ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年06月20日(金)
ある通所施設にて
 今日、うかがったのは、都内の通所施設。お二人の方とゆっくり関わった。
 午前中は、二十歳くらいの女性である。2月に初めて関わって、今日が2度目だった。音楽がとても好きと言われていて、彼女のそばではいつもすてきな音楽が流れている。前回は初めて文字を綴ったのだが、「やっとはなすことができてうれしい たあくさんはなしたい」と率直に笑顔で喜びを綴っていた。
 しかし、今日は、どこか意を決したような表情から始まり、「くやしいです きもちをおかあさんにつたえることができなく りかいしてもらえないです。(…)くやしいのは なかなかことばがわかっているとおもってもらえないことです。」という文章ができあがった。これまで、彼女が言葉を当たり前に理解し、文字もきちんと理解していると考える人はほとんどいなかったから、こういう状況も無理もないことだった。そこで、私は、どうやって文字を覚えたか教えてくれると、みんな納得するかもしれないと問いかけてみた。すると「ちいさいころからてれびをみておぼえました。きっといつかかけるひがくるとかんがえていました。ねがいがかなってとてもかんげきしています。」という答えだった。こんなふうにいろいろやりとりをしているうちに、彼女の言葉は、別の方向に向かっていった。「ねがいは いろいろなひとにのぞみをわかってもらうことです。いつまでもげんきにしていてほしいとおもう、おかあさんには。いつもめんどうをみてくれて かんしゃしています。なかなかいえずにいたけど いえてよかったです。」としめくくられた。今日、書いた文章に私からのお手紙を添えて、彼女のかばんに入れてもらった。うまくお母さんに伝わったか、それが気がかりだが、きっと彼女の懸命な思いは、伝わるにちがいないと信じている。
 午後からは、25歳を過ぎた男性だ。5月に親しい仲間の女性を亡くし、そのことから始まった。この女性のことを綴った文章は、「○○さんはのぞみをかなえられてよかった。」(07年12月)というものから始まる。彼女がようやく気持ちを表す手段を得たことをめぐる言葉だった。そして、「ずっとしんじてもらえずに○○○さんもつらかったねとちゃんといってあげたい。よいめぐりあいができてほんとうによかったね。われわれはりそうめざしてがんばろう こんなんにたちむかいしんけんにやっていこうと いいたい。てにいれたしあわせをてばなさないで くなんをのりこえていこう。くるしみとかなしみのむこうには おおきなきぼうがまっているから めのまえのこんなんがどんなにおおきくても むねをはっていきていこう。いつまでもずっと。ほんとうのしあわせをてにいれるまで。」(08年4月)と続く。そんな矢先、彼女が突然旅立ってしまった。その直後に、「○○○さんがなくなってさみしさがつのりかなしみがふえてつらいひがつづいていますあうことがかなわなくなってしまいなんとなくくやしいあいたかったとつぜんのことでみこと(言葉)がでてきません」(08年5月)という言葉が綴られる。そして、今日を迎えた。
 蒸し暑い一日で、疲れが見えた彼だったが、時折瞑想するようなまなざしで、次のように綴った。「めいふくをいのっています。かぎられたいのちなら できるだけずっとおかれたかんきょうにとらわれることなく かりそめでもいいから いのちがつきるまで わらいをなくさずにいきていきたいとおもう。なぜてがつかえないといきるのがいきにくいのだろうか。わからないけどよくいきていきたい。」仲間の死は、たくさんの問いを彼につきつけたようだ。
 2ヶ月前、元気に「ろまんいっぱいにこれからもいきてゆこうね。」と綴った彼女の姿は、今日この場所にはなかった。そのすっぽりとあいた穴のことをあえて語る人はいなかったが、みんなそれぞれに問いをつきつけているにちがいなかった。いのちの問題の重さをいちばん受け止めているのは、障害と向かい合ってきた人たちなのだから。
 


2008年6月20日 23時57分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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