きぼうがわずかにでものこっていればにんげんはいきていける
事故で体の自由を奪われてしまって1年半ほどの時間が経過した○○君と再会した。今回は、担任の先生の希望で、数の問題と目の見え方の問題を尋ねてみるところから始まったが、あらかじめ書くことを用意していたのだろう、私たちの問いとは別に、次のようなしみじみとした文章を最初から綴った。
じっとしているといるととおいむかしのことをおもいだします
きおくにのこっているのはちいさいころのおもいでです
いまでもあざやかによみがえってきます
いいおもいでばかりです
すてきなのぞみをたくさんもっていましたけど
きぼうはかなわなかったけれど
ふしぎといいおもいです
きぼうがとぎれてしまってもきぼうがわずかにでものこっていれば
きっとにんげんはいきていけるのでしょう
たとえびさいなきぼうでも
きっとちからをあたえてくれるのではないでしょうか
きぼうのみちをあるいて
いいじんせいをいきていきたいとおもいます
きっといいじんせいがおくれれるとおもいます
ぎりぎりの状況を引き受けて生きようとする少年の魂の底からの言葉だった。
そして、次のような感想をはさんだ後に、私たちの質問への答えが書かれた。
いいきもちです
いいたいことがきちんといえてすばらしいほうほうですね このほうほうは
きゅうにすうがくのことをきかれたのでいまはうまくこたえることがむずかしいですがだいたいのことはわかります
ただみることができないのでこまっています
きごうをつかったすうがくはまだなれずにおわってしまってしまったのでよくわかりません
かんがえかたがしりたいです
ちいさいころからさんすうはとくいだったのでやりたいです
めはよくみえませんがちかくのものならすこしはみえます
じっとみつめることができません
いつもせんせいがみせてくださるちいさなもじはみえませんが
きれいなえはみえます
きっときれいなえのほうがみやすいのでしょう
きっともじはみつめなければいけないからだとおもいもいます
かおならわかります
じっとみつめるひつようのないものはちかくならわかります
非情に的確な答えをくれた。特に見え方については、以前の見え方を知っているだけに、現在の状況の説明が非常にわかりやすい。生まれつきの障害の方の場合は、両方の見え方を知っているわけではないので、なかなか私たちがどう見えているかを理解しづらいのとは対照的だ。これまで、おそらくこういうことなのだろうということの明確な答えがここにあった。
この後、手をとってア行から聞いていう方法を紹介し、その方法で、自分がわかる範囲でいちばんむずかしいような計算の式を作ってもらい、自分で答えてもらった。効き方は、「1、2、3、4、5、6、7、8、9、0、記号」と聞いて、記号が選ばれたら、「+、−、×、÷、分数の線、小数点」と聞いて選んでもらった。そして、書かれた式は、3/8÷1/5=15/8 であった。彼の論理的思考の力が失われていないことも改めて明らかになった。
そして、手での会話しながら、君の言葉はきっと仲間を励ますだろうし、少しずつだけど他の人たちのところに届けているということを伝えると、「ともだちにきいてもらえるとうれしい」というようなことをいい、ともだちとは、以前からの友だちとまだ会ったことがないけれど同じような状況にある人たちということだった。
ベッドの周辺に限られた彼の世界だが、言葉は、もっともっと彼の世界を広げていくことだろう。
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2009年2月17日 13時04分
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