ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2009年04月15日(水)
ちいさなはなのねがいは にんげんにはわからない
 1年3ヶ月ほど前に、一度だけ出会った小4の女の子と再会した。そのときは、まだ、彼女の動きを拾おうとしたので、「○○(名前)たんじょうび」と書いただけだった。今回は、こちらが積極的にスイッチを動かして、本人が選択の時にふっと小さな力をこめてくるのを拾う方法で行った。すると、前回とはちがって、長い文章と、詩、そして歌を書いてもらうことができた。

ちいさいときからはなしたかった。かあさんとやれるようになりたい。てではなせるとはおもわなかったのでおどろきました。(パソコンの文字は)みえます。(やっている時には)みていません。みみできいています。じのべんきょうはちいさいころにおかあさんとえほんでやりました。のんたんときぼうのきしゃというえほんです。(「きぼうのきしゃ」という絵本は)じぶんでかんがえたえほんです。じぶんできもちをいいたかった。にんげんだからいいたいことがあります。ちいさいときからねがっていました。きもちがいいたかったです。(詩を作ったことはありますか?)つくっています。きいてください。

ちいさいはなのねがいは
にんげんにはわからない
にんげんのねがいは
ちいさいはなにはよくわかる
ちいさいはなのねがいは
じぶんのすがたをすてきにかがやかせること
にんげんにはわからない
ちいさなはながちいさいねがいをかなえようとしているとき
にんげんはきのうのことにきもちをうばわれています
きのうとのぞみはなにもちいさなはなにはかかわりない
ちいさいはなはただきれいにさくことだけをもとめ
にんげんにみとめてもらうことだけをゆめみている
そのことをしっているひとはだれもいない

 もちろん、この小さい花には、彼女自身の存在が重ね合わされている。彼女のささやかな願いは、「自分の姿をすてきにかがやかせること」だが、それはひそかに願いとしていだかれているもので、誰もそのことは知らない。そして、人は昨日のことや明日のことに気持ちを奪われているが、彼女はただ今日の自分をかがやかせることだけをささやかに願っている。おそらく彼女にとって過去は様々な苦悩に満ち
、未来も決して明るく開かれているわけではない、そんな状況をすべて受け止めた上で、今を大切にしようとしているということだろう。あどけない笑顔がとても印象的な彼女だが、その笑顔の向こうにこんな大人の感性が脈打っているということに、気づいた人は誰もいなかった。

おしまいです。きいてもらえてうれしいです。ちいさいときからかんがえてきました。しをつくっているとおちつきます。きぼうがわいてきます。きいてもらえるとはおもいませんでした。きいてもらえてうれしいです。ねがいでしたからうれしいです。(曲のついた歌はありますか?)あります。

しろいはな しろいほほ あかいはな あかいほほ
きれいにゆめをかなえたら 
しろいほほ しろいはな あかいほほ あかいはな
きれいなゆめをかなえたら
いきてることのすばらしさ
のぞみとともにこだまして
いきてることのすばらしさ
こだまとともにむねをうつ。

かんげきです。まさかうたをきいてもらえるとはおもいませんでした。しんじられません。しろうとしてくれたひとははじめてでした。いいうたでしょう。じぶんのきもちをうたにしました。かわいいといわれてきたのでつくりました。

 何度も繰り返し心の中で歌われたものなのだろう。対句の対比も鮮やかだ。
 この後、手をとって、ドレミファソラシドと私が声を出しながら一音一音拾っていった。メロディーは掲載した通りである。
 誰に伝えるためでもなく、ただ、自分自身のためだけに作られひそかに心の中で響いていた切ないばかりの歌だった。


2009年4月15日 22時10分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩3 |
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