若葉とそよ風のハーモニーへ向けた練習日
5月24日の若葉とそよ風のハーモニーコンサートの練習は、いっそう熱気を帯びてきた。今年は、ミュージカルも合唱も、その中心には、これまで言葉を発することのできなかった仲間たちの、あふれ出た思いがある。練習の途中の時間に、3名の方にパソコンで気持ちを聞いた。
最初は、M.Mさん。今回は彼女が最初にパソコンで書いた言葉がそのまま「オリジナルスマイル」という曲になって、ミュージカルの中で歌われる。
スタッフの松田さんが、最初の5文字を手で読み取ったといって、私にバトンタッチししてきた。さっそくパソコンを開くと、次のような詩が綴られた。
めにうめのはな よくさいた
ひかりのひかる なみだとねがい
にんげんとしてうまれて
いきてこれたことにかんしゃして
ちいさなひかりをたいせつにして
ゆうべのくるしみ わすれて
りかいされた しあわせを
かみしめながら いきていこう。
そして、次の文章が添えられた。
これでいいです。じぶんのきもちをいいたかったので ゆめのようです
今回の合唱で歌う「願いの季節」という歌には、「にんげんとして生まれ生きてきて」「やっぱりきびしいはなせないのは にんげんだからあふれるきもちがある」という歌詞がある。この歌詞は、おそらく、彼女の中でも深い共感を持って受け止められたにちがいない。彼女の詩には、その言葉と響き合うものもあったことだろう。
ここで、松田さんからオリジナルスマイルの感想はどうだった?と質問がくる。そして、次のような答えが返ってきた。
とてもいいうたで うれしいです またつくってほしいです
次に、K.Tさんとパソコンで話をした。
しばたさんといつかはなしたいなとおもっていましたが なかなかじかんがとれませんでした にんげんだからざんねんです はなしができないのは みためではんだんされてくやしいです みためではなにもできないようにみられてくやしいです みためではんだんされるのはいやです なぜひとはみためではんだんするのでしょうか
見た目で判断されて不当な理解しかされてこなかった彼の、心の底からの思いだった。そして、私も、その不当な理解をしてきた一人だった。
彼は、北風の長い詩を12月の合宿の時に聞かせてくれていたので、ここで、春の詩はないのかと尋ねてみた。するとこんな詩が綴られた。
はるがきた
みどりいっぱいゆめをいろどり
りそうのちがひらけた
みどりのかぜがむかいかぜとなり
べんちのうえのふたりが
なやみをせなかにせおいながら
ふたりのかたごしに
やさしくみどりのかぜがふき
ふたりのなやみをふきとばしていった。
北風は季節の変化とともに緑の風に変わっていた。それにしても、なんと美しいイメージの世界だろう。
練習が終わり、後片付けをしていると、D.Tさんが、しきりにパソコンで話したそうに訴えてきた。彼は、これまで、眉毛で気持ちを表現したり、シンボルマークを使って気持ちを表現してきた。そして、自分とほとんど同じような状況にありながら、紙一重でコミュニケーション手段を持たなかった仲間たちが、次々とパソコンで気持ちを表現していくことを自分のことのように喜んできた。彼がこの日書いたのは以下の内容である。
じぶんのきもちをいえないなかまのきもちをひょうげんできてうれしい ちいさいときからゆめみてきました ちいさいときからびくびくしていきてきたので みんなきもちがいえてうれしいとおもいます ゆめでしたから じぶんのきもちをいうことが ばかにされたりむしされたりしてきたので にんげんらしくきもちがいえたらいいとおもってきました みらいがひらけてきました かんげきです やらかしてやろうというきもちになりました ひとりでなやんできたひびがこれでおわります かんどうしました じつにいいきぶんです ねがってきたやわらかいじんせいのはじまりです ゆめのようです めりーくりすますみたいです かんどうでやねにのぼりたいようなきぶんです かんどうこのうえありません
静かだが大きなうねりのようなものがひしひしと感じられる日曜日だった。
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2009年4月22日 23時11分
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青年学級 |
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健康な私たちが普通に話ができるように、障害を持った方達も同じように、堂々と話しができたらいいですね。