ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2014年02月15日(土)
風疹のこと
 ある会で、ともに盲学校の重複学級に在籍していた二十代の二人の女性が、風疹が原因で障害を持った子どもが生まれたことをめぐる最近の報道をめぐって、次のようなやりとりをしました。

Yさん
 
 気候が不順なのでぶらぶらするのも私は寒くて煩わしくなります。でも日本中が私たちをもういなくてもかまわないかのように言うのでとても悶々としています。人生をまだ十分に楽しめているわけないのでもっと理想を高く持った人たちの中で生きていきたいです。わざと私たちに向かってどうにもしょうがない人たちと言う人もいて私はとても悲しいです。人間としてなぜきちんと生きることが許されないのかとても残念です。
 わずかな希望はいい人たちががんばってくれて私たちを大事にしてくれることですがグループで私たちを排除しようとしているのが悲しいです。
 運命を受け入れるべきなのに生まれる前から生まれないほうがいいなどという人がいるからです。風疹です。私たちの仲間には風疹で目が見えなくなった人もいたから人ごとではありませんでした。
 前からダウン症の人を攻撃していましたがそれがどんどん歯止めがきかなくなってしまいました。
 願いは私たちが金輪際否定されない世の中になることですがなぜみんな逆に向かって走り出したのでしょうか。
 理解できないのは路頭に迷う可能性は誰にもあるはずなのに私たちを否定することはもう路頭に迷う人は生きる価値がないと言っているようなものなのにそのことに誰も気づいていないということです。瑠璃色の未来はもう来ないのでしょうか。
 なつかしいのは震災を悲しんでいた人たちはみんな人間だということをわかっていたのに残念です。


Mさん
 ずっと理解されたいと思っていたので、ずっとわかってもらいたいと思っていたので、せっかくわかってもらえたのだからもっと世の中の人に理解されたいです。小さいころから何もわからないと言われてつらかったけれど、最近はだいぶわかってもらえるようになってよかったけれど、まだまだですね。人間として理解されたいです。
 わずかな希望ですが、疑問はなぜ今Yさんの言ったようなことが起こるのでしょうか。
 風疹のことはつらかったです。理想はなかなかかなわないけれどいつか私たちを理解できる世の中が来ると信じて生きていきましょうね。Yさん。理解できていることが早くわかってもらいたいですね。
 ついにわかってもらえたというどんどん湧き上がる喜びを感じてからずいぶん月日が経ってしまいましたが先生も忙しくなっているようだからよかったです。期待していますからがんばってください。
 分相応の人生には早くさよならをしたいので望みは先生がもっと有名になることですがわかってもらえる人はなかなか増えませんね。
 次のドラマはたぶんろうなんなんにょ(高齢者のことをこう書きました)にも言葉があることがわかる日だと思います。分相応の人生しか与えられていない老人の人たちをわかってあげてほしいです。ずっと前から老人にも普通に意識があるということが私には感じられていたので早く先生のこのスイッチで聞いてあげてほしいです。
 未来はきっと希望に満ちていることでしょう。わざわざつらいことをYさんが書いたのでわたしは明るいことを書きました。


 二人は、盲学校出身者なので、風疹によって視覚障害になるというようなことについて耳にしたことがあったようでした。
 風疹をめぐる話は、ニュースとしては、それほど繰り返し取り上げられたものではありませんでしたが、やはり当事者にとっては、とても看過することのできない問題だったということが、多くの人が今年になってからこのことを話題にすることで明らかになりました。
2014年2月15日 23時00分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主グループ(視覚障害) / 人権侵害 |
2012年10月12日(金)
出生前診断について 10月8日
 出生前診断についての当事者の言葉です。盲学校の重複学級を卒業した20代半ばの女性です。彼女は、生まれていいいのちと生まれなくていいいのちとに分けることはできないということが唯一のよりどころであったという思いから気持ちを綴り始めました。そして、理解できていない存在としてこれまで扱われてきたけれど、今回のできごとで、生まれなくていい存在にまでさせられてしまったと述べているのです。無念の思いは以下の通りです。

 なんなのという話が最近ありました。どうして生まれていいいのちと生まれなくていいいのちと分けられなければいけないのでしょうか。唯一の私たちのよりどころはそれほどもろいものだったのでしょうか。わざわざ私たちを否定するなんて許し難いです。私たちは理解できていないだけでなく生まれなくていい存在にまでさせられてしまいました。もう私たちは生まれて来ない方がいいのでしょうか。なぜ誰もそれを問題にしないのでしょうか。理想も消えて私たちの生きられる世界はもうなくなってしまいました。なぜ私たちは生きていてはいけないのでしょうか。人間としてもう認められないということですね。自分たちをのけ者にする社会は必ずみんな苦しい社会になります。
 人間として認められる日がまたいちだんと遠ざかりました。銀色の世界を夢見ていたけれどまた遠ざかりました。よい時代が地震の後にきそうだったのに私たちはまた取り残されてしまいました。人間としてのわずかな希望がまたほしいです。理解してもらえてよかったです。
 なぜダウン症の人ばかりが取りざたされるのかも許せませんでした。私たちにとってはダウン症などと障害の名ばかりが一人歩きしてしまっていることも許せません。わずかな勇気をふるって世の中に訴えたいですが難しいですね。妊婦さんも何も知らされない方が良かったのではないでしょうか。人間として人間らしく育てればそれで十分だと思います。


 文中に「自分たちをのけ者にする社会は必ずみんな苦しい社会になります。」とあります。それは、本当に深い社会全体のあり方についての問いかけでしょう。
2012年10月12日 22時00分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主グループ(視覚障害) / 出生前診断 |
2011年09月30日(金)
長かった時間の流れを越えて結婚する弟へ
 近々結婚する弟さんへのメッセージを聞き取ってほしいと依頼を受けて、9月の初め、○○さんとお約束の場所に向かった。スケジュールの調整の関係で、そのお約束の場とは、○○さんの通所施設で、その日はショートステイの泊まりの日だった。簡単な単語を発することでかろうじて気持ちの一端を伝えることのできる○○さんは、視覚にも障害のある方だが、これまでの長い弟との日々を振り返って、気持ちのこもったメッセージを書いた。

長かった時間の流れを越えて結婚する弟へ

 みんな結婚して小さい家庭を築いてもっともっと幸せになれるよう心から祈っています。ぼくが障害があったおかげで弟には十分にかあさんとふれあえる時間がとれなくて申し訳ありませんでした。人間としての秀でたものは僕にはなかったけれど理想だけは高く持ってきました。だからどうしても弟にはしあわせになってほしかったのでとても喜んでいます。勇気を出してお嫁さんにプロポーズできてよかったですね。もし勇気がなかったなら結婚もできませんでしたね。もっともっと勇気を出さなければならないときが結婚生活ではあると思うので、その時は結婚を申し込んだときのことを思い出してまた勇気をふるってください。
 ぼくの中では弟はいつも心のともしびでした。ぼくにできないことを弟がかわりに成し遂げることをいつも応援していましたので結婚は特にうれしいです。マイペースなぼくだけどこれからもよろしくお願いします。
 お嫁さんになる人に伝えたいことはぼくのことで迷惑がかかることがあるかもしれませんがどうかどうかお許しください。わかっていてもうまく話せないだけでなく何の意味かわからないような言葉しか話せない人間ですがよろしくお願いします。
 きょうは望み通りに話せる時間をいただき感謝しています。わかっていただけたらありがたいです。なかなかぼくたちのことは世間では理解されないけれどこうして話させていただいて感謝いたします。おわり。


 これまで○○さんへ向けられてきた家族の暖かい気持ちに呼応するように、○○さんもまた熱い気持ちを家族に向けている。そのことがふだんはなかなか気づかれにくいけれど、けっして思いやる気持ちは一方通行のものだけではないことを改めて感じさせられた。
 書き終えたあと、晴れやかな顔をして、彼は、少し遅れてしまった夕食に軽やかな足どりで向かっていった。
2011年9月30日 09時01分 | 記事へ |
| 自主グループ(視覚障害) |
2011年07月11日(月)
東日本大震災に思う 6月5日
 視覚障害と知的障害が重複しているとされる方々のグループと、震災後3度目にお会いし、3月に「私たちも理不尽な障害に苦しんでいるけれどもっともっと理不尽なできごとでした。」「私たちはまるで津波のあとに取り残されたようなものです。なかなか救いの手が伸びてきません。」と書いた二〇代の女性☆☆さんは次のように思いを綴った。人々の立ち上がるすがたなどのニュースを耳にする中で、少しずつ、地震や津波のとらえ方が発展していっていることがわかる。、

 地震のことですが私は地震の意味が少しずつわかり始めました。本当に悲惨な出来事でしたがようやく本当の意味が理解できました。私たちは敏感な人にしか理解してもらえませんがようやくみんな希望を取り戻すことができて理想を取り戻すことができました。唯一の理想は私たちのようにまるで人間として理解されていない存在も生きる意味があるように人間はみんな生きる意味を持っているということです。私たちのように何もわかっていないと思われていないので瑠璃色の光が見えてきました。みんな悩みながらも希望を持ち続けようとしているので私たちも希望を持ち続けようと思います。私たちはわずかな希望がありさえすれば生きていけるのでようやく被災地の人たちも希望を取り戻すことができそうです。
 被災地のことはよくわかりませんが何とか人々が立ち上がろうとしているのが救いです。地震はすべての希望を打ち砕きそうでしたがまた希望を取り戻すことができました。理想をなくした社会では私たちは生きていけないので茫然としていましたが社会がまた理想を取り戻せたので私たちもまた生きて行けそうです。わずかな希望を大切に人はまた生きていけそうです。
 小さいことですが夢の中でどうしてもわかってもらえずに指をくわえるしかないという場面を見ましたがとても怖かったですみんなもそう思っていると思うのでわかってもらいたいです。


 理想をなくした社会では私たちは生きていけないと書いているように、物質中心の見方や損得勘定ばかりの現実主義の世の中では、経済的な意味での生産性をほとんど持たない障害者は生きることができない。重い障害があってもそれを可能にしているのは、社会がともに支え合うという理想を持っているからだ。震災の直後は、あまりの惨状にその理想が見えなくなってしまいそうだったが、ようやくその理想が、被災地の復興のために立ち上がった人々を通してもう一度見えてきたということだ。
2011年7月11日 13時08分 | 記事へ |
| 自主グループ(視覚障害) / 東日本大震災 |
2011年07月10日(日)
東日本大震災に思う 4月29日
東日本大震災に思う 2011年4月29日
 視覚障害と知的障害の重複障害と呼ばれる○○さんは、1月前に続いkて、大震災をめぐる2度目の言葉を書いた。

 地震について書きます。とても大きな地震と津波が来てたくさんの人が亡くなりとても悲しいです。被害にあった人の中には小さい子どもも含まれていてそれが悲しかったです。どうしてなのかわからなかったけど唯一の救いは人々が涙を越えて立ち上がろうとしていることです。未来のために望みを失わないようにしていることですがなかなか僕たちのようにみんなから理解されなかった人間はその苦しみを理解できるのですが、地域の人たちはもう少しでわずかなずんずんとこみ上げてくる悲しみを耐えることのやり方を知らないと教えてあげたいです。悩みは乗り越えられるということを僕たちは知っていますから。絶対に悩みは消えていくと言うことを知っているのでわかってほしいです。小さいときからとてもぬいぐるみのようで困っていましたが。ようやく悩みを話せるようになったのでとてもうれしいです。苦心して覚えた悶々とした気持ちの伝え方は悶々とした気持ちだけではなくて喜びの気持ちを伝えるための方法でもあるのでこの方法が伝わるように地域の人とまた喜びを伝え会えるようになれればと願っています。なぜこんなに苦しみが続くのか僕たちにはよくわかりますのでみんなも大丈夫です。僕たちはそういうことには慣れていますからよくわかります。悩みは必ず取り除かれると言うことを理解していますのでよろしく心をどんな煩悩に平安を乱されても気持を静かにしていれば必ずわずかな希望であっても持っていれば必ず越えていければどうにかなるのだということを伝えたいです。

 また、同じく☆☆さんも震災について2度目の言葉を書いた。

 日本中の人が地震のことで困っているというのになぜ私たちは何もできないのだろうと考えてしまいます。悩みを聞いてあげることもできないし悩みを解決することもできないで本当に困っています。犠牲者の中に車いすの人もいたということを聞きましたが本当に残酷な話ですね。小さくてもいいから希望の火がほしいです。みんなも今度のことでよい心が育ってきたのでぜひ私たちにも明るい光が射してくることが願いです。

2011年7月10日 13時39分 | 記事へ |
| 自主グループ(視覚障害) / 東日本大震災 |
2011年03月23日(水)
大震災をめぐる思い 
 日本中が悲しみに包まれている中、視覚障害の重複した人たちと、何とかいつもの関わり合いを持つことができた。計画停電やガソリンの事情などで定例の会もいくつか開けなくなっているが、こんな時、うまくお会いできた方々の言葉は、おそらく同じ立場の多くの人たちの思いをどこかで代弁しているはずだ。
 最初は、まだ10代半ばの少年の言葉だ。長い文章のなかに次のような一節があった。

 災害のことがとても気になっています。みんなほんとうにかわいそうです。みんないつまで避難生活をしなければいけないのでしょうか。早くもとの生活にもどれるよう祈っています。なんとか早くわずかな希望でもみつけられたらと思います。

 この「希望」という言葉は、平穏無事に生きなおこの状況の中においても特別の困難を抱えずに生きている私たちがこの災害をきかっけに思い出した言葉としての「希望」ではない。彼が日々切実に抱き続けてきた「希望」を今被災地の方々に共感的に感じつつ語っている「希望」だと思う。
 二人目は20代の女性だ。彼女は冒頭からこのように始めた。もちろん、一人目の少年の文章をじっと耳をすませて聞いていて、それを引き取るように始めたものだろう。

 いい天気だけどゆいつ今悲しいのは地震です。 なぜ悲惨なことが起こるのでしょうか 。私たちも理不尽な障害に苦しんでいるけれどもっともっと理不尽なできごとでした。 私は悲しくて毎日泣いています。 ずっとどうしてこんな災害が起こるのかわからなくて悩んでいます。夢ならさめてもらいたいです。わずかな希望は私たちと同じでろうそくのあかりが何とか輝いていることです。勇気がほしいのも同じです。私たちを何とかして理解してほしいということです。私たちはまるで津波のあとに取り残されたようなものです。なかなか救いの手が伸びてきません。どうしてなのかわからないけれど私たちも救いの手を待っています。じっとしているだけしかできないけれど早く救われたいです。
 理不尽さに耐えるというところに共感の根拠があるということになるのだろう。この後、自分をもっと理解してもらいたいという思いへと文章は続いていった。
 3人目は、同じく20代前半の女性である。

 みんなもやはり地震のことを考えていたのですね。私も毎日考えていました。

 このように書いたあと、彼女のは理解されない自分の状況の話へと移っていき、力強く「分相応の人生は絶対にいやです。」と書いた後、次の文章へと移っていった。

 茫然としていました。どうして私たちだけでなくあんなにたくさんの人が亡くなったのか。小さい子どもまで亡くなったなんて人生をまだ全然楽しんでもいないのにどうしてなのかわからないけれど何か意味があるのではないかと思っていますがなかなかよくわかりません。

 こうした茫然と立ちすくむしかないような出来事を前に、懸命にその意味が何なのかを問おうとしている。この問いにはおそらく普通の意味での正解はないと思う。この悲しい出来事の後、その人が生きることによって作り出していったものが一つの答えとして、ずっと先になって意味としてもたらされるのではないかと私は思う。しかし、こうした問いはとても大切にちがいない。そして、彼女は、この問いは、初めて抱いた問いではない。まさに自分の障害に対して繰り返し抱いてきた問いだったのだと思う。
2011年3月23日 19時22分 | 記事へ |
| 自主グループ(視覚障害) |
2010年09月21日(火)
高らかな宣言その2
 未来が開けてきました。ランプの明かりが光っています。ランプの明かりがもっと望み通りに光って輝いたらもっと幸多い人生になるでしょうね。わかってくれない人もいるけれどもうすぐランプの明かりが輝いてもうすぐぼくたちが人間として認められる日がやってきます。よい方法ですが本当に不思議です。理想的なやり方ですね。勇気がわいてきます立証するのが大変でしょうが瑠璃色の未来のためにがんばってください。

 いきなり、こんな風に綴り始めたもう成人の☆☆さんに、私は、自分自身のことについて誰かに説明するつもりで書いてもらえないかとお願いすると、次のような文章をさらさらと作ってくれた。

   
    私のわかり方について

 小さい頃からぼくはわかっていましたがなかなか容易に話せず苦労してきました。願いはよく理解していただいてろうそくの明かりをともすことです。望みは勉強をずっと続けていくことです。ごんごん勉強してぼくは世界中のよい物を知りたいです。願いが叶ったらそのときはもう何もいりません。
 望みはわかってもらうことですがぼくは勝手に言葉が口をついて出てきてとても誤解されます。理解してほしいのは本当の気持ちはもっと奥底に秘められているということです。何でも理解できているのにそれを表現することができず困っています。わかってほしいです、ぼくたちの苦悩を。どうしても体が言うことをきかず理解されない行動ばかりとってしまいわかってもらえませんが、ぼくにも気持ちがあります。それをわかってください。
 みんなも同じだと思います。言おうとしても言えなくて困っているだけだと思います。何とかしてぼくたちを人間として認めてほしいと思います。私たちのことがもっと理解される日が来ることを待ちこがれています。
 なぜ世の中の人は物語を作ってしまうのでしょうか。ぼくたちを知恵遅れと見なして冷遇するのはまちがっています。
 唯一わかってくれたのが柴田先生です。ぼくたちに言葉があることをどうしてわかったのか不思議ですが先生のおかげでぼくは言葉を表現でき勇気を持つことができました。わかってくれた唯一の先生ですが少しずつ理解者が広がっています。もっと理解者を広げてもっとよい世界にしたいです。理解者が広がることが願いです。雪のように清らかな夢を持って生きていきたいのでよろしくお願いします。


 いつか必ず、この言葉が世の中に届き、新しい世界が開けてくるのはまちがいないだろう。
2010年9月21日 01時47分 | 記事へ |
| 自主グループ(視覚障害) |
2010年01月01日(金)
ろうそくの火
 盲重複障害者と呼ばれる女性、☆☆さんとパソコンをはさんで関わった。彼女のことは、以前から知っていたがゆっくり関わるのは初めてだった。

 いい気持ち。気持ちが言いたいけどなかなか言えなくて困っています。小さいときから気持ち言いたいと思ってきました。すてきなやりかたですね。うれしいです。信じられませんが私の言葉なので信じないわけにわいきません。自分の気持ちが言えたらいいと思ってきましたからうれしいです。みんなと話がしたいです。夢みたいです。夢を見ているような気分です。希望が湧いてきました。もう少し早くこのやり方に会いたかったです。

 「もう少し早くこのやり方に会いたかった」という言葉が、胸にささる。様々なことがきちんとできて言葉も話すことのできる☆☆さんのような方が、こうした気持ちを言葉に表現できずにいるということに気づいたのは、ほんの1年ほど前のことだから、どうしようもなかったことなのだが、こうした言葉を彼女の後輩たちには言わせてはならないと、改めて思う。まだまだ、それも容易ではないが、過渡期とばかり言ってもいられない。
 ここで、いくつか彼女に質問を投げかけて見た。これだけの思いを綴る彼女の行動の意味をたずねてみくなたからだ。

(点字の学習の時、リベットを投げたりするのはどうしえですか?)

くやしいからです。

 うまくできなことへの悔しさという感情がこうした行為の背景にあるということは、なかなか気づかれにくい。たいていは、いやがっていると怒っていると、関わり手へ直接気持ちをぶつけているととられてしまう。しかし、この行為は彼女の、誇り高さの表れにほかならないのである。そして、さらにこう続く。

私のことをなかなかみんながわかってくれないので悲しいです。本当はなんでも理解できているのに言葉がうまく話せないで困っています。望みは理解してもらってみんなと仲良くすることです。私をわかってくれるのはおかあさんだけです。なかなか理解されないで悲しいです。わかってほしいです。

 そして、話は、言葉を読みとる方法に及ぶ。

不思議です。なぜわかるのですか。
(次の文字を思い浮かべていてここだと思っているでしょう?)

はい。思っています。なぜだかわかりませんがほんとうの気持ちです。

 そして、パソコンで文字を綴りながら、一見関係のない言葉を発し続けていることについて、尋ねてみた。

言葉は勝手に出てくるので気持ちを言うことができません。勝手に出てきます。よくわかりませんが勝手に動きます。

 このことがどれだけ彼女を誤解させてきたか、その悔しさは想像にあまりある。ここで、話を切り替えた。

(詩を作ったことはありますか?)

 あります。「ろうそくのひ」という詩です。

ろうそくのあかりを求めて 私は生きる
誰も知らない森の奥で
緑を私が(緑が私を?)やさしく包み
私は呼んだろうそくの火を
緑は目の前の理想の私
緑は私の生きる希望
夢の世界の私のろうそくの火よ
ろうそくのあかりがつないでくれた未来の私に
私は心をつなぐ

 これでおしまいです。一人の時に作りました。理解してくれてうれしいです。
 歌も作っています。「私のろうそく」という歌です。

ろうそくのあかりが私をてらす
夢のような緑の森で
私は理想のろうそくを
人間としての心をもった
私のろうそくの私のあかし
理想をなかなかかなえられずに
私は呼んだ 私のろうそく
私は生きる 緑の森で
未来の私を夢見つつ



 「私のろうそく」という歌です。いい歌ですから聞いてもらいたいです。私の歌を聞いてもらえるとは思いませんでした。みんなも作っているのですか。夢のようです。不思議です。信じられませんが、信じないわけにはいきません。私の歌を聞いてどうでしたか。
 

 時間がせまってきたこと彼女に告げると、最後にこう綴った。  

 面倒ばかりおかあさんにかけているので申しわけないです。はい。小さいときからの夢がかなってうれしいです。

 あとで、お母さんがろうそくについて語ってくださった。もともと視覚障害のある☆☆さんは、それでも、幼い時、ろうそくの火だけは見えていたそうだ。その火もいつか見えなくなって長い時間が過ぎたけれど、きっと彼女には、その記憶が大切に残されているのではないかと。
  
2010年1月1日 17時29分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2009年11月06日(金)
盲重複と呼ばれる人たちと
 一度だけ、他の先生との点字の学習の合間に、ほんの5分くらいの短い時間手をとって言葉を聞き取ったことのある全盲の○○さんとゆっくりお会いした。まず最初にその時のことを覚えているか尋ねた。

 はい、覚えていました。ころころころがるような音楽を聞いたように、嬉しい気持ちがしました。うれしいです。いい未来が私にももたらされたような気がしました。

 そして次のように語ってから物語を聞かせてくれた。

 ころころころがるという物語を聞いてください。

 残りわずかのもろもろのよい歌声が聞こえてきました。いい声で歌を歌っているのは、たくましい男の人でした。よい歌声はいつまでも続き、歌の呼んでいる方向を認めるとこの間聞いたのとはちがう、いい喜びの未来、ろくんろくんと夢を見ています。
雪の降る夜も、苦しい声で歌を歌い続けていると、金の言葉が聞こえてきました。勇気をもらい、私を苦しみから解放してくれた歌声に私はとても感激して、いい歌を聞かせてもらえた喜びを、この方法に感謝しています。いいやり方ですね。


 そして、この物語について次のような説明が加えられた。
 
 今考えました。苦しかったです。いい気持ちだったからです。いい気持ちだったから、物語を考えました。願いがかなったからです。どこかで聞いたわけではありません。自分で考えました。勇気をもらえてうれしいですから、考えました。

 昔から言葉で気持ちを言いたいと思っていたけど、なかなかかなわず、もうあきらめていたのでうれしかったです。苦労してきましたが、これでかないました。

 もう20代なかばの○○さんには、こうした時が訪れるということはありえないことだったのかもしれない。そして、次のようにたたみかけられる。

 昔から私たちは、言葉を理解していましたが、なかなかそのことをわかってもらえませんでした。いいやり方ですね。いい夢を見ているゆおうな気持ちです。うれしいです。うれしくて気持ちがいいです。

 ここで、見学をされていたほかのお母さんが見えているということをどう理解しているのかというストレートな質問があった。すると、彼はひるむことなく次のように答えた。

 目が見えているということの意味はよくわかりませんが、見えているというのはよくわかります。子どもの時からうらやましかったです、目が見える人のことが。

 この時、「子どもの時」という言葉を読み取っている時に、彼の口から歌うような声が発せられた。そこで、今の声はどういう意味があったのかを尋ねてみた。すると、まさにその声が歌だったことがわかった。

 子どもの時のいい歌声を歌っていました。いい歌です。
そして、歌詞とメロディを教えてくれた。

いい子 お母さんを忘れないでね
お母さんはいつもそばにいるからね




 そして私が、いいうただけど、切ないね、と語ると、次のような返答があり、また、歌を歌う意味が語られ、さらに次の歌に移っていった。

 切ないとはどういう意味ですか。わかりました。

 腕をかむのをやめるために自分で歌を歌うことにしていますので、いい歌をたくさん作っています。歌を聞いてください。

美しい声の人を私は愛します
美しい声の人を私は愛します
美しい心の人を私は愛します
私の美しい心のように美しい
歌を歌って生きていこう



 美しい心で作った歌です。美しい声の人に歌ってほしいといつも思っていますが、先生の声も美しいのでよかったです。いい気持ちです。いいやり方ですね。うれしいです。うれしいです。勇気が出てきました。うれしいです。いいやり方ですね。うれしいです。うれしです。また会いましょう。うれしいです。みんなの気持ちを聞いてあげてください。またやってください。苦しいけどうれしかったです。歌を聞いてくれてありがとうございます。苦しかったです。苦しかったです。昔の気持ちを苦しみから解放させることができました。うれしいです。


 そして、最後に、目の前で明かされていく彼の深い内面の世界を、驚きといとおしさの目でながめていらっしゃるお母さんに、メッセージをお願いした。

 お母さんいつもありがとうございます。ろうそくの火のような未来の希望が見えてきました。よい美しい未来が開けてきました。これからもよろしくお願いします。
2009年11月6日 06時39分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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