高校3年生による講義
肢体不自由の特別支援学校高等部3年に在籍する○○君をたまプラーザキャンパスの講義に招いた。小6の三学期に、「20歳の自分へ」と題した作文で、大学へ通っている自分を夢見ていた少年である。私は、小1から関わりを持ち、少しずつ学習を進め、小2の夏に、IBMの漢字Pワードというソフトを使い、レバースイッチを使って、肘や手首を介助することにより、文字を使った意思表示ができるようになるところまで進むことができた。その後、介助員の若者の手によって、50音表を介助によって指さして意思表示をなめらかに行うことができるようになっている。手をとられているため、必ずしもすべての人に信じてもらうことがかなわないが、彼を理解する人との間では、これまで豊かなコミュニケーションがとられてきた。
中学部に進学して、教科学習のグループには入れなかった彼は、しだいに大学への進学がかなわないものであることを感じるようになり、かわりに、私の大学に来てみたいというようになった。中学部時代は、義務教育でもあるし、わざわざ休んで大学に来るはむずかしいだろうと考え、高等部になったら、来てもらうと言ってきた。
その彼が高等部に進学し、さっそく、大学に招いたのが、一昨年の7月、昨年の7月は、非常勤でうかがっている大学の授業に招いた。そして、今回で3度目。
100名を越える学生の前で、母に抱きかかえられた姿勢で、母に手をとられながら50音表を指さしながら、彼は大学生たちに語りかけた。テーマは「教育とは」。
この日のために次のような言葉から始まる文章も彼は用意していた。「僕は、学びたいといつも思います。教育とは、なんでしょうか。僕のように障害を持っていると、学びたいということさえなかなか伝わりません。僕は普通に教科の勉強がしたいだけです。大人になってもいらない知識でしょうか。皆さんはどんなことを考えながら勉強をしてきましたか?仕方なくですか?それとも、何かやりたいものがあってそれをするための基礎ですか?僕は、ただ、知りたい、得たい、と思う貪欲な意欲だけです。僕のように養護に行き、将来は施設に入れられるだけの人生でも、今、知識を学びたいです。」
ほとんど年齢は変わらないにもかかわらず、あまりにも違う状況を生きてきた少年を前に、学生たちは、大いに心を揺さぶられた。ようだった。通常は、100人を越える授業で、自発的な挙手など、ほとんど望めない。しかし、この日ばかりは、少しずつ手が上がり、学生から少年に向けて真摯な発言が続いた。
自由に体を動かすことも話すこともできず、わずかに手を添えられて50音を指さすことによってだけ意思表示をする姿は、衝撃的なものだったろうが、あまりにもストレートな学びへの意欲は、学生たちにまっすぐ届いた。みんな、大学生としてのみずからの学びを問い直さないわけにはいかなかったにちがいない。そして、また、こんなにも心から純粋に学びたいという気持ちの少年が、学べる環境にないことが、合点がいかない。
授業の後も、彼をとりまく10名あまりの学生の輪ができ、対話が続いた。
学ぶことの意味をともに問い直すことにできた1時間となったと思う。
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2008年6月13日 23時59分
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自主G多摩1 |
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