生きることに疲れた人間こそ希望に近い
秋以降、おりにふれて、いろいろな人たちに詩を書いてもらってきたが、多くの人たちは、その目的を「気持ちを静めるため」と書いた。ところが、今回の○○さんは、こんな書き出しから始まった。
しをかこうとおもうけどきもちがしずめられなくなるのがこわい
くしんしてくしんしてかんがえていないとできないのでこまっています
どうも、詩を書こうとして、夜寝られず体調を壊してしまうようなこともあるらしい。
そこで、そういう、人に聞いてもらうために頑張って作る詩とは別に、普通に自分の中で自分のために作っている詩はないかと尋ねた。すると答えは「ある」。
そこで、自然に書いてもらった。
ちいさいわたし
ねがいをもってうまれてきて
くなんのひびをいきてきて
ちいさなしあわせをみつけた
きたかぜがきぼうのいみいっぱいおしえてくれた
いきることにつかれたにんげんこそきぼうにちかいと
きたかぜはきたのくにのきぼうをはこんでふいてくる
きたかぜにつかれたひとのきぼうと
いいふしぎなきぼうのねいろをきいた
そして感想を聞くと、
きもちがいいです
かんがえてきたことをそのままかいているから
いいしですか
とのこと。私たちにとっては、彼女の思いがこもったこの詩を言い詩だと思う。しかし、彼女にとっては、こんなふうに自然に考えていたものが、いい詩だとはにわかには思えなかったようだった。
そして、次のように続ける。
かきたいのはいきかたがことばになっているようなしです
くしんしてもなかなかいいことばがうかんできません
きたかぜのことはしぜんとうかんできました
そこで、私は、自分なりに彼女に語りかけた。いい言葉は、頭の中にあってそれを探し出すというわけではないのではないか。いい言葉は、自然とのきちんとした向かい合いの中で、まさに「自然に」生まれてくるのではないか。そして、彼女たちは、様々なハンディを背負っているので、自然とじっくり向かい合い、言葉をゆっくりと暖めることが、できるのではないかと。
そして、こんな言葉でしめくくられた。
かけそうなきがしてきました
つぎはまたほかのしをかんがえてきます
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2009年1月8日 01時25分
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