二人の少年が、会話をしようと、私のことを待っていた。クラスメートの二人だけど、残念ながら今はまだ私が通訳をしなければ、言葉を交わし合うことができない。彼らに会うのは、8月以来のこと。4ヶ月ぶりの再会だった。会話の前にA君は、こんなことを書いてから始まった。
きのうくるまでどらいぶにいきました つくいこにいきました
いいてんきだったのでうちにかえってからいきました
こうようがきれいでした るすばんでおばあちゃんがうちにのこりました きれいでしたすべてが
あきもおわりすっかりふゆになりました。
本当は、どこにも行っていないのだけど、そんな言葉がふさわしいような、12月の初めの一日。
そして二人の話題は、クリスマスのことへ。
A:このまえすてきなきせつのたよりをかいたね
くりすますにむけてくりすますにきれいなくりすますつりーをかざろうね。
B:くりすますはたのしみだね
むかしからいっしょだからね
すきにしたいね
ねがいはきもちをつたえられるようになることだね
きっとできるようになるとおもうからがんばろうね
きっとみんなわかってくれるひがくるとおもうのでがんばろうね。
A:すてきなくりすますにしようね
いいぷれぜんとがもらえるといいね
とびきりじょうとうなぷれぜんとをもらえなくてもじぶんのきもちをわかってもらえればそれがいちばんだね。
B:いいくりすますがくるとおもうよ ともだちをまねいてぱーてぃーをしたいね
きまりきったおとなのいいかげんなぱーてぃーではなくて ほんとうのきもちがこもったぱーてぃーにしたいね
いちばんきてもらいたいのはひらやなぎさんだね
すばらしいかいにしたいね
すてきなうたやすてきないろのろうそくをそろえてきれいなふくをきてきれいなさいこうのくりすますをしたいね。
A:すてきなことはふたりできもちをかたりあえることだね
つらいことやくやしいことをかたりあうことができればきっとすっきりできる
しゃしんとってほしい
すばらしいすがたのでえいがのようなおなじきれいなこえでのぞみどおりにすてきなこえでうたをうたってほしいね。
B:きれいなうたがうたえるひとにきてもらいたいね
きれいなうたがきけたらさいこうだね
いいこえがでるひとがいたらつれていこうね
いいこえがでるひとをさがさないといけないね
わすれずにすてきなうたがきけたらいいね
すてきなうたがたのしめたらいいね
きいてみたいな そんなうたを
つぎつぎにいいうたをうたってくれたらいいね
いいうたはこころをゆめいっぱいにしてくれるね
みんなにもいいうたをじっくりきいてもらいたいね。
すてきなうたをつくってみたいね
ふしぎなきもちになってくるね
にほんじゅうにはんらんするようなうたをつくりたいね。
A:このよでいちばんのうたをつくりたいね
このよでふたつとないうたをつくりたいね
とてもきれいなうたがつくりたいね。
B:すてきなうたはしんじてくれる
いいうたををつくれたらいいね
きいてくれるひとがほしいね
きいてくれていっしょにうたってくれるひとがほしいね
ねがいはすてきなうたがつくれることです
(ここで詩を作ったことはないかと聞くと、「ある」との返事の後、詩が綴られた)
きたにむかうひこうせん
きたにむかってそらをいく
せかいのなかまにであうため
そらいっぱいにひろがって
ふしぎなうたをかなでとんでいく
ひこうせんからゆめみたさきは
ふしぎないろにそまっていた
A:すてきなしだね。
くりすますがたのしみだね
(ここでA君にも詩を作ったことはないかと尋ねると、「ない」との返事がかえってきて、が続いた。)
ことばはすばらしいね
きもちをひろくしてくれるね
ねがいはいつまでもBくんとともだちでいることです
二人の会話は、小学生のあどけなさと、切ないほどの純粋さにみちていた。
それにしても「きた」をテーマにした詩が、どうしてこんなにも作られているのだろうか。枯れ葉をみんな散らしてしまうような強い風が(南風だったが)吹いた日の、できごとだった。
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2008年12月5日 22時24分
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小学5年生の○○君と◇◇君は、それぞれに伝えたいことを語ったあと、対話を始めた。学校に上がる前からずっと一緒だった二人は、ようやく言葉を使って会話をすることができるようになった。しかしまだ、スイッチ操作ができる場面は私と出会うときだけなので、二人の間で思いはいっぱい高まっていた。
まず、二人のそれぞれの思いが綴られる。
○○君。「きてくれてありがとう ずっとまっていました つまらないです がっこうがなかなかことばをしんじてもらえません くやしいです きもちを つたえることができたらどんなにすばらしいでしょう。」
◇◇君。「くやしいことがあった みんながことばではなせることをがっこうのせんせいがわかってくれようとしてくれない いいたいことはたくさんあるけどしんじてもらえないとむずかしい なぜせんせいはしんじてくれないのだろうか のぞみはことばでもっときもちをつたえあうようになれることです てをつかってはなせることをはやくわかってもらいたい りかいしゃがほしい べんきょうをしてなんでもしりたい のぞみはことばでみんなとはなすことです。(…)◇◇くんとはなしたい」
そして、二人で一台のパソコンを囲み、スイッチを交代しながら話が始まった。
◇◇君:りかいしてくれるひとがいなくてさびしいね
○○君:くやしいねなかなかわかってもらえなくて
てがつかえるのにだれもてをとってくれないね
すいっちがあればだいじょうぶかな
のぞみはみんながてではなしができるようになることです
よくりかいしてほんとうのきもちがわかってもらえるとうれしい
べんきょうのないようもやさしすぎてつまらないね
◇◇君:すいっちがあってもしんじてもらえないとむずかしいね
しんじてもらえないとてをとってもらうこともできないね
ふしぎだね
ねがいがかなったのにりかいしてくれるおとながすくないなんて
りかいしてくれればおもいをつたえられるのに
(…)
くなんのじんせいですががんばっていこうね
○○君:むずかしいけどなんとかがんばっていこう
なかなかべんきょうもしてもらえないけど
しんじてもらえるようがんばろうね
ゆいいつのゆうじんだからね
ねがいどおりのじんせいになるよういのっていこうね
ずっといつまでもともだちだからね
◇◇君:くるしいときもたのしいときもずっといっしょだったからね
ともだちだからずっとこのままいっしょにいきてゆこうね
○○君:ちいさいときからずっとともだちだからね
よくきもちがわかります
よくよくかんがえてねがいどおりのじんせいをいきてゆこうね
二人のことを学校の先生にわかってもらうためにはどうしたらいいのだろうか。二人が示している外見上の様子は、こうした会話をすることができる子どもたちにはとうてい見えない。現在の常識では、理解されにくいのは無理もないことかもしれない。二人は、自分たちの体の問題についても、次のように語ってくれた。
◇◇君:じっとしていることがむずかしいので からだがいつもうごいてしまうのが りかいされないでこまっています
せんせいにそれをつたえてほしいです
てがいつもくちにはいっているのは すっていないとからだがとまらないからです
きもちとはちがったうごきをするのでこまっています
○○君:いつもからだをうごかしていないとじっとしていられないのでこまります
すこしのじかんならじっとできるけどながいじかんはむりです
つらいりかいされなくて
のむときもすこししかのみこめないのでこまっています
なかなかわかってもらえなくてくやしい
私は、こうした体の動きを何か意味のあるものとしてこれまで様々な考察をくわえてきた。体の動きを止めること、姿勢を作ることとの関係で考えてきたことは、かなりあたっていたとは思う。しかし、当事者からじかに語られると、そこに、自らの体がままならないつらさと、誤解される無念さとがひしひしと伝わってくる。現に私自身も、こうした行動に意味があると考えつつも、それは、言葉を獲得する以前の段階に特有のものと考えてきたのだから。
彼らがのぞむみんなからの理解を得るためにも、こうしたことを一つずつ明らかにしていかなければならないのだと思う。
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2008年8月13日 09時20分
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子どもの頃から言葉を話したかったということを切々と訴え、友達が亡くなったときも何も言葉にして言うことができなかったということを切々と語った小5の○○さん。これで、3度目の関わりとなる。2月に大切な友達を亡くしたという。そこで、そのお友達にあてた文章を書いてみたらと提案した。
そして書かれた言葉は次のようなものだった。
○○○ちゃんへ
そちらでもげんきですか
のぞみどおりにはなせるようになりましたか
もしはなせていたら こんどいっしょにはなそうね
どうして○○○ちゃんはわたしをおいてさきにいってしまったの
わたしはとてもさびしいです
めのまえのなやみはたくさんあるけど
わたしはまだげんきだから
○○○ちゃんのぶんまでがんばりたいです
のぞみどおりのじんせいをいきられるように
がんばりたいとおもいます
彼女が初めて言葉で気持ちを話せたのは、友だちが亡くなった翌月の3月のこと。ともに、小さい頃から言葉を話せずにいて、はなせるようになることをともに夢見てきた。しかし、自分は願いがかない、友だちはかなわずに逝ってしまった。
私も、もう少し早く出会えていたら…と思うけれども、そこが出会いの偶然の非情だ。せめて与えられた機会を無駄にしたり逃したりしないということだけが、私たちのできることだ。
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2008年8月11日 23時41分
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春に出会った小学生の3人の小さなグループと久しぶりに会った。今日は、男の子二人だったが、小さいときからずっと一緒に育ってきた同い年の二人は、心が本当に通い合っている。その彼らが具体的に気持ちを伝える手段を知ってから、3度目の関わり合い。順番に始めたはずだったが、言葉を伝えられる喜びと、なかなかわかってもらえないはがゆさの思いをつづったあと、横で様子を見ながら待っている友達に向かった。以下二人の会話の部分。二人はどうやって学校で理解してもらえるかについて語り合った。
A:どうやってわかってもらえばいいか
B:くちでわかってもらえなくてもねがいをつたえるのはたいせつです
A:どうやってつたえたらいい
B:むずかしいけどがんばることがたいせつです
A:がんばりたいけどたくさんがまんしないといけないかもしれない
B:しんじてもらえるまでがんばろう
A:わかってもらうことができないのがくやしい しんじてもらえるかどうかわからないでもしんじてほしいね(略)
A:(略)ふたりのかんがえたことはわすれずにいないとね
B:そうだね
A:ねがいがかなうのがまちどおしいね
長い間、心を通じ合わせながら言葉を通じ合わせることができなかった二人の初めての会話だった。せっかく気持ちを伝える手段が見つかったのに、すぐに理解されるというわけにはいかないのが現実。もうずいぶん我慢してきたのにという思いが強いA君に対して、信じてがんばろうというB君。こうやって共に語り合いながら育ち合っていけるにちがいない。二人の真剣な顔が印象的だった。
みんなきっとおしゃべりをしたいに違いない。こんなふうに語り合いの場を設定できる関わり合いはまだほとんどできていない。もっと気軽に語り合えるように、これからもいろいろな工夫を重ねていかなければならないとつくづく思った。
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2008年5月30日 22時57分
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