ひかりにみちたにんげんがちいさいときからゆめだった
知的障害の特別支援学校高等部を3月に卒業した○○さん。4月最初の関わりでこんなことから書き始めた。
きいてほしいことがあります
×××(通い始めた通所施設)でりかいしてくれるひとがいます
みんなわたしのことをわかってくれます
ふつうにはなしかけてくれます
にんげんとしてあつかわれているきがします
にんげんとしていきていきたいとおもいます
りかいされてうれしいです びっくりしました
じぶんのきもちがいいたいです
みんなとはなしたいです
ひかりがさしてきました ひかりがさしてきにんげんとしていきていけそうです
この通所施設には、職員にも利用者にも私たちの仲間がいる。そこで理解された喜びがこんなにも綴られていることに私たちはほっとする。また、これまで、なかなか理解されてこなかったはがゆさも背後ににじむ表現だった。
そして、彼女は、3月29日の結団式から練習に参加しているわかそよの歌の一節を綴り始めた。練習用のCDを車で毎日聞いているとのこと。大きな声では歌えない彼女が、心の中で奏でる歌だ。
ちいさなしあわせちいさくひらきねがいのとおりみたされて
ちいさなしあわせはなのようにしずかにしずかにきれーにわいて
ちいさなしあわせはなのようにきぼうをはこびよろこびひろげ
にんげんとしてうまれいきてきてじぶんのきもちをきいてもらいたい
かってにからだがうごいてかなしい きれいなきもちでいきてゆくのがゆめ
きぼうちいさくささやきながらきぼうにみちたじんせいいきる
途中の「きれー」が「きれい」ではないのは、CDの歌い方にそろっている。よく聞いていることがわかった。そして、文章は続く。
きぼうにみちたじんせいをおくりたいです
いいうたですね きぼうのきせつというだいにはかんげきしました
きぼうのきせつというしはだれがつくったのですか
にんげんだからちいさいころからきもちがいいたかった
ひょうげんすることができたらうれしい
社会へ一歩を踏み出すとともに出会えた仲間たちの存在の大きさがよくわかる。そして今度は自分の詩へ。
いいうたをつくりたい しをつくりましたいいしです
じぶんのあいしたゆめをついにつかんだ
ゆめをつかんだけれまだゆめはとちゅうだ
みちはとおいけれどひかりがさしている
ずっとわたしをひょうげんできず
いちばんつらかったのは
にんげんとしてみとめてもらえなかったことだ
みとめてほしいじぶんのきもち
みとめてほしいじぶぶんのそんざい
ひしひしとこみあげてくるのはじぶんをみとめられたよろこび
ひかりにみちたにんげんがちいさいときからゆめだった
きぼうにみちたじんせいをいきていきたい
一語文かせいぜい限られた二語文しか発せず、典型的な幼児画を描き、これまでひらがなの学習を一歩ずつ続け、10までの数を繰り返し学習してきた彼女が、 いったん私たちのソフトを使うとたくさんの思いを綴り、こんな詩まで書くようになった。「にんげんとしてみとめて」こなかったのは、ほかならぬ私だ。学習が間違っていたとは思わない。しかしその学習を続ける中で、思い描かれていた彼女の姿の中には、こうした表現ができる姿というのは含まれていなかった。
じぶんのきもちをかいてもうまくつたわらない
にんげんとしていきたいです
ちいさいときからゆめでした
ゆめがかなってうれしいです
偶然同じ町で続けてきた子どもたちとの関わり合いと青年学級の活動とが、いつかつながることは、漠然と思い描いてきた夢だったが、こんなふうに一本の糸のようによりあわされることは思わなかった。私もまた「ゆめがかなってうれしい」。
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2009年4月12日 18時37分
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自主G多摩1 |
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