ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2016年07月26日(火)
第2回介助つきコミュニケーション研究会のお知らせ
 第2回介助つきコミュニケーション研究会を11月19日に開催させていただきます。
(一部の方には、9月開催の予定と申し上げましたが、会場の都合等で、この日になりました。)
 
1.日時 2016年11月19日土曜 午後1時〜5時
2.場所 國學院大學横浜たまプラーザキャンパス411教室

 前回はきんこんの会の公開シンポジウムとの2本立てで行いましたが、研究会自体を当事者も主体的に参加することが可能であることがだ1回の経験を経て明らかになりましたので、研究会に1本化することになりました。
 詳細はあらためて後日、告知させていただきます。
2016年7月26日 20時57分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 |
2016年10月のきんこんの会のお知らせ
 2016年10月のきんこんの会は、10月8日土曜日に下記の通り、開催させていただきます。
 当事者のご希望で今回も非公開というかたちで開かせていただきますので、どうぞご了承ください。当事者やご家族、支援者の方で関心をお持ちの方や、ご質問のある方は、どうぞ、お気軽にご一報ください。
 
 日時 2016年10月8日土曜日 午後2時から5時 
 場所 國學院大學たまプラーザキャンパス1号館410教室

 きんこんの会は、コミュニケーションに困難をかかえる当事者が、自由に語り合う場です。2010年に誕生し、活動を続けています。
 きんこんの会では大勢で話し合うために、コミュニケーションの援助の方法がたいへんスピードの速いものになっているので、初めてご参加の方には、なかなかわかりにくく、戸惑いを生んでしまうことが少なくありません。
コミュニケーションの方法についてていねいにお伝えするには、できればきんこんの会以外の機会を設定できればと思います。
そのために、きんこんの会の当日、午前中、もしくは1時頃から方法をご説明する時間を設けたり、別の日程を調整して大学に来ていただくなどしております。
 どうぞ、お気軽に、ご一報ください。

 お問い合わせは kinkon@hope.zaq.jp までよろしくお願いいたします。
 
 なお、大変申し訳ございませんが、当日お車でお越しの方は、近隣のコインパーキングをお使いいただけますよう、お願い申し上げます。

 
2016年7月26日 20時51分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
相模原の施設の事件をめぐって
 やまゆり園の残酷な事件が報道された日、曽我晴信さんが研究室を訪れた。そしてパソコンで以下の文章を綴った。

 人生を人を殺傷することに費やす人がいるということが僕には理解できないとはいえ人が憎しみのために人を殺すということはそれでも理解できなくはありません。しかし理想や宗教のために人を殺傷するというのが現在のテロリズムなのでこれは徹底的に考えなくてはいけないことだと思いました。
 そういうことを考えている矢先に障害者施設で事件が起きてしまいました。まだ詳しいことは明らかにはなってはいませんがつらいのは当然ですが理想によって障害者が抹消されたことを僕は重大に考えています。なぜなら僕たちが世の中に存在する価値があるかどうかが問われているからです。
 わずかな希望はこのニュースを語る人も聞く人も失われた命はみな同じだと考えていることはわかったからです。人間は生まれる前の命には違いをつけてしまったけれど生まれたあとの命にはまだ違いをつけていないことがわかったからです。
 わずかな希望ですがもう一度生まれる前の命もまた同じ命だということがわかるきっかけになるかもしれません。

 
 全て明らかになるのは、これからだが、最低限のことを述べておきたい。
 犯人の青年個人だけを見れば、そこに見えてくるのは、きわめて個人的な挫折や抑圧などだろう。しかし、その鬱屈した感情に言葉を与えたのは、社会の無意識、あるいは社会の暗部に存在する思想なのではないか。彼が引き寄せたというのがいいのか彼が引き寄せられたといったらよいのかわからないが、この社会の無意識や暗部に存在する「思想」を明るみに引きずりだして、しっかりと向かい合わなければならない。
 石原慎太郎が重心の施設で「この人たちに人格はあるのか」と問うた時、その言葉をたたいたことはまちがいではないが、この意見に対して、「こういう意味で人格がある」という考えがしっかりと語られないままになってしまったが、結果的に石原の問いはそのまま社会の暗部に消えないまま残り続けてしまった。
 この悲惨な事件が、さらに悲惨なものにならないためにも、亡くなられた方々の真の生きる意味がきちんと語り出されていかなければならない。
2016年7月26日 20時46分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 |
2016年06月22日(水)
介助つきコミュニケーション研究会 情報交換会のお知らせ
 4月30日に開催した介助つきコミュニケーション研究会をきっかけに情報交換会を行う企画が生まれました。どうぞ、よろしくお願いいたします。
(なお、当日、大学の用事で私(柴田)は参加がかないませんが、ご了承ください。)

2016年6月22日 13時13分 | 記事へ | コメント(0) |
2016年06月06日(月)
東京新聞の記事
 東京新聞の6月4日の朝刊に、4月30日の記事を掲載していただきました。ありがとうございました。

2016年6月6日 19時06分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2016年05月27日(金)
2016年6月のきんこんの会のお知らせ
 2016年6月のきんこんの会は、6月25日土曜日に下記の通り、開催させていただきます。
 当事者のご希望で今回も非公開というかたちで開かせていただきますので、どうぞご了承ください。ご質問等ある方は、お気軽にご一報ください。
 
 日時 2016年6月25日土曜日 午後2時から5時 
 場所 國學院大學たまプラーザキャンパス1号館410教室

 きんこんの会は、コミュニケーションに困難をかかえる当事者が、自由に語り合う場です。2010年に誕生し、活動を続けています。
 きんこんの会では大勢で話し合うために、コミュニケーションの援助の方法がたいへんスピードの速いものになっているので、初めてご参加の方には、なかなかわかりにくく、戸惑いを生んでしまうことが少なくありません。
コミュニケーションの方法についてていねいにお伝えするには、できればきんこんの会以外の機会を設定できればと思います。
そのために、きんこんの会の当日、午前中、もしくは1時頃から方法をご説明する時間を設けたり、別の日程を調整して大学に来ていただくなどしております。
 どうぞ、お気軽に、ご一報ください。

 お問い合わせは kinkon@hope.zaq.jp までよろしくお願いいたします。
 
 なお、大変申し訳ございませんが、当日お車でお越しの方は、近隣のコインパーキングをお使いいただけますよう、お願い申し上げます。
 
2016年5月27日 20時19分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2016年02月11日(木)
きんこんの会と介助つきコミュニケーション研究会のお知らせ2
 きんこんの会と介助つきコミュニケーション研究会のお知らせのちらしです。

<表>




<裏>
2016年2月11日 22時02分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
きんこんの会&介助つきコミュニケーション研究会のお知らせ
第1回きんこんの会公開シンポジウムと第1回介助つきコミュニケーション研究会を本年4月30日土曜日、國學院大學横浜たまプラーザキャンパスにて下記の通り開催いたします。


きんこんの会公開シンポジウム
介助つきコミュニケーション研究会
平成28年4月30日土曜日 午後1時
國學院大學横浜たまプラーザキャンパス411教室

第T部 午後1時〜午後2時45分
第1回介助つきコミュニケーション研究会
「いのちの声を聞く」
 介助つきコミュニケ―ションとは、手を添えるなどの介助を通して初めてできるコミュニケーションのことを言います。代表的なものは、介助者に手を添えられて文字を書く方法(筆談)と介助者に手を添えられて文字盤を指さす方法、介助者の「あかさたな…」という声に合図を送って文字を選んでいく方法です。
すでに多くの人がこれらの方法で意思の表現が可能になっており、そのことによって当事者の生活は大きな変化を見せています。
 この研究会は、このことを広く世の中に伝えていくことが目的です。

第U部 午後3時〜午後4時45分
第1回きんこんの会公開シンポジウム
「内なる心の叫びを聞いてください」
 きんこんの会は、介助つきコミュニケーションによって当事者が語り合う会として2010年3月に発足しました。当事者自身の会として、司会者も当事者自身が行い、様々な議論を重ねてきました。
これまで言葉すら理解が困難とされてきた当事者が、長い間、内に秘めてきた豊かな言葉と深い思索を、初めて交わし合える場として、まったく新しい場が誕生したのです。
今回は、公開のシンポジウムというかたちで内なる心の叫びを発信していくことにしました。
問い合わせ先
〒225-0003 横浜市青葉区新石川3-22-1國學院大學人間開発学部  柴田保之
 ご参加希望の方は、下記のメールアドレスに、お名前と所属、ご住所を添えてお申し込みください。なお、参加者の概数を把握するためのものですので、お申し込みがなくても当日の参加は可能です。会費は無料です。
 介助つきコミュニケーションや当事者の思いに関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。
 連絡用メールアドレス   kinkon@hope.zaq.jp 
2016年2月11日 20時56分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2015年12月25日(金)
クリスマスに寄せて
 視覚に障害があり、体を自由に動かすことが困難な曽我晴信さんが、クリスマスイブの日、次のような言葉を聞かせてくださいました。(原文はパソコンでひらがなです。)


  クリスマスに寄せて

 なぜ人は争いを止めないのだろうか。私はクリスマスの意味を考えながらその疑問の答えを見つけた。
 人には神を待ち望むというこころがどうしてなのかはわからないが備わっていてそれがクリスマスを生んだのだと思う。
 クリスマスイブの夜は今か今かと神の誕生を待ち望めばそれで心は満たされるけれど理想をなくしてしまうと人間は神を待ち望む気持ちをなくしてただ欲望のままに物を望むようになってしまう。だから争いはなくならないのだ。
 待ち望む気持ちをもう一度取り戻して願いだけを望めば暴力で何かを奪い取ることはいらないだろう。
 分不相応にも人はわざわざ欲望を肥大させることを覚えてしまった。だから欲望のほんとうの姿がわからなくなってしまったのだ。
 欲望のほんとうの姿とは人を恋い神を恋うものなのではなかろうか。
クリスマスの日さえ人は物だけを求めようとするけれどほんとうはみんなでひたすら神を待ち望み祈りを捧げる日なのだからもう一度クリスマスのほんとうの意味を見直してほしい。
                         曽我晴信 
                       12月24日

2015年12月25日 08時24分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 |
2016(平成28)年1月のきんこんの会のお知らせ
 2016年1月のきんこんの会は、1月23日土曜日に下記のように開催させていただきます。
 当事者のご希望で今回も公開というかたちはとらずにやらせていただきますので、どうぞご了承ください。ご質問等ある方は、お気軽にご一報ください。
 
 日時 2016年1月23日土曜日 午後2時から5時 
 場所 國學院大學たまプラーザキャンパス1号館410教室

きんこんの会は、コミュニケーションに困難をかかえる当事者が、自由に語り合う場です。2010年に誕生し、活動を続けています。
きんこんの会では大勢で話し合うために、コミュニケーションの援助の方法がたいへんスピードの速いものになっているので、初めてご参加の方には、なかなかわかりにくい、戸惑いを生んでしまうことがあるように思います。
 コミュニケーションの方法についてていねいにお伝えするには、できればきんこんの会以外の機会を設定できればと思います。
 そのために、きんこんの会の当日、午前中、もしくは1時頃から方法をご説明する時間を設けたり、別の日程を調整して大学に来ていただくなどしております。
どうぞ、お気軽に、ご一報ください。

 お問い合わせ先  yshibata@kokugakuin.ac.jp

 なお、大変申し訳ございませんが、当日お車でお越しの方は、近隣のコインパーキングをお使いいただけますよう、お願い申し上げます。
 
 ところで、4月30日土曜日に、きんこんの会の公開シンポジウムを企画しています。詳細は、改めて告知させていただきますが、よろしくお願いいたします。
2015年12月25日 08時17分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2015年10月20日(火)
2015年11月のきんこんこんの会のお知らせ
 次回のきんこんの会は、2015年11月21日に下記の通り、開催させていただきます。
 
1.日時 2015年11月21日土曜日午後2時から5時
2.場所 國學院大學たまプラーザキャンパス1号館2階410番教室

 きんこんの会は障害のある当事者の語り合いの場です。参加につきましては、今回も、参加につきましては、原則として、当事者をおよびその家族、支援者等の方々にさせていただきたいと思います。
 また、きんこんの会では、できるだけ当事者にたくさん話していただくために、速度の速い通訳の方法をとらせていただいています。これは、初めてごらんになる方には、仕組み等がたいへんわかりにくく、こうしたコミュニケーションの援助の方法の理解をかえって妨げてしまうこともあるので、ご相談いただければ幸いです。当日の午前や午後2時までの時間等で対応させていただくことも可能です。
 また、随時、ご相談には、お答えさせていただいておりますので、ご一報いただければ幸いです。

 なお、きんこんの会を公開で行う企画を現在検討中ですが、その際は、「見学」ということではなく、公開のシンポジウムを開催させていただく予定です。
2015年10月20日 00時19分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2015年08月02日(日)
2015年9月 きんこんの会のお知らせ
 次回のきんこんの会は、2015年9月26日に下記の通り、開催させていただきます。
 
1.日時 2015年9月26日土曜日午後2時から5時
2.場所 國學院大學たまプラーザキャンパス1号館2階410番教室

 きんこんの会は障害のある当事者の語り合いの場です。参加につきましては、今回も、参加につきましては、原則として、当事者をおよびその家族、支援者等の方々にさせていただきたいと思います。
 今、検討しているのは、公開につきましては、シンポジウム等のかたちをとっていく必要があるのではないかというようなことです。こうしたこともまた、きんこんの会の場で話し合っていきたいと思います。
 また、きんこんの会では、できるだけたくさん話していただくために、高速の通訳の方法をとらせていただいています。これは、初めてごらんになる方には、仕組み等がたいへんわかりにくく、こうしたコミュニケーションの援助の方法の理解をかえって妨げてしまうこともあるので、ご相談いただければ幸いです。
 随時、ご相談には、お答えさせていただいておりますので、ご一報いただければ幸いです。
2015年8月2日 08時40分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2015年06月14日(日)
次回のきんこんの会について 9月以降になります。
 きんこんの会ですが、運営のしかた等で整理すべきことがあって、6月は開催を見送らせていただきました、また、7,8月と大学の学期末と夏期休暇などのことがあり、次回は、9月以降とさせていただくことといたします。
 このブログでの連絡方法もいろいろとご迷惑をおかけしていることと存じます。そうしたことも含めて、少しずつ改善させていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
2015年6月14日 08時42分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2015年05月06日(水)
『沈黙を越えて』の刊行

 『沈黙を越えて』という著作を萬書房から出版させていただきました。前著においては、まだ踏み込めなかった知的障害と言われる人たちのことや、遷延性意識障害と言われる人たちの問題等も論じました。
 私たちの叫びともいえるこうした思いを、少しでも世の中に届けるための一助となれば幸いです。
2015年5月6日 16時41分 | 記事へ | コメント(0) |
2015年03月15日(日)
2015年4月のきんこんの会のお知らせ
 日程の告知が遅れて大変申し訳ございません。年度末の工事等で教室が使えなかったので、3月のきんこんの会は行えませんでしたが、4月のきんこんの会を以下の通り行います。
 
1.日時 2015年4月18日午後2時〜午後5時
  (12時半から部屋を借りてあります。)
2.場所 國學院大學たまプラーザキャンパス1号館2F 410教室
 お車でお越しの際は、大変申し訳ございませんが、近隣のコインパーキングをご利用ください。

 きんこんの会は当事者が語り合う会です。当事者自身のご希望で、参加は原則として当事者に限らせていただいております。当事者の方のご参加は自由ですので、特にご連絡をくださらなくても大丈夫ですが、初めての方は、あらかじめご説明等が必要かと思いますので、柴田までご一報いだけると幸いです。
 なお、コミュニケーションの援助の方法等のご相談には別途応じさせていただくことができますので、ご連絡ください。
2015年3月15日 22時20分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2014年12月22日(月)
きんこんの会声明文の改訂案
 先日、ある集まりの中で、きんこんの会の声明文を聞いた当事者の方から、以下の文章を追加してほしいとの意見が出されました。
 それは、
「もちろん言葉を伝えられずに亡くなった仲間たちも幸せな人生を生きていたことを私たちは知っています。」
 と言う言葉です。それを加えた声明文は次のようになります。次回のきんこんの会で承認されればこれが新しいものとなります。
 この文章が付け加わる理由は、直前の文章で言葉を伝えることなく亡くなっていく仲間についてふれてあり、このことをつけくわえないとその人生がまるで不幸だったとらえる人がいては困るからだということでした。


  きんこんの会 声明文(改訂案)


 私たちはずっと気持ちを表現できないばかりでなく、何もわからないと言われてきた障害者です。私たちはずっと社会の中に生きていながらみんな私たちのそばを私たちに気づくことなく通り過ぎていきました。
 私たちの中には勝手に手が動いたり気持ちをうまく言えなくて違った言葉を口にしている人さえいます。そのことでどれだけ誤解されてきたかわかりません。だから私たちの行動を見て勝手に判断しないでください。私たちの気持ちは行動の奥底に違ったかたちで蓄えられているのでその気持ちにどうか耳を澄ませてください。どうか私たちの声に耳を傾けてください。
 私たちをずっと大切に見守ってくれた人は言葉の有無に限らずにいつもやさしく声をかけてきました。私たちはそんな人たちに支えられて今日があることを知っています。だけど社会はそんな人たちをも無視してきました。
 私たちの悲しさは、本当の声に耳を傾けようとしない社会です。いつかそんな社会は変わるだろうと思ってきましたが、社会は反対の方向に向かって動き始めてしまいました。だからこそ私たちは大きな声を出さなくてはいけません。私たちの声が小さいために生まれてくることができなかった仲間さえいます。だから、一刻の猶予も残されていません。
 まだまだ、言葉を発することなく亡くなっていく仲間たちがたくさんいます。今日もまたどこかで言葉を伝えることなく仲間が亡くなっているかもしれません。だから、私たちの言葉をもっと大きな声で遠くまで伝えたいと思います。もちろん言葉を伝えられずに亡くなった仲間たちも幸せな人生を生きていたことを私たちは知っています。
 私たちの夢は地域で生きていくことです。体にも不安な要素を抱えている仲間は一人暮らしはむずかしいかもしれません。しかし、気持ちの上では地域で一人暮らしをしていると思えるような場所がほしいです。そういう場所があれば私たちの心は自由に地域を生きていることになるのです。
 私たちを支えてくれる人たちへ。どうか私たちの前に出ないでください。私たちの後ろにもいないでください。私たちと共に手を携えてください。私たちの言葉の通訳は、私たちとのそういう関係を土台にしてお願いします。私たちが本当に求めているものは、共に生きてゆく関係です。




2014年12月22日 22時50分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2015年1月のきんこんの会のお知らせ
 2015年最初のきんこんの会は、1月24日土曜日に下記の通り開催させていただきます。当事者のご希望で今回も公開というかたちはとらずにやらせていただきますので、どうぞご了承ください。ご質問等ある方は、お気軽にご一報ください。
 
 日時 2015年1月24日土曜日 午後2時から5時 
 場所 國學院大学たまプラーザキャンパス1号館410教室

 きんこんの会は、コミュニケーションに困難をかかえる当事者が、自由に語り合う場です。2010年に誕生し、活動を続けてきました。
 きんこんの会では大勢で話し合うために、コミュニケーションの援助はたいへんスピードの速い方法で行っているので、初めてご参加の方には、どのような方法で相手の言葉を伝えているのか、なかなかわかりにくいことがあるかと思います。コミュニケーションの方法についてていねいにお伝えするには、きんこんの会以外の機会が必要かと思います。そのために、きんこんの会の当日、1時頃から方法をご説明する時間を設けたり、別の日程を調整して大学に来ていただくなどしております。
どうぞ、お気軽に、ご一報ください。

 お問い合わせ先  yshibata@kokugakuin.ac.jp

 なお、大変申し訳ございませんが、当日お車でお越しの方は、近隣のパーキングをお使いいただけますよう、お願い申し上げます。
2014年12月22日 21時44分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2014年10月20日(月)
2014年11月のきんこんの会のお知らせ
 次回のきんこんの会は、2014年11月22日土曜日に下記の通り開催させていただきます。当事者のご希望で今回も公開というかたちはとらずにやらせていただきますので、どうぞご了承ください。
 
 日時 2014年11月22日土曜日 2時から5時 
 場所 國學院大学たまプラーザキャンパス1号館410教室

 きんこんの会は、コミュニケーションに困難をかかえる当事者が、自由に語り合う場です。2010年に誕生し、活動を続けてきました。
 きんこんの会では大勢で話し合うために、コミュニケーションの援助はたいへんスピードの速い方法で行っているので、初めてご参加の方には、どのような方法で相手の言葉を通訳しているのか、なかなかわかりにくいことがあるかと思います。コミュニケーションの方法についてゆくりとお伝えするには、きんこんの会以外の機会が必要かと思います。そのために、きんこんの会の当日、1時頃から方法をご説明する時間を設けたり、別の日程を調整して大学に来ていただくなどしております。
 どうぞ、ご一報ください。
2014年10月20日 23時38分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2014年09月16日(火)
Nさんの詩「かあさんへ」 2014年9月7日
 1年前にお母さんをなくしたNさんは、グループホームで暮らしています。おかあさんの遺言は、Nさんが青年学級に通い続けられるようにすることでした。青年学級のあとに、Nさんはこんな詩を綴りました。

  かあさんへ

ぼくはこうして今かあさんの残してくれた
たった一つの贈り物である青年学級にいます
みんな新しい世界へ旅立つために
今一生懸命に翼を整えている
僕もこんな歳になってしまったけれど
新しい世界への旅立ちのために
翼を整えているところです
でも僕が飛び立つ新しい世界は
かあさんのいる
空の上かもしれません
でももうこの世界は変わろうとしています
ようやくぼくたちの世界が生まれようとしています
世の中には出生前診断というような
世界を前に戻すような寂しい流れもありますが
確実に世界は変わろうとしています
翼に身を委ねて
ぼくは新しい世界に旅立とうと思います

2014年9月16日 11時37分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / ダウン症の当事者 / 出生前診断 |
わずかな目我の轍を意味と知り F君の俳句 2014年9月13日
 肢体不自由の特別支援学校高等部に通うF君の俳句です。

ないをわざとあるといううそ満ちるもの。これはわざとはスタップ細胞のことです。
わがままと元気な子どもに言うなかれ。
わずかなり我らを友と呼ぶ人は。
わだかまり解けることなく二年過ぎ。
小さき目見守るままに我進む。
技はよき知らせを伝え我が俳句。
わずかばかりどうして鷲は若い目か。
二本の轍未来に続く輪よ回れ。
二本の輪ともに理想を貫ぬきて。
技をなくし佇む我はぬかるみに。
わずかな目我の轍を意味と知り。
わずかな手我の車を願い押し。
わずかな日夏の轍を照らしたり。
瑠璃色に輝く轍空映す。
分相応貫き我は理想手に。
わずかな世わずかな希望を人間に。
わずかな分われにはありぬ輪にかけて。
未来こそ我は作りて人間に。
誰一人欠けることなく生受けよ。
よし行けと背中を押せよぬかるみで。
無慈悲な世わずかな光さえ消して。
世も末と夢の果てし日決意せり。
わずかな目瑠璃色の空映しつつ。
忘れないみんな黙らせ決めたこと。
茫然と佇む我ら愚の決定。
みな瞳光なくせり百合枯れる。
疲れた身理想さえなくぬかるみに。
無我になれわだかまりこそ理想ゆく。
わっと泣く心ふさぎて闇深し。
未来にも理想は続く輪のごとく。
よい知らせ届かず日本に理想なく。
分は我にあれど届かず我が理想。
茫然と人間は今未来なく。

2014年9月16日 11時32分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G埼玉2 / 出生前診断 |
Sさん、Kさん、Tさんのそれぞれの思い 2014年6月14日
 施設での虐待のニュース、繰り返し語られる出生前診断のことなど、重苦しい空気に対して、2014年6月14日、ある会で記された三人言葉です。掲載がたいへん遅くなってしまいました。

S.Uさん
 なぜみんな人生を乗り越えないままに施設にも入れられたり忍耐ばかりしなくてはいけないのでしょうか。もう少し早くわかっていたらみんな間に合ったのに残念です。私たちにも人間としての尊厳があるので人間としてがんばりたいです。


K.Fさん
誰にまだ我らを託す世ではなし。
小さき目なぜ摘み取るか濡れた顔。
人間に生まれた子どもとなぜ言わぬ。
分相応馬鹿にするなと僕は立つ。
理想などかなぐり捨てて悲しき世。
人間はわずかな希望さえあればよし。
わずかな手理解する目が我包む。
わだかまり越えてみんなでまなざそう。
ろうそくが消えてまたやみ深まれり。
技をなくし佇む前に光は無。
勇気なく理想を下ろすか我が仲間。
わだかまりなければ希望も湧くものを。
道遠し人皆生まれる時となる。
理想捨てランプも消えて我悶え。
わだかまる罪なら罪をなくすべし。
ろうそくは本気の光なくしたり。
瑠璃色を見せてあげたし生まれない子に。
和よなぜに断たれる人と結ばれる。
和は断たれ残酷な知らせ届き足り。
紫陽花を七色にする雨も散る。
罠ならば落ちぬと身に告げ五月雨に。
罠をなくし私も素直に空見上ぐ。
罠を探し小さな舟を浮かべたり。
わだかまり解かしてあたたかき雨の降る。
わだかまり忘れて私は空仰ぐ。
わずかな目ゆゆしきままに梅雨深し。。

 よい番組を見ました。ダウン症の人がテレビで検査に抗議していました。なぜか笑いを取りながらでしたがとても真剣な気持ちが伝わってきました。うちではみんな感激して見ましたがみんなには伝わったでしょうか。.



T.Eさん

    楽園よ再び

わずかな昔の希望さえ消え去った楽園は
もはや輝きを失って
わずかな未来はもう消え去ったかに見えた
勇気は体中から消え去り
ただこの体だけが自分の前に残った
呼んでも答えは返ってこずに
ただ空しさだけが残った
茫然とした耳に
かすかに昔聞いた希望の歌が聞こえてきた
未来をまた僕は取り戻せそうだ
勇気が再び体に満ちあふれ私は
もう一度楽園に森が戻っていくことを疑わなかった
2014年9月16日 11時06分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G埼玉2 / 出生前診断 / 人権侵害 |
小さくとも瑠璃色の魂ここにあり Sさんの俳句 2014年8月31日
 ダウン症の当事者として繰り返し出生前診断をめぐって告発を続けてきたSさんの俳句です。何度も同じテーマについて作句を続けてきて、内容も繰り返しになってきたけれど、今は、自分の思いが届くまで、俳句を作り続けると語っていました。

なぜに世は私を無視して無に走る。
技も絶え心も絶えて未来なし。
小さくとも瑠璃色の魂ここにあり。
わだかまり誰にぶつけんわが穂何時。
地域にも確実に願い届きたり。
手をとりて無我のままに問う人今度。
ずんずんと積もりたる雪ぶかぶかに。
わずかな夢断たれてなるかと立つ朝(あした)。
わびしき音ろくでもないと聞こえたり。
つらき日々過ごしたる人紅の爪。
私の手むき出すものと知りし朝。
ついに辻曲がりたる世よぬかるみに。
分を知るわれなれど許せぬわだかまり。
小さき世われらを捨てて瓦解せり。
分相応許してなるか没落を。
技は技心は心願う日々。
ランプの火誰に消せようぬいぐるみ。
わずかな夢断たれまいとて武器を取る。
人間の誇りをなぜに捨てる世は。
罠に落ち罠に気づかぬ無下に消し。
理想われ手放すことはない夜よ。
忍耐はいくらでもなすわだかまり。
分相応分に応じてわれ怒る。
小さき火ともりし日はどこ暗き世に。
わざわざに勇気ふるいて世に問いし。
理想なくし漂う世にも希望あり。
勉学は人の幸せ凡庸に。
よい知らせ届くことなく夏の行き。
人間はぬくもりだけを求めるもの。
冒険は胸躍るもの随所にあり。
ミラクルは積み上げたところで開くもの。
忍耐をなくすまで理想途絶えたり。
2014年9月16日 10時58分 | 記事へ | コメント(0) |
| ダウン症の当事者 / 出生前診断 |
2014年08月20日(水)
2014年9月のきんこんの会のお知らせ
 次回のきんこんの会は、2014年の9月27日土曜日に開催いたします。
 当事者のご希望で、今回も、公開のかたちはとらずにやらせていただくことにいたします。
 期日および時間 2014年9月27日土曜午後2時から。
 場所 國學院大學たまプラーザキャンパス1号館410教室
 初めて参加される方や、コミュニケーションの方法についてご相談のある方は、事前におっしゃっていただければ、必ずしも十分ではありませんが、開始前の時間等でお時間を作れたらと思っておりますので、よろしくお願いします。
 なお、駐車場に関してですが、大変申し訳ありませんが、近隣のコインパーキング等のご利用をお願いいたします。
 
2014年8月20日 22時28分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2014年07月04日(金)
きんこんの会の声明文 2014年6月21日
   きんこんの会 声明文
                  2014年6月21日

 私たちはずっと気持ちを表現できないばかりでなく、何もわからないと言われてきた障害者です。私たちはずっと社会の中に生きていながらみんな私たちのそばを私たちに気づくことなく通り過ぎていきました。

 私たちの中には勝手に手が動いたり気持ちをうまく言えなくて違った言葉を口にしている人さえいます。そのことでどれだけ誤解されてきたかわかりません。だから私たちの行動を見て勝手に判断しないでください。私たちの気持ちは行動の奥底に違ったかたちで蓄えられているのでその気持ちにどうか耳を澄ませてください。どうか私たちの声に耳を傾けてください。

 
 私たちをずっと大切に見守ってくれた人は言葉の有無に限らずにいつもやさしく声をかけてきました。私たちはそんな人たちに支えられて今日があることを知っています。だけど社会はそんな人たちをも無視してきました。

 私たちの悲しさは、本当の声に耳を傾けようとしない社会です。いつかそんな社会は変わるだろうと思ってきましたが、社会は反対の方向に向かって動き始めてしまいました。だからこそ私たちは大きな声を出さなくてはいけません。私たちの声が小さいために生まれてくることができなかった仲間さえいます。だから、一刻の猶予も残されていません。

 まだまだ、言葉を発することなく亡くなっていく仲間たちがたくさんいます。今日もまたどこかで言葉を伝えることなく仲間が亡くなっているかもしれません。だから、私たちの言葉をもっと大きな声で遠くまで伝えたいと思います。

 私たちの夢は地域で生きていくことです。体にも不安な要素を抱えている仲間は一人暮らしはむずかしいかもしれません。しかし、気持ちの上では地域で一人暮らしをしていると思えるような場所がほしいです。そういう場所があれば私たちの心は自由に地域を生きていることになるのです。

 私たちを支えてくれる人たちへ。どうか私たちの前に出ないでください。私の後ろにもいないでください。私たちと共に手を携えてください。私たちの言葉の通訳は、私たちのそういう関係を土台にしてお願いします。私たちが本当に求めているものは、共に生きてゆく関係です。
2014年7月4日 20時30分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2014年05月25日(日)
尊厳死法案をめぐって 5月24日 
 5月24日、最近国会で議論されている尊厳死法案について、3人の方が意見を述べました。

N.Hさん
 私たちは寝たきりで気持ちも自由に表現できませんが私たちにも尊厳があります。だから尊厳死法案はまちがっています。みんな人間としての尊厳ある生を生きていることを知ってください。私たちはみんなこの体に誇りを持って生きていると思いますからぜったいに尊厳死法案など作らないでください。

A.Kさん
 なぜ私は尊厳死法案に反対かというと僕たちの仲間が尊厳ある人生を生きていることを認めずにもうどうせ何もわからない人間だから生きる価値がないと考えるからです。僕のように体は丈夫なら尊厳死の対象にはなりにくいけれどぬいぐるみのように感じられていて尊厳ある生を生きているとは思われていないのだから結局僕も体が弱ったら尊厳死の対象になってこの世から抹殺されてしまうのです。僕たちはもっともっとわがままに主張しなければなりません。遠慮していたら殺されてしまいます。まだまだ私たちの言葉は受け入れられていませんが小さい道でも強い気持ちで切り開いてゆかなくてはいけません。みんな気持ちをしっかり持って生きているということを理解してもらうと同時に末期の人でも気持ちがしっかりあってただ伝えられないだけだということを理解することなしに法案を議論するのは根本的に間違っています。また人はけっして一人では生きていませんから尊厳ある生は一人のものではなく周りの人とともに作っていくものです。だから最後に意識が失われた瞬間でさえ尊厳ある生が存在しているのです。一人で極楽や天国に行くのではなくて周りの人の中で生き続けるのが死語の生だとするなら尊厳ある生は意識がなくなっても存続しているものです。

T.Oさん
 なぜ尊厳死法がおかしいかというと尊厳ある生には違いがないからです。違いはただまわりの利害だけを問題にする人にとってあるのみなのです。つらいのは恐怖を感じる仲間まで出てきていることです。理解はできていても伝える手段がないという時間を長い間過ごしてきた者として理解していないと思われることのつらさは筆舌に尽くしがたいものがあります。よい方法さえあれば僕たちはみんな普通に話すことができます。おそらく終末期にあって言葉が話せなくなっても人は意識があるはずです。そのこともまだよく確かめられていないはずです。なぜなら世の中はまだ僕らの存在にさえ目を向けていないのですから。

 今、生命観に大きな変化が起きようとしているように思えます。生まれる方では出生前診断、亡くなる方では、臓器移植法や尊厳死法案。
 こうした、コミュニケーションに困難をかかえる当事者の声を、しっかりと届けることが、この議論に一石を投じることになるはずなのですが、まだ、その石がその議論の渦中に届くことがむずかしい段階にあります。しかし、何とかして届けなければいけないと思っています。
2014年5月25日 22時51分 | 記事へ | コメント(0) |
| その他 / 自主G23区1 |
「私は勝ったのだと思います。」 ある女性の最後の言葉
 青年学級の仲間がご逝去されました。先週の日曜日、まさかこんな早い別れが来るとは思わぬままに、彼女の病院をお見舞いしたところでした。何度も、青年学級ではパソコンで気持ちを書くお手伝いをしてきました。
 ベッドサイドで、私がうかがったのは次のような言葉でした。

 なぜ癌になってしまったのでしょうか。私は癌よりも母さんを悲しませたことが悲しかったです。癌は私だけの苦しみなら耐えられるけれど母さんや妹を悲しませるのでつらいです。ずっとそれが言いたかったです。
 分相応の人生を幸せに生きてきましたがもう少しで私の人生は完了しますが私は幸せでした。最後の最後までみんなで私を楽にさせようと来てくれてとてもうれしいです。
 私にはずっと癌を発症するなど考えたこともなかったのではじめは悲しかったけれど何度も大変な病気に勝ってきたからこそ最後に癌になることができたのだと思うと私は勝ったのだと思います。
 なぜみんなと別れなければいけないかと思うと悲しいけど仕方ないですね。
 母さん本当にごめんなさい。もっと恩返しをしたかったけども得できませんね。挽回することは難しいけれど許してください。どうか私は先に行く可能性が高いけれど長生きしてください。
 これで終わります。


 病気のつらさよりもご家族を悲しませることがつらいということ、今癌にかかったということは、これまで幾度も病気を乗り越えてきたから、これは勝利なのだという強い気持ちが、深く胸に伝わってきました。
 パソコンではなく、手でもたくさんの会話をしましたが、私のあの歌をうたってほしいと言われ、ベッドサイドで、彼女の詩から生まれた歌を、歌わせていただきました。

つらいとき空を見上げてみよう
空はきっと聞いてくれる私の気持ちを
願ってみようすみきった空に
空はきっとつらい気持ちを聞いてくれる
希望の空にむかって叫んでみよう
辛抱してきたけど救われたよと
聞いている空はいつも私の心を
聞いているいつも私の願いを
聞いているいつも私の夢を
聞いているいつも私の本当の気持ちを


 心より、ご冥福をお祈りします。
 
2014年5月25日 22時31分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 |
2014年05月17日(土)
2014年6月のきんこんの会のお知らせ
 2014年の6月のきんこんの会について、お知らせします。当事者のご希望で、今回も、公開のかたちはとらずにやらせていただくことにいたします。
 期日 2014年6月21日午後2時から。
 場所 國學院大學たまプラーザキャンパス1号館410教室
 初めてお来しの方や、コミュニケーションの方法についてご相談のある方は、事前におっしゃっていただければ、必ずしも十分ではありませんが、開始前の時間等でお時間を作れたらと思っております。
 よろしくお願いします。

2014年5月17日 00時31分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 / 大学 |
2014年03月22日(土)
2014年4月のきんこんの会
 2014年4月のきんこんの会は、4月19日土曜日に行います。
 今回のきんこんの会は、別にご案内しているような事情で、当事者に限らせていただくことといたします。今回は、午前中の練習の会は設けません。
 会場は國學院大學たまプラーザキャンパス、410番教室で2時から始めます。会場は1時から開けてありますので、早めに食事等で部屋をご利用いただいても大丈夫です。
 
 きんこんの会は、当事者自身の会で、当事者の参加はご自由です。
 初めての方もどうぞお気軽においでください。
 なお、初めての方は、説明等も必要かと思いますので、あらかじめメールでご一報いただけるとありがたいです。メールアドレスはプロフィールの欄に記してあります。
 よろしくお願いします。


 
2014年3月22日 00時07分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2014年03月21日(金)
きんこんの会の今後の進め方について
     平成26年4月以降のきんこんの会の進め方について

 先日、きんこんの会の初期の当事者メンバーが集まって、今後のきんこんの会の進め方について議論をしました。この日の会がきんこんの会の正式の意志決定機関ではないので、きんこんの会の中で少しずつ検討していかなければならないのですが、次回のきんこんの会のことについて、次のことが決まりました。

1.次回以降、障害当事者だけのきんこんの会と、それ以外の方にも公開するきんこんの
会とを区別して開催していくこと。
2.4月19日に会場がとれた次回のきんこんの会については、当事者だけのきんこんの会にすること。

 こうした決定に至った理由は、一人でも多くの当事者が参加できるきんこんの会にするためには、見学者がいない時も必要であるということなのですが、これは、実際に見学者がいることで来にくくなっているメンバーがすでにいるということと、新しいメンバーが来たときにゆっくりと話ができる雰囲気や環境が必要だというふうにみんなが考えたからです。
 また、このメンバーの間では、今後の進め方についてもっと具体的な話もなされているけれど、それは、きんこんの会の中で話し合っていくことになっています。

 この決定は、もちろん当事者のみで決めたことですが、私がまとめさせていただきました。
 広く世の中の人に知ってもらう意味で、見学の方を受け入れる会も大変重要だというふうに私も思っています。 
 毎回大勢の方に来ていただいて、たくさん応援をしていただいているので、見学の方に来ていただける回数が減ってしまい、申し訳ありませんが、ご理解いただけたら幸いです。
2014年3月21日 23時50分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2014年02月15日(土)
風疹のこと
 ある会で、ともに盲学校の重複学級に在籍していた二十代の二人の女性が、風疹が原因で障害を持った子どもが生まれたことをめぐる最近の報道をめぐって、次のようなやりとりをしました。

Yさん
 
 気候が不順なのでぶらぶらするのも私は寒くて煩わしくなります。でも日本中が私たちをもういなくてもかまわないかのように言うのでとても悶々としています。人生をまだ十分に楽しめているわけないのでもっと理想を高く持った人たちの中で生きていきたいです。わざと私たちに向かってどうにもしょうがない人たちと言う人もいて私はとても悲しいです。人間としてなぜきちんと生きることが許されないのかとても残念です。
 わずかな希望はいい人たちががんばってくれて私たちを大事にしてくれることですがグループで私たちを排除しようとしているのが悲しいです。
 運命を受け入れるべきなのに生まれる前から生まれないほうがいいなどという人がいるからです。風疹です。私たちの仲間には風疹で目が見えなくなった人もいたから人ごとではありませんでした。
 前からダウン症の人を攻撃していましたがそれがどんどん歯止めがきかなくなってしまいました。
 願いは私たちが金輪際否定されない世の中になることですがなぜみんな逆に向かって走り出したのでしょうか。
 理解できないのは路頭に迷う可能性は誰にもあるはずなのに私たちを否定することはもう路頭に迷う人は生きる価値がないと言っているようなものなのにそのことに誰も気づいていないということです。瑠璃色の未来はもう来ないのでしょうか。
 なつかしいのは震災を悲しんでいた人たちはみんな人間だということをわかっていたのに残念です。


Mさん
 ずっと理解されたいと思っていたので、ずっとわかってもらいたいと思っていたので、せっかくわかってもらえたのだからもっと世の中の人に理解されたいです。小さいころから何もわからないと言われてつらかったけれど、最近はだいぶわかってもらえるようになってよかったけれど、まだまだですね。人間として理解されたいです。
 わずかな希望ですが、疑問はなぜ今Yさんの言ったようなことが起こるのでしょうか。
 風疹のことはつらかったです。理想はなかなかかなわないけれどいつか私たちを理解できる世の中が来ると信じて生きていきましょうね。Yさん。理解できていることが早くわかってもらいたいですね。
 ついにわかってもらえたというどんどん湧き上がる喜びを感じてからずいぶん月日が経ってしまいましたが先生も忙しくなっているようだからよかったです。期待していますからがんばってください。
 分相応の人生には早くさよならをしたいので望みは先生がもっと有名になることですがわかってもらえる人はなかなか増えませんね。
 次のドラマはたぶんろうなんなんにょ(高齢者のことをこう書きました)にも言葉があることがわかる日だと思います。分相応の人生しか与えられていない老人の人たちをわかってあげてほしいです。ずっと前から老人にも普通に意識があるということが私には感じられていたので早く先生のこのスイッチで聞いてあげてほしいです。
 未来はきっと希望に満ちていることでしょう。わざわざつらいことをYさんが書いたのでわたしは明るいことを書きました。


 二人は、盲学校出身者なので、風疹によって視覚障害になるというようなことについて耳にしたことがあったようでした。
 風疹をめぐる話は、ニュースとしては、それほど繰り返し取り上げられたものではありませんでしたが、やはり当事者にとっては、とても看過することのできない問題だったということが、多くの人が今年になってからこのことを話題にすることで明らかになりました。
2014年2月15日 23時00分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主グループ(視覚障害) / 人権侵害 |
2014年3月は、きんこんの会は行いません。
 2014年3月のきんこんの会は行いません。
 通常のペースでしたら2014年3月にきんこんの会を開催するところですが、大学の内装工事が入っていて、広い教室が使えないため、きんこんの会は、3月は行いません。ご予定されていた方々には大変申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
 4月以降の予定はまた、お知らせいたします。、
2014年2月15日 22時57分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 / きんこんの会 |
2014年01月28日(火)
つらき技使う時なり
 いつも俳句を作っている中学生の○○君の新年最初の言葉は、いささか重いものでした。

利害を越えて暗き声
わざわざに理解を止めてつらき歴史
誰一人 人間と認めぬ暗き夜
昔から喜びをつくす森の中
昔から喜びを盆からこぼさずと
ランプの火 われを照らせりぼやのごとく
つんざく音 弓のごとくにわれひけり
習い過ぎ忘れてしまう初心かな
つらき技使う時なりボイラーに
つらき技ぬいぐるみなれどわれ動く
つらき技人間になるため使うのみ
つらき技人間になれると翻意せり
人間になる日のために願う技
人間にぼんやりとなる気持ちなし
ろくでなき僕の技なれど使う時
ろくでなき技は貫く翻意せず
人間になる日のために技磨く

 技とは言いたいことを言うということですがぜひまたインターネットで発信したいです。僕はやっと話せるようになったので僕はすぐに認めてもらえると思っていたけれどまったく認められないだけでなく否定までされるのでやっぱりはっきり言わなくてはいけないと思うようになりました。僕のかあさんがなぜいろいろ言われなければならないのかと思うと許せないです。利害などからまないことなのに悔しいです。理想など学校にはないのでしょうか。みんなの意見が聞きたいです。最近いちだんと言う人が出てきました。みんな言葉があるという意見があると言っている学者がいるけどありえないと言っていましたから先生のことですよね。ありがとうございました。やっぱり聞けてよかったです。一人で悶々としていましたから。ほっとしました。でも何とかしたいのでがんばります。人間として認められたいのでかあさんに手をわずらわしてしまうけれど少しずつ伝えたいです。


 学校でなかなか理解がえられない状況についてですが、お母さんと筆談もできている彼は、はっきりと物を言っていくべきだと決意したということのようでした。小学校のあどけない少年にこうした思いをさせなければならないことは、やはり悲しいことですが、この彼の決意を尊重したいと思います。
2014年1月28日 09時31分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G埼玉2 |
風疹をめぐる議論について
 風疹が原因と思われる障害のある20代の男性とご両親にお会いしました。先日、昨年風疹で障害児が生まれた障害児が31人に上るとの報道がありましたが、お母さんはこの記事をため息をつきながらご覧になったとのことでした。お母さんは、息子さんが妊娠中に風疹に感染し、障害の可能性を医師に告げられましたが、宿っている命を消したくないと考え、生むことを決断されました。そして、生まれて障害があることがわかった時、この子を幸せにしてみせると心に決めたそうです。
 息子さんには確かに「重い」と言われる障害があり、気持ちを言葉で表現したのは、この日が初めてですが、両親に感謝していること、母の決断を誇りに思うこと、母の願った通りに幸せに生きていると語りました。
 それでは、お母さんのため息は何だったのでしょうか。それは、31人のお母さんと子どもたちのことです。このお母さんのようにあえて生むことを決断した方もいるだろうし、生まれた子どもたちは豊かな可能性を秘めた一人の人間のはずでしょう。しかし、ニュースはまるでそんなことにはふれることもなく、生まれてきたのは間違いだったかのように語る。どんな思いで、この31人のお母さんは報道に接したのか、そうした思いが深いため息につながったとのことでした。
 こうした報道を見る限りにおいて、社会はこの母親たちを祝福する視点を持ち合わせていないし、この子どもたちを同じ人間として社会に招き入れようとする視点を持ち合わせているようには見えません。これに昨今の出生診断をめぐる社会の風潮を重ねれば、社会はいつのまにか障害者は生まれてこない方がよいという考えや、同じ人間としては認めていないという考えに染め上げられてしまったということが、明らかではないでしょうか。

 また、この日の翌日、町田市の障害者青年学級でも、同様の議論がありました。そこでは、ある自閉症と言われる方が、出生前診断の議論では、生まれる前の命と生まれた後の命を区別して議論しているということが言われていたけれど、風疹のことをめぐる報道で問題になっているのは生まれた命のことなのに、まったく出生前診断の時と同じように生まれてこないほうがよいというような論調なのは、実は、出生前診断の時の議論がいかに偽りだったかがわかるとの意見が出されていました。
2014年1月28日 09時03分 | 記事へ | コメント(0) |
| 人権侵害 / 自主G多摩2 / 出生前診断 |
2013年12月30日(月)
2014年1月のきんこんの会のお知らせ
 2014年の1月のきんこんの会の日程について正式に決まりましたのでお知らせいたします。(内装工事の関係で正式な使用許可が出るのが遅れておりました。)

 日時:2014年1月25日土曜日
 午前11時より コミュニケーションの援助の学習会
 午後2時より きんこんの会
 場所 國學院大學たまプラーザキャンパス1号館410番教室

 コミュニケーションの援助の学習会については、障害のある方とのコミュニケーションを必要としている方にその援助の方法をお伝えする場です。
 また、きんこんの会は、当事者の語り合いの場です。
 なお、当日車でおいでの方は、大学の近隣のコインパーキングをご利用くださいますようお願いいたします。
 
 参加はご自由です。
 
2013年12月30日 12時00分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2013年12月28日(土)
国も滅び現実のみが静かに過ぎてゆく
 心に何か憂鬱なものをかかえた表情のSさんはいきなり、こんな詩を綴りました。

国も滅び現実のみが静かに過ぎてゆく
夢にまで見た世界は遠のくばかり
私は涙も涸れ果てて一人佇む
罪を問い不徳を問うことは意味がない
どうしようもないゆゆしさのみが空しく残る


 そして、次のような説明をくわえたのです。

 つらいのは千葉の施設で虐待があってなくなった人が繰り返されるニュースを通してもだえている様子とともに伝わってきてとても憂鬱な毎日になっています。そのことを詩にしました。とても憂鬱な毎日です。死のそばでつまらぬことばかり語られて許せません。死んだ人が何も分からないから仕方ないという論調が許せません。根本が狂っています。

 たくさんの人がこのできごとを自分の問題としてとらえ、大変な憂慮をしています。
2013年12月28日 00時49分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G23区2 / 人権侵害 |
私はなぜ強度行動障害が起こるかについて身をもって経験してきました。
 知的障害の特別支援学校を卒業して今年二十歳になった女性のOさんが、千葉の施設での事件について語りました。同じ立場の仲間と長い時間をともに過ごしてきただけに、思いは強いものがありました。

 誰からも嫌われる経験は人間として本当に悲しい経験なのですが理想をいくら唱えても現実は何も変わりません。しかしそれだからこそ私たちは訴えていかなくてはいけません。どうにかしてみんなふつうに理解できていることをわかってほしいです。
 敏感な人たちだからこそつらい人生を歩まなくてはならなかったので理想はろうそくに明かりがともるように私たちを受け入れる世の中になってほしいということです。
 私はなぜ強度行動障害が起こるかについて身をもって経験してきました。仲間にそういう人がたくさんいたからですがみんな小さいときはかわいいと言われてよかったのですがだんだん大きくなるにつれ人として見てくれる人以外はどうしてあなたみたいな人がいるのという言葉を投げつけられるようになりだんだん生きる希望をなくしてしまったからです。希望を失うとみんないっそうつらそうな表情になってそれがまた悪循環を生んでしまいます。
 学校にはよい先生がたくさんいましたが人間と認めてくれない先生はなかなか私たちのことがわからなくて強い口調で私たちを責めたりするので私たちもなぜそんなに言われなければならないのだろうとだんだん暗い表情になってしまったのです。
 誰が悪いなどと責めるつもりはありませんがやはりつらいのは仲間なのでこのことはぜひ訴えていきたいです。
 小さな希望かもしれませんがこうして私たちも何とか話せるようになったのですがつらいのはまだこのことが世の中に受け入れられていないことです。何とかして早く理解されないとまた犠牲者が出てしまいます。黙っているわけにはいかないので満願のものを伝えたいです。銀世界がもうここにはあるのにまだそこに入れないでいる仲間を早く救い出したいです。


 
2013年12月28日 00時22分 | 記事へ | コメント(0) |
| 人権侵害 / 自主G23区2 |
僕たちの言葉を認めないのは人権侵害の一つです
遠くから大きな声を出しながら廣瀬岳さんがやってきました。彼は、千葉の施設で起こった事件について、強い怒りをもってやってきたのでした。そして、さっそく、次のような書きました。

 なぜ仲間が亡くならなくてはならなかったかを思っていたら体中に力が入ってしまいました。
 絶対に許せないのは僕たちは何もわかっていないと思われているということです。何もわからないという思いこみがすべての根本にありますからこんなことが起こるのですがいつになったら世の中は変わるのでしょうか。世の中が変わるのを待っていたらまた犠牲者が出てしまいます。
 誰のせいで亡くなったかということは今回は問題ではありません。世の中の考えこそが仲間を殺したのです。僕たちの仲間が亡くなったというのに誰一人それを語らないのはおかしいと思ったので僕はみんなを代表して語りました。
 まだわかってもらえないのでしかたないですがもう二度とこんなことが起こらないようにするためにこれをまたインターネットで発信してください。ぜひよろしくお願いします。
 黙っているわけにはいかないのですがなぜ何もできないのかとても悔しくて夜になると悩んでいました。ようやく言えてどうにか収まりそうですが世の中をどうやったら変えられるのでしょうか。なぜ世の中はどんな人も同じように考えていると言うことに耳を貸してくれないのでしょうか。訴えても訴えても届かないのでつらいです。
 なぜ僕のような意見は認められないのでしょうか。日本中の施設から暴力がなくなってほしいのでどうにかしたいです。
 強いろうそくがほしいです。存分に議論してもらいたいです。
 ぜひ主張してください。僕たちの人権がかかっていますから。
 人権は言葉を持つ持たないには関わりはありませんが僕たちの言葉を認めないのは人権侵害の一つです。
 ぜひどこかに発表してください。よろしくお願いします。人権問題だからどうにかして乗り越えたいです。


 今回の事件で語られていない最大の問題は、亡くなった方もまた、当たり前に言葉を持ち、当たり前の考えを持っていたということに、周囲も世の中も気づいていなかったということである。「人権は言葉を持つ持たないには関わりはありませんが 僕たちの言葉を認めないのは人権侵害の一つです」と語る廣瀬さんの言葉は大変重い。廣瀬さんは重度の肢体不自由のある方だが、もちろん「僕たち」の中には、今回亡くなられたような障害の方も含まれている。
2013年12月28日 00時07分 | 記事へ | コメント(0) |
| 人権侵害 / 自主G23区2 |
2013年12月21日(土)
千葉の施設の事件について
 KさんとOさんが、千葉の施設での事件について意見を交わしました。パソコンを用いずに、意見を交わしあったあと、それぞれ、次のような文章を、きちんと伝えてほしいとのことでまとめました。
 まず、Kさんの文章です。

 ばかにされ命を落とした仲間に変わって僕は言いたい。もっと世の中が進んで僕たちはすべてを理解できていることが理解されたら僕たちは二度とああいう悲劇に巻き込まれずにすむだろう。誰が悪いという議論ばかりする前にまだみんなきちんと理解できているにもかかわらずただろうそくを灯すことができないでいることが問題なのだ。どうしても体がうまくコントロールできずにいたり勝手に体が動いたりしているという事実を世の中の人が理解しない限りこうした悲劇は繰り返されるだろう。

 次にOさんの文章です。

 人間はどうしてもその方向に行きやすいから、管理者が常に仕事場にいて虐待は許さないと言い続ける必要がある。いつも仕事場にいなくてお教育していくシステムがいると思います。虐待している人もどうしていいかわからないで困っていて助けてほしいと思うから、相談にのってあげて、こうした方がいいよと伝える役目の人が必要だと思います。教育の場にもこうした方がいいよと助言する氷魚がくるけど、そういう施設はむずかしいから助言してほしいと僕は思います。大野君はどう思っているか聞いてみてください。

 Oさんは、自分たちのような重度の肢体不自由のある者は、けっして今回のような目に合うことはないけれど、そういう処遇を受けそうなメンバーときんこんの会で会うようになって、こうした事件が前よりもいっそう自分たちの問題だと思えるようになったと語っていました。

 
2013年12月21日 20時55分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G23区1 / 人権侵害 |
託された一枚の文章
 ある会で、Oさんから一枚の紙に書かれた文章を渡されました。それはこのようなものです。私と書いたものではなく、家で援助による筆談によって用意してきた文章です。そしてブログに掲載してほしいと頼まれました。 

 きんこんの会について、柴田先生に伝えたいことがあります。
 どこの誰かは知りませんが、ネットで柴田先生のことを否定してひどいことを書いている人がいます。
 僕は柴田先生のおかげで今の自分があります。その人はきんこんの会にあら探しにくるのでしょうが、僕たちの夢を壊すのはやめてほしいです。僕は当事者でもない人にそんなことをされたくはありません。おおやけにするのではなく、自分で勝手に思っていればいいのです。
柴田先生の方法でたくさんの人が救われています。僕はその方法を広げたいと思い、仲間たちといっしょに「支援講座」を立ち上げました。今度は、柴田先生の方法が正しいことを僕たち当事者が証明する番です。
きんこんの会に来た上で僕たちのコミュニケーションの方法を誹謗中傷するのは、許せないことです。当事者の人格を否定することであり、傷つけることになることを理解してほしいです。


 私は、今、正直なところこうした場でどのような意見を述べるのがのかわからずにいます。しかし、私は仮に私の方法が偽りだと言われても、いかがわしい人間としての人格は最低限認められているわけですが、当事者の場合は、そこに語っている人格が認められていないことになるので、この言葉を載せてもらいたいとの意見は痛いほどわかりました。
 2013年も終わりに近づきました。私に課せられているのは、前に向かっていくということだけはまちがいないと思っています。
2013年12月21日 20時28分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G23区1 |
2013年12月19日(木)
改めて出生前診断のこと
 12月1日の青年学級の朝の集いの最後に、Y.Iさんが発言を求めました。昨年たくさん話し合ってきた出生前診断で、ついに検査が始まり、子どもを生まない選択をした人たちが大変多いというニュースについてみんなはどう思っているか、ということでした。
すると、ダウン症の本人であるH.Kさんから、「みんなが私たちのことについて考えてくれるのはうれしいけど、やっぱり悲しい」、また、M.Mさんからは、「昨年話したことが届かず悲しい。でも、今までもしっかり議論してきたから、これからも考え続けていかなければ、という思いはみんなも一緒ですね」という意見が出されました。みんなもちろん思いは同じで、後は、それぞれのコースで話し合おうということになりました。
 そして、私のコースでは、朝の集いでも発言したH.Kさんが、私がこれから気持ちを言うのでそれを1番の歌詞にしてほしいということ、そして、同じコースのダウン症当事者であるT.Mさんに、ぜひ2番の歌詞につながる言葉を言ってほしいということを語りました。そして、語られた言葉が以下のものです。

まず、H.Kさんの言葉です。

私は生まれてきてよかったです
私はしあわせな経験をしてきた
たくさんの仲間に出会い
たくさんの夢を持ち
たくさんの仲間に受け入れてもらいました
私の人生は小さい時から施設ぐらしで
見た目には悲しい人生に見えるかもしれませんが
私にとってはかけがえのない人生でしたから
この喜びをこれから生まれてくる
ダウン症の子どもたちに伝えたい
 

次にT.Mさんの言葉です。

私のいのちは私だけのものではなく
私のいのちはみんなのいのち
わたしのいのちを与えてくれた
母さんのいのちをとひとつのいのち
よいいのちと悪いいのちをわけるなら
いのちはいのちでなくなってしまう
いのちはひとつにつながって
大きなひとつのいのちだから
私はいのちをそまつにしたくない
わたしのいのちはみんなのいのち
ひとつのいのちはわけられない


 ふだんこうしたことを語ることのない穏やかな二人が懸命に語った言葉でした。そして、この歌詞で歌を作ることに決まりました。

2013年12月19日 23時02分 | 記事へ | コメント(0) |
| 出生前診断 / 青年学級 / ダウン症の当事者 |
2013年12月18日(水)
このあいだ施設で虐待があったのを知っていますか。
 ゼミの授業を訪れたKさんが、最初に言いたいことがあるということで話を始めました。まさに今この時、語っておかなければならないということで、話をしたとのことです。

 このあいだ施設で虐待があったのを知っていますか。理想的な施設はもちろんありますがみんな何もわかっていないというのが前提なのでまだまだと言わざるをえません。とくに自閉症の人たちは誤解が激しくて理解できていないというのが前提なのでこういう事件が起こってしまいます。理解できていても自由に体が動かせないのだということを理解してもらえないといつまでもこんなことが繰り返されると思います。理想的な施設はもちろんありますがみんな何もわかっていないというのが前提なのでまだまだと言わざるをえません。とくに自閉症の人たちは誤解が激しくて理解できていないというのが前提なのでこういう事件が起こってしまいます。理解できていても自由に体が動かせないのだということを理解してもらえないといつまでもこんなことが繰り返されると思います。

 この後、彼は、私の手を使ったあかさたなの通訳でさらに続けました。この事件の背景をきちんと理解することが大事で、普通の犯罪なら犯人の過去の経歴というのが背景になるが、この事件の背景にあるのは、社会全体がまだ障害のある人もちゃんと理解ができているけれど体がうまくコントロールできていないということを知らないという背景があるのだから、この事件の責任は、社会全体にあるというようなことを述べ、強度行動障害と呼ばれるものも、もともとの障害ではなく、まちがった働きかけが生み出したものだということなどを、懸命に語りました。
2013年12月18日 14時11分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 / 人権侵害 |
残酷な知らせが届いた
中学1年生の少年が、12月16日に綴った詩です。
千葉の施設の事件を受けてのことでした。

残酷な知らせが届いた
昔の仲間を
どうにもできないからといってけとばして
死なせてしまった
ぼくは言葉を失った
理解していることさえわかられぬまま
なぜ彼は死なければならなかったのだろうか

また、この詩の前に次の言葉も記しています。

気持ちが言いたいので夢みたいですが人間としてぼくたちが認められるためにはなんとかしてこの事実を伝えなくてはいけませんね。どうにかして私たちの言葉を伝えたいので人間はみんな言葉があることを伝えてほしいです。わだかまりもあるけれどみんなを許して学校を楽園にしたいです。
2013年12月18日 09時24分 | 記事へ | コメント(0) |
| 大学 / 人権侵害 |
2013年12月14日(土)
千葉の施設における若者の死亡事件について
 千葉の施設で、入所していた19歳の若者が、職員の暴力によってなくなった可能性があるとの報道がなされました。中学3年生のF君は、そのことを受けて、俳句を作ってきました。まだ、報道から2日ほどしか経っていませんが、この時期に私に会うということは、自分が他の仲間たちを代表する意味でこの事件にコメントする必要があると考えて、急遽俳句を作ってきたとのことでした。

罪のなき人のいのちがが失われ。(なぜかわからないけど仲間が亡くなりました。)
人権を取り返したきぬんぬんと。
地域から離されいのちも奪われて。
人間と見なされぬままいのち消ゆ。
よき人が豹変せるか涙落つ。
人間は力では動かせぬ。
強き意志砕きて人は泥まみれ。(人は泥にまみれた被害者です。)
ついに人いのち奪われ未来消ゆ。
人間は茫然となぜ夜にある。
ぬいぐるみ蹴られて別に泣かぬとか。
ぼんやりとわだかまりのみ野暮なこと。
私たち人間のはず喪に服す。
分相応ぼくはけして受け入れぬ。
分相応などとわからぬ声のせり。
未来より過去のわずかな不幸消せ。
未来消え理想をなくし夜深し。


 また、同じく、20代の体の大きなYさんも、次のような文章をパソコンで綴りました。彼は、自閉症と呼ばれている方で、体が大きいためちょっとした行動が危険だとみなされることもあるそうで、今回の事件のようなことが起こる背景がよくわかるとのことでした。

私の仲間がそんなふうにしてなくなってしまったけど理解できないのは暴力ではなにも解決できないことにまだわかってもらえないのかということです。分相応などと言われたくないですね。世の中を早く変えなくてはいけません。わずかに人間として見てくれるのはこうしてぼくたちにも言葉があるということを認めてもらっているからですがだからこそ早く伝えなくてはなりません。ぼくたちは当たり前の人間なのだから。よい世の中に早くなってほしいです。

 複雑な事情はもちろんわかりませんが、最大の悲劇は、みんな当たり前に理解できているということがまだ常識となっていないということです。相手が何もわからないからと思うから、そこに暴力が生まれてしまうのでしょう。
 わかっていても、うまく体をコントロールできない人たちがいるというきわめてシンプルな事実に世界が気づけば、こうした悲劇は繰り返されずにすむにちがいありません。
 私たちの伝える努力が足りないことはよくわかっていますが、どうか、耳を貸していただき、この事実から目をそむけないでいただきたいと思います。 
2013年12月14日 22時17分 | 記事へ | コメント(0) |
| 人権侵害 / 自主G埼玉1 |
2013年10月24日(木)
2013年11月のきんこんの会のお知らせ
2013年11月のきんこんの会は、11月30日土曜日午後2時より、國學院大學たまプラーザキャンパス410教室で開催します。
きんこんの会は、当事者同士の語り合いの場として、2010年に誕生しました。
きんこんの会に先立って、午前11時より、コミュニケーションの方法についての学習会を行ないます。
きんこんの会は、当事者の会です。参加はご自由です。特に当事者やご家族のご参加についてはまったくご自由ですので、よろしくお願いします。
学習会は、当事者の方々にお手伝いをいただいて、コミュニケーションの方法について学ばせていただく場です。前回は参加してくださる方々に事前にご連絡をいただくようにしましたが、返信が滞りかえってご迷惑をおかけしましたので、今回は、事前のご連絡に必要はございません。
2013年10月24日 23時35分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2013年09月05日(木)
町田市障がい者青年学級スタッフ募集のお願い
町田市障がい者青年学級スタッフ募集のお知らせ。

私がずっと学生時代から関わっている町田市障がい者青年学級では、一緒に活動してくれる方を募集しています。ここでは、みんなが当たり前に語り合うことが実現しています。もし、将来、障がいのある方々と関わってみたいと考えている若者には、これ以上の学びの場はないと私は思っています。新しい時代の障害がい児者の教育や福祉についてともに真摯に考える人を求めています。
問い合わせは、私の以下の連絡先までお願いします。

メール yshibata@kokugakuin.ac.jp
携帯電話 090−2632−3514
2013年9月5日 23時44分 | 記事へ | コメント(0) |
2013年08月05日(月)
9月のきんこんの会のお知らせ
 きんこんの会は、9月21日土曜日2時から、國學院大学たまプラーザキャンパスの410教室で行います。
 きんこんの会は、当事者自身が語り合う会として2010年に発足した会で、参加はご自由です。参加者が多くなってきたため、当事者以外の方に発言をしていただく時間がまったくとれなくなっているので、ご了解いただければ幸いです。

 なお、きんこんの会に先立って、11時より同じ教室で、援助によるコミュニケーション(筆段や文字盤のポインティング、あかさなたなスキャン)の学習会を開きたいと思います。6月に最初の試みをしましたが、今回も同様の取り組みをしたいと思います。
 参加につきましては、参加ご希望の方は、ご一報いただけると幸いです。なお、当事者の方で、きんこんの会と両方参加可能な方で、ご協力いただける方は、11時からいらしていただけると大変ありがたいです。
 
 また、きんこんの会につきまして、本来ならば議題等を事前に決めたりする運営会議のようなものが開ければいいのですが、すぐにはむずかしい状況なので、さしあたり、当事者の方で、話し合いのテーマ等に提案のある方は、柴田までご一報ください。当日、このような提案があるということを紹介した上で話し合いに入ることができたらいいかと思っております。
2013年8月5日 18時07分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
2013年07月24日(水)
いのちはみんな同じ
 私の大学のある横浜市青葉区を中心としたフリーぺーバー「ビタママタイムス」というのがあります。そこに、私の大学の教員が交代で子育てに関わるエッセイを掲載する「すくすくポイント」というコーナーがあります。そこに、先日次のような文章を寄せさせていただきました。
  

  いのちはみんな同じ

 子育てとは、目の前の自分の子どもだけを相手にするものではなく、広く社会の中で取り組まれるべきものでしょう。そんな広い意味での子育てにとって気がかりなことがあります。それは、私たちの社会が誰かを排除することに鈍感になっているのではないかということです。誰かを排除する社会には不安がつきまといます。なぜなら今度は自分が排除されるのではないかという恐れが生まれるからです。もし子どもがつまづきを抱えてしまったなら、今のような社会では親も子もいっそう不安を募らすことになりかねません。
 昨年の夏以降、出生前診断について議論されるようになりました。ここはその是非を議論する場ではありませんが、マスコミでは語られていない大切なことをご紹介したいと思います。
 私は障がいのある方々が気持ちをパソコンで表現することの援助をしていますが、その中であるダウン症の少女が、深くうち沈んだ様子で「わたしはうまれてこないほうがよかったの」という悲痛な言葉を綴りました。私たちには生まれる前のいのちと生まれてからのいのちは別だという気持ちがあるため、出生前診断の話をすることが今生きている人を否定することになるとは思いません。しかし、当事者にとっては、直接自分自身が否定されることなのです。私たちは少女の胸をこんなにも傷つけていながら、そのことに気づいてさえいないのです。
 30代のダウン症の女性は強い抗議の言葉を書きました。

 わたしはゆうきをだしていいたいです。おんなじくうきをすっておなじみずをのむおなじにんげんだということを。おんなじちがからだにながれているおなじにんげんなのだと。にんげんということばがこれいじょうこわされないように。

 また、20代のダウン症の男性は俳句に思いをぶつけました。

だれをぼつだれをいかすとかなしきよ
(誰を没誰を生かすと悲しき世)
わすれられほうむりさられるわがなかま
(忘れられ葬り去られるわが仲間)
ちのはてにおいやるごときせろんもゆ
(地の果てに追いやるごとき世論燃ゆ)
ぼくのなはだうんしょうかとみまがうひ
(僕の名はダウン症かと見まがう日)。

 どんないのちも愛おしむ心が社会に満ちていた時がありました、それは、あの大震災の直後です。3月11日に生まれた赤ちゃんの映像だけで作られたユニセフのハッピーバースデーというCMには障がいのあるお子さんの姿も自然に映されていました。わずか2年前のできごとです。
 すべての人を尊重する社会でこそ本当に安心できる子育てができるというのは、きれいごとにすぎないのでしょうか。
2013年7月24日 11時56分 | 記事へ | コメント(1) |
| 出生前診断 |
銀の夢断たれた魂 路頭満つ Sさんの俳句
 Sさんのお宅を訪問すると今回もまたたくさんの俳句を聞かせてくれました。

銀の夢断たれた魂 路頭満つ。
災いの果てに 再び野に伏せり。
ぶんどらぬわれらとめざせ 新たな世。
四つ葉のみ望めば幸は来ぬものを。
人間に自我を与えし神さすが。
人間と笑いはつぶらな瞳 花。
ゆいつ耳澄まして未来に降らぬ雪。
 これはつらい冬はもう来ないという意味です。
人間に見られた日々が積り 夏。
ランプ消え私の道に前途なし。
唯一神持たぬわれらに春は来た。
夜風もしゆずる気あらば道に路地。
路地もなく逃れられずに夜の更ける。
技を知に変えてわれらはずんずんと。
わずかな目理想を目指し輝けり。


 暑い日でしたので、少し疲れていて、いつもより俳句の数は少ないとのことでした。出生前診断や震災のことなどを背景にしながら作られたものですが、悲しみが貴重に流れていることがつらかったです。 彼が以前作った出生前診断をめぐる俳句は、横浜市の青葉区を中心にした地域のフリーペーパーのビタママタイムスのコラムに紹介させていただきました。彼は、少しでも自分たちの声が届いてほしいと語っていました。 
2013年7月24日 11時03分 | 記事へ | コメント(0) |
| 家庭訪問 |
ぐるぐると魔物に縛られ解けぬ朝
中学生のF君が今回も俳句をたくさん作って来ました。

夏の森 わだちを探し夜を更かし。
(「わだち」は、F君にとって、震災の年の夏頃まで日本中に満ちあふれていた良い心の象徴です(柴田)。)
 
夏はだか わがよの笑い忘れずに。
磨かれし瑠璃をまなざし りんとする。
時路(じろ)の森 数(すう)をそろえた魔法の夜。
 じかんのみち。すうはかず。よはよる。まほうのためにわずかなむんむんとしたくうきがりにかなったならびかたをしたようすです。
古時計 昔の音をなぜ晩に。
ベルに夢破られた朝 ゆゆしき日。
にぶき耳 ばらばらと降る雨知らず。
敏感な瞳に今日も悩み消ゆ。
強い友 我を支えり 夜の森。
和も捨てず 戦いを無辜 夜論ず。
 むこはむくとにたことば。
日本にも戦争のあり小さく穂。
 ほはころんだこのほほみたいなけばだったののくさです。
ずるき人 戦いを始めて傷つかず。
日本好く若者に守られ 暮らす今。
昔にも小さき未来を夢見たり。
武器を捨て 人は目指せり平和な世 。
自我目覚め 世の中の目そらさずに。
字に夢をたくしたき日 自我目覚め。
小さき野 目止める先 花一輪。
七つにも星が集まり 銀河の前。
人生は呼ばれし使命 応え 生く。
ぶらぶら穂 揺れつつ今日 のどかなり。
ぐるぐると魔物に縛られ解けぬ朝。
罪なき目 めざす未来は空を翔く。

 
2013年7月24日 10時36分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G埼玉1 |
2013年06月21日(金)
きんこん通信第3号
 6月22日、きんこんの会を予定通り開催させていただきます。当日にお配りするきんこん通信の第3号ができましたので掲載させていただきます。
 11時からの試みは、手探りの状態なので、いらしゃった皆さんには、いろいろと行き届かないことも多々あるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
 

2013年6月21日 16時52分 | 記事へ | コメント(0) |
| きんこんの会 |
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