二人の小2の少年と
○○君は、今日は、いきなり質問からはいってきた。
ききたいことがあります
きのうきた☆☆さんがいいました
ちいさいときにしばたせんせいにあったことがありますといっていたけどほんとうですか
げつようびがっこうです
☆☆さんはきれいなじょせいです
がっこうのせいとですこうとうぶです
私のことが学校で話題になることもないだろうし、彼が話題にすることもないだろう。「☆☆」という名前に思い当たる人はいないかとあれこれ思いめぐらしても答えは出ない。あえて最初にそんなことを聞いてきたのは、いったいどうしてなのか。疑問は解けぬまま言葉は続く。
しばたせんせいはどうしていそがしいのですか
きてくれてありがとう
しばたせんせいはどうしてことばがあることがわかるの
せんせいはくりすますはどうしているのですか
それぞれ、答えながら、対話は続いていったが、突然、体中に力がはいって、泣き声になった。そして、書かれた言葉は、
くくのべんきょうがしたいけどきくことができなくてくやしい
というものだった。
ここで、彼に、今の声は、君のことをよく知らない人には、まるで、だだをこねているように見えてしまうけれど、本当は、くやしい気持ちが、体と声に表れただけで、だだをこねているわけではないのでしょうと尋ねた。すると、こっくりとうなづくしぐさをして、
きもちがさきにこえになってしまう
と書かれた。かくいう私も、これまで、この彼の泣き声を正しく理解していたわけではなかった。彼は、もっときちんとした少年のはずだ。小さいことだけど、こうした理解もとても大切だと思う。
そして、さらに次のように続く。
きいてみないとわからないです(九九のこと)
つらいことがありました
きもちをきいてもらえなくてかなしかった
いいたいことがつたわらなくてくやしい
そして、九九の勉強を少しやった。自作の九九のソフトを出して、一緒にスイッチ操作をしながら九九を解いていくと、本当によく覚えている。だが、それは、一人の世界の中で繰り返しているもので、閉ざされている。彼は、こうしたやりとりを通して、もっともっと学びたいのである。早く認められる日がきてほしい。
もう一人の少年▽▽君は、本当は行けなかったクリスマス会について、書くことから始まった。
にちようびくりすますかいがありました
きたともだちはちいさいころのともだちです
いかにもくりすますかいらしいものでしたがきもちのこもったすてきなかいでした
きもちがこもっていたのはしんらいがあるからです
いつかそのしんらいにこたえたいとおとおもう
ことしはことばがしゃべれるようになれてよかったけどがっこうのせんせいたちにはやくしんじてもらいたい
ちがいをかんがえてほしい
からだはうごかなくてもことばがあるということをしばたせんせいはしんじてくれたけどきをつけていないといつかよくないひとたちにことばをうばわれてしまうとおもいます
ぼくはしんじてもらえるひがくることをきたいしていますいつまでもいいせんせいがあらわれることを
きっとそんなひがくるとおもう
後半は、話ができるようになったことをめぐる感想だ。「ことばをうばわれてしまう」ことが、絶対にないようにしなければと思う。二人とも、自分たちの気持ちが受け止めてもらいたいという思いは同じだ。
前半のクリスマス会については、○○君は参加していたが、▽▽君は、お母さんの用事で参加できなかった。そして、お母さんは、▽▽君をがっかりさせたくないから、最初から、このクリスマス会のことは内緒にしていたそうだ。なのに、どうした書いたのだろう。そのことを聞いたところ、
いいことだったからかきました
おかあさんがでんわではなしているのをききました
でんわでおかあさんがはなしているのをききました
いいぬいぐるみをもらいましたからこれはどうしたのかなとおもってきいているとおかあさんがでんわできれいなきをつかったこえでおれいをいっていました
きのうのうのことです
くりすますかいのことはぬいぐるみをもらってからかんがえました
しかし、ぬいぐるみもでんわもお母さんには思い当たらないようで、しいて言えば、前日学校の先生と電話をしたということはあったそうだ。
そこで、私は、動くことも見ることもできない中で、限られた情報をつなぎあわせて想定した話ということですかと尋ねると、
そうです
りかいしてしんじてください
きもちはつたわってきます
と答えが返ってきた。そして、お母さんが、本当は「行きたかったの」と尋ねると、
いけたらいきたかったけどおかあさんのようじもだいじだからへいきです
とやさしい答えが返ってきた。そして、クリスマスプレゼントは何がほしいか書いてみてと誘うと、次のような一文が綴られた。
なにもいらないけどおかあさんにぷれぜんとをあげたい
はなたば
かってきてくださいぼくのかわりに
今年は、彼からのすてきな花束のクリスマスプレゼントが、お母さんに届くことだろう。
|
2008年12月18日 13時44分
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
家庭訪問 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/129/