ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2012年12月10日(月)
出生前診断をめぐって 3人の言葉 12月9日
 日曜日、重複障害教育研究所でお会いした3人の方々が、みな口々に、出生前診断について語りました。最初に40代のNさんの言葉です。

 残念なことがありました。というのは私たちの敏感な感性を裏切るようなできごとがあったのです。それは敏感な感性にはたえられないようなことでした。わずかなわずかなことかもしれませんが私たちにはとてもつらいことでした。いま通っている施設でダウン症の人に向かって自分はどうして生まれてきたのかあとで考えたらいいという人がいたのです。ふつうなら生まれてこれるはずのないあなたがわざわざ生まれられたのだから感謝しなさいというおそろしいことを言い始めたのです。私は耳を疑いました。たいへん衝撃的でした。なぜあんな言われ方をされなければならないのでしょうか。何度考えても納得がいきませんでした。この前からこの話題について話してきましたがとうとうこんな発言までみられるようになってしまったのですね。悲しい世の中になったなあと泣きたい気持ちです。なぜそこまで世の中の人は堕落してしまったのでしょうか。私は私らしく生きたいのにそれさえ認められない世の中になりそうです。なぜ地震でわざわざ同じいのちということを見直せたはずなのに残念でなりません。黙ったままで言われっぱなしになるのはとても理不尽な気持ちがします。わざわざ今日そのことを言ったのは私たちの大事な仲間がまだまだつらい思いで生きているからです。長いあいだ私たちは沈黙をしいられてきたのですがせっかく話せるようになってもどうせ私たちは世の中のやっかいものかと思うとやりきれません。

 次はIさんの言葉です。この日、彼女の通っている通所施設から、3人のとてもすてきな職員さんがお見えになり、実際にスイッチの練習などにも挑戦してくださったりして、とてもすばらしい時間を過ごしたあと、この文章をつづりました。文中に登場する職員さんとは、この方々のことです。

 つらいことがありました。それは私の理想的な目的がなくなりそうになったので困っています。わざわざ私たちのことを生まれてこないほうがいいなどという人が現れたことですが私たちはみんなごらんなさい私たちをという気持ちで生きているのでろうそくのあかりが消えてしまいそうになりました。どうして私たちを否定するのでしょうか。私たちも同じ人間ですから私は悲しいです。敏感な人たちはわかっているはずです。もう私たちを理解してくれるのは理想にもえた人たちだけだということを。長いあいだ私たちはじっと黙ってきましたがもう黙っているわけにはいきません。長いこと理解されなかったけれどようやく理解されて喜んでいたのもつかのまのことでした。世の中の人たちはもう私たちをのけものにしようとしているので私たちは黙っているわけにはいきません。人間としての尊厳を取り戻さなくてはなりません。わずかな希望は私をこんなにも大事にしてくれる職員さんたちがいることです。なんとかしてごらんなさい私たちをという私たちの気持ちを世の中に届けなくてはいけません。よい世の中になってほしいです。私たちを大事にしてくれる世の中でないとみんなもよく生きられないと思いますから。

 3人目はKさんです。自分たちが議論の輪からはずされてしまっていることへの抗議です。 

 
 なんでぼくたちは生まれてこないほうがいなどと言われなくてはいけないのでしょうか。テレビなどでさかんに話されています。はい家でみました。なぜ優生思想などというものがあるのでしょうか。私たちの私たちらしさなどもう認められない世の中になってしまいましたね。憂鬱な日々が続いています。私たちをなきものにしようという思想にはもう別れを告げたいです。やめてほしいのは私たちを議論の輪からはずすことです。なぜ私たちを議論の輪からはずすのでしょうか。なぜ私たちは輪の中からはずされなければいけないのでしょうか。輪の中に私たちを入れればきっと私たちをなきものにしようという意見はなくなるはずです。何とかならないでしょうか。つらいです。
2012年12月10日 00時39分 | 記事へ | コメント(0) |
| 研究所 / 出生前診断 |
2012年10月15日(月)
出生前診断について 10月14日
 Kさんがあと一つ書きたいことがあると言って書き始めたのは、出生前診断についてのことでした。以下の通りです。

出生前診断について。

 私は生まれてこないでいいようないのちなんてないと思っていますが世の中の人はなぜそのことを語らないのでしょうか。ずっと私は言葉の理解が難しいのでわかっていない子どもと言われて育ってきました。しかしそんな私たちでさえ同じ人間として喉から手が出るほどのことでしたが冒険ができる自由がほしいと願って生きてきました。私はそういうふうに見られていても必ず同じいのちだからと守ってくれる人に支えられて生きることができました。だから迷惑だと思う人もたくさんいるのはわかりますが私は迷惑などいのちを選ぶ理由になどにはならないと思います。いのちが同じだという言葉さえ語られないのは絶対におかしいと思います。なつかしいです。何もわからないと思われているにもかかわらず、同じいのちだと言ってくれた人がたくさんいた昔が。そんなどうでもいいいのちにさえ重きをおこうとしてくれた理想の時代はもう来ないのでしょうか。私にも言葉が理解できているということが理解されたにもかかわらず世の中はまだその事実に無関心でただ障害という理由だけで私たちをなきものにしようとしているなんて許せません。私は言葉にかかわらず人間です。そういう言葉にかかわらずという考えは理想論と片付ける人もいるかもしれませんが現実論として言いたいのは世の中の人たちがなきものにしようとしているいのちは世の中の人の思惑とは異なりみんな普通に言葉を理解していると言うことなのです。ここに二つの過ちが存在していると言うことがわかります。私たちの声をもっと聞いてください。以上です。

 
 かつて、言葉がないとされてきた自分をも同じいのちだと言う人がいたのに、なぜ、今それを言う人がいないのかという切実な気持ちが綴られています。また、「迷惑などいのちを選ぶ理由にならない」という言葉も核心をついたものでしょう。理想論と現実論の両面からこの問題をつくという語り方は、大変説得力のあるものでした。
2012年10月15日 13時26分 | 記事へ | コメント(0) |
| 研究所 / 出生前診断 |
友だちの手術のことと両親への手紙
 Kさんは、とても興奮したようすで私たちのもとにいらっしゃいました。表情も切実なもので、何かを訴えたいことは明らかでした。20年以上おつきあいしてきたKさんがこんな様子は初めてで、お母さんも、いったいどうしたのかしら、昨日の夜からこんな感じで、今朝も、いくら好きな音楽を流しても静かにならないのよとおっしゃって、戸惑っておられたのです。ただ、ご両親に何か訴えたいことだったら、たとえ現在のように言葉で表現する術がなくても、ほとんどすべて通じていたわけだから、直接自分のことをお母さんたちに訴えたいということではないということはお母さんも感じておられ、前日からということは、翌日に私たちと会って何かを訴えようとしているのだということはお感じになっておられたとのことでした。そして、綴られたのは次の文章です。

 犠牲的な話です。人間だから唯一の尊厳を守らなければいけないのにしてはいけないことをされそうになっているからやめてほしい。残念なことがありました。私の友だちの喉にメスを入れると言っているのがつらいです。呼吸が苦しいからですが声を奪ってはいけないと思います。私は絶対に拒否します。なぜなら声あるから私はみんなと話せているからです。はい仲間のことです。その人は声で私とコミュニケーションを取っているのでもう私たちは話せなくなってしまいます。ずっと一緒だった友だちですが敏捷な体でみんなと楽しく走り回っていた人です。ずっと体調を崩して寝たきりになってしまった人です。地域で生きていくためには気管切開は足かせになりますから心配です。夢はその子達とみんなで地域で暮らすことだったから何としても気管切開だけは避けたいのです。みんないろいろな制約を抱えて生きていることはわかっていますが私たちはいつも受け身でそれを受け入れるしかなかったけれどせっかく話せるようになったのだからどうにかして訴えたいです。男の人で年上ですが体は小さい人です。きゃしゃな体で動いていたのでみんなからかわいがられています。敏感な人でしたから私たちをよくかばってくれました。学校時代から。

 Kさんのおっしゃりたいことは痛いほど伝わってきましたが、それだけではここで気持ちをはき出しただけで終わってしまいます。私に思いつくのは、この気持ちを手紙にして届けるということだけでした。そして、それを彼女に提案して書かれたのが次の文章です。

職員さんへ。
 わたしはとても気になっていることがあります。それは○○君のことです。ずっと冒険好きの彼にはたくさんかばっていただいたので彼が気管切開をして体を思うように動かせなくなるのがたまらなくつらいです。自分たちは生まれてからずっと寝たきりでしたからこういう暮らしになれていますが○○君はまだまだ動ける人なので人間としての尊厳が奪われるような気がするのです。ばいきんがはいらないようになどと心配してあげているうちに呼ばれても答えられないのだから何もできない体になってしまうような気がして心配なのです。私は医者ではないから詳しいことはわかりませんがよほどのことでなければ気管切開は避けてほしいと思います。敏感な○○君だからそうとう悩んでいることでしょうから本当に心配です。なんとかなりませんか。生意気なことを言って申し訳ないですが友だちのためなので書かせていただきました。存分に生きたいといつも私たちは希望しているので私たちの人生を私たちが選べる時代が早く来るといいなと思います。冒険好きな○○君の人生だからそれを是非大切にしてあげてください。よろしくお願いします


 一つ目の文章が感情の吐露だったのに対して、明らかに相手に自分の意見を伝えるために、読み手の立場もふまえた上での文章になっています。本人も、「先生に訴える時はただ自分の感情のままに言葉にしていたけれど、手紙にするとまったくちがう」と言っていました。
そして、手紙ならきちんと自分の気持ちが書けそうだと言って、ご両親に向けた手紙を書きました。

がんばっているおかあさんへ。
 どんなに感謝しても仕切れないほど感謝していますが体調が心配です。これから寒くなるので体調にはくれぐれも気をつけてください。残念ながら私は何もしてあげられないので私が体調を崩さないようにすることが精一杯の努力です。だから私も頑張るので母さんも是非健康に過ごしてほしいです。時間ばかりが過ぎていくので私も母さんもずいぶん年を取りましたが良い人生をまだまだ送りたいのでお互い体にだけは気をつけましょうね。
                       Kより。

お父さんへ。
 人生の後半で仕事を変わって大変なことも多いと思いますが私にとってはよい仕事についていただけたという実感です。なぜならどうしようもないように言われてきた仲間でもお父さんは愛情をかけてあげられる人だからです。私たちはみんな言葉を理解できているので分かってくれる職員を本当に必要としていますからお父さんによって救われた仲間もたくさんいるからです。なぜお父さんにはそういう気持が持てるのかというと私を育てたからです。どうして私がお父さんの子どもになったのかはわかりませんが私を育てたことが役に立ってうれしいです。
                      Kより。


 そして、さらに、もう一つ書きたいことがあると言って来たのですが、ここでいったん区切らせていただきます。
2012年10月15日 10時40分 | 記事へ | コメント(0) |
| 研究所 |
2012年08月17日(金)
新しい家族のかたち
 重複障害教育研究会の全国大会に向けて文章を書いてもらった日、印刷用の文章をかきおえたあと、田所君は、自由に次のような話をしました。

 ぼくたちはいつか必ず施設に入るということを覚悟してきたので、ぼくもいつ施設に入ってもいいと思っています。おかあさんはいつまでも手元に置きたいと考えているので、ぼくは、可能な限り家にいるつもりですが、創輔君の話を聞いてさすがに創輔君の家はうちとは違うのだと思いましたけど、これはどちらがいいとか悪いとかではないので、うちのやり方と吉田さんのやり方があるだけのことです。どちらもすばらしいと思います。
 ぼくの家はおかあさんもおとうさんも障害があるので、ほかの家とはずいぶん違いますが、そのおかげでぼくの家では、障害ということについての理解がほかの家よりは進んでいるはずです。だからぼくの家には、いろんな障害のある方がいろいろ訪ねて来ますし、その人たちは、ぼくに言葉があったことを誰も疑いません。なぜなら、その人たちはぼくの顔を見てればわかると言います。
 その言葉がぼくにはとても意外でした。なぜ、みんなは疑うのかというと、その人たちは、柴田先生の方を見ているからです。だから、みんな疑うのだと思いますが、ぼくたちの仲間の障害のある方々は、柴田先生の方を見たりすることはないと思います。みんなぼくの方を見るから、ぼくがほんとうに語っているかを見るのは簡単らしいです。そのようなことがあるなんて当たり前のことだと思っていたのですが、柴田先生を見ている人は、あまりにもこの方法がすごすぎて、疑うのでしょうが、ぼくたちの仲間は、方法はどうでもいいと思っています。方法よりも大事なのは、ぼくのことなので、ぼくの顔を見て喜んでくれてそれで終わりです。だからほんとうは簡単なことなのではないでしょうか。
 もし柴田先生がぼくたちの言葉でないものを言ったら、ぼくたちがとんでもない顔をするのは見えているし、たぶん大きな声で拒否するでしょう。だって自分の言葉でもないものをすらすらと嘘の言葉として言われたら、そんなたまらないことはないからです。だからぼくたちの言葉があっているというのはそれだけでも当たり前のことです。疑う人は障害者のことが何もわかっていないということです。ぼくたちのことを見ていれば、人間だから、自分の気持ちに反したことを言われたら拒否するし、自分の言葉通りだったらそれらしい顔をするということは、あまりにも当たり前のことなのに、世の中の人はそのことにさえ気がつかないみたいです。
 だから、うちではぼくはもう言葉を理解している存在としておかあさんの友だちから思われていて、おかあさんも、その人たちとの間では、弘二ががね、弘二がねと言っています。だから、弘二の言葉は誰も疑わないのが、障害者の間での理解ですが、健常者はやはり障害者のことがわからないということなのでしょうね。
 いつかぼくたちの代わりに闘ってくれる人も出てくるかもしれませんし、ぼくたちは体が弱いので闘えないけれど、元気な障害者はすぐに闘うから、ぼくたちのことでいつか闘ってくれる日が来るだろうとぼくは思っています。まだ、そういう人たちに声が届いていないのが残念ですが、きっとぼくたちの言葉のことが問題となった時に、力のある障害者が必ず立ち上がってくれて、ぼくたちを守ってくれるというのをぼくは知っています。ぼくたちの仲間は、障害の程度にかかわりなく、障害者として連帯しているので、ぼくたちのことがもう少し世界に伝われば、必ず、元気な障害者が立ち上がるはずですから、そのときは先生のことをきっと守ってくれると思います。その人たちは先生を守るのではなく、ぼくたちを守るためだから、先生のことなどはっきり言ってどうでもいいはずですから、ぼくたちのために立ち上がるし、その時に先生のこともあわせて守ろうと思うのでよろしくお願いします。
 ぼくは、今日は少し興奮して、ふだんは絶対に言わないだろうというようなことを言ってしまいましたが、ふだん言ってないから別にいいのだと思いますが、ふだんはお互いに穏やかな気持ちでつきあいたいと思っているのですが、今日は、思わず言いたいことを言ってしまいましたが、うちの家庭は障害者の家族なので、実は、それに関しておかあさんはそうとう苦労してきました。障害のあるおかあさんが、障害のある子どもを産んだからなんということはないのに、そのことでいろいろ言われたこともあるし、障害のある人間同士が結婚したこともいろいろ言われたみたいだし、そういう社会の中でうちの家族は生きてきたので、とても強い面と、人からいろいろ言われると弱い面も持っていますが、こうしてぼくも話せるようになったので、うちの家族を堂々と誇りにしたいと思います。障害者が障害者を産んだというのは、実は悲劇ではなくてとても誇るべきことです。実は障害者の間にはそういう考えがあるのを先生は知っていますか。障害者はほんとうは障害者を産みたいと思っているという考えがあるのを先生は知っているのですね。そういう人たちは健常者が産まれたということを悲しむということは別にありませんが、障害者が産まれるととても喜ぶと聞いたことがあります。なぜなら私たちの考えを理解する子どもが一人家族の一員となったからだと聞いたことがありますが、その人たちもきっと同じ考えだと思います。
 これはほとんど誰も言うことのない話なので、ぼくが代わりに言いましたが、だから、ぼくが産まれたことは、まちがいなのではなくて、ぼくが産まれたことが、一つの新しい家族のかたちだったと思ってきたので、そのことも言えてよかったです。新しい家族のかたちという言葉はまた改めて文章にしたいので、先生、よろしくお願いします。このような話までできるとは思わなかったので、驚いていますが、ぼくたちにとて、まさしく、このようなやり方が新しい人生の始まりなので、ぼくも、あとわずかの人生なのか、もっと長く生きられるかわからないけれど、残された時間は、新しい家族のかたちを考えながら、新しい人生を始めたいと思います。おかあさんとおとうさんのこともぼくはとても誇りに思っているので、その言葉をぜひ一度、かたちにしたいです。今日の文章には間に合いませんでしたが、ぼくにとって新しい家族のかたちという新しい言葉が今生まれたので、新しい家族のかたちというのをぜひ文章にしたいと思うし、先生はぜひあちらこちらでそれを言っていただきたいと思います。
 先生の声を聞いているだいたい先生の気持ちはわかるのですが、相当に感動してくれたことはわかりましたので、ぜひあちこちで言っていだだきたいと思います。そこに学生さんがいるのですか。たぶん新しい授業の内容になると思うので、聞いてあげてください。先生が新しい家族のかたちと言い出したら、あああれは田所君のところで聞いた話だということで聞いてもらいたいと思います。新しい家族のかたちについて少し長く話させていただいたので、ぼくの話はこれで終わります。


 この間、廣瀬岳さんの文章を紹介しましたが、これは、それに先だった語られたもので、廣瀬さんとも話題にしたものでした。
 障害のあるお母さんから障害のある子どもが産まれるということは、新しい家族のかたちだと言い切る田所弘二さんの考えは、私自身、ほんとうにわかっているとは言えないかもしれません。しかし、そこには、根本的な鋭い問が横たわっていることだけは確かです。3才になる前から関わりを始めた田所さんも、もう30を迎えます。これまでの長い時間を経て、今、こうしたことが語りあえているということに、ただただ、敬服するのみです。
2012年8月17日 01時45分 | 記事へ | コメント(0) |
| 研究所 |
2012年07月10日(火)
言葉を超えるものの存在
 今年の8月4日と5日に開催される重複障害教育研究会の第40回全国大会で、長い間、気持ちを表現するすべを持たなかった当事者による研究協議が予定されています。普段は、実践報告とその研究協議というかたちがとられるこの研究会で、こうした試みは、初めてのものです。このアイデアを提案し、実現を強く訴えたのは、この研究所の亡くなられた前理事長中島昭美先生に幼い頃に出会って、今もなお研究所に通っている40代の女性、名古屋和泉さんです。名古屋さんは、全盲で、手を引かれると何とか歩くことができますが、自由に手を使えるわけではありませんし、言葉を表現する手段は、まったく持たずにこれまでの日々を生きてきました。彼女の言葉を初めて聞いたのは、3年前の研究会の懇親会の席でしたから、つい最近のことです。
 昨年の研究会では、ぜひ私たちの言葉を研究会で伝えてほしいという強い希望を訴え、私は、通所する方々が東日本大震災についてkat語った言葉をまとめて報告させていただきました。
 そして、今年は、私たちの通訳で、自身の言葉で語るというのです。
 当日は、そんなにたくさんは話せないだろうからと、先日、彼女は次のような文章をしたためました。

 銀色の風が吹いたのは私の言葉を聞き取る方法が見つかったからです。なつかしいのは私を本当に理解しようとしてくれたたくさんの先生がいたことです。私に言葉があるとかないとかそんなことを越えてつらいこともものともせずに私によい関わりをしてくださいました。なぜ私にそれがわかったかというと私たちは本当に私たちをわかろうとする人とそうでない人の違いならすぐに感じ取れるからです。どうしてかというと私たちには理解されていないと感じられる人がいると私たちをないがしろにした空気が流れることがわかるからです。だから本当に理解してくれる人たちの前でだけ本当の自分を出すようにしてきました。
 だから私たちには理解を超えた先生は中島先生などのように私たちはとても偉い存在だと言ってくれた先生です。中島先生に私はとても長い間お世話になってきましたが中島先生だけだったです、そこまで私たちをどうでもいい存在どころかどんなにすごいかと言ってくれたのは。私にとって中島先生の考え方を学んだ柴田先生がこういうやり方を発見したということは必然的なことだったと思います。なぜなら私たちのような存在は世の中では役に立たない存在と思われていて私たちの存在にこだわろうとすること自体がまれなことだからです。私だけではなくこの研究所で学んだ生徒はみな中島先生のことを私たちの最大の理解者だと思っています。どんな敏感な先生でも私にとっては中島先生にかなう先生はいませんでした。
 それは中島先生だけが私たちのことを午後の問題だと減じることなく午前存分に語るべき問題だと考えてくださったからです。中島先生は午前という言葉で私たちを表現したことがありました。それは何よりも大切なという意味です。わずかにどんな私たちに対しても午後の問題として考えてくれる人はたくさんいましたが中島先生だけ何よりも私たちの存在が大切だと言ってくださいました。
中島先生が亡くなってからは知子先生が中島先生の精神を引き継いでこられましたがどういう拍子かわからないけれど私たちの言葉を聞き取る方法を柴田先生が見つけ出して、人間として私たちが何でも理解できているという事実に光を与えてくれましたが、それは中島先生が私たちの存在の確かさに光を与えていたからこそできたものです。そのことをこの研究会に来ている先生たちにはわかってもらいたいです。そしてがんばってこの方法を伝えようとしている柴田先生や知子先生を応援してほしいです。
 でもわすれてはいけないことがあります。それは言葉を超えるものの存在です。私たちはこの方法が見つかる前から言葉を超えるものの存在によって生かされてきました。だから言葉を話すことなく亡くなった仲間たちもけっして不幸だったわけではありません。もちろん話せた方がいいことは当然のことですが話すことがすべてではありません。話すことだけに目を奪われてしまうとかえって言葉を超えるものの存在がないがしろにされてしまうかもしれません。
 言葉を超えるものの存在を中島先生は魂とおっしゃいました。魂の意味は私にはよくわかりませんがとてもいい言葉だと思って先生の話を聞いていました。言葉を超えるものの存在が先にあってそのあとに言葉の問題が来るのであって、その逆ではありません。しかしこの方法が広まれば必ずそういう問題が出てくるでしょう。その時代はまだまだ先でしょうが必ず来るはずですからふだんから気をつけておかなくてはなりません。
 長い間沈黙の中で生きてきてそのまま死んでいくと覚悟していたので私にとっては夢のようですが、突然すぐ身近でこんな方法が見つかって驚きましたが、私にも言葉を話すチャンスが巡ってきたので存分に話したいです。そしてたくさんの後輩や仲間たちに一刻も早くこのことを伝えたいです。
 でも私よりも先に言葉を話すこともなく亡くなっていった仲間の存在も決して忘れないでほしいです。彼らがいたからこそ今日(こんにち)があるのです。そのことがどうしても訴えたいです。
 毎年この研究会で中島先生の講演を聴くのが楽しみでしたがもうそれはかないません。しかし私はずっと中島先生の言葉を大事に暖めながら生きてきました。こうして話せるようになってもそのことは変わりません。どうか私たちを大事にしてくれた中島先生の午前の話を大事にしてほしいです。そして私たちの言葉と魂に耳を澄ませてほしいと思います。以上ですが、最後に詩を書きます。


  中島先生に捧げる詩

私にも魂の叫びがあることに
いちはやく気づいてくださった中島先生
人間として認めてくださっただけでなく
その存在を高みにあげてくださって
私たちに生きる意味を与えてくださいました
私はもうそれだけで十分でしたが
私は不意に話せるようになりました
私はもう何も望むものはありません
中島先生の亡きあと
私は中島先生のすばらしさを語ることに
自分の頑迷な心をひたむきに捧げたいと思います
理想の世界はまだまだ空の彼方にあります
午後からの存在に甘んじてきた私たちですが
午前の存在として認められる社会はまだまだです
中島先生の亡くなられたあと
日本は大変な地震によって
その根本からひっくり返されました
世の中が一瞬
私たちのような存在に光を与えようとしましたが
またただの一回だけの出来事として
忘れ去られようとしています
しかし本当はこの機会に
日本は生まれ変わらなくてはなりません
そのためにも私たちは今こそ私たちの存在を
世の中に訴えていかなければならないのです
私には難しいことはわかりませんが
私たちの生きる意味を訴えていく使命があるということを
中島先生から教わりましたから
その使命を果たしていきたいと
心から願います。
 
2012年7月10日 20時11分 | 記事へ | コメント(0) |
| 研究所 |
2012年02月21日(火)
40年を振り返って
 私が30年来関わりのある40代の全盲の女性○○さんは、

 私たちをもっと理解してもらいたいので残りの人生は私は自分の考えを少しずつ伝えていきたいです。小さい時からのどうにもならない気持や茫然とした日々のことなどを語りたいです。

と述べて、長い回想の文章を綴った。

 私が生まれたのはもう40年も前に遡りますがその頃はまだ世の中は私たちのような子どもを受け入れるような時代ではありませんでした。残念ながら地域のどんな場所にも私たちの居場所はありませんでした。なつかしいのはそんなときに私たちを50年も前から理解しようとしていた先生たちがいて私たちを受け入れてくださったことです。わざわざ私たちを人間として認めてくれて何かできることがあったらしてあげようと色々な努力をしてくださいましたがまさか私たちに言葉があるとは思わなかったようでした。どんな小さなことにも喜んでくださって本当に幸せでした。どうして私たちのような存在に底まで心を向けてくださるのかとても不思議でしたがみんなほんとうに一生懸命でした。小さい理想の世界がそこにありました。小さいながら望みのかなう世界でした。私たちはなかなか理解されないので何でも喜んでくれる先生たちが最大の理解者でした。
 そんなところから始まった私の人生ですがみんなに比べて恵まれていたのは私が中島先生に出会えたことです。中島先生は特別な思想の持ち主で私たちが偉い存在であるとずっと言い続けてくださいました。何もできない私のことを偉いなどと言ってくださった人は初めてでしたからとてもうれしかったです。わずかな夢は中島先生の思想が広まることでしたがなかなか本気で先生の思想を受け止める人は少なかったです。中島先生は本気でおっしゃっているのにまるで冗談のようにとらえている人も少なくありませんでした。私たちのことを相手がどう考えているかはすぐにわかりますがほんのわずかの人しか私たちを本当に偉いとは考えていませんでした。
 わざわざ中島先生のことを否定する人も誰とは言いませんがいたのも事実です。学校では特に受け入れられなかったことを私は身を持って体験しました。
 それでも小数の心ある先生が中島先生に従って私たちのことを大切にしてくれました。どうして私たちのことをそこまで大切にしてくれたのか今でも不思議です。たまにそういう先生が現れるととても存分に誰にでも伝わるのかもしれないと期待に胸を膨らませていました。だけどなかなかそういう先生は現れませんでした。
 夏の全国大会はとても楽しみでした。私たちの話で持ちきりになるからです。私たちが主人公になれる唯一の機会でした。なぜ中島先生の話が好きだったかというとまるで私たちが何でもわかっていると言うかのように説明してくれたからです。私たちは何でもわかっているなどと言われることは絶対になかったので本当にうれしかったです。みんなもきっとそう叫びたかったと思いますしまさに私やK君は本当に叫び声を上げていました。すると必ず中島先生は必ず万歳というように返してくれていました。
 中島先生が今のこの姿を見たら何というかとても楽しみですがそれは永遠にかなわぬこととなってしまいました。人生の半ばを過ぎて始めて話すことができるようになって本当にうれしかったですが本当に中島先生には見せてあげたかったです。だれでも言葉があって何でもわかっていると言うことが証明されたのですから。誰よりも中島先生が喜んでくれたはずです。
 誰にでも言葉があるというならもう知恵遅れなどという言葉はごめんです。何度その言葉に傷ついてきたことでしょう。誰にでも言葉が備わっていて深い考えを持っていると言うことをわかったからには理想はその考えに従って福祉も教育も考えを改めなければみなりません。わずかな明かりですが確実に明かりはともり続けています。
 どうしてもなかなか信じられない人もいるかもしれませんがそんな人もしだいにいなくなるでしょう。残念ながらまだまだですが早くそういう時代が来ればいいなと思います。中島先生の思想を誰にもわかるようにはならなかったようにこの方法も簡単には伝わらないと思いますが何とかならないかと思います。たくさんの仲間が私のように話したがっているので早くそのことが伝わればいいと心から願っています。大事なことは私たちが人間として扱われることなのでよろしくお願いします。
 今日はたくさん書けてよかったです。私はまた自分の経験を語りたいと思いますのでよろしくお願いします。ありがとうございました。


2012年2月21日 21時52分 | 記事へ |
| 研究所 |
2011年08月14日(日)
東日本大震災に思う 7月24日 
 重複障害教育研究所で先月に引き続きIさんとMさんとの対話を聞かせていただくことができた。
 Iさんは、まず、冒頭に、先月私に申し出た発表のことから話を始めた。
I:「私の勇気を理解してもらえたでしょうか。茫然としたままでろうそくの明かりが消えてしまわないようにするために私は私の意見を伝えてもらいたいです。全国大会のことです。私は勇気を出しますのでよろしくお願いします。私の意見は発表してもらえますか。(…)茫然としていた人々のことは私も未だに気がかりです。理想があまり語られなくなって私も気にかかっていました。理想が語られないと本当に復興は物質的なものになってしまうので、精神の復興はむずかしくなると思います。なぜまた物質的な話になってしまうのでしょうか。私たちは物質的なことでは絶対に救われないのでまた精神的な話をしてもらいたいです。物質的な話より精神的な話でないと本当には人々は救われないと思います。地震の後はよく精神的な話がなされていましたが、全く話されなくなってしまったのでとても心配です。特に政治家は物質的なことばかりで誰も精神的なことを言いません。仕方ないかもしれませんがマンネリ化した議論ばかりで残念です。でも被災地の人の言葉は今でもとても心に響きます。特に存分に悲しみを乗り越えた人の言葉は精神的な深さを持っていました。」

 今回は、前回の議論を引き継ぎながら、さらに「物質的」、「精神的」という言葉で理想についての話が重ねられた。そこへ、Mさんがお見えになり、二人の対話へとつづいたのだが、なんとIさんはいきなり、Mさんに「文明観」について尋ねた。

I:「Mさんに聞きたいことがあります。Mさんの文明観について聞きたいです。Mさんは自然と私たちの関係についてどんなふうに考えていますか。私は自然とただ共存するというのは間違いとは言わないけれど満足はいきません。なぜなら私たちは自然のままでは生きていけないからです。自然とは闘わざるを得ないのが人間の宿命だと思いますから。」

M:「ランプの明かりをともすためにはやはり自然とは闘わなくてはいけませんね。待てよと思うためには自然との共存は必要なことですが、理想はやはりうまくどう自然を従えていくかということだと思います。私たちは自然のままでは生きられないですから自然と闘わないと生きられません。でも自然との共存もまた大切な考えだと思います。唯一の基準は人が望みを超えるほどの欲望を持っていないかどうかです。なかなかむずかしい問題ですがよくまた考えてみたいです。」

I:「夢のようです。ランプの明かりならもうともりましたね。こんな話題が二人でできるのですから。」

M:「私はとても不思議です。みんなきっと茫然と立ち尽くした経験から立ち上がってきたので通じ合えるのでしょうね。誰でもわかり合えるとは思わないけれど私たちはわかり合えそうです。この研究所に来ている人たちだったらきっと。」


 今回の大震災は、地震と津波という自然災害と原発の事故という人災との両面から自然と人間との関係が問われた。そのことをストレートに問いかけたものだが、ここでも障害が重要な論点となった。自然がもたらした障害をあるがままに受け入れたなら自分たちは生きていくことができず、自然とは闘わざるをえないという認識である。Mさんは、その議論にさらに「人が望みを超えるほどの欲望を持っていないかどうか」というのが基準だという認識を付け加えた。そばにいて通訳をしていた私は何の事前の申し合わせもないのに繰り出されてくる確かな言葉のやりとりに、二人がいかに深い思索の日常を送っているかを思わずにはいられなかった。
2011年8月14日 01時00分 | 記事へ |
| 研究所 / 東日本大震災 |
2011年08月13日(土)
東日本大震災に思う 6月26日 二人の女性の会話と詩
 6月の通所指導ではIさんとMさんの二人がパソコンで対話をすることができた。
I「地震の話をしたいです。万人にとって全く未経験の話でとても私は理想を失いそうになってしまいましたがようやく理想を取り戻すことができました。私の理想はどんなときでも人は希望を失わないということですが理想がなくなりそうでした。ランプの明かりが消えてしまいそうでした。ランプの明かりは私には見えませんが私にとっては希望の象徴のようなものです。私の理想は私などのように障害を持っている人間にとってはとても大切なものです。私たちは理想がない世界ではただの困った存在に過ぎません。私たちにとって理想があるところだけが私たちの存在を認めてくれる世界です。まさに中島先生がそういう世界を理想としていた先生でしたが場所だけではなくそこに宿る精神こそが大事です。唯一の場所というわけではありませんがとても精神の優れためったにない場所だと思います。中島先生の精神を受け継いだ知子先生を中心にした先生たちがまだまだよい精神を守ってくれているので私たちは安心していますが、中島先生の話をもっと多くの人たちに聞いてほしいのですが、もう元気な姿にも声にも接することができないのがとても残念です。中島先生の録音テープをまた今年も聞けるのがとても楽しみです。」
I「ところでMさんはどこにいるのですか。Mさんは地震についてどう思ったかもし文章があったら聞かせてください。ランプのあかりということばはみんな使うのですか。私だけではないということがわかってよかったです。みんなも地震のことがわかったら自分たちのことが理解できると思っているということも私と同じです。みんなも地震のことを考えているということがわかってよかったですがなぜみんなも茫然として茫然としたところから立ち上がれるのかがわかりました。人は希望さえあれば生きられるということがわかってよかったです。Mさんの考えは素晴らしかったです。ランプの明かりを一緒にともせたらいいですね。何だか私ばかりが話してしまいましたね。Mさんの意見も聞きたいです。」
M「疑問があります。茫然とした人たちは茫然としたところからもう脱したのでしょうか。私はそれが心配です。よそのどうでもいい話はよく聞こえてくるけれど、茫然とした人たちのことがあまり紹介されないのがなんだかとても気がかりです。みんな肉親を亡くしてもう生きていられないと思った人はどうなったでしょうか。どこかにいると思うのですか私はとても気になっています。Iさんはどう思いますか。教えてください。」
I「私は茫然とした人たちはどうしているか全然わかりませんが、理想がないとその人たちは生きていけないということだけは事実だと思います。私たちは何度も茫然としてきたのでもう慣れてしまいましたが、なかなかむずかしいことでしょうが私たちは勇気を出して訴えていかなくてはなりません。Mさんもきっと同じだと思いますが、私たちはまるで津波にあったのと同じような障害を持ってきたので茫然としていてもいつかは初めは立ち上がらないわけにはいかないのは変わらないでしょう。私たちの理想はどうしても世の中には伝わりにくいのでまなざしを高く持って世の中に向かっていかなくてはいけませんが、なるべくなら世の中の人に伝えてもらえたらうれしいです。先生にお願いがあります。私たちの言葉を中島先生のように研究会で伝えてください。去年の懇親会では私の言葉を伝えていただいてうれしかったですが本当に信じてくれた人は少ししかいなかったようでしたから今年こそは伝えてほしいです。中島先生にも私たちの感謝の言葉を伝えたかったです。どうしてなかなか受け入れられないのか私にはわかりませんが茫然としているばかりではなく力強く立ち上がらなくてはいけません。そばにいる先生たちにも伝えたいです。よろしくお願いします。」
M「ぜひ私たちの言葉を伝えましょう。どんなに小さな存在でも私たちには理想があるということを伝えてほしいです。私たちの希望は誰でも理解できるようなものではありませんが、みんなにもわかってもらいたいです。理想さえあれば私たちは生きていけますがなかなかそのことがわかってもらえないので勇気を出して頑張りたいと思います。」


 大震災を通して理想が重要であるということが再確認され、そこから改めて自分たちのことを振り返ると、「理想がない世界ではただの困った存在」「理想があるところだけが私たちの存在を認めてくれる世界」ということが改めて再認識されている。そして、重複障害教育研究所という場所がその理想を宿した場所であるということに話が及んだ。
 そしてMさんはそれを受け、「茫然とした人たちは茫然としたところからもう脱したのでしょうか」と問いかける。これは、震災から日が経つにつれ、「どうでもいい話はよく聞こえてくるけれど」本当に心が傷ついた人たちに大切な話が聞こえなくなってしまったことを危ぶんだものだ。それに対するIさんの答えは、だからこそ理想が語られなければならないという強い主張を帯びている。そして、二人の気持ちはそこから自分たちの声を届けたいというふうに発展していく。もちろん、それが容易ではないことは十分承知した上でのことだが、二人はその役目を私に果たすよう申し入れてきた。(なお、その宿題は8月7日の「重複障害教育研究会第39回全国大会」で不十分ながら果たさせていただいた。)

 そこから二人の会話は、詩の話へと移っていった。

M「模様という詩を作りました。聞いてください

模様はいろいろ心を彩り
私たちに生きる希望を与えてくれる
手にとって眺めることはとても大変だけど
みんな心に模様をつけて
ゆえなき誹謗から自分を守り
ゆえなき苦悩から解き放たれる
しかし心に模様を持って
ランプの明かりを灯していこう
模様は心に希望を与え
茫然とした心から人を立ち上がらせる
未来から尊い冒険を私たちにもたらす
模様をなるべく美しく
理想を高く掲げていこう
私たちの心には
いつも誉れ高い模様が輝き
私たちを冒険へと誘う

I:Mさんはいつも詩を作っているのですか。私の詩も聞いてください。

鳥の声に私は理想の声を聞く
鳥の声は遠い昔の思い出をやさしく運び
私を懐かしい夢へといざなう
懐かしい思い出はいつもかあさんと紡いできたもの
よい仲間たちの笑い声がいつも聞こえる
ばらばらになった友だちはみんな元気でいるだろうか
みんなどこかできっと同じ鳥の声に同じ理想の声を聞き
懐かしい思い出を抱きしめながら
明日の理想を夢みていることだろう
ばらばらになっても私たちの心はともに一つの誓いを持って
同じ明日に向かって光を感じながら生きているだろう
なぜ光は私たちを照らしてくれるのか
そのわけはわからないけれど
まだ見ぬ希望がある限り
私は鳥の声に導かれながら旅を続ける。

鳥の声に誘われてという題にします。」

M「ばらばらになった友だちのことが私もとても懐かしいですがその中には亡くなった友達もいてちょっと悲しくなりました。理想は友だちがいつまでも元気で居続けてもらうことです。ばらばらになった友だちのことをいつか私も詩にしたいです。涙が出てきました。みんなのことを考えていると。人間として認められる日がやっと来たのにまにあわなかった友がかわいそうです。唯一の友の名前はどこでなくしてしまったのか思い出せませんが私たちの友だちは私たちにとってかけがえのない存在なのですが私はもう名前さえ忘れてしまいました。勇気を出して私もまた明日に向かって歩き続けたいです。○○家にはいつも笑いが絶えないけれどどこかいつも悲しみが漂っているのはせっかく生まれた私に障害があったからです。それはふだんは誰も語りませんが場合によってそれがふき出してきます。茫然としてはいませんがどこか○○家は悲しいです。」
I「地震はまだまだ人々を涙の中から解き放ってくれないけれど必ず人々は立ち上がれるはずです。それは私たちがすでに証明してきたことですから。」
M「私たちの声を必ず届けてくださいね。よろしくお願いします。」

 最後に再び地震の話に戻り、二人は、自分たちの声をしっかりと届けてほしいと念を押して密度の濃い会話を終えた。
2011年8月13日 09時23分 | 記事へ |
| 研究所 / 東日本大震災 |
2011年08月12日(金)
東日本大震災に思う 7月10日
 7月、☆☆さんは震災後の政治の現状を嘆くところから話を始めた。 

 いい気持ちだったのにまたばかばかしい政治家の話で残念です。行き過ぎた政治家の言葉はよくないけれどなぜなのかわからないけれど名ほどある人がではどうしようもありません。満足のいく人はいないのかもしれないけれど何とかならないのかと思ってしまいます。

 もちろん彼女の嘆きは、テレビに登場するコメンテーターのそれとはまったく異なるものだ。彼女が嘆くのは、理想が語られなくなってしまったことだ。
 
 私たちにとってランプの明かりを灯してくれそうな人は被災地の人たちです。凡庸な人たちは何とか立ち上がろうとしているけれどなかなかわからないのは唯一の希望は私たちのような存在にとっては理想がないと何ともならないのにさっぱりわからないのは理想を語る人がいないことです。もっと高い理想がないと私たちまで生きる希望を失ってしまいそうです。ランプの灯りが消えてしまわないように私たちをもっともっと世の中で発言させてもらえたらと思ったりしています。なかなかむずかしいとは思いますが私たちにしかわからないことがあると思うので私たちにも今回だけは言わせてもらいたいです。私たちにとってわずかな希望は理想さえあれば人間は生きていけるということです。まだまだ復興には時間がかかるのかもしれないけれど私たちのようにずっと黙々と生きるしかなかった人間にとってはよい地域の絆や人々の理想こそが大切だということがよくわかっているので理想こそが今必要だということは自明の理です。悩みは尽きないかもしれないけれど理想さえあればろうそくに明かりはともるはずです。わかってほしいです。 

 大震災の後の思索の積み重ねから、理想がないところでは生きてゆくことがかなわないという自分たちの立っている場所をしっかりと見据えた上で、わずかな希望があれば人は生きてゆけるという思いと、地域の人々の理想こそが大切だという考えを、できれば声高に語りたいけれども、それがとうていかないそうにないはがゆさ。そういうものがあふれた彼女の言葉だった。
2011年8月12日 11時58分 | 記事へ |
| 研究所 / 東日本大震災 |
2011年07月11日(月)
東日本大震災に思う 5月15日
 重複障害教育研究所でお二人の方の気持ちをパソコンで聞いた。4月10日(ブログ掲載の日付は4月15日)に引き続いての言葉となる。
 最初は、20代後半の☆☆さん。文中に登場するお父さんは、お仕事の人間関係のつながりから、被災地のボランティアにも出かけてきたとのことだった。

 ずっと考えているのは地震のことです。泣き虫のお父さんは毎日泣いています。もう少しで私も生きる希望をなくしてしまいそうでしたがろうそくの灯りがともったのは全国から支援が届いて被災地の人達も何とか望みをつなぐことができているからです。人間としてどうしても許せないのはそんなときでもよくないことをする人がいることです。誰かは知らないけれど留守の家に盗みに入るようなどうしようもない人がいるのは許せません。小さい私たちの存在ですが理想はとても高いので空高く昇ってゆけるように頑張りたいです。もう少しで被災地も落ち着くと思うので私たちもそろそろ涙を拭かなければなりません。みんなもどうにかしてもう一度希望を取り戻そうとしていると思うので私もまた元気に未来を願うのを日常にしたいです。わずかな希望でもあれば人は立ち上がることができると思うので何とかなるというそういう気持を取り戻したいです。夢を取り戻そうという気持ちがまた湧いてきてよかったです。私たちの友だちはみんな無事でしたが本当に被災地の障害者のことが心配です。人間の問題が突きつけられたので私も毎日そればかり考えてしまいます。問題をどうにかして乗り越えたいと思います。

 次は、20代の男性○○さんの言葉だ。
 
 少しの時間ですが聞いてもらいたいことがあります。なぜこんなに津波で人が亡くなってしまったの。不思議で不思議で仕方ありません。みんなのことがかわいそうで、僕はいつも泣いています。でももう少しのしんぼうですね。もう少しで被災地の希望を取り戻せそうです。でも私の家や私の子どもを返してという人たちの声は消えませんがいつかそういう人たちも希望を取り戻せると思いますからいつかそういう日が来ることを信じています。こんなに悲しいことがたくさんあったので私たちのように苦しみを経験してきた者はいつかこの経験を生かしてみんなの役に立てればと思いますが、まだまだ僕たちのことは理解されないので残念ですがもう少しのしんぼうですね。

 自分たちの苦しみの経験を役立てたいとの強い思いが胸をうつ。私はこの声を届けることさえできていない。無力感に感じずにはいられない。

2011年7月11日 08時46分 | 記事へ |
| 研究所 / 東日本大震災 |
2011年04月15日(金)
大震災をめぐって 重複障害教育研究所において
 明日で大地震と大津波から一月になるという日、重複障害教育研究所に通ってきた3人の方と、東日本大震災について話をした。
 最初は、20代後半の女性○○さん。彼女のお父さんは福島県の事故を起こした原子力発電所のすぐそばの町の出身で、生家は津波の被害はまぬがれたものの、駅を含めた町並みがそっくり津波でなくなったとのこと。お父さんの弟さんは何とか無事だったというが、全町あげての避難指示区域にはっているため、現在は避難所暮らしをしているらしい。

 ところで地震の話を聞いてください。みんな悪いことなど何もしていないのになぜ亡くならなくてはいけなかったのでしょうか。小さいときからお父さんに連れられていった町がなくなったことがとても悲しいですが何とか亡くならずにおじさんが元気な声を聞かせてくれたのがせめてもの救いでした。なかなか避難先から戻れない便利さの失われた生活をしているので大変ですが満足のいく生活を過ごせるようになることが願いです。ごやっかいになっていることにとても悪いと思っているようなのでとても心配です。早く家に帰ることができたらと思いますが原発はなかなか放射能がなくならないみたいなので迷惑だと思いますがとても澱んだ空気を体に浴びると大変なので日本中が心配していますが。誰を責めるわけにも行かないので仕方ありません。銀色のドームが爆発するのが怖いですがなるべくそういうことが起こらないことが願いです。日本中の人がどうなるかを見守っていますから都合よく解決してほしいです。
 亡くなった人の中にまだ小さい子どももいたのがつらかったです。なぜ小さい子どもまで犠牲にならなくてはならないのかとても理解できませんがどうにかしてそういう子どもの魂がわずかであっても救われたらと思います。人間はちっぽけな存在だということを思い知らされた出来事でしたがつくづく世の中ははかないとおもいました。わずかな希望は私たちのような障害のある人間だけは苦しみの意味を知っているのでその経験が何かの支えになればと思います。何とかして私たちの思いを伝えたいですがむずかしいでしょうか。
 理想は私たちの声を被災地に届けることですが寝ずに考えてもいい方法は浮かびませんでした。小さい声ですが私たちの声も届けられたらと思いますが何とかなりませんか。日本のろうそくになれたらなどと大きなことも考えました。わずかなあかりでも何かの役に立てたらと思いました。私の言いたかったことは以上です。


 この後、○○さんより3歳くらい年下の女性、◇◇さんに交代するが、その合間に二人の会話を援助した。手を振る方法による援助だったため、記録もないが、地震の話も含めて、いろいろな話に花が咲いた。そして、◇◇さんの番になる。

 地震について話します。ランプの明かりが消えそうな思い出生きていました。なぜこんなに悲しいことが起こるのか本当に不思議でしたが魔法のようにすべてがなかったらいいなと何度も思いました。 唯一の救いは私たちにも希望があるように被災地の人たちにも希望があるということです。みんな何もかもなくしてもまだ希望があるということが救いです。未来を切り開きたいので私たちはもっと大きな声で本当のことが言いたいです。私たちのような存在でも未来があるようにどんな状況にあっても人は希望を失わないということです。びっくりしました○○○いさんも同じように地震のことを考えていたということに。みんな同じ気持ちなのですね。疑問は解決しないけれどよい会話ができて気持ちを整理することができました。
 

 3人目は、20代前半の男性▽▽さんである。彼は、現在施設に入所しているが、地震以降、気持ちの高ぶりのために出てしまった大きな声でのどがかれてしまったらしい。
 
 ぼくは地震が起こってからずっと地震と津波のことばかり考えていました。でも、あんなにたくさんの人々が亡くならなくてはいけなかったのかがよくわかりませんが、何か大きな意味あると思うのですが、そういうことを言うと被災地の人に悪いのでもう少しそういう言い方は避けようと思いますが、なかなかそういう気持ちがなくならないので、いつも悩んでいます。何か大きな意味があるなら、乗り越えられると思うのですが何も意味がないならどうしようもなく空しいだけだと思うのです。でも何か大きな意味があるのなら、それがわかれば乗り越えられると思うのですが、なかなかその意味がわからなくて困っています。でもこうして話せて少し落ち着きました。
◇◇さんも同じように地震と津波の話をしたのですか。どういう話ですか。(◇◇さんの文章を伝える。)
 ぼくもそういうことも考えました。ぼくの言いたいことは、ぼくたちはずっと苦しんできたのでよく被災地の人たちの苦しみがわかりますが、そんなにわかるわけでもないので、それは言いませんでしたが、同じように考えていました。でもそれはまだ言葉に出せないよう思っています。まだ、みんな悲しみの中にいるのでそういうことは言えません。でもみんな同じように地震や津波のことを考えていたとは思いませんでした。まさか同じように考えている人がいるとは思いませんでした。ぼくたちは理不尽な障害を持って生まれてきたのでその理不尽なところが共通です。


 今、こういうことを言うのは被災地の方には悪いという彼の気持ちにしたがえば削除すべき部分もあるかもしれないが、きちんと書かれた思いなので、決して誤解を生むこともないと思ったので、そのまま掲載した。
2011年4月15日 23時10分 | 記事へ |
| 研究所 / 東日本大震災 |
2011年02月01日(火)
りんどうの詩
 20代の女性○○さんが綴ったりんどうの詩。

きびしい寒さを超えてきたすてきなりんどうの花
みんなに守られながら咲く部屋の栽培された花とは違い
人間にもほっとかれたまま
みんなひっそりと空を見つめて
きらきらしたまなざしは光の束となって夢に降り注ぐ
人は皆ようなしというけれど
人間にはわからない
なぜりんどうにもずっと悩みがあることを
それはいつか小さな冒険をして
夢の中で見た緑の森に旅をすること
なぜなら緑の森には不思議なりんどうの道があり
そこには人間になれる不思議な水が湧き出している
いつかりんどうはその水を飲みにんげんとして生きていきたい


 そして、いろいろな話を聞かせてもらった後、聞いてもらいたいことがあると言って、次の詩のような言葉を述べた。

じっと耳を澄ませているとずいぶん昔
楽しくみんなで語り合っていたことを思い出します
小さいころからつまらなかったことは
ろんろんした気持ちになれたのは一人で冒険をしたときのことです
どよめきを見ながら
もくもくと望みだけを頼りに
ドーベルマンは風に向かって駆けだした
ほんとうの冒険はどうやったら始まるのだろうか
小さなばーんというなまりのこだまして
小さく砲弾はどこかに砲弾の穴を開けてしまった
どのくらい呼ばれていたのかはわからなかったが
私は不意に我に返り
何も望み通りには行かなかったけれど
人間としてごらんなさいというメッセージだけを
知らない人に向けて発したいと思った
 


 おそらく即興的に作ったものなのだろう、いつものようには完成されていなかったが、思いはびんびんと響いてくる言葉だった。
2011年2月1日 01時19分 | 記事へ |
| 研究所 |
2010年12月13日(月)
詩、そして体のこと施設のこと
 ○○君はすぐに詩を書いた。

体が空に浮き上がり
僕はりんどうの花になる
夢にまで見た忘れられない自由の
逃れられない定めの未来
目的はまだ見つからない理想の彼方
わかってもらえた喜びは
許されない私たちの未知の世界
みんなを遠い世界に誘って
瑠璃色の光の願いで夢を紡ぐ
言葉をもっとよいものに置きかえて
ランプを灯す
ずっとよい願いを持ち続けて
どこの世界でもいいから旅立とう
冒険を続けて夢を育てよう


 話をすることができた喜びが、必ずしもストレートに未来につながらないもどかしさも背景に透けて見えるそんな詩だ。
 ここで私の読み違いはないかと尋ねてみる。

 はい なぜ何度もそれを聞くのですか。
 
 読み違いの問題が少し気になっているからだと答える。

 そうですか。間違えたらすぐにわかるので驚いています。それはあるかもしれませんがぼくはだいじょうぶです。

 一文字ないし二文字間違えることもあるがそれはすぐにわかるので消しているがそのことを表現したものだ。

 ところで私たちのわかり方をもっとみんなに伝えたいです。内容は僕は体がうまく使えないということです。どうしても勝手に体が動いてしまうということです。みんなはそういうことはないのですか。

 ここで多くの仲間が同様のことで苦しんでいることを伝えた。

 みんなもそうだとは感じていましたがそうだったのですね。そうですね。みんな勝手に体が動いているのですね。

 思い通りに動けていることはどんなことなのかを尋ねてみると次のような答えと、それを巡る思いが書かれた。

 まったくうまく動きません。なかなかうまくいかなくて困っていました。回るものを見るとわからなくなってしまいます。それでよく誤解されますがみんな一生懸命につきあってくれるので勇気づけられますが本当は手が勝手に出てしまうので困っています。ギターに手が出るのも同じですがギターはいい音が出るので困りません。なかなか思い通りに体が使えないで困っています。理想は自分の意思で体を動かすことですが、僕たちも長い間それを克服できなかったのでもうむずかしいかもしれませんが、こうして話せるようになって、話せるなら体もコントロールできるような気がしてきました。自分のことは自分が一番わかっているので悩んでいます。ごろごろばかりしていて申し訳ないけれど僕も一生懸命なのでよろしくお願いします。

 回るものが好きだから私たちは彼にくり消し様々な回るものを見せてあげた。それが、こういう意味を持っていたということに気づかされ、愕然とする。だが、それもまた彼は許容していたのだ。
 ここで話題が春に入所した施設のことに移る。

 施設でかあさんととうさんのありがたさを実感していますが そろそろ僕も自立できなくてはならない歳なのでちょうどよい機会でした。でもちょくちょく家に帰りたいですので。よくわかってもらえてうれしいです。びっくりしています、慣れないところでもちゃんと僕も生きていけることがわかったから。職員はいい人が多いですが、数が少なくて困ります。

 そして最後のしめくくりの言葉へ。

 自分たちの未来を切り開きたいので来年もよろしくお願いします。自分たちの未来はなかなか開こうとしても開けないのでよろしくお願いします

 彼らの言葉の世界が、切り開かれても、それはまだ夜明けの知らせを告げるものでしかなく、夜はまだ明けない。来年こそはという思いと、もっともっと長い闘いになりそうだという思いとが交錯した。
2010年12月13日 12時14分 | 記事へ |
| 研究所 |
2010年10月24日(日)
中島先生は僕たちの最大の理解者でした
 幼いころから研究所に通ってきたKさんと数ヶ月ぶりにゆっくりと話をした。家から遠くないところの施設に入所するということがあって、しばらく忙しかったからだ。

 地域で生きていきたかったけど施設に入ってしまいましたがまあまあです。みんないい人なので勇気づけられます。
 人間として自分の気持ちを言いたいのでぼくもわかってもらいたいです。小さいときから僕もわかっていたので勇気づけられます。
人間だから気持ちがあります私たちのことをもっと理解してもらいたいです。私たちのことがなかなか理解してもらいたいです。
 形の勉強は難しいですがなかなか先生の言うことに手が着いていかないからです。手がついていかないだけでほかのことはよくわかっています。理解していただいてありがとうございます。
 私たちは手がコントロールできないので困っています。手をとってもらえると簡単にコントロールできます。不思議でしょうが全然変わります。小さいときから困っていました。わかってもらえてうれしいです。

 なぜ背中でもわかるのですか。不思議ですが僕の言葉なので信じないわけには生きません。そうですね。ここだと思うと読み取られるので不思議ですがいい気持ちです。何も力を入れていないのにマジックみたいです。(この日は、背中にスイッチを押しつけたり離したりする方法の方がお互いに楽なので、その方法で行ったのだが、そのことについてのコメントである。)

 詩を聞いてください。

悔しさに負けないでいこう
なぜならぼくにはあしたがあるから
夏の遠い白い雲の思い出がぼくを支えてくれるから
自分でレッドの夕焼けに理想の未来を夢見ながら
涙をふいて人間としての心を大切に
平和な世界を平和の鳩とともに夢見ながら
小さいころの願いを誇りにして
悶々とした気持ちは過去に置き
未来とあしたを大切に
よいどんな私たちの誇りをなくすことのないように
忘れてはいけない私たちもまた人間であることを
人生に負けないように私たちらしさを大事に歩いて行こう

私たちを望み通りに冒険できるようにしていこう


(つばをはいてしまうことについて)すみません、つばをはいて。わかってくれない先生にもたれたときに始まったものです。みんなつらかったと思います。その時に始まりました。ランプの光が消えそうでした。小さいころから言われてとてもつらかったです。小さいころは何でも投げると言われていました。学校の話です。別に研究所のことではありません。

 そして、ここで研究所を作られた中島昭美先生の話になっていった。先生が亡くなられて来年の2月で10年になる。Kさんは、亡くなられる直前、通所しているお子さんとしては、最後に先生に会った方だ。

 中島先生は僕たちの最大の理解者でした。全国大会の先生の話はそうだそうだと思って聞いていましたからよく覚えています。理解してもらえてうれしかったです。はい覚えています。どうして忘れられるでしょうか。先生の最後の姿ですから忘れられません。小さいときから先生にはとてもかわいがってもらいましたから。僕なんかが本当に人間として認めてもらえたのは中島先生がいたからです。人間として認めてもらえたので僕たちは勇気が出ました。みんなも同じでしょう。Nさんはいつも全国大会で先生の話が盛り上がると声を出していました。そんなこともいい思い出です。理解してもらえてとてもうれしかったのでずっとこれからも忘れることはありません。中島先生とともに歩んできた先生たちにどうか僕たちの言葉を信じてもらいたいです。もう理解してもらえましたか。瑠璃色の風を吹かせてください。理想的な方法ですからのどから手が出るほどほしい人がいるはずですからもっと広めてください。がんばりたいです。
 歌は僕たちの心の声ですから僕たちはみんな歌を作っていますがまさか聞いてもらえるとは思いませんでした。ほんとうにうれしかったです。ばらの花が咲き乱れている森の中を歩いているようでした。不思議です。まさか歌まで読み取れるとは思いませんでした。夢のようでした。


 私は、重複障害教育研究会の全国大会に参加していたKさんやNさんが、確かに先生の講演に集中していたことをよく覚えている。先日もNさんにとそんな話になり、あらためて驚かされたところだった。
 もう40歳を過ぎたNさんはその時、言葉を越えるものがあると言っていた。
 本当に相手を人間として大切にするということの意味をあらためて考えさせられた一日となった。
2010年10月24日 02時07分 | 記事へ |
| 研究所 |
2010年10月13日(水)
詩「すね」
 20代の女性☆☆さんは、とてもおもしろい詩を考えてきた。それは、すねという題だった。なかなかふだん私たちは気にもとめない詩を☆☆さんがどんなふうにとらえたか…。


  すね

すばらしいわたしのすねよ
すらりとのびたわたしのすねよ
わたしはあるくことができないから
ぼんようなりそうしかできないけれど
みんなとはちがって
ほんとうのすねのいみをしっている
ちいさいころからほんとうにすねは
わたしをささえてくれた
りそうのろうそくをともしながら
わたしはすねをたいせつにいきてきた
からだのなかではだれもちゅうもくすることもなく
わすれられたそんざいだけど
ならくのそこにおちないように
いつもわたしをでられないわなからすくいだしてくれた
わたしをりそうにむけて
いつもたちなおらせてくれた
べつによいみんなとちがっているわけではないけれど
よいみらいにむけてわたしをふるいたたせてほしい
またよるのさびしさがわたしをおそうとき
ぼうけんのゆめをきかせてほしい
ろうそくのあかりをわたしはのぞみ
ろうそくのあかりをわたしは
むかしのわたしのわたしらしさにさがす
りそうのぜんたいをたのむのではなく
りそうのいちぶとしたので
かえってわたしをそらいっぱいにたびだたせることができる
にんげんとしてこのせかいにうまれ
にんげんとしていきてきたけれど
それをしっていたのはすねのみだった
ぼくのゆめわたしのゆめはすねのゆめ
にんげんとしてほんとうのねがいをかなえるために
わかってほしいすねのきもちを
すねこそさいこうのりかいしゃだ

 心にしみわたる、すねの詩だった。
2010年10月13日 00時06分 | 記事へ |
| 研究所 |
2010年05月16日(日)
母に捧げる言葉と夕焼けの詩
 母の日に20代の女性○○さんはこんな言葉を母に捧げた。

 ありがとうおかあさん。鏡の前でかあさんが咳こんで苦しそうにしていたので、心配していました。小さいことでも気になります。人間だから気持ちが言いたいですが、かあさんに無理してもらうのは気が引けますから家では(言葉を読み取る練習は)もういいです。頑張らないでください。かあさんに申しわけありません。あんなに無理しているのを見るのはつらいです。家出はふだんのままでいいです。自分の気持ちの言葉はどんなふうにしても伝えられません。悲しいですがわかってもらえるだけでいいです。わかってくれさえすればいいです。
 夏を待ち望んでいます。夢は夏らしい夢をかなえることです。海水浴に行きたいです。小さい頃によく行きました。小さい頃、夕方によくやわらかな夕焼けがろうそくのあかりのように見えましたが、なかなか見えません、最近は夕焼けが。じっとかあさんの胸にだかれてよく散歩をしたものです。夕焼けがとても好きでした。苦しいことや悲しいことも夕焼けを見ると希望に変わりましたから。人間として満足に希望をかなえることもできなかったけど、希望だけは失いたくないと思いながら今日まで生きてきて、人間らしい未来をつかみたいとよく願ってきましたが、なかなかむずかしかったです。なんで私だけこんなに苦労するのかと思ったことも少なくありませんが、泣かないでこれたのは、いつもやさしいかあさんととうさんがいてくれたからです。泣かないでこれたのはかあさんが鏡に向かっていつもお祈りをしてくれたからです。かあさんはいつもいい大好きなかあさんです。(鏡に向かって祈るとは)鏡に向かうとよくひとりごとを言っていることです。私のことをよく話してくれます。
 敏感ないいかあさんなので、いつまでも長生きしてください。小さい夢ですがかあさんに指輪を買ってあげたいです。ルビーの指輪がいいと思います。(お母さんは、病気の関係で指輪はできないと伝えると)悲しいです、夢でしたから。何かほかの飾りでいいから買ってあげたいです。自分では買いにいけないのでかわりに買ってください。私の貯金で。年金があれば使ってください、たまには。みんなもきっと同じだと思います。分相応のものでいいから買ってください。かあさんに買ってあげたいとずっと願ってきました。人間だから何かいい方法で感謝をしたいです。いい方法はないでしょうか。書いただけではなかなか伝わりません。自分の気持ちをかたちにしたいです。かあさんに伝えたいです。よいかあさんだから。


 そして、

夕焼けの悲しい色のような歌を聞いてください。

と書いてから、夕焼けの詩を綴った。○○さんは未熟児網膜症なの絵、ずっと私たちは見えていないと思っていたのだが、わずかに残された視力で彼女は、夕焼けをしっかりとらえていたのだ。

悲しい夕焼け小さい胸に
ろうそくのあかりをともして消えた
光のむこうの暗闇を私は澄んだ瞳で見つめ
悲しい物語をそこに見る
人生の片隅のひそやかな願い
ろうそくの光をともしておくれ
光はいつも泣いている私に希望を与えて
私をあしたの見たい世界に連れていく
美から目ざめた願いの未来
ろうそくのあかりを空にまた
体中まで赤くして私らしく生かしてほしい
ランプのような夕焼けは
晩の暗闇を泣かないようにしてくれる
人世の片隅で
願いを未来につなぎながら
小さい夢を
未来にいつか冒険のように
よく実らせよう


   
2010年5月16日 21時44分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 研究所 |
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2010年03月29日(月)
少女たちの語らい 同い歳の二人の少女の出会い
 この春、小学校を卒業して中学生になる二人の女の子が出会った。一人は、特別支援学校に通い、一人は、すでに亡くなった障害のある伯母を持つ女の子。たまたま、亡くなった伯母さんは、同じ学校の大先輩だった。特別支援学校に通う☆☆☆さんは、同じとしの女の子に会って、とてもうれしそうだった。そこで、今日は、二人に心ゆくまで会話してもらおうと、ひたすら通訳に徹した。そして、こんなすてきなやりとりが生まれた。


うれしいです。おなじ小学生と話ができて。聞いてみたい。損得の問題ではないけど養護学校ではなかなか勉強をしてもらえずさびしいです。
(柴田:「文体、ですますでなくていいですよ。」)
聞いてほしいことがあるの。小さい時から私はよくわかっていないと思われてきて何も話しかけてもらえず損ばかりしてきたの。願いは本を自分で書くことよ。でも私はどうしたらいいかわからず、よく夢で自分で本を書いているわ。文章を書けるようになりたいの。願いをなんとかしてかなえたいの。絶対あきらめないわ。応援してね。
(え○こ:応援するよ。)
ありがとう。がんばるからそこのところよろしくね。勉強は好きですか。
(え○こ:好きです。)
こんど願いがかなったらなにか私のことを遠いけど手紙で伝えたいわ。住所を教えてもらえますか。そばなら何回でも会えるけど離れているのでそんなに会えないから手紙にするわ。小さい頃から手紙を誰かに書きたかったからうれしいです。帽子は好きですか。どんな帽子がすき?
(え○こ:野球帽が好き。)
私は花のついた帽子が好き。ぶかぶかでかっこわるいけどよく似合うと言われます。私は夢をよく見ますがえ○こさんの夢は何?
(え○こ:医者になることです。)
すごいね。いいお医者になって私たちみたいな子にもそこそこに理解できることを伝えてほしいわ。感動できるお医者さんになってね。願いは隣人愛にあふれるお医者さんがたくさん増えることです。人生について悩むことはありますか。
(え○こ:ありません。)
いいね。私はいつも悩んでいるの。小さいときからわかってもらえず無視ばかりされてきて損ばかりしてきたから。ほんとうに悲しかったけどこうして同じ歳の子と話せるなんて夢のようだわ。小さいときからの夢だったから今までいちども話かけたことがなかったのでうれしい。空に舞い上がるような気持ちよ。つらいことが多いけどこうして話していると忘れられるわ。小さいときからうらやましかった、みんなのことが。やっと話せて夢がかなったわ。小さいときからずっと話せなかったので勉強も教えてもらえずいつもよいほんとうの勉強ができるように祈っているの。なかなかむずかしいことを教えてもらえないわ。
何か聞きたいことはないですか。
(え○こ:学校ではどんなことが楽しかった?)
何もなかったわるいつもつまらないけど楽しいふりばかりしているの。
(ここで、かなえさんの作った歌をパソコンで流す。)
不思議な気持ちです。なぜわかってもらえたのか。無理かと思ってたわ。まさか私の作った歌を聞きとってもらえるとは思わなかったから。
え○こさんは歌は好きですか。どんな歌が好きですか。
(え○こ:平原綾香と絢香、いきものがかりが好きです。)
私はいきものがかりの歌が好きです。「私らしく」という歌が好き。
(え○こ:うちのCDには入っていなかったな。)
(柴田:そういう歌があるの。)
はい あります。ほんとうにいい歌です。
冒険の歌たがいいわ。悩みがふきとんでいくから。夢みたい。望みだったから。未来の生活がこんなふうになればいいな。夢だけどいつかかなえられたらうれしいわ。希望がわいてくるわ。おともだちになってね。夢みたい。のどから手が出るほどともだちがほしかったから。私のこと気にかけてくれてありがとう。きっといいお医者になれそうね。
自分の将来の夢は「れおろろらん」というお店を出すことなの。いい名前でしょ。私しか知らない言葉よ。月の国のよい夢を売るお店です。別にもうからなくてもいいの、みんなに喜んでもらえれば。
自分のことばかり言ってごめんね。え○こさんの残りのろうそくのような夢はありますか。
(柴田:残りのろうそくのような夢ってどういう夢のことかな。ちょっとむずかしいけど。)
そうかしら。かないそうでかなわない夢のことよ。
(え○こ;飛行機に乗ってヨーロッパに行ってみたいな。)
そうなの? もうすぐきっとかなうよ、その夢は。ほかにないかな。
(え○こ:リレーの選手になりたかった。)
なるほどね。よくわかるわ。私はリレーというものをよく知らないけど、かないそうでかなわない夢ね。
人間として認められることが私のかないそうでかなわない夢です。なかなか認めてもらえず悲しいわ。理解してくれてありがとう。かなえのことを忘れないでね。未来の私はもっと輝いていたいな。あとどれくらいしたら夢がかなうかな。夜になるとそんなことばかり考えて眠れなくなるわ。絶対にそんな時代がくると信じているけどなかなかうまくいかないの。小さいころからそんなことばかり考えてきて私は少しよくない子かもしれない。もっと素直に生きたかったわ。小さいころからの夢がかなってとてもうれしいけど、なんか私ばかり話してしまってごめんなさい。
え○こさんのおとうさんはやさしいの。
(え○こ:やさしくて、おもしろい。)
いいね、私にはとうさんがいないからさびしいわ。
雪のはなしを聞いても(らっても)いいかしら。
ほんとうのさびしさを知っている人には雪はやさしいの。外で雪を見ているともっとさびしい人がいることを知らされます。北のほうのさびしい世界に住んでいる人たちの悲しみが雪にはこもっていて、みんなには気づかれないけどさびしい気持ちで生ている人にはそれがわかるの。北の国の悲しみを運ぶ北風ぜもおんなじよ。だから私は北風が好き。瑠璃色の空に吹く北風はとくに好きよ。悩みが美しい空にに吸いこまれていくの。だから私は北風が好きなの。わかってもらえたかしら。
(え○こ:わかった。)
私の気持ちをわかってもらえてうれしいです。
(柴田、瑠璃=ラピスラズリの石の携帯ストラップを見せる。)
理想の色です。そうです瑠璃色。
(柴田、横にいるえ○こさんのいとこの赤ちゃんに語りかける。)
私はあかちゃんのときのことを覚えているわ。最初に覚えた言葉は、ゆんゆんだった。「れおららろろん」も小さいときに考えたの。すてきという意味よ。たぶん私たちは話すことができないから忘れないんだと思うわ。でも覚えていてもしかたないけど。
(柴田:え○こさんは、雪がふるとうれしい?)
(え○こ:はい、うれしいです。)
私もうれしいと思うけどなかなか外に出られないから残念だわ。
理想の家族ですね、うらやましいわ。私もいいおかあさんとかわいい弟がいていい家族だわ。全国には悲しいできごとがたくさんあって家族がばらばらな人たちがいるのが悲しいね。小さいころから途方にくれる子どもはかわいそうね。
指をくわえていつもうらやましがっているのは悲しいから私も私らしく生きていきたいな。未来に夢をつなぎたいわ。
え○こさんまた会えたらうれしいわ。ばかばかしい話につきあってくれてありがとう。
(え○こ:ありがとう)
ありがとう。え○こさんも夢に向かってがんばってね。
2010年3月29日 01時21分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年10月09日(金)
短い人生かもしれないけど精一杯生きていきたい
 父の通夜に来てくれた20代後半の☆☆さんと会った。通夜からちょうど一週間後のことだ。彼女は、父の死を通じて人間の人生について、懸命に考えてきたようだった。

 生き方に従った方だったのですね、先生のおとうさんは。人生を一生懸命生きたということですね。きっとしあわせだったのですね。聞くことができてよかったです。気持ちを言えてうれしかったです。きっと昔から多くの人が人生をそうやって過ごして生きてきたのですね。望みは私もそんなふうに生きていきたいと思います。さんきょうという言葉を聞いたことがありますが、人間は分相応に生きてゆいつの理想が極楽浄土に行くことだと聞いたことがあります。

 「さんきょう」とは三界のことだろうか。通夜の日に誰よりも読経に耳を傾けていた彼女のことだから、どこかでそんな話を聞いたのを覚えていたのだろう。

 いい理想の世界を見てみたいです。人間のいい理想の生き方がしたいです。人間の希望はランプの光をともしたいと思います。小さい願いだけど小さくても理想をかかげて望みを大事に生きていきたいと思います。夢をかなえたいと思います。わかってほしいです、私の気持ちを。夢でした、私の気持ちを言うことが。だからうれしいです。小さいときは私はわかっていると思われなかったのでとてもさびしかったです。なかなかきびしい日々でした。やっとわかっていることが先生のおかげでわかってもらえたので気持ちが楽になりました。短い人生かもしれないけど精一杯生きていきたいです。(短い人生とは、あなたの人生ですか、それとも一般的に人間の人生という意味ですか。)人間の人生です。

 彼女の言っていることは実に的を得ているが、やはり、短い人生とは一つの言い方に過ぎない。彼女の両親は、まだ、彼女の年には親にはなっておられなかった。だから、ご両親からすれば、今の彼女の年齢のあとに、彼女が生まれてこれまで育った時間が来ることになる。だから、人生ってけっこう長いとも言えるのではないかと、こじつけかもしれなかったが、説明した。

 わかりました。いろいろなことがあるのを楽しみにしたいです。まだまだ私は若いですから。勇気が湧いてきました。みんなもきっと言いたいことがあると思うのでこのやり方を広めてください。理解してもらえてうれしいです。あきらめないでください。
 においのいい花が咲いたようです。きれいな花が咲いたようです。小さい頃からの夢でした。理解してくれてありがとうと言いたかったです。よい私のことを表しています。小さいときからの夢でしたからとても感激しています。


 また、一回り彼女が大きく見えた。
2009年10月9日 14時35分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年08月10日(月)
重複障害教育研究会第37回全国大会にて
 今年で37年目を迎える研究会で、二人の方の事例を報告した。その際、そのうちのお一人にじかにパソコンで会場の参加者の方々に、訴えかけていただくことにした。当事者の語りこそが重要だと考えたからだ。10分ほどの時間しか用意できなかったが、次のような言葉を会場のみなさんに訴えかけた。
  
 小さ(い)ときから話をしたかったです。小さいときから自分の気持ちを伝えたかったです。にいさんやねえさんとして関わってくれる友もだちがほしいです。小さいころから願ってきました。自由がほしいと考えてきました。小さいころからの夢がかなってうれしいです。人間としていい人生を送りたいと思います。私たちは見た目で判断されることが理解を妨げていますが、みんな考えています。小さいときは理想の人生を送ることができると思っていましたが、なかなか思い通りにはいきません。人間として言いたいことを言って生きていきたいと思います。私たちの気持ちをわかっていただきたく思います。よろしくお願いします。

 前日の夜は一睡もできなかったという。終わったあと、その理由を聞いたところ、緊張したからではなく、勇気を出すためだったという。また、自分のことを理解してくれていない人もたくさんいることが伝わってきたとも言った。
 新しい時代が確実に拓かれようとしている。
2009年8月10日 16時48分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年07月18日(土)
願いの舟
 20代の女性☆☆さんは、今年の1月から言葉を表現し始めた。そして、5月、次のような文章と詩と、歌を聞かせてくれた。

 気持ちを言えたらうれしいです。小さいときからの夢でした。残念なことがありました。小さいときから気持ちが言えたらきっと話ができていたかもしれませんが、なかなか舞台装置がそろうことがなくて、なかなかみんなと話せませんでした。自分の言いたいことが言えたら人生はもっと稔りあるものになっていたことでしょう。人間として生まれて生きてきて誇りある生き方できたらと思うけど、なかなかむずかしいです。小さいころから願っていたことがかなってうれしいけど、小さいころから話せていたならと思わずにはいられない。別に誰が悪いわけでもないけど小さいときから話したかった。自分の気持ちを言いたかったです。作ったことがあります。詩歌は大好きですから。聞いてください。

聞かせてくださいあなたの気持ち
小さくしかたないそんな小さないい声で 自分の愛を伝えたいから
急に知らない願いは 不思議な声で 
見たこともない美から生まれた犠牲のような気持ちで
人間としての言いたいことと 小さい昔の歌声と 聞いたことのない希望のいいおじいさんの声とじっとくらしてきたことが
見たこともない未来の希望とともに訪れた
びいどろのような風がふき 願いの冒険を苦難からそっと解き放ち
聞いたこともないようなきれいな風の音を小さく聞きながら
いい自分になるために 澄みわたるきのうの空のように 小さく感じながら
いい時を信じながら 犠牲などけして出すことなく生きていこう
なやみのつきはてない未来かもしれないが歩んでいこう。

(歌なら)作っています

小さい舟が 小さく願う
涙は雪に 消えてゆく
きのうのだれかの病気のような
じみなじまんの舟がゆく。


 歌には、「願いの舟」という題名がつけられた。楽譜は以下の通りだ。

 
2009年7月18日 10時12分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年05月10日(日)
母の日に 初めての言葉
 学校に上がる前から研究所に通い、20代後半を迎えた男性○○さんと、初めてワープロで関わった。
 そして、すぐに次のように書き始めた。

うれしいきたいしていました いいすいっちですね 
じぶんのきもちがいいたかった 
じぶんがかんがえていることがすらすらかけてがっこうがあったらださせてほしかった だいがくです 
じぶんでじぶんのきもちがいいたかった いいきもちです
じぶんのがっこうにいきたかった
きいているだけではなくつたえられるがっこうです
きいているだけではつまらない
ちいさいときからはなしがしたかったです
ちいさいときからじぶんのきもちがいいたかった
おかあさんとおとうさんにはいつもかんしゃしています

 そして、話は、別の方向へと発展していく。どちらかと言えば明るい笑顔が特徴的な彼だが、秘められた美しい感性が少しずつ顔を出し始めてきた。

きいてほしいことがあります
いつだったか きいたことのないきれいなおんがくをきいて
いくつもなみだをながしましたが
にこというがっきだったかもしれません
きいてかんどうしましました
きいたのはてれびです
がいこくのひとがひいていました
いいおんがくでした
きいてみたいです
ちいさいころからきくのがすきでした
がいこくにいってみたいです
いいおんがくをきいてみたいです
にほんのおんがくもすきです
にほんのおんがくをあいしていますがなかなかきけません
いいおんがくがききたいです

 かつて、あるレストランで生演奏を聴いてぽろぽろと泣き出したというエピソードを聞いたことがあったが、音楽に対する繊細な感受性がよく表れていた。そして、なんと、彼は、詩を聞いてほしいと語り始めたのだ。


みたことのないようないいしをずっとかんがえてきましたきいてください

 そして書かれた詩は、彼が言うとおりのいい詩だった。

ちいさなちいさなみどりのかぜが
ちいさくちいさくねがいをかなえ
ちいさなちいさなすずのねが
ふしぎなねいろをかなでてきえた
じぶんのゆめをかなえるために
じぶんとかぜとしーはいる
みどりのかぜにかかえられ
じぶんはきぎのあいだをひしょうする
ちいさないいじぶんにいいかぜをうけて
みどりのいいかぜにちいさなゆめをかたらせる
においのいいかぜがみどりになって
はるのかいがんをかけぬけて
どこまでもどこまでもじぶんがみどりのかぜとなり
すばらしいせかいをかけめぐる
かぜにのってちいさなじぶんは
ききゅうのちいさなきぼうをさがし
みどりのいいかぜをうけてちいさなねがいをちいさくかなえる。

 シーハイルとは、スキーでの挨拶の声ということだが、彼は、歌で知っていたらしい。

しをかけてしじんになったきもちです
じぶんのきもちがいえるとはおもわなかったのでかんげきしています

 ここで、私は、研究会にもよく参加して会場にいる彼だから、私のパソコンに関する発表を見ていたのかと尋ねた。すると答えは、以下の通りだった。

はい
ちいさなおんなのこのなくなったはなしでした
いいことばでした
いいかんざしをかってあげたいとおもいました
ちいさいこがすきですからいいかんざしをかってあげたかった
ちいさいおんなのこがちいさいうちになくなってかなしかったです
ちいさいこどもがなくなるのはかなしいです

 4年前に亡くなった女の子のことだ。彼女は、私たちの常識を根本から覆し、仲間たちの言葉の存在を見いだすことにつながった。その存在をこうしてしっかりと受け止めていてくれたということに深く心をうたれた。
 そして、遅れてはいってきたお父さんに向けて、言葉が綴られる。

おとうさんかていをかんがえてくださってありがとうございます
からだにきをつけてください
からだにきをつけてながいきしてください
がんばりすぎないでください
 
 そして、感想が次のように綴られた。

いいまんぞくしたじかんでした
かんげきです
かんどうしました

 ここで、質問をしてみた。それは、形の弁別の学習に手こずっていることをめぐるもので、どうして、うまく選べないのかを尋ねてみた。すると答えは意外なものだった。

てをうごかそうとするとみえなくなってしまいます
ちいさいときからこまっていました
でんちのときはみえます
じぶんのおもいどおりにからだがうごかなくてこまっています

 字を覚えた時期については…

ちいさいときにおぼえました
おかあさんがおしえてくれました

 そして、再び、このことをきかっけに、家族の話へと発展した。

ぎせいになってくれてかんしゃしています
あいされてしあわせです
いいかぞくです
にいさんがなくなったのがざんねんでした

 病気で何円も前に亡くなったお兄さんのことだが、いつも、写真に向かって声を出して、話しかけているようだと、ご両親の説明がくわわった。

きかせたかったかあさんにいいしをかあさんに
きいてもらえてかんげきしています
きいてくれてありがとうございます
ひーりんぐのようなじかんでした
きもちいいです
ねがいがかなってうれしいです
きいてくれてありがとうございます
あらしのよるがあけたようなきもちです
きいてくれてありがとうございます

 お父さんは、お母さんに、いい母の日のプレゼントになったねと告げられた。
 私たちもまた、心を洗われるひとときとなった。
 
2009年5月10日 23時13分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年04月30日(木)
わたしはみどりのかぜになる
 新年度になり、6年生になった○○さんは、こんな書き出しから始まった。

ちいさいゆめがかないりかいしてもらえました ゆめでした
じぶんのきもちをきいてもらえるようになりました

 そして、長い文章で理解される喜びを具体的に語りその先生の名前を書いたあと、

りそうのせんせいです わたしがそうぞうでつくりました

 という文章がそれまでのすべてを覆すように書かれた。以前このことで、激しく感情を高ぶらせて訴えてきたことのある彼女は、今回は、さっと、次の言葉に移っていった。

しをつくりましたきいてください

 そして、書かれた詩。

にんげんとしてうまれいきてきて
りそうをたいせつにいきてきて
ゆめをたくさんつむいできて
ほんとうのべんきょうをもとめながら
べんきょうのれんしゅうもできず
りかいされないことにもなれて
ひとりぼっちでいきてきた
みらいはもっとひらけていることを
ちいさいゆめとしてねがい
みらいのりそうとゆめを
ひろがるそらのように
ほんとうのねがいとして
ねがいみたこともないようなりそうを
らんぷのようにともしながらいきていこう
わたしのかのうせいがひらかれるひをめざして。

 この後、私は、歌を作ったことはないかと尋ねた。すると「ある」という。そして、次の歌詞とが綴られた。

ねがいのはながひらいたら
わたしはそらにまいあがる
ねがいのはながひらいたら
ゆめをおおきくひろげよう
みどりのかぜがふいてきて
みどりのゆめがちいさくそだち
わたしはみどりのかぜになる。

 そして、さらに、音符について知っているかと尋ねると、

しっています しぶんおんぷ とかはちぶんおんぷとか にぶんおんぷなどがあります

 そして、階名で書けるかと尋ねると、

かけます 

 とのこと、区切りには「ー」を入れてもらって、書いたものは、

ドレミソララドシラドレド
ドレミソララドシラドレド
ラシドレドレドミファドレド
シドミソドシラソドレドシド
ミドミラソソミファミレドレ
ドレミラソソドファミレドレ
ドレミラソソドシラシシド
シドレミミファドシラシシド

いいきょくでしょう わたしがいつもくちずさんでいるうたです 
 
 始まりは8分音符であることを示す8というのも書いたので、そのまま楽譜にしてみた。若干、言葉の数とあわないところを調整して楽譜にしてみると次のような歌になった。

 子どもたちの秘められた世界の奥行きがさらにいっそう広がっていくのを感じる。
2009年4月30日 19時01分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年04月14日(火)
ひとりでもおおくのそんざいがほこりをとりもどせるように
 20代の女性の3度目の言葉を聞いた。長い間話せなかったことをめぐる切々たる思いから始まった。

ちいさいときからはなしたかったけど、なかなかはなせず、よくたえてきたとおもいます。みたことをはなそうとしても、りかいしたことをはなそうとしてもだめで、ゆめでした、はなせるようになることが。やっとはなせるようになったので、これからはやわらかいねがいをはなしながらいきていきたい。ちいさいころはみんなはなせるようになるとおもっていたけどむりでした。ゆめでした。

 そして、同じ思いをいだいているであろう仲間たちのことへと思いが及んでいった。

みんなもきっとおなじきもちだとおもいます。にんげんだからやはりみんなきもちをもっています。みんなもことばではなしたいとおもっているとおもいます。ひとりひとりちがっているかもしれませんが、びんかんにかんじとっているひともいるとおもいます。

 静かではあるが、まだまだ不十分でしかない私たちの取り組みへの抗議とは言わないまでも、切実な訴えであることはまちがいない。そして、さらに、次のように続く。
 
ゆうきをだしていいたいことをいいたいとおもいます。ぬいぐるみのようなじんせいとはおわかれです。 

 この後、彼女は、「勇気を出して」事実を語る。それは、これまで関わってくれた人の中には、きびしい人、見た目で判断するだけでわかろうとはしない人、やさしい人でもわかってくれるわけではないということ、かわいがるだけで理解してくれない人など、いろろいろな人がいたということ、そして、次の一文へと続く。

みさかいなくさびしいおもいがしていました。わかってくれたせんせいはNせんせいだけでした。ひとりだけです、きもちをきいてくれたのは。Nせんせいだけでした。りかいしようとしてくれたのはほかにはいませんでした。りかいしてくれたひとはわかいおんなのせんせいにはいましたが、みんないちねんでいなくなってしまいました。

 N先生とは、小さいときに担任をしてから、彼女の体の障害が進行していくことをずっと気にかけていて、研究所で彼女と関わるというかたちでずっと長い間、つきあってきた先生で、私にパソコンで彼女の気持ちを聞くように依頼した先生である。気持ちを言葉で聞くということだけに限定すれば、私の方が技術的な意味で彼女からたくさんの言葉を聞き取ることができる。しかし、言葉よりももっと大切なことがあることがよくわかる。言葉を聞き取れないよりは聞き取れた方がいい。だが、それよりも大切なことがある。ここでは彼女は「わかる」という言葉で表現しているが、それでは、わかるとはどういうことなのか。きっとそれが、言葉よりももっと大切なことであるし、「わかる」という言葉の本当の意味は、実際の関わり合いを通してのみ、理解されることだと思われる。
 その後、彼女は、発作についての母親の質問に答えて、次のように語る。

きゅうにからだがつっぱってしまいます。いしきはありますから、はなしはわかっています。にねんまえおおきいほっさがあったときはからだだけでなく、いしきもなくなりました。みんなのことはわかりません。じぶんでもどうしようもないのでこまっています。からだをだきとめてもらえるとうれしいです。じぶんだけのときはこわいです。ゆうべもほっさがあったときひとりだったのでふあんでした。

 また、訓練についての質問については、

くんれんはしかたありません。せっかくやってくれているのにわるいです。ねむくなるのはどうしようもありません。ほこうくんれんはいいですが、やらされるのはいやです。

 そして、詩を作っていないかと質問をして、次の詩を書いた。

にんげんとして
きもちをもっていきてきて
りかいされることなく
ひとりのぬいぐるみのようなそんざいとして
いきてきた
ゆめをもち
みらいをゆめみて
わたしはいきてきたけど
りかいされることはなく
ときがいたずらにすぎていった
だけどそんなわたしがことばをもち
にんげんとしてのいっぽをふみだした
にんげんとしてのほこりをとりもどした
ゆめをいっぱいもち
ゆめをもっといだいて
これからのじんせいをいきていこう
りかいされたことのよろこびを
みんなにつたえて
ひとりでもおおくのそんざいが
ほこりをとりもどせるようになることを
ねがいながら。

 一人でも多くの存在が誇りを取り戻せるようになることへの、彼女の切なる願いに、少しでも応えていかなければと思う。
2009年4月14日 05時45分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年04月08日(水)
盲重複の問い直し
 盲重複と呼ばれる男性○○さんは、学校教育を終えたあとになって、点字を読めるようになった。その学習の順序も、大きなリベットで順番に点の位置を学習していくオーソドックスな順序ではなく、指先で6点全体がさわれるような小さい展示型のリベットをさわることを通してである。長い学習を経てからではあるが、突然理解できるようになったように見え、みんなに驚嘆まじりの讃辞を得た。そして、大きいリベットの点字で、意志を伝える単語も伝えられるようになった。私は、日頃関わっているわけではないのだが、時々、お会いすると、どうしても関わりたくなって、いろいろ手を出してきたのだが、「おかあさんについてどう思っていますか」と訪ねて、「やさしい」とリベットの点字で書いたことがある。
 そんな彼に、手を振る方法を試みた。単語を口走る以外には明確な意思伝達の手段を持たない彼だが、この方法を試みると、非常になめらかに気持ちを表現してきた。記録をとらなかったから、正確な文章は残っていないのだが、この方法に驚きを示し、どうして読み取れるのかと聞いてきたりした。
 そんな彼に、点字を覚えたことについて尋ねてみると、気持ちを伝えたいから点字をがんばって覚えたというふうに答えが返ってきた。そして、点字を覚えたら気持ちを伝えられるようになるのですかと、切実な気持ちをこめながら尋ねてきた。
 彼は、悪い表現だが「自閉的」と称されるような感じの方で、気持ちをうまく伝えることができず、いつも首を振りながら独特の世界にはいりこんでいるように見える。しかし、こうした会話を経ると、彼が全く普通の感覚を持っていて、話せないで苦労してきただけの人に見えてきて、点字を懸命に覚えようとしてきたことがすんなりと理解できた。
 盲重複と言われる人たちの理解をどうやら決定的に改める必要が出てきそうだ。
2009年4月8日 01時22分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年04月06日(月)
長い沈黙の時を越えて
 小学生の時から研究所に通い、30年ほどになる○○さんに、久しぶりにお会いした。私とは曜日がずれているので、なかなかお会いできないのだが、大学の入学式が早く終わった関係でうかがうことができたのだ。
 4年前の夏の研究会で私が行ったパソコンによる自己表現の発表を聞いたお母さんが、うちの○○もできるのかしら、と尋ねられたことがあり、それ以来の懸案だった。
 彼の担当は友人の教師で、最近は飲むと彼の言葉の可能性のことを話していたので、今回は、さっそく手をふる方法で聞いてみることにした。すると、すらすらと手で話が返ってくる。そこで、パソコンを取り出すことにした。
 そして、綴られたのは以下の長文である。

けんきゅうじょにいくことがたのしみでずっとがんばってきました
ちいさいころからこんなきかいがあればよかった
なんでもいえたらうれしいです
ふしぎです
ぼくのことをりかいしていることがどうしてわかったのですか
ふしぎです
だれもぼくがはなしがりかいできているとはおもってくれませんでした
ちいさいときからはなしたかった
ちいさいときからにんげんとしていきていきたいとおもってきたのでかんげきです
にんげんとしていきたいとおもいます
じぶんのいいたいことがいいたいです
びっくりしました
ねがいでした
ふしぎです
ちからをいれていないのになぜわかるのですか
びっくりしました
みんなとはなしすることができたらうれしい
ねがいでした
×××せんせいずっといつもかかわってくださってかんしゃしています
ねがいでした
じぶんのきもちをいうことをゆめみてきました
みんなとはなしたいとおもいます
りかいしてくれてありがとう
じんせいがひらけてきました
ゆめでした ことばではなしをすることが

 ここで、詩のようなものを作ったことがあるかと質問した。すると手で「はい」との返事、早速書いてもらった。
 
ゆめみてきた はなしができるようになることを
ひかりがさしてきた ぼくのじんせいに
にんげんとしていきてきて ゆめをいだき
にんげんとしていきてきて きぼうをもちつずけ
ふつうにいきてきたのにじぶんのきもちをいえず
みんなのことをうらやみながらいきてきた
ひとりでちいさいねがいをもって
ひとりでもがきながら
きぼうをもちながら いきてきた
ふつうのがっこうにもいきたかった
みにせまるきもちはきんじられ
みにせまるしれんにはとびこせず
ひとりでずっとたえてきた
いいみらいのこえがきこえ
いいみらいのひかりがさし
めのまえにあかるいにんげんとしてのじんせいが
ひらけてきた
ちいさいころからきもちがいえず
ちいさいときからつまらなかったけれど
あかるいみらいがひらけてきた
みたこともないみらいがひらけてきた
いいにんげんになりたいとおもいながら
いいにんげんになれず
じぶんのきもちをいえずにぼくはいきてきたけれど
ちいさいきぼうがわいてきたに
んげんとしてひとりでゆめをずっとだいじに
いきてきた
にんげんとしていいちからをだして
いいじんせいをいきていきたい

 40歳を越え、施設生活をしている彼のおなかの底からの思いが綴られた。途中、彼の目に涙が浮かんだり、また、何度もおなかの底からの笑顔を浮かべながら、彼が書いた深く重い詩だ。

きいてくれてありがとうございます
いいじかんがすごせました
ねかがいがかなえられてしあわせです

 こうしめくくり、彼は去っていった。言葉を聞き取れた喜びはあったが、彼の生きてきた時間の重みは、言葉にはとうてい表せない重いものを心に残した。
2009年4月6日 16時40分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年03月15日(日)
ねがいのこえは すいれんのはなのように ひらき
 久しぶりに会ったで、思いがいっぱいたまっている様子の20代の女性○○さんは、早速次のように文章を書き始めた。

かきたいことがいっぱいあってたまっていました 
ちいさいときになんでもいえたらいいとおもっていましたが けっしてあきらめないでちいさいときのおもいでをたいせつにしていてよかったです
ちいさいときはなぜわたしだけはなせないのか じぶんでもりかいできないでくやしくおもっていましたが ちいさいときにはわからなかったことが おとなになってわかるようになって かいごされることのいみもかんがえられるようになりました
きもちがいいたいとちいさいときからおもってきましたが きもちがいえるようになってうれしいです
じぶんのいいたいことがいえたらいいとちいさいときからねがってきましたので ねがいがかなってうれしいです
きょうのじしんがきになっています じしんがくるといやです 
(私「今日地震ありましたっけ?)
きになっているのでときどきかんじています
(母「ヘルパーさんについて書いて」)
へるぱーさんにはいつもおせわになっています
とてもみてくれるのでたすかっています
すいぶんほきゅうがねがいです じぶんではのめないので できればすいぶんほきゅうのかいすうをふやしてほしい

いつもいいにんげんになりたいとおもいますが ねがってもなかなかちゃんとしたにんげんにはなれそうもありません 
すなおになれないときがあるからです
(私「どういうときにそう思うのですか?」)
きたいどおりにいかないとおこってしまいます
きちんとしたじんせいをいきたいです 
いきているいみをかんじたいです
(私「でも、生きている意味を感じる時もあるのではないですか?」)
きもちいいとおもえるのはきぼうについてかんがえているときです
のぞみやきぼうについてかんがえているときもちがらくになります
ねがいはにんげんとしてきちんとしたきもちをくんでもらって ねがいをかなえてぶんそうおうのじんせいをいきていくことです
じぶんのかんがえをいいたいとおもいます 
きいてください

ねがいのこえは すいれんのはなのようにひらき
ねがいのこえは にあいのとりのように ちいさなしあわせをかなでる
だいじなことは きのうのなみだをあしたのきぼうにかえることです
ちいさいときから そうおもってきました
あいされることよりも あいすることがだいじで
だいじなことは たのみのゆめをうしなわないことです
きぼうをいつまでもたいせつにして いきていきたいとおもいます
おじいさんになってもおばあさんになっても ずっとざゆうのめいとしていきたいとおもいます
にんげんとしてきいてもらいたいです 
じぶんのきもちをきいてほしいです
ぬいぐるみのいきかたにはおわかれです
がんばっていきていきたいとおもいます
ねがいをいえてよかったです
いいきもちです 
すーっとしました 
おわります

「かいごされることのいみ」「いきていることのいみをかんじたい」「ぶんそうおうのじんせいをいきていく」「ずっとざゆうのめいとしていきたい」彼女の胸の中で実に様々のことが考えられていることが、ひしひしと伝わってくる。彼女は、終始、身をよじらせながら、叫び声のように声をあげながら、文章を書いていった。途中、心配になって、その声の意味を手をとる方法で尋ねると、「きもちがあふれだしているだけです」という答え。彼女の顔に、さわやかな笑顔が戻ったのは、すべてを書き終えてからだった。
2009年3月15日 20時56分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年02月25日(水)
きらいなのは…ちのうがかけているといわれることです
 小学校2年の少年の手を手をとって軽く振りながら、「あかさたな」と聞いていく方法で会話が成立したので、希望を聞くとパソコンがやりたいという。そこでさっそく挑戦してみると、あふれんばかりの思いが吹き出してきた。

くやしかった
きもちがいいたいとおもってきました
ちいさいときからいつもゆめみていました
りかいすることはできてもはなせないのでくやしいです
いいたいことがいえたらうれしい
じぶんのきもちがいいたいといつもおもってきました
じぶんのつよいきもちをつたえたかった
きいてくれてありがとうございます
ちいさいときからのぞんでいました
きぼうがでてきました
これでいいたいことがいえます
みんなもはなせるとおもいます
ずっとおもってきました
さかんになってほしいこのやりかたが
このほうほうはむずかしいのですか
みんなもかんがえていることがあるのでほうほうをつたえてほしい

 そして、厳しい言葉が続く。

きらいなのはからだがうごかないだけなのにちのうがかけているといわれることです
きいてぜんぶりかいできているのにりかいできてないとおもわれることです
くやしいです

 私たちの社会の罪深い誤ちを、いつ、白日のもとに明らかにできるのだろうか。そして、方法について尋ねてきた。

ふしぎですかんがえただけでかけていきます
どうしてですか

 説明をすると、的確な答えが返ってきた。

わかりました
ここだとおもっています
おとです
わかりました
いいきもちです

 耳に集中していて、行や文字の音が聞こえると「ここだ」と思うと力が体にわずかながら体に力が入り、その力を私が読み取っているので、印象としては、「かんがえただけでかけていく」ということになるのだろう。 
 そして詩について問いかけると

つくっています

という返事。そして以下の詩が書かれた。

ちいさくねがいをもって
きれいなこころでいきていこう
ねがいはちいさくても
きぼうはちいさくても
じぶんのちいさなゆめをたいせつにしていこう
みらいはおおきくひらけている
ちいさいねがいをたいせつにしながら
じぶんのじんせいをいきていこう
ひとのしらないじぶんのすばらしさをたいせつにしていこう
ちいさいねがいだけど
ぼくのたいせつなゆめ
しずかにしずかにあたためていこう
じぶんのじんせいだから
きっとちいさいちいさいそんざいでも
きちんとしたじんせいになるはずだ
ずっとふつうのこどもになりたいとおもってきたけど
きびしいようなのでじぶんのことをみとめていきていきたい
じぶんのことをしんじていこう

 途中、スイッチを操作する手を引っ込めたり、空いている方の手をパソコンのキーボードに出したりする。もしそれをある意図の発露としてみると、いやがっていたりいたずらをしたいというふうに見える。そのことを問題にすると、彼は、こう書いた。

まだつずけます
てはかってにうごくだけです
きもちとはかんけいありません
ぼくはただがんばっているだけです
ちいさいときからいつもないていました きもちをつたえられないで
じぶんのきもちがつたえたかった
いいたいことがいいたかった
いいじぶんになりたかった
じぶんをみとめてもらいたかった
きぼうのかなえられるじんせいをおくりたい
すばらしいじんせいがおくりたい
きいてくれてありがとう
いいいちにちになりました
おわります
つかれたけどいいきもちです
おしまい

  
2009年2月25日 00時01分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年01月26日(月)
ふしぎなかぜがふいてきました
 前回、嵐のような感情を、詩によってしずめた小5の女の子は、今回は、いくぶん穏やかに、食事についての質問から始まった。

きいてもらいことがあります
たべにくいものをどうしてたべなくてはいけないのでしょうか
きらいなものです
ちくわやふですかたくしまっているのでたべにくいです
(そんなのあまり入れないけどとお母さんがおっしゃると)
しるものにはいっているものです
ちいさいときからなぜだろうとおもっていました

 月並みな答えしかできないので、しっかりと最低限の量を食べることと栄養のバランスを考えてのことで、誤嚥などしたら、かえって大変だからそれ以外の理由できらいなものを食べさせるということはないと言った。そして、それだけで終わらせるのはと思い、多くの人が食べることをめぐって苦労しているあることについて説明した。それは、自分がすべての人を受け入れたいと考えているのに、どうしても、うまく食べさせてもらえない人のことを拒否してしまうことがあって、困るということを言う人がけっこういるということである。また、ここで、お母さんと手で話す方法を勧めてみた。手をつないで「アカサタナ」と言って振りながら、力を読み取る方法だが、その場でお母さんに名前を伝えることはできた。こんなふうにして、食事をめぐる細かなことも伝えあえるといいねということと、大人になったら、自分はこんなふうに食べさせてほしいと堂々と言えればいいんだよと伝えた。そして、彼女は次のように書いた。

ねがいがかないそうでよかったです
ひとりでいろいろいろかんがえてきたのでよかったです
しばたせんせいはどこでたべさせているのですか
きょひしたくてしているわけではないのでわかってほしい

 話を変えようかと促すと、次のような詩が書かれた。

ふしぎなかぜがふいてきました
じぶんをつつんでのぞみをはこんでくるかぜです
ちいさいころのあどけないそらのようなこころを
なきむしのちいさなわたしにしんじさせ
じぶんというよいにんげんになれずにいるにんげんに
きぼうをくれます
ねがいはじぶんというものがいったいどんなそんざいであるのかをたしかめることで
じぶんのいきかたをぬいぐるみのようなきょうぐうからすくいだして
じぶんにあったきもちよりも
ひとそれぞれのいきかたをさがすことです
ちいさいころのみかんせいなわたしに
きもちをしんじてくれたことをかんしゃしながら
きぼうをもっていきたいとおもう
かのうせいというものをしんじていきていきたいとおもう
きっとちいさいころにきいたかあさんのこもりうたのように
かなしいこえがきこえてきて
きぼうのかぜがふくことでしょう
きぼうというものはちいさいじぶんに
ねがいがみたされるようにとふいてくる
きぼうのかぜはみんなのこころにりそうのかぜです
しあわせはちいさなころからふいていた
ふしぎなかぜはちいさいじぶんにふいてきて
じぶんをしんじるようにふいてくる
ゆめこそほんとうのきぼうであり
きぼうがしんじつとなることをねがう
ちいさなじぶんにねがいのとおりのうつくしいものが
はやくやさしくかないますように
ちいさいじぶんがもっときぼうにみちたじんせいをおくれるようにといのる
ちいさいじぶんがじぶんらしくいきられるようなきぼうがほしい。

 最後は全身の体を抜ききって眠ったような状態になり、そして、そのまま本当に眠ってしまった。彼女をつつみこんでふいている風は、まるで、そのまま夢の中でも拭いているかのように、安らかな寝顔だった。
2009年1月26日 00時45分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年01月21日(水)
詩の意味、仕事にして生きていけたらいいな
 20代の女性○○さんは、手を引き合って「アカサタナ」と聞いていくやりとりで、簡単な会話をしたあと、次のような文章を書いた。
 
あさからかぞえていました
いいうたをききたいけどきいてかしかんがえて
しのいみしごとにしていきていけたらいいなとおもいます
しをつくっています
ちいさいころからかんがえていました
きいてください 

 少し、わかりにくいところがあるが「詩の意味」を仕事にしていきたいということらしく、詩を作っているので聞いてほしいということだった。そして、2編の詩が綴られた。彼女もまた、北風と希望の詩だった。 

しろいしろいきたかぜが
きぼうのしろいゆきを
いきのようにつれてくる
きたのくにのにんげんのきぼうを
じゅうじかのようにせおいながら
きぼうのちいさないきで
ちいさなゆめをくなんこぼれたしょうじょのねがいのように
にんげんのこころにしんじつのおねがいいっぱいとどけるために
ちいさいころからしんじてきたしあわせを
すなおにうけとめるために
きぼうのきたかぜのいきをかんじている。

きいてもらえてうれしいしをつくっているときもちがおちつきます

くなんおおく
きたからのちいさなゆめをまちつずけて
まっしろなゆきをまちつずける
にんげんはちいさなしろいねがいをゆめにかえようとして
にんげんのくなんをちいさなはいいろのくもにかえ
ちいさなみずいろのねがいにかえる
きぼうのきたかぜはしろいいきを
にんげんにねがいをもつようにとつたえる
きぼうのきたかぜはしろいいきをはき
にんげんにしろいきぼうをあたえる。

 詩の意味を仕事にしていきたいという彼女の、心の奥にさらに広がる心象風景をもっともっと聞いていきたいと思う。
2009年1月21日 21時58分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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自分とは何かを考えて生きていきたい
 ある先生から、パソコンで話せる可能性があるので関わってほしいと言われた20代半ばの女性が、こんな文章を綴った。

○○(名前)
きもちがいえてうれしい
しんじられない
にんたいしてきました
ふしぎかんがえただけでことばができていきます
ふしぎですしんじられません
ちいさいときからはなしたかった
きもちをいいたかったです
おかあさんかんしゃしています
かんしゃしていますがつたえられませんでした
(率直なお母さんは、「本当かしら」といいながら、「元旦どこ行った?」と尋ねられた。すると…)
ちかくのじんじゃにいきました
(「神社は二日だったけど…」とお母さん。)
いいたいことはねがいをしたということです
ちいさいときからきまっておしょうがつにはじんじゃにいってねがいごとをし

ていました
ひいきにしているじんじゃはしんぐうじんじゃです
(「うちは、ずっと明治神宮に行ってるけど…しんぐうってそのことかしら」とお母さんがおっしゃるので、私が「そうなの」と尋ねると、)
はい
(さらに私が「『神の宮』だから『しんぐう』なんですか」と尋ねると、)
はい
(この辺でお母さんも彼女が書いているらしいことを納得し始めてくださった。)
ちいさいときからはなしたかったです
ちいさいときからはなしたかったけどあきらめていました
ちいさいときみんなのことがうらやましかったです
きもちがいえてうれしいです
(ここでお母さんは、毎年家族で行くスキーについて、どう思っているかと問いかけられた。)
すきーはきたかぜがつめたいけどしろいせかいがすてきです
みたこともないようなけしきがちいさいころからすきでした
ちいさいときからちいさくゆめをつむいできたのでしろいせかいがだいす

きです
きぼうがわいてきました
しばたせんせいはどうしてわたしがことばがわかっているとおもったので

すか
(「おとうさんにもひとこと書いて」とお母さん。)
おとうさんさいきんからだがつかれているようだからきをつけてくださいね
けんこうにきをつけてながいきをしてください
たいせつなおとうさんだからじぶんのからだをさいこうのじょうたいにしてく

ださい
こんどちいさいころにみられなかったしんかいのかんこうにいきたいです

はい
ちいさいときにはのれなかったふねにものってみたい
(グアム島に行ったときのことらしい。)
ちいさいときはじぶんであるけたけどあるけなくなってじぶんのいきたい

ところにはいけなくなってしまってとてもざんねんです
にんげんとしていきていかなければとおもうのでみらいをしんじていきて

いきたいとおもいます
ひかりがさしてきました
きぼうがわいてきました
にんげんとしていきていきたいとおもいます
(弟や妹にもひとことと母。)
(妹に)かあさんにあまりしんぱいをかけないようにしてください
(弟に)×××はたいへんかんがえがしっかりしているのでちゃんとしたしごとについてじぶんのためだけでなくたにんのためのしごとをしてください
ちいさいころからかんかえていました
すばらしいです
きもちがいえてうれしいです
きもちがいいたかった
ねがっていました
ちいさいときからいいたかったです
かんどうしています
きもちかいえていいきぶんです
じぶんとはなにかをかんがえていきていきたいとおもいます
にんげんだからきぼうをたいせつにいきていきたいとおもいます
ねがいをかなえられてうれしいです
このすいっちがほしいです
しばたせんせいくださいますか
しばたせんせいよろしくおねがいします
さようなら

 自分とは何かを考えて生きていきたいという言葉には、ただただ、圧倒されるばかりだった。
2009年1月21日 00時55分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年12月30日(火)
手を引き合ってできた伝え合い
 年末の一日、20代の女性、○○さんのお宅をおじゃました。お父さんから、お招きを受けたからだ。お宅へおじゃますると、さっそく、おいしいお酒をいただきながら、話に花が咲いた。○○さんは、お父さんに抱えられて一緒に食事をしながら、話に耳をすませている。
 ○○さんの食事も終わり、横になっているところで、だいぶお酒のまわった私は、パソコンではなく、手で話してみようと、彼女と手をつないで、手を軽く引っ張りながら、「名前を書いてみて」と頼み、「あかさたな」と唱えてみた。すると、的確なところで、私の手を引っ張るような動きがかすかに入ってくる。これはいけると、どんどん話してもらった。書き取ってもらわないと、文章を覚えているのは大変だったが、何一つ機械を使わずに、ただ、手を引き合うだけで気持ちが表現されていく。この方法は、別のところで、パソコンがどうしてもうまくいかない高校生に、考え出した方法をまねたものだが、その人の独自の方法というところでとどまっていた。もしかしたら、一つのコミュニケーションの方法として、広がりがある方法かもしれないと思った。
 以下は、そうして綴られた文章である。

(お母さんへひとことお願いします。)
疲れている、すみません、私のことで。
いつも疲労してしまって入院しないで元気でいてほしい。
四面楚歌の状況かもしれないけど、逃げないでがんばりましょう。
うれしい、手だけで話ができて。願いがかなうとは思わなかった。おねだりしよって思わなかったけど、書きたかった。
小さい願いだけど、言いたいことがあります。いつまでもお母さんには元気でいてほしい。意志が言えてよかった

(お酒は好きですか)
すきです。
(お父さんへもお願いします。)
元気でいつまでも働いてください。
(いつも口にくわえているタオルがあった方がいいですか?)
はい。指が痛くならないから。気持ちとは別に手が動いてしまう。気持ちがちょっと楽になりました。
知りたいことがあります。学校の先生、信じてくれますか?
心配です、聞こうともしてくれない先生がいっぱいいるので。願っています。みんなの言葉を知ってぬいぐるみの環境が変わっていくことを。


 ぬいぐるみの環境という言葉が重く響く。
 ここで、詩のことについても尋ねてみた。すると、次の詩が書かれた。

北風をごきげんにして
宇宙の人間に希望を与え
北の方から人間のため 吹いてくる
北風は 願い求めて吹いてくる


 彼女もまた、言葉によるコミュニケーションの閉ざされた世界の中で、言葉が紡ぎ出すファンタジーの世界を持っていた。
 新しい年が、○○さんにとって、いっそう良い年であることを心から願っている。
2008年12月30日 09時11分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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2008年12月23日(火)
感情の嵐と、それをしずめた一篇の詩
 先月、全身で感情を表現しながらわかってもらえない気持ちを綴った○○さんのことは、うまくまとめることができなかった。そして、その中でいちばん切なかったものは、そういうふうにしてわかってもらえないことをくやしく思う気持ちが、自分をすさませてしまうというところだった。わかってもらえないくやしさとくやしさをいだく自分に対する嘆き。そんな先月の言葉をいくつか抜粋する。

すなおなきもちのおんなのこでいたいけど しらずしらずのうちにこずるいせいかくになってしまうようでいやです
すさんでいくみたいでいやです
けむたいうらみがこみあげてきます
いいかげんなきもちではじぶんしかみえなくなってしまいます
しのことはいろいろかんがえていますがくるしくてまじめにとりくむことができません
いじいじとしたきもちではいいしはつくれません
くさったきもちではいいことばはでてきません
ちいさいときいろいろいろゆめみていたけどげんめつしてしまいました

 目の前で、はき出されてくるこうした激しい言葉の前に、私も言葉を失う。彼女のいうことは、いちいちもっともだからだ。しかし、彼女の心をこれ以上、すさませていくわけにはいかない。そこで、思いついたのが、仲間の言葉を聞いてもらうことだった。じっと耳をすませて集中していた彼女は、だいぶ穏やかになり、次のように書いた。
 
くるしいきもちをしているなかまがたくさんいることがわかってかんどうしました
すべてのこどもたちがちゃんとかんがえていることがわかってきもちがらくになりました
じぶんひとりでなやんでいるとおもっていたけれどじぶんひとりではないことがよくわかりました
きもちをとりなおしてがんばりたいとおもいます
ねがいはざんねんながらすぐにはかなわないかもしれないけどがんばりたいとおもいます
きもちがずいぶんらくになりました
くるしんでいるひとがたくさんいることがわかりました
こどもたちでもいろいろかんがえていることがわかってよかったです
りかいされないのはくるしいけどこのくるしみにうちかっていきたい
きのうのこどものしはとてもすばらしかったです
とくにむかしのくるしみをずっとたいせつにしてきたというところがすばらしかったです
いしとはかんけいなくからだがうごいてしまうのでくやしいです
いしのとおりにからだがうごけばどんなにらくでしょう
くやしいです
きびしいからだですがいっしょうけんめいがんばりたいとおもいます
いきるいみをなんとかみつけたいとおもいます
いきるいみがみつかるまでずっとくなんはつづくかもしれませんがいっしょうけんめいがんばりたいとおもいます
ねがいはきもちをきちんとつたえられるようになることです
きっとできるようになるとおもいます
いつかきっとねがいがかなうとおもいます
いつかきっといのりがとどくとおもいます
いつかきっときもちがききとってもらえるひがくるとおもいます
いいえがかけるようにこころをきれいにしておきたいとおもいます
きっとこのてでこんどこそかちとってみせたいとおもいます
いいいけんをきかせてもらってありがとうございました
いいしもきかせていただいてありがとうございました
いいしをきいてげんきがでてきました
きもちがすこしらくになりました
きもちがきけてよかったです
いいひでした いいじかんでした いいときをすごすことができました
いいきぶんになることができました いいべんきょうになりました
いいしめくくりができました いいくたびれかたができましたおわります

 嵐のように始まった時間が、ようやく最後に静けさを取り戻すことができた。
 そして、1ヶ月が過ぎた。今回は、はじめから穏やかだった。そして、冒頭に、次の詩が書かれる。適宜、漢字をまじえて紹介したい。

行きたいところがある
ジオラマみたいな時間が流れていて
小さいころの思い出が 願い通りに見られるような場所
白い色の時間が流れていて 気持ちいい風が吹き
小さなころ聞いていたなつかしい子守歌が聞こえてくる
二枚しかない切符は気にいった人だけにしかあげられない 
知れば知るほどきれいなところで
きれいな人しか行けないとてもいいところ
においもすてきでにれの花が咲き 
きれいな人が小さく笑い にれの願いがにおい 
小さくにれの木がそよいで 小さな自分をはげましてくれる
小さい光が 大木の上からさしてきて 静かに時間が流れていく
きれいな人がにれの木の陰から現れて 秘密の絹が石の上にかけられ 
きれいな小さなミーナが時間を西の方から流れてくるのを今か今かと待っている 
希望の小さなすきをねらって 二番目の望みが一人忍び込もうとしている
小さな願いに雪が降り 希望に満ちた小さな自分は
聞いてみたこともないような歌を聞いてている 
自分しかわからないような小さな声で 一人静かに耳をすます
耳をすますと二人三脚の小さな私にもきれいな歌が聞こえてきた
小さな私は小さな祈りを捧げ 命のかけがえのなさを知る
喜々として信頼という自信を自在に操りながら
気持ちのおもむくままに身を委ねて季節を知らない耳でにおいのいい曲を聴いた
霧が立ちこめて霧の消えるまでの時間 小さな憎しみが小さな私の中に生まれた
自分ではどうすることもできず
時間が過ぎるのを待つしかなかった
小さな私は憎しみも知らず
小さいときの小さい私のまま
知らない時間が流れることを一人待っていた
自分より大きな憎しみは私を圧しつぶしそうになるけれど
厳しい人生だから一途に生きていくしかないと
憎しみをいい心に変えてしまおうと
苦難しいられても小さな私はけして希望を失わないように
希望への幸せに満ちた時間を大事にしていこうと決意を新たにした

 そして、その後、次のような言葉が続く。

きもちをしにしてみました きもちをきいてひひょうしてください ちいさいわたしはたんじょうしたばかりのわたしです いびつなこころになるまえのわたしです じちょうしようとおもうけど ちいさいわたしのようにはいきません いいしですか
いびつになったいまのわたしはくやしいです
きもちがいいひとになりたいです
いいひとになりたいです

 気持ちを詩として表現した時、すでに荒々しい感情は、しずまっているから、けっしていびつになっているわけではないし、おかしいことはおかしいと冷静に言うことはまちがっていないということを伝えた。そして、再び、この1ヶ月の間に、出会ったいろいろな人たちの言葉を紹介した。

きぼうはきょうのしのてーまでしたからみんなのきもちがよくわかります
いいしでした きれいないめーじで きれいないのりにみちていました
いいじかんでした いいじかんをすごせました きもちがおだやかになります
しはひとにきかせるものではなくきもちをおちつかせるものだということがよくわかりました
きもちをきれいにするためのものだということがよくわかりました
きもちがいびつになっていたけどにんげんとしていきていきたいのでじしんをもっていきていきたいとおもいます
いいじかんでした じぶんのきもちをせいりすることができました
いいじかんでした きもちがらくになりました
いいしがかけたとおもいます
きぼうのきもちがうまくひょうげんできました
しきりにきもちがおちついてきます
ちいさないのちでもいいいきかたができるように
にんげんとしてきもちをいいたいです
きもちをいえてよかったです
 
 絶望にうちひしがれようとしている少女を前に、ほとんど無力な私だったが、必死で向かい合ったひとときだった。彼女を救ったのは、仲間の言葉だ。みんな、もっと互いに言葉をつなぎあっていかなければならないとつくづく思う。
 こういう嵐のような感情の起伏をこれからもやはり繰り返しながら、しかし、確実に彼女は成長していくだろう。そして、いつか、仲間と本当の絆で結ばれ合ったなら、世界は大きく変わるだろう。
2008年12月23日 10時49分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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2008年10月26日(日)
盲聾の少女と
 都内の研究所で盲聾の○○さんと関わった。担当の先生が所用で来れなかったので代役としてである。学校では、小学校からずっと彼女の学習を担当してきた先生の努力で、すでに2けたの数の足し算の筆算までこなしている。しかし、ここのところ研究所での学習はなかなかうまくいかない。そんな彼女と何を学習するのか。彼女の教育のプロセスは、日本の盲聾教育の未来に深く関わると勝手に考えて毎回横で見ていることにしているので、それなりに、試してみたいことはあった。
 最近の様子から思っていたことは、単語の整理である。指文字や点字を自由に読めるようになった彼女には、これからどんどん単語を増やしていく必要があるが、そのためには、日常生活の流れの中での指文字による単語の受信だけでは限界がある。やはり、あらためて、単語間の関係がカテゴリーなどによって整理された状態で、学ばれる必要があるだろう。
 彼女と学習するのは12月以来のこととなる。12月には、「あなたの名前は何ですか」と大胆に質問したら、リベットの点字できちんと名前を書くということがあった。ようやく発信が生まれ始めた頃で、この質問に彼女が答えられるかどうか、賭けではあったが、子どもはつねに私たちの想定を超えた力を持っているということをいやというほど思い知らされている私は、ある無謀とも言える信頼を持っていた。密かに、これはヘレンケラーの「WARTER」のエピソードにすら匹敵するものだと思って、その瞬間に立ち会えたことを喜びとともに感謝した。それからもうすぐ一年になる。
 6年生だった彼女は様々な葛藤を克服して中学部にあがった。そして、ようやく落ち着いてきた頃に、突然母親の入院という事態にも直面し、しかし、周囲の心配をよそに、立派に留守番をなしとげた。退院した母の顔をずっと笑顔でなでまわしていたという美しいエピソードとともに。
 そうやって着実に進歩している彼女に、簡単すぎるかもしれないが、次のような点字を準備した。
 
あたま・かみのけ・まゆげ・め・はな・ほほ・はな・みみ・くち・は・した・あご・くび
て・かた・うで・ひじ・てくび・てのひら・ゆび・つめ
おやゆび・ひとさしゆび・なかゆび・くすりゆび・こゆび

 体の部分の名前である。このうち大半はすでに彼女は日常生活の中で学校の先生が送り続けた指文字を通して知っているだろう。しかし、これをあえて、いささか細部にこだわりながら並べてみることで、物の名前を生活の文脈から切り離し、いささか対象化したかたちで並べることで、カテゴリー的な名前の把握へと発展する足がかりとしたいと考えたのである。
 実際に取り組んでみると、実に彼女は集中していた。左手で私の指文字を受け点字をさわり、さらに、私の体の対応する部位をさわるということを、どんどん続けていく。それを続けていると、部位によってさわり方を区別していることがわかる。耳は耳たぶをはじくように、まゆげはこするようになど、触覚的に身体部位を区別するということの意味がよく伝わってきた。
 そして、彼女が非常に喜んだのは、歯と舌だった。私の歯や舌をさわると、にやっとして、手をひっこめすかさず手をずぼんでさっとふく。そんな風にしながら、頭部の部位や腕の部位を確かめていった。
 「しばたのみみ」「○○のみみ」といった所有の言い方などにも発展させた。今までになく、私は自分の名前を彼女に発信したことになる。
 残念ながら、彼女自身は、発信をする右手を、いっさい動かさない。数の学習では、どんどん発信されてくる右手は、今日は不動の右手だった。おそらく、名前を受信することに集中していたのだろう。
 あっという間に、時間が過ぎていった。
 こうしたことの積み重ねがいつか彼女の中に豊かな言葉の世界をかたちづくっていくことを願う。 
2008年10月26日 21時46分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年10月14日(火)
初めての手紙
 都内の研究所でのできごと。7月から文章を綴り始めている☆☆さんと関わった。残念ながら、1000字を越えるところでプログラムのミスが起きて、プログラムが終了してしまったので、記録にとどめることができなかった。もともと、1000字を越えることなど、想定せずに作ったものだったからだ。
 はじめに、返事として使える体の部位について質問してみた。パソコン以外でも言葉を表現してもらう手段を考えるためである。すると、手については、特に指、口などをあげたが、なかなか自由に使えないということ、気持ちがいい時には声は出せることなどを書き、今日はのどがつらいけれど、書きたいことがいっぱいあるのでがんばるとも付け加えた。
 続いて、いろいろな人と話せるようになりたいという願いを書き、どうやったらそうなるのか、スイッチの援助はむずかしいのかなど、いろいろと語った。ご両親にも、特殊な方法のように映るようで、さしあたり、生活の中にどうやって生かしていくか、とまどっておられるようだった。
 そんなことをひとしきり書いた後、ご両親のことに話が及ぶ。世界一のとうさんとかあさんという言葉や、とうさんとかあさんがずっと元気で長生きをしてほしいということなどを書く。健康に不安をお持ちのお母さんだから、こうしたひとことひとことが、ずっしりと響いてくる。
 そして、お父さんに対して、かあさんを大切にしてくださいとお願いをした。
 彼女は、書いている内容がそのまま感情として体の動きに表れるので、家族の話に及んでからは、体中に力を入れたり、声を出したりして、気持ちがひときわ伝わってきた。
 ワープロがエラーで終了してしまったので、1000字も書いたということで、休憩をした。そして、一つお願いをした。それは、国学院大学の学生で、彼女のことで卒論を書くために、毎週家庭訪問をしていた女性にメッセージを書いてほしいということだった。
 卒業後も、☆☆さんの家族と親しくしている方で、先日、電話で☆☆さんが文章を綴るようになったらとても喜んでくれるということがあったからだ。
 以下は、さらさらと書いた手紙である。しっとりとした文面に、☆☆さんの成熟した人柄がうかがえた。

◇◇◇せんせいおげんきですか
わたしはきもちをことばでいえるようになってとてもうれしいです
ねがってのぞんできたことだったのでかんげきしています
こんどおこさんをつれてあそびにきてください
しばたせんせいはずっとげんきです
なつかしいです わたしのいえにきてくれていたころいろいろべんきょうをおしえてくれたことが
めをつかうことはむずかしいですがせんせいのかおはよくおぼえています
ずっとわたしのことをきにかけてくれてありがとうございます
ほんとうにかんしゃしています
でんわでいつもはなしてくれてありがとうございます
またこえをきかせてください
それではさむくなるのでおからだにはおきをつけください
さようなら

 「◇◇◇せんせい」にあてて、この初めての手紙を投函したところだ。
2008年10月14日 08時43分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年09月28日(日)
マイナス×マイナスの答え
 数学の大好きな小5の○○さんの気持ちをひとしきり聞いてから、今日はマイナスの数を勉強した。

つぎはすうがくのべんきょうをしたいです。すうがくならなんでもいいです。すうがくはだいすきですから。

という言葉を受けてのことだ。

マイナスの数が生まれてくるところから、マイナスの数を使った足し算、引き算。そして、かけ算へ。

 数直線を使えば、マイナスの加減算の理解は比較的スムーズで、実際の例として温度計や氷点下の意味などを説明した。問題は、マイナスのかけ算。かけ算を累積していくイメージで考えれば、ある程度直線の世界で説明可能だが、やはり、二次元の平面上の面積にあたるものとしてのかけ算のイメージを大切にしたかったので、第1象限と第3象限がプラス、第2象限と第4象限とがマイナスになるイメージを図示した。これは、相当に難解そうだったが、懸命に説明に集中する姿が印象的だった。具体的な例としては、学生時代に勉強したトランプカードの例を出した。
 黒いマークのカードは1枚につき2点が増え、赤いカードは数だけ1枚につき2点が減るとし、カードをもらったり渡したりする行為のうち渡すをマイナスもらうとして、もらうー渡すをプラスもらうーマイナスもらうという言葉で表現する。すると、黒いカードを3枚もらう場合、2×3、黒いカード3枚マイナス3枚もらう場合、2×(−3)、赤いカードを3枚もらう場合、(−2)×3、赤いカードを3枚マイナスもらう場合、(ー2)×(ー3)となる。マイナス×マイナスにあたるのは、赤いカードを3枚わたすわけだから6点の増加すなわちプラスになる、という説明だ。まったくの受け売りだが、何とかわかってもらえたようだった。

かけざんはわかりましたがわりざんはどうなりますか。

 わりざんの説明はどうやったか、それは、さきほどの二次元の座標での説明をまず、行い、次に、わり算は逆数をかけるかたちにできるので、かけ算に統一できるということを説明した。

すこしむずかしいけどわかりました。とてもおもしろかった。なんでもりかいできたらうれしい。ねがいはがっこうでもやってもらうことです。

 そのあと、前回やった☆☆先生とワープロに挑戦。

しばたせんせいいがいのひとともおはなしできてうれしいです。わたしがことばをりかいできることをしっているひとはほとんどいませんが。

 短い時間だったが、確実にスピードも速まり、力も抜けてきた。
 ところで、非常に興味深いことを今回うかがえた。それは、最初に書いた文章の中で、病院の訓練の先生のことを書いたのだが、その先生の名前がちがっていた。その理由を聞いてみると次のような答えが返ってきた。

なまえをおぼえるのはだいのにがてです。はっきりとききとれないからです。いつもこまっています。ふだんはききとれますがびょういんではききとりにくいです。○○○ちゃん(☆☆先生の赤ちゃん)はききとれました。つねにちゅういをしているわけではないのでむずかしいです。

 名前を間違えるお子さんが結構いて、そのことが文章の信憑性に影響を及ぼすことがある。その理由がどうしてもわからなかったが、こうしたことがあるのだと、改めて知ることができた。
2008年9月28日 22時52分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年09月15日(月)
どんぐりころころ―「すきなりゆうはかしがすてきだからです」
 7月の終わり、お宅を訪問して、すっかりお酒をごちそうになったあと取り出したパソコンで思いを綴った20代の女性☆☆さんと、都内の研究所でお会いした。この研究所に彼女が通い始めてもう20年以上が過ぎた。
 この話をお伝えしておいた研究所の先生が、大変感激してくださり、たくさん質問を用意してお待ちになっていた。
 最初の問いは、小さい頃から今にいたるまでずっと「どんぐりころころ」が大好きな理由は何ですか、だった。

すきなりゆうはすてきなかしだからです
きくとむかしをおもいだします

 一瞬、歌詞?と思った。だが、あらためて歌詞を思い浮かべると、そこにはちょっと悲しい物語が埋め込まれている。どんぐりに大変なできごとがふりかかり、周囲の働きかけに半ば癒されるも、やはり悲しみは消えないという物語を彼女はどう受け止めているのだろうか。家に帰ってインターネットで検索をしてみると、後になって3番が加えられたという。そこでは、りすによってどんぐりは森に帰ることができるのだが…。その3番は、きっと☆☆さんには気休めの歌詞にしかすぎないのではないか。きっと、泣いても山には帰れないどんぐりの悲しみにこそ、☆☆さんの共感があったのではないか…。そんなことまで想像は広がっていく。
 次の問いは、未熟児網膜症でほとんど見えないといわれてきた目についてだ。 
 
ひだりです(左右のどちらで見ているかの答え)
めのまえならみえます
かおはよくわかります
よくにているひとはまちがえます

 さらに、文字はどうやって覚えたのかという問いに対しては次の答えが返ってきた。

じはじぶんでおぼえました
えほんでおぼえました
きになることばがあるとくりかえしおもいだしていました
けっこうたいへんでしたががんばっておぼえました

 学びへの渇望とでもいうべきものがここにある。おそらく限られたチャンスをしっかりとものにして、みずから文字を覚えてきたのだろう。しかも、くりかえし思い出していたというようなことが、私たちの知らないところで行われていたのだ。
 それでも彼女は、こう綴る。

わたしのことをたいせつにしてくれてありがとうございます
よくしてくれてかんしゃしています
ずっとつたえたかったです
しんじてくださってありがとうございます

 さらに、思いの吐露は続く。

つらいことはかんがえてもしかたないのでふかくはかんがえないようにしています
きもちをつたえられてしあわせです

 そして、当然の願いとして、次のように綴られる。

ぜひいえでもやりたいです
いえでやれるようにおねがいします
ふだんからいいたいことがたくさんあるのでいいたいです

 家の話は、また、両親への思いへと続いていった。ここのところ、体調がすぐれない母親のことを心から気遣う言葉を前回は書いていたが、今回もその気持ちの延長線上に気持ちが語られる。

ていねいにそだててくれてかんしゃしています
じぶんではなにもできないからくろうばかりかけてしまってごめんなさい
ねがいはとうさんとかあさんがいつまでもげんきにながいきをしてくれることです

 つらい言葉を綴る時は身をよじらせながら、感情を体に表しつつ文章を書き上げた時、彼女の顔には満面の笑みが浮かべられていた。
 
2008年9月15日 20時22分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年07月31日(木)
わたしのことにいそがしくてからだをこわしてしまって…
 就学前から関わり、手の運動と姿勢の問題について、数々のことを私に教えてくれ、研究発表や授業などで何度も紹介してきた20代後半の女性○○さんが、やはり文字を綴る力を秘めていた。
 毎日、早朝から現場に出るお父さんは、休日など仕事の合間をぬって家のそばに借りた畑で、野菜を育てている。とれた野菜をあげるからと誘いを受けてうかがった。もともとは家内に声がかかったのだったが、たまたま早く帰宅した私は、くっついていくことにした。ちょっとひっかかっていたことがあったからだ。  
 6月の関わりで、私はパソコンで文字を綴ることに挑戦した。そして、確信のないまま彼女の力を拾っていくと。「ちいさいときからはな」という文字が並んだ。だが、そこで、彼女は泣き出してしまったのだ。私は、経験から、うれし泣きもあり得ると思っていたが、ふつうに見れば、わからないことを強要されていやがっているように見える。そして、見かねたお父さんは、「せっかく先生ががんばっているのにそんなにいやがるんじゃしょうがないね」と○○さんに声をかけて、「こんなにさわいでいるんで無理ですね」とおっしゃった。さすがにここで無理をしてもと思ったので、そこでパソコンはやめた。
 そして、7月は、自信が持てず、ついにパソコンを開くこともなかった。
 だが、どうしても「ちいさいころからはな」という文字が頭から離れない。野菜をいただきにあがるだけだったのだが、もし、チャンスがあればと鞄にはパソコンを入れて、お宅へ向かった。野菜をいただくはずだけだったが、私もいるということで、招き入れられ、まあいっぱいやりましょうと言って、ウィスキーのボトルが出てきた。○○さんが横になっているすぐ脇で、さっそくグラスにウィスキーが注がれた。
 話題はすぐにお母さんの健康のことになる。お父さんは、宝くじがあたったら、家のローンを払って、楽な仕事にかわって、自分の臓器をあげるというふうにおっしゃる。○○さんのためには、二人そろって長生きしないといけないということだ。その後話はあちこちに飛び、私もお父さんもすっかり酔いがまわってしまった。朝の早いお父さんは、ここで、悪いけど寝ますということで寝室に移られた。常識的にはそこでおいとまするのが当然だが、酔っていたこともあったと思うが、お母さんに、ちょっと、パソコンを出してみたいと伝えた。
 そして、1時間半ほどかけて次のような文章が綴られた。
 やはり最初はお母さんの体調と、お父さんについての思いだった。

かあさんがげんきでいつまでもながいきしてもらいたい
めんどうをみてくれてかんしゃしています
とうさんにはとてもいつもわるいとおもっています
しっかりいきてみたいけれどなかなかおもうようにならないのでくるしいけどがんばります
きもちをことばであらわしたかった
じはしっていたけどてをつかってかけるとはおもわなかった

 彼女は、未熟児網膜症でほとんど見えていないと言われていたので、この言葉には驚いた。そこで、見えているのと尋ねたところ次のような答えが返ってきた。

みえています じはちかいところならみえます
かんじもわかります

 そして、6月の関わりのことに話が及んだ。

くやしかったことがありました あんなにきもちをひょうげんしたのにつたわらなかったとです
りかいしてもらえてうれしかったからないただけです
ねがいはしんじてらうことです

 ここで、これまでの私の関わり合いについてどう思ってきたかと聞いたところ、

よくわたしのことをきにかけてくれてうれしいです

と、答えが返ってきた。さらに、文章は続く。
 
せかいいちのおとうさんです
くるしみのひびがこれでよろこびのじんせいにかわります

 「じんせい」という言葉は○○さんのの大好きな「水戸黄門」の主題歌に頻繁に出てくる言葉だ。彼女は、この歌が流れると全身に力を入れて喜ぶ。○○さんと未熟児で弱視というような点で共通している大越桂さんは、その著書『きもちのこえ』の中で、水戸黄門の歌についてふれてあるが、実は、その部分を読んだとき、○○さんと重なって、そのページから先に進めなくなってしまった。「人生楽ありゃ苦もあるさ」という何気ない歌詞が、言葉として○○さんにも届いているのではないか。そうすると私たちは大きな見落としをしていることになる…と。

とうさんにはやくほんとうのすがたわたしをつたえたい

 ここで、失礼を顧みず、いつもタオルを握って口でかんでいることについてその理由を尋ねた。
 
からだがうごかないからいちばんつかえるところをつかっているだけです

 そうだったのかと、納得した。

かあさんいつもありがとう
わたしのことにいそがしくてからだをこわしてしまって
ねがっていますかあさんがながいきをすることを
ねがっていますおとうさんがいつまでもげんきではたらけることを

 ○○さんの心からの願いである。そして最後に一言と尋ねたところ、次の言葉が返ってきた。

てがつかえてうれしい

 酔いは幸い、手もとをくるわせることはなかったが、目の前のできごとは、本当にまるで、夢のようなできごとだった。
2008年7月31日 09時03分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年07月01日(火)
代数の世界そして大人の世界
 日曜日のある研究施設でのできごとだ。
 ☆☆さんが、やってきて、学習室に入る前に、手前の大きな部屋で、数の学習をしている弱視でろうの女性の学習をしばらく見学した。位取りの学習で実際のお金を使ってやっていた学習を見ながら、☆☆さんは、自由に操作できないけど目で見たりいっぱい言葉で説明を受けながら勉強するんだけど、この方は、見えにくいし言葉も聞こえないので、実際に操作しながら納得していくというようなことを説明した。その後、パソコンに向かうと、こう綴った。「てでなかなかできなくても かんがえさえすればわたしにもできます。わたしはわかりやすいやりかたをおしえられてこなかったけどじぶんでかんがえてわかるようになりました。」ていねいに進められる学習を見た率直な感想だ。「のぞみはむずかしいすうがくのべんきょうをやることです。けいさんのべんきょうもやりたいけどなかなかじかんがないのでできません。かんたんなけいさんはできますがべんきょうをさせてもらえないのでむずかしいけいさんはできません。」と、現状を述べる文章を続けた。そして、「えっくすというのはどういういみですか。とてむずかしくてわかりません。おしえてください。えっくすというのはよくでてくるのでぎもんにかんじていました。」と本日の課題が書かれた。
 いきなり代数が出てきたので、一瞬ひるんだが、説明を始めることにした。いちばん簡単なxの例は、3+□=7 3×□=6 というような問題がある時、この□がxに変わったもので、x=4 x=2 というようになるということをまず説明。しかし、それだけだったらわざわざxを使う必要はなく、xを使うのは、具体的な数の世界から、関係だけを取り出すということと説明して、次のような例を出した。たくさん人が一列に並んでいて、3人後ろの人に花をあげるというようなルールがある時、花をあげる人をx番目の人とすると、花をもらう人は、x+3番目になる。花をもらう人をy番目とすると、y=x+3 というふうに表すことができて、これは、具体的に何番目の人かという話をはなれて、ルールの関係だけを表したものになると説明した。そして、関係を表す例は、こういうたし算の例よりも、日常生活の中では、この間、問題にした割合などの方が多くて、例えば、消費税や食塩水の濃度などがあると説明して、y=0.05×x y=0.1×x (10%とすると)という式を挙げた。
 さらに、具体的な数の値からはなれて関係だけを表す代数の世界では、+、−は残るけど、×と÷は使わないこと、×は省略するだけだからいいけど、÷は、なんと分数で表されることを説明した。 もちろんゆっくりとスケッチブックにいろいろ書きながら説明をしていったが、終始、集中し、時折納得した笑顔を見せる。
 小5で代数はいかにも早すぎるが、系統的に時間をかけて学ぶ機会を持っていない彼女にとっては、疑問を持ったところで、答えていくことが必要だ。教える側の力が問われるところで、こうした説明は冷や汗ものだが、お互いに、数の世界がしだいに発展していくおもしろさを感じながら、進めていければと思いながら、説明を続けた。
 「えっくすについてかんたんにおしえてくださってとてもうれしかっです。こんどはもっとむずかしいことがしりたいです。」と感想がかえってきた。そして、さらに言葉は続く。「がっこうではなかなかおしえてもらえないのでざんねんです。なぜがっこうではさんすうのじかんがないのでしょうか。」私も、このことについては、なすすべがない。彼女は、けっして自分を、ただ不満だけを言いつのる存在ではありたくないと誇りを持って語る。「よくないことかもしれないけれどうらめしくおもってしまいます。」「すなおになれたらうれしいです。」というように。代数の世界を問う彼女には、すでに大人の社会のことはよく見えている。本当は、私にだけ語った不満のはずだ。お母さんの目には、学校にも、毎日楽しく通っているように映るとのこと。思いを胸にしまって、前をしっかり見つめて、彼女は、今日もがんばっていることだろう。
2008年7月1日 07時29分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年05月26日(月)
少数と分数の学習と知る喜び
 都内のある研究施設に通ってくる小5の女の子との学習のことを書こう。彼女は、体のつっぱりが強く、それも突然不意に襲ってくる。しかも、コミュニケーションに必要な意図的な運動がむずかしいため、ふつうに彼女を見ただけでは、とうてい言葉を理解しているとは見えない。私も、彼女とはそういうことで長いこと関わってきた。その彼女が言葉を理解していることがしだいに明らかになり、パソコンで言葉をつづれるようになった。
 時々、どきっとする鋭いことを書いてくるお子さんで、「わたしがことばをしっていたことをなぜわかってなかったのにやさしくしてくれたのですか」とか「にんげんとしてみてもらえてうれしいです」などと書いてくることがある。
 最近は、彼女と算数の勉強を始めた。彼女からのリクエストで、先月からかけ算と、小数と分数の勉強をやっている。
 先月は、次のような展開だった。数というのが最初はものの個数であり、それが長さなどの量になっていくプロセス、数が長さのような量を表すようになると0の場所ができて、0と1の間の数が生まれること、それが少数になること。そして、分数は、ケーキを等分するようなことから始まったこと、そして、ケーキ全体の1が、数直線上の1と同じになると、0.1が1/10になるということなどを図を使って説明した。彼女がどれだけ納得できているか、その都度返事が返ってくるわけではないが、ひたすら私の話に集中している姿を頼りに説明を進めていく。
 そして、かけ算の説明に移った。数直線上のイメージで処理できるものとして、お皿の上にのったアメの数の例で、アメが2個のっているお皿が3皿あるという例を出し、さらに、その発展としてかけ算は2つの軸が交差する2次元の平面で、面積としてイメージすることができることを説明した。
 そして、今月は、ひとしきり現在の学校での様子や思いを綴ったあと、次のような一文から勉強に移っていった。

よくべんきょうをしてよいおとなになれたらいいなとおもいます。
さんすうはすきなのでやりたいです。しょうすうのいみはわかりましたぶんすうがむずかしいです。いみがむずかしいです。

 この文を受けて、もう一度、ケーキを分割するイメージから分数の意味を伝え、それが数直線上に置き換えることができることを説明した。そして、実は分母が10ならばきれいに小数と対応するけれど、3分の1だと、小数とはきれいには対応しないことなどを伝え、0.1、0,2と続く数字を分数で表してみた。すなわち、1/10、1/5、3/10、2/5、1/2、3/5、7/10、4/5、9/10というふうにである。こうした説明をくわえているうちに、

わかります。むずかしいけどわかりました。

と答えがかえってきて、さらに、

しょうすうのかけざんがしりたいです。しょうすうのわりざんもしりたいです。

という意見が続いたので、小数のかけ算へと移っていった。ここでも、まず、0.4×3というような、直線上のイメージで処理できるものを説明したあと、0.3×0.2へ移り、これを面積の図で説明した。図では、1辺が0.1の正方形が横3個×縦2個並んでいるようになっているのだが、この1辺が0.1の正方形の面積は1の何分の1になるかを尋ねた。すると「じゅう」と答えが返ってきた。もちろん誰もが一度はまちがう問題である。私も、この問題を40年前に授業で扱った時のことをいまだに覚えている。そこで、もう一度、図にもどって丁寧に説明をくわえたところ、「ひゃく」と答えがかえってきた。そこで、100分の1が6個あるわけだから、100分の6で、それは小数で言うと、0.01が6個あることになり、答えは0.06になると伝えた。そして彼女からは次のような言葉が返ってきた。

かけざんのいみがよくわかりました。わりざんのいみをおしえてください。

 そこで、わり算の意味を、直線のイメージとして1.6÷4を例に、そして、面積のイメージとして、今やった0.06÷0.03をやった。
 そして、ついでに、次の課題として、割合の話をして、今日は終わった。
 
 算数の学習の間中、彼女は何度も笑いながら、ずっと集中を続けていた。点数競争と無縁の彼女には、計算のテクニックはいっさい教えていない。ひたすら、その意味を伝え続けた。問題を出して解かせることも全くしていない。限られた時間を、しかも、知る喜びにのみこだわった時間である。
 言葉を理解できていることさえまだ信じられていない彼女だから、とうていこうした教科学習から遠くかけ離れた授業しか受けることができていない。
 障害児学校には、教科書がないから先生方は大変な努力をしてこれまで学習内容を築きあげてきた。しかし、こんな当たり前の知識を子どもが欲しているということを、先生方が気づいてくだされば、もっと違う方向に先生方の努力は向けることができるのにと思う。
 学ぶ喜び、知る喜びの原点にふれた、そんな一日だった。
2008年5月26日 00時15分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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