小児科病棟にてその2
「ちやんす」。今日、最初に☆☆さんが綴った言葉だ。手にほんのわずかにこもる力と、口元の動きと、それに心拍数とをあわせて、1文字ずつ読み取った言葉である。回を重ねて、手の動きを読み取る方法が少しずつ固まりつつあるが、手にこもるかすかな動きを読み取ることによって開かれる通路は私が緊張の糸をゆるめたとたんに閉ざされてしまう。まるで、きれやすい細い糸を互いに引き合っているようなもので、力が弱ければ糸はたるみ、強すぎれば糸は切れる。ちょうどよい具合に糸が張っていなければそこに通路は開けない。
大それたことをしていると感じないわけではない。ただただ経験によってのみたどり着いてきた現在の地点。彼女の内面に豊かな言語の世界の風景が開けていることを客観的に示すものは何もなく、ただただその存在を信じるのみ。そして、それを支えているのはこれまで出会ってきた多くの障害の重い方々との関わり合いの事実しかない。
しかし、確実にかすかな対話を通して関わり合いの時間は滞ることなく濃密に流れていく。そのことがある限り私は彼女の手から私の手を放してはいけない。私があきらめてしまえば、もはやこのような無謀な取り組みをする者はいないだろうから。
「ちやんすしたみみもやすい」最終的に綴られた言葉だ。チャンスをものにしたということだろうか。そして耳によって文字を選んでいることがなんとかやりやすくなったというふうにつながるのだろうか。限られた文字数しか選べない中、最小限での表現を追求しているのかもしれない。
別れ際、また今度がんばりましょうという私の声に、ことのほか大きく口元の動きがあった。力強い約束のサインだった。
隣のベッドの○○君は、ひさしぶりにスイッチ操作をするあごの動きが軽快だった。時々、かすかな声を出して合図を送っているように見えた場面もあった。ここのところ、首の具合が思わしくないことが続き、なかなかスピードが出なかったのだが、今日は比較的すらすらと文章が書かれた。「けりいのものがたりたくさんほしい たんていとき かんがえ わるものをつかまえる」枕元には名探偵コナンのDVD。きっと、このことについてにちがいない。しかし「けりい」とは何だろう。彼のパソコンの様子を時折見にこられるお医者さんも看護師さんも、「けりい」には首をかしげられる。そのうちに一人の看護師さんが、にた名前の登場人物がいることに気づいた。そして、こっそり周りの大人に耳打ちした。彼はそれを聞いていたのか、それともしっかり思い出したのか、「しぇりー」と綴った。彼が知りたかシェリーの物語とはいったいどんな内容なのだろうか。
小学校2年の○○君の心の中の風景に、今、探偵物語のわくわくする世界がくわわりどんどんとふくらみ始めているようだ。
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2008年6月7日 00時31分
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小児科病棟 |
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