ふしぎなかぜがふいてきました
前回、嵐のような感情を、詩によってしずめた小5の女の子は、今回は、いくぶん穏やかに、食事についての質問から始まった。
きいてもらいことがあります
たべにくいものをどうしてたべなくてはいけないのでしょうか
きらいなものです
ちくわやふですかたくしまっているのでたべにくいです
(そんなのあまり入れないけどとお母さんがおっしゃると)
しるものにはいっているものです
ちいさいときからなぜだろうとおもっていました
月並みな答えしかできないので、しっかりと最低限の量を食べることと栄養のバランスを考えてのことで、誤嚥などしたら、かえって大変だからそれ以外の理由できらいなものを食べさせるということはないと言った。そして、それだけで終わらせるのはと思い、多くの人が食べることをめぐって苦労しているあることについて説明した。それは、自分がすべての人を受け入れたいと考えているのに、どうしても、うまく食べさせてもらえない人のことを拒否してしまうことがあって、困るということを言う人がけっこういるということである。また、ここで、お母さんと手で話す方法を勧めてみた。手をつないで「アカサタナ」と言って振りながら、力を読み取る方法だが、その場でお母さんに名前を伝えることはできた。こんなふうにして、食事をめぐる細かなことも伝えあえるといいねということと、大人になったら、自分はこんなふうに食べさせてほしいと堂々と言えればいいんだよと伝えた。そして、彼女は次のように書いた。
ねがいがかないそうでよかったです
ひとりでいろいろいろかんがえてきたのでよかったです
しばたせんせいはどこでたべさせているのですか
きょひしたくてしているわけではないのでわかってほしい
話を変えようかと促すと、次のような詩が書かれた。
ふしぎなかぜがふいてきました
じぶんをつつんでのぞみをはこんでくるかぜです
ちいさいころのあどけないそらのようなこころを
なきむしのちいさなわたしにしんじさせ
じぶんというよいにんげんになれずにいるにんげんに
きぼうをくれます
ねがいはじぶんというものがいったいどんなそんざいであるのかをたしかめることで
じぶんのいきかたをぬいぐるみのようなきょうぐうからすくいだして
じぶんにあったきもちよりも
ひとそれぞれのいきかたをさがすことです
ちいさいころのみかんせいなわたしに
きもちをしんじてくれたことをかんしゃしながら
きぼうをもっていきたいとおもう
かのうせいというものをしんじていきていきたいとおもう
きっとちいさいころにきいたかあさんのこもりうたのように
かなしいこえがきこえてきて
きぼうのかぜがふくことでしょう
きぼうというものはちいさいじぶんに
ねがいがみたされるようにとふいてくる
きぼうのかぜはみんなのこころにりそうのかぜです
しあわせはちいさなころからふいていた
ふしぎなかぜはちいさいじぶんにふいてきて
じぶんをしんじるようにふいてくる
ゆめこそほんとうのきぼうであり
きぼうがしんじつとなることをねがう
ちいさなじぶんにねがいのとおりのうつくしいものが
はやくやさしくかないますように
ちいさいじぶんがもっときぼうにみちたじんせいをおくれるようにといのる
ちいさいじぶんがじぶんらしくいきられるようなきぼうがほしい。
最後は全身の体を抜ききって眠ったような状態になり、そして、そのまま本当に眠ってしまった。彼女をつつみこんでふいている風は、まるで、そのまま夢の中でも拭いているかのように、安らかな寝顔だった。
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2009年1月26日 00時45分
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