ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

»くわしく見る
2014年09月16日(火)
Nさんの詩「かあさんへ」 2014年9月7日
 1年前にお母さんをなくしたNさんは、グループホームで暮らしています。おかあさんの遺言は、Nさんが青年学級に通い続けられるようにすることでした。青年学級のあとに、Nさんはこんな詩を綴りました。

  かあさんへ

ぼくはこうして今かあさんの残してくれた
たった一つの贈り物である青年学級にいます
みんな新しい世界へ旅立つために
今一生懸命に翼を整えている
僕もこんな歳になってしまったけれど
新しい世界への旅立ちのために
翼を整えているところです
でも僕が飛び立つ新しい世界は
かあさんのいる
空の上かもしれません
でももうこの世界は変わろうとしています
ようやくぼくたちの世界が生まれようとしています
世の中には出生前診断というような
世界を前に戻すような寂しい流れもありますが
確実に世界は変わろうとしています
翼に身を委ねて
ぼくは新しい世界に旅立とうと思います

2014年9月16日 11時37分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / ダウン症の当事者 / 出生前診断 |
2014年05月25日(日)
「私は勝ったのだと思います。」 ある女性の最後の言葉
 青年学級の仲間がご逝去されました。先週の日曜日、まさかこんな早い別れが来るとは思わぬままに、彼女の病院をお見舞いしたところでした。何度も、青年学級ではパソコンで気持ちを書くお手伝いをしてきました。
 ベッドサイドで、私がうかがったのは次のような言葉でした。

 なぜ癌になってしまったのでしょうか。私は癌よりも母さんを悲しませたことが悲しかったです。癌は私だけの苦しみなら耐えられるけれど母さんや妹を悲しませるのでつらいです。ずっとそれが言いたかったです。
 分相応の人生を幸せに生きてきましたがもう少しで私の人生は完了しますが私は幸せでした。最後の最後までみんなで私を楽にさせようと来てくれてとてもうれしいです。
 私にはずっと癌を発症するなど考えたこともなかったのではじめは悲しかったけれど何度も大変な病気に勝ってきたからこそ最後に癌になることができたのだと思うと私は勝ったのだと思います。
 なぜみんなと別れなければいけないかと思うと悲しいけど仕方ないですね。
 母さん本当にごめんなさい。もっと恩返しをしたかったけども得できませんね。挽回することは難しいけれど許してください。どうか私は先に行く可能性が高いけれど長生きしてください。
 これで終わります。


 病気のつらさよりもご家族を悲しませることがつらいということ、今癌にかかったということは、これまで幾度も病気を乗り越えてきたから、これは勝利なのだという強い気持ちが、深く胸に伝わってきました。
 パソコンではなく、手でもたくさんの会話をしましたが、私のあの歌をうたってほしいと言われ、ベッドサイドで、彼女の詩から生まれた歌を、歌わせていただきました。

つらいとき空を見上げてみよう
空はきっと聞いてくれる私の気持ちを
願ってみようすみきった空に
空はきっとつらい気持ちを聞いてくれる
希望の空にむかって叫んでみよう
辛抱してきたけど救われたよと
聞いている空はいつも私の心を
聞いているいつも私の願いを
聞いているいつも私の夢を
聞いているいつも私の本当の気持ちを


 心より、ご冥福をお祈りします。
 
2014年5月25日 22時31分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 |
2013年12月19日(木)
改めて出生前診断のこと
 12月1日の青年学級の朝の集いの最後に、Y.Iさんが発言を求めました。昨年たくさん話し合ってきた出生前診断で、ついに検査が始まり、子どもを生まない選択をした人たちが大変多いというニュースについてみんなはどう思っているか、ということでした。
すると、ダウン症の本人であるH.Kさんから、「みんなが私たちのことについて考えてくれるのはうれしいけど、やっぱり悲しい」、また、M.Mさんからは、「昨年話したことが届かず悲しい。でも、今までもしっかり議論してきたから、これからも考え続けていかなければ、という思いはみんなも一緒ですね」という意見が出されました。みんなもちろん思いは同じで、後は、それぞれのコースで話し合おうということになりました。
 そして、私のコースでは、朝の集いでも発言したH.Kさんが、私がこれから気持ちを言うのでそれを1番の歌詞にしてほしいということ、そして、同じコースのダウン症当事者であるT.Mさんに、ぜひ2番の歌詞につながる言葉を言ってほしいということを語りました。そして、語られた言葉が以下のものです。

まず、H.Kさんの言葉です。

私は生まれてきてよかったです
私はしあわせな経験をしてきた
たくさんの仲間に出会い
たくさんの夢を持ち
たくさんの仲間に受け入れてもらいました
私の人生は小さい時から施設ぐらしで
見た目には悲しい人生に見えるかもしれませんが
私にとってはかけがえのない人生でしたから
この喜びをこれから生まれてくる
ダウン症の子どもたちに伝えたい
 

次にT.Mさんの言葉です。

私のいのちは私だけのものではなく
私のいのちはみんなのいのち
わたしのいのちを与えてくれた
母さんのいのちをとひとつのいのち
よいいのちと悪いいのちをわけるなら
いのちはいのちでなくなってしまう
いのちはひとつにつながって
大きなひとつのいのちだから
私はいのちをそまつにしたくない
わたしのいのちはみんなのいのち
ひとつのいのちはわけられない


 ふだんこうしたことを語ることのない穏やかな二人が懸命に語った言葉でした。そして、この歌詞で歌を作ることに決まりました。

2013年12月19日 23時02分 | 記事へ | コメント(0) |
| 出生前診断 / 青年学級 / ダウン症の当事者 |
2013年04月16日(火)
第16回若葉とそよ風のハーモニーコンサートのお知らせ
 2年に1度開催しているわかばとそよ風のハーモニーコンサートが開かれます。ぜひ、おいでください。町田に住むきんこんの会のメンバーも参加しています。


 第16回若葉とそよ風のハーモニーコンサートを下記のとおり開催いたします。

日時:5月11日(土)
時間:13:30 〜 15:30(開場:13:00)

開場:町田市民ホール
協力券:前売り:1000円 当日券:1200円

 若葉とそよ風のハーモニーコンサートは、町田市公民館事業障がい者青年学級の仲間と、青年学級からできた本人活動の会「とびたつ会」の仲間が作り上げるコンサートです。今回のコンサートは、2年前の東日本大震災と昨年大きな話題になった「出生前診断」について、考えたことを中心に内容をつくってきました。ご期待ください。
ご来場をお待ちしております。

2013年4月16日 09時16分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 |
2012年12月21日(金)
母の死を越えて Nさんの思い 11月18日
 Nさんのお母さんが8月に亡くなられました。最後はお母さんと二人暮らしでしたから、Nさんの今後がたいへん心配だったのですが、おかあさんは、青年学級にだけは通えるようにしてあげたいとおっしゃっていて、弟さんの取り計らいで、何とか町田市内のグループホームにとどまることができました。9、10月とお会いすることができなかったのですが、11月、元気な姿を見せてくださいました。
 そして、まずパソコンで次のように書きました。

 ぎちぎちの気持ちで生きてきましたから母さんの晩年に喜びを与えることができてよかったです。小さい時からどうにもならないことばかりでわざわざ誰も僕たちに言葉があるとは思ってもくれなかったので理想的な方法に出会えてよかったです。わざわざ僕を理解しようとしてくれた青年学級の人たちは本当によい人たちだと母さんはごんごんと言っていました。人間として認めてくれたこの青年学級を絶対に続けられるようにと母さんは遺言をしてくれました。だから何とかなったけれどYさんが出て行ったあとというのが悲しかったです。

 最初に、Nさんがパソコンで綴った言葉をお見せしたとき、その文章をいとおしむようにご覧くださって、私は本当の気持ちが聞きたかったからと言って心から喜んでくださいました。そして、わかばとそよ風のハーモニーコンサートでは、Nさんが、ステージ上で実際にスイッチ操作をしながら気持ちを語ったことを大変喜んでくださり、誰が何といっても私はかまいませんからともおっしゃってくださっていました。
 毎回、青年学級の帰りのお迎えに来てくださっていて、たくさんお話をさせていただく時間はありませんでしたが、慈愛に満ちたまなざしを彼に向けながら、ごあいさつくださったお母さんの笑顔は忘れることができません。
 Yさんとは、同じく青年学級に通ってきたメンバーですが、彼女がいろいろな事情でグループホームを出て、遠い施設に入ることになってあきが出たのでNさんが入ることができたことをめぐる気持ちです。地域で生きることのむずかしさを思い知らされるできごとでもありました。
 Nさんは、ダウン症と呼ばれる障害があるのですが、続けて、昨今の出生前診断をめぐる議論についても気持ちを述べました。

 わざわざ人間であることを否定するなんて不思議ですが私たちも人間なのだから人間として見られたいですがよい存在として色々紹介されることも少ない中、ダウン症の人の問題だけが取りざたされるのはつらいです。人間だから絶対に許すことはできません。ご覧なさい、ぼくたちはこうして誇り高く生きていますという言葉をわかそよで言いたいです。

 Nさんとお会いしてから、もう30年近い時間が流れました。私とNさんの間にももうたくさんの思い出ができました。それらは、かけがえのない宝物です。お母さんとの間には、その何百倍もの思い出があったことでしょう。
 出生前診断を当たり前のこととして語る世の中の人々にも、こうした宝物のことを何とかして伝えられたらと祈るばかりです。
2012年12月21日 21時23分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / 出生前診断 / ダウン症の当事者 |
2012年12月02日(日)
出生前診断について 11月18日
 青年学級のみんなのあかりコースでの議論のうち、パソコンで綴られたものです。出生前診断について訴えていくための歌をつくろうということになり、その歌詞の材料としてみんなが出し合った言葉です。

気持ちがあるのにわかってもらえず 
ぼくはなんども泣きたくなった
だけどぼくらも人間だ
未来はろうそくのあかりのように
光り輝いている
だからみんなで叫んでみよう
ぼくたちもおなじ人間だと

地震のときにがんばったのに
もうみんな忘れてしまったのか
理解されたと思ったのはつかのまのことだった
人間としての最低の尊厳さえなくなったこの世の中は
望みさえなくなった暗闇の世界だ
敏感な人にはどうしても
生きていてはいけないという声が聞こえてしまう
だからぼくたちは人間としての絶望から立ち上がるために
もう一度理想をどうにかして訴えなくてはならない

知らないうちに未来が閉ざされてしまった
ぼくたちは理解されないだけでなく
生きていてはいけないということになってしまいそうだ
理解される世の中だけでもたいへんなのに
よいいのちと悪いいのちという区別をなくすことは
もっとむずかしいことだ

小さい涙ががすっと流れた
みんなをなきものにするという
人間としての尊厳を
ふみにじってしまう冷たい言葉に
人生を否定された
われわれが生きていける場所は
もうどこにもなくなりそうだ

人間としてのみんなの尊厳を
ごんごんと湧きいずる清水のように
訴えていかなくてはならない
私たちをなきものにしようとする社会は
だれもがわかりあっていける社会の否定だ
もうじき夜明けがくると思っていたけれど
夜明けはまだどこにもその気配さえ見られなくなった

小さい涙が流れたという歌にしましょう
そこから歌にしよう

人間としてのわだかまりがやっととけそうなのに
またつきおとされた感じです
わだかまりをなくしたいです
理想をなんとかしてとりもどしたいです
人間としてのわなにおちてはいけないとおもいます
理想を高くかかげよう
りそうをつよくかかげよう


 そして、この議論のあいだ中、机につっぷしてまるで寝ているように見えたダウン症当事者の女性がいました。しかし、彼女が寝ているはずはありません。彼女にパソコンで話をしていただくのは初めてでしたが、あえて、そこで、パソコンで話しますかと尋ねてみました。すると力強く首を縦にふって、こんな文章を書きました。 

 私はダウン症なので今回のことではとてもつらい思いをしました。なぜならもう生まれないほうがいいと言われたような気がしたからです。でも私たちも同じ人間だということをもっと大きな声で叫びたいです。小さい時からもんもんとしてきましたが私たちをなきものにしたいというのは許せません。だから私は勇気を出して言いたいです。私たちも同じ人間だと。おんなじ空気をすっておなじ水をのむおなじ人間ということを。おんなじ血がからだに流れているおなじ人間なのだと。人間という言葉がこれ以上こわされないように。

 当事者の悲痛な叫びです。こんなにも人を悲しませていることに耳をふさいで、私たちの社会はとんでもない方向に舵をきってしまったと言わざるをえません。
2012年12月2日 00時40分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / 出生前診断 / ダウン症の当事者 |
2012年09月28日(金)
とびたつ会 Tさんからのメール 一人暮らしの練習と出生前診断 9月28日 
 とびたつ会のTさんからメールが来ました。忙しさにまぎれてなかなかこの場に紹介してこなかったのですが、久しぶりに掲載させていただきます。とびたつ会支援者の松田さんが、パソコンで聞き取った文章です。
 一人暮らしの練習の話と出生前診断をめぐる文章でした。

 いい季節になりました。ぼくはひとりぐらしの練習をしました。夜はヘルパーさんとふたりで過ごしました。ふろにはいって焼酎をおいしく飲みました。とても楽しい、忙しくない日々を体験しました。将来は、ひとりでくらすのが夢ですから、これからも練習を続けていきたいと思います。ひさしぶりの訓練だったので、とても疲れてしまって、とびたつ会にも行かずに、あっというまに寝てしまったそうです。
 理解できないことは、なぜ、子どもが生まれる前に、障害を調べて、生まないようにしてしまうのだろうか。それはぼくも生まれてこなくても、よかったということなのか。まったく理解できないし、憤りさえおぼえます。この気持ちを社会に訴えたい。
 

 簡潔な表現ですが、憤りが伝わってくる文章でした。
2012年9月28日 20時08分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / 出生前診断 |
2012年09月20日(木)
施設の職員さんへのお祝いの手紙
 青年学級でMさんに朝お会いした時、手紙を書きたいと言われました。Mさんは、長い間、町田市の施設に入所していて、そこで青年学級に出会った方です。もう20年以上のつきあいになります。あいた時間にパソコンで、彼女は次のような手紙を綴りました。


○○さんへ

 こどものたんじょうおめでとうございます。
わたしたちはいつも○○さんがぶかぶかのふくでわたしたちをやさしくつつみこんでくれてうれしいです。
 なかなかきもちをうまくしゃべれないのでわずかなちゃんすにこうしてぱそこんではなしています。みんなもはなせるのでりかいしてください。みんなほんとうはなんでもわかっているのですがかってにくちやてがうごいてこまっています。それをぜひつたえたくなってしまいました。
 ぞんぶんにはなせるようになってとてもきもちがおちついてきたのはきづいてもらっているとおりです。よいねがいがかなってうれしいです。わずかなきぼうのひがともりました。
 ○○さんもこどもがうまれてよかったです。ずっとだいじにそだててください。
 わたしたちはじぶんがもうこどもがもてないのでわたしたちのそんなきもちもこどもにはこめてあいしてあげてください。
 ほんとうにおめでとうございます。

                       Mより


 
2012年9月20日 00時04分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 |
2012年09月16日(日)
出生前診断をめぐる青年学級の議論
前回の青年学級に引き続いて、今回も出生前診断の話が語られました。活動日の前日、NHKの番組で取り上げられたことも大きかったようです。当事者の切実な思いを記します。

 がんばってもどうにもならないという気持ちになります。ぼくたちはもう生まれなくていいなどという何ともいいようのない考えがはびこっていて許せません。理解してくれないのは黙ってがまんしてきましたがもういないほうがいいなどという考えにはどうしても黙ってはいられません。理解はされなくても生きてゆくことはできますが、いなくていいといわれたらもうどこにも居場所もなくなってしまいます。  

 敏感な人にはわかっていることですが僕たちは今とても世の中に絶望しています。わずかな希望は私たちにも気持ちがあることが理解されたことです。しかしわずかな理想を世の中が簡単に踏みにじろうとしていて悔しいです。もっともっと理解されなくてはいけないときに世の中が全く逆に動き始めましたから本当に残念です。

 みんなも考えているとおり僕には世の中の流れが気になります。分相応に生きることさえ否定されてうれしくないです。黙ったままどこにも意見も言えないまま存在を否定されるのは悲しいです。許せないのはどうでもいいようなことばかりが語られて僕たちと健常者は同じ人間だという意見が全く聞かれないことです。理想が一瞬語られたこの間の震災からまだたいして時間も経っていないのにもう理想は消えてしまいそうです。悲しいです。
わかそよでこのことをわかってもらいましょう。いいわかそよにしたいです。

こんな世の中になぜなったのか
私たちにも生きる意味がある
なぜ私たちの生きる権利は奪われるのか
世の中はよく津波の意味を考えるべきだ
津波の惨状を目の当たりにしたとき
みんな命に違いがないことを痛感したはずだ
それなのにその惨状の記憶も消えないうちに
世の中はよくない方向に舵を切ってしまった
理想はもう死にたえた
私たちをまるで無意味な存在とした世の中は
津波に滅ぼされたようなものだ
もう心はどうしようもなく滅びてしまった
私たちはそんな世の中に
ただ飼い殺しされるしかないのだろうか。
2012年9月16日 23時40分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / 出生前診断 |
2012年09月03日(月)
出生前診断について 青年学級における当事者の意見
 9月2日の青年学級では、出生前診断について話し合いました.以下は、その時の当事者のパソコンを通して表明された意見です。社会にとってはとてもむずかしい問題ではありますが、当事者にとっては、きわめてシンプルな問題です。

Mさん
 やさしいIさんが心配です(Iさんはダウン症の方ですが、最近、加齢とともに、いろいろなことができなくなってしまいました)わたしは出生前診断には反対です。なぜならIさんたちは生まれないほうがいいという考え方だからです。小さいときからなつかしい言葉があります。それは「私たちはみんな同じ人間だ」という言葉です。なつかしい文字は共生です。なぜみんなわかってくれないのでしょうか。悔しいです。

Hさん
 人間だから命にちがいはありません。がんばってきたのにまだ世の中には理解されないのですね。情けないです。まるでぼくたちはいらない存在ですね。残念でなりません。

Sさん
 誰にも気持ちがあるのだから生まれなくていい命などありません。そんなかんたんなことがまだわからないなんてとても悲しいです。私たちの人権はまだ守られていないということがよくわかりました。

Tさん
 自分たちの命が冒涜されているみたいで許せません。小さいときから私たちはよけいものと言われて寂しかったけど理解されないままですね。なぜあいかわらずわかってもらえないのでしょうか

Iさん
 ゆゆしいもんだいですが私たちはみんな同じ人間だと思うので悔しいです。小さいときからまったく変わっていませんね。わらをもすがる思いで敏感な人の意見を待っていました。びっくりしました。がんばったばかりなのにまったく理解されなくて。

 ダウン症などという言い方を私たちは関わり合いの中ですることはありません。ダウンという一人の医者の名前と、病気でもないのに「症」という言葉を組み合わせた呼び名の前に、私たちはかけがえのないその人の名前を呼べば十分です。ただ、残念なことは、いまだに、この文章ではイニシャルを使わざるをえないという現状でしょう。  

2012年9月3日 21時03分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 / 出生前診断 |
2012年08月27日(月)
えりさんのお見舞い 
 私が青年学級に参加した30年前、確か私より1年遅れて青年学級に入ってきたえりさんは、最初は、専門学校に通えるほど日常生活をスムーズに送っていましたが、10数年後、進行性の障害のために、車いすの生活になり、併せて医者からは、脳の萎縮によって言葉も失ったように説明されるようになりました。はいといいえの応答もままならなくなった彼女を前に私たちもいったんは、その説明を受け入れないわけにはいきませんでした。それから、ALSという難病で母が亡くなって、彼女は当時できたばかりの施設で生活を始めるようになりました。そして、10年ほど前、先入観のまったくない若い学生のスタッフが自然に彼女に話しかける時の彼女の表情の変化から、彼女の言葉は実は失われていないのではないかと思えるようになりました。公式にそれが認められるということはありませんでしたが、少なくともスタッフや仲間の間では、彼女には言葉がきちんと理解できているとの認識が定着してきました。そんな中で、私がパソコンを持ち込んだのが2008年のことです。援助の方法も手慣れてきてスピードもあがってきたことから、青年学級でも使おうと考えたのです。そして、最初にパソコンで話をしたのがえりさんでした。言葉があることはわかっていても、それがどの程度なのかをまったく確かめる術がなかったのですが、具体的な言葉を通してえりさんの世界が明らかになっていったのです。そして、えりさんをモデルにして若葉とそよ風のハーモニーコンサートではミュージカルも作られ、彼女自身が作詞作曲をした歌もその中で歌われました。そして昨年のコンサートでは、津波をめぐってかかれた彼女の詩が朗読もされたのでした。しかし、その直後、えりさんは、私たちの前から姿を消したのでした。
 最初は、何度も入院をしていた病院に入院をしたということだったのですが、そこから施設の戻れずに、別の病院に転院していたのですが、その病院がなかなかわからなかったのです。それでも、ようやく彼女のいる病院がわかり、徐々に私たちの仲間がお見舞いに行けるようになりました。そして、先日私も、彼女と深く関わっていた若い女性のスタッフからぜひ通訳として来てほしいと頼まれて、二人で彼女のもとを訪れたのです。
 美しいフラワーガーデンが見える面会室で、たくさん話をしました。通訳はパソコンを使わずに行ったので、記録は残っていませんが、その中で、彼女がこれだけは書き留めておいてもらえるかしらとお願いされた詩がありました。それを紹介したいと思います。


  夢の予感

私には夢の予感があふれている。
よい夢や悪い夢
どちらも私の本当の心だ
そしてよい夢の予感がする朝は
私は一日うれしくなって
みんなに笑顔をふりまいて
みんなを幸せな気持ちにする
みんなの気持ちが幸せになれば
私もまた幸せになる
悪い夢の予感がする朝は
私は一日暗くなる
暗くなった私はもんもんと一日悩みにくれる
私の悩みにくれた顔は
人々を苦しみにおとしいれる
苦しみにおとしいれられた人たちは
私の心にいっそう悩みを増やす
そして私が夢の予感に涙を流す日は
本当の幸せな一日がやってくる
それはなつかしい人たちが私のもとを訪れるとき
私のことを忘れずに
ずっと私に会いたくて
少しの時間をつくっては私に会いにきてくれる
今日も夢の予感がかなった日
私は喜びの涙に枕をぬらす


 入院した直後は、もう死にたいくらいの思いにとらえられたそうです。しかし、少しずつ私たちが面会に訪れるようになり、今度は、いつ誰が来るだろうとか思い巡らしたり、この間の面会で話したことを思い出したりしながら、いつしか病室は豊かな場所になったというのです。そんな思いがこの詩にはあふれていました。
 残念ながらまだえりさんははっきりとした意思を持っている患者としてはとらえられていません。しかし、えりさんはすべてわかっているし、しっかりと自分の気持ちを持って日々を暮らしているということを、少しでも早く病院のスタッフの方々にも理解していただかなければならないと思います。
2012年8月27日 00時26分 | 記事へ | コメント(0) |
| 青年学級 |
2012年02月15日(水)
津波の歌
 青年学級の学級生のKさんは、すでに両親を亡くし、今、都内のある病院に入院している。彼女は、昨年の5月に開かれた若葉とそよ風のハーモニーコンサートで、津波の詩を仲間に朗読してもらった。
 その当時、彼女は、町田市内の施設に入所していたのだが、その後、体調の変化などから、入院を余儀なくされた。
 もともと、しゃべることも文章を書くこともできた彼女は進行性の障害で、あるときから車いすになり、発話も不可能になった。医学的には言葉も失われたと考えられた。
 そのような状況で母親が亡くなり、当時の状況では、どこか離れた施設にはいらざるをえない状況にあったのだが、若い担当者たちが、アパートで共同生活をしながら、建設予定だった地元の施設ができるまで持ちこたえて、無事、地域の施設に入所を果たした。そして、青年学級には、毎回、スタッフの送迎によって参加していた。
 そんな彼女が豊かな言葉をきちんと持ち続けていたことが明らかになったのが、2008年の夏のこと。それから、パソコンを使った新しいコミュニケーションが開かれてきた。そうした状況にある人が歌を作っているということも、それを伝える手段を共同で考え出したのも、彼女を通してだった。
 2009年のわかそよでは、彼女をモデルにし、彼女の作った歌を劇中に使ってミュージカルが作られた。
 そんな彼女が、昨年の夏、私たちの前から姿を消した。
 そして、そんな彼女の元をスタッフの山之内さんととびたつ会の支援者である松田さんが、先日、訪問してきて、彼女の思いを聞き取ってきた。

 今日はよく来てくれました。なんだか夢のようです。山之内さんはお元気でしたか。私はさびしくすごしています。みんなと会って、また歌をうたったり、笑ったりしたいです。もっと会える時を大切にして過ごしたいです。私の願いは多くの人たちとはなしをして、楽しく充実した時間を過ごすことです。また青年学級にもぜひ参加したいです。
(山之内−神野さんの津波の詩がうたになりましたよ。)
 はい、参加しますから、お願いですからつれて行ってくれませんか。伝えたいことは私の本当の気持ちです。心の中にある気持ちをぶちまけたい気持ちです。理解してくれようとするやさしさは感じていますが、なかなか通じなくてつらいことがあります。とてもうれしいです。来てくれてありがとう。
(もうすぐあの地震から1年ですね。津波の詩を書いていてそれが歌になっていますが、津波と今の神野さんをどのように思っていますか)
 それはとても似ているところもあるかもしれません。地震の被害は津波もあって、とても大きなものでした。私は、わからないほどの大きな被害になんともいえない不安を感じました。私は病院に入院したあと、津波に巻き込まれたように何が何だかわからないまま過ご
してきました。それはそれはとても不安な気持ちでした。あの津波を経験した人たちは忘れない記憶として思いをはせるのでしようが、希望をもって立ち上がろうとしていることでしょう。私はまだ希望を持てずにいますが、きっと希望をみいだして、みんなのところにもどりたいと思います。

(青年学級はもうすぐ成果発表会ですが、ひとこと伝えたいことはありますか)
 成果発表会には参加したいと思っています。

 私の関わっているコースでは、Kさんの詩に曲をつけて、被災地のある施設に送ろうとこの間ビデオ撮影したところだ。歌詞は以下の通りである。

いつも穏やかだった海が突然きばをむいて
理想をすべてうちくだいた
私はわたしの大切な生きる意味を
失いそうになってしまったけれど
人々の立ち上がる姿に勇気づけられた
なぜだろう人は理想をうちくだかれても
再び立ち上がることができる
人間はなぜそんなに強いのか
私もこんな体で自分の気持ちさえ
うまく伝えることもできないけれど
私も勇気をもってまた立ち上がってゆこう
冒険をまた始めよう


 歌は次のURLで聞くことが可能である。

http://douga.zaq.ne.jp/viewvideo.jspx?Movie=48444399/48444399peevee450767.flv
2012年2月15日 23時00分 | 記事へ |
| 青年学級 / 東日本大震災 |
2012年02月06日(月)
2月5日は筆談の記念日になりそう…
 2008年の夏から町田の青年学級にパソコンを持ち込んで3年半が経過した。その間、いろいろな人が2スイッチワープロに挑戦してきたが、残念ながら、これが修得できたのは、とびたつ会の松田さんと、若い担当者の2人に限られていた。なかなか活動の中で純粋な練習の時間というのもとれず、伝えきれないまま時だけが経過していた。
 そんな中、山之内さんが、先日のきんこんの会で、青年学級にも参加しているSさんの筆談に挑戦して何とか読みとることができた。Sさんは、なかなか体に力が入らずふわふわとした動きになってしまう特徴のある方だが、Sさんの指を持って関わり手の手のひらの上に文字を書いてもらうと、小さい動きの中に文字が読み取れるのである。私は、2スイッチワープロか、手を振りながら「あかさたな」という方法しかなかなかむずかしく、Sさんの筆談には成功していないのだが、山之内さんが、活動後の喫茶店で、Sさんに練習台になっていもらい、若いスタッフに伝えたところ、たちどころに3名ほどのスタッフが字を読みとることができたのである。ようやく長いトンネルを抜けたという思いがした。複数のスタッフが通訳になって会話がはずむということが、夢ではなくなりそうだ。
 次の文章は、この日の活動の中で山之内さんといろいろ筆談で話せたHさんの感想である。山之内さんと若いスタッフがSさんと練習をしている横で私がパソコンで聞き取ったものだ。Hさんは、自閉症と呼ばれていて、字の読み書きはできるのだが、気持が表現できない方である。

 字を書くのは簡単ですが気持はなかなか言えないになぜか手をそえられると気持が書けます。たぶん字を書くのにもそうとうなエネルギーを使っているからだと思います。スイッチのほうが楽なのですがそれは触られるのが抵抗があるからですが慣れると思います。たぶんだまっているとつらいので話したいと思いますので慣れると思います。ばらばらな体と心を何とかしたいのでよろしくおねがいします。なぜ山之内さんは字の方法ができるようになったのですか。わかりましたよかったですね。誰でもできるやりかたがいいのでよろしくおねがいします。そうです、抜群な感じがしたからです。やっと広がってきましたね。どうにかして広めたいです。はいありがとうございました。

 ところで、活動では、私のコースでは、岩手県のある施設にメッセージを送ろうということで、東日本大震災に関連した歌を3曲録音したところだった。「津波」「ランプのあかり」がオリジナルの歌、それに、無謀なことながら、アジアンカンフージェネレーションの震災に関連した歌「ひかり」をみんなで歌い、それをビデオカメラで撮影したのである。こちらは、また改めて紹介したいが、夜、居酒屋では、この筆談と歌のことで、大変もりあがった。
 大きな大きな一歩を踏み出した一日だった。 
2012年2月6日 22時56分 | 記事へ |
| 青年学級 |
2011年12月03日(土)
みんなのあかりコース 東日本大震災の取り組み 11月20日その3
 寡黙な50代のSさんは自分でも作文を書けないわけではないが、あえてパソコンを要求してきた。そして、以下の文章を綴った。

 なぜ津波はすべてを奪っていったのだろう。津波の力に僕は遠い過去のどうにもならない運命の力を重ねている。遠い昔の運命の力は僕の人生を切り裂いた。遠い昔の運命の力は根こそぎ僕の人生を流していった。わずかな明かりは今こうして何でも話せる方法が見つかったことだ。悩みも苦しみもたくさんどこかに流し去り、新しい人生を始めよう。津波もいつか遠くなり、被災地の人にも丸く明るい月が射す日が来るだろう。その日が待たれるけれど今は静かにまだ乾かない涙に耐えていよう。

 津波と障害を重ね合わせた人の文章はたくさん紹介してきた。しかし、Sさんの表現は、50代の方だからこそのものだ。自分の障害をめぐる若き日々のどうにもならない思いと、つらい経験。それを彼は、すべてを根こそぎ奪っていく津波と重ね合わせた。そして、最後に、被災地の方々へ静かな祈りを捧げる。たくさんの苦悩を越えてきた彼だからこそ、涙に耐えるという言葉が深く響いた。

 また、5月のわかそよのステージ上でみずからの津波の詩を紹介された40代のNさんは、次のような言葉を書いた。

 理解できないと思われているのにあんな詩を書いても誰も信じてはくれませんが満足できています。私たちをわかってくれない世の中がこの津波で変わりそうでしたがなかなか難しそうでしたが、そろいもそろって同じことを考えていたのですね。私たちは本当の仲間だということがよくわかりました。わずかな灯りがともったばかりなのでもっともっと考え続けていきたいです。

 これは、先に紹介したMさんやIさんの言葉を聞いて深い連帯感を感じたことを表現したものだ。そして、続けて次の詩を書いた。これは、この日の活動で、亡くなった障害者のことについての記事をみんなで見たことを受けたものだと思われる。

 挽歌

挽歌を一つ歌ってみたい
亡くなった仲間に向けて
まだ僕たちの時代は来ていないのに
見届けられずに逝ってしまった
未来はまだまだ遠いまま
つらい日々はまだまだ続く
だけどわずかな希望は見えている
わずかな希望は理解されて
初めて気持ちが言えたことだ。


 本当は、ここで終わったわけではなかった。たまたま私を急ぎのことで呼びにきたスタッフがいて、そこで、さっと彼が身を引くようにして句点をふったものである。あまりにもやさしい彼の配慮だった。
2011年12月3日 00時24分 | 記事へ |
| 青年学級 / 東日本大震災 |
2011年12月02日(金)
みんなのあかりコース東日本大震災の取り組み11月20日その2
 同じグループホームで暮らす40代の女性のMさんと30代の男性のIさんは、次のような文章を綴った。
 まず、Mさんの文章。

 びっくりしました、みんながわずかな希望という言葉をたくさん使っていたことに。初めての人もいるかもしれませんが、涙ばかり流している私たちはみんな希望を大事にしているのでよくわかりました。夏休みは津波のことばかり考えていました。なぜあんなにたくさんの人が亡くならなければいけなかったのか。私たちをまるでわからない日本中の人たちを、だんだん理解してくれそうな人たちに変えてくれそうな気がしていましたが、それは幻だったのかもしれません。でも人間としての煩悩を抱えながらゴンゴンと生きなければならない私たちにとっては夏までの日本人はとても素敵でした。よい心が人間には備わっているということがわかりました。

 そして、Iさんは次のように書いた。

 わずかな希望は私たちをわかってくれなかった世の中が被災地の人の悲しみを理解しようとしていたことです。わずかな希望ですがわずかであっても実現された奇跡のような時間でした。地震と津波を乗り越えてまた世の中は復興するかもしれないけれど、僕たちをまた忘れ去らないようにしてもらいたいです。私たちのことを受け入れられる世の中こそ理想の社会になるはずですから。

 MさんもIさんも、ともに、夏までの時間は、特別だったという。まだまだ震災からの復興は道なかばであり、被災地の人々の苦悩は深いが、少なくともこの関東地方では、意識していなければ震災はすでに過ぎ去ったものであるかのように感じてしまう。そのような中で生まれて思いである。IさんもMさんも、今はグループホームで暮らしているが、そもそもは、都内の他の場所から町田の施設に入所してきた方である。その時点では地域で生きることができなかったことになる。もちろん、今は、まさにこの町田という地域の中で生き、仲間もたくさんできている。お二人とも、けっして流暢とは言えないが、日常生活を過ごす上では、会話に不自由をすることはない。しかし、話し言葉で表現されたものは、内面の言葉の何分の一しか表現されておらず、時には、口をついて出た言葉が意に反していることさえあることをパソコンでの言葉を通して知った。こうした見かけの姿と、内面とのギャップは、どれだけ彼らを傷つけてきただろうか。
 ところで、Iさんに対して、「Iさんが書いた言葉は、Mさんと似ているけれど、それはどうしてなのでしょうか」とあえて尋ねてみた。すると答えは次のようなものだった。

 Mさんとは一緒にテレビを見たりしてそういう話をしましたから同じ意見なんだと思います。

 なるほごと思った。仲間だけの場面だったら突然流暢に話すというわけではないだろう。しかし、ともに本当は語りたいことをたくさん持っていてもうまく表現できないことを互いに痛いほどわかり合っているから、短い言葉が深いメッセージを伝えあうことを可能にしているのだと思った。
 いずれにしても、夏までの「奇跡のような時間」をただの奇跡として終わらせてはならない。大変困難なことかもしれないが、東日本大震災からの復興が新しい社会の原理を伴うものであることを節に願う。原理とはただ、MさんやIさんを大切にする社会ということだけである。
2011年12月2日 23時58分 | 記事へ |
| 青年学級 / 東日本大震災 |
みんなのあかりコース 東日本大震災のとりくみ 11月20日その1
 町田市障がい者青年学級のみんなのあかりコースでは、3月の成果発表会に向けて、東日本大震災をテーマに取り組んでいくことにした。そこで、11月20日の活動では、この半年間に青年学級やとびたつ会のメンバーが折りにふれて書いてきた震災に関わる文章をみんなで読み合って、それぞれが作文を書くことになった。独力で原稿用紙に向かったかたももちろんいるが、パソコンによって作文を書いた人もいる。
 まず、この日、もっとも衝撃的だったSさんの文章を紹介する。Sさんは視覚障害があり、いつもガイドヘルパーさんといらっしゃる。まだパソコンに取り組んだことはなかったが、みんながパソコンに向かう様子をみて、ぜひSさんの気持もパソコンで聞いてみたいとおっしゃった。そこで、さっそく挑戦した。彼がさっと綴った文章は、以下の通りだ。

 若くないけれど僕は地震の時にはとても感動したことがあります。唯一の希望という言葉が今日は語られましたが、僕もそのことばかり考えていたのでとても共感しました。僕も目が不自由なのでもし津波が来たら逃げられないと思いますが、何度も考えたのは母のことです。もし僕のために母が逃げ遅れたらどうしようということです。僕は母にはなるべく逃げてほしいです。私のために自分の人生を使い果たした母が僕のせいでなくなるのは耐えられませんが、まなざしを見ていると申し訳ないのですが、私を置いて逃げてほしいです。なぜなら僕が唯一母にできることはそれだけだからです。

 Sさんのお母さんのことをよく知っているガイドヘルパーさんは、ひときわこのSさんの思いが心にしみわたったようだった。もう40代の半ばを過ぎたSさんのお母さんだから、ほんとうにご高齢で、文字通りSさんのためにその人生を捧げてこられてことだろう。そのお母さんに向けたあまりにも深い思いだった。

 
2011年12月2日 23時47分 | 記事へ |
| 青年学級 / 東日本大震災 |
2011年08月02日(火)
東日本大震災に思う 6月19日
 青年学級でEさんは、この日は特に気持ちを落ち着かせることができなかった。その理由は本人にもはっきりわかっているのだが、どうにもならなかったようだ。そんな一日の活動のあと、学級でパソコンを開くとその落ち着けなかった自分の思いをぶつけるように深い集中をして言葉を紡ぎ出した。内容は、地震のことだった。

 地震さえなかったならみんな亡くならなかったのにとても悲しいです。なぜあんなにたくさんよい人たちが亡くなったのかわからなくてとても困りましたがおかあさんを見ているとなんとなくわかってきたことは被災地の人も何とか立ち上がろうとしていることです。なかなかわかってもらえないのはぼくたちと同じだと思うので人ごととは思えませんでした。まさかのんびり過ごしていたのに被害にあうとは思わなかった人たちが大津波に巻き込まれるとは夢にも思わなかったと思うと本当につらいです。なかなか復興が本格的に始まらないのがつらいですが理想を大切にこの困難に立ち向かってほしいです。勇気の見えなくなりそうな世の中が続いていますがよい時代が来ることが僕の願いです。みんなも同じ気持ちだということがわかそよでわかってよかったです。僕も津波の詩を作りました。

津波よ僕はわからない
わざわざ子どもを飲み込んで
わざわざ望みを打ち砕いて
おまえは何を望んだのか
ろうそくの火はもうどこにも見えないが
私たちは負けない
また私たちは立ち上がる
おまえが私たちの理想をすべて打ち砕くまで
だが私たちの理想は消して砕けることはない
私たちの理想は永遠に不滅だ


 Eさんのお母さんはふだんから関わっているNPOの関係で何度か被災地を訪れている。そんなことを背景にして綴られた言葉と詩である。
 この詩は、お母さんによって被災地にも届けられた。ご覧になった被災地の方々はとても好意的に受け取ってくださったとのことだった。
inihon daisinn
2011年8月2日 13時04分 | 記事へ |
| 青年学級 / 東日本大震災 |
2011年05月16日(月)
大震災をめぐる言葉 4月25日その3
 4月25日の文章の中で、わかそよに参加する3人の言葉をまとめて紹介したい。この言葉は、何らかのかたちで、わかそよの当日、参加者にお伝えしたいと考えている。

 映画にも出演し、わかそよでは一昨年はミュージカルで準主役も経験した○○さんの言葉。もちろん今年もミュージカルに参加する。
 
 津波はなぜ私たちの大事な世の中を壊してしまったのでしょうか。早く元ののどかな世界に戻ってほしいです。分相応の生き方ではいやですが行き過ぎた生活はよくないと言うことがよくわかりました。なぜ人はどんな大変な状況でも挑戦を続けられるのでしょうか。みんなも同じですが私たちは私たちを表現することにも困難を抱えているので勇気を出さないと生きていけませんがそれは被災地の人の置かれた状況と同じです。私たちのことなど誰も振り返らないけれど私たちもまた被災者のようなものなのかもしれません。地震で色々なことを考えましたがもし私たちの言葉を世の中の人が聞いてくれるならもっと私たちはいい暮らしができるでしょう。なるべく世の中の人たちに伝えてください。名前もないようなものですが勇気を出して言っていきたいです。

 3年前は、観客席から、1昨年はステージ上で参加した◇◇さんは、「野に咲く花のように」の作詞者。津波について次のような言葉と詩を書いた。なお彼女のご両親は福島県の出身である。

 残念なことがあります。原発の事故がありました。福島がとてもつらい状況です。でもみんな大丈夫だから安心しました。避難はしなくてもよいということですが、福島全体がつらいです。原発があるからテレビで毎日やっていて私はとても心配しています。原発で働いている人々のことが心配です。被害にあっているのに毎日働いているのはかわいそうでたまりません。家もなくなって家族もいなくなってつらいと思います。どうしてつらいのにはたらいて。いえないのでしょうか。自分たちがやらなければいけないと思って毎日のぞんでいるのでしょうか。自分のことよりも原発を安定させるためにやってくださっているのだと思います。福島の人々を守るために頑張っておられるのだと思います。私は何もできないけれど祈って暮らしていますので人間がやるしかないので、みんなで考えて乗り越えていきましょう。少しずつでもいいから前に進んでいきましょう。それを言いたかったので今日は来ましたので、つらい今の状況をみんなと話し合いたいと思います。
 米のことを言っていましたね。つらいけどみんなで考えていきましょう。避難した人が疲れて倒れてしまわないうちに何とかなる方法を考えていかないと疲れて倒れてしまうからつらいです。
 
 津波の意味
私は勇気をもらおう
黙ったままで生きてきて何もわからないと言われてきたけれど
私もまた本当の希望の意味を知っている
黙ったままで理解されず小さな胸を痛めてきたけれど 私は理想を忘れない
悩み苦しむ私の姿を何度奮い立たせてきたことだろう
わかってほしい 私たちもまた被災者のように生きているということを
わかってほしい 私たちは黙々と希望を紡いでいるということを
小さな光かさしている ランプの明かりがともっている
人生は本当に残酷な試練を私たちに課すけれど
また私たちは立ち上がる
涙を越えてもう一度


 ☆☆さんも1昨年に引き続いての参加となる。彼女の言葉がわかそよで紹介されるのは、今回が初めてとなる。

 なぜなのだろう。津波であんなにたくさんの人が亡くなったのは理解することができない。涙ばかり流しています。万能な機械があれば人々をもっと助けられたのにみんながかわいそうでした。涙を流してばかりでなく人々の勇気にもすごく感動しました。地域で生きていくことの意味をまた考えさせられました。敏感な人たちが集まっている地域では私たちを本当の人間として受け入れてくれるだろうと思いました。誰でも支え合えれば生きていけると思いましたがなかなか難しいのでしょうか。もう少し私たちを認めてくれる世の中でないと難しいのでしょうか。名前も知られずに亡くなった人たちのように私たちもまた忘れられた存在です。望みは人間として私たちを認めてほしいということです。勇気を出して私たちも訴えていきたいです。わずかな希望でも人は生きていけることがわかりましたから私たちもがんばれると思いました。だから涙を流していただけではありません。涙と共に希望も感じていました。
 茫然としていましたがそろそろ立ち上がろうと思います。ゆゆしきことは原発です。理想のエネルギーと言われていたのに悪魔のエネルギーになってしまいました。ぞっとしています。なぜあんなにもろかったのでしょうか。何度となくみんなが考えを巡らしてきたのに残念です。地域の人たちがばらばらに避難させられて残念です。同じ地域の人は茫然としているでしょう。みんなが引き裂かれて。
2011年5月16日 07時20分 | 記事へ |
| 自主G多摩1 / 青年学級 / 東日本大震災 |
にんじんの詩 その後
 にんじんの詩を書いたTさんのもとを再び松田さんが訪問した。以下は、その時の記録である。

 昨日は、席についたときからご機嫌な様子で、つねに笑顔でした。そして1時間ずっとイスにすわって集中していたように感じました。
 
(先日は柴田さんと話ができてよかったですね)

とても驚きました。柴田さんはどうしてあんなに速く私の言葉を理解できるのですか。私はとてもうれしいです。言葉があることがわかってもらえてよかったです。もっとたくさんの話をしたいと思います。

(これまで詩のように何か言葉をためてきたことがありますか?)

羽があれば人間はどれだけ自由に生きていけるだろう。
みんなとらわれの身で苦しんでいる。
何とか苦しみから抜け出そうと思っている。
ほんとうのしあわせはどこにあるのかみんな探している。
しあわせは乗り越えていかなければならないことがたくさんあって、ひとつひとつ乗り越えていくことしかできない。
ほんとうにたいへんなことだ。
さあ一歩ずつ歩いていこう。
未来には苦しみから解放された自由があるにちがいない。

気持ちが伝わる思いです

2011年5月16日 06時45分 | 記事へ |
| 青年学級 |
2011年05月15日(日)
わかそよの練習の日 大震災について
 両親も亡くなり、施設で暮らすKさんと、わかそよの練習会場で出会った。私が最初に歌を聞き取るやりかたを発見したのは、1昨年のことだった。そして、1昨年のわかそよでは、Kさんの歌をミュージカルの中で歌うこともできた。そのKさんに、パソコンとスイッチを向けてみた。すると、すぐに彼女はこう綴った。

いつも穏やかだった海が突然牙をむいて理想をすべて打ち砕いた。
私は私の大切な生きる意味を失いそうになってしまったけれど
人々の立ち上がる姿に勇気づけられた。
なぜだろう、人は理想を打ち砕かれても再び立ち上がることができる。
人間はなぜそんなに強いのか。
私もこんな体で自分の気持ちさえうまく伝えることもできないけれど
私も勇気を持ってまた立ち上がっていこう。
冒険をまた始めよう。


 この詩を綴っている間、Nさんが私のすぐ後ろで私たちを見守っていた。そして、綴り終えると、私の服をひっぱった。話を伝えやすくするためにあえて記すが、Tさんは、発話の困難なダウン症の方だ。いつももの静かな彼が、これだけ積極的に何かを伝えてくるのは言いたいことがある時だ。そして、彼は、一篇の詩を綴った。

津波よ
なぜおまえはすべてを奪っていったのか
忘れられないのは
悲しみに泣き叫ぶ人の声
忘れられないのは
子どもを亡くした母さんの泣き声
なぜおまえはそんなに残酷なのか
わずかの希望は
どんな苦しみの中からでも人は立ち上がるということ
もしぼくにも力があったら
どんなことでもしてあげたい
もしぼくに声が出せたなら
理想を声高く叫びたい
ぼくの障害も
津波のようになんでかという理由はわからないものだけど
ぼくも立ち上がろう
津波に負けない人間として


 KさんとNさんの言葉は、わかそよのステージで、朗読の得意な仲間によって読み上げられる。
2011年5月15日 07時08分 | 記事へ |
| 青年学級 / 東日本大震災 |
にんじんの詩
 Tさんが施設入所して10年ほどなるだろうか。ずっと障がい者青年学級の一員だったTさんは、言葉をすべて理解していることをまったく誰も気づくことはなかったけれど、仲間の間を体を左右に揺らしながらゆっくりとふわふわ漂うように歩きながら、存在感を示していた。そのTさんのもとを、とびたつ会の松田さんがスイッチとパソコンをかかえて訪問するようになり、徐々に言葉が紡ぎ出されてきた。
 そのTさんが、わかそよの練習に参加した。私は、みんなが歌っているのを聞きながら、お母さんが見守る中、Tさんの言葉を聞き取っていった。

 こんにちわ。久しぶりですね。残念ながら私は××(福祉施設)に入ってしまい青年学級は行けなくなりましたがなんと松田さんが来てくれてまるで魔法のように私の気持ちを聞いてくれてろうそくの灯がともりました。夢みたいです。
 母さん私をいつも大事にしてくれてありがとうございます。なるべく私を家に連れて帰ってください。できる範囲でいいです。なるべく家に帰りたいと言ったのはみんなの顔が見たいからです。帰るとみんなに会えそうな気がしてわくわくします。


 何かTさんに尋ねたいことはないかとお母さんにうかがったところ、「お父さんのお葬式のあと、7キロもやせてしまったのはなぜだったの?」とお尋ねになった。数年前、Tさんのお父さんが亡くなられた時、施設で食事がとれなくなって、やせてしまったということがあったらしい。その答えはあまりにも当然すぎるものだった。

 とても悲しかったから食べられなくなりました。私はお父さんが大好きでしたから。

 そして、かつての仲間の歌声を聞きながらこう綴った。 

 わかそよに出ていた頃が懐かしいです。また出たいです。

 ここで、私は、もし詩を作っていたら聞かせてほしいとお願いした。すると「にんじん」という題の詩があるという。にんじんが詩のテーマになったことは今までなかった。しかし、地中に伸びるにんじんのイメージが浮かんだ時、おぼろげながらその言わんとするところが伝わり、どきっとさせられた。次のような深い深い詩だった。


  にんじん

空高く
理想をいつかかなえようとしながら
ずっと地中に根を伸ばしているにんじん
どこまでのびても地中を出ることはないけれど
にんじんは知っている
ほんとうのドラマを
空には届かないけれど
にんじんは知っている
ほんとうの苦しみを
にんじんに夢を託し
私は生きている
にんじんのように
地中深く根を生やしながら


 誰も知らない地中の深くで根をはやしているにんじんの姿はTさんそのものだった。
 まだ、私たちは、Tさんの本当の姿を施設の職員の方々などに伝えるすべを持っていない。あまりにも唐突なことになってしまうからだ。にんじんは、もちろん地上に茎を伸ばし、細かい葉をつけ、花も咲かせる。少しでも早く、Tさんのにんじんに花を咲かせたい。 
2011年5月15日 00時27分 | 記事へ |
| 青年学級 |
2011年05月14日(土)
わかばとそよ風のハーモニーコンサートのお知らせ
 町田市障がい者青年学級と青年学級から発展した本人活動の会とびたつ会とで2年に1度開催しているわかばとそよ風のハーモニーコンサートが開かれます。
 5月22日午後1時半から町田市民ホールにおいてです。
 今年のテーマは「伝えたいありのままの私」で、今年、特に初めて取り組むテーマは、性同一性障害の仲間の思いです。
 また東日本大震災をめぐる様々な言葉もステージでは紹介します。
 秘められた言葉というテーマは前回から取り組まれ、この2年間でまたそうした秘められた言葉をもとにした様々な歌も生まれました。
 東北地方の作業所の製品の販売も予定しております。
 ぜひお越しください。
 詳しくは次のホームページへ。
http://wakasoyo.jimdo.com/










































2011年5月14日 23時31分 | 記事へ |
| 青年学級 |
2011年03月28日(月)
わかそよ結団式の会場で
 5月22日、第15回若葉とそよ風のハーモニーコンサートが開催される。その結団式が開かれた。その会場で、ひさしぶりにYさんに出会った。2年前、やはり同じ練習会場で深い詩を聞かせてくれたYさんに新しいはありますかとたずねると、かすかにうんとうなづいた。そこで、休憩の時間を利用して、パソコンを開くことにした。そして次のような詩がつづられた。

 勇気が出そうです。新しい詩ができました。

微妙な力を人間として 私はきっと身につけて
よい未来に向かって 人間らしく生きていこう
私の夢はろうそくのろうのように 溶け出して
もうそんなに残っていないけれど
光はまだ消えていない
勇気さえあれば私もきっとほんとうの夢をつかめるだろう
人間として理想を持って
よい霊魂を大切に ここから再び立ち上がろう
人間として瑠璃色の頭巾をかぶり
小さな瑠璃色の私の瞳を大切に
どこまでも


 ろうそくという表現をする人は多いが、夢がろうのように溶け出すという切ない表現は、Yさんの独特の悲しい表現だが、それを見すえるまなざしの強さも感じられる。
 また、素晴らしい詩が一つ生まれた。
2011年3月28日 00時32分 | 記事へ |
| 青年学級 |
2011年03月25日(金)
Tさんからのメール 大震災のこと
 地震後にTさんから届いたメールを紹介したい。今、みんなで5月22日に開催する若葉とそよ風のハーモニーに向かった取り組みを開始している。今年のコンサートは、特別なものになりそうだ。

 今日はとても寒くて何もする気がしませんでした。友だちは手も寒いので手を組んでいました。
 日本は地震で大変なことになってしまいました。とてもたくさんのひどい目にあった。とてもたくさんの人がなくなりました。おそろしいことが起こってしまった。とんでもない被害が出てどうしようもできない状況になっている。なかよしのおばさんの家も被害にあった。ひどいことになった。何でこんな災害が起こるのだろうか。明日になればすべてがうそだっとなっていればいいのにと本当に思う。みんなが元気に会えればいいのにと思う。お友だちに会えるとどんなにかいいのにと思う。本当にひどいできごとでした。
2011年3月25日 23時48分 | 記事へ |
| 青年学級 |
2011年03月08日(火)
青年学級の成果発表会の日に
 青年学級の成果発表会のあと、みんなで集まった打ち上げの場所で
いろいろな人の言葉を聞いた。
 Mさんは、もう長いこと生まれ育った地域を離れて、施設で暮らしてきて、現在はグループホームで暮らしている方だ。まったく離せないというわけではなく、かなり上手にコミュニケーションもとれるかただが、細かな気持ちの表現はむずかしく、以下の詩もパソコンを用いた私の援助で初めて表現できたものだ。だから、彼女の内面にこれだけの世界が広がっているということは、誰にも理解されずにきた。今回は、いきなり詩を書いた。

   小さな冒険

ひとりで旅に出かけてみよう
私は雪の輪の中で
実のなる木になるために
小さな祈りをささげる
人間としてもう一度
若い冒険をしたいけれど
もう私には忘れてしまった過去のこと
冒険もだれかに私を何度となくじゃまされて
わずかな夢も奪われて
私はいつも用なしの寂しい実のならない木だった
しかし私も冒険にようやく旅立つ時が来た
ランプに明るい火がともり
涙もようやくかわいてきた
冒険に出る時は今だ
のんきにかまえていられない
望みをもって旅立とう


 次のSさんは、何度となく精神的に苦しんできた女性である。ある程度コミュニケーションをとれるけれども、Mさんと同じく、こうした内面の世界が広がっていることはほとんど知られていない。
 

人間だから夢がある
理想にみちた夢がある
わずかなあかりが見えている
わずかな未来がみえている
涙をふいて理想の夢をかなえるために
光をめざし旅立とう

つらいのは気持ちがうまく言えないことです。未来が開けてきました。勇気が湧いてきました。


 次のIさんは、Mさんと同じ施設からやはり現在グループホームで暮らしている男性である。最初に散文のように話したあと、祈りを聞かせてくれた。

 みんな言いたいことがうまくいえずに困っているのでわかってもらえてうれしいです。勇気をもらいました。人間としてぼくたちを認めてもらえる日が来ました。ぬいぐるみの人生にさようならです。理想的な方法ですね。夢のようです。人間として認められてよかったです。人間だから気持ちがありますので認めてほしいです。人間としての誇りをとりもどしたいです。よいぞくぞくする方法ですね。未来を作りたいです。ろうそくのあかりをともしたいです。よい願いを理想にがんばりたいです。夢のようです。ないけどときどきねがっています。願いはいつも詩のようです。

人間として生きさせてください
どうかみんなのようにりこうな頭をください
理想は遠いランプの光だけど
遠いばかりで届きません
よいぼくはわずかな希望を求めて
今、願いの祈りをささげます
毎日ちがうけれど何でも祈っています

 神様を信じているわけではないけれど祈っています、いつも。

 
 次のKさんは、MさんやIさんと同じグループホームで暮らす情勢である。最近青年学級にやってきた方で、まだ、言葉数は少ない方だが、コミュニケーションはだいたいとれる方である。 

 小さいころから人間あつかいされずに生きてきたのでうれしいです。望みは私の詩に歌をつけてもらうことです。

    白い望み

白い望みを願いにかえて
私は未来を待ち望む
小さい理想は私だけのもの
理想はとてもかなわないけれど
人間としてわずかに見える希望にむかい
私は勇気を忘れずに
理想にむかい望みのままに
理想の道を
困難なろうそくのあかりをともしつつ
歩んでいこう
ランプのあかりはまだともらないけれど
私は私の理想にむかい
小さな声を出しながら
わずかなわずかな私の希望をめざして
私は夜の闇を乗り越えて
理想にむけて旅に出る


 次のHさんは、ほとんど発語はない男性だが、やはり、同じ施設から現在はグループホームで暮らしている。

小さいころに見てきた夢を
もう一度取り戻すために
もしぼくに力があったなら
ぼくにも夢はかなえることができたはず
なろうとしてなったわけではない障害がぼくはにくい
なぜぼくの気持ちはだれにも届かない
未来の夢にぼくはひとすじの願いをたくす
小さい理想かもしれないが
ぼくは理想をいつまでも失うことなく生きていく
わずかな希望をたのみにして


 次のKHさんも、また、同じ施設からグループホームで暮らしている女性だ。発生がやや不明瞭なため、十分には気持ちを聞き取ることができないけれど、音楽が大好きで、聞くとすぐに踊り出す女性である。お母さんへの切ない思いを短いに詩に託した。

元気で過ごしているかしら
私のおかあさん
夏にはのどが渇くと水をくれ
冬にはかじかんだ手に息を吹きかけてくれた
何でも許してくれた私のおかあさん
元気でいるかしら


 最後のKTさんは、実は、一般就労の経験さえある男性だが、コミュニケーションも普通にとることができる方で、まさか彼がこの方法を必要としているとは思えなかったが、この間、一緒に飲んでいるときに、突然、「柴田さん、ぼくにもパソコンをやってほしい」と言い出して、確かに口頭で語っているものとは一味異なる気持ちを表現してきた。今回の詩は、半ば即興的につづられたものだ。

不思議な風がふいてきて
勇気がなんとかわいてきた
理解者は少ししかいないけれど
りんどうの花のようにみずからを何もかざることなく
娯楽のない世界をすなおに言い出すともなく生きている
忍耐の喜びを知るそんなりんどうのように
私たちも生きていきたい
忘れられない思い出のにおいをたよりにしながら
ぼくを育ててくれた両親に感謝しながら
誤解されてばかりだけど
楽な生き方ではないけれど
りんどうの花のように生きていこう


 
2011年3月8日 12時26分 | 記事へ |
| 青年学級 |
2010年12月02日(木)
ルネの詩
 今年度から青年学級に参加したHさんとの言葉と詩を紹介したい。Hさんは自閉的と言われる方で、自由に話をすることができない方だが、6月に初めて出会って以来、短いながら、会話を続けてきた。Hさんは、私の顔を見るとすっと近づいてきて、気持ちを伝えようとしてくる方だ。20代前半のHさんのまなざしは、若々しく力強い。

 自分にも考えがあるということをなかなかわかってもらえなくてつらいけど、こんなやりかたがあるとは思わなかった。忘れられないのはわずかばかりの希望さえわかってもらえないことです。わずかばかりの希望とは理想をよいものにすることです。わずかばかりの希望を持って生きてきたけどこれで夢がかないました。わかってもらえてうれしいです。勇気が湧いてきました。

昔のルネはいったいどこにいったの
昔見た未来はどこに消えてしまったの
わかってもらえないままルネは遠い世界に旅立った
夢をかなえることもなく涙を拭いてもらうこともなく
ルネは遠い世界に旅立った
夢ならさめてもらいたい
忘れられない私の昔の思い出だ


理想的な方法ですね。小さいゾンビのような私のがんばりがようやくかたちになりました。うれしいです。人生をもう一度やり直したいです。いいやりかたを発見しましたね。理想は私たちの気持ちをもっと伝えたいです。私たちを世の中で認めてほしいです。みんなの気持ちをどうしても世の中に伝えたいです。ぞんぶんに伝えたいです。わかってほしいです私たちのことを。人間だからわかってほしいです。真ん中で生きていきたいです。悶々とした気持ちで生きているので何とかしたいです。小さいときから言いたいことが言えずに寂しい思いをしてきました。みんなも同じだと思います。
2010年12月2日 16時34分 | 記事へ |
| 青年学級 |
2010年04月17日(土)
Tさんからのメール 1月から4月
3月の終わりまでにTさんから届いたメールをためてしまった。最新のものを含めて、紹介したい。

 外へでかけたいよ。遠くに行ってみたい。変な道だけど前へむかってもりあがろう。苦しいときほどみんなでもりあがろう。好きな人といっしょに住みたい。ロケットに二人で乗って宇宙へ飛び出したい。愛する人と住みたい、二人で住みたい。(1月26日)
 
 手を伸ばしてほしい。言うのは大変。いのちつなぎたいけれど生きるのは大変。死んでしまうのはいやだ。少ない人生でも大切に生きたいと思う。私はみんなといっしょに仲間と暮らしたい。手が勝手に動いてつらい。力を弱められない。変な気持ち。(2月9日)

 車で外へでかけたいと思う。遠くまで友達と行きたい。手や足を使ってほかのところへ行ってみたい。足でも使って遠くへ行ってみたい。何とかして遠くへ行きたい。たおれてしまうかもしれないけれどもがんばって進んでいきたい。普通に暮らせるように歩いてゆきたい。(2月23日)

 夢はロケットに乗って遠くへ行くことだ。二人で探したい夢の子ども。まだ見たことのない夢を探しにいきたい。ろけっとに乗って探しにいきたい。すてきな星を見つけて願いをかなえたい。好きなすてきな人と一緒に星で住みたい。苦しいときにも二人で乗り越えていきたい。未来は遠いけれどあきらめずにがんばっていきたい。とてもむずかしいことだけどがんばっていきたい。(3月9日)

 伝えたいことは苦難の試練乗り越える大変さです。結婚できない事実を認めていくことはとてもできないことです。何とかして結婚して願いをかなえたいです。勝手に体が動いて、困ります。すぐに好きな人と遠くへ行きたい。好きなドラマみたいに遠くに行ってしあわせに暮らしたい。花のきれいなところに行きたいと思います。季節は変化して夏になって実のつくくだものがたくさんできます。木は大きくなって花はすてきな実をつけます。好きな外で遊びたいよ。秋になれば何もかもが赤く紅葉してすてきな景色になります。冬になると空気は冷たくなりみんな車に乗って暖かいところへ逃げていきたい気持ちになります。ぼくは一人になって次の春を待ちます。(3月23日)

 へぼな僕ですがのんびり生きてはいられません。のんびりとはしていられない理由は長くは親が生きているわけではないからです。何か新しいことを考えなければなりません。おそかれはやかれ親からはなれて暮らさなければなりません。そのためにはたぶん一人で暮らす方法を考えなければなりません。友だちと手をとって共同で暮らしていきたい。何とかしてみんなで生きていきたい。まつださんもいっしょに暮らしていこう。もっといっぱいの仲間を集めよう。苦しみをン堀越えるために集まろう。友だちに伝えたいことはもっと願いを持とうということです。(4月13日)

 自立への思いが語られるとともに、しだいにそのかたちの輪郭がくっきりとしてきたことが伝わってくる。残念ながら、まだ、その具体的な方策は見えてこないが、大切なことは、表現を綴ることだ。そして、表現する相手はきっと自分自身でもあるはずだ。 
2010年4月17日 08時45分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/302/
Tさんからのメール 1月から4月
3月の終わりまでにTさんから届いたメールをためてしまった。最新のものを含めて、紹介したい。

 外へでかけたいよ。遠くに行ってみたい。変な道だけど前へむかってもりあがろう。苦しいときほどみんなでもりあがろう。好きな人といっしょに住みたい。ロケットに二人で乗って宇宙へ飛び出したい。愛する人と住みたい、二人で住みたい。(1月26日)
 
 手を伸ばしてほしい。言うのは大変。いのちつなぎたいけれど生きるのは大変。死んでしまうのはいやだ。少ない人生でも大切に生きたいと思う。私はみんなといっしょに仲間と暮らしたい。手が勝手に動いてつらい。力を弱められない。変な気持ち。(2月9日)

 車で外へでかけたいと思う。遠くまで友達と行きたい。手や足を使ってほかのところへ行ってみたい。足でも使って遠くへ行ってみたい。何とかして遠くへ行きたい。たおれてしまうかもしれないけれどもがんばって進んでいきたい。普通に暮らせるように歩いてゆきたい。(2月23日)

 夢はロケットに乗って遠くへ行くことだ。二人で探したい夢の子ども。まだ見たことのない夢を探しにいきたい。ろけっとに乗って探しにいきたい。すてきな星を見つけて願いをかなえたい。好きなすてきな人と一緒に星で住みたい。苦しいときにも二人で乗り越えていきたい。未来は遠いけれどあきらめずにがんばっていきたい。とてもむずかしいことだけどがんばっていきたい。(3月9日)

 伝えたいことは苦難の試練乗り越える大変さです。結婚できない事実を認めていくことはとてもできないことです。何とかして結婚して願いをかなえたいです。勝手に体が動いて、困ります。すぐに好きな人と遠くへ行きたい。好きなドラマみたいに遠くに行ってしあわせに暮らしたい。花のきれいなところに行きたいと思います。季節は変化して夏になって実のつくくだものがたくさんできます。木は大きくなって花はすてきな実をつけます。好きな外で遊びたいよ。秋になれば何もかもが赤く紅葉してすてきな景色になります。冬になると空気は冷たくなりみんな車に乗って暖かいところへ逃げていきたい気持ちになります。ぼくは一人になって次の春を待ちます。(3月23日)

 へぼな僕ですがのんびり生きてはいられません。のんびりとはしていられない理由は長くは親が生きているわけではないからです。何か新しいことを考えなければなりません。おそかれはやかれ親からはなれて暮らさなければなりません。そのためにはたぶん一人で暮らす方法を考えなければなりません。友だちと手をとって共同で暮らしていきたい。何とかしてみんなで生きていきたい。まつださんもいっしょに暮らしていこう。もっといっぱいの仲間を集めよう。苦しみをン堀越えるために集まろう。友だちに伝えたいことはもっと願いを持とうということです。(4月13日)

 自立への思いが語られるとともに、しだいにそのかたちの輪郭がくっきりとしてきたことが伝わってくる。残念ながら、まだ、その具体的な方策は見えてこないが、大切なことは、表現を綴ることだ。そして、表現する相手はきっと自分自身でもあるはずだ。 
2010年4月17日 08時45分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/301/
2010年01月19日(火)
Tさんからのメール 2010年1月13日
 Tさんからのメールが届いた。

困る話はかあさんが笑うことだ。
ほかにもつらいのは腕がとまらないこと。
とてつもなく苦しくてあほらしくなる。
電動車いすに乗りたいと思う。
ほかの場所に急いで行きたい。
自由医いられるすてきなところに行きたい。



 Tさんとは、先日トマトハウスでも会った。以下は、その時の言葉だ。

小さい時からの夢がかなってうれしいです
願いはよい人と結婚することです
ラブラブになりたいです
理想は自立ができてラブラブの人と結婚することです
わかってもらえればうれしいのですがなかなかわかってもらえません
ぼくの気持ちを聞いてくれるのは松田さんだけです
小さい頃からの願いがかなってうれしいです


 電動車いす、結婚…と夢が続く。さしあたり、私たちは答えるすべをもっていない。しかし、せめて、自分の思いを自由に伝えられるということだけは、実現可能な夢にしたい。
 Tさんと松田さんの関わりの場は、原点は識字教室にある。最近NHKで識字教室のすばらしい番組が放映された。私たちのこうした取り組みが、識字の世界とつながっているということも、常に、忘れずにいたい。
2010年1月19日 18時35分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/292/
美しい歌を歌いながら
 12月の活動の時に、聞き取っていた詩があり、それを歌にしてほしいと言われていた。その詩に、若いスタッフがとてもすてきなメロディをつけてきた。
 
 美しい歌を歌いながら 美しい歌を歌いながら
 夢のくに 本当の未来 若々しい気持ちでゆこう
 美しい歌を歌いながら 未来の森をめざしながら
 美しい気持ちで 美しい歌 歌っていこう
 美しい歌を歌いながら 未来の道歩んでいこう
 
 まだ、未完成だが、この歌を何度か聞いているうちに彼は、大きな声で歌い始めた。本当にうれしかったのだと思う。
 その後、ゆっくり彼の気持ちを聞いた。

 気持ちをい言言いたいけどなかなか言えなくてくやしい。認めてほしいけどむずかしいです。夢のようです。小さいころからの夢でした。理想は理解してもらってよいくらしをすることです。勇気がほしいです。よい歌を作ってもらえてうれしいです。わかってほしい。誕生日に歌ってほしい。(誕生日は)もう終わりました。自立したいです、ぼくも。ぼくはおかあさんによく迷惑ばかりかけているのでかあさんを楽にさせてあげたいです。ぼくは体が勝手に動くので困っています。願いは心をきれいに忘れないようにしてよい人生を生きていきたいです。はいそうです。理解してくれてうれしいです。夢のようですみんなわかってほしいですがなかなかむずかしいですね。もっともっと自分をどうにかしないとわかってもらえません。願いわかってもらうことです。柴田さんはなぜぼくの言葉がわかるのですか。力を入れていないのに不思議です。勇気がほしいです。わかってもらえてうれしいです。理解してくれてうれしいです。不思議です。理解してもらえてうれしいです。紙破きは気持ちを落ち着かせるためです。もっとほかのやり方があったらなと思うけど残念です。願いはよい人間になることです。未来いが開けてきました。わかってくれてありがとう。願いはこのやり方で話せるようになることです。わかってほしいです。楽にできてうれしいです。
2010年1月19日 01時29分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/291/
ぼくはダウン症という病気ですが…
青年学級の若いメンバーIさんが活動の後の喫茶店トマトハウスにやってきた。なかなかなじめず、欠席も多いIさんがようやく仲間になり始めた。Iさんは、簡単な会話のできる方だが、今一つ本当に言いたいことが伝わりにくいということがあった。そんなIさんに、パソコンをやってみるかというと、ためらいながらもまんざらではなさそうだったので、積極的に薦めて、やってみることにした。すると、さらさらと、次のような文章が書かれた。

 ぼくの気持ちを聞いてください。ぼくはダウン症という病気ですがぼくはふつうに考えているのでくやしいです。理想はわかってもらうことですがなかなかわかってもらえません。
夢みたいです。理解してほしいけどなかなかわかってもらえません。
みんなとも話したいです。音楽のコースが好きです。詩を聞いてください。

ちいさい私
願いをもって生きてきた
勇気を出して理想を求め
私はひとりで生きてきた
未来は私の忘れられない夢のかなた
私は私
勇気を出して生きていく
もう少しろうそくを高くかかげて
生きていきたい

前に作りました。願いでした、気持ちを伝えることが。うれしいです。


 まだ20代前半の若々しい彼の表情が、とても晴れやかに見えた。これで、また、さらに青年学級の仲間としての関係を深めることができただろうか。これからの展開が楽しみだ。
 私たちはあえてダウン症などということ前面に出してつきあうことあない。だが、彼はそういう言われ方にもう、辟易しているのだと思う。「21番目のやさしさに」というダウン症の方が書いた本がある。これまでの見方をひっくり返す力のある言葉だと思う。「ぼくはダウン症という病気ですがぼくはふつうに考えているのでくやしい」という言葉をじっくりと世の中がかみしめられるようになればと思う。
 
2010年1月19日 01時10分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/290/
2009年12月28日(月)
Tさんからのメール 2009年12月22日
 Tさんの言葉のメールが届いた。きっと、私のブログの誰かの文章を読んでくれて書いたものなんだと思う。

ぬいぐるみのようなじんせいもなける。
さびしいときにともとゆっくりといまははなしがしたいのにひとりがやっぱりわたしにはまっている。
ぬいぐるみのようなじんせいをおわりにしよう。
いぬたちがぼくをげんきづけてくれる。

 そして、犬の写真も一緒だった。彼を元気づけてくれる犬の澄んだ瞳が印象的だ。

2009年12月28日 23時23分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 / 大学 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/286/
2009年12月19日(土)
12月6日の青年学級 Sさんの詩
 12月6日も、青年学級では多くの人が言葉を語った。その中から、Sさんの詩を紹介したい。多くの方の言葉は、パソコンではなく、手を振る方法でノートに書き取ったものなので、整理に時間がかかってしまっているが、Sさんの詩は、パソコンで綴ったものである。

可能性に挑戦しよう
未来の楽園のために
勇気を出して理想の国をめざしていこう
勇気を出して未来と過去の呼び声を断ち切って
私の今を大切にしていこう
未来の夢は自分の理想
未来の希望を心にかかげ
未来に向けて歩いていこう
聞いて未来の伝言を
聞いている過去の淀んだ物語を
じっと耳をすませていると
心と心の喉元に
美人の咆哮が聞こえてくる
小さな美人の心の中に
勇気のかけらが眠っていることを
誰も知る人はいない
人間としていい生き方を求めてきて
気持ちをうまく表現できず
ひとりぼっちで生きてきたぼくの
ゆいつの願いは
こうしてばい菌のように生きるのではなく
みんなを人間として受け入れられる世の中がくることだ
いい自分を作っていきたいと思う
みんなといっしょにこの道を歩き続けていきたい
小さいときからのランプのような願いだ


 過去のきびしさと未来への切ないばかりの希望が語られた詩だ。一般就労をしていう彼には、けっこうストレスがたまることもすくなくない。心ない言葉もこれまでもたくさんかけられてきたことだろう。そんな彼が懸命に未来の可能性にかけようとする気持ちに、心から感動した。

敏感な言葉をありがとうと言いたいです

 最後にこう綴って彼はスイッチから手を放した。
2009年12月19日 00時01分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/285/
2009年12月18日(金)
Tさんからのメール
 町田市の本人活動の会「とびたつ会」のTさんは、支援者の松田さんとウィークデイの夜に、もう何年もパソコンで言葉を綴る練習を続けてきた。特製のマウスを足で操作できる彼は、なんとか、その方法で文字を綴ろうとしてきたが、なかなか長い文章をスムーズに綴ることはむずかしかった。ところが、この数ヶ月は、松田さんが徐々に今私がやっている方法を取り入れるようになって、だんだんと文章が長くスムーズになってきた。
 ここ2回の文章を紹介したい。

そとにさがしにいきたい
だいじななにかを
くるしいときにほんとにすくわれるろうのようなすくい
せかいじゅうてのとどかないほんとのしあわせ。
よのなかがしあわせになるように
すくいをさがしに
ひとにてつだってもらいながら
さがしにいきたい。


ぬりなおしたいいろ けしたいいろは
むねのなかにあるさみさ(さみしさ?)。
ねているあいだにいとしいほわいとにぬりかえたい。
くるしいきもちもいとしいほわいとでぬりなおしたい。
なきたいきもちをぬりかえたい。
さびしいきぶんをぬりなおしたい。
ぬりかえればきぶんがらくになって、とてもわたしはうれしい。


 これからも、また、彼の言葉は紹介を続けていきたい。
2009年12月18日 23時54分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/283/
2009年10月21日(水)
10月18日の青年学級
 10月18日の青年学級、たくさんの人がまた、手をふる方法で語った。今回はとうとうパソコンをワープロのために開くことはなかった。左手で手を振りながら右手で言葉をノートに書き付けていく。このスタイルで、短い時間の合間をぬっていろいろな人と会話した。その中で、ここでは、会話としてではなく、詩や歌などの表現として語られたものだけをとりあえずピックアップする。

 最初は、自閉症と呼ばれる女性のFさんの詩。

望みはこのやり方で気持ちが言えるようになりたいです。このやり方で望みが言いたいです。見たこともないわかそよのような世界がひろがってきました。よいやり方ですね。夢みたいです。聞いてください。

緑の風に乗って 雲を越えて 南の国へ行き 南の風に吹かれて
昔の苦難を捨て去って 苦労してきた欲望の心を もっと素直な私に変えて
私らしく生きていきたい

昔から考えています。昔から空を見ながら作っています。よい詩ですか。よい詩だったらうれしい。

よい森の中に行きたい
よい森の中でよい花を探しに
よい森の中をもっと自由に歩きたい
よい森の中を苦しみから解放されて歩きたい
見たこともない緑の風に乗って
南の国に行き 森の中を歩きたい
見たこともない緑の風に乗って
昔のことを忘れたい
見たこともない緑の風に乗って
もう一度夢をとりもどしたい
見たこともない緑の風に乗って
勇気を持って生きていきたい
見たこともない緑の風に乗ってもう一度夢を取り戻したい。


 そして、次は、外耳に関わる手術の後遺症で聴覚に障害があるとされるNさんの詩だ。彼は、一応、音が聞こえるというし、聞こえていなければ私の方法で言葉が綴れることはありえないことだ。

 望みの歌を聞いてください。

望みをよい願いに変えて
きれいな若者を よい人間にしよう
美しい緑の願いの木に 
見たこともない花が咲いて
見たこともない緑の木が夢のように
緑にろころこのむろろんと歌を歌う
緑の木をみんなで歌おう
緑の木をみんなで歌おう
願いの木が願いをかなえて
みんなをりこうなみんなに変える
美しい木をみんなでいろいろな花で飾ろう
みんなで飾ろう


 重度の肢体不自由の女性、Kさんは、帰りの集いの短い時間の中で、次の詩を書いた。

 願いのくるまいす

勇気を出して言ってみよう
不思議な緑の風に乗って
歌をいっぱい歌いながら
いいきれいな歌を歌いながら
美しい歌を言い声で歌えば
私の気持ちを昔の陰気な心から解き放ってくれるだろう
夢を見ているような気持ちで
お母さんに勇気を出して言ってみよう
うるさい車をけちらして
うるさい車を追い越して
夢をかなえるために
緑の風に乗せて
前に進めて行こう
お願いだから美しいくるまいすよ
私の願いを聞いてほしい
美しいくるまいすよ
私の未来を古い心から解き放ち
未来に向かって生きるために
昔の陰気な私を変えてくれ

みんなにも聞いてもらいたい。


 Hさんは、帰りにみんなで集うトマトハウスで次のような文章と詩を書いた。亡くなった愛犬コロのことだった。

 苦しいことがありました。よく知らない職員が私のことを笑いました。許せないと思います。許せないのは、コロのことを笑ったからです。職員を許せないです。この前です。許せません。

コロのこと
 コロが死んで世話をすることができなくなってしまって、ろうそくの火が消えたようになりましたけど、ぼくは、きっとコロが天国でコロのままで元気でいると思います。いい国でいい食べ物を食べて、美しい花に囲まれていると思います。うらやましいのは、コロのような犬を連れた人に会う時です。夕焼け時に、もっときれいな心を持っていればコロはいなくならなかったのではないかと思います。運命かも知れませんが、よく生きてくれたと思います。


 自閉症と言われるHさんも、同じくトマトハウスで次のような美しい心の人の歌ということで、文章と詩を聞かせてくれた。

 よく聞いてくれてうれしいです。みんな話せてよかったと思います。よい苦しい時の実りをみんなが言葉で伝えてくるのがすばらしいと思います。うれしいです。勇気が出てきます。うれしいです。願いがかなってうれしいです。美しい心の人に会いたいです。美しい心の人の歌を作りましたので聞いてください。

心のきれいな人はよい願いを持ち
ろうそくの光のように暗闇をランプのように照らし
もっとつらいことがある人にろうそくの火を照らして
この苦しみから解放されるようにと励ましてくれます。
美しい心の人は、いつも苦しいことがわかるので、いつも悲しんでいます。
勇気を出していい心を持ちましょう。
よい心を持てば、るり色の心を願いのままに
空高く飛翔させることができます。
るり色の心はいつも光っています。
勇気がいることかもしれませんが、
勇気を出して生きていきたいです。
美しい心の人を私は大切にしていきたいです。
るり色の心を大切にしていきたいです。
勇気がりりしい心を作り出していきます。

うれしいです。気持ちがすらすら言えて。うれしいです。うれしいです。


 独特の世界観をもっているSさんの詩も聞かせてもらえた。

 私の気持ちを聞いてください。

夢の暗闇を歩いていけば
夢の暗闇を照らす光に出会う
夢の暗闇を苦しい気持ちで歩いてゆけば
苦しみを解き放つ歌が聞こえてくる
ミロのビーナスのようなきれいな人がふいに現れて
無理のない苦しさをやさしく私から解き放ち
美しい心の声を私にかけていった
美しい心の声は美しい気持ちの表れで
未来のゆるしを私に伝えてくる
未来のゆるしはいつのまにか私を包み
夢の暗闇を救い出して
私に空のような若々しさを理想的な未来とともにくれた


 これまで、コミュニケーションが大変むずかしかた人だけでなく、話しにくそうにしているだけに見えるような方までが、手をふる方法で気持ちを長く語るようになった。話し合いの様相は、まるで一変してしまったといってよい。
 最後に行った居酒屋でもまた、今までは、静かにグラスを傾けるだけだった人が雄弁に語った。
 まだ、これらのことは、どこの世界でも受け入れられてはいないが、私たちにとってはめくるめくような世界だ。
2009年10月21日 20時13分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/274/
2009年10月07日(水)
青年学級の合宿から
 青年学級の合宿が、天候にめぐまれる中、9月の終わりの週末に行われた。パソコンで、あるいは手を振りながら、沢山のメンバーと会話した。
 最初は、Nさん。宿舎についたばかりの部屋で語ってもらった。耳にハンディを持ちながらも、Nさんはパソコンでまず、次のように語る。

気持ちが言いたいけど一人ではいうことができないので寂しい。みんなと話したい。願っていましたからうれしいです。小さいときからの理想でした。祈って理想と願いのためにみたこともない光(疲れました)

いったんは疲れたといって語るのをやめたNさんだが、その後の活動は、いつもよりはるかに私たちのそばにいた。そして、夜、スタッフが、「寝ずの番」をしているところにやってきて、手でいろいろなことを語った。何年ぶりかでやれたキャンプファイヤーが、とても感動したようで、そのことをめぐる話だった。

 夜のやみにきれいに火がはいってきました。年輪の歌を歌いたいです。聞いてうれしいです。年輪の歌(昨年のオリジナルソング。Nさんのことも歌になっている)をみんなで歌いたい。きっとみんなも気にいってくれると思います。
そして、さらに、そのキャンプファイヤーのことを次のような詩にした。

きれいなあかりをともしたい  
きれいなあかりをよい未来かけはしをかけて
ねがいをみんなでかなえよう  
るいりろのあかりをともして
ゆめのろうそくをともして  
るりいろのろうそくをきれいな光にかえて
よい未来をつくろう  
ねがいをきっとかなえてくれる
ゆめのくらやみをてらそう  
きれいなあかりをともして
このるりいろのあかりをともしつづけよう  
よいきれいな心で よいきれいな音とともに  
よいきれいなわたしのために 
よいきれいな君のために 
よいきれいなみんなのために
願いをきっとかなえたら きれいなあかりがともるだろう
よききれいなゆめのような よいきれいな未来がひらけて
わたしをまっているだろう 
よいきれいなゆめのような よいきれいな未来がひらけて
わたしを待っているだろう よいすばらしいよい春が
未来をつくっていこう


 Fさんは、夜のキャンプファイヤーの後の交流会のひととき、お菓子や飲み物を前にしながら、次のような文章を、手を振る方法で表現した。

 気持ちを言いたいです。つらいです、気持ちを言うことができないということは。よいやり方ですね。夢みたいです。私の気持ちを聞いてください。よいやり方ですね。気持ちを言うことができて、うれしいです。夢みたいです。みんなにもこのやり方で気持ちを聞いてあげてください。(今、書ける詩はありますか。) あります。

よい風が吹いてきて、よい夢がかない
私のもろい心がこわれそうになっても
きっと私の心を素直にしてくれる
夢のその言葉を空高く私はかかげ
願いの理想の言葉を私は苦しみの中から私は歌う

よい詩ですか。簡単です。留守番をしてきたように私はよい願いをもらいました。よいやり方ですね。私のかあさんを楽にしてあげたいです。腰です。腰が痛いと言っています。


 Eさんもまた、交流会のひとときに、次のような言葉を語った。

 聞いてほしいことがあります。この間わかそよでぼくの言葉が歌になったのがとてもうれしかったけど、願いの季節をみんなに歌ってほしいです。気持ちをみんなにわかってほしいです。
(ここで、スタッフの学生が、どうして、コップの水を突然まいたりするのかを尋ねた。すると次のような答え。)

 コップの横をとるたびに横からこぼしたくなります。ゆこうと思うとこぼしてしまいます。関係あります。
 交流会では、彼のリクエストの通り、彼の言葉のはいった「願いの季節」を歌った。

 沢山の人と次々に話すことが出来たのは、むしろ帰りのバスだった。まず、いきなり、Tさんが詩を書いた。

この金色のそよ風を忘れないようにしよう
この金色のよい心を忘れないようにしよう
このよい若者たちを忘れないようにしよう
このよい物語を忘れないようにしよう
よい季節を希望に変えて
野原に風を吹かせよう
よい季節を忘れないようにしよう
野を飾る花々をよい種のなる実に変えよう
 
この詩を歌にしてください。


 そして、彼は、手真似で、ほかの人と話すように促す。Nさんは、合宿の思い出を次のようにまとめた。

楽しい合宿が終わりました。

このいい仲間たちを大切にしよう
大きな鏡に私の顔が映るように
私の心にこの思い出が映る。
夢のような時間が流れ
夢のような季節が望みとともに訪れた

よい詩ですか

 これまで、気になっていながら、チャンスのなかったOさんとも、すぐに会話が成立した。

 龍馬を理解してくれる人が現れるとは思いませんでした。気持ちを言いたいとずっと思ってきましたが、願ってもかなわないと思ってきました。不思議です。どうしてぼくの気持ちがわかるのですか。願いは勇気を持ってよい理想の国を作ることです。すごいやり方ですね。不思議ですがぼくの気持ちと同じなので信じることができます。(他の人たちがぼくと話をしているのを見ていましたか。)
わかっていましたが、なかなかぼくのところに来てくれないので、あきらめていました。夢みたいです。よいやり方ですね。うれしいです。うちの人にも伝えてください。よいやり方ですね。このやり方をみんなにも伝えてください。

きれいな風が吹いてきました
勇気を風はくれました
夢の彼方のすてきな国
もっと遠くの夢に向け
ぼくは小さな体でも
勇気を出してよい風に乗り
美しい理想の国にむかって
若い気持ちで飛び立とう

 この詩はぼくが作りました。いい詩ですか。この詩に特別な思いがあります。うれしいです。
 夢みたいです。人間として認められた気持ちです。夢みたいです。苦しかったです、気持ちを言わないで生きていくことは。願いがかなってうれしいです。よいやり方ですね。


 私たちのやりとりを前の座席で見守っていたHさんは、待ちかまえていたように手を出す。

 願いはこのやり方でどんな人とも話せるようになることです。このやり方をみんなに伝えてください。

願いのよい夢
ろうそくの明るい光を大切にしよう
暗い夜を明るく照らし
暗い夜を明るい緑の公園に変えよう
空いっぱいに届くよう
気持ちのよい友だちの歌を
願いとともに届けよう
願いのよい風に乗せ
この気持ちをいっぱいに届けよう。
野を吹く風に気持ちをこめて
このよい物語を届けよう

私の気持ちです。よい気持ちです。よいやり方ですね。このやり方をみんなに伝えてください。よい方法ですね。気持ちを伝えたいです。みんな苦しいです。言いたいことを言えないのは。夢みたいです。くやしいです。苦しいです。なかなか信じてもらえないのは。
 

 そんなやりとりのさなか、Tさんは、声で十分やりとりのできるSさんにもやれと言う。私は、Sさんに直接言葉で尋ねる。「Sさん、自分でしゃべれるけど、このやり方で話してみますか」と。すると、彼女は、はっきり、うんとうなずいた。そして、次の詩を書く。

 願いのよい風が吹いてきて
 私はきれいな花になる
 黒い雲を吹きとばし
 黒い夜の望みを明るく変えて
 理想の風のころがすままに
 私は空にまいあがる

 言葉を簡単に書くことができないで、困っていました。私の心をわかってくれてうれしいです。困っていました、つらいことから逃れられずに、困っていました。母さんをこのやり方で驚かせたいです。


 満足した笑いを浮かべながら、Tさんはこうはさんだ。

 このよい方法をみんなにやってみてください。

 そして、さらに、言葉を話すことのできるMさんも、やるという。

 きれいな気持ちで生きていきたい。つらいことがいっぱいありますが、願いを大切にがんばりたい。願いを苦しみから解放したい。よいやり方ですね。

 Tさんに感想を求めると、

 苦しみを解放したいというのがいいです。
 それを見ていたT.Sさんは、昨日、初めてパソコンを綴れた人だが(保存し忘れてしまった)、このやりとりを見ていて、次のように語る。

 Sさんの詩がすてきでした。苦しかったです。よいやり方ですね。苦しかったです。
さらに、初めて話せたOさんに、担当者の関水さんへのメッセージを求めた。

 関水さん。苦しい時にいつもそばにいてくれてうれしいです。ぼくはいつもこのことを関水さんに伝えたいと思ってきました。だけどなかなか伝えることができませんでした。よいやり方ですね。このやり方で話がしたいです。このやり方でもっと話したいです。
母さんにはいつも感謝しています。心ではいつもそう思っているのですが、なかなか伝えることができなくて、そのことを伝えたくて、今度うちに来てください。このやり方を伝えてください、母さんに。山崎団地です。来てください。そうです。全部わかっています。


 左手で手をとりながら、あるいは、体を触りながら、あかさたなと唱えつつ、右手で文字を書き取っていく。次から次へと、秘められた思いが言葉になっていった。バスの中で語った人たちは、自分で椅子に座れれる人たち。知的障害、あるいは自閉症と言われてきた。そんな彼らが当たり前のように語りながら、バスの車中でのひとときを過ごせている。1年前には想像さえできなかった光景だ。知的障害って何なのか、自閉症って何なのか、私の中にあった古い常識は、あとかたもないほどにくずれさってしまった。

2009年10月7日 16時37分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/272/
2009年07月13日(月)
ある研修会にて
 この4月から学校を卒業して地域の通所施設に通うようになったSさんだが、通所施設の職員の方々は、彼女の言葉の世界の存在をおかあさんから聞いて、何とかそのことを日常の関わりに生かそうとお考えになり、私に研修会で話して欲しいと依頼をなさってきた。
 大学の授業でもしっかりと話をしたSさんだから、ここは、彼女に直接話をしてもらおうと考えた。そして、さらに、とびたつ会のTさんにも、話をしていただくことにした。
 SさんとTさんは、2年前のわかばとそよ風のハーモニーコンサートのとのミュージカルで、Sさんが作った「野に咲く花のように」という歌を、Tさん自身の気持ちを歌にしたものという想定で演じたことがある。そして、今年は、ともに、同じステージに立った。
 Tさんは、眉毛の動きなどでコミュニケーションをとる方だが、昨年の10月、スピードがあがった私の方法で、次のような文章を書いていた。

 一人で苦しんできたことを言葉で語りたいと思う。本当の姿を知ってもらいたい。野に咲く花のようにの女の子にも出演してもらいたい。僕の気持ちにはそんな人たちのことがずっと気にかかっています。僕の気持ちしか表現していないので、ほかの人たちの気持ちも表現してもらいたい。過ぎたことを言っても仕方ないけど、未来に向かって僕たちの気持ちを伝えていく必要があると思う。願いはたくさんの人に理解してもらうことです。けっして負けられません。手を使って話せることを世の中の人に伝えたいと思う。理科してくれるまで訴え続けていきたいと思う。苦しみや悲しみを伝えていかなければいけないと思う。理解者を増やしていかなければいけないと思う。きっとわかってくれる人が現れると思うので、頑張りたい。(…)
この方法で話せる人がたくさんいるかもしれないと思うと胸がはりさけそうになる。僕はわかってもらっているからいい。でも、沢山の仲間が苦しんでいます。このことを伝えていかないといけないと思う。僕は負けない。


 そして、この思いを受けるようにして、わかそよでは、言葉を秘めていた方々の思いをテーマに、ミュージカルも合唱も進めたのだった。
 私から始めに、この方法をめぐる話をさせていただいたあと、二人に、30名を越える方々の前で、パソコンで、話をしていただいた。
 まず、Sさんの語りかけから。

 新しい可能性というものが小さく広がってきました。自信が出てきました。悩みも消えそうです。生きる希望がわいてきました。人間として認められてうれしいです。きじ住む未来の国が見えてきました。自分はきじが好きです。美のある国にきじといっしょに行きたいです。きじは希望の鳥ですから好きです。気持ちが言いたいと思ってきましたので願いがかなってうれしいです・残念ながら学校では疑問視されてしまいましたが、字の念じるのを読み取れるというのは本当です。人間として生まれて生きてきて願いをかなえたです。自分の人生だから自分らしく生きていきたいと思います・

 ついで、Tさんから。

 人間だから気持ちがあります。みんな言葉を理解していると思いますが人間として勇敢に生きていきたいと思います。Sさんはずっと言いたいことが言えなくて苦労してきましたがやっときもちを言えてよかった。そんな人がまだたくさんいると思いますのでみなさんよろしくおねがいします。自分は仲間の痛みよくわかりますから希望がわいてきました。敏感に理解してくれる人がひとりでも増えたらうれしいです。小さい時からの夢でした。人間として生きていく。人間としていきていきたいです

 他の施設の職員も含めた大勢の聴衆の前で、二人は、思いのたけを述べた。方法としては、決して簡単に本人がやっているようには見えにくいものだが、二人の真剣さは、これらがまさしく彼らの心の奥底からあふれ出たものであることを、如実に語っていた。この後、会場からいくつかの質問が出たが、可能な限り二人に直接答えていただいた。
2009年7月13日 23時37分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩1 / 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/246/
2009年07月06日(月)
Sさんの詩と歌
 七夕の願いのことを書いたSさんと、また、ゆっくりとかかわることができた。朝の集いのとき、同じようにしてコミュニケーションをとるK.Fさん、K.Eさん、M,Mさんと4人で輪を作るようにして会話をした。みんな最近になってSさんが語れるようになったことを自分のことのように、喜び、Sさんは、しきりに「ゆうき」とという言葉をつかった。パソコンを青年学級に持ち込んだのはちょうど1年前のこと、こんな光景が繰り広げられられるようになるとは夢にも思わなかった。
コース活動では、Sさんによって1編の詩と一つの歌が書かれた。

  勇気を持って未来に向かって歩きだそう

光を持って あしたに向かって歩きだそう
彼方に見える希望に向かって歩きだそう
勇気を出して海に向かって叫んでみよう
未来の理想の未来の僕にわかるように
昔の僕を瑠璃色の海にしずめて
未来の僕を瑠璃色の海からわき上がらせて
よい若者として未来に向かって歩きだそう
よい若者を未来に向かって
若い君たちを論じる前に
もう一度未来に向かって歩ませよう
若いりりしい若者に
若い忘れられない勇気を与えよう
よい若者によい勇気を与えよう
よい若者はよい勇気をもって歩きだす
勇気の道を
ランプが誰にもわかるように照らす
未来は道の向こうに続いている
ずっと未来は続いている
勇気を持って歩きだそう
勇気を願いながら
勇気を持って歩きだそう
笑いながらつらいことを
苦しみの道を問題にもしないで
未来に向かって


理解をしてください
私の願いです
私の体は
勝手に動きます
私の夢をわかってください
夢をわかってくれたなら
私の夢がかないます
夢をわかってくれたなら
私の夢を忘れます
夢のかなったそのときは
みんなを一つに瑠璃色の
私の私らしさを
みんなに夢見る



2009年7月6日 21時05分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/245/
2009年06月26日(金)
七夕の願い
 今年度も青年学級の通常の学級活動が始まった。言葉の問題を真正面から取り上げた今年のわかそよは、無事成功させることができた。青年学級にパソコンを持ち込んで障害の重い人の言葉の世界が開かれて、ほぼ1年。いろいろなドラマがあったが、Sさんには、どうしてもきちんと迫りきれなかった。そのSさんと、久しぶりにゆっくり一日過ごすことができて、ついにSさんの気持ちに迫ることができた。
 Sさんは、自力で歩行もできる方だが、コミュニケーションが対へむずかしいとされた方で、行動の面でも、心を落ち着かせるためだと思われるが、ティッシュペーパーやペットボトルなどをとろうとして、周囲の状況にまるで関係がないようにそちらに向かって突進していくようなところがある方だ。彼から話を聞き取れた今となっては、それが必ずしも彼自身が納得して起こしている行動ではなく、勝手に体が動いてしまっていたわけだが、それらをすべて彼の意図と見なしていた時には、彼をどう理解したらいいのか、本当に途方にくれていた。
 私たちの関わりも、いきおい、彼の行動を止めることになりがちで、関係をうまくつくれないまま、ずいぶんと長い時間を過ごしてしまったように思う。
 そんなSさんに、今回は、手をとってあかさたなと尋ねていく方法で、コミュニケーションを図ってみた。すると、これまでのずれがうそのように、彼は、次々と気持ちを語っていった。その中で、くりかえし語られたのは、彼が以前通っていた通所施設にまた通いたいというものだった。実はその通所施設は今はもうない。なぜなら、彼が今通う施設は、その通所施設が、他の施設と合併して新たに生まれた施設だからだ。その以前の施設には、私も若干関係していたので、その施設のすばらしさ、そして、Sさんがその施設でどれだけ穏やかに過ごしていたかは、実際に目撃してきた。しかし、もうその施設が発展的に解消してから、もう何年も経過した。それでも、彼は、その以前の通所施設のことを語り続けたのだった。(残念ながら手で聞き取ったので、書き留めなかった部分は記録としては残っていない。)
 今回の活動は、作品つくりコースだったが、次回七夕が近いので、笹に願い事を書くということになったので、Sさんに願い事は何にするかと尋ねてみた。すると、さっそく、
「○○(かつての通所施設の名前)がわたしたちのためにまた始まりますように」という願いごとを書いた。
 ずっと言葉を語るチャンスを持たなかった彼が、長い沈黙の時間の中で、ずっと願い続けてきたことだったのだ。
 また、一つだけ、書き取った言葉がある。それは、Sさんに詩を書いてないか尋ねて答えたものである。それは、次のようなやさしい詩だった。

春の風が吹いてきて
ゆめがいっぱいふくらんだ
よい私のために 風が夢を運んでくれた
夢をかなえるために 私は勇気を出して
私のために夢を育ててきた
私の夢は私だけのもの
勇気を出して夢を育てよう
私の夢はよい夢
私の夢は私だけの夢
私の夢は私のゆいつのよりどころ
よい夢を育てて 夢をかなえよう
私の夢はよい夢 私の夢はよい夢
夢を育てて 夢をかなえよう

 帰りに迎えに来られたお母さんの前で、一緒に会話した。

母さん、いつもありがとう。母さん、やっと理解してくれる人が現れたよ。 

 突然のことにお母さんも驚かれていたが、彼の言葉を、しっかりと受け止めていただけた。
 今年は、たくさんSさんと語り合えそうだ。

 
2009年6月26日 06時26分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/243/
2009年05月16日(土)
不思議な願いを木につなぎ いい木に望みをつなぎ
 4月5日のわかそよコンサート練習日、初めて長文を綴ったY君のお宅を、彼が参加しているとびたつ会の松田さんとともに訪問した。そして、さっそくパソコンを開くと、次のような文章が一気に綴られた。

きてくれてありがとう
じぶんのいいたいこといいたいけどなかなかいえずにこまっていました
ちいさいときからはなしたかったのでむかしからねがってきました
りかいしてくれてありがたいです
びっくりしました
なぜぼくがはなしができるとわかったのですか
みんなぼくがはなしがわかるとはかんがえてはくれませんでした

 そして、文字の学習について質問した。

じはいろいろくろうしておぼえました
じはにんげんだからきちんとわかりたいとおもってきました
にんげんだからはなしたいです
びんかんにかんじとってくれてうたいたいきもちです
 
 ここで、スイッチの援助を松田さんに代わる。すると、私の方法では、私がスイッチを動か

していく方法にまかせていた彼は、自分でスイッチを動かし始めた。そして、選択したい場所を、止めることによって表現する。そうして、次の文章が綴られた。

はなのさとて(で)は つちを つたないてをとりたててりっぱにつかえるにんげんではないけど

ぬかりなくやっています

 私ではない人での援助によっても綴られることで、ご両親も、安心なさったようだった。この内容は、彼が通う通所施設の土に関する作業のことらしい。ここでお母さんから、もう一つの作業である紙ちぎりについて質問が出る。そこで、再び私が代わった。

かみちぎりはかんたんです
ぬかりなくやってきました

 そして、彼に、わかそよでは、この方法で書かれた詩に曲がつけられてみんなで歌っているけれど、Yさんにも作った詩はないかと尋ねたところ、次の詩が書かれた。

きいてほしいじぶんのこころ
きいてほしいねがいのことば
じぶんのいいたいことをいえずにそだち
いいたいことをいえずに
にんげんしゃかいでみとめられず
ねがったのはただちいさなしあわせ
みんなのことをうらやみながら
ゆめをずっとおいつづけ
みどりのかぜにりかいされ
ちいさなゆめをねがいながら
ふしぎなねがいをきにねがい
いいきにのぞみをつなぎ
ひとりのせかいでいきてきた
ねがいはちいさなゆめにかえみ
どりのにれにびろーどのいいぬのをかけ
ひそやかなぬいぐるみのようなこのぼくが
ひそやかにりそうをかかげ
みたこともないようなみどりのかぜに
ゆうきをもらう

 満面の笑みを浮かべながら、詩だ。「緑の風」は、多くの人がこの春に表現し始めた言葉だが、「にれ」「びろーどのぬの」という言葉もまた、ほかの人の詩に登場した。何か、独特の美しさがあるのだろう。
 ここで、再び、松田さんに代わる。おうちのパソコンにソフトをインストールするために、スイッチをいったんパソコンから外したので、急遽、松田さんは、パソコンのキー(TubとEnterの二つのキーでも、このソフトは動く)を押しながら、Yさんの手を振りながら、読み取ることを始めた。そして、さらに、途中から、手を振ることをやめて、彼の目の動きで選択の意図を読み取ることにも挑戦した。どちらも、うまくいき、途中でお父さんにも代わったりしながら、次のような文章となった。

てをはたらかせてこれからさきやるやりかたをさがしてて
かなでなんでもはなせるようにはなしはかならず
じぶんじしんやなやんでいるみんなとしあわせになります。

 彼の世界のいったんが表現されたことはもちろん大きな成果だったが、松田さんの援助で綴れたこと、目の動きでも綴れたことなどもまた、貴重な成果だった。一歩ずつだが、着実に青年学級&とびたつ会では、この取り組みが広がりを見せている。
2009年5月16日 20時42分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/227/
2009年04月25日(土)
わたしもせいねんがっきゅうにさんかしたいです
 学校を卒業し、地域の作業所に通い始めた☆☆さんを、わかそよに誘っている。彼女は、夜の練習にも参加できるので、合唱だけでなくミュージカルにも参加し、しかも、車いすの女性の重要な役にもついた。今回は、小さい時から続けてきた関わり合いの場面でのできごとだ。
 最初に、彼女は、まず、一遍の詩を書いた。

はなのようにひろいこころで
ゆめをもちわすれずにいきていきていきたい
わたしにあたえられたみらいは
まったくきぼうがないとおもってきたけれど
ふしぎなことにきぼうにみちあふれていた
りかいしてもらえないくるしみは
ゆうべのひかりとなり
ゆうべのかねのようになりひびいて
にんげんとしてのわたしのあたらしいたんじょうのように
じぶんをはげましてみらいをひらく
みらいはりそうをわたしにくれて
りそうのわたしをやさしくひらく
りそうのわたしはゆうべのわたしではなく
りそうをねがうわたしのすがた
ゆめをひろげゆめをりそうにたかめ
にんげんとしてのちかいをまっすぐにつらぬき
やさしいゆうべのかねのように
りそうをかなえよう。

 卒業して、「ぼくはうみがみたくなりました」の映画にも出演し、さらに、わかそよにも参加するというかたちで彼女の世界は確実に広がりを持ってきているが、そのような現在の彼女の状況が、「まったくきぼうがないとおもってきた」みらいを、「ふしぎなことにきぼうにみちあふれ」たものに変えてきたのだろう。
 そして、彼女は、次のように思いをさらにつづっていく。

にんげんとしてみとめられたいとおもいます
にんげんとしていきていきたいとおもいます
みのうえよりもきょうのゆめをたいせつにしたいとおもいます
にんげんとしてゆめをかなえていきていくことがやっとできそうなきがしてきました
 ここで、わかそよの練習に参加した感想を聞いてみた。

みんなわたしのことをだいじにしてくれてうれしいです
にんげんとしてみとめられたきがします
りかいしてもらえてうれしいです

 そして、彼女が演じている、言葉を発することのできないくるまいすの女性の役で、言葉にならない言葉を発する演技を、自発的にやり始めたことについて尋ねてみた。

ちいさいときからともだちのようすをみてきたことがとてもやくにたっています
ゆうきをだしてえんじてみました
みているひとにつたわるかどうかしんぱいですががんばりたいとおもいます 

 そして、さらにこう続ける。

にんげんとしていきていくことができそうです 
みまもっていてください 

 ミュージカルのストーリーについても、こんな感想が書かれた。

とてもいいはなしです 
りかいされてこなかったひとたちのねがいがこもっているとおもいました 
みてほしいです おおくのひとに 

 そして、歌については、

ちいさなしあわせのうたがとてもよかったです 
びっくりしました りそうてきなかしでした 

 そして、最後にこう希望をつづった。

みちがひらけてきそうです わたしもせいねんがっきゅうにさんかしたいです みらいがひらけてきました 

 残念ながら青年学級は、現在募集をしていないが、とびたつ会への参加も含めて、これからの将来が開けていけそうである。


2009年4月25日 00時44分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩1 / 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/220/
2009年04月22日(水)
若葉とそよ風のハーモニーへ向けた練習日
 5月24日の若葉とそよ風のハーモニーコンサートの練習は、いっそう熱気を帯びてきた。今年は、ミュージカルも合唱も、その中心には、これまで言葉を発することのできなかった仲間たちの、あふれ出た思いがある。練習の途中の時間に、3名の方にパソコンで気持ちを聞いた。
 最初は、M.Mさん。今回は彼女が最初にパソコンで書いた言葉がそのまま「オリジナルスマイル」という曲になって、ミュージカルの中で歌われる。
 スタッフの松田さんが、最初の5文字を手で読み取ったといって、私にバトンタッチししてきた。さっそくパソコンを開くと、次のような詩が綴られた。

めにうめのはな よくさいた
ひかりのひかる なみだとねがい
にんげんとしてうまれて
いきてこれたことにかんしゃして
ちいさなひかりをたいせつにして
ゆうべのくるしみ わすれて
りかいされた しあわせを
かみしめながら いきていこう。

 そして、次の文章が添えられた。 

これでいいです。じぶんのきもちをいいたかったので ゆめのようです

 今回の合唱で歌う「願いの季節」という歌には、「にんげんとして生まれ生きてきて」「やっぱりきびしいはなせないのは にんげんだからあふれるきもちがある」という歌詞がある。この歌詞は、おそらく、彼女の中でも深い共感を持って受け止められたにちがいない。彼女の詩には、その言葉と響き合うものもあったことだろう。
 ここで、松田さんからオリジナルスマイルの感想はどうだった?と質問がくる。そして、次のような答えが返ってきた。

とてもいいうたで うれしいです またつくってほしいです

 次に、K.Tさんとパソコンで話をした。
 
しばたさんといつかはなしたいなとおもっていましたが なかなかじかんがとれませんでした にんげんだからざんねんです はなしができないのは みためではんだんされてくやしいです みためではなにもできないようにみられてくやしいです みためではんだんされるのはいやです なぜひとはみためではんだんするのでしょうか

 見た目で判断されて不当な理解しかされてこなかった彼の、心の底からの思いだった。そして、私も、その不当な理解をしてきた一人だった。
 彼は、北風の長い詩を12月の合宿の時に聞かせてくれていたので、ここで、春の詩はないのかと尋ねてみた。するとこんな詩が綴られた。

はるがきた
みどりいっぱいゆめをいろどり
りそうのちがひらけた
みどりのかぜがむかいかぜとなり
べんちのうえのふたりが
なやみをせなかにせおいながら
ふたりのかたごしに
やさしくみどりのかぜがふき
ふたりのなやみをふきとばしていった。


 北風は季節の変化とともに緑の風に変わっていた。それにしても、なんと美しいイメージの世界だろう。
 練習が終わり、後片付けをしていると、D.Tさんが、しきりにパソコンで話したそうに訴えてきた。彼は、これまで、眉毛で気持ちを表現したり、シンボルマークを使って気持ちを表現してきた。そして、自分とほとんど同じような状況にありながら、紙一重でコミュニケーション手段を持たなかった仲間たちが、次々とパソコンで気持ちを表現していくことを自分のことのように喜んできた。彼がこの日書いたのは以下の内容である。

じぶんのきもちをいえないなかまのきもちをひょうげんできてうれしい ちいさいときからゆめみてきました ちいさいときからびくびくしていきてきたので みんなきもちがいえてうれしいとおもいます ゆめでしたから じぶんのきもちをいうことが ばかにされたりむしされたりしてきたので にんげんらしくきもちがいえたらいいとおもってきました みらいがひらけてきました かんげきです やらかしてやろうというきもちになりました ひとりでなやんできたひびがこれでおわります かんどうしました じつにいいきぶんです ねがってきたやわらかいじんせいのはじまりです ゆめのようです めりーくりすますみたいです かんどうでやねにのぼりたいようなきぶんです かんどうこのうえありません

 静かだが大きなうねりのようなものがひしひしと感じられる日曜日だった。

  
2009年4月22日 23時11分 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/219/
2009年04月07日(火)
私を人間として敏感に感じとってくれた仲間たちがくれた希望
 若葉とそよ風のハーモニーの練習に来た○○さんにパソコンを挑戦した。「ウーウー」という声しか出せないが、指さしや身振りで気持ちを伝えることができる方だ。公民館の場所からひかり学級が分かれた時(もう20年近く前のことだが)、彼女はひかり学級に移っていったので、日常的な活動ではなかなか会う機会がなく、会えるのは、2年に一度のこのコンサートの時だけになってしまった。彼女のコミュニケーションの力を考えると、言葉の力があることは容易に想像がついたので、練習前の時間にすぐそばに彼女が来たところで、ためらわずにパソコンを出した。そして、綴った言葉。

ちいさいときからはなしたかった
きもちがつたえたかった
きいてくれてかんしゃします
ちいさいときからはなしたかった
ちいさいときから
ちいさいときからじをかきたかったけどうまくいかなかった
いいきかいですね
かいたいです
ありがとう

 ここで詩を書いているかと尋ねるとはいとうなずくので、書いてもらった。

ちいさいときからみてきたゆめ
ちいさいときからねがってきたねがい
みしらぬみらいをみつずけて
みしらぬらんどをゆめにみて
ひとりぼちでいきてきた
ゆめはいつもかなわなかったけど
ゆめみたことはらんぷのようにかがやきつずけている
わたしのこころのなかで
にんげんとしていきたいといつもねがいながら
いつもちいさいむねをいためてきた
ねがいのちいさなゆびさきに
ちいさいちいさいゆうきがやどり
みたこともないちいさななみだが
りんごのしずくのようにながれた
ちいさいころからひとりぼっちでいきてきて
びょうきのためにちいさいときからはなしもできず
まるでちいさなひんしのはとのようにいきてきた
わたしをにんげんとしてびんかんにかんじとってくれたなかまたちが
くれたきぼうを
だいじにしていきていきたい。

 独創的な比喩がたくさんちりばめられた言葉だ。この詩だが圧巻は、「わたしをにんげんとしてびんかんにかんじとってくれたなかまたち」という表現だ。そういう仲間たちに支えられて彼女は、生きてきたのだ。この言葉の裏には、人間として感じとってくれない人たちの存在がいるということがある。そのこともまた重く迫ってくる。
2009年4月7日 05時45分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/210/
2009年03月31日(火)
白い希望
 5月24日に開催される若葉とそよ風のハーモニーコンサートの結団式が、町田市内の福祉施設の体育館を借りて行われた。E.Kさんはその施設に入所している。彼女は、3月1日に会ったとき、パソコンで詩と曲を私に伝えてきた。曲は階名を書くことによってだ。それから、何とか楽譜にしてきたが、まだ、はっきりしないところがいくつかあった。それを今回、昼ご飯の時間に聞き取った。すると、少し変えたといって、もう一度詩を書き、私がはっきりしないところのメロディをもう一度尋ねた。

しろいこいぬ しろいゆきを
ふしぎそうにながめている
しろいゆきは きぼうのししゃ
ねがいをかなえて そらからふる
ちいさいころから ひとりぼっち
ちいさいころから ぬいぐるみ
ちいさいわたし ちいさいゆめを
ねがいとともに ゆめみている



 この詩は、コンサートのミュージカルで使うことになっている。彼女を想定した役柄の女性が、北国の施設で暮らしていて、雪を実ながら、心の中でこの歌を歌うという設定だ。幸い、彼女は仲間のいるこの町にとどまることができた。しかし、少なくない仲間が、遠い施設に去っていった。その一人一人が、いろいろな思いをもっていただろう。しかし、聞き取る方法が、間に合わなかった。

 
2009年3月31日 09時03分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/203/
2009年03月07日(土)
ハート展の日
 午前中、ある学校の訪問教育のお子さんのお宅にうかがい(そのことは改めて紹介したい)、夜の青年学級の会議まで、すっぽりと時間が余った。ともかく電車に乗って、ふと思いついたのは、NHK主催のハート展に行くことだった。私が関わった6年生の女の子の作品が入選して、展示されているからだ。たくさんの作品の中に、彼女の作品もあった。筆談ができるようになって、学校の先生に支えられながら書いた詩だ。

  あしたのこえ
みらい るるる
あしたのことはわからない
るるる るるる
あしたのこえ

 あしたのことはわからないという言葉、長い間、言葉が閉ざされていた時、明日は不安に満ちていたかもしれない。しかし、今、明日は、未知の希望にあふれているのではないか。るるるという言葉に、そんなことを思った。ささやかな一歩だが、彼女が、自分の声を社会に届け、社会に向けて歩み出した記念すべきだ一歩だ。展示されている多くの作品の一つ一つに、作品を見ただけではうかがいしれない、そんなドラマが秘められているのだと思った。
 そして、そのまま、町田に向かった。時計を見ると、まだ、余裕がある。そこで、思い立って、月曜日に手術をするために入院している53歳の青年学級のメンバーのお見舞いに行くことにした。病状は予断を許さないものであると、電話でお母さんからうかがっていた。
 彼、SYさんは、年末にパソコンで言葉を初めて綴った方だ。自分で身のまわりのことはだいたいできる方だが、言葉は少なく、単語だけを話される。行くと、ちょうど、お見舞いに来た授産施設の方々をお母さんと一緒に病院の玄関でお見送りするところだった。私を認めるとにやっと笑ってくださった。そして、そのまま病室におじゃました。お見舞いを買ってくるのを忘れていたので、ハート展の詩画集を彼に渡した。そして、たまたま、スイッチ一式を携えていたので、一度お母さんにも見てもらいたいという思いがあり、パソコンを出した。そして、彼は、次のような文章をさっと書いた。

きてくれてありがとう
うれしい
くるしいげんきになりたい
じぶんのきもちがいえないのですごくこまっています
かあさんしんぱいかけてすみません
ぎせいになってもうしわけありません
きのうかんごふさんがきてすきなおんがくについてきいてくれました
いしのまこがすきですからききたいです
ききたいです
くすりがにがくて
きらいです
がまんしてともかくちいさいころからのんできました

 ここで、流動食の食事が来た。そこで、パソコンをしまう前に、一言あったらと尋ねると、

きいてほしいことはくるしいけどがんばりますということです

 と綴った。そして、食事をする彼の横で、彼の言葉も入った今年度の音楽コースのオリジナル曲を流した。歌詞にしたのは彼の長い文から抜粋した次のような言葉である。

にじをみにいくことです みんなでみにいこう
じぶんでにじをつくりたい
ちいさいねがいだけどたいせつにしよう ちいさいねがいだけどしっかりもっていこう
にんげんだからきもちがあります
きびしいです ことばがはなせないのは
 
 メロディーに合わせた歌詞ではこうなった。

にじをみんなでさがしにいこう じぶんでにじをそらにかけてみたい
やっぱりきびしいはなせないのは にんげんだからあふれるきもちがある
ちいさなねがいたいせつにしよう ちいさなねがいしっかりと

 彼の食事中、思わず、お母さんと昔話に花が咲いた。私より3歳上の彼と出会ったのは、私が23歳の時、それから30年近い時間が流れた。お互い、すっかり年齢を重ねた。そんな話だった。彼の食事も終わり、そろそろおいとまをと思い、最後に、彼に、手を振る方法で、手術について尋ねた。

こわいけどがんばります

 エレベーターまで送ってくださったお母さんは、「かわいそうでね、代われるものなら代わってあげたいわ」とおっしゃった。大正生まれの気丈なお母さんだが、その思いが痛いほど伝わってきた。
 私たちのコースのオリジナルソングの最後に、こんな歌詞がある。

じぶんになにかがあったときは なかまがきっとたすけてくれる

 今、大変な病気と闘っている彼のたすけにいくらかでもなれただろうか。そんなことを思いながら、青年学級のスタッフ会議に向かった。
2009年3月7日 01時25分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 / 学校 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/192/
2009年03月03日(火)
青年学級 成果発表会の日 その2
 成果発表会の終了後、トマトハウスで、再び、2人の方の言葉を聞いた。
K.Kさんの言葉を聞くのは2度目。合宿以来になる。発表会のステージの上では、彼の合宿での言葉が、仲間によって朗読された。 
 トマトハウスでは、彼は、次のような思いと、詩を綴った。

ちいさいときからいいたいことがいいたいとおもってきました
いいたくてもうまくいえませんでした
いいたいことがいえたらうれしいです

しろいこいぬがゆきといっしょにやってきた
ちいさいわたしはちいさいねがいをしろいゆきにたくし
じぶんのねがいをきいてくれるきたかぜに
ちいさいわたしのねがいをたのむ
きいてほしいのぞみをひとりしずかにききながら
しろいゆきがふるのをみつめていた
きのうのかなしみはじぶんのねがいをしり
きのうのさびしさはちいさいじぶんのべんきょうができなかったふまんをしっている
きぼうのいいきたかぜはしろいねがいをねがいながらにんげんにきぼうをあたえる
ねがいはちいさなゆきのかけらとなってぶなのはやしにつもった
たのみのつなはきぼうのいいきたかぜだ
みたこともないのぞみをはこび
ぼくにゆうきをくれた
きぼうのきたかぜをまちのぞみながら
ぼくはにんげんとしてきのうのじぶんにわかれをつげ
なやみのないみらいにむかってたびだとう
おわり。

しはいつもかんがえています 
いつもたいせつなことばをじぶんでかんがえています
きいてくれてありがとうございます
じぶんのきもちがきいてもらえてうれしい 
しばたさんはなぜぼくがりかいしていることがわかったの

 トマトハウスでは、E,Kさんの言葉も聞いた。7月に、初めて文字を綴った方だが、12月の合宿の時、階名で歌える歌があったら書いてみてとの求めに、チューリップの歌の階名を書いてくれるということがあったので、その時、自分でメロディを作れたら、作ってみてほしいと頼んでおいた。いくらかやりとりをした後、彼女は、次のような階名を記した。


ソファミファソソファミファレファドドドシラソファラソファソミソファミファソソファミファレミレドシラソファソドララシドレドシドシラソラソソララシレドシドミレドミレソファミファソソファミファソソファミファソレレミファソファミファソララシドレドシドレドシシドー

 いくつかの解釈が可能なので、まだ、はっきりと区切ることができないが、確実に一つの形式を踏んで、音楽ができていることがわかった。そして、その歌詞として、次の詩とその説明が書かれた。


しろいこいぬ しろいゆきを
ふしぎそうにみつめている
しろいゆきはきぼうのしししゃ
ねがいをかなえてそらからふる
ちいさいときからひとりぼっち
みんなみているしろいゆき
みんなをつなぐしろいゆき。

ちいさいころからかんがえてきたうたです ききとってもらえてうれしいです がくふにしてください よろしくおねがいします きいてもらえてうれしい ねがいがかなってうれしいです きぼうがわいてきました きいてもらえてうれしくてなみだがでてきました ふだんなにもわかってもらえないからです いいきもちです ひとりぼっちだからいつもきいてもらえてしあわせです いいきもちです

 そして、さらに、成果発表会で、自分の歌詞の入った歌ができたことについて、こう述べた。 

ねがっていました きもちをいえるようになることを
F.Kさんのかしがすてきでした わたしのかしはぶぶんてきだったのでざんねんですでもかんどうしました きいてみたい いま ちいさいこえでいいからきいてみたい

 この彼女の希望に応えて、このコースのメンバーを中心にして、この歌を合唱した。わかそよコンサートでもぜひ歌いたい曲だ。

 また、彼女は自分の作ったメロディと歌詞に次のような題名をつけた。

しろいきぼう。

 このあと、私はとびたつ会の支援者の松田さんとスイッチの援助を代わった。施設でのことがいろいろと綴られた。少しずつ、スイッチの援助者の輪が広がっていくことが本当に楽しみだ。そして、最後に、こう記して、施設へと帰っていった。

またよろしくおねがいします
きいてくれてかありがとうございます
さようなら
よかった



2009年3月3日 18時14分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/191/
青年学級 成果発表会の日 その1
 成果発表会の合間に、何人かの言葉を聞き取った。

 最初は、朝、つどいの最中に聞いた女性のN.Fさんの文章だ。まず、お母さんの病気の心配のことから始まった。

なかなかかあさんのびょうきがなおらないのでしんぱいです
ねがいはずっとかあさんといっしょにくらせることです
きいてくれてありがとうございます
いいきもちです
いきていきたいで ひとりで
ききたいことがあります
どうしてわたしがはなせるとわかったのですか
かあさんがぐあいがわるくてかなしいです
いいびょういんをさがしてあげたい
(大変ですね。)
たいへん
(質問について、いい呼び方ではないし、間違った呼び方だと思うけれど、N.Fさんたちは、ある呼ばれ方をするでしょう。最初はこの方法は、同じコースのE.KさんやN.Fさんのように車いすの人で話ができない人のために考えたやり方だったのだけど、N.Fさんたちのような人たちも話すことができるのがわかったから、N.Fさんにも、声をかけたんです。)
しっていますじへいしょうのことですか
いいなまえではありません
(今日は成果発表会、がんばってね。)
がんばります
(N.Fさんも詩を作ったことありますか。)
(小さくこっくりとうなづいて)きいてください

いいちいさいわたしは
ちいさいはなとちいさいはなびらのようにいきてきた
きいている いいはなのうたを
きいている いいはなのさくおとを
たくさんのゆめとたくさんのひかりをかかえて
わたしはいきてきた
いのちをしんじながら きぼうをもとめながら
くなんのかべをのりこえながら
きいている あたらしいいのちのこえを
きいている きぼうのかねのおとを
いつかきっとわたしのねがいがかない
にんげんとしてちいさいねがいをもち
いきていくことをねがいながら

じぶんのしです
きいていただけてうれしいです
ねがいをかなえられたらうれしいです
きいてくれてありがとう

 なお、帰りのお迎えに見えたお父さんにこの詩を見せた。この詩の内容に深くうなづきながら、お父さんには、お母さんへの思いをかみしめておられるようだった。同時に、たそして、パソコンを開くと、お父さんの膝にそっと手を乗せて彼女は、こう書いた。

かけてうれしいおとうさん

 朝のつどいのさなか、H.Nさんともパソコンで言葉を交わした。H.Nさんは、かすれたような声で単語を発することがある寡黙なダウン症の方である。

いしをつたえたいにんげんだから
いいにんげんになりたいとおもいます
きいてもらいたいことがある
ひかりとかねがいとかぼくにもやってくるのですか
きびしいですはなせないのは
ひととしてみとめてもらえません
くやしいです にんげんらしくいきていきたいです
ひかりがほしいです
ひかりをもらいたいです
ふつうのにんげんとしていきていきたいです
ふつうのがっこうにいきたかったです
けさもばかにされました
きっさてんにもいきたいです
きいてくれてありがとう。

 10年前ころの数年間、彼は青年学級の帰りに私と喫茶店に行き、チョコパフェを食べて変えることを習慣にしていた。しかし、健康上の問題でカロリー制限が必要となり、いつかその習慣も途絶えていた。そんな思い出がよみがえる。私も、彼を「ばかに」したことはなかったろうか、本当の意味で彼を人間として認めてきただろうか。そんな問いが芽生えては、胸につきささる。
 Y.Hさんは、N.KさんとH.Nさんが語り終えるのをずっと待っていた。すでに時間はあまり残されていなかったが、次のような文章を彼は書いた。

ききたいことがあるじぶんはせいかつりょうにはいけないのですか
ねがいはちいさいときからちいき

 午前中から、彼が入所している施設の職員さんが、私のコースに参加してくださっていたので、お昼休みに彼のことについて話ができた。彼は、生活寮で暮らすための練習を始めることになっているそうだ。次に紹介する私のコースのメンバーであるT.Hさんのパソコンの様子をご覧になりながら、Y.Hさんの話にもなって、彼の内面の声を驚きとともに、受け入れてくださった。午後の発表の中で、彼の言葉は、たっぷりと紹介された。マイクをふられても、どうしても問われた言葉を繰り返さざるをえない彼だが、たくさん語った言葉がステージの上で紹介されていくのを喜びの表情で見ていた。施設の職員の方にも確実に彼の声は届いたはずだ。
 お昼休みの時間に、書いたT.Hさんの文章は、次のようなものだった。彼自身の言葉も入ったコースのオリジナルソングをめぐる感想から始まった。

ちいさなしあわせというかしがよかった 
いいちいさいじぶんというかしをしにいれたかった 
きぼうちいさくささやきながらというかしがすてきでした 
じぶんのしがすてきでした 
にんげんとしてというかしがきにいりました 
いいちいさいじぶんというのをいれたかったです

 そして、横でパソコンを見守っている先ほどの施設の方と、パソコンで次のようなやりとりをした。
 
こんにちわ
(「こんにちわ。」)
しをきいてくださいましたか
(「はい。」)
どうでしたか
(「すてきでした。」) 
うれしいです
ちいさなしあわせというのがいいでしょう
(「そうですね」)
じぶんもだいすきです
(「どんなお仕事をしているのですか。」)
ほうせいというしごとをしています 
(「何を作っているのですか。」)
かばんをつくっています 
(「針はつかいますか}
つかいません みしんのほうせいです 
ちいさいのぞみですがしごとをかえたいとおもっています 
きびしいかもしれませんがきぎょうではたらきたいとおもいます
(「いいところが見つかるといいですね。」)
そうですね しごとがちゃんとしたいです 
ちいさいしょくばならかのうかもしれません 
きいてくださってありがとうございます 
にんげんとしていきていきたいとおもいます 

 ここで再び、自分の気持ちの表現に戻る。

ゆめは×××さんにすきなものをかってあげることです 
ひんがいいものをえらびたいです 
ひんがいいちいさいものがかいたい 
じぶんのいいところをみとめてくれるからです 
にんげんとしていいところをよくみてくれるからです 
にんげんとしてにているところがあるからです
ちいさいちいさいねがいです
きいてくれてありがとうございました
(×××さんについては)ないしょです

 書かれた文章を音読できるということは、よくわかっていたが、会話となるとなかなかスムーズにはいかない彼が、こんなにもなめらかに初対面の方と会話をする姿に、彼にこれまで与えられてきた「自閉症」という呼び名がいったい何なのか、改めて、考えさせられずにはいなかった。
 また、繰り返される「にんげんとして」という言葉は、今回の歌の中に、別の方の言葉として盛り込まれたものだ。彼も、その言葉を気に入ったのだろう。それにしても、この言葉が繰り返されるたびに、胸にズキンと迫るものがあった。 
   
2009年3月3日 12時57分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/190/
青年学級の成果発表会 表現の未来
 平成20年度町田市障がい者青年学級の公民館学級成果発表会が、3月1日、開かれた。今年は、昨年の7月にMさんの言葉をパソコンで表現することかできたことを端緒にて、多くの、言葉を有していないと考えられた重度の車いすの方々や、自閉と呼ばれる障害をかかえた方々、簡単な単語しか発することのできない重度の知的障害のある方と考えられた方々が、パソコンで気持ちを語り、詩を綴った。今回の成果発表会では、それらの成果がふんだんに生かされた。もちろん、この成果発表会は、当事者の言葉や表現をこれまでも大切にしてきたものだから、こうした表現にいちだんと厚みと深みが生まれたということだ。
 単なるコミュニケーションという問題を越えて、一人一人の秘められていた心の世界が仲間やスタッフに共有され、新しい表現としてより高められていく。成果発表会に訪れた人々もまた、それを感動をもって受け入れてくださった。
 5月24日、町田市民ホールで第14回若葉とそよ風のハーモニーコンサートを私たちは開く。今回は、この成果を最大限に生かし、新しい文化の誕生をより多くの人々に訴えたいと思う。
 
2009年3月3日 08時49分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/189/
2009年02月17日(火)
青年学級にて 2月15日 作られた詩から
 青年学級では、今回もたくさんの人がパソコンで気持ちを表現した。その中から、詩として表現されたものを紹介したい。
 まず、自閉と言われて施設で暮らすH.Yさん。彼は、言葉を口にすることの少ない人だ。

しろいきたかぜしろいゆきをつれてやってきた
ひとりぼっちのこのぼくに
しろいきたかぜちいさいぼくにしろいゆきをくれ
さびしさのじかんをわすれさせてくれた
いいしろいきたかぜはきっとことしもふくだろう
しろいゆきをふらせてぼくのさびしさをわすれさせてくれるだろう
きたかぜをまちながらきたにむかってぼくはさけぶ
きたかぜにむかってぼくはいのる
いいきたかぜいいひとにしてくれと
いいひととめぐりあわせてくれと
いいじかんがながれ
いいじかんがながれさり
きたかぜはゆめのようにきえたが
ぼくのこころにはみたこともないようなねがいのじかんがのこされた
かんしゃしようきたかぜに
かんしゃしようゆきに
みたこともないじかんをたいせつにしていきたいとおもう
いいじかんをちいさ

 最後は、ちょっと時間がなくなってしまった。
 次は、いつも、明るく大きな声で歌うK.Nさん。彼は、今回が初めての挑戦だった。先に語られた言葉とともに、詩を紹介する。

うれしいにんげんとしていきて 
いきていきたいのできもちをつたえたい
ちいさいころからのゆめでした
ちいさいときからのねがいでした
ちいさいときからほんとうはわかっていた
ちいさいときからきもちがつたえたかった
いいきもちです 
いいたいことがいえてうれしい
ほんとうはきたくしたいけどしかたありません
かあさんにめいわくをかけてしまうから
ないしょにしておきます
きもちがいえてうれしい
きもちがつたえたかった
だれかにつたえてね
ちいさいときからいいたいことがいいたかった
いいたいことがいいたかった
つきあってほしいのは×××さんです
つたえたい
じぶんのきもちがいえたらうれしいとおもってきました
いえてうれしい
きいてほしいことがあります
ちいさいときからじぶんのきもちをつたえたかったのでじぶんをつたえられてうれしい
じをおぼえたのはにねんせいのときです
じをおぼえてもかけなくてくやしかった
いいいちにちになりました
いいじかんです
なかなかりかいしてもらえません
ざんねんです
ちいさいころからのゆめでした

くるしいきもちがきえないときは
そらをみあげてみよう
にんげんだからつらいきもちにまけそうになるけど
きぼうをすてずにいこう
きぼうのきたかぜはきっときたからふくだろう
にんげんとしてうまれてのぞみをすてずにいきていきたい
にんげんとしてきぼうちいさくかかげながらいきたい
ひとそれぞれのいいところをたいせつにしていこう
ちいさいなねがいでももちつずけていこう
しろくかがやくねがいだけをたいせつにしながら。

 次は、ふつうに会話をするS.Nさん。自分からパソコンで詩を書くと言ってきた。

しをつくったのできいてください

かわいいたけのしげるみどりのはやしに
みようとしてもみえないみどりのかわいいふしぎなこどもが
もがきながらすいこまれていった
きいたこともないようなこえをだしながら
かわいいあんでるせんのひととゆめをみながら
いいにんげんになろうとしてた
もとのじぶんのすがたをそうぞうしながら
やさしいかぜがふいてきて
においのきれいなかぜになって
いちばんにおいのいいにんげんをあこがれながら
ながいさすらいのたびにさそわれて
いいちいさいわたしをゆめみながら。

 次の方は、いろいろ言葉は話すことができるH.Sさん。口にする言葉は、定型にはまっているが、書くことはまた別だった。彼からは、以前、すてきな犬の絵を見せてもらったことがある。もう亡くなった犬のことだ。その詩を作っていないかと尋ねると、作っていると言って聞かせてくれた。

しろいしっぽのころがしんできれいなはながさいた
いまごろころはてんごくできっと
きれいなはなにかこまれているだろう
ひかりのなかをかけまわっているだろう
いいかぜにふかれていることだろう
しろいふさふさしたにおいのしずかないきです
べてをいろどるだろう
しろいいろはねがいのいろ
きぼうをちいさくつむぐいろだ
ひかりのいろだ
しろいいろのきぼうをきいて
ぼくにいいきぼうをあたえてくれるだろう。

 最後は、車いすのK.Hさん。場所は、居酒屋である。

にんげんとしていきていきたいとおもうきもちはおなじです
にんげんなのできもちがあります
にんげんとしてきもちをきいてもらいたいです

あたらしいさけびをきいてください
ちいさいちいさいねがいのはながきれいにいいはなをさかせ
きれいにきれいにきもちをかえる
いいちいさいわたしはじぶんのいのちをさかせるために
いのりをささげる
きぼうのじかんがすぎていき
ちいさいじぶんのひとりのゆめが
しずかにしずかに
においのいいちいさいねがいのはなをさかせる
きりがなくちいさいきぼうでもじぶんのたいせつなもの
にんげんとしてのさびしさをなみだのうみにしずめ
じぶんのなみだをたいせつにききとり
いいねがいをかたりながら
さびしいねむりを
えられないようなよろこびであかるくそめる
あかるいよろこびはちいさいじぶんのなみだのおかげ
ちいさいじぶんのかちとったゆめのあかし
ぬいぐるみといえるようなあかるくないちうさなじぶんのかこのくるしみをこえて
あしたにむかってちいさくひらく
びろうどのようないいはなだ
いいじぶんがすくないちゃんすをものにして
かちとったかんどうてきなすがただ

 多くの人がいろいろな形で言葉を奪われてきたということに慄然とする思いがする。
2009年2月17日 23時49分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/180/
2009年02月04日(水)
青年学級2月1日のできごと
 青年学級の活動も年度末が近づいてきた。3月の成果発表会、そして、5月には、わかばとそよ風のハーモニーコンサートが控えている。
 朝のつどいの中で、まず、Hさんにパソコンを挑戦した。彼は、いわゆる「自閉」と呼ばれる方。入所施設で暮らし、仲間につきそわれるようにして毎回公民館にやってくる。彼の気持ちの表現は、一度も聞いたことはなかった。

いいやりかたですね 
うれしい あきらめていました ことばがはなせるとはおもいませんでした
さびしい だれもきもちをりかいしてくれないから 
かあさんにあいたい いきたい はか いきていたらことしではちじゅういち 
きになっています さみしがっていないか 
きぼうがでてきました 
ききたいことがあります かのじょはできますか 
しばたさんはけっこんしていますか あいしていますかかのじょを 
かあさんといっしょにがいこくにいきたかった 
だきたいです かあさんを 
ちいさいころからはなしたかったです
そんばかりしてきたので そんしたのをとりもどしたい 
すんだことはしかたないけど にんげんとしていきていきたい 
じぶんのきもちをいいたいです
いいあかるいかぜがふいてきました
 
 彼は、すでに母親を亡くしている。小刻みにスイッチを動かす手に力が入るので、ところどころ、読み取りにまちがいがあるかもしれないし、母親の年齢のところは、自信がない。しかし、母への思いが、切実に伝わってくる。
 集いで書いたのはここまでだったが、活動の途中で、もう一度機会があった。

きもちいいいいすいっちですね

(コース活動で取り組んでいることについて)
かんきょうもんだいはちきゅうのおんだんかです
きおんがあがってしろくまがこまっています
(施設での農作業について)
のうさぎょうがたいへんです なかなかちいさいさくもつはおおきくなりません
いつはがかれるかしんぱいです
(施設の周りの環境の変化について)
いえ いっぱいたって あいぞう(愛憎)にあふれるようになった 
しぜんはこころがやすらぎます 
きはこころのかなしみをいやしてくれます ちいさいときからきがだいすきでした
いいにんげんになることがゆめです あきらめていました
いいたすけがあらわれました 
きっとかあさんもてんごくでよろこんでくれているでしょう
いいきぶんです 
Mさんはせっかちですがやさしいひとです
すてきなひとです きちんとしています いいひとです
しっています ちかくにすんでいました いいひとです
たのみたい すいっちを
(途中手をとってやる方法も試みた。その感想は、)
いいすいっちなのであれもいいけどこちらのほう(手を取り合う方)がかんたんですはい

 なかなかコースは一緒にならなかったHさんだが、もうつきあいは長い。言葉がないことは、自明として、つきあってきてしまった。一つ一つの言葉が、重い人生を伝えてくるようだ。

 そして、お昼頃、Oさんが登場した。障害の重い人として、ずっと関わって来た方だが、今年度は休みが多くて、久しぶりだった。Oさんと同じタイプと思われていた人たちがみんな言葉を表現したから、Oさんが同じように言葉を表現するであろうことは、予想ずみのことであった。来るなり、さっそく、パソコンに挑戦した。そして、次のような文章が綴られた。

いいね なぜことばがあるとわかったの きぼうがでてきました
いいたいことがいいたいとおもってきました 
かあさんにつたえてください きかせたいことがあります
いじいじといきていくのはいやなので きちんといしをいってあかるくいきていきたい
からだがうごかないけど いしがありますから きもちをいいたいとおもってきました
きもちいいです 
ぎせいになりたくない ひのあたるところがほしい 
きびしいです いまのせいかつは
いいたいことがいえなくて
てではなせるとはおもわなかったのでかんどうしています
いいほうほうですね うれしいです きもちがつたえたかった
ちいさいころからのゆめでした うれしくてなみだがでてきました
じぶんのきもちがいいたかった くやしかったけどきぼうがわいてきました
しばたさんはどうしてぼくがことばがわかったのですか
なぜぐっちゃぐっちゃのぼくなのに 
ぎせいになるのはいやです
ひかりがさしてきました ちいさいときからのゆめでした 
いきるきぼうがわいてきました 
きのうのくるしみはかこのものになりました 
りかいされてこなかったけどこれでねがいがかないます 
じぶんをひょうげんしたかった 
いしがいいたかった 
いいたいことがいえたらいいとおもってきたけど
いいたいことがいえそうでうれしい
きかいがほしい きかいがあればだれとでもやれるから
せいねんがっきゅうのときにはふつうにできるのですか
うちでもやりたい よかったらうちにきてください
すばらしい かあさんにつたえてほしい 
きもちがいいたいからきもちあふれています
いいうたです わかる 
きいてくれてありがとう

 小柄なOさんは、いつも車いすで天井を向いていることが多く、天井のライトのきらめきが好きだなどと言ってきた。そういう姿は、以前は、なかなか言葉の存在を感じさせる姿ではなかったが、この日、パソコンで気持ちを綴り終えたOさんは、きりりと前を見つめ、意志を備えた人として、誰の目にも映っていた。 
 もう一人は、定時制高校まで通った「自閉」とされるHさん。最近傷つくことがあって、お見えになっていた。若いスタッフのIさんが、ぜひ、気持ちを聞いてくれという。自信はなかったが、むしろHさんは、積極的に近づいてきて、すぐに綴り恥得mた。

Iさんいつもありがとう
まっていますにんげんだからいしがあります
いしをいいたいです
ぎもんがあります
ぎんのいろのぐるーぷはにちようびにはこないのですか
しらないひとたちです
ねているときにやってきます
なんねんもまえからです
いえです
みたこともないようなふくをきていじわるなことをいいますがなにもしません
いきなりきていろいろなことをいいます
ちいさいときからきてはこまらせます
いちにちきもちがおちつきません
いいやりかたがあったらおしえてほしい
がっきゅうのひはきません
ちいさいときからふしぎでした
いいきもちです
しにします

ききたいことがある
いいかぜはどこからふいてきますか
きっときたからふくでしょう
ちいさいひかりがさしてきて
いいみらいがひらいてきます
いいにんげんはどんなかがみをもっていますか
きぼうがうつるかがみですか
じぶんのきもちがうつしだされ
きもちがかなうかがみです
いいかぜはどちらのほうからふいてきますか
きたからきっとふくでしょう
じぶんのいいたいいろいろなきもちをことばにして
いいかぜはきっときたからふくでしょう
きたのくにからふくかぜは
きぼうとゆめをはこんでくるでしょう
きぼうとりそうをのせて
きっときたからふくでしょう
きぼうとあいをのせて
きっときたからふくでしょう
あいというのはふしぎなことば
ちいさなこころをおおきくしてきぼうをくれます
ゆめというのはふしぎなことば
じぶんのしずんだこころをあかるくする
きぼうのきたかぜみつけたら
かなしみしずかにきえていく

いいきもちです
きぼうがでてきました
みていました
やれたらいいとおもっていました
わかります
ぼくもおなじきもちです
きりがないからこのへんでやめます
はい

(夕方迎えに見えた、お母さんの前で)
いつもありがとう
かあさんさびしいにゅういんしたら
からだにきをつけてください
がかになりたかったけどさいきんきもちがくるしくて
がかにどうしてもなれそうもありません
きいてほしかった
さかのぼってかんがえるとあいしてくれたことにかんしゃできますが
もうおとなだからきてもらわなくてもだいじょうぶです
きてほしくないわけではありません

 パソコンをやっている最中、今まで見たことのないような、解放された笑顔をすることが印象的だった。彼は、文章も読みこなすのだけど、なかなか気持ちを表現することはできず、まさか、この方法で一気にこれだけの表現をするとは思わなかった。「あいというのはふしぎなことばちいさなこころをおおきくして」のところは、さっそく、コース活動で作っていた歌の歌詞の一部として、くわえた。
2009年2月4日 01時59分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/171/
次へ