自閉症と呼ばれるある青年の思い その1 12月11日
自閉症と世の中の人が名指しているある青年にお会いしました。様々な誤解に満ちた視線の中でいろいろな「問題」を起こさざるをえないところに追いつめられていました。その青年の最初の言葉です。
聞いてほしいことがあります。人間として認められたいのでこんなやり方があるなんてとてもうれしいです。願いは私たちにも気持ちがあることをわかってほしいといことです。小さい頃からつらかったのはわずかな人しかわかってくれなかったことですがかあさんは最大の理解者でした。長い間苦労をかけて申し訳ありませんでした。誰にも理解されなくてもう諦めていましたがようやくわかってもらえます。言葉は普通に理解しているということです。夢のようです。
もうだめだと諦めていましたから時々どうしようもない気持ちになってどこか遠くに出かけたくなってしまいますがもうやめます。せっかく理解されたのだからもう理解にふさわしい人間になりたいです。
ばらばらな気持ちと体のせいで迷惑ばかりかけてしまいましたが勇気が出てきました。
小さい時は先生たちはかわいいと言ってくれましたが馬鹿にされるようになったのは小学校の低学年を過ぎた頃からです。わずかにわかってくれたのがI先生たちでしたからとても感謝しています。
ここで、お母さんから、何でもお母さんに許可を得るようなしぐさをするのはなぜなのという質問がありました。
それはどうしても許可がないと落ち着かないからです。それをやれるまでは手が勝手に出ていました。今でも母さんがいないと困るときがあります。
勝手に出てしまう手をコントロールするために母さんに同意を求める方法を編み出したというのです。言われなければとうていわからないことですが、自分の運動を制御するということをめぐる彼の深い思いと、言われてみればなるほどと思わせるものがありました。
さらにお母さんは、今後の希望をお尋ねになりました。
なかなか考えがまとまりません。だけどわがままかもしれないけれどどうにかして一人暮らしがしたいです。自立したいです。誰も本気にはしてくれませんが。自立生活をしたいですがまだまだ僕には無理でしょうか。
いくつかの問題を起こしてしまったのでこういう生活が彼には今難しいとのことでしたが、もう彼はわかってもらえたので大丈夫と言っています。しかし、そのこおとは行動を通してしか、つまり、zる一定期間大丈夫だったという事実が求められてしまうのです。私はそういう考えはどこかおかしいと思うのですが、現状では受け入れざるをえません。「無理でしょうか」と問う彼に、私がやっとの思いで答えられたことは、「大丈夫ですよ。ただ、一度の失敗がまたご破算にしてしまうから、何か危ないと思ったら、とにかくここへ来てほしい。」と言えるだけでした。そして彼は続けます。
小さい頃から何もできないこと言われて悲しかったけれどこれでようやく未来が開けてきました。自分で何かできるようになりたいですがまさか気持が普通に聞いてもらえるとは思わなかったのでもっとがんばりたいです。大学にも行きたかったです。長い間の夢でした。いい努力をして自分でできるようになりたいです。
そして、「詩を書きます。」と言って次の詩を綴りました。
緑に萌える春よりも僕は寒い冬が好き
理解されない悲しさは
わずかにわずかに北風だけがわかってくれる
人間は北風が嫌いだけど僕だけは北風が好きだ
びろうどのような美しい雪景色も
みんな北風が運ぶものだ
私たちの悲しみは
夏の綺麗な青空ではまぶしすぎる
人間の本当の悲しみは北風だけが知っている
どうか今年も北風よ
青い空と白い雪を運んでおくれ
一度あふれ出した言葉はさらにあふれ出していきました。
僕はたぶんもう逃げ出さないと思います。なぜなら理解されたからです。存分に書けたのでもう大丈夫です。
長い間本当にありがとうございました。敏感な母と父のおかげで僕は何とかここまで人間として成長することができました。小さい時から僕のために何も自由にできなかった母と父にどうやったら恩返しができるのだろうといつも考えているのですが理解されたので本当に何かしたいです。大事な母と父に旅行や食事のプレゼントもしたいです。犠牲になってしまった母へという詩を書きます。
母は人間として僕が認められるようにと
敏感な心で奔走してきて
残りの人生さえ僕のために使おうとしている
だけど母はもうこれ以上僕の犠牲にならないでほしい
母の残りの人生は母のために使ってほしい
よいわずかな希望は
僕にも母への感謝の存分な気持ちがあることを伝えられたことだ
ばらばらな気持ちと体の僕なので
わだかまりだらけの人生だったが
勇気が湧いてきた
僕もいつか一人で暮らせるように
よい心を望みながら
これからの日々を生きていきたい
穏やかな笑顔に、私の心の方が何かいやされていくとともに、こうした本当の穏やかさ心の奥底に持っている人を、私たちの社会は、「自閉症」と簡単に呼び、その穏やかさを奪ってきたのです。私自身を振り返って、確かにわからなかったからという言い訳は、浮かんできます。そして、私も彼も、過ぎ去った時間を巻き戻すことはできません。だからこそ、これからの時間をこうした失われたものを少しでも取りもどし、これから一人でもそういうつらさを味わう人がないように努めていくしかないと言えるでしょう。
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2013年1月11日 20時24分
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コメント(1) |
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大学 |
何故なら人はすぐ、あの人は○○だからとわかったふうに、私を決めつけるからです。
変な人、変わっている、甘えた奴、わけわからない。この程度の悪口(じゃないのかな)は、聞き飽きたので、聞き流しています。
むしろどうしてみんなは何かになりたがるのか、昔から疑問でした。
パイロットでも野球選手でも嫌な人は嫌ですし、仲良くできる人は楽しい。
私はどんな人になりたいかと訊かれたら、神様仏様がいいです。
でも自分で神様仏様と言うような人にはなりたくありません。