナ」と尋ねていく方法で聞き取ったものだ。この方法をどうしても、彼と先生に伝えたかったのだが、彼の詩が長くて、最後に、ちょっと入れてみた。思いのほか、スピードも速く、反応もはっきりしていた。
 詩については、こちらが聞いたわけではなく、自分から聞いてほしいと言われたものだった。一人で、暖めてきた思いが、切々と伝わるものだった。
2009年1月15日 07時34分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/156/
2008年12月25日(木)
筆談で広がった少女の思い2
 昨年度、パソコンで文字の表現が可能になり、その後、先生と筆談へ移行していった現在小6の女の子が都内の特別支援学校にいる。今回、まず、担任の先生による筆談で、終始にこにこしながら、いろいろなことを語ってくれた。
 昨年、わかってほしい気持ちを激しくぶつけてきたことが、うそのように、穏やかな少女がそこにいた。
 そして、筆談をしながら、先生と一緒に書いた文章も見せていただいた。日を追うごとにきれいになり、なめらかになっていく筆談の文字に、コミュニケーションがどんどん広がっていった軌跡が示されていた。先生の筆談の通訳で、いろいろなことを語った。彼女の書いた詩は、大きな詩のコンテストにも入賞していて、もうすぐ、公表されるとのこと、確実に広がりを見せている彼女の姿が、私は、本当にうれしかった。
 時間があとわずかになったところで、ふと、ワープロで話してみたくなった。久しぶりにあった私だと、また、違うことが語られるかもしれないという思いがしたからだ。時間がないということもあって、出せる限りのスピードを出すと、彼女はしっかりとついてくる。そして、書かれた文章だ。

わたしのことばをなぜみんなしんじてくれないのでしょうか
ふしぎですかんがえただけでことばになっていきます
ちいさいときからじをおぼえていたのになかなかあらわすことができませんでした
きらいなことばかりがっこうでやらされていやになっていました
きびしかったです
にんげんとしていきていきたいとおもっていたのできびしかったです
いいにんげんになりたかったけどなかなかなれませんでした
いいにんげんになるためのきぼうがでてきました
いいちゃんすをいただけてかんしゃしています
きぼうがわいてきました
いいにんげんじゃなかったけどいいにんげんになりたいとおもいます
きぼうにむねがふくらみます
きぼうがでてきましたきもちがいえてうれしいです
きもちがいえてきもちがらくになりました
いいほうほうですね
おどろきです
ちいさいときからいいたかったです
にんげんだからきもちをつたえたかった
いいたいことがいえてよかった

 この日の筆談の資料は、手元にないので、掲載できるのはこのワープロの文章だけだが、率直な思いが語られている。一人の少女が、こんなふうに自分を見つめ、いい人間として生き直そうとしているというその場面に立ち会えているというだけで、厳粛な気持ちにさせられる。もちろん、彼女は、ずっといい人だった。しかし、いい人であることを、私も含めた社会が認めきれなかったのである。人を育てる教育が、静かに営まれているこの学校の実践に、心から敬意を表したいと思う。そして、こうした実践の広がりを心から願う。

2008年12月25日 22時40分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/137/
筆談で世界が広がった少女の思い1
 ある都内の特別支援学校でのできごと。2年前にパソコンで文字を表現できるようになった現在小3の女の子は、現在手を添えられることによる筆談で気持ちを表現している。先生も家族も筆談の支援が可能で、表現の世界が格段に広がった。
 そんな彼女に、あえて、パソコンで表現してもらった。それは、一
緒に話がしてみたかったからである。 

きもちをいいたいとおもってきました
いいたいことがいえるようになれたらいいなとおもってきたのでひつだんができるようになっていいたいことがいえるようになっていいいきかたができそうです
きぼうがわいてきました きぼうがいっぱいねがいとともにでてきました
ひつだんができるようになっていいたいことがいえるようになってからきもちがおだやかになってきました
いいきもちです にちじょうかいわをしているようなかんじです
いいほうほうですね きもちいいです

 ここで「いたい」という彼女の限られた音声言語が発せられた。「あしが痛いの?」とお母さんが聞くと、

あしじゃなくてきびしいからだのことです

との答えがあって、次のような文が続いた。。

じぶんのからだだけどちいさいときからどうしようもなかった
いしとからだがばらばらなのでつらかったけどきもちがいえるようになってきがらくになりました きぼうがわいてきました
かみさまはいるとおもいます

 ここで、担任の先生やお母さんとの筆談に頻繁に登場してくる神のことについて、お母さんから彼女に質問が投げかけられた。

じぶんのきもちをきいてくれてきもちがやすらぐかみさまがいます
ひとにはみえませんがりかいしてくれるたいせつなそんざいです

 ここで、私は、多くの子どもたちが作り出している想像上の友だちと同じ役割の存在だろうと説明を加えると、さらに担任の先生は、さっき突然泣き出したのもそれと関係あるのと尋ねた。すると次のように綴られた。

きていたのは☆☆ちゃんです
いきていたときにきもちをかけなかったのでかなしがっています
ちいさいころからいっしょだったからいつまでもいっしょです
きもちをひとりでもおおくのひとにきいてもらいたい
りかいしてもらいたいです

 ☆☆ちゃんのことは私も知っていた。前におじゃました時に、彼女は給食の時間、同室となる☆☆ちゃんのことを私に紹介しようとる。そこで、小声で、☆☆ちゃんも言葉があると言いたいの?と尋ねると
、うれしそうな表情をした。しかし。それっきりになってしまっていて、10月におじゃました時に逝去の事実を知らされた。間に合わなかったのだ。その無念の思いが、彼女に☆☆さんの「霊的な存在」を生み出し、その思いを代わりに伝えているのである。あまりにも厳しい事実でありながら、その厳しさ自体が知られていないのである。短い言葉だが、上の5行の中には、私たちの社会の未熟さが隠されている。
 ここで話を変えて、詩について尋ねてみた。すると、次の詩が書かれた。  

うつくしいにわにいるしずかなことりにいいたい
ちいさいとりはどうしてきれいなの
いいとりはいいました
いましろいはながいっぱいさいているところに
つれていってください
ちいさいとりはいいました
しろいはなのさくくには きたのほうにあります
きたのほうにあって いざめざそうとすると
だれもいけないところです
じぶんのこころにすなおになると 
いくべきほうがくがみえてきます
ねがいをもってあしたをみつめていれば 
きっとみえてくるでしょう
きたのくににあるしろいはなをさがしに 
きたのくにをめざして
わたしはひとりたびだつ。

 こうした幻想的な世界を思い浮かべて、希望を育てていくという心の働きは、気持ちをきいてくれて心が安らぐかみさまがいるという心の世界と相通じるものだろう。
 また、彼女は、すでに先生と詩も書いているのだが、それとひと味違うのは、これが、自分一人の世界の中で、幻想的な世界を思い浮かべて、思うように体がいかない自分をいやしているというもので、人に聞いてもらうことを前提としていないところかもしれない。
 ところで、途中で、「いたい」と声を出しながら、一方で文章をよどみなく綴っていることについて、あらためて尋ねてみた。答えは、

きもちがかってにこえになるのでできる

 ということだったが、どうも、声だけではなく、きもちが体の動きにもなっているように思われた。
 ここで、お母さんから、一緒に見に行ったミュージカルのことを聞いたら「いみがわからなかった」と筆談で返してきたので、とてもがっかりしたのだけど、それはどういうことだったの?と質問がきた。

がっかりしないでおかあさん
いいみゅーじかるでした
きゅうにきかれたのでいいかげんにこたえてしまいました
かなしいものがたりでした
いいみゅーじかるでした
きりすときょうのかんがえがかんどうてきでした
なんでもゆるすというかんがえがすてきでした

 さらに、餅つき大会で、去年の記憶とつながっているのだろうかと思わされるようなことがあったので、そのことも尋ねた。

きおくのことはいいかげんにいってしまいました
こわいきもちはなくなりません
きねがぶつかってきそうだからです
いきているみたいでこわい

 答えは以上の通りだった。
 どんどん、豊かに広がっている彼女の世界が、本当にすばらしかった。
 そして、これが、学校の実践として、日々営まれていることが、本当に貴重に思われたし、新しい時代を先取りした姿があるように思われた。
2008年12月25日 22時21分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/136/
2008年11月11日(火)
きっとくるしみのいみを みつけてみせる
 都内のある学校で、K君と出会った。K君は中学1年の夏、不慮の事故で全身の自由を失った。現在彼は中学2年生、事故から1年と少し経過した。最初は植物状態とも言われた彼に、早くから学校の先生方が関わり、様々なサインやパソコンを通じて、彼の気持ちをくみとることができるようになっていた。
 初めての関わり合いではあったが、すでに先生方の実践もあり、彼に文章を綴る力が残されていることに疑いをはさむ余地はなかったので、さっそく、ワープロに挑戦した。
 まず、スイッチの方法について感想がさらりと次のように述べられた。

うれしい いいほうほうですね うそみたいです
このすいっちいくらですか ください

 そこで、今、思っていることを書いてほしいとお願いしたところ、おかれた状況をめぐる厳しい文章が綴られた。以下、漢字をまじえて紹介したい。

この鬱々とした状態、いつまで続くのだろう
苦難の試練を越えてこの世界の中で健闘してゆくのはむずかしい
大きくなるまでに体が動くようになるのか心配です
いつまで続くのだろうこの苦しみは

 中1で突然体の自由と表現とを奪われるという想像を絶するような状況の中で感じている苦しみを彼は率直に表現した。おそらく、うそいつわりのない、感情の吐露である。だが、これは、いわば、独り言のようなもので、明確に誰かに向かって発せられたものではない。たとえば横で見つめておられるおかあさんに対する表現としてならば、また、ちがったニュアンスが綴られるのではないかと考え、そのように提案した。以下はそれを受けた文章である。

おかあさんいつもありがとう
この状態になってもかわいがってくれてうれしいです
できるならこの状態から抜け出してもとの体に戻りたいけどとてもむずかしいようなのでこの状態でがんばっていきたいのでよろしくお願いします
この状態でもきっとしあわせは見つかると思います
苦しいことだけ考えていてもしかたないから楽しいことを考えていきたい
うちの中が明るいので救われます
いい家族たちに囲まれてしあわせです

 苦しいという思いは紛れもない事実であろうが、家族に囲まれながら、未来に向かって生きようとするしっかりとした気持ちがあることが綴られた。
 次に、目や認識の状況について教えてほしいとお願いした。

体は動かなくなったけど言葉もとのままです
目は少ししか見えません
気にかけてくださってありがとう

 さらに、思いのままを綴ってもらうと、表現はさら深みを増していった。

健康なときには感じませんでしたが いい人生ってなんでしょうか
苦しいことはいやだけど好きなことができなくてもこの世に生まれてきてきっと何か意味があると思うので考えながら生きていきたい
きっと苦しみの意味を見つけてみせる
きっといい人生になると思うからおかあさん安心して見ていてください
うちじゅうに喜びがあふれることを願っています
きっといい人間になりますと誓います

 体が動かなくなって1年あまりの時間の中で、いったんは絶望の淵に立ちながら、彼は、今、たくましく立ち上がろうとしている。人間の中に潜む力の大いさに圧倒されるばかりだった。
2008年11月11日 21時17分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/104/
2008年10月21日(火)
てをつかえないきもちがわかってもらいたかった
 都内の特別支援学校にうかがった。午前中だけの短い日程だが、3人のお子さんとゆっくり関わることができた。ここでは、その中の一人の中学生の女の子について紹介したい。
 この学校では、何人かの子どもたちの秘められた言葉の世界のことが明らかになって、主として手書きの援助によって子どもたちとのコミュニケーションが非常に豊かにとれるようになった。そして、授業は劇的に変化した。夏に、研究会の発表で、えら呼吸の話までする内容になったという話もうかがった。
 そのような中で、先生たちから言葉の可能性を感じるので挑戦してほしいと言われて関わった生徒さんなので、私としてはその先生方の感性に身を委ねるだけでよかった。だから、迷わずワープロに挑んだ。
 そして、お母さんが懸命に見守られる中で、すぐに文章が綴られ始めた。

おかあさんいつもありがとう
しあわせです
○○○のことをいつもかわいがってくれてかんしゃしています
これからもよろしくおねがいします
よろこびでむねがいっぱいです
てがつかえてうれしい
ねがっていました じぶんではなしができるようになることを
このすいっちすてきですね
すらすらとかける
ふしぎです きもちのとおりにじがかけていくので

 ここで、どうして文字がわかるのと尋ねてみた。すると、

ちいさいときにかあさんがおしえてくれました

と答えが返ってきた。
 彼女のこういう言葉を見ながら涙ぐんでおられたお母さんが幼少期のことを話された。話し始めて1ヶ月の間、よくしゃべっていたのだが、その時期におふろで50音表を見せていたというのである。そして、突然、彼女は話すことができなくなってしまい、表を見せるのもいつかやんでしまったそうだ。短いやりとりだったがそこにはお母さんのかつての無念の思いがにじんでいた。

ことばがなかなかはなせなくなってからとまどっていましたけれどずっとじのべんきょうはしてきたのでこのぐらいはかんたんです

 いったん覚えてしまえば、日々、文字の学習は続く。なぜなら日本にいる限り、周りに文字はあふれているのだから。だから「これぐらいはかんたん」なのだそうだ。おそらく、障害者用に開発された様々な機器やソフトの存在も知っていたのだろう。スイッチに関する「すてき」という指摘も、いろいろなスイッチを経験してきたことが背景にありそうだ。
 さらに、

それにせんせいがたのしくてほんとうにおもしろいです

という言葉が付け加えられた。これは、私がいつも、相手に対して、あなたが言葉を理解していることを私はわかっているつもりだということを伝えるために、いろいろなことを直接語りかけていること、そして、それが普通たわいもない冗談のかたちをとることが多いから、述べられたものだろう。こんなふうに言われると、子どものようにうれしくなってしまう。

てをつかえないきもちがわかってもらいたかったけどわかってもらえてうれしいです

 これがこの日の最後の文だが、6文字目から8文字目までの3文字は、お母さんにスイッチの援助を代わってもらって書けたものである。初めての援助で、わからないことだらけだったのだろうけど、見事に読み取ることがおできになっていた。しかも、選択の際に、彼女と表情でもやりとりしておられたので確実さはいっそう増した。懸命に取り組まれる姿に、想像とはいえ、言葉を失ってからこれまでの日のお母さんの思いがおのずと重なり合ってきて、深く胸をうたれた。
2008年10月21日 13時10分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/90/
2008年08月03日(日)
「くうきのようなかるさ」のスイッチ
 盲学校に通う○○君は、弱視と肢体不自由が重複したお子さんだ。ゆっくりと一音ずつ確かめるようにしゃべる○○君は、必要最小限のコミュニケーションは声でとれ、また、大きな文字なら読むこともできる。その彼の言語表現を助けるために、いいソフトはないかと尋ねられ、2スイッチワープロとスイッチ接続用のマウスを差し上げた。スイッチは、他の先生がお持ちになっていたフィルムケースで作ったスイッチを使った。彼は、翌日には、もうしくみを理解し、ゆっくりゆっくりと文字をパソコンに入力することができた。先生のご希望で、いくつかソフトも改良した。それから、国語や自立活動の時間などにパソコンが取り組まれてきた。
 そんな彼に、私が直接関わらせてほしいとお願いしたのは、2週間ほど前のことだ。最近自分が身につけてきたスピードで彼と文章を綴ったら、もっといろいろなことを語るのではないかと思ったからである。
 それは、さっそく夏休みのある一日に実現した。
 自分でていねいにゆっくりと二つのスイッチを押し分けながら操作することは熟知している○○君に、今日は、ちょっと違うやり方でやらせてほしいと言って、前後のスライドスイッチを提示した。引くと押すとで二つのスイッチを操作し分けるわけだが、引く方は力をできるだけぬいて私がカチカチと進めていくので、それに手の動きをゆだねてもらい、選びたいところで、ここだと思うと手に力が入って、スイッチのカチカチという音が止まって、そこを選ぼうとしていることがわかるということを伝えた。一緒に名前を書いてみると、すぐにお互いに要領が飲み込めたので、夏休みについて何か書いてみてと頼むと、
「なつやすみどこかへいきたいのだけどいきたいところがきまらないのでこまっています。」とさっと書いた。そして、次のような文章が綴られた。「しばたせんせいのすいっちください。すいっちがあったらいいとおもいます。ねがいはうちでできるようになることです。くうきのようなかるさです。うれしいです。」
 一つ一つの動作をゆっくり行う彼は、それぞれの動作にたくさんの力を入れている。その力がいらずに軽やかに動くので、そんな表現をしたようだ。
 はにかみやの彼に、すぐ横におられたお母さんについてどう思っているか書いてくれると頼むと、とてもてれるようにして、「よくめんどうをみてくれてかんしゃしていますつかれがたまったときははゆっくりやすんでくださいね。」と書く。
 なかなかすぐには書く内容が決まらないようなので、将来の夢は、と聞くと、「ひとりでくらしていくことができたらいいなとおもいます。くるしいこともあるかもしれないけどいっしょうけんめいがんばればできるとおもいます。まけずにいきていきたいです。しっかりかんがえていこうとおもいます。」と流れるように綴ったあと、「みんなとなかよくしていつまでもともだちでいたいとおもう。くらすのなかまたちです。」と付け加えた。彼のクラスメートは、彼を入れて、3人。幼稚部からずっと一緒に過ごしてきた。
 そして、「くなんのひびでしたがのぞみがかなってうれしいです。」続く。「くなん」という難しそうな言葉が、なぜか、よく子どもたちから出てくるが、彼もまた、そうだった。普段の彼からはうかがい知れない心の奥底が一瞬だけ、顔を出したように思えた。いつか自由に言葉を使いたいというのぞみがかなったと読めばいいのだろうか。ふと、まわりに沈黙が流れた。
 そこで、横にいた担任の先生についても、どう思うかと聞いてみたところ、「×××せんせいはとてもこころのやさしいひとですこれからもよろしくおねがいします。」と綴り、その時には、もう、ふだんの、やさしい○○君の姿がそこにはあった。
 秋になったら、スイッチをもって、また、来なければ、と思った。
2008年8月3日 01時34分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/42/
2008年06月10日(火)
ある盲聾のお子さんの成長から
 以前、ホームページに日記形式で短い文章を綴っていくことを企てたことがある。2年前の2月のことだ。しかし、なぜかその気になれず、最初の1ページを書いたところで挫折していた。その1ページとは、以下のものだった。
「今日、どうしてもここに記しておきたいことは、都内のある盲学校におけるすばらしい教育実践のことである。この盲学校には、現在小4の盲聾の女のお子さんがいる。そのお子さんの担任はこの学校に赴任して2年目の男の先生で私も以前親交のあった先生だった。先生は、2年目に、このお子さんの担任となった。このお子さんは、まだコミュニケーションの手段がいくつかの簡単なサインの受信以外には確立しておらず、また、感情の起伏が激しく、怒った時には、全身をくねらせ、頭を何かにぶつけたり、着衣を脱いだりして表現する。あまり使いたくない言い方だが、関わり合いのむずかしいお子さんだった。先生は、担任になるとさっそく指文字と点字へ向けての基礎学習を開始された。それは、おそらくいささか無謀に見えたことだろう。彼女が好んで座る1畳ほどの板の上にはアイウエオをリベットで表現した点字が四方に貼られ、先生は、頻繁に指文字を彼女の掌に発信なさるようになり、先生の手になる様々な教材を通して学習が進められていった。私は、縁あって学期に何度かこの学校を訪問し、先生とお子さんの関わり合いを見させていただいてきた。学習の細部において着実な進歩を重ねつつも、夏ごろからしだいに先生のおんぶを一日中要求するという『困った』事態が起こるようになってしまった。9月に訪問した際には、まさにその真っ最中で、私も、思わず背中を貸した。おんぶをやめようとすると激しく怒り出すため、終日おんぶをし続ける関わり合いの姿は、周囲には、不安を呼んだにちがいない。背中から降りることをかたくなに拒む彼女の姿は、これが永遠に続くような思いを周囲には与えたからだ。私も例外ではない。しかし、先生は、彼女を背中に負いながら、黙々と学習を続け、指文字を発信し続けた。といっても想像がつくだろうか。おぶったまま腰をかがめ、少し高めの台に教材を置いた学習である。鬼気迫るといってもいのいほどのすさまじさと感動を覚えた。『先生たいへんだけど本当にがんばってますね』と思わずかけた私の言葉には、『○○さんがすばらしいから』という即答が返ってきた。すべてがこの言葉に集約されていた。そして、1月30日、午前中いっぱい実践を見させていただく機会を得ることができた。おんぶはまだ続いているが時間は確実に短くなっているとのことだった。そして学習は着実に進み、この日も彼女をおぶいながら、あいうえおと、5までの数の学習を手をかえ品をかえやっておられた。それぞれの学習は、まだ、はた目には受身的に見えるものだが、私は、確実に彼女の中に積み重ねが起こっていると思ったし、何より彼女の表情が素晴らしかった。そして、何よりも驚かされたことは、おんぶされている彼女に「オンブオワリ シタニオリル」と出された指文字を受信して、すっと下におりたことだった。まちがいなく彼女は指文字に何らかの意味を感じて受信していたのだ。ヘレンケラーが水をさわった時のように、ある劇的な一瞬をスタート地点としてとらえることはむずかしいかもしれない。しかし、まちがいなく、この1年は、ヘレンケラーが水を触って”water”と感じた一瞬に等しい大きなものにちがいない。おぶい続けることに目を奪われていたら、その先には進めない。回避する道はあったのかもしれないが、私には、このことを乗り越えて先に進むことしか道は残されていないように思われたし、先生は、その覚悟でおぶい続けてきたのだと思う。いつか先生自身の手による実践報告をうかがる日を、今から待ち望んでいる。」
 その彼女はこの4月から中学生になった。月曜日、今年度初めて彼女の授業を見学した。男の先生は小6まで3年間つとめた担任を代わり、週4日、国語数学の時間を1時間担当するようになっていた。この日は、繰り上がりのある足し算と引き算だった。「今日の勉強は」と先生が彼女の左手に発信する指文字を彼女は右手で再現して先生の左手に返していく。そして、点字用紙にうたれた7+5=というような問題をさわるのだが、もう暗算で答えが出されていた。そして、点字タイプライターで式と答えを書く。それが学習の流れだった。ただ、一度、4+9を14と答えてしまったので タイルで確認をした。ここでの確認の手続きの中で次のようなことが起こった。まず4の固まりに足すためのバラタイルを9個、器に入れるのだが、この時、バラタイルを6個とったところで手が止まった。すぐさま先生は、なるほどとおっしゃった。まず、この6とは、4にくわえると10になる数であり、ここで、先生は一緒に4の固まりと6とで10のまとまり10の枠を使って作って、さらに彼女を促すと、今度はバラタイルを3個器にとった。そして、それを10の隣に並べた。先生がもう一度尋ねると、今度は13と答えが返ってきた。完璧だった。
 今の姿が当たり前になってしまうと、以前の大変だった時期が嘘のように思えてしまう。しかし、先生が担任になっていきなり指文字を出し始めた時点でさえ、今日のこの姿を明確に予想できた人はいなかった。上に引用した2年前の私の文章ですら、同じことだ。盲聾という厳しい条件の中で、一歩ずつ認識の世界とコミュニケーションの方法とを確立していく教育の歩みは、決して先を急がない着実な歩みだが、それは私たちの予想を超えるスピードで前に向かって歩を進めている。そして、その歩みの中に、人間の可能性と教育の可能性が鮮やかに示されている。
 
 
2008年6月10日 17時44分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/18/
2008年06月07日(土)
盲学校にて2
 梅雨入りを迎えた3日、八王子盲学校を訪ねた。今回、とても目を引いたのは、高等部の重複学級の○○さんだ。個別的な学習というものにあまり縁がないまま高等部からこの学校に入学してきた彼女は、最初、学習にのりにくかった。不意にご機嫌がくずれて、学習が中断する姿にこれまで何度も出会ってきた。しかし、担任の先生は、根気よく、いろいろな教材を通して学習にチャレンジしてきた。本当の彼女の力がどこにあり、本当に適切な教材はどのようなものか、なかなか探りにくいようだったが、そうした関わりの中で、先生はいくつかの教材を通して、彼女と確実に関われるようになっていった。その中に、見本合わせの課題があった。手元に一つの見本項があり、向こう側に二つの選択項があって、同じ方を持ってくるというものである。彼女とは、触覚的な質感の弁別として、「ざらざら」「つるつる」と呼ぶものを題材にして学習が進められていた。
 その見本あわの選択項に、最近、リベットで作った点字が登場した。触覚的な実感の弁別からいきなり点字かというふうに思う人も少なくないだろう。しかし、確実に彼女は喜々としてとりくむようになっており、今回アやイの区別などができるようになっていた。
 また、平行して50音の文字を押すと音声が出るおもちゃに点字を貼った教材で、ア行から1行ずつ触っていく学習もなされていた。これにも彼女は大変意欲的だった。
 先月、彼女の学習の内容に関する話を、彼女の頭越しにしたとたん、彼女が教材を激しく押し返すということがあった。おそらく、自分のことが批評されることに誇りを傷つけられたのだろう。点字の学習がここで適切かどうか、私は、遠くない日に間違いなかったとの結論が出ると思っているが、今、確実に言えることは、彼女は今、点字の学習をすることに強い誇りをもっているということだ。その誇りが彼女の表情にとても気高い品位を与えていた。
2008年6月7日 00時27分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/16/
2008年05月17日(土)
盲学校にて
 明確な発語もなく、手の操作も力が入りすぎてぎこちなかったYさんが、点字を区別し始めた。八王子盲学校の小学部で起こっている奇跡のようなできごとだ。
 私が月一回程度の頻度で、八王子盲学校にうかがうようになって4年目を迎える。この3年あまり、私は、学校ぐるみで大変充実した重複障害のお子さんに対する教育が展開されていく姿をまのあたりにしてきた。
 Yさんの学習は、一歩一歩先生方の着実な努力で前に向かって進んでいたが、手の操作には肢体不自由のハンディのためと思われる強い力が入っているために、なかなかスムーズな動きが出にくく、どれだけ本人が納得してるのかを十分に確認できないような場面も少なくなかった。それが、昨年度末の3月、それまでの学習の成果が一気に花開くような場面に出会うことができた。
 一つはそれまで入っていた力がうそのように抜け、なめらかな手の動きが生まれてきたこと、そして、かなり抽象度の高い日課表の触覚的なシンボルを、はっきりと触り分けて、先生の求めるシンボルを確実に手渡していたことだった。ちょうど、この年度を1年限りで担任されておられた先生の授業の最後の見学となったので、この日の感動を私は、手紙にして先生に送った。
 それから、2ヶ月後、Yさんは、新しい先生と、ついに点字の学習に入っていた。学習する姿もたいへん誇りに満ちた様子で、先生とのやりとりも非常に豊かになっていた。そして休み時間にはかつては必ず太鼓のところでひとり音を楽しんでいたのに、この日は、人との関わりを楽しむようになっていた。
 このクラスにはあと二人友だちがいる。その二人もまた、点字の学習に当たり前のように取り組んでいる。ともに、3年前には考えられなかった姿である。このお二人のこともまた、いずれ書くことになるだろう。
 教育の可能性の限りなさと子供の可能性のすばらしさをあらためて感じた一日となった。
 
2008年5月17日 01時09分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/3/