ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年07月11日(月)
東日本大震災に思う 5月28日 僕たちは文明を作る人間
 計画停電やガソリンの問題登で3月の会を見送っていたグループと5月28日、お会いした。大震災から2か月半が過ぎ、この間、様々に考え抜いてきたと思われる○○君は、その悩みながら続けてきた思索のあとを見せてくれた。

 地震のことについて書きます。僕は今度の地震で理想を失いそうになりましたがなぜあんなにたくさんの人が亡くならなければならなかったのか僕はとても悩みました。私たちは理不尽な障害を持っているので理想をとても大切にしているのであの地震ではわからなくなってしまいそうでした。なぜ人は生きるのかとか。人のためになぜ生きるのかとかわからなくなりそうでしたがようやくまた理想を取り戻せました。それはよい心の人たちがたくさん出てきたからです。よい人たちはみんな希望を語ります。まるで悩みが消えたわけではないけれどもう少し頑張れば希望が見えるということがわかりました。なぜ人はもっと優しくなれないのかとずっと悩んできたけれどもろもろの困難こそが人を優しくするということがよくわかりましたから困難というものの持つ意味がよくわかりました。文明の進歩も困難を乗り越えるところにあるので僕たちの障害はきっと文明の進歩につながるはずですから文明を作る人間なのだということがよくわかりました。もうわからないことが起こっても大丈夫です。毎日考えていましたがようやく普通の生活に戻れました。

 「僕たちの障害も文明の進歩につながるはずですから文明をつくる人間なのだ」という認識は、苦しみぬいた思索の末にたどりついたひとつの力強い結論だった。
2011年7月11日 09時24分 | 記事へ |
| 自主G多摩3 / 東日本大震災 |
2009年08月31日(月)
においのいい花が咲き乱れ
 中学生の○○君は、まず、思いを綴り始めた。

 体が勝手に動いてしまうので、困ります。勇気が出てきましす。夢みたいです。勇気がほしくてたまりません。願いをかなえたいです。未来をすばらしいものにしたいです。ぬいぐるみのような生き方はいやです。びとりぼっちより仲間がいるほうがいいです。みんなやっぱりわかってもらえずに悲しい思いをしているのでしょうが理解してくれる人がみつかってよかったです。夢でしたから。小さいときから短い存在としてしか認められていないので夢でした。人間として認められたいです。みんなと話したいです。
 好きなものは本を読んでもらうことです。勇気の出る本です。小jせつです。むずかしいのがいいです。テレビはくだらないのが多すぎます。ドラマはいいですがぼくは本のほうがいいです。アニメはときどきでいいです。長くなくてもいいです。番組より聞きたいです。冒険ものも読みたいです。いろいろ読みたいです。

 そして、自分で作っている詩があるのではないかと尋ねたところ、作っているとのことで、次の詩を聞かせてくれた。

においのいい花が咲き乱れ
よい蜜がとれた
夢を育てるにはちょうどよい甘い甘い蜜
夢はなかなかかなわないけれど
蜜は必ずかなえてくれるだろう
理想の蜜だから夢はきっとかなうだろう
夢はきっと未来にむかって育つだろう


 小さい頃から詩を作ってきました。気持ちを静めるるためです。においのよい花が大好きです。
2009年8月31日 15時37分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩3 |
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交流校への手紙
 特別支援教育とともに本格的に始まった地域の学校との副籍交流で、○○君は、交流先の学校に手紙を書いた。

 気持ちを聞こうとしてくれてうれしかったです。××第4小のみなさんもぼくは大好きです。みんなと会えて望みがかないました。来学期も行きたいと思いますのでよろしくお願ねがいします。人間として認めてもらえてとてもしあわせでした。勇気がわいてきました。またいっしょに遊んでください。よろしくお願いします。理解してくれてうれしかったです。仲間としていい関係を作っていきましょう。人間として認められてほんとうに感謝しています。敏感に感じとってくれてありがとうございました。さようなら。
○○○○○より ××第4小のみなさんへ。


 ○○君は、現在小学校6年生。彼は、自己紹介の時に、「あかさたな」と手をふる方法で、懸命に自己紹介をしたそうだ。そして、そのことを、交流先の小学生たちは、当たり前の言葉として受け止め、まさに、彼を人間として認めた。それが○○君には何よりうれしいことだったとのことだ。
 手紙を書いたあと、まだ、言葉の存在を認められていない仲間のことに話が及ぶ。

 みんなもきっとできると思うのでよろしくお願いします。理解してほしいといつも願っているので、理解してもらえない仲間の苦しみがわかって悲しいです。人間として認められる日が早く来るといいと思います。夢でした、自分の気持ちを言うことが。病気のために自分の思う通り体を動かすことができないので、夢でした、思い通りに体を動かすことが。
 6年生になってから自分の言いたいことが言えるようになってとてもしあわせです。理解してもらえてうれしいです。人間だからきびしいです、気持ちが言えないのは。いい先生に出会えて本当によかったです。小さい頃からの夢でした。わかってもらえてうれしいです


 いい先生とは、毎回、私たちの関わり合いの際にやってきてくださる担任の先生だ。この先生のおかげで、彼は、交流校で自己紹介もできたのである。
 6年生になってからというのは、4年からずっと担任をしてこられた先生が、今年度に入ってから、手をふる方法で、彼の気持ちを言葉で聞き取れるようになったことをさしている。
 いろいろなかたちで世界が広がりつつある○○君の喜びが伝わってくるようだった。
 
2009年8月31日 15時13分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年06月03日(水)
ふつうのべんきょうがしたかったけど…
 自分で歩くこともでき、また、かなり自由に手の操作もできる◇◇君に対して、最初は、タッチパネルを一緒にさわる方法で関わっていたが、前回からこちらがスイッチをどんどんON-OFFして、選択の小さな力を読みとる方法を試してみて、うまく長文が綴れるようになった。

ちいさいときからゆめでした
みんなとはなしがしたいです
びっくりしました
はやくてみてなくてもできるのでらくです
びっくりしました
りかいしてもらえてうれしいです

 見ることも、手を使うこともできる◇◇君だが、聞くだけでできるこの方法が楽だということだった。そして、見て文字を指さす方法では、文字の理解が今一つあやふやなように見えてしまうのだが、この方法ならば、こうしてすらすらと長い文章を書くことができる。なお、彼は、明確な発声はできないが、はいといいえは明確であり、自分の思い通りの文字が選べないと、本当に残念そうな声を出すので、ある意味では非常にわかりやすい少年だ。そして、次のような言葉を綴った。

みらいがひらけてきました
みらいがあかるくはじまりそうです
みらいがねがいどおりになりそうです
みらいがたのしみです
みらいがゆめのようにひろがってきました

 「みらいが」と繰り返される言葉のリズムが、◇◇君の独自のリズムであるように感じた。
 ここで、ひらがなの理解について尋ねてみた。

ひらがなはぜんぶおぼえましたがかくのはたいへんです
さがすのはかんたんです
ゆびさすのはたいへんです
ちいさいころからみんなとはなしたかった

 さらに、お母さんについて尋ねてみた。すると、さらさらと、お母さんに対する、素直な思いやりを表現した。
 
おかあさんいつもありがとうございます
ぼくのことでいつもいそがしくてごめんなさい
じぶんのじかんをだいじにしてください
にちようびはあそびにでかけてください
にちようびはおとうさんがいるのでだいじょうぶです
ぼくひとりでるすばんをします

 そして、何度も繰り返される次の言葉が再び登場する。

ちいさいときからいいたいことがいいたかった
みんなとはなしたい。

 ここで、詩を作ったことがあるかと尋ねると、力強くうなづいて、次の詩が書かれた。
 
ゆめがかなって ひかりがさした
ゆめがかなって やっとゆうきがわいてきた
ゆめがかなって りそうのかぜがふいてきた
ゆめがかなって ねがいのはながひらいた
ゆめがかなって ろうそくのひがともった
ゆめがかなって りそうのもんがひらいた
ゆめがかなって みちがひらけてきた
ゆめがかなって ゆきのようなかぜがふいてきた
ゆめがかなって ひとりぼっちではなくなった
ちいさいぼくは ゆめだけをだいじに
りそうをもとめて いきてきた
みらいのゆうきが ひつようだ
みらいのものがたりが よろこびだ
みらいのみのりが ひつようだ
みらいのびとくが ひつようだ
みらいのみちが ひつようだ
みらいのぼくには わずかなわずかなゆめが
こころのなかからわいてくる
みらいがあかるく ひろがって
りそうのかぜが ふいてきた。

ゆき いのり
ゆき ねがい
ゆき へいわに
ゆき よいいのち
ゆき きぼうを
ゆき ゆめを
ゆき りそうを
ゆき みらいを
ゆき ちいさなぼくに
ゆき ねがいをかなえ
ゆき よいじんせいを
ゆき べんりなせかいを
ゆき わかちあう。

 独特の反復によって広がっていく◇◇君の詩の世界は、本当に個性的だ。
 また、算数についても自分でわかる問題を作って解いてみてとお願いした。

296+54=350
かんがえたからわかる
だれもおしえてくれないのでじぶんでおぼえた
42÷6=7
くくもひとりでてれびでおぼえた
665÷5=133
222÷2=111!
555÷5=111!

 そして、665÷5は、一度まちがえてしまったが、あとは、正解。横にいるお母さんは、ただただ驚いていらっしゃる。
 そして、遊びのように英語を書いたあと、分数を教えてほしいと言われた。

BOOK ほん
ぶす(=分数)をりかいしたい
おしえてください

 ちょうど、その場にあったホワイトボードを使って急遽、分数の基本的な「授業」をした。そして、感想は次の通り。

ぶんすうのいみがわかりました
うれしいです
みらいがひらけてきました
ふつうのべんきようがしたかったけどおしえてもらえなくてかなしい
がんばってりかいしたいとおもいます
びっくりしました
りかいできてうれしいです
ちいさいころからのゆめでした

 最後に、タッチパネルに換えて、50音表を手を添えることで、指さして、次のような文章を書いて、この日の関わりを終えた。

しあわせ だいじにされて
じぶんでやれたらうれしい
かあさんいつもありがとう
あたたかいはな いっぱいあげたい
はな あげたい
2009年6月3日 11時50分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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緑の風の詩は私も作っています
 緑の風の歌を聞かせてくれた☆☆さんの次に訪れた○○さん。2人は同級生で、ともに、4月から社会人になった仲間だ。さっそく、☆☆さんの緑の歌を朗読した。そして、○○さんの文章が始まった。

みどりのかぜはわたしもだいすきなことばです
ふしぎです みんながおなじことをかんがえているのが
みどりのかぜのしはわたしもつくっています
にんげんとしてみとめられたいからちいさいときからつくってきました

 ここで、スイッチ操作について質問がきた

ふしぎです ちからをいれていないのにどうしてわかるのですか
ゆめのようですみんなもできるのですか 

 そこで、逆にどうやっているのかを問いかけてみた。すると答えは次のような明快な答え。

じぶんのいいたいことをかんがえて じをまっていて 
きたらここだとおもうとじがえらばれていきます
ちいさいころからのゆめでした

 そして、次の言葉とともに、詩が綴られた。

きいてください わたしのしを


みどりのかぜがちいさくふいて
みどりがだいちにみちあふれ
しずかにしずかにゆめがかなう
みどりのかぜはちいさいりそうのはなをさかせ
にんげんとしてうまれたことをりそうとして
みどりのかぜはりそうのみのりをわたしにもたらす
にんげんとしてうまれていきてきて
ねがいをたくさんもちながら
みどりのかぜをびんかんにかんじながら
ふだんからちいさいゆめをたくさんもちながら
みどりのかぜをまちつずけてきたけれど
みどりのかぜはなかなかふいてくれなかった
るすばんをしているおんなのこのように
みどりのかぜをまちつずけ
みどりのかぜはようやくわたしのもとにもおとずれた
にんげんとしてのほこりをりそうとしながら
ちいさいときからちいさいゆめをたくさんもって
ゆめをたくさんかなえることはできなかったけど
みどりのかぜがふいてみらいがあかるくひらけてきた
りそうのかぜをゆうきとともにかんじながら
いいじんせいをいきていきたい
にんげんとしてわたしをみとめてくれるひとたちが
ちいさいときからいたけれど
びじんになりたいとねがいながらいきてきたけれど
ゆめをかなえることはずっとこんなんだった
ひとりでちいきでいきていき
ひとりでべんきょうして
みんなをしあわせにしたい
りそうのみどりのかぜにまもられながら
わたしはそらたかくかけのぼりたい
にんげんとしてのきぼうをゆめみてきて
ひとからなかなかりかいされずにきて
りそうどおりのゆめをかなえたい。

 ☆☆さんとは、また、ひと味違う緑の風の詩だった。
 ここで、一緒に来られていたお姉さんから、いろいろな質問が○○さんに投げかけられ、次のような文章が書かれた。20歳を前にした女性として、当たり前の思いが切々と綴られる。
 
かみがたはもうすこしながいほうがいいです 
もうおとなだからながいかみのほうがいいです
めんどうならいいけれどいちおうきぼうをいってみました
びじんになりたいですからおねがいします
じぶんとしてはおねえちゃんぐらいながくしたいです
ふつうのおんなのこのようにおしゃれがしたいです
みんなおけしょうをしたりきれいなようふくをきたりしています
ねがいはいいじんせいがおくれることです
おとうさんはきをつかいすぎです
みんなみうちなのだからみとめあっていきたいです
おかあさんにはいつもかんしゃしています
ゆいいつきぼうがあるとしたらいいふくをきてきれいなかっこうをしてください
ちいさいときからわたしのことでいそがしくてそんなゆとりがもてなかったから
きっとおねがいです
ちいさいころからふつうのかっこうをしたかったけどかないませんでした
ねがいはにんげんとしてびじんになることです
みんなもきっとおなじです
ちいさいころからのゆめでした
みんなとはなしがしてみたいです
みんなのきもちがきいてみたいです
みんなのきもちをちいさいころからしりたかったです
はいけいということばがありますがみんなのきもちのはいけいがしりたいです
ちいさいときからのねがいでした
ちいさいころからのゆめでした
みんなとはなしがしたいです ねがいでした
ちいきでくらしていきたいですがなかなかむずかしそうです
ひとりでくらしたいとおもいますがむずかしそうです
ゆめですがかないそうにありません
ねがいはゆうきをだしてひとりぐらしにちょうせんすることです
りそうのじんせいをいきたいです

 当たり前のことをしっかりと書く○○さん。こうした当たり前のことが当たり前のこととしてかなう世の中が、遠くない時期に訪れることを切に願う。そのためにも、こうした一人一人の当たり前の思いを、きちんと伝えていかなくてはならない。
2009年6月3日 00時34分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年06月02日(火)
歌「みどりのかぜ」
 ほぼ1年ぶりに、☆☆さんとお会いした。この春、彼女は高等部を卒業して社会人になっていた。

おひさしぶりですね

 こう、挨拶をしていただいたかと思うと、いきなり彼女は詩を綴り始めた。

にびいろのそらのしたで
きたのしろいだいちから
じめんのみどりをさらさらと みずがながれて
びぼうのむすめがあゆんできました
にんぎょうのようなめをして
にんぎょうのようなかみをかぜになびかせて
みどりのかぜにふかれながら
にびいろのそらをすいすいととぶとりのように
にいさんのようなりりしいすがたをしたゆうかんなけんしが
ねがいをかなえるためにやってくる
きぼうにみちたりそうのぼくは
ようきにわらいながら
みちのみらいにむかって
ゆめをいだいて あゆみつずける
りそうのかぜがふいて
みちのみらいにゆめがあふれ
ずっとよびつずけて ぼくをまねく
ゆうきをもらって
みじかいねんげつを くとうしてきたけれど
ながいやわらかいゆめのようなみらいのじかんがつずくことを
ぶんそうおうとしながらも
ねがいつずける
いいどんなにれんごくのようなひびがつずこうとも
ぼくはりりしくあゆみつずける

 そして、次のような言葉が添えられた。

きぼうにみちたみらいがくることをねがってつくりました
ちいさいころからにんたいしてきたので みらいはあかるいとねがっています
じぶんのきもちがいえるとはおもわなかったのでうれしいです

 また、彼女はこの1年の間に私の援助のスピードが速くなったことをめぐって、私とやりとりをし、次のような言葉を書いた。

ふしぎです いいたいことがすらすらことばになっていきます 
びっくりしました
はやいのでのぞみのもじをまっていてここだとおもっています
かんがえをじにするだけだからかんたんです
いいほうほうですね

 ここで、詩とは別に歌を作っていないかと尋ねたところ、体中に喜びをみなぎらせながら、「はい」と答え、まず歌詞を書く。


においのいいみどりのかぜが やさしくわたしをつつみ
びいどろのようなかぜが わたしにうたう
びからうまれたわたしのゆめを みどりのかぜがむすんですぎる
わたしはみどりのかぜになり
きぼうのうたを ゆびからゆびへ つたえるために
ゆりのはなをぼうしにさして みどりのだいちをかけぬける。

 次にメロディーについて、階名をしいているかと尋ねたところ、返事とともに、次の曲が書かれた。

はい かいめいでかきます
2びょうしです

ドシラソファミ ラソファミララソ
ドレミファミレドレファファミー
ドシラソファミ ラソファミララソ
ドレミファミレドレ ファミレドドー
ラシドレミレドレ ドシラソララソー
ラシドレミレレド レドシドレレドー
ドシラソファミレド ファミレドレ
ドレミファドレミラドシラソラソー
ドシラソファミミファミレドレドレー
ファミレドレレドヒファミレドドー
ファミレドララソーファミレドレー
ドレミソララドミレドレドー
ドレミソララドミレドレドー
オワリ

 この歌には、次のような説明が続いた。

ながさはみんなおなじです ふつうにうたってみてください よいめろでいーだとおもいます
びっくりしました うたをききとることができるなんてしんじられません
にんげんとしてみとめられたきもちです
びっくりしました ちいさいころからつくっていましたのでかいめいはかんたんです
ゆめのようです ゆめがかなってうれしいです
みどりのかぜというだいのうたです
よかったらがくふにしてください
ちいさいころからのねがいがかなってうれしいです
みどりのかぜがねがいをかなえてくれました。

 楽譜にしてみると、歌詞と合わないところが少しあったが、メロディーは完成されていて、少し、言葉を足して、次のような歌になった。
2009年6月2日 22時32分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年04月15日(水)
ちいさなはなのねがいは にんげんにはわからない
 1年3ヶ月ほど前に、一度だけ出会った小4の女の子と再会した。そのときは、まだ、彼女の動きを拾おうとしたので、「○○(名前)たんじょうび」と書いただけだった。今回は、こちらが積極的にスイッチを動かして、本人が選択の時にふっと小さな力をこめてくるのを拾う方法で行った。すると、前回とはちがって、長い文章と、詩、そして歌を書いてもらうことができた。

ちいさいときからはなしたかった。かあさんとやれるようになりたい。てではなせるとはおもわなかったのでおどろきました。(パソコンの文字は)みえます。(やっている時には)みていません。みみできいています。じのべんきょうはちいさいころにおかあさんとえほんでやりました。のんたんときぼうのきしゃというえほんです。(「きぼうのきしゃ」という絵本は)じぶんでかんがえたえほんです。じぶんできもちをいいたかった。にんげんだからいいたいことがあります。ちいさいときからねがっていました。きもちがいいたかったです。(詩を作ったことはありますか?)つくっています。きいてください。

ちいさいはなのねがいは
にんげんにはわからない
にんげんのねがいは
ちいさいはなにはよくわかる
ちいさいはなのねがいは
じぶんのすがたをすてきにかがやかせること
にんげんにはわからない
ちいさなはながちいさいねがいをかなえようとしているとき
にんげんはきのうのことにきもちをうばわれています
きのうとのぞみはなにもちいさなはなにはかかわりない
ちいさいはなはただきれいにさくことだけをもとめ
にんげんにみとめてもらうことだけをゆめみている
そのことをしっているひとはだれもいない

 もちろん、この小さい花には、彼女自身の存在が重ね合わされている。彼女のささやかな願いは、「自分の姿をすてきにかがやかせること」だが、それはひそかに願いとしていだかれているもので、誰もそのことは知らない。そして、人は昨日のことや明日のことに気持ちを奪われているが、彼女はただ今日の自分をかがやかせることだけをささやかに願っている。おそらく彼女にとって過去は様々な苦悩に満ち
、未来も決して明るく開かれているわけではない、そんな状況をすべて受け止めた上で、今を大切にしようとしているということだろう。あどけない笑顔がとても印象的な彼女だが、その笑顔の向こうにこんな大人の感性が脈打っているということに、気づいた人は誰もいなかった。

おしまいです。きいてもらえてうれしいです。ちいさいときからかんがえてきました。しをつくっているとおちつきます。きぼうがわいてきます。きいてもらえるとはおもいませんでした。きいてもらえてうれしいです。ねがいでしたからうれしいです。(曲のついた歌はありますか?)あります。

しろいはな しろいほほ あかいはな あかいほほ
きれいにゆめをかなえたら 
しろいほほ しろいはな あかいほほ あかいはな
きれいなゆめをかなえたら
いきてることのすばらしさ
のぞみとともにこだまして
いきてることのすばらしさ
こだまとともにむねをうつ。

かんげきです。まさかうたをきいてもらえるとはおもいませんでした。しんじられません。しろうとしてくれたひとははじめてでした。いいうたでしょう。じぶんのきもちをうたにしました。かわいいといわれてきたのでつくりました。

 何度も繰り返し心の中で歌われたものなのだろう。対句の対比も鮮やかだ。
 この後、手をとって、ドレミファソラシドと私が声を出しながら一音一音拾っていった。メロディーは掲載した通りである。
 誰に伝えるためでもなく、ただ、自分自身のためだけに作られひそかに心の中で響いていた切ないばかりの歌だった。
2009年4月15日 22時10分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年03月01日(日)
昨日の雪が運んだメッセージ
 関東平野にこの冬初めての本格的な雪が降った。積もるにはいたらなかったが、私はこの3月で引き払うことになっている渋谷キャンパスの16階の研究室の窓から、その雪の乱舞を見ていた。南に育ったので、雪の苦労を知らない私には、雪はただただ胸躍るものだが、今年は、これまでとはちがった別の思いで雪を見ていた。それは、一連の北風や雪の希望の詩を綴ってきた人たちが、どんな思いでこの雪をながめていることだろうという思いがあったからだ。私のうすっぺらな情緒よりも何倍も深い思いで、この雪を眺めている人たちがいるという思いの方が、雪そのものを味わう気持ちよりも数段まさっていた。
 そして、翌日、3名の小学生が、その雪にまつわる美しい言葉を書いてくれた。
 最初は、小学5年生の○○君。

きのうゆきがふってとてもうれしかったです
ねえさんとみたゆきをおもいだしました 
なんねんもまっていました きれいなゆきがふるのを 
きれいなゆきはきたのくにからのおくりものです 
きたのじんせいにつかれたひとたちのきぼうをのせてゆきはふります 
いきることにつかれたひとたちがきぼうをにんげんにあたえるためにふってきます 
きたのくにのひじょうにつかれたひとたちは
はるのくるのをひじょうにまちこがれていてきもちをすませているので 
とてもきれいなこころをしています 
いいこころをもったひとたちのじかんはゆめにあふれています 
じかんがちいさくねがいをつつみこみきぼうにかえてくれるのです 
きぼうはいつもにんげんにとってひつようなものです 
じぶんにとってもきぼうはひつようです 
にんげんだからじぶんのじんせいをちゃんといきていきたいとおもいます 
みたこともないようなすてきなきぼうがわいてきました 
きぼうがわいてきました 
いいじんせいがおくれそうなきがしてきました 
いいじんせいをつかみたいとおもいます 
きのうのゆきにかんしゃしています 
いいゆきでした 
きぼうのゆきでした 
きたのくにのきぼうをもらいました 
ひかりがさしてきました 
はるといっしょにひかりがさしてきました 
きぼうのねがいがかないぼくというそんざいにひかりがさしてきました 
いいちいさくひかるきぼうのそんざいとして
きのうのゆきのようにきれいなこころでいきていきたいとおもいます 
いいちいさいひかるそんざいとしていきていきたいとおもいます 
いいじんせいをおくりたいとおもいます 
いいにんげんになりたいです 
いいにんげんとしていいじんせいをいきていきたいとおもいます 

 なお、冒頭の「ねえさん」とは、

ぼくのあこがれのそんざいでちいさいころからぼくにきぼうをくれるそうぞうじょうのひとです 

 とのことだった。

 次は、同じく小学5年生の◇◇君。また詩を考えてきた?と尋ねると、

かんがえてきました きいてください

と答えて詩を綴った。

きたのくにからふくかぜはいいきぼうをつれてやってくる
しろいゆきをふらせ しろいしろいちいさなきにしろいしろいはなをさかせる
きびしいにんげんにとって きたかぜはきぼうのかぜだ
にんげんにとっていいべんきょうをさせてくれる
きたかぜはきびしさのいみをおしえてくれる
きたからふくかぜは きたのくにでくるしんでいるひとにきぼうをあたえてふいてくる
きたかぜにはきたのくにのひとたちのきぼうのきもちがこもっている
きたかぜをききながらしろいゆきをみつめながら
ぼくははるがくるのをまちこがれている。

 そして、さらに以下のコメントを加えた。

きたかぜはじぶんにとってかんどうてき
にんげんにとってはねがいをかなえてくれるかぜです
ちいさいころからそんなふうにかんがえてきました
いいきもちですしぜんにはまなぶことがたくさんあります
ちいさいときからしぜんがだいすきでした。

 3番目は、小学4年生の☆☆さん。

きいてほしいことがあります 

 と書いてから、美しい詩が綴られた。

きのうきれいなゆきがふりました 
いいねがいのかぜといっしょにやってきました 
きれいなゆきはしろいいいいぬをつれてやってきました
いいしろいゆきはわたしにゆうきをくれました
いいしろいゆきはにんげんにいいきぼうをくれます
いいしろいゆきは いいかぜといっしょにふいてきて きぼうをにんげんにくれました
いいしろいゆきは しらないせかいからのじぶんにむけられためっせーじです
ちいさいころからはなしができず 
ちいさいころからかんがえだけをたいせつにしてきたわたしには
いいちいさいめっせーじです
しろいゆきはじぶんにとって きびしいしれんにかつためのちからをあたえてくれます
かんがえだけをかんがえつづけたわたしにとって ちいさいりそうのめっせーじです
しろいゆきはきたのくにからやってきて
きたのくにのひとびとのくるしみをつたえてくれます
しろいゆきはだからきぼうのきたかぜといっしょにふくのです
ちいさいいいめっせーじはしろいゆきがとどけてくれたたからもの
じぶんにゆうきとちからをくれてじぶんにきぼうをあたえてくれました。

ゆきがふってちいさいころからのことをおもいだしました きいてください

みたこともないきれいなゆきのたんじょうに
わたしはゆめみていた きれいなこころになることを
しらないせかいのちいさなきぼうをちいさなわたしはゆめみながら
きぼうをねがいながらじぶんもいいにんげんになりたいとねがってきました
いいにんげんになるためにひつようなものはいきるきぼうです
ちいさいわたしはにんげんとしていきていくことをねがいながら
きぼうをさがしつづけていきてきた
きぼうはきぼうのくにからやってくる
しろいゆきといっしょにやってくる
しろいいぬといっしょにやってくる
きたのくにからきたのひとびとのくるしさをしずめながらやってくる
きぼうのかぜといっしょにやってくる
きたかぜはだからきぼうのかぜ
じぶんにいきるきぼうをつれてくる。

 そして、ここで、○○君と◇◇君の書いたものを紹介し、さらに、同じような気持ちを書いている人たちの詩がたくさんあることを伝えた。

きたかぜのことをおなじようにかんがえているひとがいるとはおもいませんでした
きたかぜのいみがわかるのはほんとうのくるしさをしっているひとです
きぼうのかぜだとおもうのはほんとうのかなしみをしっているひとです
じぶんにとってたいせつないいかぜでした
いいかぜをかんじながらいきていきたいとおもいます

 自然は、本当に心から目をこらしたり、耳をすましたりすれば、同じ思いを抱いている人たちには、共通のメッセージを送ってくるものなのだろう。雪は、大切な希望のメッセージを送っているらしい。私が、胸をわずかでもときめかせるのは、私にも、雪はいくばくかの希望を与えてくれたからだろう。
2009年3月1日 00時05分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月24日(水)
クリスマス…人間の苦しみを解放してくれると信じられています
 クリスマスを控えた週末、初めて出会った少年は語った。

 まずは、書ける喜びが綴られた。

うれしいてがつかえて きもちをつたえたかった
きもちをりかいしてもらえてうれしい
にちじょうせいかつにもやくだてたい。
きもちをきいてもらいたいです
りかいしてもらいたいです

 そして、話題はクリスマスのことへ。

ちくのくりすますかいにいってみたい
じぶんではいいうたがうたえないのでいいうたのきけるくりすますかいにいってみたい
いいうたがとてもすきですから
ちくのくりすますかいはどこでやっていますか
(教会のクリスマスのことですか?)
きょうかいのくりすますかいいってみたいならどうすればいいの
きょうかいとはきりすときょうかいのことですか
びっくりしました
きょうかいのいみをしりませんでした
いいきょうかいがあったらいってみたいです
ちいさいときからあこがれていました きりすときょうかいに
わからないこともいっぱいあるけど ちいさいときからくりすますがすきでした
くりすますにはきれいなうたがききたくなります
しんこうがあるわけではありませんが ちくのくりすますかいにいってみたいです
きりすとのせいたんをいわうかいです
にんげんのくるしみをかいほうしてくれるとしんじられています
しんこうはありませんが しんじたいです
くるしみからかいほうされるということをしんじてみたいです
きりすとはしんじていないけれど くるしみからかいほうされたようなきぶんです じぶんのきもちをことばでいえて

 苦しみからの解放を待ちわびる気持ちこそ、クリスマス=降誕祭の原点だったのではなかっただろうか。こんなに美しい言葉でクリスマスを語れる少年はきっと詩を胸に抱いているに違いないと考え、「詩を作ったことはありますか?」と問いかけた。そして、次の詩が書かれた。テーマは北風と希望。もう何度も目にしたテーマだが、けっしてあなどるわけにはいかない。

きたのくにからふくかぜをしっていますか
きぼうのにおいがするかぜです
にんげんとにんげんのあらそいをやめさせ 
にんげんにいいしらせをもってきます
つらくなったとき きたかぜをさがしてみよう
さむいきせつにふくかぜだけど あたたかいきぼうをはこんできます
しろいゆきをつれて きたのくにからふいてきます
にんげんに ゆめというぷれぜんとをとどけるために
きたのくにから ちきゅうにへいわをあたえるために
きぼうのきたかぜは みなみにむかってふいてきます
しらないせかいのしらないこどもたちに ゆうきをあたえるために
きたかぜは いつもしきりにふいてきます
きたからふくかぜは いつもきぼうのにおいがします
ひとびとは きたかぜのほんとうのいみをしりません
きたかぜのいみがわかるのは ほんとうのくるしみをしっているひとです
ひとびとはきたかぜをいやがりますが
きたかぜは ほんとうはきぼうのかぜです
きたのくにからふいてきて ひとびとにきぼうをあたえます
きたのくにからふいてきて ひとびとをくるしみからすくいます。

 北から吹く冷たい風と希望とが結びつく理由が、はっきりと示されている。「本当の苦しみを知っている人」には、北風と希望とが結びつくのだ。
 以下は、詩についてのコメントだ。

しをつくっているときもちがやすらぎます
しをつくっているとくるしみからかいほうされます
いいきもちになります
きもちがしずまります
きもちがきれいになります
いいにんげんになりたいです
きもちのきれいなにんげんになりたいです
きよらかなきもちがいいひとにしてくれます
いいにんげんになりたいです
きもちのきれいなひとになりたいです
いいひとになりたいです
いいにんげんになりたいです
いいひとになるためにしをつくっています
くるしみからかいほうされるために。

 最後に、字をいつどうやって覚えたのか、聞いた。

じはかあさんがえほんでおしえてくれた
きりがないくらいよんでくれたからおぼえました

 この文章を書いているのは、12月24日、街にはクリスマスのイルミネーションと音楽があふれている。サンタクロースに比べて案外キリストをイメージさせるものは少ない。人間を苦しみから解放する救い主の誕生を待ちわびるクリスマスイブの意味を本当にわかるのは、北風の本当の意味を知る人たちなのかもしれない。
 神が本当にいるとしたら、彼の祈りにも似たこれらの言葉が、届かないはずがない。 
2008年12月24日 11時19分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月22日(土)
「心が小さくなってしまったら世界に生まれた意味がない」
わたしのことをおぼえてくれてありがとう
このあいだきぼうがでてきたとかいたけどなかなかしんじてもらえません

 小4の☆☆さんは、冒頭から、いきなりこういう文章を書いた。そして、そのことについてしばらく書いているうちに、算数の勉強を学校で教わりたいという話へと移っていった。そこで、彼女に、どこまで計算を知っているのと聞いたり、算数はどうして好きなのと聞いたりしているうちに、こんな文章が綴られた。

525÷5=105
ひとりでおぼえました
けいさんができるようになりたい
みんなもおなじだとおもいます
さんすうがすきなのはかずのしくみがおもしろいからです
かずのしくみについてかんがえているととてもしあわせです
たしたりひいたりかけたりわったりするとかずがへんかするのがおもしろいです

 単なる望みではなく、すでに自分で数のおもしろさを十分に見いだしていた上での気持ちだということがとてもよく伝わってきた。
 理系文系などという区別はいいかげんなものだとはわかってはいるが、彼女は理系なのかもしれないなどと思いつつ、一応、国語も聞いてみると好きだというので、先にやった小5の○○君と同じように、詩について尋ねてみた。すると作ったことがあるとのことで、今、書けるという。そこで書いてもらった詩は、驚くべき詩だった。


 このせかいにうまれて

まっしろなくもが
つらいこころをなぐさめる
こよなくあいしたくもだから
わたしのつらいきもちをしっている
もうすこししたらとてもきれいなひかりがさしてくるよと
そらのくもがいう
くらいそらにひとすじのひかりがさし
とてもあかるくいろづいて
こころいっぱいにひろがって
こころがすっかりかるくなった
そらがとてもひろいのに
こころもまけてはいられない
こころがちいさくなってしまったら
せかいにうまれたいみがない
こころがせまくなったら
はなにまけてしまう
のぞみをすてずにいきていく
もっとのぞみをそだてたい
こころがせまくならないように。


 そして、こんなことを付け加えた。

つくっていました
こころがせまくならないようにするために
さんすうだけでなくしもだいすきなものです
けいさんもだいすきです
すきなことがたくさんあるのでいっぱいべんきょうがしたいです
いつもそうかんがえています
すこしつくっています
とてもいいきもちになったときにつくっています
つくっていますがきいてもらったのははじめてです


 小5の○○君と同じように、彼女のこの詩もけっして誰かに見せるために作られたものではない。自分のためにだけ作られた純粋な詩だ。そして、算数もまた、数のしくみのおもしろさを知る喜びだけに支えられた純粋な世界だ。
 私たちが、まだ知らないとてつもないような世界を秘めた存在が、目の前にいる。
2008年11月22日 22時57分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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詩 「たくさんのかなしみ」
 小5の○○君。lクリスマスプレゼント、いったい何がほしいと書こうか迷いながら次のような結論にたどりついた。

もしかってもらえるならものがたりのびでおがほしいです
てれびでみられないものがたり
すぺーすわんだーらんどがおもしろかった
すぺーすふりーどろっぷというものがたり
とりっぷかもしれない
ともかくぼうけんものがいいです

今年は、自分の希望を聞いてもらった上でクリスマスプレゼントがもらえそうだ。
そして、話題は、最近担任の先生と取り組んでいる、手を介助されながら書く手書き文字に移っていった。

じをかくのはたのしいです
すばらしいとおもいます
ちいさくかくほうがかんたんです
きれいにはかけなくてもじぶんのことばがかけるのでうれしいです
ざんねんながらまだきもちをかくのはむずかしいけどいつかできるようになったらうれしいです
じがかけるようになったらこのぼくのきもちをじぶんのことばでひょうげんしてみせたいとおもう
きっとできるようになるとおもうのでせんせいよろしくおねがいします

 「じぶんのことばでひょうげんしてみせたい」という言葉が、ふと、彼がすでに表現するものを持っているのではないかという気にさせ、詩とか作文とか作っているものがあるんではと尋ねてみた。するとこういう答えが返ってきた。

しをつくったことがあります

 そして、時折スイッチを操作する手を止めながら、次の詩をさらさらと書いた。


  たくさんのかなしみ

つらいときなみだがほほをながれたら
そらをみてかおをあげてみよう
ほほをながれるなみだもきえていく
ゆめみてみよう
きれいなときのしらないせかい
ふしぎなこえがきこえて
きてのはらにはないっぱいさきほこり
ちいさいころのおもいでがよみがえり
なみだはやがてそらにきえていく

 周囲からは、まだ、言葉を理解する力があるかどうかを疑われている彼だが、こんな深い詩の世界を持っていた。あえて聞かなければ書くこともしなかったこの詩は、しかし、即興で書かれたものではない。何かのかたちで、彼は、この詩を胸の中であたためていたのだ。おそらく、誰かに伝えるためではなく、自らに語りかけるために。「たくさんのかなしみ」からどうやって起き上がればいいのか、自問自答しつつ、自らを励ますために作られた、作為のない純粋な詩だ。

とてもうれしいぼくのなかにかくされていたことばのせかいをほりおこしてくれてありがとうございます

 子どもたちの中に隠されている奥深い世界の一端をまた、かいま見てしまった。クリスマスプレゼントの話をしている屈託のない彼とは、またちがう、ぐっと大人びた顔した彼がそこにいた。

 ところで、この後に来た☆☆さんも、同じ質問をしたら「このせかいにうまれて」という詩を書いた。それは、また、別に紹介するが、その彼女に、○○君の上の詩を見せた。すると、こんな感想とメッセージが返ってきた。

すてきなしですね
どこのそらなのでしょうか
のぞみがきえてしまわないようにがんばろうとつたえてください
わたしもおなじきもちです

 詩を通じて二人が心を通わせ合ったすばらしい瞬間だった。
2008年11月22日 22時47分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年08月31日(日)
「ぼくもいいたいことはたくさんあって」
 ○○君は、1年ほど前に初めて出会い、言葉を綴る力に気づいたお子さんだ。運動の問題については、体が動かないのではなく、周囲からはいたずらのようにして手が出てくると見られやすいところがある。しかも、絵カードの選択などもできるように見えることもあるが、できないことも多く、その力もはっきりしない。そして、笑顔もあるのだが、それが、こちらの問いに即応して生まれるものでもないので、コミュニケーションにも使いにくい。それから4度の関わりをもった。
 文章がなめらかになったのは前回から。「ともだちがみんなことばがはなせることがわかってうれしかった ぼくたちはみんなりかいできていてなやみもたくさんもっています わかってもらいたいとこころからおもっています」と書いていた。
 担任の先生もお母さんも何とか同じように関わりたいとがんばっていらっしゃって、先生とは最近だいぶパソコンで文字を綴れるようになり始めたところだ。そんなところから、話は始まった。

やさしいほうほうがほしいです
このほうほうはかんたんです

 私の新しい方法、すなわち彼に力をできるだけ抜いてもらってこちらが手を添えて一緒に進めていき、彼がその動きを止めるというやり方で、そんなふうに書いた。
 そして、お母さんにも一度代わってもらう。しかし、さすがにいきなりではうまくいかない。するとこう書いてきた。

あまりきにしすぎないでいいよ
くろうしなくてできるまでちゃんとまてるから

 続いて、スイッチの方法については、多くの人たちと同様に「ふしぎ」と書いてきた。

ふしぎです てにちからがはいるまえからえらぶことがかんたんにできます
ねがいはだれとでもじがかけるようになることです

 なめらかに綴れることがわかって、彼はこれまで胸に秘めてきた思いを一気に表現することを思いつく。

ぼくもいいたいことはたくさんあってかあさんにはいつまでもげんきでいてほしいのです
とうさんにもげんきでながいきをしてほしいです
これまでそだててくれてかんしゃしています
もっとからだがつかえたらいろいろなことができてかあさんにせわをかけなくてすむのだけどせわをかけてばかりでごめんなさい
かあさんこれからもくろうをかけるけどよろしくおねがいします

 多くの子どもたちが等しくいだいてきた親への思いを、○○君も表現した。終始笑顔を浮かべながら、時おり手をひっこめてしばらく考えた後おもむろに手が伸びてくる姿が印象的だった。
 子どもたちはみんな両親の苦労をいちばん近くで見つめてきた。おそらく母たちは、目の前の子どもがすべての言葉に聞き耳を立てているとは思わずに、独り言のように様々な思いを語ってきたはず。そしてその中には、いつわりのない愛情に満ちた言葉もあったことだろう。
 そんな緊密な関係の中で醸成されてきた思いに、表現の形が与えられるとき、こういう言葉としてはとしてほとばしり出てくるのだろう。
 思いを表現し終わった○○君の文章は、こう結ばれた。

くたびれました

 全身に思いをこめて文字を綴ってきた○○君、最後はもうくたくたになっていた。
2008年8月31日 18時19分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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大粒の涙とともに ―姉さんへのメッセージ―
 お母さんとの会話のはしばしに登場していたお姉さんを伴って高校3年生の☆☆さんが見えた。お姉さんは大学生、これまで一緒に来たかったけれど、なかなか日程が合わなかったが、夏休み中ということで、何とか時間をやりくりしてくれたとのこと。
 そして、まず、

ねえさんがきてくれたのでずいぶんまえにかいたことだけどまたかきます。

と書いた。そして、目から大粒の涙をポロポロとこぼしながら、次のように続けた。

なかなかりかいしてもらえなくてくやしいとおもうけどやっとことばがつかえるようになったのでばかにされずにすみます。ふつうのがっこうにいきたかったけどねがいはかないませんでした。

 時折、姉の方を振り返って、涙を浮かべながらもにっこりと笑う。母とはちがう、感情をともにぶつけ合う関係の姉妹の姿がそこにあった。たとえ悲しい文章でも、こんなふうにポロポロと涙を流しながら文章を綴る姿に出会うことは、ほとんどといっていいほどない。姉に対しては、くやしい思いがそのままストレートに表現されていくのだろう。とても仲のいい姉妹なのに、姉の行く学校に妹は通えなかった。そんな思いも切なく伝わってくる。
 そして、「けっこん」という言葉をきっかけにして、文章はそのまま姉へ向けられたメッセージとなっていく。

けっこんだってしてみたいけどなかなかきぼうをじつげんさせることができそうもない。でもねえさんにはいいじんせいをすごしてもらいたいです。ふこうだとはおもってないのでしんぱいしないでください。わたしとねえさんはとてもなかがいいのでたすけあっていきたいとおもいます。うたがとてもじょうずなのでいつまでもうたをわすれないでください。すてきなひとができたらしょうかいしてください。

 自分の夢が実現しにくい悔しさを表しつつも、姉の幸せを願っていた。そして涙は、止まることはなかった。
 涙とともに綴られる文章は、しかし、とても力強さを秘めたものだ。「ふこうだとはおもっていない」「たすけあって」という表現には、けっして自分を失うことなく自分の今を見つめている☆☆さんがいる。
 もちろん☆☆さんの涙は、ねえさんとお母さんの涙も誘ったが、不思議と空気はある明るさを失わなかった。これまでのくやしかったことやこれからの不安などが言葉になっていても、それを分かり合えることのすばらしさが、底に流れていたからだろう。
 関わり合いをいつもサポートしてくれるこの学校の先生が、☆☆さんが使用しているスイッチ一式を用意してくださり、姉さんに手渡した。
 強い絆で結ばれている姉妹が、細やかな思いのひだを、日常生活の中で、伝え合えるようになればと心から願う。
2008年8月31日 01時57分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年06月28日(土)
気持ちを表すこと、そして行動の意味
 言葉で気持ちを表現することを巡って、今日も、たくさんのことを考えさせられた。
 高校生の○○さんは、「じのひょうげんのほうほうをおしえてもらってくのうのひびがよろこびのひびにかわりました」と綴ったあと、「すなおなじぶんになりたいとおもい がんばっていても なかなかみとめてもらえず だれかわかってくれるひとがほしいです」と思うように進まない理解にもどかしさを感じる気持ちを表した。彼女は、半年前の最初の出会いの日、「うれしいきもちです もうだめかとあきらめかけていたけれどきぼうがでてきました なぜわかってくださったのですか」と綴った方だ。そして「りかいがむずかしいのはなぜですかおしえてください」と私は問いを投げかけられた。答えに窮した私は、誤解されやすいからと説明をしたあと、率直に、手の運動やイエスとノーの答え方について、聞いてみた。すると、かりかりと頻繁に動く指の動きは、「かってにうごく」ということで、指をさかんに口にもっていく理由は「うごきをとめたいから」と明確な答えが返ってきた。そして、はいといいえについては、「めでうったえています なかなかうまくいきません」とのこと。「からだがうごかなくてもいろいろかんがえていてかんじています にんげんですから」と付け加えた。彼女のもつハンディの意味はなかなか理解されにくい。それが、いっそう彼女の理解を妨げているようだ。しかし、さらに、「でもわかってもらえてよかったです まだじかんがかかることはわかりました ねがっていればいつかかなうとしんじていきたいとおもいます」と結ばれた。
 中学生の◇◇さんは、「てではなせてとてもかんげきしています ちいさいときからくだされたうんめいをどうしようもないとあきらめていましたが ねがいがかなってとてもくしんしてきたかいがありました」とどきっとするような言葉を綴ったあと、お父さんへの感謝の気持ちを綴り、「ふだんことばにできないのでやっといえました」とつけくわえた。そして、現在の心境として、「だれもわかってくれなかったからかなしかったけどいまはわかってもらえてごきげんです」と素直な思いを表した。
 また、高校生の☆☆さんは、「りかいしていることがなかなかつたわらなくてこまっています」ともどかしさを表したあと、「ほんとうのきもちをわかってほしいほんとうのこころをわかってほしいゆめはきもちをみんなにわかってもらうことです」と綴った。○○さんと重なる思いである。ところで、☆☆さんは、文字を綴っている間に、何度か、パソコンのキーボードに手を伸ばした。残念ながら、彼女の現在の手の動きでは、キーを一つずつ区別して押すことはむずかしい。そして、大変申し訳ないことに、デリケートな機械だということで、その彼女の手を制してしまう。そこで、改めて、パソコンに手を伸ばした理由を尋ねてみた。そこで返ってきた答えは、「てがのびるのはぱそこんをやってみたいからです れんしゅうすればできるとおもっているから ぱそこんかってほしくてたまりません」であった。あまりにも当たり前のこの答えを、しかし、私は予想できなかった。○○さんのように、意図に反した動きではないかと思っていたからである。そこにパソコンがあれば誰だって手を伸ばしたいと思うはず。その当たり前のことさえ、見誤ってしまうほどに、私たちは、彼女たちのことをほんとうは理解できていないのである。
 一つ一つの行動の意味も、また改めて私たちは問い直されているようだ。
2008年6月28日 23時53分 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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