ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2009年06月07日(日)
夢は始まったばかり!
 授業のゲストに、私の授業の常連の利光徹さんにくわえて、高校3年生の☆☆さんに来ていただいた。いつもは、利光さんがお一人で話されるのだが、今回は、まず、☆☆さんにパソコンで話をしてもらった。今年の1月に初めて気持ちを表現できるようになった☆☆さんだが、自分より1歳上の学生たちに堂々と語りかけた。

きいてほしいことがあります
ひいでたにんげんではありませんがわたしのきもちをきいてください
びっくりしたかもしれませんがびんかんにかんじとってくれるのでわたしのきもちをつたえることができます
じぶんのきもちをきいてもらえるようになってはんとしがすぎました
にんげんとしてみとめられてうれしいです
びじんになることをゆめみてきましたがいかがでしょうか
みんなのめにはどううつりますか
なやみはちいさいときからずっといいたいことがいえなかったことです
ちいさいころからきもちをいいたかったけどなかなかかないませんでした
ゆめはきちんとしたにんげんとしていきていくことです
にんげんとしてきちんとしたいきかたをしたいとおもいます
きいてほしいことがあります
きちんとしたせいかつをするためにはちいさいときからがっこうでべんきょうをしなくてはいけませんがなにもがっこうではおしえてもらえないのでしんぱいです
なぜがっこうのせんせいはおしえてくれないのでしょうか
じぶんではなにもすることができないのでべんきょうをしたくてもできません
じぶんのきもちをきいてくれるせんせいがほしいです
むずかしいかもしれませんがじぶんのきもちをわかってほしいです。

 話し終えて、学生から、字はどうやって覚えたのかという質問が出された。

じぶんでおぼえました

 また、彼女からの「びじんになることをゆめみてきましたがいかがでしょうか」との問いかけに対して、ある男子学生は、かわいいと思います、と応えた。
 こうしたやりとりの後、大先輩である利光徹さんが、自立生活をする重度の身体障害者の立場からコメントをくわえる。このままの自分をしっかりと受け止めていくことの大切さや、このままの自分で何が悪いのかという気持ちを持つことの重要性を語り、さらに、夢は幻想とはちがい、かなえるためのものであるということ、そして、夢は今、まさに始まったばかりだということを☆☆さんに語りかけた。
 利光さんの話の最中に何度も、にっこりと笑っていた☆☆さんの姿に、この出会いが深い意味を持ったことを確信した。
 授業の後、研究室で、利光さんと☆☆さんを囲んで数名の学生と語り合った。
 学生たちは、まず、☆☆さんの手をとって言葉を聞き取ろうとした。好きな色、好きな天気など、学生たちは、質問を工夫して、答えを読み取ろうとし、いくつかの文字を聞き取ることに成功した。
 そして、お母さんは、ご自分ではなかなか気持ちを聞き取ることができないので、いくつかの質問を用意されていた。
 その中に、「どんな勉強をやりたいか」ということがあった。そして、その答えは、 

びっくりすぎるぐらいむずかしいことがやりたいです
たとえばみんながやっているようなべんきょうです 
(みんなとは?)
だいがくせいです
(どんな計算ができますか?)
325÷5=65
いつもかんがえているからわかります
(もっと知りたいのは?)
しょうすうのわりざんです
にんげんとしてげんきにいきられることがまなびたい
だけどむりしないでください
ぬいぐるみのことをかんがえたらもうじゅうぶんにしあわせですから
ちいさいゆうきがほしい

 そして、お母さんから「今、ほしいものは?」という質問があり、次のような答えが返ってきた。

ちいさくてもいいからでんどうくるまいすがほしい
じぶんでできないかもしれないのでじぶんでじぶんにむかしのゆめをわすれないようにするためにほしい

 今度電動車いすに挑戦してみるという話をお母さんがしておられたが、そのことをめぐる気持ちだ。かなわなかもしれない夢だけど、その夢を忘れないために、小さな小さな電動車いすのミニチュアがほしいということのようだった。
 そして、数日前に、ディズニーランドで、人形がほしいということを言ったとのことで、そのことをお母さんが尋ねると、

のぞみはねがったとおりにならなくてもずっとびじんになることでした
にんぎょうはそのかたちです
にんぎょうといったのはとくになにかをのぞんだわけではなくにんぎょうのことをかんがえただけ

 授業の時、「びじんになることをゆめみてきましたがいかがでしょうか」という言葉が、突然深い意味を持った言葉として思い出された。夢がすべてかなうわけではないことをしっかり見すえながら、その夢を持ったことを大切にしていきたいという切ないばかりの思いが、その言葉の裏にはあったのだ。
 最後に、一つ、詩を書いてくれた。


にんげんとしてうまれていきてきて
ねがいをたくさんもちつずけ
ゆめをたくさんゆめとしてもちつずけ
じぶんのひかりをふだんからむずかしくてひからせられず
ふつうのがっこうにいくこともできずにいきてきた
でもちいさいわたしにりかいされるひがおとずれた
ちいさいひかりだけどちいさいひかりがさしてきた
らんぷのようなひかりをねがいとして
りかいされたよろこびをゆめとして
このせかいにうまれたことをよろこびとしていきていこう。

 さらにこのあと、みんなで夕食に出かけたが、その席で、利光さんは、改めて、「夢は始まったばかりだ」と、彼女に、再び語りかけた。大学での新しい試みが、☆☆さんたちの夢の実現に少しでも役立てば幸いだ。

 


2009年6月7日 00時23分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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