母の日に20代の女性○○さんはこんな言葉を母に捧げた。
ありがとうおかあさん。鏡の前でかあさんが咳こんで苦しそうにしていたので、心配していました。小さいことでも気になります。人間だから気持ちが言いたいですが、かあさんに無理してもらうのは気が引けますから家では(言葉を読み取る練習は)もういいです。頑張らないでください。かあさんに申しわけありません。あんなに無理しているのを見るのはつらいです。家出はふだんのままでいいです。自分の気持ちの言葉はどんなふうにしても伝えられません。悲しいですがわかってもらえるだけでいいです。わかってくれさえすればいいです。
夏を待ち望んでいます。夢は夏らしい夢をかなえることです。海水浴に行きたいです。小さい頃によく行きました。小さい頃、夕方によくやわらかな夕焼けがろうそくのあかりのように見えましたが、なかなか見えません、最近は夕焼けが。じっとかあさんの胸にだかれてよく散歩をしたものです。夕焼けがとても好きでした。苦しいことや悲しいことも夕焼けを見ると希望に変わりましたから。人間として満足に希望をかなえることもできなかったけど、希望だけは失いたくないと思いながら今日まで生きてきて、人間らしい未来をつかみたいとよく願ってきましたが、なかなかむずかしかったです。なんで私だけこんなに苦労するのかと思ったことも少なくありませんが、泣かないでこれたのは、いつもやさしいかあさんととうさんがいてくれたからです。泣かないでこれたのはかあさんが鏡に向かっていつもお祈りをしてくれたからです。かあさんはいつもいい大好きなかあさんです。(鏡に向かって祈るとは)鏡に向かうとよくひとりごとを言っていることです。私のことをよく話してくれます。
敏感ないいかあさんなので、いつまでも長生きしてください。小さい夢ですがかあさんに指輪を買ってあげたいです。ルビーの指輪がいいと思います。(お母さんは、病気の関係で指輪はできないと伝えると)悲しいです、夢でしたから。何かほかの飾りでいいから買ってあげたいです。自分では買いにいけないのでかわりに買ってください。私の貯金で。年金があれば使ってください、たまには。みんなもきっと同じだと思います。分相応のものでいいから買ってください。かあさんに買ってあげたいとずっと願ってきました。人間だから何かいい方法で感謝をしたいです。いい方法はないでしょうか。書いただけではなかなか伝わりません。自分の気持ちをかたちにしたいです。かあさんに伝えたいです。よいかあさんだから。
そして、
夕焼けの悲しい色のような歌を聞いてください。
と書いてから、夕焼けの詩を綴った。○○さんは未熟児網膜症なの絵、ずっと私たちは見えていないと思っていたのだが、わずかに残された視力で彼女は、夕焼けをしっかりとらえていたのだ。
悲しい夕焼け小さい胸に
ろうそくのあかりをともして消えた
光のむこうの暗闇を私は澄んだ瞳で見つめ
悲しい物語をそこに見る
人生の片隅のひそやかな願い
ろうそくの光をともしておくれ
光はいつも泣いている私に希望を与えて
私をあしたの見たい世界に連れていく
美から目ざめた願いの未来
ろうそくのあかりを空にまた
体中まで赤くして私らしく生かしてほしい
ランプのような夕焼けは
晩の暗闇を泣かないようにしてくれる
人世の片隅で
願いを未来につなぎながら
小さい夢を
未来にいつか冒険のように
よく実らせよう
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2010年5月16日 21時44分
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この春、小学校を卒業して中学生になる二人の女の子が出会った。一人は、特別支援学校に通い、一人は、すでに亡くなった障害のある伯母を持つ女の子。たまたま、亡くなった伯母さんは、同じ学校の大先輩だった。特別支援学校に通う☆☆☆さんは、同じとしの女の子に会って、とてもうれしそうだった。そこで、今日は、二人に心ゆくまで会話してもらおうと、ひたすら通訳に徹した。そして、こんなすてきなやりとりが生まれた。
うれしいです。おなじ小学生と話ができて。聞いてみたい。損得の問題ではないけど養護学校ではなかなか勉強をしてもらえずさびしいです。
(柴田:「文体、ですますでなくていいですよ。」)
聞いてほしいことがあるの。小さい時から私はよくわかっていないと思われてきて何も話しかけてもらえず損ばかりしてきたの。願いは本を自分で書くことよ。でも私はどうしたらいいかわからず、よく夢で自分で本を書いているわ。文章を書けるようになりたいの。願いをなんとかしてかなえたいの。絶対あきらめないわ。応援してね。
(え○こ:応援するよ。)
ありがとう。がんばるからそこのところよろしくね。勉強は好きですか。
(え○こ:好きです。)
こんど願いがかなったらなにか私のことを遠いけど手紙で伝えたいわ。住所を教えてもらえますか。そばなら何回でも会えるけど離れているのでそんなに会えないから手紙にするわ。小さい頃から手紙を誰かに書きたかったからうれしいです。帽子は好きですか。どんな帽子がすき?
(え○こ:野球帽が好き。)
私は花のついた帽子が好き。ぶかぶかでかっこわるいけどよく似合うと言われます。私は夢をよく見ますがえ○こさんの夢は何?
(え○こ:医者になることです。)
すごいね。いいお医者になって私たちみたいな子にもそこそこに理解できることを伝えてほしいわ。感動できるお医者さんになってね。願いは隣人愛にあふれるお医者さんがたくさん増えることです。人生について悩むことはありますか。
(え○こ:ありません。)
いいね。私はいつも悩んでいるの。小さいときからわかってもらえず無視ばかりされてきて損ばかりしてきたから。ほんとうに悲しかったけどこうして同じ歳の子と話せるなんて夢のようだわ。小さいときからの夢だったから今までいちども話かけたことがなかったのでうれしい。空に舞い上がるような気持ちよ。つらいことが多いけどこうして話していると忘れられるわ。小さいときからうらやましかった、みんなのことが。やっと話せて夢がかなったわ。小さいときからずっと話せなかったので勉強も教えてもらえずいつもよいほんとうの勉強ができるように祈っているの。なかなかむずかしいことを教えてもらえないわ。
何か聞きたいことはないですか。
(え○こ:学校ではどんなことが楽しかった?)
何もなかったわるいつもつまらないけど楽しいふりばかりしているの。
(ここで、かなえさんの作った歌をパソコンで流す。)
不思議な気持ちです。なぜわかってもらえたのか。無理かと思ってたわ。まさか私の作った歌を聞きとってもらえるとは思わなかったから。
え○こさんは歌は好きですか。どんな歌が好きですか。
(え○こ:平原綾香と絢香、いきものがかりが好きです。)
私はいきものがかりの歌が好きです。「私らしく」という歌が好き。
(え○こ:うちのCDには入っていなかったな。)
(柴田:そういう歌があるの。)
はい あります。ほんとうにいい歌です。
冒険の歌たがいいわ。悩みがふきとんでいくから。夢みたい。望みだったから。未来の生活がこんなふうになればいいな。夢だけどいつかかなえられたらうれしいわ。希望がわいてくるわ。おともだちになってね。夢みたい。のどから手が出るほどともだちがほしかったから。私のこと気にかけてくれてありがとう。きっといいお医者になれそうね。
自分の将来の夢は「れおろろらん」というお店を出すことなの。いい名前でしょ。私しか知らない言葉よ。月の国のよい夢を売るお店です。別にもうからなくてもいいの、みんなに喜んでもらえれば。
自分のことばかり言ってごめんね。え○こさんの残りのろうそくのような夢はありますか。
(柴田:残りのろうそくのような夢ってどういう夢のことかな。ちょっとむずかしいけど。)
そうかしら。かないそうでかなわない夢のことよ。
(え○こ;飛行機に乗ってヨーロッパに行ってみたいな。)
そうなの? もうすぐきっとかなうよ、その夢は。ほかにないかな。
(え○こ:リレーの選手になりたかった。)
なるほどね。よくわかるわ。私はリレーというものをよく知らないけど、かないそうでかなわない夢ね。
人間として認められることが私のかないそうでかなわない夢です。なかなか認めてもらえず悲しいわ。理解してくれてありがとう。かなえのことを忘れないでね。未来の私はもっと輝いていたいな。あとどれくらいしたら夢がかなうかな。夜になるとそんなことばかり考えて眠れなくなるわ。絶対にそんな時代がくると信じているけどなかなかうまくいかないの。小さいころからそんなことばかり考えてきて私は少しよくない子かもしれない。もっと素直に生きたかったわ。小さいころからの夢がかなってとてもうれしいけど、なんか私ばかり話してしまってごめんなさい。
え○こさんのおとうさんはやさしいの。
(え○こ:やさしくて、おもしろい。)
いいね、私にはとうさんがいないからさびしいわ。
雪のはなしを聞いても(らっても)いいかしら。
ほんとうのさびしさを知っている人には雪はやさしいの。外で雪を見ているともっとさびしい人がいることを知らされます。北のほうのさびしい世界に住んでいる人たちの悲しみが雪にはこもっていて、みんなには気づかれないけどさびしい気持ちで生ている人にはそれがわかるの。北の国の悲しみを運ぶ北風ぜもおんなじよ。だから私は北風が好き。瑠璃色の空に吹く北風はとくに好きよ。悩みが美しい空にに吸いこまれていくの。だから私は北風が好きなの。わかってもらえたかしら。
(え○こ:わかった。)
私の気持ちをわかってもらえてうれしいです。
(柴田、瑠璃=ラピスラズリの石の携帯ストラップを見せる。)
理想の色です。そうです瑠璃色。
(柴田、横にいるえ○こさんのいとこの赤ちゃんに語りかける。)
私はあかちゃんのときのことを覚えているわ。最初に覚えた言葉は、ゆんゆんだった。「れおららろろん」も小さいときに考えたの。すてきという意味よ。たぶん私たちは話すことができないから忘れないんだと思うわ。でも覚えていてもしかたないけど。
(柴田:え○こさんは、雪がふるとうれしい?)
(え○こ:はい、うれしいです。)
私もうれしいと思うけどなかなか外に出られないから残念だわ。
理想の家族ですね、うらやましいわ。私もいいおかあさんとかわいい弟がいていい家族だわ。全国には悲しいできごとがたくさんあって家族がばらばらな人たちがいるのが悲しいね。小さいころから途方にくれる子どもはかわいそうね。
指をくわえていつもうらやましがっているのは悲しいから私も私らしく生きていきたいな。未来に夢をつなぎたいわ。
え○こさんまた会えたらうれしいわ。ばかばかしい話につきあってくれてありがとう。
(え○こ:ありがとう)
ありがとう。え○こさんも夢に向かってがんばってね。
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2010年3月29日 01時21分
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父の通夜に来てくれた20代後半の☆☆さんと会った。通夜からちょうど一週間後のことだ。彼女は、父の死を通じて人間の人生について、懸命に考えてきたようだった。
生き方に従った方だったのですね、先生のおとうさんは。人生を一生懸命生きたということですね。きっとしあわせだったのですね。聞くことができてよかったです。気持ちを言えてうれしかったです。きっと昔から多くの人が人生をそうやって過ごして生きてきたのですね。望みは私もそんなふうに生きていきたいと思います。さんきょうという言葉を聞いたことがありますが、人間は分相応に生きてゆいつの理想が極楽浄土に行くことだと聞いたことがあります。
「さんきょう」とは三界のことだろうか。通夜の日に誰よりも読経に耳を傾けていた彼女のことだから、どこかでそんな話を聞いたのを覚えていたのだろう。
いい理想の世界を見てみたいです。人間のいい理想の生き方がしたいです。人間の希望はランプの光をともしたいと思います。小さい願いだけど小さくても理想をかかげて望みを大事に生きていきたいと思います。夢をかなえたいと思います。わかってほしいです、私の気持ちを。夢でした、私の気持ちを言うことが。だからうれしいです。小さいときは私はわかっていると思われなかったのでとてもさびしかったです。なかなかきびしい日々でした。やっとわかっていることが先生のおかげでわかってもらえたので気持ちが楽になりました。短い人生かもしれないけど精一杯生きていきたいです。(短い人生とは、あなたの人生ですか、それとも一般的に人間の人生という意味ですか。)人間の人生です。
彼女の言っていることは実に的を得ているが、やはり、短い人生とは一つの言い方に過ぎない。彼女の両親は、まだ、彼女の年には親にはなっておられなかった。だから、ご両親からすれば、今の彼女の年齢のあとに、彼女が生まれてこれまで育った時間が来ることになる。だから、人生ってけっこう長いとも言えるのではないかと、こじつけかもしれなかったが、説明した。
わかりました。いろいろなことがあるのを楽しみにしたいです。まだまだ私は若いですから。勇気が湧いてきました。みんなもきっと言いたいことがあると思うのでこのやり方を広めてください。理解してもらえてうれしいです。あきらめないでください。
においのいい花が咲いたようです。きれいな花が咲いたようです。小さい頃からの夢でした。理解してくれてありがとうと言いたかったです。よい私のことを表しています。小さいときからの夢でしたからとても感激しています。
また、一回り彼女が大きく見えた。
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2009年10月9日 14時35分
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今年で37年目を迎える研究会で、二人の方の事例を報告した。その際、そのうちのお一人にじかにパソコンで会場の参加者の方々に、訴えかけていただくことにした。当事者の語りこそが重要だと考えたからだ。10分ほどの時間しか用意できなかったが、次のような言葉を会場のみなさんに訴えかけた。
小さ(い)ときから話をしたかったです。小さいときから自分の気持ちを伝えたかったです。にいさんやねえさんとして関わってくれる友もだちがほしいです。小さいころから願ってきました。自由がほしいと考えてきました。小さいころからの夢がかなってうれしいです。人間としていい人生を送りたいと思います。私たちは見た目で判断されることが理解を妨げていますが、みんな考えています。小さいときは理想の人生を送ることができると思っていましたが、なかなか思い通りにはいきません。人間として言いたいことを言って生きていきたいと思います。私たちの気持ちをわかっていただきたく思います。よろしくお願いします。
前日の夜は一睡もできなかったという。終わったあと、その理由を聞いたところ、緊張したからではなく、勇気を出すためだったという。また、自分のことを理解してくれていない人もたくさんいることが伝わってきたとも言った。
新しい時代が確実に拓かれようとしている。
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2009年8月10日 16時48分
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20代の女性☆☆さんは、今年の1月から言葉を表現し始めた。そして、5月、次のような文章と詩と、歌を聞かせてくれた。
気持ちを言えたらうれしいです。小さいときからの夢でした。残念なことがありました。小さいときから気持ちが言えたらきっと話ができていたかもしれませんが、なかなか舞台装置がそろうことがなくて、なかなかみんなと話せませんでした。自分の言いたいことが言えたら人生はもっと稔りあるものになっていたことでしょう。人間として生まれて生きてきて誇りある生き方できたらと思うけど、なかなかむずかしいです。小さいころから願っていたことがかなってうれしいけど、小さいころから話せていたならと思わずにはいられない。別に誰が悪いわけでもないけど小さいときから話したかった。自分の気持ちを言いたかったです。作ったことがあります。詩歌は大好きですから。聞いてください。
聞かせてくださいあなたの気持ち
小さくしかたないそんな小さないい声で 自分の愛を伝えたいから
急に知らない願いは 不思議な声で
見たこともない美から生まれた犠牲のような気持ちで
人間としての言いたいことと 小さい昔の歌声と 聞いたことのない希望のいいおじいさんの声とじっとくらしてきたことが
見たこともない未来の希望とともに訪れた
びいどろのような風がふき 願いの冒険を苦難からそっと解き放ち
聞いたこともないようなきれいな風の音を小さく聞きながら
いい自分になるために 澄みわたるきのうの空のように 小さく感じながら
いい時を信じながら 犠牲などけして出すことなく生きていこう
なやみのつきはてない未来かもしれないが歩んでいこう。
(歌なら)作っています
小さい舟が 小さく願う
涙は雪に 消えてゆく
きのうのだれかの病気のような
じみなじまんの舟がゆく。
歌には、「願いの舟」という題名がつけられた。楽譜は以下の通りだ。
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2009年7月18日 10時12分
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学校に上がる前から研究所に通い、20代後半を迎えた男性○○さんと、初めてワープロで関わった。
そして、すぐに次のように書き始めた。
うれしいきたいしていました いいすいっちですね
じぶんのきもちがいいたかった
じぶんがかんがえていることがすらすらかけてがっこうがあったらださせてほしかった だいがくです
じぶんでじぶんのきもちがいいたかった いいきもちです
じぶんのがっこうにいきたかった
きいているだけではなくつたえられるがっこうです
きいているだけではつまらない
ちいさいときからはなしがしたかったです
ちいさいときからじぶんのきもちがいいたかった
おかあさんとおとうさんにはいつもかんしゃしています
そして、話は、別の方向へと発展していく。どちらかと言えば明るい笑顔が特徴的な彼だが、秘められた美しい感性が少しずつ顔を出し始めてきた。
きいてほしいことがあります
いつだったか きいたことのないきれいなおんがくをきいて
いくつもなみだをながしましたが
にこというがっきだったかもしれません
きいてかんどうしましました
きいたのはてれびです
がいこくのひとがひいていました
いいおんがくでした
きいてみたいです
ちいさいころからきくのがすきでした
がいこくにいってみたいです
いいおんがくをきいてみたいです
にほんのおんがくもすきです
にほんのおんがくをあいしていますがなかなかきけません
いいおんがくがききたいです
かつて、あるレストランで生演奏を聴いてぽろぽろと泣き出したというエピソードを聞いたことがあったが、音楽に対する繊細な感受性がよく表れていた。そして、なんと、彼は、詩を聞いてほしいと語り始めたのだ。
みたことのないようないいしをずっとかんがえてきましたきいてください
そして書かれた詩は、彼が言うとおりのいい詩だった。
ちいさなちいさなみどりのかぜが
ちいさくちいさくねがいをかなえ
ちいさなちいさなすずのねが
ふしぎなねいろをかなでてきえた
じぶんのゆめをかなえるために
じぶんとかぜとしーはいる
みどりのかぜにかかえられ
じぶんはきぎのあいだをひしょうする
ちいさないいじぶんにいいかぜをうけて
みどりのいいかぜにちいさなゆめをかたらせる
においのいいかぜがみどりになって
はるのかいがんをかけぬけて
どこまでもどこまでもじぶんがみどりのかぜとなり
すばらしいせかいをかけめぐる
かぜにのってちいさなじぶんは
ききゅうのちいさなきぼうをさがし
みどりのいいかぜをうけてちいさなねがいをちいさくかなえる。
シーハイルとは、スキーでの挨拶の声ということだが、彼は、歌で知っていたらしい。
しをかけてしじんになったきもちです
じぶんのきもちがいえるとはおもわなかったのでかんげきしています
ここで、私は、研究会にもよく参加して会場にいる彼だから、私のパソコンに関する発表を見ていたのかと尋ねた。すると答えは、以下の通りだった。
はい
ちいさなおんなのこのなくなったはなしでした
いいことばでした
いいかんざしをかってあげたいとおもいました
ちいさいこがすきですからいいかんざしをかってあげたかった
ちいさいおんなのこがちいさいうちになくなってかなしかったです
ちいさいこどもがなくなるのはかなしいです
4年前に亡くなった女の子のことだ。彼女は、私たちの常識を根本から覆し、仲間たちの言葉の存在を見いだすことにつながった。その存在をこうしてしっかりと受け止めていてくれたということに深く心をうたれた。
そして、遅れてはいってきたお父さんに向けて、言葉が綴られる。
おとうさんかていをかんがえてくださってありがとうございます
からだにきをつけてください
からだにきをつけてながいきしてください
がんばりすぎないでください
そして、感想が次のように綴られた。
、
いいまんぞくしたじかんでした
かんげきです
かんどうしました
ここで、質問をしてみた。それは、形の弁別の学習に手こずっていることをめぐるもので、どうして、うまく選べないのかを尋ねてみた。すると答えは意外なものだった。
てをうごかそうとするとみえなくなってしまいます
ちいさいときからこまっていました
でんちのときはみえます
じぶんのおもいどおりにからだがうごかなくてこまっています
字を覚えた時期については…
ちいさいときにおぼえました
おかあさんがおしえてくれました
そして、再び、このことをきかっけに、家族の話へと発展した。
ぎせいになってくれてかんしゃしています
あいされてしあわせです
いいかぞくです
にいさんがなくなったのがざんねんでした
病気で何円も前に亡くなったお兄さんのことだが、いつも、写真に向かって声を出して、話しかけているようだと、ご両親の説明がくわわった。
きかせたかったかあさんにいいしをかあさんに
きいてもらえてかんげきしています
きいてくれてありがとうございます
ひーりんぐのようなじかんでした
きもちいいです
ねがいがかなってうれしいです
きいてくれてありがとうございます
あらしのよるがあけたようなきもちです
きいてくれてありがとうございます
お父さんは、お母さんに、いい母の日のプレゼントになったねと告げられた。
私たちもまた、心を洗われるひとときとなった。
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2009年5月10日 23時13分
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新年度になり、6年生になった○○さんは、こんな書き出しから始まった。
ちいさいゆめがかないりかいしてもらえました ゆめでした
じぶんのきもちをきいてもらえるようになりました
そして、長い文章で理解される喜びを具体的に語りその先生の名前を書いたあと、
りそうのせんせいです わたしがそうぞうでつくりました
という文章がそれまでのすべてを覆すように書かれた。以前このことで、激しく感情を高ぶらせて訴えてきたことのある彼女は、今回は、さっと、次の言葉に移っていった。
しをつくりましたきいてください
そして、書かれた詩。
にんげんとしてうまれいきてきて
りそうをたいせつにいきてきて
ゆめをたくさんつむいできて
ほんとうのべんきょうをもとめながら
べんきょうのれんしゅうもできず
りかいされないことにもなれて
ひとりぼっちでいきてきた
みらいはもっとひらけていることを
ちいさいゆめとしてねがい
みらいのりそうとゆめを
ひろがるそらのように
ほんとうのねがいとして
ねがいみたこともないようなりそうを
らんぷのようにともしながらいきていこう
わたしのかのうせいがひらかれるひをめざして。
この後、私は、歌を作ったことはないかと尋ねた。すると「ある」という。そして、次の歌詞とが綴られた。
ねがいのはながひらいたら
わたしはそらにまいあがる
ねがいのはながひらいたら
ゆめをおおきくひろげよう
みどりのかぜがふいてきて
みどりのゆめがちいさくそだち
わたしはみどりのかぜになる。
そして、さらに、音符について知っているかと尋ねると、
しっています しぶんおんぷ とかはちぶんおんぷとか にぶんおんぷなどがあります
そして、階名で書けるかと尋ねると、
かけます
とのこと、区切りには「ー」を入れてもらって、書いたものは、
ドレミソララドシラドレド
ドレミソララドシラドレド
ラシドレドレドミファドレド
シドミソドシラソドレドシド
ミドミラソソミファミレドレ
ドレミラソソドファミレドレ
ドレミラソソドシラシシド
シドレミミファドシラシシド
いいきょくでしょう わたしがいつもくちずさんでいるうたです
始まりは8分音符であることを示す8というのも書いたので、そのまま楽譜にしてみた。若干、言葉の数とあわないところを調整して楽譜にしてみると次のような歌になった。
子どもたちの秘められた世界の奥行きがさらにいっそう広がっていくのを感じる。
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2009年4月30日 19時01分
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20代の女性の3度目の言葉を聞いた。長い間話せなかったことをめぐる切々たる思いから始まった。
ちいさいときからはなしたかったけど、なかなかはなせず、よくたえてきたとおもいます。みたことをはなそうとしても、りかいしたことをはなそうとしてもだめで、ゆめでした、はなせるようになることが。やっとはなせるようになったので、これからはやわらかいねがいをはなしながらいきていきたい。ちいさいころはみんなはなせるようになるとおもっていたけどむりでした。ゆめでした。
そして、同じ思いをいだいているであろう仲間たちのことへと思いが及んでいった。
みんなもきっとおなじきもちだとおもいます。にんげんだからやはりみんなきもちをもっています。みんなもことばではなしたいとおもっているとおもいます。ひとりひとりちがっているかもしれませんが、びんかんにかんじとっているひともいるとおもいます。
静かではあるが、まだまだ不十分でしかない私たちの取り組みへの抗議とは言わないまでも、切実な訴えであることはまちがいない。そして、さらに、次のように続く。
ゆうきをだしていいたいことをいいたいとおもいます。ぬいぐるみのようなじんせいとはおわかれです。
この後、彼女は、「勇気を出して」事実を語る。それは、これまで関わってくれた人の中には、きびしい人、見た目で判断するだけでわかろうとはしない人、やさしい人でもわかってくれるわけではないということ、かわいがるだけで理解してくれない人など、いろろいろな人がいたということ、そして、次の一文へと続く。
みさかいなくさびしいおもいがしていました。わかってくれたせんせいはNせんせいだけでした。ひとりだけです、きもちをきいてくれたのは。Nせんせいだけでした。りかいしようとしてくれたのはほかにはいませんでした。りかいしてくれたひとはわかいおんなのせんせいにはいましたが、みんないちねんでいなくなってしまいました。
N先生とは、小さいときに担任をしてから、彼女の体の障害が進行していくことをずっと気にかけていて、研究所で彼女と関わるというかたちでずっと長い間、つきあってきた先生で、私にパソコンで彼女の気持ちを聞くように依頼した先生である。気持ちを言葉で聞くということだけに限定すれば、私の方が技術的な意味で彼女からたくさんの言葉を聞き取ることができる。しかし、言葉よりももっと大切なことがあることがよくわかる。言葉を聞き取れないよりは聞き取れた方がいい。だが、それよりも大切なことがある。ここでは彼女は「わかる」という言葉で表現しているが、それでは、わかるとはどういうことなのか。きっとそれが、言葉よりももっと大切なことであるし、「わかる」という言葉の本当の意味は、実際の関わり合いを通してのみ、理解されることだと思われる。
その後、彼女は、発作についての母親の質問に答えて、次のように語る。
きゅうにからだがつっぱってしまいます。いしきはありますから、はなしはわかっています。にねんまえおおきいほっさがあったときはからだだけでなく、いしきもなくなりました。みんなのことはわかりません。じぶんでもどうしようもないのでこまっています。からだをだきとめてもらえるとうれしいです。じぶんだけのときはこわいです。ゆうべもほっさがあったときひとりだったのでふあんでした。
また、訓練についての質問については、
くんれんはしかたありません。せっかくやってくれているのにわるいです。ねむくなるのはどうしようもありません。ほこうくんれんはいいですが、やらされるのはいやです。
そして、詩を作っていないかと質問をして、次の詩を書いた。
にんげんとして
きもちをもっていきてきて
りかいされることなく
ひとりのぬいぐるみのようなそんざいとして
いきてきた
ゆめをもち
みらいをゆめみて
わたしはいきてきたけど
りかいされることはなく
ときがいたずらにすぎていった
だけどそんなわたしがことばをもち
にんげんとしてのいっぽをふみだした
にんげんとしてのほこりをとりもどした
ゆめをいっぱいもち
ゆめをもっといだいて
これからのじんせいをいきていこう
りかいされたことのよろこびを
みんなにつたえて
ひとりでもおおくのそんざいが
ほこりをとりもどせるようになることを
ねがいながら。
一人でも多くの存在が誇りを取り戻せるようになることへの、彼女の切なる願いに、少しでも応えていかなければと思う。
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2009年4月14日 05時45分
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盲重複と呼ばれる男性○○さんは、学校教育を終えたあとになって、点字を読めるようになった。その学習の順序も、大きなリベットで順番に点の位置を学習していくオーソドックスな順序ではなく、指先で6点全体がさわれるような小さい展示型のリベットをさわることを通してである。長い学習を経てからではあるが、突然理解できるようになったように見え、みんなに驚嘆まじりの讃辞を得た。そして、大きいリベットの点字で、意志を伝える単語も伝えられるようになった。私は、日頃関わっているわけではないのだが、時々、お会いすると、どうしても関わりたくなって、いろいろ手を出してきたのだが、「おかあさんについてどう思っていますか」と訪ねて、「やさしい」とリベットの点字で書いたことがある。
そんな彼に、手を振る方法を試みた。単語を口走る以外には明確な意思伝達の手段を持たない彼だが、この方法を試みると、非常になめらかに気持ちを表現してきた。記録をとらなかったから、正確な文章は残っていないのだが、この方法に驚きを示し、どうして読み取れるのかと聞いてきたりした。
そんな彼に、点字を覚えたことについて尋ねてみると、気持ちを伝えたいから点字をがんばって覚えたというふうに答えが返ってきた。そして、点字を覚えたら気持ちを伝えられるようになるのですかと、切実な気持ちをこめながら尋ねてきた。
彼は、悪い表現だが「自閉的」と称されるような感じの方で、気持ちをうまく伝えることができず、いつも首を振りながら独特の世界にはいりこんでいるように見える。しかし、こうした会話を経ると、彼が全く普通の感覚を持っていて、話せないで苦労してきただけの人に見えてきて、点字を懸命に覚えようとしてきたことがすんなりと理解できた。
盲重複と言われる人たちの理解をどうやら決定的に改める必要が出てきそうだ。
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2009年4月8日 01時22分
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小学生の時から研究所に通い、30年ほどになる○○さんに、久しぶりにお会いした。私とは曜日がずれているので、なかなかお会いできないのだが、大学の入学式が早く終わった関係でうかがうことができたのだ。
4年前の夏の研究会で私が行ったパソコンによる自己表現の発表を聞いたお母さんが、うちの○○もできるのかしら、と尋ねられたことがあり、それ以来の懸案だった。
彼の担当は友人の教師で、最近は飲むと彼の言葉の可能性のことを話していたので、今回は、さっそく手をふる方法で聞いてみることにした。すると、すらすらと手で話が返ってくる。そこで、パソコンを取り出すことにした。
そして、綴られたのは以下の長文である。
けんきゅうじょにいくことがたのしみでずっとがんばってきました
ちいさいころからこんなきかいがあればよかった
なんでもいえたらうれしいです
ふしぎです
ぼくのことをりかいしていることがどうしてわかったのですか
ふしぎです
だれもぼくがはなしがりかいできているとはおもってくれませんでした
ちいさいときからはなしたかった
ちいさいときからにんげんとしていきていきたいとおもってきたのでかんげきです
にんげんとしていきたいとおもいます
じぶんのいいたいことがいいたいです
びっくりしました
ねがいでした
ふしぎです
ちからをいれていないのになぜわかるのですか
びっくりしました
みんなとはなしすることができたらうれしい
ねがいでした
×××せんせいずっといつもかかわってくださってかんしゃしています
ねがいでした
じぶんのきもちをいうことをゆめみてきました
みんなとはなしたいとおもいます
りかいしてくれてありがとう
じんせいがひらけてきました
ゆめでした ことばではなしをすることが
ここで、詩のようなものを作ったことがあるかと質問した。すると手で「はい」との返事、早速書いてもらった。
ゆめみてきた はなしができるようになることを
ひかりがさしてきた ぼくのじんせいに
にんげんとしていきてきて ゆめをいだき
にんげんとしていきてきて きぼうをもちつずけ
ふつうにいきてきたのにじぶんのきもちをいえず
みんなのことをうらやみながらいきてきた
ひとりでちいさいねがいをもって
ひとりでもがきながら
きぼうをもちながら いきてきた
ふつうのがっこうにもいきたかった
みにせまるきもちはきんじられ
みにせまるしれんにはとびこせず
ひとりでずっとたえてきた
いいみらいのこえがきこえ
いいみらいのひかりがさし
めのまえにあかるいにんげんとしてのじんせいが
ひらけてきた
ちいさいころからきもちがいえず
ちいさいときからつまらなかったけれど
あかるいみらいがひらけてきた
みたこともないみらいがひらけてきた
いいにんげんになりたいとおもいながら
いいにんげんになれず
じぶんのきもちをいえずにぼくはいきてきたけれど
ちいさいきぼうがわいてきたに
んげんとしてひとりでゆめをずっとだいじに
いきてきた
にんげんとしていいちからをだして
いいじんせいをいきていきたい
40歳を越え、施設生活をしている彼のおなかの底からの思いが綴られた。途中、彼の目に涙が浮かんだり、また、何度もおなかの底からの笑顔を浮かべながら、彼が書いた深く重い詩だ。
きいてくれてありがとうございます
いいじかんがすごせました
ねかがいがかなえられてしあわせです
こうしめくくり、彼は去っていった。言葉を聞き取れた喜びはあったが、彼の生きてきた時間の重みは、言葉にはとうてい表せない重いものを心に残した。
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2009年4月6日 16時40分
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久しぶりに会ったで、思いがいっぱいたまっている様子の20代の女性○○さんは、早速次のように文章を書き始めた。
かきたいことがいっぱいあってたまっていました
ちいさいときになんでもいえたらいいとおもっていましたが けっしてあきらめないでちいさいときのおもいでをたいせつにしていてよかったです
ちいさいときはなぜわたしだけはなせないのか じぶんでもりかいできないでくやしくおもっていましたが ちいさいときにはわからなかったことが おとなになってわかるようになって かいごされることのいみもかんがえられるようになりました
きもちがいいたいとちいさいときからおもってきましたが きもちがいえるようになってうれしいです
じぶんのいいたいことがいえたらいいとちいさいときからねがってきましたので ねがいがかなってうれしいです
きょうのじしんがきになっています じしんがくるといやです
(私「今日地震ありましたっけ?)
きになっているのでときどきかんじています
(母「ヘルパーさんについて書いて」)
へるぱーさんにはいつもおせわになっています
とてもみてくれるのでたすかっています
すいぶんほきゅうがねがいです じぶんではのめないので できればすいぶんほきゅうのかいすうをふやしてほしい
いつもいいにんげんになりたいとおもいますが ねがってもなかなかちゃんとしたにんげんにはなれそうもありません
すなおになれないときがあるからです
(私「どういうときにそう思うのですか?」)
きたいどおりにいかないとおこってしまいます
きちんとしたじんせいをいきたいです
いきているいみをかんじたいです
(私「でも、生きている意味を感じる時もあるのではないですか?」)
きもちいいとおもえるのはきぼうについてかんがえているときです
のぞみやきぼうについてかんがえているときもちがらくになります
ねがいはにんげんとしてきちんとしたきもちをくんでもらって ねがいをかなえてぶんそうおうのじんせいをいきていくことです
じぶんのかんがえをいいたいとおもいます
きいてください
ねがいのこえは すいれんのはなのようにひらき
ねがいのこえは にあいのとりのように ちいさなしあわせをかなでる
だいじなことは きのうのなみだをあしたのきぼうにかえることです
ちいさいときから そうおもってきました
あいされることよりも あいすることがだいじで
だいじなことは たのみのゆめをうしなわないことです
きぼうをいつまでもたいせつにして いきていきたいとおもいます
おじいさんになってもおばあさんになっても ずっとざゆうのめいとしていきたいとおもいます
にんげんとしてきいてもらいたいです
じぶんのきもちをきいてほしいです
ぬいぐるみのいきかたにはおわかれです
がんばっていきていきたいとおもいます
ねがいをいえてよかったです
いいきもちです
すーっとしました
おわります
「かいごされることのいみ」「いきていることのいみをかんじたい」「ぶんそうおうのじんせいをいきていく」「ずっとざゆうのめいとしていきたい」彼女の胸の中で実に様々のことが考えられていることが、ひしひしと伝わってくる。彼女は、終始、身をよじらせながら、叫び声のように声をあげながら、文章を書いていった。途中、心配になって、その声の意味を手をとる方法で尋ねると、「きもちがあふれだしているだけです」という答え。彼女の顔に、さわやかな笑顔が戻ったのは、すべてを書き終えてからだった。
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2009年3月15日 20時56分
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小学校2年の少年の手を手をとって軽く振りながら、「あかさたな」と聞いていく方法で会話が成立したので、希望を聞くとパソコンがやりたいという。そこでさっそく挑戦してみると、あふれんばかりの思いが吹き出してきた。
くやしかった
きもちがいいたいとおもってきました
ちいさいときからいつもゆめみていました
りかいすることはできてもはなせないのでくやしいです
いいたいことがいえたらうれしい
じぶんのきもちがいいたいといつもおもってきました
じぶんのつよいきもちをつたえたかった
きいてくれてありがとうございます
ちいさいときからのぞんでいました
きぼうがでてきました
これでいいたいことがいえます
みんなもはなせるとおもいます
ずっとおもってきました
さかんになってほしいこのやりかたが
このほうほうはむずかしいのですか
みんなもかんがえていることがあるのでほうほうをつたえてほしい
そして、厳しい言葉が続く。
きらいなのはからだがうごかないだけなのにちのうがかけているといわれることです
きいてぜんぶりかいできているのにりかいできてないとおもわれることです
くやしいです
私たちの社会の罪深い誤ちを、いつ、白日のもとに明らかにできるのだろうか。そして、方法について尋ねてきた。
ふしぎですかんがえただけでかけていきます
どうしてですか
説明をすると、的確な答えが返ってきた。
わかりました
ここだとおもっています
おとです
わかりました
いいきもちです
耳に集中していて、行や文字の音が聞こえると「ここだ」と思うと力が体にわずかながら体に力が入り、その力を私が読み取っているので、印象としては、「かんがえただけでかけていく」ということになるのだろう。
そして詩について問いかけると
つくっています
という返事。そして以下の詩が書かれた。
ちいさくねがいをもって
きれいなこころでいきていこう
ねがいはちいさくても
きぼうはちいさくても
じぶんのちいさなゆめをたいせつにしていこう
みらいはおおきくひらけている
ちいさいねがいをたいせつにしながら
じぶんのじんせいをいきていこう
ひとのしらないじぶんのすばらしさをたいせつにしていこう
ちいさいねがいだけど
ぼくのたいせつなゆめ
しずかにしずかにあたためていこう
じぶんのじんせいだから
きっとちいさいちいさいそんざいでも
きちんとしたじんせいになるはずだ
ずっとふつうのこどもになりたいとおもってきたけど
きびしいようなのでじぶんのことをみとめていきていきたい
じぶんのことをしんじていこう
途中、スイッチを操作する手を引っ込めたり、空いている方の手をパソコンのキーボードに出したりする。もしそれをある意図の発露としてみると、いやがっていたりいたずらをしたいというふうに見える。そのことを問題にすると、彼は、こう書いた。
まだつずけます
てはかってにうごくだけです
きもちとはかんけいありません
ぼくはただがんばっているだけです
ちいさいときからいつもないていました きもちをつたえられないで
じぶんのきもちがつたえたかった
いいたいことがいいたかった
いいじぶんになりたかった
じぶんをみとめてもらいたかった
きぼうのかなえられるじんせいをおくりたい
すばらしいじんせいがおくりたい
きいてくれてありがとう
いいいちにちになりました
おわります
つかれたけどいいきもちです
おしまい
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2009年2月25日 00時01分
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前回、嵐のような感情を、詩によってしずめた小5の女の子は、今回は、いくぶん穏やかに、食事についての質問から始まった。
きいてもらいことがあります
たべにくいものをどうしてたべなくてはいけないのでしょうか
きらいなものです
ちくわやふですかたくしまっているのでたべにくいです
(そんなのあまり入れないけどとお母さんがおっしゃると)
しるものにはいっているものです
ちいさいときからなぜだろうとおもっていました
月並みな答えしかできないので、しっかりと最低限の量を食べることと栄養のバランスを考えてのことで、誤嚥などしたら、かえって大変だからそれ以外の理由できらいなものを食べさせるということはないと言った。そして、それだけで終わらせるのはと思い、多くの人が食べることをめぐって苦労しているあることについて説明した。それは、自分がすべての人を受け入れたいと考えているのに、どうしても、うまく食べさせてもらえない人のことを拒否してしまうことがあって、困るということを言う人がけっこういるということである。また、ここで、お母さんと手で話す方法を勧めてみた。手をつないで「アカサタナ」と言って振りながら、力を読み取る方法だが、その場でお母さんに名前を伝えることはできた。こんなふうにして、食事をめぐる細かなことも伝えあえるといいねということと、大人になったら、自分はこんなふうに食べさせてほしいと堂々と言えればいいんだよと伝えた。そして、彼女は次のように書いた。
ねがいがかないそうでよかったです
ひとりでいろいろいろかんがえてきたのでよかったです
しばたせんせいはどこでたべさせているのですか
きょひしたくてしているわけではないのでわかってほしい
話を変えようかと促すと、次のような詩が書かれた。
ふしぎなかぜがふいてきました
じぶんをつつんでのぞみをはこんでくるかぜです
ちいさいころのあどけないそらのようなこころを
なきむしのちいさなわたしにしんじさせ
じぶんというよいにんげんになれずにいるにんげんに
きぼうをくれます
ねがいはじぶんというものがいったいどんなそんざいであるのかをたしかめることで
じぶんのいきかたをぬいぐるみのようなきょうぐうからすくいだして
じぶんにあったきもちよりも
ひとそれぞれのいきかたをさがすことです
ちいさいころのみかんせいなわたしに
きもちをしんじてくれたことをかんしゃしながら
きぼうをもっていきたいとおもう
かのうせいというものをしんじていきていきたいとおもう
きっとちいさいころにきいたかあさんのこもりうたのように
かなしいこえがきこえてきて
きぼうのかぜがふくことでしょう
きぼうというものはちいさいじぶんに
ねがいがみたされるようにとふいてくる
きぼうのかぜはみんなのこころにりそうのかぜです
しあわせはちいさなころからふいていた
ふしぎなかぜはちいさいじぶんにふいてきて
じぶんをしんじるようにふいてくる
ゆめこそほんとうのきぼうであり
きぼうがしんじつとなることをねがう
ちいさなじぶんにねがいのとおりのうつくしいものが
はやくやさしくかないますように
ちいさいじぶんがもっときぼうにみちたじんせいをおくれるようにといのる
ちいさいじぶんがじぶんらしくいきられるようなきぼうがほしい。
最後は全身の体を抜ききって眠ったような状態になり、そして、そのまま本当に眠ってしまった。彼女をつつみこんでふいている風は、まるで、そのまま夢の中でも拭いているかのように、安らかな寝顔だった。
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2009年1月26日 00時45分
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20代の女性○○さんは、手を引き合って「アカサタナ」と聞いていくやりとりで、簡単な会話をしたあと、次のような文章を書いた。
あさからかぞえていました
いいうたをききたいけどきいてかしかんがえて
しのいみしごとにしていきていけたらいいなとおもいます
しをつくっています
ちいさいころからかんがえていました
きいてください
少し、わかりにくいところがあるが「詩の意味」を仕事にしていきたいということらしく、詩を作っているので聞いてほしいということだった。そして、2編の詩が綴られた。彼女もまた、北風と希望の詩だった。
しろいしろいきたかぜが
きぼうのしろいゆきを
いきのようにつれてくる
きたのくにのにんげんのきぼうを
じゅうじかのようにせおいながら
きぼうのちいさないきで
ちいさなゆめをくなんこぼれたしょうじょのねがいのように
にんげんのこころにしんじつのおねがいいっぱいとどけるために
ちいさいころからしんじてきたしあわせを
すなおにうけとめるために
きぼうのきたかぜのいきをかんじている。
きいてもらえてうれしいしをつくっているときもちがおちつきます
くなんおおく
きたからのちいさなゆめをまちつずけて
まっしろなゆきをまちつずける
にんげんはちいさなしろいねがいをゆめにかえようとして
にんげんのくなんをちいさなはいいろのくもにかえ
ちいさなみずいろのねがいにかえる
きぼうのきたかぜはしろいいきを
にんげんにねがいをもつようにとつたえる
きぼうのきたかぜはしろいいきをはき
にんげんにしろいきぼうをあたえる。
詩の意味を仕事にしていきたいという彼女の、心の奥にさらに広がる心象風景をもっともっと聞いていきたいと思う。
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2009年1月21日 21時58分
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ある先生から、パソコンで話せる可能性があるので関わってほしいと言われた20代半ばの女性が、こんな文章を綴った。
○○(名前)
きもちがいえてうれしい
しんじられない
にんたいしてきました
ふしぎかんがえただけでことばができていきます
ふしぎですしんじられません
ちいさいときからはなしたかった
きもちをいいたかったです
おかあさんかんしゃしています
かんしゃしていますがつたえられませんでした
(率直なお母さんは、「本当かしら」といいながら、「元旦どこ行った?」と尋ねられた。すると…)
ちかくのじんじゃにいきました
(「神社は二日だったけど…」とお母さん。)
いいたいことはねがいをしたということです
ちいさいときからきまっておしょうがつにはじんじゃにいってねがいごとをし
ていました
ひいきにしているじんじゃはしんぐうじんじゃです
(「うちは、ずっと明治神宮に行ってるけど…しんぐうってそのことかしら」とお母さんがおっしゃるので、私が「そうなの」と尋ねると、)
はい
(さらに私が「『神の宮』だから『しんぐう』なんですか」と尋ねると、)
はい
(この辺でお母さんも彼女が書いているらしいことを納得し始めてくださった。)
ちいさいときからはなしたかったです
ちいさいときからはなしたかったけどあきらめていました
ちいさいときみんなのことがうらやましかったです
きもちがいえてうれしいです
(ここでお母さんは、毎年家族で行くスキーについて、どう思っているかと問いかけられた。)
すきーはきたかぜがつめたいけどしろいせかいがすてきです
みたこともないようなけしきがちいさいころからすきでした
ちいさいときからちいさくゆめをつむいできたのでしろいせかいがだいす
きです
きぼうがわいてきました
しばたせんせいはどうしてわたしがことばがわかっているとおもったので
すか
(「おとうさんにもひとこと書いて」とお母さん。)
おとうさんさいきんからだがつかれているようだからきをつけてくださいね
けんこうにきをつけてながいきをしてください
たいせつなおとうさんだからじぶんのからだをさいこうのじょうたいにしてく
ださい
こんどちいさいころにみられなかったしんかいのかんこうにいきたいです
はい
ちいさいときにはのれなかったふねにものってみたい
(グアム島に行ったときのことらしい。)
ちいさいときはじぶんであるけたけどあるけなくなってじぶんのいきたい
ところにはいけなくなってしまってとてもざんねんです
にんげんとしていきていかなければとおもうのでみらいをしんじていきて
いきたいとおもいます
ひかりがさしてきました
きぼうがわいてきました
にんげんとしていきていきたいとおもいます
(弟や妹にもひとことと母。)
(妹に)かあさんにあまりしんぱいをかけないようにしてください
(弟に)×××はたいへんかんがえがしっかりしているのでちゃんとしたしごとについてじぶんのためだけでなくたにんのためのしごとをしてください
ちいさいころからかんかえていました
すばらしいです
きもちがいえてうれしいです
きもちがいいたかった
ねがっていました
ちいさいときからいいたかったです
かんどうしています
きもちかいえていいきぶんです
じぶんとはなにかをかんがえていきていきたいとおもいます
にんげんだからきぼうをたいせつにいきていきたいとおもいます
ねがいをかなえられてうれしいです
このすいっちがほしいです
しばたせんせいくださいますか
しばたせんせいよろしくおねがいします
さようなら
自分とは何かを考えて生きていきたいという言葉には、ただただ、圧倒されるばかりだった。
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2009年1月21日 00時55分
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年末の一日、20代の女性、○○さんのお宅をおじゃました。お父さんから、お招きを受けたからだ。お宅へおじゃますると、さっそく、おいしいお酒をいただきながら、話に花が咲いた。○○さんは、お父さんに抱えられて一緒に食事をしながら、話に耳をすませている。
○○さんの食事も終わり、横になっているところで、だいぶお酒のまわった私は、パソコンではなく、手で話してみようと、彼女と手をつないで、手を軽く引っ張りながら、「名前を書いてみて」と頼み、「あかさたな」と唱えてみた。すると、的確なところで、私の手を引っ張るような動きがかすかに入ってくる。これはいけると、どんどん話してもらった。書き取ってもらわないと、文章を覚えているのは大変だったが、何一つ機械を使わずに、ただ、手を引き合うだけで気持ちが表現されていく。この方法は、別のところで、パソコンがどうしてもうまくいかない高校生に、考え出した方法をまねたものだが、その人の独自の方法というところでとどまっていた。もしかしたら、一つのコミュニケーションの方法として、広がりがある方法かもしれないと思った。
以下は、そうして綴られた文章である。
(お母さんへひとことお願いします。)
疲れている、すみません、私のことで。
いつも疲労してしまって入院しないで元気でいてほしい。
四面楚歌の状況かもしれないけど、逃げないでがんばりましょう。
うれしい、手だけで話ができて。願いがかなうとは思わなかった。おねだりしよって思わなかったけど、書きたかった。
小さい願いだけど、言いたいことがあります。いつまでもお母さんには元気でいてほしい。意志が言えてよかった。
(お酒は好きですか)
すきです。
(お父さんへもお願いします。)
元気でいつまでも働いてください。
(いつも口にくわえているタオルがあった方がいいですか?)
はい。指が痛くならないから。気持ちとは別に手が動いてしまう。気持ちがちょっと楽になりました。
知りたいことがあります。学校の先生、信じてくれますか?
心配です、聞こうともしてくれない先生がいっぱいいるので。願っています。みんなの言葉を知ってぬいぐるみの環境が変わっていくことを。
ぬいぐるみの環境という言葉が重く響く。
ここで、詩のことについても尋ねてみた。すると、次の詩が書かれた。
北風をごきげんにして
宇宙の人間に希望を与え
北の方から人間のため 吹いてくる
北風は 願い求めて吹いてくる
彼女もまた、言葉によるコミュニケーションの閉ざされた世界の中で、言葉が紡ぎ出すファンタジーの世界を持っていた。
新しい年が、○○さんにとって、いっそう良い年であることを心から願っている。
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2008年12月30日 09時11分
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先月、全身で感情を表現しながらわかってもらえない気持ちを綴った○○さんのことは、うまくまとめることができなかった。そして、その中でいちばん切なかったものは、そういうふうにしてわかってもらえないことをくやしく思う気持ちが、自分をすさませてしまうというところだった。わかってもらえないくやしさとくやしさをいだく自分に対する嘆き。そんな先月の言葉をいくつか抜粋する。
すなおなきもちのおんなのこでいたいけど しらずしらずのうちにこずるいせいかくになってしまうようでいやです
すさんでいくみたいでいやです
けむたいうらみがこみあげてきます
いいかげんなきもちではじぶんしかみえなくなってしまいます
しのことはいろいろかんがえていますがくるしくてまじめにとりくむことができません
いじいじとしたきもちではいいしはつくれません
くさったきもちではいいことばはでてきません
ちいさいときいろいろいろゆめみていたけどげんめつしてしまいました
目の前で、はき出されてくるこうした激しい言葉の前に、私も言葉を失う。彼女のいうことは、いちいちもっともだからだ。しかし、彼女の心をこれ以上、すさませていくわけにはいかない。そこで、思いついたのが、仲間の言葉を聞いてもらうことだった。じっと耳をすませて集中していた彼女は、だいぶ穏やかになり、次のように書いた。
くるしいきもちをしているなかまがたくさんいることがわかってかんどうしました
すべてのこどもたちがちゃんとかんがえていることがわかってきもちがらくになりました
じぶんひとりでなやんでいるとおもっていたけれどじぶんひとりではないことがよくわかりました
きもちをとりなおしてがんばりたいとおもいます
ねがいはざんねんながらすぐにはかなわないかもしれないけどがんばりたいとおもいます
きもちがずいぶんらくになりました
くるしんでいるひとがたくさんいることがわかりました
こどもたちでもいろいろかんがえていることがわかってよかったです
りかいされないのはくるしいけどこのくるしみにうちかっていきたい
きのうのこどものしはとてもすばらしかったです
とくにむかしのくるしみをずっとたいせつにしてきたというところがすばらしかったです
いしとはかんけいなくからだがうごいてしまうのでくやしいです
いしのとおりにからだがうごけばどんなにらくでしょう
くやしいです
きびしいからだですがいっしょうけんめいがんばりたいとおもいます
いきるいみをなんとかみつけたいとおもいます
いきるいみがみつかるまでずっとくなんはつづくかもしれませんがいっしょうけんめいがんばりたいとおもいます
ねがいはきもちをきちんとつたえられるようになることです
きっとできるようになるとおもいます
いつかきっとねがいがかなうとおもいます
いつかきっといのりがとどくとおもいます
いつかきっときもちがききとってもらえるひがくるとおもいます
いいえがかけるようにこころをきれいにしておきたいとおもいます
きっとこのてでこんどこそかちとってみせたいとおもいます
いいいけんをきかせてもらってありがとうございました
いいしもきかせていただいてありがとうございました
いいしをきいてげんきがでてきました
きもちがすこしらくになりました
きもちがきけてよかったです
いいひでした いいじかんでした いいときをすごすことができました
いいきぶんになることができました いいべんきょうになりました
いいしめくくりができました いいくたびれかたができましたおわります
嵐のように始まった時間が、ようやく最後に静けさを取り戻すことができた。
そして、1ヶ月が過ぎた。今回は、はじめから穏やかだった。そして、冒頭に、次の詩が書かれる。適宜、漢字をまじえて紹介したい。
行きたいところがある
ジオラマみたいな時間が流れていて
小さいころの思い出が 願い通りに見られるような場所
白い色の時間が流れていて 気持ちいい風が吹き
小さなころ聞いていたなつかしい子守歌が聞こえてくる
二枚しかない切符は気にいった人だけにしかあげられない
知れば知るほどきれいなところで
きれいな人しか行けないとてもいいところ
においもすてきでにれの花が咲き
きれいな人が小さく笑い にれの願いがにおい
小さくにれの木がそよいで 小さな自分をはげましてくれる
小さい光が 大木の上からさしてきて 静かに時間が流れていく
きれいな人がにれの木の陰から現れて 秘密の絹が石の上にかけられ
きれいな小さなミーナが時間を西の方から流れてくるのを今か今かと待っている
希望の小さなすきをねらって 二番目の望みが一人忍び込もうとしている
小さな願いに雪が降り 希望に満ちた小さな自分は
聞いてみたこともないような歌を聞いてている
自分しかわからないような小さな声で 一人静かに耳をすます
耳をすますと二人三脚の小さな私にもきれいな歌が聞こえてきた
小さな私は小さな祈りを捧げ 命のかけがえのなさを知る
喜々として信頼という自信を自在に操りながら
気持ちのおもむくままに身を委ねて季節を知らない耳でにおいのいい曲を聴いた
霧が立ちこめて霧の消えるまでの時間 小さな憎しみが小さな私の中に生まれた
自分ではどうすることもできず
時間が過ぎるのを待つしかなかった
小さな私は憎しみも知らず
小さいときの小さい私のまま
知らない時間が流れることを一人待っていた
自分より大きな憎しみは私を圧しつぶしそうになるけれど
厳しい人生だから一途に生きていくしかないと
憎しみをいい心に変えてしまおうと
苦難しいられても小さな私はけして希望を失わないように
希望への幸せに満ちた時間を大事にしていこうと決意を新たにした
そして、その後、次のような言葉が続く。
きもちをしにしてみました きもちをきいてひひょうしてください ちいさいわたしはたんじょうしたばかりのわたしです いびつなこころになるまえのわたしです じちょうしようとおもうけど ちいさいわたしのようにはいきません いいしですか
いびつになったいまのわたしはくやしいです
きもちがいいひとになりたいです
いいひとになりたいです
気持ちを詩として表現した時、すでに荒々しい感情は、しずまっているから、けっしていびつになっているわけではないし、おかしいことはおかしいと冷静に言うことはまちがっていないということを伝えた。そして、再び、この1ヶ月の間に、出会ったいろいろな人たちの言葉を紹介した。
きぼうはきょうのしのてーまでしたからみんなのきもちがよくわかります
いいしでした きれいないめーじで きれいないのりにみちていました
いいじかんでした いいじかんをすごせました きもちがおだやかになります
しはひとにきかせるものではなくきもちをおちつかせるものだということがよくわかりました
きもちをきれいにするためのものだということがよくわかりました
きもちがいびつになっていたけどにんげんとしていきていきたいのでじしんをもっていきていきたいとおもいます
いいじかんでした じぶんのきもちをせいりすることができました
いいじかんでした きもちがらくになりました
いいしがかけたとおもいます
きぼうのきもちがうまくひょうげんできました
しきりにきもちがおちついてきます
ちいさないのちでもいいいきかたができるように
にんげんとしてきもちをいいたいです
きもちをいえてよかったです
絶望にうちひしがれようとしている少女を前に、ほとんど無力な私だったが、必死で向かい合ったひとときだった。彼女を救ったのは、仲間の言葉だ。みんな、もっと互いに言葉をつなぎあっていかなければならないとつくづく思う。
こういう嵐のような感情の起伏をこれからもやはり繰り返しながら、しかし、確実に彼女は成長していくだろう。そして、いつか、仲間と本当の絆で結ばれ合ったなら、世界は大きく変わるだろう。
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2008年12月23日 10時49分
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都内の研究所で盲聾の○○さんと関わった。担当の先生が所用で来れなかったので代役としてである。学校では、小学校からずっと彼女の学習を担当してきた先生の努力で、すでに2けたの数の足し算の筆算までこなしている。しかし、ここのところ研究所での学習はなかなかうまくいかない。そんな彼女と何を学習するのか。彼女の教育のプロセスは、日本の盲聾教育の未来に深く関わると勝手に考えて毎回横で見ていることにしているので、それなりに、試してみたいことはあった。
最近の様子から思っていたことは、単語の整理である。指文字や点字を自由に読めるようになった彼女には、これからどんどん単語を増やしていく必要があるが、そのためには、日常生活の流れの中での指文字による単語の受信だけでは限界がある。やはり、あらためて、単語間の関係がカテゴリーなどによって整理された状態で、学ばれる必要があるだろう。
彼女と学習するのは12月以来のこととなる。12月には、「あなたの名前は何ですか」と大胆に質問したら、リベットの点字できちんと名前を書くということがあった。ようやく発信が生まれ始めた頃で、この質問に彼女が答えられるかどうか、賭けではあったが、子どもはつねに私たちの想定を超えた力を持っているということをいやというほど思い知らされている私は、ある無謀とも言える信頼を持っていた。密かに、これはヘレンケラーの「WARTER」のエピソードにすら匹敵するものだと思って、その瞬間に立ち会えたことを喜びとともに感謝した。それからもうすぐ一年になる。
6年生だった彼女は様々な葛藤を克服して中学部にあがった。そして、ようやく落ち着いてきた頃に、突然母親の入院という事態にも直面し、しかし、周囲の心配をよそに、立派に留守番をなしとげた。退院した母の顔をずっと笑顔でなでまわしていたという美しいエピソードとともに。
そうやって着実に進歩している彼女に、簡単すぎるかもしれないが、次のような点字を準備した。
あたま・かみのけ・まゆげ・め・はな・ほほ・はな・みみ・くち・は・した・あご・くび
て・かた・うで・ひじ・てくび・てのひら・ゆび・つめ
おやゆび・ひとさしゆび・なかゆび・くすりゆび・こゆび
体の部分の名前である。このうち大半はすでに彼女は日常生活の中で学校の先生が送り続けた指文字を通して知っているだろう。しかし、これをあえて、いささか細部にこだわりながら並べてみることで、物の名前を生活の文脈から切り離し、いささか対象化したかたちで並べることで、カテゴリー的な名前の把握へと発展する足がかりとしたいと考えたのである。
実際に取り組んでみると、実に彼女は集中していた。左手で私の指文字を受け点字をさわり、さらに、私の体の対応する部位をさわるということを、どんどん続けていく。それを続けていると、部位によってさわり方を区別していることがわかる。耳は耳たぶをはじくように、まゆげはこするようになど、触覚的に身体部位を区別するということの意味がよく伝わってきた。
そして、彼女が非常に喜んだのは、歯と舌だった。私の歯や舌をさわると、にやっとして、手をひっこめすかさず手をずぼんでさっとふく。そんな風にしながら、頭部の部位や腕の部位を確かめていった。
「しばたのみみ」「○○のみみ」といった所有の言い方などにも発展させた。今までになく、私は自分の名前を彼女に発信したことになる。
残念ながら、彼女自身は、発信をする右手を、いっさい動かさない。数の学習では、どんどん発信されてくる右手は、今日は不動の右手だった。おそらく、名前を受信することに集中していたのだろう。
あっという間に、時間が過ぎていった。
こうしたことの積み重ねがいつか彼女の中に豊かな言葉の世界をかたちづくっていくことを願う。
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2008年10月26日 21時46分
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都内の研究所でのできごと。7月から文章を綴り始めている☆☆さんと関わった。残念ながら、1000字を越えるところでプログラムのミスが起きて、プログラムが終了してしまったので、記録にとどめることができなかった。もともと、1000字を越えることなど、想定せずに作ったものだったからだ。
はじめに、返事として使える体の部位について質問してみた。パソコン以外でも言葉を表現してもらう手段を考えるためである。すると、手については、特に指、口などをあげたが、なかなか自由に使えないということ、気持ちがいい時には声は出せることなどを書き、今日はのどがつらいけれど、書きたいことがいっぱいあるのでがんばるとも付け加えた。
続いて、いろいろな人と話せるようになりたいという願いを書き、どうやったらそうなるのか、スイッチの援助はむずかしいのかなど、いろいろと語った。ご両親にも、特殊な方法のように映るようで、さしあたり、生活の中にどうやって生かしていくか、とまどっておられるようだった。
そんなことをひとしきり書いた後、ご両親のことに話が及ぶ。世界一のとうさんとかあさんという言葉や、とうさんとかあさんがずっと元気で長生きをしてほしいということなどを書く。健康に不安をお持ちのお母さんだから、こうしたひとことひとことが、ずっしりと響いてくる。
そして、お父さんに対して、かあさんを大切にしてくださいとお願いをした。
彼女は、書いている内容がそのまま感情として体の動きに表れるので、家族の話に及んでからは、体中に力を入れたり、声を出したりして、気持ちがひときわ伝わってきた。
ワープロがエラーで終了してしまったので、1000字も書いたということで、休憩をした。そして、一つお願いをした。それは、国学院大学の学生で、彼女のことで卒論を書くために、毎週家庭訪問をしていた女性にメッセージを書いてほしいということだった。
卒業後も、☆☆さんの家族と親しくしている方で、先日、電話で☆☆さんが文章を綴るようになったらとても喜んでくれるということがあったからだ。
以下は、さらさらと書いた手紙である。しっとりとした文面に、☆☆さんの成熟した人柄がうかがえた。
◇◇◇せんせいおげんきですか
わたしはきもちをことばでいえるようになってとてもうれしいです
ねがってのぞんできたことだったのでかんげきしています
こんどおこさんをつれてあそびにきてください
しばたせんせいはずっとげんきです
なつかしいです わたしのいえにきてくれていたころいろいろべんきょうをおしえてくれたことが
めをつかうことはむずかしいですがせんせいのかおはよくおぼえています
ずっとわたしのことをきにかけてくれてありがとうございます
ほんとうにかんしゃしています
でんわでいつもはなしてくれてありがとうございます
またこえをきかせてください
それではさむくなるのでおからだにはおきをつけください
さようなら
「◇◇◇せんせい」にあてて、この初めての手紙を投函したところだ。
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2008年10月14日 08時43分
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数学の大好きな小5の○○さんの気持ちをひとしきり聞いてから、今日はマイナスの数を勉強した。
つぎはすうがくのべんきょうをしたいです。すうがくならなんでもいいです。すうがくはだいすきですから。
という言葉を受けてのことだ。
マイナスの数が生まれてくるところから、マイナスの数を使った足し算、引き算。そして、かけ算へ。
数直線を使えば、マイナスの加減算の理解は比較的スムーズで、実際の例として温度計や氷点下の意味などを説明した。問題は、マイナスのかけ算。かけ算を累積していくイメージで考えれば、ある程度直線の世界で説明可能だが、やはり、二次元の平面上の面積にあたるものとしてのかけ算のイメージを大切にしたかったので、第1象限と第3象限がプラス、第2象限と第4象限とがマイナスになるイメージを図示した。これは、相当に難解そうだったが、懸命に説明に集中する姿が印象的だった。具体的な例としては、学生時代に勉強したトランプカードの例を出した。
黒いマークのカードは1枚につき2点が増え、赤いカードは数だけ1枚につき2点が減るとし、カードをもらったり渡したりする行為のうち渡すをマイナスもらうとして、もらうー渡すをプラスもらうーマイナスもらうという言葉で表現する。すると、黒いカードを3枚もらう場合、2×3、黒いカード3枚マイナス3枚もらう場合、2×(−3)、赤いカードを3枚もらう場合、(−2)×3、赤いカードを3枚マイナスもらう場合、(ー2)×(ー3)となる。マイナス×マイナスにあたるのは、赤いカードを3枚わたすわけだから6点の増加すなわちプラスになる、という説明だ。まったくの受け売りだが、何とかわかってもらえたようだった。
かけざんはわかりましたがわりざんはどうなりますか。
わりざんの説明はどうやったか、それは、さきほどの二次元の座標での説明をまず、行い、次に、わり算は逆数をかけるかたちにできるので、かけ算に統一できるということを説明した。
すこしむずかしいけどわかりました。とてもおもしろかった。なんでもりかいできたらうれしい。ねがいはがっこうでもやってもらうことです。
そのあと、前回やった☆☆先生とワープロに挑戦。
しばたせんせいいがいのひとともおはなしできてうれしいです。わたしがことばをりかいできることをしっているひとはほとんどいませんが。
短い時間だったが、確実にスピードも速まり、力も抜けてきた。
ところで、非常に興味深いことを今回うかがえた。それは、最初に書いた文章の中で、病院の訓練の先生のことを書いたのだが、その先生の名前がちがっていた。その理由を聞いてみると次のような答えが返ってきた。
なまえをおぼえるのはだいのにがてです。はっきりとききとれないからです。いつもこまっています。ふだんはききとれますがびょういんではききとりにくいです。○○○ちゃん(☆☆先生の赤ちゃん)はききとれました。つねにちゅういをしているわけではないのでむずかしいです。
名前を間違えるお子さんが結構いて、そのことが文章の信憑性に影響を及ぼすことがある。その理由がどうしてもわからなかったが、こうしたことがあるのだと、改めて知ることができた。
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2008年9月28日 22時52分
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7月の終わり、お宅を訪問して、すっかりお酒をごちそうになったあと取り出したパソコンで思いを綴った20代の女性☆☆さんと、都内の研究所でお会いした。この研究所に彼女が通い始めてもう20年以上が過ぎた。
この話をお伝えしておいた研究所の先生が、大変感激してくださり、たくさん質問を用意してお待ちになっていた。
最初の問いは、小さい頃から今にいたるまでずっと「どんぐりころころ」が大好きな理由は何ですか、だった。
すきなりゆうはすてきなかしだからです
きくとむかしをおもいだします
一瞬、歌詞?と思った。だが、あらためて歌詞を思い浮かべると、そこにはちょっと悲しい物語が埋め込まれている。どんぐりに大変なできごとがふりかかり、周囲の働きかけに半ば癒されるも、やはり悲しみは消えないという物語を彼女はどう受け止めているのだろうか。家に帰ってインターネットで検索をしてみると、後になって3番が加えられたという。そこでは、りすによってどんぐりは森に帰ることができるのだが…。その3番は、きっと☆☆さんには気休めの歌詞にしかすぎないのではないか。きっと、泣いても山には帰れないどんぐりの悲しみにこそ、☆☆さんの共感があったのではないか…。そんなことまで想像は広がっていく。
次の問いは、未熟児網膜症でほとんど見えないといわれてきた目についてだ。
ひだりです(左右のどちらで見ているかの答え)
めのまえならみえます
かおはよくわかります
よくにているひとはまちがえます
さらに、文字はどうやって覚えたのかという問いに対しては次の答えが返ってきた。
じはじぶんでおぼえました
えほんでおぼえました
きになることばがあるとくりかえしおもいだしていました
けっこうたいへんでしたががんばっておぼえました
学びへの渇望とでもいうべきものがここにある。おそらく限られたチャンスをしっかりとものにして、みずから文字を覚えてきたのだろう。しかも、くりかえし思い出していたというようなことが、私たちの知らないところで行われていたのだ。
それでも彼女は、こう綴る。
わたしのことをたいせつにしてくれてありがとうございます
よくしてくれてかんしゃしています
ずっとつたえたかったです
しんじてくださってありがとうございます
さらに、思いの吐露は続く。
つらいことはかんがえてもしかたないのでふかくはかんがえないようにしています
きもちをつたえられてしあわせです
そして、当然の願いとして、次のように綴られる。
ぜひいえでもやりたいです
いえでやれるようにおねがいします
ふだんからいいたいことがたくさんあるのでいいたいです
家の話は、また、両親への思いへと続いていった。ここのところ、体調がすぐれない母親のことを心から気遣う言葉を前回は書いていたが、今回もその気持ちの延長線上に気持ちが語られる。
ていねいにそだててくれてかんしゃしています
じぶんではなにもできないからくろうばかりかけてしまってごめんなさい
ねがいはとうさんとかあさんがいつまでもげんきにながいきをしてくれることです
つらい言葉を綴る時は身をよじらせながら、感情を体に表しつつ文章を書き上げた時、彼女の顔には満面の笑みが浮かべられていた。
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2008年9月15日 20時22分
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就学前から関わり、手の運動と姿勢の問題について、数々のことを私に教えてくれ、研究発表や授業などで何度も紹介してきた20代後半の女性○○さんが、やはり文字を綴る力を秘めていた。
毎日、早朝から現場に出るお父さんは、休日など仕事の合間をぬって家のそばに借りた畑で、野菜を育てている。とれた野菜をあげるからと誘いを受けてうかがった。もともとは家内に声がかかったのだったが、たまたま早く帰宅した私は、くっついていくことにした。ちょっとひっかかっていたことがあったからだ。
6月の関わりで、私はパソコンで文字を綴ることに挑戦した。そして、確信のないまま彼女の力を拾っていくと。「ちいさいときからはな」という文字が並んだ。だが、そこで、彼女は泣き出してしまったのだ。私は、経験から、うれし泣きもあり得ると思っていたが、ふつうに見れば、わからないことを強要されていやがっているように見える。そして、見かねたお父さんは、「せっかく先生ががんばっているのにそんなにいやがるんじゃしょうがないね」と○○さんに声をかけて、「こんなにさわいでいるんで無理ですね」とおっしゃった。さすがにここで無理をしてもと思ったので、そこでパソコンはやめた。
そして、7月は、自信が持てず、ついにパソコンを開くこともなかった。
だが、どうしても「ちいさいころからはな」という文字が頭から離れない。野菜をいただきにあがるだけだったのだが、もし、チャンスがあればと鞄にはパソコンを入れて、お宅へ向かった。野菜をいただくはずだけだったが、私もいるということで、招き入れられ、まあいっぱいやりましょうと言って、ウィスキーのボトルが出てきた。○○さんが横になっているすぐ脇で、さっそくグラスにウィスキーが注がれた。
話題はすぐにお母さんの健康のことになる。お父さんは、宝くじがあたったら、家のローンを払って、楽な仕事にかわって、自分の臓器をあげるというふうにおっしゃる。○○さんのためには、二人そろって長生きしないといけないということだ。その後話はあちこちに飛び、私もお父さんもすっかり酔いがまわってしまった。朝の早いお父さんは、ここで、悪いけど寝ますということで寝室に移られた。常識的にはそこでおいとまするのが当然だが、酔っていたこともあったと思うが、お母さんに、ちょっと、パソコンを出してみたいと伝えた。
そして、1時間半ほどかけて次のような文章が綴られた。
やはり最初はお母さんの体調と、お父さんについての思いだった。
かあさんがげんきでいつまでもながいきしてもらいたい
めんどうをみてくれてかんしゃしています
とうさんにはとてもいつもわるいとおもっています
しっかりいきてみたいけれどなかなかおもうようにならないのでくるしいけどがんばります
きもちをことばであらわしたかった
じはしっていたけどてをつかってかけるとはおもわなかった
彼女は、未熟児網膜症でほとんど見えていないと言われていたので、この言葉には驚いた。そこで、見えているのと尋ねたところ次のような答えが返ってきた。
みえています じはちかいところならみえます
かんじもわかります
そして、6月の関わりのことに話が及んだ。
くやしかったことがありました あんなにきもちをひょうげんしたのにつたわらなかったとです
りかいしてもらえてうれしかったからないただけです
ねがいはしんじてらうことです
ここで、これまでの私の関わり合いについてどう思ってきたかと聞いたところ、
よくわたしのことをきにかけてくれてうれしいです
と、答えが返ってきた。さらに、文章は続く。
せかいいちのおとうさんです
くるしみのひびがこれでよろこびのじんせいにかわります
「じんせい」という言葉は○○さんのの大好きな「水戸黄門」の主題歌に頻繁に出てくる言葉だ。彼女は、この歌が流れると全身に力を入れて喜ぶ。○○さんと未熟児で弱視というような点で共通している大越桂さんは、その著書『きもちのこえ』の中で、水戸黄門の歌についてふれてあるが、実は、その部分を読んだとき、○○さんと重なって、そのページから先に進めなくなってしまった。「人生楽ありゃ苦もあるさ」という何気ない歌詞が、言葉として○○さんにも届いているのではないか。そうすると私たちは大きな見落としをしていることになる…と。
とうさんにはやくほんとうのすがたわたしをつたえたい
ここで、失礼を顧みず、いつもタオルを握って口でかんでいることについてその理由を尋ねた。
からだがうごかないからいちばんつかえるところをつかっているだけです
そうだったのかと、納得した。
かあさんいつもありがとう
わたしのことにいそがしくてからだをこわしてしまって
ねがっていますかあさんがながいきをすることを
ねがっていますおとうさんがいつまでもげんきではたらけることを
○○さんの心からの願いである。そして最後に一言と尋ねたところ、次の言葉が返ってきた。
てがつかえてうれしい
酔いは幸い、手もとをくるわせることはなかったが、目の前のできごとは、本当にまるで、夢のようなできごとだった。
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2008年7月31日 09時03分
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日曜日のある研究施設でのできごとだ。
☆☆さんが、やってきて、学習室に入る前に、手前の大きな部屋で、数の学習をしている弱視でろうの女性の学習をしばらく見学した。位取りの学習で実際のお金を使ってやっていた学習を見ながら、☆☆さんは、自由に操作できないけど目で見たりいっぱい言葉で説明を受けながら勉強するんだけど、この方は、見えにくいし言葉も聞こえないので、実際に操作しながら納得していくというようなことを説明した。その後、パソコンに向かうと、こう綴った。「てでなかなかできなくても かんがえさえすればわたしにもできます。わたしはわかりやすいやりかたをおしえられてこなかったけどじぶんでかんがえてわかるようになりました。」ていねいに進められる学習を見た率直な感想だ。「のぞみはむずかしいすうがくのべんきょうをやることです。けいさんのべんきょうもやりたいけどなかなかじかんがないのでできません。かんたんなけいさんはできますがべんきょうをさせてもらえないのでむずかしいけいさんはできません。」と、現状を述べる文章を続けた。そして、「えっくすというのはどういういみですか。とてむずかしくてわかりません。おしえてください。えっくすというのはよくでてくるのでぎもんにかんじていました。」と本日の課題が書かれた。
いきなり代数が出てきたので、一瞬ひるんだが、説明を始めることにした。いちばん簡単なxの例は、3+□=7 3×□=6 というような問題がある時、この□がxに変わったもので、x=4 x=2 というようになるということをまず説明。しかし、それだけだったらわざわざxを使う必要はなく、xを使うのは、具体的な数の世界から、関係だけを取り出すということと説明して、次のような例を出した。たくさん人が一列に並んでいて、3人後ろの人に花をあげるというようなルールがある時、花をあげる人をx番目の人とすると、花をもらう人は、x+3番目になる。花をもらう人をy番目とすると、y=x+3 というふうに表すことができて、これは、具体的に何番目の人かという話をはなれて、ルールの関係だけを表したものになると説明した。そして、関係を表す例は、こういうたし算の例よりも、日常生活の中では、この間、問題にした割合などの方が多くて、例えば、消費税や食塩水の濃度などがあると説明して、y=0.05×x y=0.1×x (10%とすると)という式を挙げた。
さらに、具体的な数の値からはなれて関係だけを表す代数の世界では、+、−は残るけど、×と÷は使わないこと、×は省略するだけだからいいけど、÷は、なんと分数で表されることを説明した。 もちろんゆっくりとスケッチブックにいろいろ書きながら説明をしていったが、終始、集中し、時折納得した笑顔を見せる。
小5で代数はいかにも早すぎるが、系統的に時間をかけて学ぶ機会を持っていない彼女にとっては、疑問を持ったところで、答えていくことが必要だ。教える側の力が問われるところで、こうした説明は冷や汗ものだが、お互いに、数の世界がしだいに発展していくおもしろさを感じながら、進めていければと思いながら、説明を続けた。
「えっくすについてかんたんにおしえてくださってとてもうれしかっです。こんどはもっとむずかしいことがしりたいです。」と感想がかえってきた。そして、さらに言葉は続く。「がっこうではなかなかおしえてもらえないのでざんねんです。なぜがっこうではさんすうのじかんがないのでしょうか。」私も、このことについては、なすすべがない。彼女は、けっして自分を、ただ不満だけを言いつのる存在ではありたくないと誇りを持って語る。「よくないことかもしれないけれどうらめしくおもってしまいます。」「すなおになれたらうれしいです。」というように。代数の世界を問う彼女には、すでに大人の社会のことはよく見えている。本当は、私にだけ語った不満のはずだ。お母さんの目には、学校にも、毎日楽しく通っているように映るとのこと。思いを胸にしまって、前をしっかり見つめて、彼女は、今日もがんばっていることだろう。
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2008年7月1日 07時29分
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都内のある研究施設に通ってくる小5の女の子との学習のことを書こう。彼女は、体のつっぱりが強く、それも突然不意に襲ってくる。しかも、コミュニケーションに必要な意図的な運動がむずかしいため、ふつうに彼女を見ただけでは、とうてい言葉を理解しているとは見えない。私も、彼女とはそういうことで長いこと関わってきた。その彼女が言葉を理解していることがしだいに明らかになり、パソコンで言葉をつづれるようになった。
時々、どきっとする鋭いことを書いてくるお子さんで、「わたしがことばをしっていたことをなぜわかってなかったのにやさしくしてくれたのですか」とか「にんげんとしてみてもらえてうれしいです」などと書いてくることがある。
最近は、彼女と算数の勉強を始めた。彼女からのリクエストで、先月からかけ算と、小数と分数の勉強をやっている。
先月は、次のような展開だった。数というのが最初はものの個数であり、それが長さなどの量になっていくプロセス、数が長さのような量を表すようになると0の場所ができて、0と1の間の数が生まれること、それが少数になること。そして、分数は、ケーキを等分するようなことから始まったこと、そして、ケーキ全体の1が、数直線上の1と同じになると、0.1が1/10になるということなどを図を使って説明した。彼女がどれだけ納得できているか、その都度返事が返ってくるわけではないが、ひたすら私の話に集中している姿を頼りに説明を進めていく。
そして、かけ算の説明に移った。数直線上のイメージで処理できるものとして、お皿の上にのったアメの数の例で、アメが2個のっているお皿が3皿あるという例を出し、さらに、その発展としてかけ算は2つの軸が交差する2次元の平面で、面積としてイメージすることができることを説明した。
そして、今月は、ひとしきり現在の学校での様子や思いを綴ったあと、次のような一文から勉強に移っていった。
よくべんきょうをしてよいおとなになれたらいいなとおもいます。
さんすうはすきなのでやりたいです。しょうすうのいみはわかりましたぶんすうがむずかしいです。いみがむずかしいです。
この文を受けて、もう一度、ケーキを分割するイメージから分数の意味を伝え、それが数直線上に置き換えることができることを説明した。そして、実は分母が10ならばきれいに小数と対応するけれど、3分の1だと、小数とはきれいには対応しないことなどを伝え、0.1、0,2と続く数字を分数で表してみた。すなわち、1/10、1/5、3/10、2/5、1/2、3/5、7/10、4/5、9/10というふうにである。こうした説明をくわえているうちに、
わかります。むずかしいけどわかりました。
と答えがかえってきて、さらに、
しょうすうのかけざんがしりたいです。しょうすうのわりざんもしりたいです。
という意見が続いたので、小数のかけ算へと移っていった。ここでも、まず、0.4×3というような、直線上のイメージで処理できるものを説明したあと、0.3×0.2へ移り、これを面積の図で説明した。図では、1辺が0.1の正方形が横3個×縦2個並んでいるようになっているのだが、この1辺が0.1の正方形の面積は1の何分の1になるかを尋ねた。すると「じゅう」と答えが返ってきた。もちろん誰もが一度はまちがう問題である。私も、この問題を40年前に授業で扱った時のことをいまだに覚えている。そこで、もう一度、図にもどって丁寧に説明をくわえたところ、「ひゃく」と答えがかえってきた。そこで、100分の1が6個あるわけだから、100分の6で、それは小数で言うと、0.01が6個あることになり、答えは0.06になると伝えた。そして彼女からは次のような言葉が返ってきた。
かけざんのいみがよくわかりました。わりざんのいみをおしえてください。
そこで、わり算の意味を、直線のイメージとして1.6÷4を例に、そして、面積のイメージとして、今やった0.06÷0.03をやった。
そして、ついでに、次の課題として、割合の話をして、今日は終わった。
算数の学習の間中、彼女は何度も笑いながら、ずっと集中を続けていた。点数競争と無縁の彼女には、計算のテクニックはいっさい教えていない。ひたすら、その意味を伝え続けた。問題を出して解かせることも全くしていない。限られた時間を、しかも、知る喜びにのみこだわった時間である。
言葉を理解できていることさえまだ信じられていない彼女だから、とうていこうした教科学習から遠くかけ離れた授業しか受けることができていない。
障害児学校には、教科書がないから先生方は大変な努力をしてこれまで学習内容を築きあげてきた。しかし、こんな当たり前の知識を子どもが欲しているということを、先生方が気づいてくだされば、もっと違う方向に先生方の努力は向けることができるのにと思う。
学ぶ喜び、知る喜びの原点にふれた、そんな一日だった。
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2008年5月26日 00時15分
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