盲重複障害者と呼ばれる女性、☆☆さんとパソコンをはさんで関わった。彼女のことは、以前から知っていたがゆっくり関わるのは初めてだった。
いい気持ち。気持ちが言いたいけどなかなか言えなくて困っています。小さいときから気持ち言いたいと思ってきました。すてきなやりかたですね。うれしいです。信じられませんが私の言葉なので信じないわけにわいきません。自分の気持ちが言えたらいいと思ってきましたからうれしいです。みんなと話がしたいです。夢みたいです。夢を見ているような気分です。希望が湧いてきました。もう少し早くこのやり方に会いたかったです。
「もう少し早くこのやり方に会いたかった」という言葉が、胸にささる。様々なことがきちんとできて言葉も話すことのできる☆☆さんのような方が、こうした気持ちを言葉に表現できずにいるということに気づいたのは、ほんの1年ほど前のことだから、どうしようもなかったことなのだが、こうした言葉を彼女の後輩たちには言わせてはならないと、改めて思う。まだまだ、それも容易ではないが、過渡期とばかり言ってもいられない。
ここで、いくつか彼女に質問を投げかけて見た。これだけの思いを綴る彼女の行動の意味をたずねてみくなたからだ。
(点字の学習の時、リベットを投げたりするのはどうしえですか?)
くやしいからです。
うまくできなことへの悔しさという感情がこうした行為の背景にあるということは、なかなか気づかれにくい。たいていは、いやがっていると怒っていると、関わり手へ直接気持ちをぶつけているととられてしまう。しかし、この行為は彼女の、誇り高さの表れにほかならないのである。そして、さらにこう続く。
私のことをなかなかみんながわかってくれないので悲しいです。本当はなんでも理解できているのに言葉がうまく話せないで困っています。望みは理解してもらってみんなと仲良くすることです。私をわかってくれるのはおかあさんだけです。なかなか理解されないで悲しいです。わかってほしいです。
そして、話は、言葉を読みとる方法に及ぶ。
不思議です。なぜわかるのですか。
(次の文字を思い浮かべていてここだと思っているでしょう?)
はい。思っています。なぜだかわかりませんがほんとうの気持ちです。
そして、パソコンで文字を綴りながら、一見関係のない言葉を発し続けていることについて、尋ねてみた。
言葉は勝手に出てくるので気持ちを言うことができません。勝手に出てきます。よくわかりませんが勝手に動きます。
このことがどれだけ彼女を誤解させてきたか、その悔しさは想像にあまりある。ここで、話を切り替えた。
(詩を作ったことはありますか?)
あります。「ろうそくのひ」という詩です。
ろうそくのあかりを求めて 私は生きる
誰も知らない森の奥で
緑を私が(緑が私を?)やさしく包み
私は呼んだろうそくの火を
緑は目の前の理想の私
緑は私の生きる希望
夢の世界の私のろうそくの火よ
ろうそくのあかりがつないでくれた未来の私に
私は心をつなぐ
これでおしまいです。一人の時に作りました。理解してくれてうれしいです。
歌も作っています。「私のろうそく」という歌です。
ろうそくのあかりが私をてらす
夢のような緑の森で
私は理想のろうそくを
人間としての心をもった
私のろうそくの私のあかし
理想をなかなかかなえられずに
私は呼んだ 私のろうそく
私は生きる 緑の森で
未来の私を夢見つつ
「私のろうそく」という歌です。いい歌ですから聞いてもらいたいです。私の歌を聞いてもらえるとは思いませんでした。みんなも作っているのですか。夢のようです。不思議です。信じられませんが、信じないわけにはいきません。私の歌を聞いてどうでしたか。
時間がせまってきたこと彼女に告げると、最後にこう綴った。
面倒ばかりおかあさんにかけているので申しわけないです。はい。小さいときからの夢がかなってうれしいです。
あとで、お母さんがろうそくについて語ってくださった。もともと視覚障害のある☆☆さんは、それでも、幼い時、ろうそくの火だけは見えていたそうだ。その火もいつか見えなくなって長い時間が過ぎたけれど、きっと彼女には、その記憶が大切に残されているのではないかと。
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2010年1月1日 17時29分
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一度だけ、他の先生との点字の学習の合間に、ほんの5分くらいの短い時間手をとって言葉を聞き取ったことのある全盲の○○さんとゆっくりお会いした。まず最初にその時のことを覚えているか尋ねた。
はい、覚えていました。ころころころがるような音楽を聞いたように、嬉しい気持ちがしました。うれしいです。いい未来が私にももたらされたような気がしました。
そして次のように語ってから物語を聞かせてくれた。
ころころころがるという物語を聞いてください。
残りわずかのもろもろのよい歌声が聞こえてきました。いい声で歌を歌っているのは、たくましい男の人でした。よい歌声はいつまでも続き、歌の呼んでいる方向を認めるとこの間聞いたのとはちがう、いい喜びの未来、ろくんろくんと夢を見ています。
雪の降る夜も、苦しい声で歌を歌い続けていると、金の言葉が聞こえてきました。勇気をもらい、私を苦しみから解放してくれた歌声に私はとても感激して、いい歌を聞かせてもらえた喜びを、この方法に感謝しています。いいやり方ですね。
そして、この物語について次のような説明が加えられた。
今考えました。苦しかったです。いい気持ちだったからです。いい気持ちだったから、物語を考えました。願いがかなったからです。どこかで聞いたわけではありません。自分で考えました。勇気をもらえてうれしいですから、考えました。
昔から言葉で気持ちを言いたいと思っていたけど、なかなかかなわず、もうあきらめていたのでうれしかったです。苦労してきましたが、これでかないました。
もう20代なかばの○○さんには、こうした時が訪れるということはありえないことだったのかもしれない。そして、次のようにたたみかけられる。
昔から私たちは、言葉を理解していましたが、なかなかそのことをわかってもらえませんでした。いいやり方ですね。いい夢を見ているゆおうな気持ちです。うれしいです。うれしくて気持ちがいいです。
ここで、見学をされていたほかのお母さんが見えているということをどう理解しているのかというストレートな質問があった。すると、彼はひるむことなく次のように答えた。
目が見えているということの意味はよくわかりませんが、見えているというのはよくわかります。子どもの時からうらやましかったです、目が見える人のことが。
この時、「子どもの時」という言葉を読み取っている時に、彼の口から歌うような声が発せられた。そこで、今の声はどういう意味があったのかを尋ねてみた。すると、まさにその声が歌だったことがわかった。
子どもの時のいい歌声を歌っていました。いい歌です。
そして、歌詞とメロディを教えてくれた。
いい子 お母さんを忘れないでね
お母さんはいつもそばにいるからね
そして私が、いいうただけど、切ないね、と語ると、次のような返答があり、また、歌を歌う意味が語られ、さらに次の歌に移っていった。
切ないとはどういう意味ですか。わかりました。
腕をかむのをやめるために自分で歌を歌うことにしていますので、いい歌をたくさん作っています。歌を聞いてください。
美しい声の人を私は愛します
美しい声の人を私は愛します
美しい心の人を私は愛します
私の美しい心のように美しい
歌を歌って生きていこう
美しい心で作った歌です。美しい声の人に歌ってほしいといつも思っていますが、先生の声も美しいのでよかったです。いい気持ちです。いいやり方ですね。うれしいです。うれしいです。勇気が出てきました。うれしいです。いいやり方ですね。うれしいです。うれしです。また会いましょう。うれしいです。みんなの気持ちを聞いてあげてください。またやってください。苦しいけどうれしかったです。歌を聞いてくれてありがとうございます。苦しかったです。苦しかったです。昔の気持ちを苦しみから解放させることができました。うれしいです。
そして、最後に、目の前で明かされていく彼の深い内面の世界を、驚きといとおしさの目でながめていらっしゃるお母さんに、メッセージをお願いした。
お母さんいつもありがとうございます。ろうそくの火のような未来の希望が見えてきました。よい美しい未来が開けてきました。これからもよろしくお願いします。
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2009年11月6日 06時39分
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