ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年06月10日(火)
ある盲聾のお子さんの成長から
 以前、ホームページに日記形式で短い文章を綴っていくことを企てたことがある。2年前の2月のことだ。しかし、なぜかその気になれず、最初の1ページを書いたところで挫折していた。その1ページとは、以下のものだった。
「今日、どうしてもここに記しておきたいことは、都内のある盲学校におけるすばらしい教育実践のことである。この盲学校には、現在小4の盲聾の女のお子さんがいる。そのお子さんの担任はこの学校に赴任して2年目の男の先生で私も以前親交のあった先生だった。先生は、2年目に、このお子さんの担任となった。このお子さんは、まだコミュニケーションの手段がいくつかの簡単なサインの受信以外には確立しておらず、また、感情の起伏が激しく、怒った時には、全身をくねらせ、頭を何かにぶつけたり、着衣を脱いだりして表現する。あまり使いたくない言い方だが、関わり合いのむずかしいお子さんだった。先生は、担任になるとさっそく指文字と点字へ向けての基礎学習を開始された。それは、おそらくいささか無謀に見えたことだろう。彼女が好んで座る1畳ほどの板の上にはアイウエオをリベットで表現した点字が四方に貼られ、先生は、頻繁に指文字を彼女の掌に発信なさるようになり、先生の手になる様々な教材を通して学習が進められていった。私は、縁あって学期に何度かこの学校を訪問し、先生とお子さんの関わり合いを見させていただいてきた。学習の細部において着実な進歩を重ねつつも、夏ごろからしだいに先生のおんぶを一日中要求するという『困った』事態が起こるようになってしまった。9月に訪問した際には、まさにその真っ最中で、私も、思わず背中を貸した。おんぶをやめようとすると激しく怒り出すため、終日おんぶをし続ける関わり合いの姿は、周囲には、不安を呼んだにちがいない。背中から降りることをかたくなに拒む彼女の姿は、これが永遠に続くような思いを周囲には与えたからだ。私も例外ではない。しかし、先生は、彼女を背中に負いながら、黙々と学習を続け、指文字を発信し続けた。といっても想像がつくだろうか。おぶったまま腰をかがめ、少し高めの台に教材を置いた学習である。鬼気迫るといってもいのいほどのすさまじさと感動を覚えた。『先生たいへんだけど本当にがんばってますね』と思わずかけた私の言葉には、『○○さんがすばらしいから』という即答が返ってきた。すべてがこの言葉に集約されていた。そして、1月30日、午前中いっぱい実践を見させていただく機会を得ることができた。おんぶはまだ続いているが時間は確実に短くなっているとのことだった。そして学習は着実に進み、この日も彼女をおぶいながら、あいうえおと、5までの数の学習を手をかえ品をかえやっておられた。それぞれの学習は、まだ、はた目には受身的に見えるものだが、私は、確実に彼女の中に積み重ねが起こっていると思ったし、何より彼女の表情が素晴らしかった。そして、何よりも驚かされたことは、おんぶされている彼女に「オンブオワリ シタニオリル」と出された指文字を受信して、すっと下におりたことだった。まちがいなく彼女は指文字に何らかの意味を感じて受信していたのだ。ヘレンケラーが水をさわった時のように、ある劇的な一瞬をスタート地点としてとらえることはむずかしいかもしれない。しかし、まちがいなく、この1年は、ヘレンケラーが水を触って”water”と感じた一瞬に等しい大きなものにちがいない。おぶい続けることに目を奪われていたら、その先には進めない。回避する道はあったのかもしれないが、私には、このことを乗り越えて先に進むことしか道は残されていないように思われたし、先生は、その覚悟でおぶい続けてきたのだと思う。いつか先生自身の手による実践報告をうかがる日を、今から待ち望んでいる。」
 その彼女はこの4月から中学生になった。月曜日、今年度初めて彼女の授業を見学した。男の先生は小6まで3年間つとめた担任を代わり、週4日、国語数学の時間を1時間担当するようになっていた。この日は、繰り上がりのある足し算と引き算だった。「今日の勉強は」と先生が彼女の左手に発信する指文字を彼女は右手で再現して先生の左手に返していく。そして、点字用紙にうたれた7+5=というような問題をさわるのだが、もう暗算で答えが出されていた。そして、点字タイプライターで式と答えを書く。それが学習の流れだった。ただ、一度、4+9を14と答えてしまったので タイルで確認をした。ここでの確認の手続きの中で次のようなことが起こった。まず4の固まりに足すためのバラタイルを9個、器に入れるのだが、この時、バラタイルを6個とったところで手が止まった。すぐさま先生は、なるほどとおっしゃった。まず、この6とは、4にくわえると10になる数であり、ここで、先生は一緒に4の固まりと6とで10のまとまり10の枠を使って作って、さらに彼女を促すと、今度はバラタイルを3個器にとった。そして、それを10の隣に並べた。先生がもう一度尋ねると、今度は13と答えが返ってきた。完璧だった。
 今の姿が当たり前になってしまうと、以前の大変だった時期が嘘のように思えてしまう。しかし、先生が担任になっていきなり指文字を出し始めた時点でさえ、今日のこの姿を明確に予想できた人はいなかった。上に引用した2年前の私の文章ですら、同じことだ。盲聾という厳しい条件の中で、一歩ずつ認識の世界とコミュニケーションの方法とを確立していく教育の歩みは、決して先を急がない着実な歩みだが、それは私たちの予想を超えるスピードで前に向かって歩を進めている。そして、その歩みの中に、人間の可能性と教育の可能性が鮮やかに示されている。
 
 

2008年6月10日 17時44分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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