人間開発学部の講義
5月21日、人間開発学部の授業に、Hさんが参加した。人前で話すのは、初めてのことだ。
授業の前に、研究室でパソコンを開いてみた。
じぶんのいけんをいいたいとおもいますがちょっとはずかしいです
ねがいがかなってうれしいです
きもちがきいてもらえてうれしいです
そして、教室へ。目の前に並んでいる80名ほどの学生は、みんなHさんと同い年。簡単に紹介して、さっそく、彼女にパソコンで話をしてもらった。学生たちは、プロジェクターで映し出されるパソコンの画面に注目する。
にんげんとしてみとめてもらえてしあわせです
まだわたしのことをしんじてくれないひともたくさんいますが わたしもにんげんとしていろいろかんがえています
にんげんとしてみとめられることがまだできていないなかまたちがたくさんいるので にんげんとしてはやくみとめてもらえるよのなかがはやくくるといいなとおもいます
にんげんとしてみとめられるせかいがくればいいなとおもいます
みんなはわたしのことをみてどんないんしょうをもちましたか
りゆうはいろいろあるかもしれませんが りかいできているにんげんとみえたでしょうか
ゆびさされたりしてきましたからなれてはいますが にんげんとしてみられないこともたくさんあります
ひどいときはりゆうもなくわらわれることもあります
ひょうげんはわるいですが ひどいひとはゆびさすだけでなくみんなのまえでぶじょくするひともいます
ゆびさされるだけならいいのですが ゆびさされるだけでなく ぶじょくされるのはたまりません
にんげんとしてみとめられることがゆめでしたので びっくりしています
ふしぎなかんじです
みんなのまえではなしができるとはおもえませんでした
びっくりしただけでなく みんなとたいとうにいられることがゆめのようです
ゆうきがでてきました みんなとはなしたいです
重い内容が一気に綴られる。「にんげんとしてみとめられる」「ゆびさされる」「ぶじょく」など、私も彼女が綴るのを初めて目にした言葉が続く。こうした言葉を通して、彼女は、自分たちの存在について懸命に訴える。いつもは、ざわざわしている空気は、ぴんとはりつめて、みんなの目は、スイッチ操作とパソコンの画面とに釘づけになっていた。
一区切りついたところで、質問を受けることにした。
最初の質問は、パソコンの画面を見ていないのにどうして打てるのかというものだった。
みていませんが みみできいているのでわかります
いいかんじです きもちをすらすらかけて
次は、「柴田先生は好きですか?」というもの。
きらいとはいえません だってわたしのことばをはっけんしてくれたひとですから かんしゃしています
ウィットに富んだ答えだった。
次の質問は、「詩は、どうやって作るのですか?」
ひとりでちいさいときからかんがえてきました
ひとりでみらいをゆめみながらかんがえてつくってきました
しをつくっているときもちがしずまります
そして、今度はHさんから質問が向けられる。
ちいさいせかいといううたをしっていますか
さすがに同世代の学生だけに、この歌を知らない学生はいなかった。
ちいさいときだいすきでした
じぶんにとってきぼうのうたでした
じぶんのきもちにむつかしいことがあるとよくくちずさんでいました
ちいさなせかいはとてもよいかしでした
みんなもそうおもいませんか
次に、こんな質問が出された。「これまで、いちばん楽しかったことは何ですか?」
じぶんのうたをたくさんのひとがうたってくれたときです
びっくりしました みんながわたしのことをみとめてくれたので
これは、一昨年の若葉とそよ風のハーモニーコンサートで、彼女の詩に曲をつけた「野に咲く花のように」という歌をみんなが歌った時のことだ。そして、今年も、また、この歌を24日、みんなで歌う。
次の質問は、「どんな言葉を大切にしていますか?」だった。
ちいさいときからにんたいということばをたいせつにしてきました
みんなはどんなことばがすきですか
たえることがおおいからです
いつもたえてばかりですから
残り時間はあとわずかになった。最後の質問は、「大切な人にひとこと言えるとしたら誰にどんな言葉を言いますか?」という、質問だった。
答えは、次の通り。最前列で静かに聞いておられたご両親を前にして、次のような文章をしめくくりとして綴った。
ありがとうといいたいです
わたしをそだててくれたりょうしんに
ちいさいときからびょうきがちでめいわくばかりかけてきましたから
ひじょうにりそうてきなりょうしんです
ぬいぐるみをたくさんかってくれたりちいさいときからじぶんのためにせいいっぱいそだててくれました
深い余韻を残して、一時間の授業が終わった。
授業後、研究室に四人の女子学生が集まった。ひとしきり、談笑したあと、みんなが、彼女との会話に挑戦した。
最初の学生に伝えた言葉は、
つたえたい
このあと、Hさんは、わざとむずかしい言葉を伝えてきた。予測がつかないようにと、彼女なりの工夫だったが、見事に、それを読み取った。かわるがわる四人の学生と、まだ短い言葉だが、会話が成立した。同年齢の女の子がまったく対等に彼女と話したいという思いだけで、懸命に彼女の手をとって「あかさたな」と振っていく光景は、新しい未来の先取りのように思えた。
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2009年5月22日 12時57分
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