いきかたのこと きれいな魚の物語
どうしてちいさいときにいちばんだいじないきかたのことをがっこうではおしえてくれないのですか
こんな重い問いから始まった関わりだったが、やりとりを進めていくうちに、彼女は、小さな美しい物語を聞かせてくれた。
きれいなさざなみのおとがして
きれいなさかながゆめをみていました
ちいさいふつうのきれいなさかなですが
きれいなこころをもっていて
きれいなすがたをしていました
きれいなさかなはちいさなねがいをもっていました
きれいなうみがみてみたい
すてきないのちにであいたい
にんげんになっていいすがたになりたいと
あこがれていました
きちんとしたけむりをなくしながら
きれいなじぶんをじっとちがうにんげんにみせたいとおもいながら
あかるいつきをながめていました
きれいなしろいつきはじっとわたしをながめながらいいました
きれいなさかなさん
きれいなこころはさかなにしておくにはもったいない
いいりそうのすがたにしてあげようと
そしてきれいなきれいなひかりがさして
しろいつきはちいさなくらいべーるをなげました
きれいなきれいなさかなはすいちゅうのいしころをくわえると
きれいなきれいないしをかいちゅうになげこみ
かいちゅうにからだをなげいれると
きれいなきれいなひとになっていました
この物語にこめられた切ないばかりの意味が、その情景の美しさによってより深さを増して、私たちに迫ってくる。
こうした物語を自分だけに向けて語りながら、彼女は、彼女自身で、冒頭の問いである「生き方のこと」を考えて続けていたのだ。
|
2009年2月6日 17時43分
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
自主G23区1 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/172/