ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年05月26日(月)
少数と分数の学習と知る喜び
 都内のある研究施設に通ってくる小5の女の子との学習のことを書こう。彼女は、体のつっぱりが強く、それも突然不意に襲ってくる。しかも、コミュニケーションに必要な意図的な運動がむずかしいため、ふつうに彼女を見ただけでは、とうてい言葉を理解しているとは見えない。私も、彼女とはそういうことで長いこと関わってきた。その彼女が言葉を理解していることがしだいに明らかになり、パソコンで言葉をつづれるようになった。
 時々、どきっとする鋭いことを書いてくるお子さんで、「わたしがことばをしっていたことをなぜわかってなかったのにやさしくしてくれたのですか」とか「にんげんとしてみてもらえてうれしいです」などと書いてくることがある。
 最近は、彼女と算数の勉強を始めた。彼女からのリクエストで、先月からかけ算と、小数と分数の勉強をやっている。
 先月は、次のような展開だった。数というのが最初はものの個数であり、それが長さなどの量になっていくプロセス、数が長さのような量を表すようになると0の場所ができて、0と1の間の数が生まれること、それが少数になること。そして、分数は、ケーキを等分するようなことから始まったこと、そして、ケーキ全体の1が、数直線上の1と同じになると、0.1が1/10になるということなどを図を使って説明した。彼女がどれだけ納得できているか、その都度返事が返ってくるわけではないが、ひたすら私の話に集中している姿を頼りに説明を進めていく。
 そして、かけ算の説明に移った。数直線上のイメージで処理できるものとして、お皿の上にのったアメの数の例で、アメが2個のっているお皿が3皿あるという例を出し、さらに、その発展としてかけ算は2つの軸が交差する2次元の平面で、面積としてイメージすることができることを説明した。
 そして、今月は、ひとしきり現在の学校での様子や思いを綴ったあと、次のような一文から勉強に移っていった。

よくべんきょうをしてよいおとなになれたらいいなとおもいます。
さんすうはすきなのでやりたいです。しょうすうのいみはわかりましたぶんすうがむずかしいです。いみがむずかしいです。

 この文を受けて、もう一度、ケーキを分割するイメージから分数の意味を伝え、それが数直線上に置き換えることができることを説明した。そして、実は分母が10ならばきれいに小数と対応するけれど、3分の1だと、小数とはきれいには対応しないことなどを伝え、0.1、0,2と続く数字を分数で表してみた。すなわち、1/10、1/5、3/10、2/5、1/2、3/5、7/10、4/5、9/10というふうにである。こうした説明をくわえているうちに、

わかります。むずかしいけどわかりました。

と答えがかえってきて、さらに、

しょうすうのかけざんがしりたいです。しょうすうのわりざんもしりたいです。

という意見が続いたので、小数のかけ算へと移っていった。ここでも、まず、0.4×3というような、直線上のイメージで処理できるものを説明したあと、0.3×0.2へ移り、これを面積の図で説明した。図では、1辺が0.1の正方形が横3個×縦2個並んでいるようになっているのだが、この1辺が0.1の正方形の面積は1の何分の1になるかを尋ねた。すると「じゅう」と答えが返ってきた。もちろん誰もが一度はまちがう問題である。私も、この問題を40年前に授業で扱った時のことをいまだに覚えている。そこで、もう一度、図にもどって丁寧に説明をくわえたところ、「ひゃく」と答えがかえってきた。そこで、100分の1が6個あるわけだから、100分の6で、それは小数で言うと、0.01が6個あることになり、答えは0.06になると伝えた。そして彼女からは次のような言葉が返ってきた。

かけざんのいみがよくわかりました。わりざんのいみをおしえてください。

 そこで、わり算の意味を、直線のイメージとして1.6÷4を例に、そして、面積のイメージとして、今やった0.06÷0.03をやった。
 そして、ついでに、次の課題として、割合の話をして、今日は終わった。
 
 算数の学習の間中、彼女は何度も笑いながら、ずっと集中を続けていた。点数競争と無縁の彼女には、計算のテクニックはいっさい教えていない。ひたすら、その意味を伝え続けた。問題を出して解かせることも全くしていない。限られた時間を、しかも、知る喜びにのみこだわった時間である。
 言葉を理解できていることさえまだ信じられていない彼女だから、とうていこうした教科学習から遠くかけ離れた授業しか受けることができていない。
 障害児学校には、教科書がないから先生方は大変な努力をしてこれまで学習内容を築きあげてきた。しかし、こんな当たり前の知識を子どもが欲しているということを、先生方が気づいてくだされば、もっと違う方向に先生方の努力は向けることができるのにと思う。
 学ぶ喜び、知る喜びの原点にふれた、そんな一日だった。


2008年5月26日 00時15分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 研究所 |
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