ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年12月26日(金)
いいきたかぜ いいじぶん いいきたかぜ いいじぶん …
 2度目の関わり合いになる小1の少年との関わり合いは、こんな文章から始まった。

きびしいさむさいやです
きちんときていないとさむいです
いいきもちです きもちがすらすらかけていきます
いいきもちです いいほうほうですね

 そして、話題は、気持ちを伝えることに。

ちいさいころからゆめでした
きもちをつたえることがきになっていることがあります
いいちえがほしいです きもちをつたえるための
いいたいことはたくさんあるけど いいたいことがいえずにこまっています
いいたいことがいいたいです
きもちさえきいてもらえなくてひとりぼっちです。
いいほうほうがあったらおしえてください

 こうしたはがゆい思いは、そのまま体に力を入れさせ、激しく身をよじらせ始める。ふつうなら、いったん休んだ方がと思うところだが、気持ちが高じてそうなっているのだったら、気持ちをおさめるしかないだろうという思いと、どんなに体をよじって、大きな声を出し始めても、手は、ずっと文字を綴り続けているので、私が逃げてはいけないという思いとで、文字を綴るのを私からやめることはしなかった。
 コミュニケーションの方法について、彼はこうも語った。
  
はいといいえはうまくいえません
いいたいけどうまくいえません
いちばんきくのはあしです
いちばんいいのはあしだとおもいます
いいえをいうのはかんたんだけどはいがむずかしい

 いやな顔をすることで何とか「いいえ」は伝えられても、「はい」を伝えるのはむずかしいとのこと。お母さんの話では、笑顔で「はい」を伝えることがあるということなので、笑顔をタイミング良く作るのは容易ではないということだろう。
 そして、こういう文章を書くにいたって、体のよじれは頂点に達した。

いえなくてくやしいとおもうけどちいさいころからわかっていたのにぜんぜんりかいしてもらえません

 ここで、私は、あえて、次のように尋ねた。くやしい思いが今体をこんなにももだえさせているのはわかるけれど、自分で何とか、その気持ちを落ち着かせることはないのかと。小1の少年には酷な問いかけかと思った。しかし、もし、きちんとそういう工夫をしてきているなら、聞かない方が失礼だと考えたからだ。
 すると、こんな答えが返ってきた。

しをつくってきもちをしずめてきました
きもちをしずめるためにつくったしがあります

 詩のことは、いっさいふれてはいなかった。私はただ、気持ちを落ち着かせる方法があるのかどうかを尋ねただけだ。これまで、詩を作っていますかと直接問うことはしてきたが、こういうふうに問いかけたのは初めてだ。そして答えが詩だった。詩というものの持つ、奥深い意味をまた、思い知らされた。そして、「きたのくに」と「きぼう」の詩が書かれた、またしても。

いいひとはきたのくにからやってきます
きたのくにのきぼうを きたかぜにのせてやってきます
きたからふくかぜは ちいさなぼくのきぼうです
きたからふくかぜは にんげんにきぼうをくれます
いいきぼうです
いいかぜです
きたのくにからふくかぜは きたのくにからふいてきて
いいひとにしてくれます
きたのくにからふくかぜは きぼうのきこえるかぜです
いいひとになるように ちいさなぼくにきぼうをくれます
きたからきたひとは いいかぜをつれてきます
きたからくるひとは きぼうをにんげんにしらせてくれます
きたのくにからふくかぜは きぼうのきたかぜです
いいひとになるように ふいてきます
いいひとになるためにじかんをかけて
いいきぼうをちいさなぼくにあたえてくれます
きたのくにからふくかぜは きたのくにのきぼうをつたえてきます
いいひとになるために
じぶんをたいせつにするために
きぼうのきたかぜはことしもきたのくにからふいてきます
きたのいいきぼうをつたえてきます
きたのくにからふくかぜに いいちいさいねがいをしてみよう
いいちいさいねがいは いいかぜにむかい
ちいさないいきぼうを じぶんにくれる
きたのくにから いいいきかたをするように
じぶんにふいてきます
いいかぜにのせて いいきぼうを にんげんにあたえます
いいちいさいじぶんに いいきぼうをくれます
いいちいさいじぶんに いいきぼうをしらせてくれます
いいしらせはきぼうのための ちいさいあかしです
いいちいさいじぶんに いいしらせをくれます
いいしらせはきぼうのちいさなあかしです
いいじぶん ちいさいじぶん いいちいさいじぶん
きたのくにからふくかぜは きぼうのきたかぜです
いいきたのかぜです
いいきたかぜです
いいじぶんになるために きたにむかっていのります
いいじぶんになるために 
いいきたかぜ いいじぶん いいきたかぜ いいじぶん。

 「いい」が連呼され始めるころには、彼は、ぴたっと動きを止め、まるで眠ったような安らかな姿勢と表情とで、詩の言葉を書き続けた。これは、もはや気持ちの表現ではなく、自分に向けて語りかけているのであり、祈りそのものであった。リアルタイムで、繰り返される「いいきたぜ」「いいじぶん」という言葉は、心のそこからの願いを繰り返し唱える祈りだった。
 そして、いつまでも続きそうな繰り返しにようやく区切りがつけられるたので、私は、北風について、他の子どもたちも同じように北の風を大事にしていることを伝えた。

きたかぜはいいかぜです
きたかぜはきもちをわかってくれます
きたかぜはきぼうのかぜです

 そんな他の子どもの詩を聞いてみたいですかと尋ねると、

きいてみたい

 との答え。そこで、いくつか北の風が登場する詩を紹介した。

にたことをかんがえているひとがいるのでおどろきました
きたのくにはきぼうのきたかぜがふくところですから 
じぶんもじかんがあると きたかぜのことをかんがえています
いいいきかたがしたいです
いいじんせいがおくりたいです
いいきぼうがほしいです
いいきぼうみつけたいです
いいちいさいじぶんをたいせつにしたいです
いいじぶんをじかんをかけてつくりたいです
いいきもちです
いいたいことがいえてありがとうございました
またよろしくおねがいします
いいきもちです

 小1のまだ幼さをいっぱいに抱えている少年が、身をよじらせてくやしい思いを表現していた。途中、体がつっぱって、どうしようもなくなった時、私は、彼を抱え込みながら、文字を読み取り続けた。彼を抱え込む腕には、彼の悔しさが痛いほど突き刺さってきた。私の心も、もだえずにはいられなかった。そして、彼は、みずからの祈りによって、希望を心の中に宿していき、穏やかな表情へと変わっていった。彼は、一人で自分に与えられた運命に激しく挑みかかっていき、そして、みずから、希望を見いだしていった。そんな精神の激しいドラマが、私の腕の中で繰り広げられていたのだ。彼の無念の思いとそれを乗り越える精神の崇高さとを、どうやって伝えていったらいいのだろう。
 しかし、彼の挑む気持ちさえあれば、私もまた、希望を見いだせるはずだろう。小1の少年に負けるわけにはいかない。

2008年12月26日 02時04分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G23区2 |
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