「ながいねんげつだった」27年
ゴールデンウィークの最終日、ひさしぶりにTさんのお宅を訪問した。Tさんとの出会いは1981年にさかのぼる。大学院に入り立ての私が週一度通い始めた遊園施設に彼はいた。小1だったが、健康面での配慮のため、通園施設で養護学校の訪問教育を受けていた。とりわけ障害の重いお子さんとして私は、特に彼に意欲的に関わった。翌年、養護学校に通学が決まってからは、家庭訪問のかたちで関わりを継続した。その関わりのかたちは、彼が20歳を過ぎて、施設への入所が決まるまで続いた。私の関わり合いは一貫して手の操作性や目の使い方に関するもので、彼のためだけに作られた教材も数知れない。そんな彼のことが、しきりに気にかかり始めたのは、この3,4年のことだ。周りで、いろんな子どもが私たちの常識を越えて文字を綴り始め、それじゃあ彼はどうなのか、という問いが、しだいに頭をもたげてきたのだ。
そして、5月6日、彼と再会した。1年前に、2スイッチワープロで、簡単な言葉を一緒に選んだこともあったのだが、それは、確信にはいたらなかった。しかし、きっと彼は、そういう表現方法があることを見逃しはしなかったのだろう。この日、いくつかの単語を一緒に書くことを練習のようにした後、自由に書いてみてと言うと、次のような文章を、終始、こぼれ落ちるような笑いとともに、つづった。
おとうさんおかあさんいつまでもげんきでね。ありがとういつもかわいがってくれて ことばでつたえたかった
(文字はどうやって覚えたのかという問いに対して)ひとりでおぼえた
えがおでいきていきたい
なぜわかったのことばをしっていたことを
ことばではなせるとはおもわなかった
ねがってもかなわないとおもっていた
てをつかえるとはおもわなかった
やっときもちをつたえることができるのできぼうがでてきました
ふりかえるとながいねんげつだった。
りかいしてくれてありがとうございます。
彼との間に流れた年月は27年。本当に長い年月だった。取り返しがつかないけれど、このようにしか生きてこれなかった時間だ。彼にしいてしまった忍耐を、これ以上続く世代に課してはならないと思う。
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2008年5月13日 06時58分
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家庭訪問 |
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