ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2009年02月22日(日)
きっとじぶんもさべつをしてきた
 数年にわたって通い続けた通所施設にお別れをすることになった日。文字盤や手の合図でコミュニケーションのとれる○○さんと、2スイッチワープロでゆっくりと会話できた。

いいすいっちですね ほしいです ひとりではむずかしいの
ねがいはじぶんひとりでやれるようになることです
ちいさいときからのゆめでした
きぼうがでてきました
じのべんきょうはちいさいときにしたのですが あとはふつうのがっこうにいけなかったのでべんきょうしていませんでしたから あまりむずかしいかんじはわからないけど だいたいのかんじはしっています

 彼は、そのコミュニケーションの力によって障害は運動障害のみであると思われてきた人だが、勉強が十分にさせてもらえたわけではなさそうで、その無念の思いが伝わってくる。彼は、また、たくましい方で電動車いすで自在に行動している。そんな彼が次のような思いをしながら町中を移動しているとはなかなか気づきにくいことかもしれない。

きいてもらいたいことがある
きのうきんじょでちいさいこどもをつれたおとなにばかにされて くやしいきぶんになりました
きんじょのひとはみんなやさしいけど しらないひとはみんなつめたい 
きんじょのひとたちとはうまくいっているけどくやしい 
たたかってきたけどしらないひとはさべつてきです
さべつはとてもなくならない

 そして、差別という言葉から、次のように話題が切り替わっていく。

きっとじぶんもさべつをしてきた
しょうがいのおもいなかまをりかいしてこなかった
いしがあるとはおもわなかった
ちいさいうちはりかいしていたけど だんだんそまってしまった
きたないこころになってしまったのがかなしい
さべつしてしまってもうしわけない
じぶんもしょうがいしゃなのにはずかしい
(○○さんを差別した人とはちがうのではないですか?)
ちがわないとおもう
きちんとあやまりたいとおもう
さべつてきだったじぶんをかえていきたいとおもう

 この通所施設で、私たち夫婦は、多くの重度といわれる人たちの言葉の存在に気づかされてきた。それを見ていた彼が、率直に述べた言葉である。私もまた、差別してきたということを重く受け止めなければと思った。
 この通所施設での関わり合いには、一区切りがこれでつく。障害の重い人や自閉と呼ばれる人たちの言葉の存在を明らかにしてきたとはいえ、その方法を必ずしも伝え切れているわけではない。関わり合いがとぎれることで、その方々は、再び、表現の機会を失うことになるかもしれない。それを思うと後ろ髪を引かれる思いだが、また、いつか再会する日もあることだろう。そして、○○さんが、きっと彼らのことをきちんと代弁してくれることだろう。


2009年2月22日 14時36分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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