3月の終わりまでにTさんから届いたメールをためてしまった。最新のものを含めて、紹介したい。
外へでかけたいよ。遠くに行ってみたい。変な道だけど前へむかってもりあがろう。苦しいときほどみんなでもりあがろう。好きな人といっしょに住みたい。ロケットに二人で乗って宇宙へ飛び出したい。愛する人と住みたい、二人で住みたい。(1月26日)
手を伸ばしてほしい。言うのは大変。いのちつなぎたいけれど生きるのは大変。死んでしまうのはいやだ。少ない人生でも大切に生きたいと思う。私はみんなといっしょに仲間と暮らしたい。手が勝手に動いてつらい。力を弱められない。変な気持ち。(2月9日)
車で外へでかけたいと思う。遠くまで友達と行きたい。手や足を使ってほかのところへ行ってみたい。足でも使って遠くへ行ってみたい。何とかして遠くへ行きたい。たおれてしまうかもしれないけれどもがんばって進んでいきたい。普通に暮らせるように歩いてゆきたい。(2月23日)
夢はロケットに乗って遠くへ行くことだ。二人で探したい夢の子ども。まだ見たことのない夢を探しにいきたい。ろけっとに乗って探しにいきたい。すてきな星を見つけて願いをかなえたい。好きなすてきな人と一緒に星で住みたい。苦しいときにも二人で乗り越えていきたい。未来は遠いけれどあきらめずにがんばっていきたい。とてもむずかしいことだけどがんばっていきたい。(3月9日)
伝えたいことは苦難の試練乗り越える大変さです。結婚できない事実を認めていくことはとてもできないことです。何とかして結婚して願いをかなえたいです。勝手に体が動いて、困ります。すぐに好きな人と遠くへ行きたい。好きなドラマみたいに遠くに行ってしあわせに暮らしたい。花のきれいなところに行きたいと思います。季節は変化して夏になって実のつくくだものがたくさんできます。木は大きくなって花はすてきな実をつけます。好きな外で遊びたいよ。秋になれば何もかもが赤く紅葉してすてきな景色になります。冬になると空気は冷たくなりみんな車に乗って暖かいところへ逃げていきたい気持ちになります。ぼくは一人になって次の春を待ちます。(3月23日)
へぼな僕ですがのんびり生きてはいられません。のんびりとはしていられない理由は長くは親が生きているわけではないからです。何か新しいことを考えなければなりません。おそかれはやかれ親からはなれて暮らさなければなりません。そのためにはたぶん一人で暮らす方法を考えなければなりません。友だちと手をとって共同で暮らしていきたい。何とかしてみんなで生きていきたい。まつださんもいっしょに暮らしていこう。もっといっぱいの仲間を集めよう。苦しみをン堀越えるために集まろう。友だちに伝えたいことはもっと願いを持とうということです。(4月13日)
自立への思いが語られるとともに、しだいにそのかたちの輪郭がくっきりとしてきたことが伝わってくる。残念ながら、まだ、その具体的な方策は見えてこないが、大切なことは、表現を綴ることだ。そして、表現する相手はきっと自分自身でもあるはずだ。
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2010年4月17日 08時45分
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3月の終わりまでにTさんから届いたメールをためてしまった。最新のものを含めて、紹介したい。
外へでかけたいよ。遠くに行ってみたい。変な道だけど前へむかってもりあがろう。苦しいときほどみんなでもりあがろう。好きな人といっしょに住みたい。ロケットに二人で乗って宇宙へ飛び出したい。愛する人と住みたい、二人で住みたい。(1月26日)
手を伸ばしてほしい。言うのは大変。いのちつなぎたいけれど生きるのは大変。死んでしまうのはいやだ。少ない人生でも大切に生きたいと思う。私はみんなといっしょに仲間と暮らしたい。手が勝手に動いてつらい。力を弱められない。変な気持ち。(2月9日)
車で外へでかけたいと思う。遠くまで友達と行きたい。手や足を使ってほかのところへ行ってみたい。足でも使って遠くへ行ってみたい。何とかして遠くへ行きたい。たおれてしまうかもしれないけれどもがんばって進んでいきたい。普通に暮らせるように歩いてゆきたい。(2月23日)
夢はロケットに乗って遠くへ行くことだ。二人で探したい夢の子ども。まだ見たことのない夢を探しにいきたい。ろけっとに乗って探しにいきたい。すてきな星を見つけて願いをかなえたい。好きなすてきな人と一緒に星で住みたい。苦しいときにも二人で乗り越えていきたい。未来は遠いけれどあきらめずにがんばっていきたい。とてもむずかしいことだけどがんばっていきたい。(3月9日)
伝えたいことは苦難の試練乗り越える大変さです。結婚できない事実を認めていくことはとてもできないことです。何とかして結婚して願いをかなえたいです。勝手に体が動いて、困ります。すぐに好きな人と遠くへ行きたい。好きなドラマみたいに遠くに行ってしあわせに暮らしたい。花のきれいなところに行きたいと思います。季節は変化して夏になって実のつくくだものがたくさんできます。木は大きくなって花はすてきな実をつけます。好きな外で遊びたいよ。秋になれば何もかもが赤く紅葉してすてきな景色になります。冬になると空気は冷たくなりみんな車に乗って暖かいところへ逃げていきたい気持ちになります。ぼくは一人になって次の春を待ちます。(3月23日)
へぼな僕ですがのんびり生きてはいられません。のんびりとはしていられない理由は長くは親が生きているわけではないからです。何か新しいことを考えなければなりません。おそかれはやかれ親からはなれて暮らさなければなりません。そのためにはたぶん一人で暮らす方法を考えなければなりません。友だちと手をとって共同で暮らしていきたい。何とかしてみんなで生きていきたい。まつださんもいっしょに暮らしていこう。もっといっぱいの仲間を集めよう。苦しみをン堀越えるために集まろう。友だちに伝えたいことはもっと願いを持とうということです。(4月13日)
自立への思いが語られるとともに、しだいにそのかたちの輪郭がくっきりとしてきたことが伝わってくる。残念ながら、まだ、その具体的な方策は見えてこないが、大切なことは、表現を綴ることだ。そして、表現する相手はきっと自分自身でもあるはずだ。
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2010年4月17日 08時45分
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Tさんからのメールが届いた。
困る話はかあさんが笑うことだ。
ほかにもつらいのは腕がとまらないこと。
とてつもなく苦しくてあほらしくなる。
電動車いすに乗りたいと思う。
ほかの場所に急いで行きたい。
自由医いられるすてきなところに行きたい。
Tさんとは、先日トマトハウスでも会った。以下は、その時の言葉だ。
小さい時からの夢がかなってうれしいです
願いはよい人と結婚することです
ラブラブになりたいです
理想は自立ができてラブラブの人と結婚することです
わかってもらえればうれしいのですがなかなかわかってもらえません
ぼくの気持ちを聞いてくれるのは松田さんだけです
小さい頃からの願いがかなってうれしいです
電動車いす、結婚…と夢が続く。さしあたり、私たちは答えるすべをもっていない。しかし、せめて、自分の思いを自由に伝えられるということだけは、実現可能な夢にしたい。
Tさんと松田さんの関わりの場は、原点は識字教室にある。最近NHKで識字教室のすばらしい番組が放映された。私たちのこうした取り組みが、識字の世界とつながっているということも、常に、忘れずにいたい。
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2010年1月19日 18時35分
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12月の活動の時に、聞き取っていた詩があり、それを歌にしてほしいと言われていた。その詩に、若いスタッフがとてもすてきなメロディをつけてきた。
美しい歌を歌いながら 美しい歌を歌いながら
夢のくに 本当の未来 若々しい気持ちでゆこう
美しい歌を歌いながら 未来の森をめざしながら
美しい気持ちで 美しい歌 歌っていこう
美しい歌を歌いながら 未来の道歩んでいこう
まだ、未完成だが、この歌を何度か聞いているうちに彼は、大きな声で歌い始めた。本当にうれしかったのだと思う。
その後、ゆっくり彼の気持ちを聞いた。
気持ちをい言言いたいけどなかなか言えなくてくやしい。認めてほしいけどむずかしいです。夢のようです。小さいころからの夢でした。理想は理解してもらってよいくらしをすることです。勇気がほしいです。よい歌を作ってもらえてうれしいです。わかってほしい。誕生日に歌ってほしい。(誕生日は)もう終わりました。自立したいです、ぼくも。ぼくはおかあさんによく迷惑ばかりかけているのでかあさんを楽にさせてあげたいです。ぼくは体が勝手に動くので困っています。願いは心をきれいに忘れないようにしてよい人生を生きていきたいです。はいそうです。理解してくれてうれしいです。夢のようですみんなわかってほしいですがなかなかむずかしいですね。もっともっと自分をどうにかしないとわかってもらえません。願いわかってもらうことです。柴田さんはなぜぼくの言葉がわかるのですか。力を入れていないのに不思議です。勇気がほしいです。わかってもらえてうれしいです。理解してくれてうれしいです。不思議です。理解してもらえてうれしいです。紙破きは気持ちを落ち着かせるためです。もっとほかのやり方があったらなと思うけど残念です。願いはよい人間になることです。未来いが開けてきました。わかってくれてありがとう。願いはこのやり方で話せるようになることです。わかってほしいです。楽にできてうれしいです。
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2010年1月19日 01時29分
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青年学級の若いメンバーIさんが活動の後の喫茶店トマトハウスにやってきた。なかなかなじめず、欠席も多いIさんがようやく仲間になり始めた。Iさんは、簡単な会話のできる方だが、今一つ本当に言いたいことが伝わりにくいということがあった。そんなIさんに、パソコンをやってみるかというと、ためらいながらもまんざらではなさそうだったので、積極的に薦めて、やってみることにした。すると、さらさらと、次のような文章が書かれた。
ぼくの気持ちを聞いてください。ぼくはダウン症という病気ですがぼくはふつうに考えているのでくやしいです。理想はわかってもらうことですがなかなかわかってもらえません。
夢みたいです。理解してほしいけどなかなかわかってもらえません。
みんなとも話したいです。音楽のコースが好きです。詩を聞いてください。
ちいさい私
願いをもって生きてきた
勇気を出して理想を求め
私はひとりで生きてきた
未来は私の忘れられない夢のかなた
私は私
勇気を出して生きていく
もう少しろうそくを高くかかげて
生きていきたい
前に作りました。願いでした、気持ちを伝えることが。うれしいです。
まだ20代前半の若々しい彼の表情が、とても晴れやかに見えた。これで、また、さらに青年学級の仲間としての関係を深めることができただろうか。これからの展開が楽しみだ。
私たちはあえてダウン症などということ前面に出してつきあうことあない。だが、彼はそういう言われ方にもう、辟易しているのだと思う。「21番目のやさしさに」というダウン症の方が書いた本がある。これまでの見方をひっくり返す力のある言葉だと思う。「ぼくはダウン症という病気ですがぼくはふつうに考えているのでくやしい」という言葉をじっくりと世の中がかみしめられるようになればと思う。
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2010年1月19日 01時10分
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Tさんの言葉のメールが届いた。きっと、私のブログの誰かの文章を読んでくれて書いたものなんだと思う。
ぬいぐるみのようなじんせいもなける。
さびしいときにともとゆっくりといまははなしがしたいのにひとりがやっぱりわたしにはまっている。
ぬいぐるみのようなじんせいをおわりにしよう。
いぬたちがぼくをげんきづけてくれる。
そして、犬の写真も一緒だった。彼を元気づけてくれる犬の澄んだ瞳が印象的だ。
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2009年12月28日 23時23分
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12月6日も、青年学級では多くの人が言葉を語った。その中から、Sさんの詩を紹介したい。多くの方の言葉は、パソコンではなく、手を振る方法でノートに書き取ったものなので、整理に時間がかかってしまっているが、Sさんの詩は、パソコンで綴ったものである。
可能性に挑戦しよう
未来の楽園のために
勇気を出して理想の国をめざしていこう
勇気を出して未来と過去の呼び声を断ち切って
私の今を大切にしていこう
未来の夢は自分の理想
未来の希望を心にかかげ
未来に向けて歩いていこう
聞いて未来の伝言を
聞いている過去の淀んだ物語を
じっと耳をすませていると
心と心の喉元に
美人の咆哮が聞こえてくる
小さな美人の心の中に
勇気のかけらが眠っていることを
誰も知る人はいない
人間としていい生き方を求めてきて
気持ちをうまく表現できず
ひとりぼっちで生きてきたぼくの
ゆいつの願いは
こうしてばい菌のように生きるのではなく
みんなを人間として受け入れられる世の中がくることだ
いい自分を作っていきたいと思う
みんなといっしょにこの道を歩き続けていきたい
小さいときからのランプのような願いだ
過去のきびしさと未来への切ないばかりの希望が語られた詩だ。一般就労をしていう彼には、けっこうストレスがたまることもすくなくない。心ない言葉もこれまでもたくさんかけられてきたことだろう。そんな彼が懸命に未来の可能性にかけようとする気持ちに、心から感動した。
敏感な言葉をありがとうと言いたいです
最後にこう綴って彼はスイッチから手を放した。
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2009年12月19日 00時01分
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町田市の本人活動の会「とびたつ会」のTさんは、支援者の松田さんとウィークデイの夜に、もう何年もパソコンで言葉を綴る練習を続けてきた。特製のマウスを足で操作できる彼は、なんとか、その方法で文字を綴ろうとしてきたが、なかなか長い文章をスムーズに綴ることはむずかしかった。ところが、この数ヶ月は、松田さんが徐々に今私がやっている方法を取り入れるようになって、だんだんと文章が長くスムーズになってきた。
ここ2回の文章を紹介したい。
そとにさがしにいきたい
だいじななにかを
くるしいときにほんとにすくわれるろうのようなすくい
せかいじゅうてのとどかないほんとのしあわせ。
よのなかがしあわせになるように
すくいをさがしに
ひとにてつだってもらいながら
さがしにいきたい。
ぬりなおしたいいろ けしたいいろは
むねのなかにあるさみさ(さみしさ?)。
ねているあいだにいとしいほわいとにぬりかえたい。
くるしいきもちもいとしいほわいとでぬりなおしたい。
なきたいきもちをぬりかえたい。
さびしいきぶんをぬりなおしたい。
ぬりかえればきぶんがらくになって、とてもわたしはうれしい。
これからも、また、彼の言葉は紹介を続けていきたい。
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2009年12月18日 23時54分
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10月18日の青年学級、たくさんの人がまた、手をふる方法で語った。今回はとうとうパソコンをワープロのために開くことはなかった。左手で手を振りながら右手で言葉をノートに書き付けていく。このスタイルで、短い時間の合間をぬっていろいろな人と会話した。その中で、ここでは、会話としてではなく、詩や歌などの表現として語られたものだけをとりあえずピックアップする。
最初は、自閉症と呼ばれる女性のFさんの詩。
望みはこのやり方で気持ちが言えるようになりたいです。このやり方で望みが言いたいです。見たこともないわかそよのような世界がひろがってきました。よいやり方ですね。夢みたいです。聞いてください。
緑の風に乗って 雲を越えて 南の国へ行き 南の風に吹かれて
昔の苦難を捨て去って 苦労してきた欲望の心を もっと素直な私に変えて
私らしく生きていきたい
昔から考えています。昔から空を見ながら作っています。よい詩ですか。よい詩だったらうれしい。
よい森の中に行きたい
よい森の中でよい花を探しに
よい森の中をもっと自由に歩きたい
よい森の中を苦しみから解放されて歩きたい
見たこともない緑の風に乗って
南の国に行き 森の中を歩きたい
見たこともない緑の風に乗って
昔のことを忘れたい
見たこともない緑の風に乗って
もう一度夢をとりもどしたい
見たこともない緑の風に乗って
勇気を持って生きていきたい
見たこともない緑の風に乗ってもう一度夢を取り戻したい。
そして、次は、外耳に関わる手術の後遺症で聴覚に障害があるとされるNさんの詩だ。彼は、一応、音が聞こえるというし、聞こえていなければ私の方法で言葉が綴れることはありえないことだ。
望みの歌を聞いてください。
望みをよい願いに変えて
きれいな若者を よい人間にしよう
美しい緑の願いの木に
見たこともない花が咲いて
見たこともない緑の木が夢のように
緑にろころこのむろろんと歌を歌う
緑の木をみんなで歌おう
緑の木をみんなで歌おう
願いの木が願いをかなえて
みんなをりこうなみんなに変える
美しい木をみんなでいろいろな花で飾ろう
みんなで飾ろう
重度の肢体不自由の女性、Kさんは、帰りの集いの短い時間の中で、次の詩を書いた。
願いのくるまいす
勇気を出して言ってみよう
不思議な緑の風に乗って
歌をいっぱい歌いながら
いいきれいな歌を歌いながら
美しい歌を言い声で歌えば
私の気持ちを昔の陰気な心から解き放ってくれるだろう
夢を見ているような気持ちで
お母さんに勇気を出して言ってみよう
うるさい車をけちらして
うるさい車を追い越して
夢をかなえるために
緑の風に乗せて
前に進めて行こう
お願いだから美しいくるまいすよ
私の願いを聞いてほしい
美しいくるまいすよ
私の未来を古い心から解き放ち
未来に向かって生きるために
昔の陰気な私を変えてくれ
みんなにも聞いてもらいたい。
Hさんは、帰りにみんなで集うトマトハウスで次のような文章と詩を書いた。亡くなった愛犬コロのことだった。
苦しいことがありました。よく知らない職員が私のことを笑いました。許せないと思います。許せないのは、コロのことを笑ったからです。職員を許せないです。この前です。許せません。
コロのこと
コロが死んで世話をすることができなくなってしまって、ろうそくの火が消えたようになりましたけど、ぼくは、きっとコロが天国でコロのままで元気でいると思います。いい国でいい食べ物を食べて、美しい花に囲まれていると思います。うらやましいのは、コロのような犬を連れた人に会う時です。夕焼け時に、もっときれいな心を持っていればコロはいなくならなかったのではないかと思います。運命かも知れませんが、よく生きてくれたと思います。
自閉症と言われるHさんも、同じくトマトハウスで次のような美しい心の人の歌ということで、文章と詩を聞かせてくれた。
よく聞いてくれてうれしいです。みんな話せてよかったと思います。よい苦しい時の実りをみんなが言葉で伝えてくるのがすばらしいと思います。うれしいです。勇気が出てきます。うれしいです。願いがかなってうれしいです。美しい心の人に会いたいです。美しい心の人の歌を作りましたので聞いてください。
心のきれいな人はよい願いを持ち
ろうそくの光のように暗闇をランプのように照らし
もっとつらいことがある人にろうそくの火を照らして
この苦しみから解放されるようにと励ましてくれます。
美しい心の人は、いつも苦しいことがわかるので、いつも悲しんでいます。
勇気を出していい心を持ちましょう。
よい心を持てば、るり色の心を願いのままに
空高く飛翔させることができます。
るり色の心はいつも光っています。
勇気がいることかもしれませんが、
勇気を出して生きていきたいです。
美しい心の人を私は大切にしていきたいです。
るり色の心を大切にしていきたいです。
勇気がりりしい心を作り出していきます。
うれしいです。気持ちがすらすら言えて。うれしいです。うれしいです。
独特の世界観をもっているSさんの詩も聞かせてもらえた。
私の気持ちを聞いてください。
夢の暗闇を歩いていけば
夢の暗闇を照らす光に出会う
夢の暗闇を苦しい気持ちで歩いてゆけば
苦しみを解き放つ歌が聞こえてくる
ミロのビーナスのようなきれいな人がふいに現れて
無理のない苦しさをやさしく私から解き放ち
美しい心の声を私にかけていった
美しい心の声は美しい気持ちの表れで
未来のゆるしを私に伝えてくる
未来のゆるしはいつのまにか私を包み
夢の暗闇を救い出して
私に空のような若々しさを理想的な未来とともにくれた
これまで、コミュニケーションが大変むずかしかた人だけでなく、話しにくそうにしているだけに見えるような方までが、手をふる方法で気持ちを長く語るようになった。話し合いの様相は、まるで一変してしまったといってよい。
最後に行った居酒屋でもまた、今までは、静かにグラスを傾けるだけだった人が雄弁に語った。
まだ、これらのことは、どこの世界でも受け入れられてはいないが、私たちにとってはめくるめくような世界だ。
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2009年10月21日 20時13分
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青年学級 |
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青年学級の合宿が、天候にめぐまれる中、9月の終わりの週末に行われた。パソコンで、あるいは手を振りながら、沢山のメンバーと会話した。
最初は、Nさん。宿舎についたばかりの部屋で語ってもらった。耳にハンディを持ちながらも、Nさんはパソコンでまず、次のように語る。
気持ちが言いたいけど一人ではいうことができないので寂しい。みんなと話したい。願っていましたからうれしいです。小さいときからの理想でした。祈って理想と願いのためにみたこともない光(疲れました)
いったんは疲れたといって語るのをやめたNさんだが、その後の活動は、いつもよりはるかに私たちのそばにいた。そして、夜、スタッフが、「寝ずの番」をしているところにやってきて、手でいろいろなことを語った。何年ぶりかでやれたキャンプファイヤーが、とても感動したようで、そのことをめぐる話だった。
夜のやみにきれいに火がはいってきました。年輪の歌を歌いたいです。聞いてうれしいです。年輪の歌(昨年のオリジナルソング。Nさんのことも歌になっている)をみんなで歌いたい。きっとみんなも気にいってくれると思います。
そして、さらに、そのキャンプファイヤーのことを次のような詩にした。
きれいなあかりをともしたい
きれいなあかりをよい未来かけはしをかけて
ねがいをみんなでかなえよう
るいりろのあかりをともして
ゆめのろうそくをともして
るりいろのろうそくをきれいな光にかえて
よい未来をつくろう
ねがいをきっとかなえてくれる
ゆめのくらやみをてらそう
きれいなあかりをともして
このるりいろのあかりをともしつづけよう
よいきれいな心で よいきれいな音とともに
よいきれいなわたしのために
よいきれいな君のために
よいきれいなみんなのために
願いをきっとかなえたら きれいなあかりがともるだろう
よききれいなゆめのような よいきれいな未来がひらけて
わたしをまっているだろう
よいきれいなゆめのような よいきれいな未来がひらけて
わたしを待っているだろう よいすばらしいよい春が
未来をつくっていこう
Fさんは、夜のキャンプファイヤーの後の交流会のひととき、お菓子や飲み物を前にしながら、次のような文章を、手を振る方法で表現した。
気持ちを言いたいです。つらいです、気持ちを言うことができないということは。よいやり方ですね。夢みたいです。私の気持ちを聞いてください。よいやり方ですね。気持ちを言うことができて、うれしいです。夢みたいです。みんなにもこのやり方で気持ちを聞いてあげてください。(今、書ける詩はありますか。) あります。
よい風が吹いてきて、よい夢がかない
私のもろい心がこわれそうになっても
きっと私の心を素直にしてくれる
夢のその言葉を空高く私はかかげ
願いの理想の言葉を私は苦しみの中から私は歌う
よい詩ですか。簡単です。留守番をしてきたように私はよい願いをもらいました。よいやり方ですね。私のかあさんを楽にしてあげたいです。腰です。腰が痛いと言っています。
Eさんもまた、交流会のひとときに、次のような言葉を語った。
聞いてほしいことがあります。この間わかそよでぼくの言葉が歌になったのがとてもうれしかったけど、願いの季節をみんなに歌ってほしいです。気持ちをみんなにわかってほしいです。
(ここで、スタッフの学生が、どうして、コップの水を突然まいたりするのかを尋ねた。すると次のような答え。)
コップの横をとるたびに横からこぼしたくなります。ゆこうと思うとこぼしてしまいます。関係あります。
交流会では、彼のリクエストの通り、彼の言葉のはいった「願いの季節」を歌った。
沢山の人と次々に話すことが出来たのは、むしろ帰りのバスだった。まず、いきなり、Tさんが詩を書いた。
この金色のそよ風を忘れないようにしよう
この金色のよい心を忘れないようにしよう
このよい若者たちを忘れないようにしよう
このよい物語を忘れないようにしよう
よい季節を希望に変えて
野原に風を吹かせよう
よい季節を忘れないようにしよう
野を飾る花々をよい種のなる実に変えよう
この詩を歌にしてください。
そして、彼は、手真似で、ほかの人と話すように促す。Nさんは、合宿の思い出を次のようにまとめた。
楽しい合宿が終わりました。
このいい仲間たちを大切にしよう
大きな鏡に私の顔が映るように
私の心にこの思い出が映る。
夢のような時間が流れ
夢のような季節が望みとともに訪れた
よい詩ですか
これまで、気になっていながら、チャンスのなかったOさんとも、すぐに会話が成立した。
龍馬を理解してくれる人が現れるとは思いませんでした。気持ちを言いたいとずっと思ってきましたが、願ってもかなわないと思ってきました。不思議です。どうしてぼくの気持ちがわかるのですか。願いは勇気を持ってよい理想の国を作ることです。すごいやり方ですね。不思議ですがぼくの気持ちと同じなので信じることができます。(他の人たちがぼくと話をしているのを見ていましたか。)
わかっていましたが、なかなかぼくのところに来てくれないので、あきらめていました。夢みたいです。よいやり方ですね。うれしいです。うちの人にも伝えてください。よいやり方ですね。このやり方をみんなにも伝えてください。
きれいな風が吹いてきました
勇気を風はくれました
夢の彼方のすてきな国
もっと遠くの夢に向け
ぼくは小さな体でも
勇気を出してよい風に乗り
美しい理想の国にむかって
若い気持ちで飛び立とう
この詩はぼくが作りました。いい詩ですか。この詩に特別な思いがあります。うれしいです。
夢みたいです。人間として認められた気持ちです。夢みたいです。苦しかったです、気持ちを言わないで生きていくことは。願いがかなってうれしいです。よいやり方ですね。
私たちのやりとりを前の座席で見守っていたHさんは、待ちかまえていたように手を出す。
願いはこのやり方でどんな人とも話せるようになることです。このやり方をみんなに伝えてください。
願いのよい夢
ろうそくの明るい光を大切にしよう
暗い夜を明るく照らし
暗い夜を明るい緑の公園に変えよう
空いっぱいに届くよう
気持ちのよい友だちの歌を
願いとともに届けよう
願いのよい風に乗せ
この気持ちをいっぱいに届けよう。
野を吹く風に気持ちをこめて
このよい物語を届けよう
私の気持ちです。よい気持ちです。よいやり方ですね。このやり方をみんなに伝えてください。よい方法ですね。気持ちを伝えたいです。みんな苦しいです。言いたいことを言えないのは。夢みたいです。くやしいです。苦しいです。なかなか信じてもらえないのは。
そんなやりとりのさなか、Tさんは、声で十分やりとりのできるSさんにもやれと言う。私は、Sさんに直接言葉で尋ねる。「Sさん、自分でしゃべれるけど、このやり方で話してみますか」と。すると、彼女は、はっきり、うんとうなずいた。そして、次の詩を書く。
願いのよい風が吹いてきて
私はきれいな花になる
黒い雲を吹きとばし
黒い夜の望みを明るく変えて
理想の風のころがすままに
私は空にまいあがる
言葉を簡単に書くことができないで、困っていました。私の心をわかってくれてうれしいです。困っていました、つらいことから逃れられずに、困っていました。母さんをこのやり方で驚かせたいです。
満足した笑いを浮かべながら、Tさんはこうはさんだ。
このよい方法をみんなにやってみてください。
そして、さらに、言葉を話すことのできるMさんも、やるという。
きれいな気持ちで生きていきたい。つらいことがいっぱいありますが、願いを大切にがんばりたい。願いを苦しみから解放したい。よいやり方ですね。
Tさんに感想を求めると、
苦しみを解放したいというのがいいです。
それを見ていたT.Sさんは、昨日、初めてパソコンを綴れた人だが(保存し忘れてしまった)、このやりとりを見ていて、次のように語る。
Sさんの詩がすてきでした。苦しかったです。よいやり方ですね。苦しかったです。
さらに、初めて話せたOさんに、担当者の関水さんへのメッセージを求めた。
関水さん。苦しい時にいつもそばにいてくれてうれしいです。ぼくはいつもこのことを関水さんに伝えたいと思ってきました。だけどなかなか伝えることができませんでした。よいやり方ですね。このやり方で話がしたいです。このやり方でもっと話したいです。
母さんにはいつも感謝しています。心ではいつもそう思っているのですが、なかなか伝えることができなくて、そのことを伝えたくて、今度うちに来てください。このやり方を伝えてください、母さんに。山崎団地です。来てください。そうです。全部わかっています。
左手で手をとりながら、あるいは、体を触りながら、あかさたなと唱えつつ、右手で文字を書き取っていく。次から次へと、秘められた思いが言葉になっていった。バスの中で語った人たちは、自分で椅子に座れれる人たち。知的障害、あるいは自閉症と言われてきた。そんな彼らが当たり前のように語りながら、バスの車中でのひとときを過ごせている。1年前には想像さえできなかった光景だ。知的障害って何なのか、自閉症って何なのか、私の中にあった古い常識は、あとかたもないほどにくずれさってしまった。
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2009年10月7日 16時37分
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この4月から学校を卒業して地域の通所施設に通うようになったSさんだが、通所施設の職員の方々は、彼女の言葉の世界の存在をおかあさんから聞いて、何とかそのことを日常の関わりに生かそうとお考えになり、私に研修会で話して欲しいと依頼をなさってきた。
大学の授業でもしっかりと話をしたSさんだから、ここは、彼女に直接話をしてもらおうと考えた。そして、さらに、とびたつ会のTさんにも、話をしていただくことにした。
SさんとTさんは、2年前のわかばとそよ風のハーモニーコンサートのとのミュージカルで、Sさんが作った「野に咲く花のように」という歌を、Tさん自身の気持ちを歌にしたものという想定で演じたことがある。そして、今年は、ともに、同じステージに立った。
Tさんは、眉毛の動きなどでコミュニケーションをとる方だが、昨年の10月、スピードがあがった私の方法で、次のような文章を書いていた。
一人で苦しんできたことを言葉で語りたいと思う。本当の姿を知ってもらいたい。野に咲く花のようにの女の子にも出演してもらいたい。僕の気持ちにはそんな人たちのことがずっと気にかかっています。僕の気持ちしか表現していないので、ほかの人たちの気持ちも表現してもらいたい。過ぎたことを言っても仕方ないけど、未来に向かって僕たちの気持ちを伝えていく必要があると思う。願いはたくさんの人に理解してもらうことです。けっして負けられません。手を使って話せることを世の中の人に伝えたいと思う。理科してくれるまで訴え続けていきたいと思う。苦しみや悲しみを伝えていかなければいけないと思う。理解者を増やしていかなければいけないと思う。きっとわかってくれる人が現れると思うので、頑張りたい。(…)
この方法で話せる人がたくさんいるかもしれないと思うと胸がはりさけそうになる。僕はわかってもらっているからいい。でも、沢山の仲間が苦しんでいます。このことを伝えていかないといけないと思う。僕は負けない。
そして、この思いを受けるようにして、わかそよでは、言葉を秘めていた方々の思いをテーマに、ミュージカルも合唱も進めたのだった。
私から始めに、この方法をめぐる話をさせていただいたあと、二人に、30名を越える方々の前で、パソコンで、話をしていただいた。
まず、Sさんの語りかけから。
新しい可能性というものが小さく広がってきました。自信が出てきました。悩みも消えそうです。生きる希望がわいてきました。人間として認められてうれしいです。きじ住む未来の国が見えてきました。自分はきじが好きです。美のある国にきじといっしょに行きたいです。きじは希望の鳥ですから好きです。気持ちが言いたいと思ってきましたので願いがかなってうれしいです・残念ながら学校では疑問視されてしまいましたが、字の念じるのを読み取れるというのは本当です。人間として生まれて生きてきて願いをかなえたです。自分の人生だから自分らしく生きていきたいと思います・
ついで、Tさんから。
人間だから気持ちがあります。みんな言葉を理解していると思いますが人間として勇敢に生きていきたいと思います。Sさんはずっと言いたいことが言えなくて苦労してきましたがやっときもちを言えてよかった。そんな人がまだたくさんいると思いますのでみなさんよろしくおねがいします。自分は仲間の痛みよくわかりますから希望がわいてきました。敏感に理解してくれる人がひとりでも増えたらうれしいです。小さい時からの夢でした。人間として生きていく。人間としていきていきたいです
他の施設の職員も含めた大勢の聴衆の前で、二人は、思いのたけを述べた。方法としては、決して簡単に本人がやっているようには見えにくいものだが、二人の真剣さは、これらがまさしく彼らの心の奥底からあふれ出たものであることを、如実に語っていた。この後、会場からいくつかの質問が出たが、可能な限り二人に直接答えていただいた。
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2009年7月13日 23時37分
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七夕の願いのことを書いたSさんと、また、ゆっくりとかかわることができた。朝の集いのとき、同じようにしてコミュニケーションをとるK.Fさん、K.Eさん、M,Mさんと4人で輪を作るようにして会話をした。みんな最近になってSさんが語れるようになったことを自分のことのように、喜び、Sさんは、しきりに「ゆうき」とという言葉をつかった。パソコンを青年学級に持ち込んだのはちょうど1年前のこと、こんな光景が繰り広げられられるようになるとは夢にも思わなかった。
コース活動では、Sさんによって1編の詩と一つの歌が書かれた。
勇気を持って未来に向かって歩きだそう
光を持って あしたに向かって歩きだそう
彼方に見える希望に向かって歩きだそう
勇気を出して海に向かって叫んでみよう
未来の理想の未来の僕にわかるように
昔の僕を瑠璃色の海にしずめて
未来の僕を瑠璃色の海からわき上がらせて
よい若者として未来に向かって歩きだそう
よい若者を未来に向かって
若い君たちを論じる前に
もう一度未来に向かって歩ませよう
若いりりしい若者に
若い忘れられない勇気を与えよう
よい若者によい勇気を与えよう
よい若者はよい勇気をもって歩きだす
勇気の道を
ランプが誰にもわかるように照らす
未来は道の向こうに続いている
ずっと未来は続いている
勇気を持って歩きだそう
勇気を願いながら
勇気を持って歩きだそう
笑いながらつらいことを
苦しみの道を問題にもしないで
未来に向かって
理解をしてください
私の願いです
私の体は
勝手に動きます
私の夢をわかってください
夢をわかってくれたなら
私の夢がかないます
夢をわかってくれたなら
私の夢を忘れます
夢のかなったそのときは
みんなを一つに瑠璃色の
私の私らしさを
みんなに夢見る
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2009年7月6日 21時05分
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今年度も青年学級の通常の学級活動が始まった。言葉の問題を真正面から取り上げた今年のわかそよは、無事成功させることができた。青年学級にパソコンを持ち込んで障害の重い人の言葉の世界が開かれて、ほぼ1年。いろいろなドラマがあったが、Sさんには、どうしてもきちんと迫りきれなかった。そのSさんと、久しぶりにゆっくり一日過ごすことができて、ついにSさんの気持ちに迫ることができた。
Sさんは、自力で歩行もできる方だが、コミュニケーションが対へむずかしいとされた方で、行動の面でも、心を落ち着かせるためだと思われるが、ティッシュペーパーやペットボトルなどをとろうとして、周囲の状況にまるで関係がないようにそちらに向かって突進していくようなところがある方だ。彼から話を聞き取れた今となっては、それが必ずしも彼自身が納得して起こしている行動ではなく、勝手に体が動いてしまっていたわけだが、それらをすべて彼の意図と見なしていた時には、彼をどう理解したらいいのか、本当に途方にくれていた。
私たちの関わりも、いきおい、彼の行動を止めることになりがちで、関係をうまくつくれないまま、ずいぶんと長い時間を過ごしてしまったように思う。
そんなSさんに、今回は、手をとってあかさたなと尋ねていく方法で、コミュニケーションを図ってみた。すると、これまでのずれがうそのように、彼は、次々と気持ちを語っていった。その中で、くりかえし語られたのは、彼が以前通っていた通所施設にまた通いたいというものだった。実はその通所施設は今はもうない。なぜなら、彼が今通う施設は、その通所施設が、他の施設と合併して新たに生まれた施設だからだ。その以前の施設には、私も若干関係していたので、その施設のすばらしさ、そして、Sさんがその施設でどれだけ穏やかに過ごしていたかは、実際に目撃してきた。しかし、もうその施設が発展的に解消してから、もう何年も経過した。それでも、彼は、その以前の通所施設のことを語り続けたのだった。(残念ながら手で聞き取ったので、書き留めなかった部分は記録としては残っていない。)
今回の活動は、作品つくりコースだったが、次回七夕が近いので、笹に願い事を書くということになったので、Sさんに願い事は何にするかと尋ねてみた。すると、さっそく、
「○○(かつての通所施設の名前)がわたしたちのためにまた始まりますように」という願いごとを書いた。
ずっと言葉を語るチャンスを持たなかった彼が、長い沈黙の時間の中で、ずっと願い続けてきたことだったのだ。
また、一つだけ、書き取った言葉がある。それは、Sさんに詩を書いてないか尋ねて答えたものである。それは、次のようなやさしい詩だった。
春の風が吹いてきて
ゆめがいっぱいふくらんだ
よい私のために 風が夢を運んでくれた
夢をかなえるために 私は勇気を出して
私のために夢を育ててきた
私の夢は私だけのもの
勇気を出して夢を育てよう
私の夢はよい夢
私の夢は私だけの夢
私の夢は私のゆいつのよりどころ
よい夢を育てて 夢をかなえよう
私の夢はよい夢 私の夢はよい夢
夢を育てて 夢をかなえよう
帰りに迎えに来られたお母さんの前で、一緒に会話した。
母さん、いつもありがとう。母さん、やっと理解してくれる人が現れたよ。
突然のことにお母さんも驚かれていたが、彼の言葉を、しっかりと受け止めていただけた。
今年は、たくさんSさんと語り合えそうだ。
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2009年6月26日 06時26分
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4月5日のわかそよコンサート練習日、初めて長文を綴ったY君のお宅を、彼が参加しているとびたつ会の松田さんとともに訪問した。そして、さっそくパソコンを開くと、次のような文章が一気に綴られた。
きてくれてありがとう
じぶんのいいたいこといいたいけどなかなかいえずにこまっていました
ちいさいときからはなしたかったのでむかしからねがってきました
りかいしてくれてありがたいです
びっくりしました
なぜぼくがはなしができるとわかったのですか
みんなぼくがはなしがわかるとはかんがえてはくれませんでした
そして、文字の学習について質問した。
じはいろいろくろうしておぼえました
じはにんげんだからきちんとわかりたいとおもってきました
にんげんだからはなしたいです
びんかんにかんじとってくれてうたいたいきもちです
ここで、スイッチの援助を松田さんに代わる。すると、私の方法では、私がスイッチを動か
していく方法にまかせていた彼は、自分でスイッチを動かし始めた。そして、選択したい場所を、止めることによって表現する。そうして、次の文章が綴られた。
はなのさとて(で)は つちを つたないてをとりたててりっぱにつかえるにんげんではないけど
ぬかりなくやっています
私ではない人での援助によっても綴られることで、ご両親も、安心なさったようだった。この内容は、彼が通う通所施設の土に関する作業のことらしい。ここでお母さんから、もう一つの作業である紙ちぎりについて質問が出る。そこで、再び私が代わった。
かみちぎりはかんたんです
ぬかりなくやってきました
そして、彼に、わかそよでは、この方法で書かれた詩に曲がつけられてみんなで歌っているけれど、Yさんにも作った詩はないかと尋ねたところ、次の詩が書かれた。
きいてほしいじぶんのこころ
きいてほしいねがいのことば
じぶんのいいたいことをいえずにそだち
いいたいことをいえずに
にんげんしゃかいでみとめられず
ねがったのはただちいさなしあわせ
みんなのことをうらやみながら
ゆめをずっとおいつづけ
みどりのかぜにりかいされ
ちいさなゆめをねがいながら
ふしぎなねがいをきにねがい
いいきにのぞみをつなぎ
ひとりのせかいでいきてきた
ねがいはちいさなゆめにかえみ
どりのにれにびろーどのいいぬのをかけ
ひそやかなぬいぐるみのようなこのぼくが
ひそやかにりそうをかかげ
みたこともないようなみどりのかぜに
ゆうきをもらう
満面の笑みを浮かべながら、詩だ。「緑の風」は、多くの人がこの春に表現し始めた言葉だが、「にれ」「びろーどのぬの」という言葉もまた、ほかの人の詩に登場した。何か、独特の美しさがあるのだろう。
ここで、再び、松田さんに代わる。おうちのパソコンにソフトをインストールするために、スイッチをいったんパソコンから外したので、急遽、松田さんは、パソコンのキー(TubとEnterの二つのキーでも、このソフトは動く)を押しながら、Yさんの手を振りながら、読み取ることを始めた。そして、さらに、途中から、手を振ることをやめて、彼の目の動きで選択の意図を読み取ることにも挑戦した。どちらも、うまくいき、途中でお父さんにも代わったりしながら、次のような文章となった。
てをはたらかせてこれからさきやるやりかたをさがしてて
かなでなんでもはなせるようにはなしはかならず
じぶんじしんやなやんでいるみんなとしあわせになります。
彼の世界のいったんが表現されたことはもちろん大きな成果だったが、松田さんの援助で綴れたこと、目の動きでも綴れたことなどもまた、貴重な成果だった。一歩ずつだが、着実に青年学級&とびたつ会では、この取り組みが広がりを見せている。
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2009年5月16日 20時42分
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学校を卒業し、地域の作業所に通い始めた☆☆さんを、わかそよに誘っている。彼女は、夜の練習にも参加できるので、合唱だけでなくミュージカルにも参加し、しかも、車いすの女性の重要な役にもついた。今回は、小さい時から続けてきた関わり合いの場面でのできごとだ。
最初に、彼女は、まず、一遍の詩を書いた。
はなのようにひろいこころで
ゆめをもちわすれずにいきていきていきたい
わたしにあたえられたみらいは
まったくきぼうがないとおもってきたけれど
ふしぎなことにきぼうにみちあふれていた
りかいしてもらえないくるしみは
ゆうべのひかりとなり
ゆうべのかねのようになりひびいて
にんげんとしてのわたしのあたらしいたんじょうのように
じぶんをはげましてみらいをひらく
みらいはりそうをわたしにくれて
りそうのわたしをやさしくひらく
りそうのわたしはゆうべのわたしではなく
りそうをねがうわたしのすがた
ゆめをひろげゆめをりそうにたかめ
にんげんとしてのちかいをまっすぐにつらぬき
やさしいゆうべのかねのように
りそうをかなえよう。
卒業して、「ぼくはうみがみたくなりました」の映画にも出演し、さらに、わかそよにも参加するというかたちで彼女の世界は確実に広がりを持ってきているが、そのような現在の彼女の状況が、「まったくきぼうがないとおもってきた」みらいを、「ふしぎなことにきぼうにみちあふれ」たものに変えてきたのだろう。
そして、彼女は、次のように思いをさらにつづっていく。
にんげんとしてみとめられたいとおもいます
にんげんとしていきていきたいとおもいます
みのうえよりもきょうのゆめをたいせつにしたいとおもいます
にんげんとしてゆめをかなえていきていくことがやっとできそうなきがしてきました
ここで、わかそよの練習に参加した感想を聞いてみた。
みんなわたしのことをだいじにしてくれてうれしいです
にんげんとしてみとめられたきがします
りかいしてもらえてうれしいです
そして、彼女が演じている、言葉を発することのできないくるまいすの女性の役で、言葉にならない言葉を発する演技を、自発的にやり始めたことについて尋ねてみた。
ちいさいときからともだちのようすをみてきたことがとてもやくにたっています
ゆうきをだしてえんじてみました
みているひとにつたわるかどうかしんぱいですががんばりたいとおもいます
そして、さらにこう続ける。
にんげんとしていきていくことができそうです
みまもっていてください
ミュージカルのストーリーについても、こんな感想が書かれた。
とてもいいはなしです
りかいされてこなかったひとたちのねがいがこもっているとおもいました
みてほしいです おおくのひとに
そして、歌については、
ちいさなしあわせのうたがとてもよかったです
びっくりしました りそうてきなかしでした
そして、最後にこう希望をつづった。
みちがひらけてきそうです わたしもせいねんがっきゅうにさんかしたいです みらいがひらけてきました
残念ながら青年学級は、現在募集をしていないが、とびたつ会への参加も含めて、これからの将来が開けていけそうである。
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2009年4月25日 00時44分
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5月24日の若葉とそよ風のハーモニーコンサートの練習は、いっそう熱気を帯びてきた。今年は、ミュージカルも合唱も、その中心には、これまで言葉を発することのできなかった仲間たちの、あふれ出た思いがある。練習の途中の時間に、3名の方にパソコンで気持ちを聞いた。
最初は、M.Mさん。今回は彼女が最初にパソコンで書いた言葉がそのまま「オリジナルスマイル」という曲になって、ミュージカルの中で歌われる。
スタッフの松田さんが、最初の5文字を手で読み取ったといって、私にバトンタッチししてきた。さっそくパソコンを開くと、次のような詩が綴られた。
めにうめのはな よくさいた
ひかりのひかる なみだとねがい
にんげんとしてうまれて
いきてこれたことにかんしゃして
ちいさなひかりをたいせつにして
ゆうべのくるしみ わすれて
りかいされた しあわせを
かみしめながら いきていこう。
そして、次の文章が添えられた。
これでいいです。じぶんのきもちをいいたかったので ゆめのようです
今回の合唱で歌う「願いの季節」という歌には、「にんげんとして生まれ生きてきて」「やっぱりきびしいはなせないのは にんげんだからあふれるきもちがある」という歌詞がある。この歌詞は、おそらく、彼女の中でも深い共感を持って受け止められたにちがいない。彼女の詩には、その言葉と響き合うものもあったことだろう。
ここで、松田さんからオリジナルスマイルの感想はどうだった?と質問がくる。そして、次のような答えが返ってきた。
とてもいいうたで うれしいです またつくってほしいです
次に、K.Tさんとパソコンで話をした。
しばたさんといつかはなしたいなとおもっていましたが なかなかじかんがとれませんでした にんげんだからざんねんです はなしができないのは みためではんだんされてくやしいです みためではなにもできないようにみられてくやしいです みためではんだんされるのはいやです なぜひとはみためではんだんするのでしょうか
見た目で判断されて不当な理解しかされてこなかった彼の、心の底からの思いだった。そして、私も、その不当な理解をしてきた一人だった。
彼は、北風の長い詩を12月の合宿の時に聞かせてくれていたので、ここで、春の詩はないのかと尋ねてみた。するとこんな詩が綴られた。
はるがきた
みどりいっぱいゆめをいろどり
りそうのちがひらけた
みどりのかぜがむかいかぜとなり
べんちのうえのふたりが
なやみをせなかにせおいながら
ふたりのかたごしに
やさしくみどりのかぜがふき
ふたりのなやみをふきとばしていった。
北風は季節の変化とともに緑の風に変わっていた。それにしても、なんと美しいイメージの世界だろう。
練習が終わり、後片付けをしていると、D.Tさんが、しきりにパソコンで話したそうに訴えてきた。彼は、これまで、眉毛で気持ちを表現したり、シンボルマークを使って気持ちを表現してきた。そして、自分とほとんど同じような状況にありながら、紙一重でコミュニケーション手段を持たなかった仲間たちが、次々とパソコンで気持ちを表現していくことを自分のことのように喜んできた。彼がこの日書いたのは以下の内容である。
じぶんのきもちをいえないなかまのきもちをひょうげんできてうれしい ちいさいときからゆめみてきました ちいさいときからびくびくしていきてきたので みんなきもちがいえてうれしいとおもいます ゆめでしたから じぶんのきもちをいうことが ばかにされたりむしされたりしてきたので にんげんらしくきもちがいえたらいいとおもってきました みらいがひらけてきました かんげきです やらかしてやろうというきもちになりました ひとりでなやんできたひびがこれでおわります かんどうしました じつにいいきぶんです ねがってきたやわらかいじんせいのはじまりです ゆめのようです めりーくりすますみたいです かんどうでやねにのぼりたいようなきぶんです かんどうこのうえありません
静かだが大きなうねりのようなものがひしひしと感じられる日曜日だった。
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2009年4月22日 23時11分
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若葉とそよ風のハーモニーの練習に来た○○さんにパソコンを挑戦した。「ウーウー」という声しか出せないが、指さしや身振りで気持ちを伝えることができる方だ。公民館の場所からひかり学級が分かれた時(もう20年近く前のことだが)、彼女はひかり学級に移っていったので、日常的な活動ではなかなか会う機会がなく、会えるのは、2年に一度のこのコンサートの時だけになってしまった。彼女のコミュニケーションの力を考えると、言葉の力があることは容易に想像がついたので、練習前の時間にすぐそばに彼女が来たところで、ためらわずにパソコンを出した。そして、綴った言葉。
ちいさいときからはなしたかった
きもちがつたえたかった
きいてくれてかんしゃします
ちいさいときからはなしたかった
ちいさいときから
ちいさいときからじをかきたかったけどうまくいかなかった
いいきかいですね
かいたいです
ありがとう
ここで詩を書いているかと尋ねるとはいとうなずくので、書いてもらった。
ちいさいときからみてきたゆめ
ちいさいときからねがってきたねがい
みしらぬみらいをみつずけて
みしらぬらんどをゆめにみて
ひとりぼちでいきてきた
ゆめはいつもかなわなかったけど
ゆめみたことはらんぷのようにかがやきつずけている
わたしのこころのなかで
にんげんとしていきたいといつもねがいながら
いつもちいさいむねをいためてきた
ねがいのちいさなゆびさきに
ちいさいちいさいゆうきがやどり
みたこともないちいさななみだが
りんごのしずくのようにながれた
ちいさいころからひとりぼっちでいきてきて
びょうきのためにちいさいときからはなしもできず
まるでちいさなひんしのはとのようにいきてきた
わたしをにんげんとしてびんかんにかんじとってくれたなかまたちが
くれたきぼうを
だいじにしていきていきたい。
独創的な比喩がたくさんちりばめられた言葉だ。この詩だが圧巻は、「わたしをにんげんとしてびんかんにかんじとってくれたなかまたち」という表現だ。そういう仲間たちに支えられて彼女は、生きてきたのだ。この言葉の裏には、人間として感じとってくれない人たちの存在がいるということがある。そのこともまた重く迫ってくる。
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2009年4月7日 05時45分
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5月24日に開催される若葉とそよ風のハーモニーコンサートの結団式が、町田市内の福祉施設の体育館を借りて行われた。E.Kさんはその施設に入所している。彼女は、3月1日に会ったとき、パソコンで詩と曲を私に伝えてきた。曲は階名を書くことによってだ。それから、何とか楽譜にしてきたが、まだ、はっきりしないところがいくつかあった。それを今回、昼ご飯の時間に聞き取った。すると、少し変えたといって、もう一度詩を書き、私がはっきりしないところのメロディをもう一度尋ねた。
しろいこいぬ しろいゆきを
ふしぎそうにながめている
しろいゆきは きぼうのししゃ
ねがいをかなえて そらからふる
ちいさいころから ひとりぼっち
ちいさいころから ぬいぐるみ
ちいさいわたし ちいさいゆめを
ねがいとともに ゆめみている
この詩は、コンサートのミュージカルで使うことになっている。彼女を想定した役柄の女性が、北国の施設で暮らしていて、雪を実ながら、心の中でこの歌を歌うという設定だ。幸い、彼女は仲間のいるこの町にとどまることができた。しかし、少なくない仲間が、遠い施設に去っていった。その一人一人が、いろいろな思いをもっていただろう。しかし、聞き取る方法が、間に合わなかった。
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2009年3月31日 09時03分
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午前中、ある学校の訪問教育のお子さんのお宅にうかがい(そのことは改めて紹介したい)、夜の青年学級の会議まで、すっぽりと時間が余った。ともかく電車に乗って、ふと思いついたのは、NHK主催のハート展に行くことだった。私が関わった6年生の女の子の作品が入選して、展示されているからだ。たくさんの作品の中に、彼女の作品もあった。筆談ができるようになって、学校の先生に支えられながら書いた詩だ。
あしたのこえ
みらい るるる
あしたのことはわからない
るるる るるる
あしたのこえ
あしたのことはわからないという言葉、長い間、言葉が閉ざされていた時、明日は不安に満ちていたかもしれない。しかし、今、明日は、未知の希望にあふれているのではないか。るるるという言葉に、そんなことを思った。ささやかな一歩だが、彼女が、自分の声を社会に届け、社会に向けて歩み出した記念すべきだ一歩だ。展示されている多くの作品の一つ一つに、作品を見ただけではうかがいしれない、そんなドラマが秘められているのだと思った。
そして、そのまま、町田に向かった。時計を見ると、まだ、余裕がある。そこで、思い立って、月曜日に手術をするために入院している53歳の青年学級のメンバーのお見舞いに行くことにした。病状は予断を許さないものであると、電話でお母さんからうかがっていた。
彼、SYさんは、年末にパソコンで言葉を初めて綴った方だ。自分で身のまわりのことはだいたいできる方だが、言葉は少なく、単語だけを話される。行くと、ちょうど、お見舞いに来た授産施設の方々をお母さんと一緒に病院の玄関でお見送りするところだった。私を認めるとにやっと笑ってくださった。そして、そのまま病室におじゃました。お見舞いを買ってくるのを忘れていたので、ハート展の詩画集を彼に渡した。そして、たまたま、スイッチ一式を携えていたので、一度お母さんにも見てもらいたいという思いがあり、パソコンを出した。そして、彼は、次のような文章をさっと書いた。
きてくれてありがとう
うれしい
くるしいげんきになりたい
じぶんのきもちがいえないのですごくこまっています
かあさんしんぱいかけてすみません
ぎせいになってもうしわけありません
きのうかんごふさんがきてすきなおんがくについてきいてくれました
いしのまこがすきですからききたいです
ききたいです
くすりがにがくて
きらいです
がまんしてともかくちいさいころからのんできました
ここで、流動食の食事が来た。そこで、パソコンをしまう前に、一言あったらと尋ねると、
きいてほしいことはくるしいけどがんばりますということです
と綴った。そして、食事をする彼の横で、彼の言葉も入った今年度の音楽コースのオリジナル曲を流した。歌詞にしたのは彼の長い文から抜粋した次のような言葉である。
にじをみにいくことです みんなでみにいこう
じぶんでにじをつくりたい
ちいさいねがいだけどたいせつにしよう ちいさいねがいだけどしっかりもっていこう
にんげんだからきもちがあります
きびしいです ことばがはなせないのは
メロディーに合わせた歌詞ではこうなった。
にじをみんなでさがしにいこう じぶんでにじをそらにかけてみたい
やっぱりきびしいはなせないのは にんげんだからあふれるきもちがある
ちいさなねがいたいせつにしよう ちいさなねがいしっかりと
彼の食事中、思わず、お母さんと昔話に花が咲いた。私より3歳上の彼と出会ったのは、私が23歳の時、それから30年近い時間が流れた。お互い、すっかり年齢を重ねた。そんな話だった。彼の食事も終わり、そろそろおいとまをと思い、最後に、彼に、手を振る方法で、手術について尋ねた。
こわいけどがんばります
エレベーターまで送ってくださったお母さんは、「かわいそうでね、代われるものなら代わってあげたいわ」とおっしゃった。大正生まれの気丈なお母さんだが、その思いが痛いほど伝わってきた。
私たちのコースのオリジナルソングの最後に、こんな歌詞がある。
じぶんになにかがあったときは なかまがきっとたすけてくれる
今、大変な病気と闘っている彼のたすけにいくらかでもなれただろうか。そんなことを思いながら、青年学級のスタッフ会議に向かった。
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2009年3月7日 01時25分
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成果発表会の終了後、トマトハウスで、再び、2人の方の言葉を聞いた。
K.Kさんの言葉を聞くのは2度目。合宿以来になる。発表会のステージの上では、彼の合宿での言葉が、仲間によって朗読された。
トマトハウスでは、彼は、次のような思いと、詩を綴った。
ちいさいときからいいたいことがいいたいとおもってきました
いいたくてもうまくいえませんでした
いいたいことがいえたらうれしいです
しろいこいぬがゆきといっしょにやってきた
ちいさいわたしはちいさいねがいをしろいゆきにたくし
じぶんのねがいをきいてくれるきたかぜに
ちいさいわたしのねがいをたのむ
きいてほしいのぞみをひとりしずかにききながら
しろいゆきがふるのをみつめていた
きのうのかなしみはじぶんのねがいをしり
きのうのさびしさはちいさいじぶんのべんきょうができなかったふまんをしっている
きぼうのいいきたかぜはしろいねがいをねがいながらにんげんにきぼうをあたえる
ねがいはちいさなゆきのかけらとなってぶなのはやしにつもった
たのみのつなはきぼうのいいきたかぜだ
みたこともないのぞみをはこび
ぼくにゆうきをくれた
きぼうのきたかぜをまちのぞみながら
ぼくはにんげんとしてきのうのじぶんにわかれをつげ
なやみのないみらいにむかってたびだとう
おわり。
しはいつもかんがえています
いつもたいせつなことばをじぶんでかんがえています
きいてくれてありがとうございます
じぶんのきもちがきいてもらえてうれしい
しばたさんはなぜぼくがりかいしていることがわかったの
トマトハウスでは、E,Kさんの言葉も聞いた。7月に、初めて文字を綴った方だが、12月の合宿の時、階名で歌える歌があったら書いてみてとの求めに、チューリップの歌の階名を書いてくれるということがあったので、その時、自分でメロディを作れたら、作ってみてほしいと頼んでおいた。いくらかやりとりをした後、彼女は、次のような階名を記した。
ソファミファソソファミファレファドドドシラソファラソファソミソファミファソソファミファレミレドシラソファソドララシドレドシドシラソラソソララシレドシドミレドミレソファミファソソファミファソソファミファソレレミファソファミファソララシドレドシドレドシシドー
いくつかの解釈が可能なので、まだ、はっきりと区切ることができないが、確実に一つの形式を踏んで、音楽ができていることがわかった。そして、その歌詞として、次の詩とその説明が書かれた。
しろいこいぬ しろいゆきを
ふしぎそうにみつめている
しろいゆきはきぼうのしししゃ
ねがいをかなえてそらからふる
ちいさいときからひとりぼっち
みんなみているしろいゆき
みんなをつなぐしろいゆき。
ちいさいころからかんがえてきたうたです ききとってもらえてうれしいです がくふにしてください よろしくおねがいします きいてもらえてうれしい ねがいがかなってうれしいです きぼうがわいてきました きいてもらえてうれしくてなみだがでてきました ふだんなにもわかってもらえないからです いいきもちです ひとりぼっちだからいつもきいてもらえてしあわせです いいきもちです
そして、さらに、成果発表会で、自分の歌詞の入った歌ができたことについて、こう述べた。
ねがっていました きもちをいえるようになることを
F.Kさんのかしがすてきでした わたしのかしはぶぶんてきだったのでざんねんですでもかんどうしました きいてみたい いま ちいさいこえでいいからきいてみたい
この彼女の希望に応えて、このコースのメンバーを中心にして、この歌を合唱した。わかそよコンサートでもぜひ歌いたい曲だ。
また、彼女は自分の作ったメロディと歌詞に次のような題名をつけた。
しろいきぼう。
このあと、私はとびたつ会の支援者の松田さんとスイッチの援助を代わった。施設でのことがいろいろと綴られた。少しずつ、スイッチの援助者の輪が広がっていくことが本当に楽しみだ。そして、最後に、こう記して、施設へと帰っていった。
またよろしくおねがいします
きいてくれてかありがとうございます
さようなら
よかった
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2009年3月3日 18時14分
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成果発表会の合間に、何人かの言葉を聞き取った。
最初は、朝、つどいの最中に聞いた女性のN.Fさんの文章だ。まず、お母さんの病気の心配のことから始まった。
なかなかかあさんのびょうきがなおらないのでしんぱいです
ねがいはずっとかあさんといっしょにくらせることです
きいてくれてありがとうございます
いいきもちです
いきていきたいで ひとりで
ききたいことがあります
どうしてわたしがはなせるとわかったのですか
かあさんがぐあいがわるくてかなしいです
いいびょういんをさがしてあげたい
(大変ですね。)
たいへん
(質問について、いい呼び方ではないし、間違った呼び方だと思うけれど、N.Fさんたちは、ある呼ばれ方をするでしょう。最初はこの方法は、同じコースのE.KさんやN.Fさんのように車いすの人で話ができない人のために考えたやり方だったのだけど、N.Fさんたちのような人たちも話すことができるのがわかったから、N.Fさんにも、声をかけたんです。)
しっていますじへいしょうのことですか
いいなまえではありません
(今日は成果発表会、がんばってね。)
がんばります
(N.Fさんも詩を作ったことありますか。)
(小さくこっくりとうなづいて)きいてください
いいちいさいわたしは
ちいさいはなとちいさいはなびらのようにいきてきた
きいている いいはなのうたを
きいている いいはなのさくおとを
たくさんのゆめとたくさんのひかりをかかえて
わたしはいきてきた
いのちをしんじながら きぼうをもとめながら
くなんのかべをのりこえながら
きいている あたらしいいのちのこえを
きいている きぼうのかねのおとを
いつかきっとわたしのねがいがかない
にんげんとしてちいさいねがいをもち
いきていくことをねがいながら
じぶんのしです
きいていただけてうれしいです
ねがいをかなえられたらうれしいです
きいてくれてありがとう
なお、帰りのお迎えに見えたお父さんにこの詩を見せた。この詩の内容に深くうなづきながら、お父さんには、お母さんへの思いをかみしめておられるようだった。同時に、たそして、パソコンを開くと、お父さんの膝にそっと手を乗せて彼女は、こう書いた。
かけてうれしいおとうさん
朝のつどいのさなか、H.Nさんともパソコンで言葉を交わした。H.Nさんは、かすれたような声で単語を発することがある寡黙なダウン症の方である。
いしをつたえたいにんげんだから
いいにんげんになりたいとおもいます
きいてもらいたいことがある
ひかりとかねがいとかぼくにもやってくるのですか
きびしいですはなせないのは
ひととしてみとめてもらえません
くやしいです にんげんらしくいきていきたいです
ひかりがほしいです
ひかりをもらいたいです
ふつうのにんげんとしていきていきたいです
ふつうのがっこうにいきたかったです
けさもばかにされました
きっさてんにもいきたいです
きいてくれてありがとう。
10年前ころの数年間、彼は青年学級の帰りに私と喫茶店に行き、チョコパフェを食べて変えることを習慣にしていた。しかし、健康上の問題でカロリー制限が必要となり、いつかその習慣も途絶えていた。そんな思い出がよみがえる。私も、彼を「ばかに」したことはなかったろうか、本当の意味で彼を人間として認めてきただろうか。そんな問いが芽生えては、胸につきささる。
Y.Hさんは、N.KさんとH.Nさんが語り終えるのをずっと待っていた。すでに時間はあまり残されていなかったが、次のような文章を彼は書いた。
ききたいことがあるじぶんはせいかつりょうにはいけないのですか
ねがいはちいさいときからちいき
午前中から、彼が入所している施設の職員さんが、私のコースに参加してくださっていたので、お昼休みに彼のことについて話ができた。彼は、生活寮で暮らすための練習を始めることになっているそうだ。次に紹介する私のコースのメンバーであるT.Hさんのパソコンの様子をご覧になりながら、Y.Hさんの話にもなって、彼の内面の声を驚きとともに、受け入れてくださった。午後の発表の中で、彼の言葉は、たっぷりと紹介された。マイクをふられても、どうしても問われた言葉を繰り返さざるをえない彼だが、たくさん語った言葉がステージの上で紹介されていくのを喜びの表情で見ていた。施設の職員の方にも確実に彼の声は届いたはずだ。
お昼休みの時間に、書いたT.Hさんの文章は、次のようなものだった。彼自身の言葉も入ったコースのオリジナルソングをめぐる感想から始まった。
ちいさなしあわせというかしがよかった
いいちいさいじぶんというかしをしにいれたかった
きぼうちいさくささやきながらというかしがすてきでした
じぶんのしがすてきでした
にんげんとしてというかしがきにいりました
いいちいさいじぶんというのをいれたかったです
そして、横でパソコンを見守っている先ほどの施設の方と、パソコンで次のようなやりとりをした。
こんにちわ
(「こんにちわ。」)
しをきいてくださいましたか
(「はい。」)
どうでしたか
(「すてきでした。」)
うれしいです
ちいさなしあわせというのがいいでしょう
(「そうですね」)
じぶんもだいすきです
(「どんなお仕事をしているのですか。」)
ほうせいというしごとをしています
(「何を作っているのですか。」)
かばんをつくっています
(「針はつかいますか}
つかいません みしんのほうせいです
ちいさいのぞみですがしごとをかえたいとおもっています
きびしいかもしれませんがきぎょうではたらきたいとおもいます
(「いいところが見つかるといいですね。」)
そうですね しごとがちゃんとしたいです
ちいさいしょくばならかのうかもしれません
きいてくださってありがとうございます
にんげんとしていきていきたいとおもいます
ここで再び、自分の気持ちの表現に戻る。
ゆめは×××さんにすきなものをかってあげることです
ひんがいいものをえらびたいです
ひんがいいちいさいものがかいたい
じぶんのいいところをみとめてくれるからです
にんげんとしていいところをよくみてくれるからです
にんげんとしてにているところがあるからです
ちいさいちいさいねがいです
きいてくれてありがとうございました
(×××さんについては)ないしょです
書かれた文章を音読できるということは、よくわかっていたが、会話となるとなかなかスムーズにはいかない彼が、こんなにもなめらかに初対面の方と会話をする姿に、彼にこれまで与えられてきた「自閉症」という呼び名がいったい何なのか、改めて、考えさせられずにはいなかった。
また、繰り返される「にんげんとして」という言葉は、今回の歌の中に、別の方の言葉として盛り込まれたものだ。彼も、その言葉を気に入ったのだろう。それにしても、この言葉が繰り返されるたびに、胸にズキンと迫るものがあった。
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2009年3月3日 12時57分
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平成20年度町田市障がい者青年学級の公民館学級成果発表会が、3月1日、開かれた。今年は、昨年の7月にMさんの言葉をパソコンで表現することかできたことを端緒にて、多くの、言葉を有していないと考えられた重度の車いすの方々や、自閉と呼ばれる障害をかかえた方々、簡単な単語しか発することのできない重度の知的障害のある方と考えられた方々が、パソコンで気持ちを語り、詩を綴った。今回の成果発表会では、それらの成果がふんだんに生かされた。もちろん、この成果発表会は、当事者の言葉や表現をこれまでも大切にしてきたものだから、こうした表現にいちだんと厚みと深みが生まれたということだ。
単なるコミュニケーションという問題を越えて、一人一人の秘められていた心の世界が仲間やスタッフに共有され、新しい表現としてより高められていく。成果発表会に訪れた人々もまた、それを感動をもって受け入れてくださった。
5月24日、町田市民ホールで第14回若葉とそよ風のハーモニーコンサートを私たちは開く。今回は、この成果を最大限に生かし、新しい文化の誕生をより多くの人々に訴えたいと思う。
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2009年3月3日 08時49分
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青年学級では、今回もたくさんの人がパソコンで気持ちを表現した。その中から、詩として表現されたものを紹介したい。
まず、自閉と言われて施設で暮らすH.Yさん。彼は、言葉を口にすることの少ない人だ。
しろいきたかぜしろいゆきをつれてやってきた
ひとりぼっちのこのぼくに
しろいきたかぜちいさいぼくにしろいゆきをくれ
さびしさのじかんをわすれさせてくれた
いいしろいきたかぜはきっとことしもふくだろう
しろいゆきをふらせてぼくのさびしさをわすれさせてくれるだろう
きたかぜをまちながらきたにむかってぼくはさけぶ
きたかぜにむかってぼくはいのる
いいきたかぜいいひとにしてくれと
いいひととめぐりあわせてくれと
いいじかんがながれ
いいじかんがながれさり
きたかぜはゆめのようにきえたが
ぼくのこころにはみたこともないようなねがいのじかんがのこされた
かんしゃしようきたかぜに
かんしゃしようゆきに
みたこともないじかんをたいせつにしていきたいとおもう
いいじかんをちいさ
最後は、ちょっと時間がなくなってしまった。
次は、いつも、明るく大きな声で歌うK.Nさん。彼は、今回が初めての挑戦だった。先に語られた言葉とともに、詩を紹介する。
うれしいにんげんとしていきて
いきていきたいのできもちをつたえたい
ちいさいころからのゆめでした
ちいさいときからのねがいでした
ちいさいときからほんとうはわかっていた
ちいさいときからきもちがつたえたかった
いいきもちです
いいたいことがいえてうれしい
ほんとうはきたくしたいけどしかたありません
かあさんにめいわくをかけてしまうから
ないしょにしておきます
きもちがいえてうれしい
きもちがつたえたかった
だれかにつたえてね
ちいさいときからいいたいことがいいたかった
いいたいことがいいたかった
つきあってほしいのは×××さんです
つたえたい
じぶんのきもちがいえたらうれしいとおもってきました
いえてうれしい
きいてほしいことがあります
ちいさいときからじぶんのきもちをつたえたかったのでじぶんをつたえられてうれしい
じをおぼえたのはにねんせいのときです
じをおぼえてもかけなくてくやしかった
いいいちにちになりました
いいじかんです
なかなかりかいしてもらえません
ざんねんです
ちいさいころからのゆめでした
くるしいきもちがきえないときは
そらをみあげてみよう
にんげんだからつらいきもちにまけそうになるけど
きぼうをすてずにいこう
きぼうのきたかぜはきっときたからふくだろう
にんげんとしてうまれてのぞみをすてずにいきていきたい
にんげんとしてきぼうちいさくかかげながらいきたい
ひとそれぞれのいいところをたいせつにしていこう
ちいさいなねがいでももちつずけていこう
しろくかがやくねがいだけをたいせつにしながら。
次は、ふつうに会話をするS.Nさん。自分からパソコンで詩を書くと言ってきた。
しをつくったのできいてください
かわいいたけのしげるみどりのはやしに
みようとしてもみえないみどりのかわいいふしぎなこどもが
もがきながらすいこまれていった
きいたこともないようなこえをだしながら
かわいいあんでるせんのひととゆめをみながら
いいにんげんになろうとしてた
もとのじぶんのすがたをそうぞうしながら
やさしいかぜがふいてきて
においのきれいなかぜになって
いちばんにおいのいいにんげんをあこがれながら
ながいさすらいのたびにさそわれて
いいちいさいわたしをゆめみながら。
次の方は、いろいろ言葉は話すことができるH.Sさん。口にする言葉は、定型にはまっているが、書くことはまた別だった。彼からは、以前、すてきな犬の絵を見せてもらったことがある。もう亡くなった犬のことだ。その詩を作っていないかと尋ねると、作っていると言って聞かせてくれた。
しろいしっぽのころがしんできれいなはながさいた
いまごろころはてんごくできっと
きれいなはなにかこまれているだろう
ひかりのなかをかけまわっているだろう
いいかぜにふかれていることだろう
しろいふさふさしたにおいのしずかないきです
べてをいろどるだろう
しろいいろはねがいのいろ
きぼうをちいさくつむぐいろだ
ひかりのいろだ
しろいいろのきぼうをきいて
ぼくにいいきぼうをあたえてくれるだろう。
最後は、車いすのK.Hさん。場所は、居酒屋である。
にんげんとしていきていきたいとおもうきもちはおなじです
にんげんなのできもちがあります
にんげんとしてきもちをきいてもらいたいです
あたらしいさけびをきいてください
ちいさいちいさいねがいのはながきれいにいいはなをさかせ
きれいにきれいにきもちをかえる
いいちいさいわたしはじぶんのいのちをさかせるために
いのりをささげる
きぼうのじかんがすぎていき
ちいさいじぶんのひとりのゆめが
しずかにしずかに
においのいいちいさいねがいのはなをさかせる
きりがなくちいさいきぼうでもじぶんのたいせつなもの
にんげんとしてのさびしさをなみだのうみにしずめ
じぶんのなみだをたいせつにききとり
いいねがいをかたりながら
さびしいねむりを
えられないようなよろこびであかるくそめる
あかるいよろこびはちいさいじぶんのなみだのおかげ
ちいさいじぶんのかちとったゆめのあかし
ぬいぐるみといえるようなあかるくないちうさなじぶんのかこのくるしみをこえて
あしたにむかってちいさくひらく
びろうどのようないいはなだ
いいじぶんがすくないちゃんすをものにして
かちとったかんどうてきなすがただ
多くの人がいろいろな形で言葉を奪われてきたということに慄然とする思いがする。
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2009年2月17日 23時49分
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青年学級の活動も年度末が近づいてきた。3月の成果発表会、そして、5月には、わかばとそよ風のハーモニーコンサートが控えている。
朝のつどいの中で、まず、Hさんにパソコンを挑戦した。彼は、いわゆる「自閉」と呼ばれる方。入所施設で暮らし、仲間につきそわれるようにして毎回公民館にやってくる。彼の気持ちの表現は、一度も聞いたことはなかった。
いいやりかたですね
うれしい あきらめていました ことばがはなせるとはおもいませんでした
さびしい だれもきもちをりかいしてくれないから
かあさんにあいたい いきたい はか いきていたらことしではちじゅういち
きになっています さみしがっていないか
きぼうがでてきました
ききたいことがあります かのじょはできますか
しばたさんはけっこんしていますか あいしていますかかのじょを
かあさんといっしょにがいこくにいきたかった
だきたいです かあさんを
ちいさいころからはなしたかったです
そんばかりしてきたので そんしたのをとりもどしたい
すんだことはしかたないけど にんげんとしていきていきたい
じぶんのきもちをいいたいです
いいあかるいかぜがふいてきました
彼は、すでに母親を亡くしている。小刻みにスイッチを動かす手に力が入るので、ところどころ、読み取りにまちがいがあるかもしれないし、母親の年齢のところは、自信がない。しかし、母への思いが、切実に伝わってくる。
集いで書いたのはここまでだったが、活動の途中で、もう一度機会があった。
きもちいいいいすいっちですね
(コース活動で取り組んでいることについて)
かんきょうもんだいはちきゅうのおんだんかです
きおんがあがってしろくまがこまっています
(施設での農作業について)
のうさぎょうがたいへんです なかなかちいさいさくもつはおおきくなりません
いつはがかれるかしんぱいです
(施設の周りの環境の変化について)
いえ いっぱいたって あいぞう(愛憎)にあふれるようになった
しぜんはこころがやすらぎます
きはこころのかなしみをいやしてくれます ちいさいときからきがだいすきでした
いいにんげんになることがゆめです あきらめていました
いいたすけがあらわれました
きっとかあさんもてんごくでよろこんでくれているでしょう
いいきぶんです
Mさんはせっかちですがやさしいひとです
すてきなひとです きちんとしています いいひとです
しっています ちかくにすんでいました いいひとです
たのみたい すいっちを
(途中手をとってやる方法も試みた。その感想は、)
いいすいっちなのであれもいいけどこちらのほう(手を取り合う方)がかんたんですはい
なかなかコースは一緒にならなかったHさんだが、もうつきあいは長い。言葉がないことは、自明として、つきあってきてしまった。一つ一つの言葉が、重い人生を伝えてくるようだ。
そして、お昼頃、Oさんが登場した。障害の重い人として、ずっと関わって来た方だが、今年度は休みが多くて、久しぶりだった。Oさんと同じタイプと思われていた人たちがみんな言葉を表現したから、Oさんが同じように言葉を表現するであろうことは、予想ずみのことであった。来るなり、さっそく、パソコンに挑戦した。そして、次のような文章が綴られた。
いいね なぜことばがあるとわかったの きぼうがでてきました
いいたいことがいいたいとおもってきました
かあさんにつたえてください きかせたいことがあります
いじいじといきていくのはいやなので きちんといしをいってあかるくいきていきたい
からだがうごかないけど いしがありますから きもちをいいたいとおもってきました
きもちいいです
ぎせいになりたくない ひのあたるところがほしい
きびしいです いまのせいかつは
いいたいことがいえなくて
てではなせるとはおもわなかったのでかんどうしています
いいほうほうですね うれしいです きもちがつたえたかった
ちいさいころからのゆめでした うれしくてなみだがでてきました
じぶんのきもちがいいたかった くやしかったけどきぼうがわいてきました
しばたさんはどうしてぼくがことばがわかったのですか
なぜぐっちゃぐっちゃのぼくなのに
ぎせいになるのはいやです
ひかりがさしてきました ちいさいときからのゆめでした
いきるきぼうがわいてきました
きのうのくるしみはかこのものになりました
りかいされてこなかったけどこれでねがいがかないます
じぶんをひょうげんしたかった
いしがいいたかった
いいたいことがいえたらいいとおもってきたけど
いいたいことがいえそうでうれしい
きかいがほしい きかいがあればだれとでもやれるから
せいねんがっきゅうのときにはふつうにできるのですか
うちでもやりたい よかったらうちにきてください
すばらしい かあさんにつたえてほしい
きもちがいいたいからきもちあふれています
いいうたです わかる
きいてくれてありがとう
小柄なOさんは、いつも車いすで天井を向いていることが多く、天井のライトのきらめきが好きだなどと言ってきた。そういう姿は、以前は、なかなか言葉の存在を感じさせる姿ではなかったが、この日、パソコンで気持ちを綴り終えたOさんは、きりりと前を見つめ、意志を備えた人として、誰の目にも映っていた。
もう一人は、定時制高校まで通った「自閉」とされるHさん。最近傷つくことがあって、お見えになっていた。若いスタッフのIさんが、ぜひ、気持ちを聞いてくれという。自信はなかったが、むしろHさんは、積極的に近づいてきて、すぐに綴り恥得mた。
Iさんいつもありがとう
まっていますにんげんだからいしがあります
いしをいいたいです
ぎもんがあります
ぎんのいろのぐるーぷはにちようびにはこないのですか
しらないひとたちです
ねているときにやってきます
なんねんもまえからです
いえです
みたこともないようなふくをきていじわるなことをいいますがなにもしません
いきなりきていろいろなことをいいます
ちいさいときからきてはこまらせます
いちにちきもちがおちつきません
いいやりかたがあったらおしえてほしい
がっきゅうのひはきません
ちいさいときからふしぎでした
いいきもちです
しにします
ききたいことがある
いいかぜはどこからふいてきますか
きっときたからふくでしょう
ちいさいひかりがさしてきて
いいみらいがひらいてきます
いいにんげんはどんなかがみをもっていますか
きぼうがうつるかがみですか
じぶんのきもちがうつしだされ
きもちがかなうかがみです
いいかぜはどちらのほうからふいてきますか
きたからきっとふくでしょう
じぶんのいいたいいろいろなきもちをことばにして
いいかぜはきっときたからふくでしょう
きたのくにからふくかぜは
きぼうとゆめをはこんでくるでしょう
きぼうとりそうをのせて
きっときたからふくでしょう
きぼうとあいをのせて
きっときたからふくでしょう
あいというのはふしぎなことば
ちいさなこころをおおきくしてきぼうをくれます
ゆめというのはふしぎなことば
じぶんのしずんだこころをあかるくする
きぼうのきたかぜみつけたら
かなしみしずかにきえていく
いいきもちです
きぼうがでてきました
みていました
やれたらいいとおもっていました
わかります
ぼくもおなじきもちです
きりがないからこのへんでやめます
はい
(夕方迎えに見えた、お母さんの前で)
いつもありがとう
かあさんさびしいにゅういんしたら
からだにきをつけてください
がかになりたかったけどさいきんきもちがくるしくて
がかにどうしてもなれそうもありません
きいてほしかった
さかのぼってかんがえるとあいしてくれたことにかんしゃできますが
もうおとなだからきてもらわなくてもだいじょうぶです
きてほしくないわけではありません
パソコンをやっている最中、今まで見たことのないような、解放された笑顔をすることが印象的だった。彼は、文章も読みこなすのだけど、なかなか気持ちを表現することはできず、まさか、この方法で一気にこれだけの表現をするとは思わなかった。「あいというのはふしぎなことばちいさなこころをおおきくして」のところは、さっそく、コース活動で作っていた歌の歌詞の一部として、くわえた。
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2009年2月4日 01時59分
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