筆談で広がった少女の思い2
昨年度、パソコンで文字の表現が可能になり、その後、先生と筆談へ移行していった現在小6の女の子が都内の特別支援学校にいる。今回、まず、担任の先生による筆談で、終始にこにこしながら、いろいろなことを語ってくれた。
昨年、わかってほしい気持ちを激しくぶつけてきたことが、うそのように、穏やかな少女がそこにいた。
そして、筆談をしながら、先生と一緒に書いた文章も見せていただいた。日を追うごとにきれいになり、なめらかになっていく筆談の文字に、コミュニケーションがどんどん広がっていった軌跡が示されていた。先生の筆談の通訳で、いろいろなことを語った。彼女の書いた詩は、大きな詩のコンテストにも入賞していて、もうすぐ、公表されるとのこと、確実に広がりを見せている彼女の姿が、私は、本当にうれしかった。
時間があとわずかになったところで、ふと、ワープロで話してみたくなった。久しぶりにあった私だと、また、違うことが語られるかもしれないという思いがしたからだ。時間がないということもあって、出せる限りのスピードを出すと、彼女はしっかりとついてくる。そして、書かれた文章だ。
わたしのことばをなぜみんなしんじてくれないのでしょうか
ふしぎですかんがえただけでことばになっていきます
ちいさいときからじをおぼえていたのになかなかあらわすことができませんでした
きらいなことばかりがっこうでやらされていやになっていました
きびしかったです
にんげんとしていきていきたいとおもっていたのできびしかったです
いいにんげんになりたかったけどなかなかなれませんでした
いいにんげんになるためのきぼうがでてきました
いいちゃんすをいただけてかんしゃしています
きぼうがわいてきました
いいにんげんじゃなかったけどいいにんげんになりたいとおもいます
きぼうにむねがふくらみます
きぼうがでてきましたきもちがいえてうれしいです
きもちがいえてきもちがらくになりました
いいほうほうですね
おどろきです
ちいさいときからいいたかったです
にんげんだからきもちをつたえたかった
いいたいことがいえてよかった
この日の筆談の資料は、手元にないので、掲載できるのはこのワープロの文章だけだが、率直な思いが語られている。一人の少女が、こんなふうに自分を見つめ、いい人間として生き直そうとしているというその場面に立ち会えているというだけで、厳粛な気持ちにさせられる。もちろん、彼女は、ずっといい人だった。しかし、いい人であることを、私も含めた社会が認めきれなかったのである。人を育てる教育が、静かに営まれているこの学校の実践に、心から敬意を表したいと思う。そして、こうした実践の広がりを心から願う。
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2008年12月25日 22時40分
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