しみわたるきゃらめるのあまさ
ある特別支援学校で、出会ったお子さんに、まず、「あかさたな」と聞いていく方法で話をした。そして、そのままパソコンに移っていいった。
このほうほうはだれがかんがえたの
かんたんです
ここで、詩を作ったことはないかと尋ねると、すっと、詩を綴ってくれた。
しみわたるきゃらめるのあまさ
くきょうのつづくぼくのじんせいのなかで
さいこうのあじだった
いつか
つぶくらいのぼくというそんざいが
ぬいぐるみのいのちとしてではなく
いちにんまえのいのちとして
せかいになにか
ちいさくてもいいあじわいを
もたらすことができたらいい
おしまい
彼は、最近、今流行の生キャラメルを食べたという。そしてそれが詩を生み出した。私は、そんなできごとを知らないから、このキャラメルという言葉が、期せずしてこの言葉が紛れもなく彼のものであることを証明することになった。日常の何気ないキャラメルの味ひとつから、世界を考える想像力の飛翔にただただおそれいるばかりだった。
そして、さらにこう続く。
きもちをしずめるためです
のぞみがかなってうれしいです
またあいたいです
ちかくにすんでいるのですか
しっています
さっかーのちーむがあります
ずっとはなしがしたかったのでうれしかったです
ちかくにきたらよってください
さようなら
ありがとうございました
たまたま、お母さん、学校の先生、訪問看護の方など、多くの方が見守る中で関わりが過ぎていった。初めて表現された彼の心の声を、みんな息をのむようにして、そして、時おり、涙を流しながら、聞いてくださった。
浦和には、サッカーチームがあることまで知っていた少年の心は、きっと大きく世界に開かれているにちがいない。
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2009年2月22日 01時44分
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