きらいなのは…ちのうがかけているといわれることです
小学校2年の少年の手を手をとって軽く振りながら、「あかさたな」と聞いていく方法で会話が成立したので、希望を聞くとパソコンがやりたいという。そこでさっそく挑戦してみると、あふれんばかりの思いが吹き出してきた。
くやしかった
きもちがいいたいとおもってきました
ちいさいときからいつもゆめみていました
りかいすることはできてもはなせないのでくやしいです
いいたいことがいえたらうれしい
じぶんのきもちがいいたいといつもおもってきました
じぶんのつよいきもちをつたえたかった
きいてくれてありがとうございます
ちいさいときからのぞんでいました
きぼうがでてきました
これでいいたいことがいえます
みんなもはなせるとおもいます
ずっとおもってきました
さかんになってほしいこのやりかたが
このほうほうはむずかしいのですか
みんなもかんがえていることがあるのでほうほうをつたえてほしい
そして、厳しい言葉が続く。
きらいなのはからだがうごかないだけなのにちのうがかけているといわれることです
きいてぜんぶりかいできているのにりかいできてないとおもわれることです
くやしいです
私たちの社会の罪深い誤ちを、いつ、白日のもとに明らかにできるのだろうか。そして、方法について尋ねてきた。
ふしぎですかんがえただけでかけていきます
どうしてですか
説明をすると、的確な答えが返ってきた。
わかりました
ここだとおもっています
おとです
わかりました
いいきもちです
耳に集中していて、行や文字の音が聞こえると「ここだ」と思うと力が体にわずかながら体に力が入り、その力を私が読み取っているので、印象としては、「かんがえただけでかけていく」ということになるのだろう。
そして詩について問いかけると
つくっています
という返事。そして以下の詩が書かれた。
ちいさくねがいをもって
きれいなこころでいきていこう
ねがいはちいさくても
きぼうはちいさくても
じぶんのちいさなゆめをたいせつにしていこう
みらいはおおきくひらけている
ちいさいねがいをたいせつにしながら
じぶんのじんせいをいきていこう
ひとのしらないじぶんのすばらしさをたいせつにしていこう
ちいさいねがいだけど
ぼくのたいせつなゆめ
しずかにしずかにあたためていこう
じぶんのじんせいだから
きっとちいさいちいさいそんざいでも
きちんとしたじんせいになるはずだ
ずっとふつうのこどもになりたいとおもってきたけど
きびしいようなのでじぶんのことをみとめていきていきたい
じぶんのことをしんじていこう
途中、スイッチを操作する手を引っ込めたり、空いている方の手をパソコンのキーボードに出したりする。もしそれをある意図の発露としてみると、いやがっていたりいたずらをしたいというふうに見える。そのことを問題にすると、彼は、こう書いた。
まだつずけます
てはかってにうごくだけです
きもちとはかんけいありません
ぼくはただがんばっているだけです
ちいさいときからいつもないていました きもちをつたえられないで
じぶんのきもちがつたえたかった
いいたいことがいいたかった
いいじぶんになりたかった
じぶんをみとめてもらいたかった
きぼうのかなえられるじんせいをおくりたい
すばらしいじんせいがおくりたい
きいてくれてありがとう
いいいちにちになりました
おわります
つかれたけどいいきもちです
おしまい
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2009年2月25日 00時01分
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