青年学級にて ―その3
	
		
			| 合宿の朝、目を覚ますと、私のすぐ横にH.Kさんが寝ていた。彼のコースは、広いホールで寝るはずだったが、和室がいいとやってきたのだった。彼は、寡黙な人で、かすれたような声で、時折、単語を発することがあるが、その多くは聞き取れない。しかし、特別な肢体不自由があるわけではない。子どもの時は声は出ていたが、思春期以降、話さなくなったと言われてきた人だ。起き抜けに、彼の姿を見つけたので、朝の身支度をそこそこに、彼にパソコンを出してみた。すると、にっこりと笑って、文章を綴り始めた。私は、夢の続きを見ているような気分だった。 
 きもちいいちからがでる。きもちのたのしさがすてき。ながくはなしてこなかったからうれしい。
 
 どうして話せなくなったのと尋ねると、
 
 わからない。
 きもちがつたえたかった、にんげんだから。じぶんのままでいたい。にんげんだから、じぶんにちゅうじつでいたい。じぶんにいつもいのっていたい。きっといつかはなせるときがくるとおもっていた。いつかきもちをはなせたらいいとおもってきた。
 
 彼は、以前、毎回学級の帰りに、喫茶店に寄り、チョコパフェを食べるのが常だった。私もよくつきあったが、高坂茂さんという、この学級の大先輩で、2000年に職場の自己で亡くなった方が、彼を伴って二人でよくチョコパフェを食べに行っていた。そこで、高坂さんのことを尋ねてみた。
 
 おぼえている。とてもやさしくしてくれてうれしかったけど、しんでしまってざんねんだった。きのどくだった。いいひとだったからくやしい。たのしいおもいでがいっぱいあります。いつもいっしょにきっさてんにいってくれた。いいひとでした。いいひとがいなくなってかなしい。こうさかくん、きっとじきがわるかった。なぜしんでしまったのだろう、くやしい。
 
 そして、もう、定番になった問いを投げかけた、「詩を作ったことはありますか。」と。そして、綴られた詩と言葉。
 
 じぶんでつくったし
 
 いきていくことはいつもしんどい
 いつもおもたい
 きっときぼうのきせつがやってくる
 きっといつかきぼうのきせつがあるだろう
 きぼうのきせついつきてくれるのか
 じぶんにもくるのだろうか
 きぼうのきせつは
 じぶんにもくるのだろうか
 きぼうのきせつは。
 
 そして、午前の活動へと移っていった。
 昼ご飯の後、スタッフが、家に電話したら、お母さんがとても喜んでいたとおっしゃっていたとのことだったので、お昼のひとときを使って、お母さんへのメッセージを書いてもらった。
 
 きのういいことがありました。きのうがっしゅくでしばたさんといいことがありました。きのうがっしゅくでてでことばをはなしました。ちいさいときははなしができていたけど、こえがでなくなってしまいました。しばたさんとぱそこんできもちをことばにすることができました。にんげんだからいつもときどきにんげんとしてあつかってもらいたいとおもってきました。きもちがきいてほしかった。しんじてほしかった。
 ついにねがいがかないました。いいきぶんです。きもちがつたえられてうれしいです。きもちがつたえられてよかったです。いいかあさんでよかったです。すばらしいです。
 
 バスが到着した広場に、お母さんが、お迎えに見えていた。「きのう」は今朝のことですとことわりながら、この長い文章を見せた。しゃべれなくなて、ずっと気持ちを知りたいと思ってきたとおっしゃったお母さんは、目を細めてこの文章をご覧になっていた。
 
 
 
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		2008年12月11日 07時49分
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