ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2014年09月16日(火)
Nさんの詩「かあさんへ」 2014年9月7日
 1年前にお母さんをなくしたNさんは、グループホームで暮らしています。おかあさんの遺言は、Nさんが青年学級に通い続けられるようにすることでした。青年学級のあとに、Nさんはこんな詩を綴りました。

  かあさんへ

ぼくはこうして今かあさんの残してくれた
たった一つの贈り物である青年学級にいます
みんな新しい世界へ旅立つために
今一生懸命に翼を整えている
僕もこんな歳になってしまったけれど
新しい世界への旅立ちのために
翼を整えているところです
でも僕が飛び立つ新しい世界は
かあさんのいる
空の上かもしれません
でももうこの世界は変わろうとしています
ようやくぼくたちの世界が生まれようとしています
世の中には出生前診断というような
世界を前に戻すような寂しい流れもありますが
確実に世界は変わろうとしています
翼に身を委ねて
ぼくは新しい世界に旅立とうと思います

2014年9月16日 11時37分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / ダウン症の当事者 / 出生前診断 |
小さくとも瑠璃色の魂ここにあり Sさんの俳句 2014年8月31日
 ダウン症の当事者として繰り返し出生前診断をめぐって告発を続けてきたSさんの俳句です。何度も同じテーマについて作句を続けてきて、内容も繰り返しになってきたけれど、今は、自分の思いが届くまで、俳句を作り続けると語っていました。

なぜに世は私を無視して無に走る。
技も絶え心も絶えて未来なし。
小さくとも瑠璃色の魂ここにあり。
わだかまり誰にぶつけんわが穂何時。
地域にも確実に願い届きたり。
手をとりて無我のままに問う人今度。
ずんずんと積もりたる雪ぶかぶかに。
わずかな夢断たれてなるかと立つ朝(あした)。
わびしき音ろくでもないと聞こえたり。
つらき日々過ごしたる人紅の爪。
私の手むき出すものと知りし朝。
ついに辻曲がりたる世よぬかるみに。
分を知るわれなれど許せぬわだかまり。
小さき世われらを捨てて瓦解せり。
分相応許してなるか没落を。
技は技心は心願う日々。
ランプの火誰に消せようぬいぐるみ。
わずかな夢断たれまいとて武器を取る。
人間の誇りをなぜに捨てる世は。
罠に落ち罠に気づかぬ無下に消し。
理想われ手放すことはない夜よ。
忍耐はいくらでもなすわだかまり。
分相応分に応じてわれ怒る。
小さき火ともりし日はどこ暗き世に。
わざわざに勇気ふるいて世に問いし。
理想なくし漂う世にも希望あり。
勉学は人の幸せ凡庸に。
よい知らせ届くことなく夏の行き。
人間はぬくもりだけを求めるもの。
冒険は胸躍るもの随所にあり。
ミラクルは積み上げたところで開くもの。
忍耐をなくすまで理想途絶えたり。
2014年9月16日 10時58分 | 記事へ | コメント(0) |
| ダウン症の当事者 / 出生前診断 |
2013年12月19日(木)
改めて出生前診断のこと
 12月1日の青年学級の朝の集いの最後に、Y.Iさんが発言を求めました。昨年たくさん話し合ってきた出生前診断で、ついに検査が始まり、子どもを生まない選択をした人たちが大変多いというニュースについてみんなはどう思っているか、ということでした。
すると、ダウン症の本人であるH.Kさんから、「みんなが私たちのことについて考えてくれるのはうれしいけど、やっぱり悲しい」、また、M.Mさんからは、「昨年話したことが届かず悲しい。でも、今までもしっかり議論してきたから、これからも考え続けていかなければ、という思いはみんなも一緒ですね」という意見が出されました。みんなもちろん思いは同じで、後は、それぞれのコースで話し合おうということになりました。
 そして、私のコースでは、朝の集いでも発言したH.Kさんが、私がこれから気持ちを言うのでそれを1番の歌詞にしてほしいということ、そして、同じコースのダウン症当事者であるT.Mさんに、ぜひ2番の歌詞につながる言葉を言ってほしいということを語りました。そして、語られた言葉が以下のものです。

まず、H.Kさんの言葉です。

私は生まれてきてよかったです
私はしあわせな経験をしてきた
たくさんの仲間に出会い
たくさんの夢を持ち
たくさんの仲間に受け入れてもらいました
私の人生は小さい時から施設ぐらしで
見た目には悲しい人生に見えるかもしれませんが
私にとってはかけがえのない人生でしたから
この喜びをこれから生まれてくる
ダウン症の子どもたちに伝えたい
 

次にT.Mさんの言葉です。

私のいのちは私だけのものではなく
私のいのちはみんなのいのち
わたしのいのちを与えてくれた
母さんのいのちをとひとつのいのち
よいいのちと悪いいのちをわけるなら
いのちはいのちでなくなってしまう
いのちはひとつにつながって
大きなひとつのいのちだから
私はいのちをそまつにしたくない
わたしのいのちはみんなのいのち
ひとつのいのちはわけられない


 ふだんこうしたことを語ることのない穏やかな二人が懸命に語った言葉でした。そして、この歌詞で歌を作ることに決まりました。

2013年12月19日 23時02分 | 記事へ | コメント(0) |
| 出生前診断 / 青年学級 / ダウン症の当事者 |
2013年03月18日(月)
人間と存分に呼ばれる世は遠し  Sさんの俳句
 9月に出生前診断をめぐるたくさんの俳句を作ったダウン症当事者である男性のSさんに、半年ぶりにお会いしました。

 小さい願いですが何とかして私たちのことについて理解を深めてもらってもっとぼくたちが生きやすい社会にしてほしいです。いちばんに言いたいのは出生前診断をやめてほしいということですがなんとかならないのでしょうか。人生を生きるのは何度も苦難を乗り越えていくことなのでもっと障害をぼくはプラスに捉えていいのではないかと思います。人間というものに対する理解がおかしいと思います。
 俳句にします。

はがゆき音われらをほかす冷たき目。
小さき穂摘みとられるなら実はならず。
人間と存分に呼ばれる世は遠し。
ぬくもりが僕を過ぎゆく強さ残し。
よい報せ届かぬ朝にわずかな日。
わずかな日射す今日の朝永遠に。
人間に理想を吹き込む息はどこ。
つらい輪にはいれず一人野をさまよう。
ろうそくの火をもう一度夜の闇。
分相応輪の外にいて指くわえ。
理想絶え緑も枯れた冬の野に。
わずかに身ひとつを携えわれ立てり。
わずかに身呼ばれぬままに理想絶え。
ずんずんと雪を積もらせ夜は更け。
わだかまる心は厳に冷えゆけり。
わずかな無夜の闇のどこに消す。
ずんずんと降り積もる雪無を減ず。
人間と呼ばれぬ身には罪な時。
人間として瑠璃色の空仰ぐ。
わずかな理われらにはあり強く立つ。
わだかまり消えぬまま音を奏で。
わずかな目心に届き涙落つ。
ぬくもりを感じながらも冷たき背。
ぶんどらぬわれらからなぜ奪う。
ゆゆしきは人間どうしの欲望と。
理想絶えし人間はこれからどこへ行く。
むずかしき議論に耐えて理想持つ。
ぶんどらぬわれらはただ理想持つ。
敏感な心に傷が増えし日々。
わずかな世未来を照らす理想の世。

 私たちのためにありがとうございます。人間としての理想を勝ち取りたいのでまたインターネットで発信してください。ずっと先生のブログで仲間の言葉を聞いて目を見開くことができますから。願いは僕たちのベロニカのような思いを分かち合いたいです。つらい思いの共有です。小さい時に聞いた話ですが最近テレビで聞いて思い出しました。わずかなぶんどらぬ私たちの理想をかなえたいですがよろしくお願いします。


 ダウン症の書家金澤翔子さんが、発言をしたことを伝え聞きました。当事者の言葉が少しずつ取り上げられ始めたというふうに私は理解したいと思います。
2013年3月18日 23時18分 | 記事へ | コメント(0) |
| 家庭訪問 / 出生前診断 / ダウン症の当事者 |
2013年03月15日(金)
成年後見人制度の裁判について
 ダウン症の女子高生が、成年後見人制度について語りました。私も今朝新聞で知ったニュースでした。

 私は後見人制度のことはよく知りませんでした。でも後見人を付けると選挙権が奪われるなんて許せないと思います。だからみんなががんばって法律を変えてくれてうれしいです。どうしてそんな法律ができたのか不思議だけどその間違いが認められて良かったです。ダウン症の人がどうどうと新聞に出ていてうれしかったです。ダウン症だって裁判の場に出られることも証明されました。ほんとうにうれしかったです。利害関係が少ないからでしょうか。出生前診断の時はあんなに悪く言われたのに夢のようです。なぜもっとダウン症の人に発言の機会を与えてくれないのかもっと私たちの意見を聞いてほしいです

 知的障害者の判断能力の問題が背景にはあります。今回の判決は、判断能力があるとかないとかにかかわらず、間違いであることをはっきりと告げていることにおいて、原理的な正しさを持っていると思いますが、事実問題として、想定されているよりもはるかに多くの人が判断能力を有していることがまだ見落とされていると思います。原告のダウン症の方は、まさしく自らの意志によってこの闘いをしたことは疑うべくもないことでしょう。新聞の写真のまなざしはそのような静かな強さを秘めたものでした。
2013年3月15日 22時35分 | 記事へ | コメント(0) |
| ダウン症の当事者 |
2012年12月21日(金)
母の死を越えて Nさんの思い 11月18日
 Nさんのお母さんが8月に亡くなられました。最後はお母さんと二人暮らしでしたから、Nさんの今後がたいへん心配だったのですが、おかあさんは、青年学級にだけは通えるようにしてあげたいとおっしゃっていて、弟さんの取り計らいで、何とか町田市内のグループホームにとどまることができました。9、10月とお会いすることができなかったのですが、11月、元気な姿を見せてくださいました。
 そして、まずパソコンで次のように書きました。

 ぎちぎちの気持ちで生きてきましたから母さんの晩年に喜びを与えることができてよかったです。小さい時からどうにもならないことばかりでわざわざ誰も僕たちに言葉があるとは思ってもくれなかったので理想的な方法に出会えてよかったです。わざわざ僕を理解しようとしてくれた青年学級の人たちは本当によい人たちだと母さんはごんごんと言っていました。人間として認めてくれたこの青年学級を絶対に続けられるようにと母さんは遺言をしてくれました。だから何とかなったけれどYさんが出て行ったあとというのが悲しかったです。

 最初に、Nさんがパソコンで綴った言葉をお見せしたとき、その文章をいとおしむようにご覧くださって、私は本当の気持ちが聞きたかったからと言って心から喜んでくださいました。そして、わかばとそよ風のハーモニーコンサートでは、Nさんが、ステージ上で実際にスイッチ操作をしながら気持ちを語ったことを大変喜んでくださり、誰が何といっても私はかまいませんからともおっしゃってくださっていました。
 毎回、青年学級の帰りのお迎えに来てくださっていて、たくさんお話をさせていただく時間はありませんでしたが、慈愛に満ちたまなざしを彼に向けながら、ごあいさつくださったお母さんの笑顔は忘れることができません。
 Yさんとは、同じく青年学級に通ってきたメンバーですが、彼女がいろいろな事情でグループホームを出て、遠い施設に入ることになってあきが出たのでNさんが入ることができたことをめぐる気持ちです。地域で生きることのむずかしさを思い知らされるできごとでもありました。
 Nさんは、ダウン症と呼ばれる障害があるのですが、続けて、昨今の出生前診断をめぐる議論についても気持ちを述べました。

 わざわざ人間であることを否定するなんて不思議ですが私たちも人間なのだから人間として見られたいですがよい存在として色々紹介されることも少ない中、ダウン症の人の問題だけが取りざたされるのはつらいです。人間だから絶対に許すことはできません。ご覧なさい、ぼくたちはこうして誇り高く生きていますという言葉をわかそよで言いたいです。

 Nさんとお会いしてから、もう30年近い時間が流れました。私とNさんの間にももうたくさんの思い出ができました。それらは、かけがえのない宝物です。お母さんとの間には、その何百倍もの思い出があったことでしょう。
 出生前診断を当たり前のこととして語る世の中の人々にも、こうした宝物のことを何とかして伝えられたらと祈るばかりです。
2012年12月21日 21時23分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / 出生前診断 / ダウン症の当事者 |
2012年12月13日(木)
出生前診断をめぐって 12月12日 ダウン症の少女の言葉
 ダウン症の当事者である10代の少女の悲痛な叫びです。

 犠牲的な話にとても胸が痛んでいます。小さいながら私たちは私たちらしく生きているのですが理解できないようなことが起こっています。利害しか考えない人たちは私たちは生きていない方がいいと言い始めました。理想は私たちも同じ人間だということなのですが私は冒険をする勇気がなくなってしまいました。人間として認められる日も近いと喜んでいたのもつかの間のことでした。わだかまりはなくなりません。わずかな希望は私たちにも何でも理解できる心があるということを伝えるやり方が見つかったことです。人間だから平等なはずなのに本当に許せません。小さい頃から何もわからないと言われて馬鹿にされていたけれど人間なのだから私は大きな声で叫びたいです。みんな同じいのちなんだと。人間として私たちは平等なのだから本当に許せないです。ぞっとするような言葉がたくさんテレビから聞こえてきて私はとても胸を痛めてきたけれどぞっとしているだけでは何も変わらないのでどうにかして訴えたいと思っていました。小さい頃からの夢がかなって本当にうれしかったけれどこんな事を書かなくてはいけないのが悲しいです。黙ったまま言われっぱなしは耐えられません。どうにかしてランプの明かりがともるよう頑張りたいと思います。頑張る気持ちがようやく湧いてきました。自分たちの意見をどうにかしてマスコミに届けたいです。私たちも同じ人間だと。

 沈痛な面持ちで語り始めた彼女でしたが、内容の重さにもかかわらず、少しずつ眼が澄み切ってゆき、語り終えたときには、安堵の表情を浮かべていました。
2012年12月13日 23時59分 | 記事へ | コメント(0) |
| ダウン症の当事者 / その他 |
2012年12月02日(日)
出生前診断をめぐって ダウン症当事者
 初めてお会いした小学校4年生の少女の言葉です。会話も可能な方ですが、ずっとうつむきながらパソコンに向かう彼女のからだじゅうから悲しみがあふれ出していました。 

 だまってばかりでずっとつらい思いをしてきましたがようやく聞いてもらえます。私たちはダウン症と呼ばれてつらい思いをしてきました。なぜ私たちが生まれてこないほうがいいなどと言う人がいるのでしょうか。ほんとうに悲しいです。涙もかれはててしまいました。ばかにされるならまだしも生まれてこないほうがいいなんて許せないです。わずかな希望はこうして私たちの気持ちを聞いてくれる人が現れたことです。長い間待ちこがれていました。でもこんなやりかたがあるなんて夢のようです。わかってほしかったのは私たちにも同じ気持ちがあるということです。ばかにされてきたけれどばかにされるようなことは何一つしてきませんでした。みんな同じ人間なのに許せません。亡くなってしまった生まれる前の仲間たちに私はよい祈りを捧げたいのですがなかなかきれいな気持ちがなくなりそうで困っています。みんなの気持ちを私は大事にしながらこれからも生きていきたいと思います。ごめんなさい悲しいことばかり書いて。だけどきょうはどうしても書きたかったです。ありがとうございました。言いたいとが言えて気持ちが落ち着きました

 小さな小学生の胸を、社会がよってたかって苦しめている、今,
この日本で起こっているのは、そういうできごとだと言わざるをえません。出生前診断をめぐる議論は、この少女の悲しみを知った上でなされなければいけないと思います。今、マスコミなどは、こうした少女の悲しみに、あえて耳をふさごうとしているようにさえ私には思われてきますが、これもまた、こうした彼女たちの声に、正しい意味での「市民権」が与えられていないからなのでしょう。なかなか届かない声ですが、私は、発信し続けたいと思います。
2012年12月2日 01時00分 | 記事へ | コメント(0) |
| その他 / 出生前診断 / ダウン症の当事者 |
出生前診断について 11月18日
 青年学級のみんなのあかりコースでの議論のうち、パソコンで綴られたものです。出生前診断について訴えていくための歌をつくろうということになり、その歌詞の材料としてみんなが出し合った言葉です。

気持ちがあるのにわかってもらえず 
ぼくはなんども泣きたくなった
だけどぼくらも人間だ
未来はろうそくのあかりのように
光り輝いている
だからみんなで叫んでみよう
ぼくたちもおなじ人間だと

地震のときにがんばったのに
もうみんな忘れてしまったのか
理解されたと思ったのはつかのまのことだった
人間としての最低の尊厳さえなくなったこの世の中は
望みさえなくなった暗闇の世界だ
敏感な人にはどうしても
生きていてはいけないという声が聞こえてしまう
だからぼくたちは人間としての絶望から立ち上がるために
もう一度理想をどうにかして訴えなくてはならない

知らないうちに未来が閉ざされてしまった
ぼくたちは理解されないだけでなく
生きていてはいけないということになってしまいそうだ
理解される世の中だけでもたいへんなのに
よいいのちと悪いいのちという区別をなくすことは
もっとむずかしいことだ

小さい涙ががすっと流れた
みんなをなきものにするという
人間としての尊厳を
ふみにじってしまう冷たい言葉に
人生を否定された
われわれが生きていける場所は
もうどこにもなくなりそうだ

人間としてのみんなの尊厳を
ごんごんと湧きいずる清水のように
訴えていかなくてはならない
私たちをなきものにしようとする社会は
だれもがわかりあっていける社会の否定だ
もうじき夜明けがくると思っていたけれど
夜明けはまだどこにもその気配さえ見られなくなった

小さい涙が流れたという歌にしましょう
そこから歌にしよう

人間としてのわだかまりがやっととけそうなのに
またつきおとされた感じです
わだかまりをなくしたいです
理想をなんとかしてとりもどしたいです
人間としてのわなにおちてはいけないとおもいます
理想を高くかかげよう
りそうをつよくかかげよう


 そして、この議論のあいだ中、机につっぷしてまるで寝ているように見えたダウン症当事者の女性がいました。しかし、彼女が寝ているはずはありません。彼女にパソコンで話をしていただくのは初めてでしたが、あえて、そこで、パソコンで話しますかと尋ねてみました。すると力強く首を縦にふって、こんな文章を書きました。 

 私はダウン症なので今回のことではとてもつらい思いをしました。なぜならもう生まれないほうがいいと言われたような気がしたからです。でも私たちも同じ人間だということをもっと大きな声で叫びたいです。小さい時からもんもんとしてきましたが私たちをなきものにしたいというのは許せません。だから私は勇気を出して言いたいです。私たちも同じ人間だと。おんなじ空気をすっておなじ水をのむおなじ人間ということを。おんなじ血がからだに流れているおなじ人間なのだと。人間という言葉がこれ以上こわされないように。

 当事者の悲痛な叫びです。こんなにも人を悲しませていることに耳をふさいで、私たちの社会はとんでもない方向に舵をきってしまったと言わざるをえません。
2012年12月2日 00時40分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / 出生前診断 / ダウン症の当事者 |
2012年09月22日(土)
出生前診断について 〜「ダウン症」当事者からの発言〜
 出生前診断をめぐって、ダウン症の当事者からの意見をいただきました。彼は20才を過ぎたばかりの若者です。肢体不自由も重度で、3年前まで言葉で気持ちを伝えることができませんでした。そんな彼が、しだいに俳句に興味を持ち、毎回、たくさんの俳句を作って私を待ってくださるようになりました。しかし、今回は、俳句よりも先に言いたいことがあるということで、次の文章が書かれました。
 当事者自身の、悲痛な叫びです。

 わずかなあかりがみえた震災からまだ何年も経っていないというのに何と情けない国になってしまったのだろう。僕たちダウン症の子どもはもう生まれない方がいいという議論が堂々とまかり通ってしまってもう僕たちは生きる権利がなくなってしまったも同然だ。よい意見に聞こえるものだってかわいそうな子どもたちという理解の上に語られているものだから僕たちにとっては同じことだ。それになぜ僕たちのことばかり言われなければならないのだろうか。私たち障害者の中でもなぜダウン症のことばかりが取りざたされるのだろう。もう僕たちには生きる場所さえなくなりそうだ。なぜならもう僕たちはもう少しでただの甲斐性なしのお荷物だということになってしまうだけでもう同じ人間だということが誰にも語られなくなってしまうだろう。だから僕は人間としての希望をなくしかけた。だけど僕にも人間としての尊厳がある。長い間話すこともできないまま人間として認められる日を待ち続けてきたけれどようやくそれがかなったと思ったとたんにこの騒ぎだ。僕たちの仲間が毎日殺されているという事実がたまらない。涙を流しても流し尽くせない悲しみが僕を襲っている。わずかな希望はこうして僕の思いが聞き取ってもらえたことだ。敏感な仲間たちはみんなとても悲しんでいる。そして僕は存分に叫びたい。僕も同じ人間だと。

 そして、さらに次の俳句が綴られました。

誰を没 誰を生かすと 悲しき世
忘れられ 葬り去られる 我が仲間
わが仲間 生まれることなく 涙する
未来消え 生まれるべきではないという
ばかばかし 微力なわれも抗議する
夏のゆき理想の消えて緑枯れ
わずかな理 われらも同じ人間さ
わずかな身 理想なくして ひとり泣く
夢も消え わずかともりし灯も消えぬ
よい報せ 届かず 船は座礁せり
地の果てに 追いやるごとき 世論 燃ゆ
理が勝てず 現実を見よと 空しき日
理の立たぬ 悶々とした日 夜深し
わだかまる 人間の違いが 否定され
名前さえ 呼ばれず 返事をすることもなし
僕の名は ダウン症かと 見まがう日
わずかな目 われを守れり 夏ゆきぬ


 
2012年9月22日 20時42分 | 記事へ | コメント(0) |
| 家庭訪問 / 出生前診断 / ダウン症の当事者 |