青年学級 成果発表会の日 その1
	
		
			| 成果発表会の合間に、何人かの言葉を聞き取った。 
 最初は、朝、つどいの最中に聞いた女性のN.Fさんの文章だ。まず、お母さんの病気の心配のことから始まった。
 
 なかなかかあさんのびょうきがなおらないのでしんぱいです
 ねがいはずっとかあさんといっしょにくらせることです
 きいてくれてありがとうございます
 いいきもちです
 いきていきたいで ひとりで
 ききたいことがあります
 どうしてわたしがはなせるとわかったのですか
 かあさんがぐあいがわるくてかなしいです
 いいびょういんをさがしてあげたい
 (大変ですね。)
 たいへん
 (質問について、いい呼び方ではないし、間違った呼び方だと思うけれど、N.Fさんたちは、ある呼ばれ方をするでしょう。最初はこの方法は、同じコースのE.KさんやN.Fさんのように車いすの人で話ができない人のために考えたやり方だったのだけど、N.Fさんたちのような人たちも話すことができるのがわかったから、N.Fさんにも、声をかけたんです。)
 しっていますじへいしょうのことですか
 いいなまえではありません
 (今日は成果発表会、がんばってね。)
 がんばります
 (N.Fさんも詩を作ったことありますか。)
 (小さくこっくりとうなづいて)きいてください
 
 いいちいさいわたしは
 ちいさいはなとちいさいはなびらのようにいきてきた
 きいている いいはなのうたを
 きいている いいはなのさくおとを
 たくさんのゆめとたくさんのひかりをかかえて
 わたしはいきてきた
 いのちをしんじながら きぼうをもとめながら
 くなんのかべをのりこえながら
 きいている あたらしいいのちのこえを
 きいている きぼうのかねのおとを
 いつかきっとわたしのねがいがかない
 にんげんとしてちいさいねがいをもち
 いきていくことをねがいながら
 
 じぶんのしです
 きいていただけてうれしいです
 ねがいをかなえられたらうれしいです
 きいてくれてありがとう
 
 なお、帰りのお迎えに見えたお父さんにこの詩を見せた。この詩の内容に深くうなづきながら、お父さんには、お母さんへの思いをかみしめておられるようだった。同時に、たそして、パソコンを開くと、お父さんの膝にそっと手を乗せて彼女は、こう書いた。
 
 かけてうれしいおとうさん
 
 朝のつどいのさなか、H.Nさんともパソコンで言葉を交わした。H.Nさんは、かすれたような声で単語を発することがある寡黙なダウン症の方である。
 
 いしをつたえたいにんげんだから
 いいにんげんになりたいとおもいます
 きいてもらいたいことがある
 ひかりとかねがいとかぼくにもやってくるのですか
 きびしいですはなせないのは
 ひととしてみとめてもらえません
 くやしいです にんげんらしくいきていきたいです
 ひかりがほしいです
 ひかりをもらいたいです
 ふつうのにんげんとしていきていきたいです
 ふつうのがっこうにいきたかったです
 けさもばかにされました
 きっさてんにもいきたいです
 きいてくれてありがとう。
 
 10年前ころの数年間、彼は青年学級の帰りに私と喫茶店に行き、チョコパフェを食べて変えることを習慣にしていた。しかし、健康上の問題でカロリー制限が必要となり、いつかその習慣も途絶えていた。そんな思い出がよみがえる。私も、彼を「ばかに」したことはなかったろうか、本当の意味で彼を人間として認めてきただろうか。そんな問いが芽生えては、胸につきささる。
 Y.Hさんは、N.KさんとH.Nさんが語り終えるのをずっと待っていた。すでに時間はあまり残されていなかったが、次のような文章を彼は書いた。
 
 ききたいことがあるじぶんはせいかつりょうにはいけないのですか
 ねがいはちいさいときからちいき
 
 午前中から、彼が入所している施設の職員さんが、私のコースに参加してくださっていたので、お昼休みに彼のことについて話ができた。彼は、生活寮で暮らすための練習を始めることになっているそうだ。次に紹介する私のコースのメンバーであるT.Hさんのパソコンの様子をご覧になりながら、Y.Hさんの話にもなって、彼の内面の声を驚きとともに、受け入れてくださった。午後の発表の中で、彼の言葉は、たっぷりと紹介された。マイクをふられても、どうしても問われた言葉を繰り返さざるをえない彼だが、たくさん語った言葉がステージの上で紹介されていくのを喜びの表情で見ていた。施設の職員の方にも確実に彼の声は届いたはずだ。
 お昼休みの時間に、書いたT.Hさんの文章は、次のようなものだった。彼自身の言葉も入ったコースのオリジナルソングをめぐる感想から始まった。
 
 ちいさなしあわせというかしがよかった
 いいちいさいじぶんというかしをしにいれたかった
 きぼうちいさくささやきながらというかしがすてきでした
 じぶんのしがすてきでした
 にんげんとしてというかしがきにいりました
 いいちいさいじぶんというのをいれたかったです
 
 そして、横でパソコンを見守っている先ほどの施設の方と、パソコンで次のようなやりとりをした。
 
 こんにちわ
 (「こんにちわ。」)
 しをきいてくださいましたか
 (「はい。」)
 どうでしたか
 (「すてきでした。」)
 うれしいです
 ちいさなしあわせというのがいいでしょう
 (「そうですね」)
 じぶんもだいすきです
 (「どんなお仕事をしているのですか。」)
 ほうせいというしごとをしています
 (「何を作っているのですか。」)
 かばんをつくっています
 (「針はつかいますか}
 つかいません みしんのほうせいです
 ちいさいのぞみですがしごとをかえたいとおもっています
 きびしいかもしれませんがきぎょうではたらきたいとおもいます
 (「いいところが見つかるといいですね。」)
 そうですね しごとがちゃんとしたいです
 ちいさいしょくばならかのうかもしれません
 きいてくださってありがとうございます
 にんげんとしていきていきたいとおもいます
 
 ここで再び、自分の気持ちの表現に戻る。
 
 ゆめは×××さんにすきなものをかってあげることです
 ひんがいいものをえらびたいです
 ひんがいいちいさいものがかいたい
 じぶんのいいところをみとめてくれるからです
 にんげんとしていいところをよくみてくれるからです
 にんげんとしてにているところがあるからです
 ちいさいちいさいねがいです
 きいてくれてありがとうございました
 (×××さんについては)ないしょです
 
 書かれた文章を音読できるということは、よくわかっていたが、会話となるとなかなかスムーズにはいかない彼が、こんなにもなめらかに初対面の方と会話をする姿に、彼にこれまで与えられてきた「自閉症」という呼び名がいったい何なのか、改めて、考えさせられずにはいなかった。
 また、繰り返される「にんげんとして」という言葉は、今回の歌の中に、別の方の言葉として盛り込まれたものだ。彼も、その言葉を気に入ったのだろう。それにしても、この言葉が繰り返されるたびに、胸にズキンと迫るものがあった。
 
 
 
 
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		2009年3月3日 12時57分
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