ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2009年04月07日(火)
私を人間として敏感に感じとってくれた仲間たちがくれた希望
 若葉とそよ風のハーモニーの練習に来た○○さんにパソコンを挑戦した。「ウーウー」という声しか出せないが、指さしや身振りで気持ちを伝えることができる方だ。公民館の場所からひかり学級が分かれた時(もう20年近く前のことだが)、彼女はひかり学級に移っていったので、日常的な活動ではなかなか会う機会がなく、会えるのは、2年に一度のこのコンサートの時だけになってしまった。彼女のコミュニケーションの力を考えると、言葉の力があることは容易に想像がついたので、練習前の時間にすぐそばに彼女が来たところで、ためらわずにパソコンを出した。そして、綴った言葉。

ちいさいときからはなしたかった
きもちがつたえたかった
きいてくれてかんしゃします
ちいさいときからはなしたかった
ちいさいときから
ちいさいときからじをかきたかったけどうまくいかなかった
いいきかいですね
かいたいです
ありがとう

 ここで詩を書いているかと尋ねるとはいとうなずくので、書いてもらった。

ちいさいときからみてきたゆめ
ちいさいときからねがってきたねがい
みしらぬみらいをみつずけて
みしらぬらんどをゆめにみて
ひとりぼちでいきてきた
ゆめはいつもかなわなかったけど
ゆめみたことはらんぷのようにかがやきつずけている
わたしのこころのなかで
にんげんとしていきたいといつもねがいながら
いつもちいさいむねをいためてきた
ねがいのちいさなゆびさきに
ちいさいちいさいゆうきがやどり
みたこともないちいさななみだが
りんごのしずくのようにながれた
ちいさいころからひとりぼっちでいきてきて
びょうきのためにちいさいときからはなしもできず
まるでちいさなひんしのはとのようにいきてきた
わたしをにんげんとしてびんかんにかんじとってくれたなかまたちが
くれたきぼうを
だいじにしていきていきたい。

 独創的な比喩がたくさんちりばめられた言葉だ。この詩だが圧巻は、「わたしをにんげんとしてびんかんにかんじとってくれたなかまたち」という表現だ。そういう仲間たちに支えられて彼女は、生きてきたのだ。この言葉の裏には、人間として感じとってくれない人たちの存在がいるということがある。そのこともまた重く迫ってくる。

2009年4月7日 05時45分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 青年学級 |
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