ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2009年08月22日(土)
女性二人の対話と男性の詩 福井にて
  1年前に文章を初めて綴ったOさんと、鯖江市の地域センターの一室で、1年ぶりにお会いした。そして、さらさらと次の文章を書いた。
 
 来てくれてうれしいです。久しぶりに会えてうれしいです。人間として生きていきたいので認めてもらえてうれしいです。なぜ力を入れていないのにわかるのですか。耳で聞いているだけなのに不思議です。願っていました。夢みたいです。小さい時から話がしたかったのでうれしいです。人間として理解してもらいたいと思ってきたので理解されてうれしいです。

 そこへ、2年ぶりのSさんが登場する。
 2年前、まだ、ゆっくりとした読み取りしかできず、次の文章を読み取っただけだった。「おかあさんおとうさんほんきにきいてほしい やさしくして せめてものしあわせのため」
この日、もう時間はあまりなかったので、とっさに、二人で対話をすることを思いついた。
 そして、Sさんに口火を切ってもらって次のような対話が成立した。

S:来てくれてありがとうございます。気持ちが言いたいと考えてきたのでうれしいです。いいやり方ですね。聞いてほしいことがあります。自分の気持ちを言いたいと思ってきたのでうれしいです。Oさんはいかがですか。
O:自分の気持ちを言いたいと願ってきたのでえらくうれしいです。聞いてくれてありがとうございます。未来が広がってきましたがSさんはどうですか。
S:自分の気持ちを言いたかったけどみんなはどうしていたのですか。みんなはなぜわかってもらえたのですか。未来が開けてきたのは同じです。なぜ敏感に感じとれるのですか。聞いてほしいです。みんなとは友だちのことです。
O:みんなわかってもらえなくて困っていましたよ。Sさんだけではありません。気持ちを言いたいとがんばってきましたがなかなかわかってもらえず悩んできました。びっくりしています、こんなやりかたに出会えて。
S:私も同じです。分相応に生きてきましたがやっと自分らしく生きられそうです。願いがかなってうれしいです。いいやりかたですね。気持ちいいです。
O:分相応という言葉はいつも気にとまっている言葉です。びっくりしました、Sさんがこの言葉を考えていたことに。いい言葉ではないけど悲しいことに私たちはこの言葉のようにしか生きられませんでしたね。
S:そうですね。みんなこの言葉にしばられてきましたね。みんな悲しい思いをしてきましたね。でもこれからは自分らしく生きていきたいですね。
O:そうですね。小さいころからいつもがまんばかりしてきたのでこれからは自分らしく生きていきましょうね。
S:自分らしさを勇気を出して見つけたいです。人間らしさを考えながら生きていきたいです。
O:そうですね。分相応の生き方はお別れしましょうね。また会いましょう、○○○(Sさんの名前)さん。
S:きょうはお話しできてよかったです。○○○(Sさんの名前)を覚えてくれてありがとうございます。


 30近いOさんと今年学校を卒業したばかりのSさん。10歳ほど離れているが、大人の女性としてのしっとりとしたやりとりだった。悲しい「分相応」という言葉。実に多くの人がこの言葉を使う。日常会話でそんなに使われる言葉ではない。しかし、言葉を理解しているのに理解していない存在として生きなければならない現状は、「分相応の生き方」を押しつけられているということなのだ。残念ながら私は非力だ。こうした事実を明らかにしえても、それは彼女たちを取り巻く多くの人々に共有された事実ではない。その意味で、生活は容易には変わりようがない。しかし、これだけの短い会話であっても、思いを共有し合う仲間の存在を確かめ合い、そして、強く生きていくことを誓い合った。その事実は、困難な現実に立ち向かう勇気を二人に与えたにちがいない。

 この後、場所を「がんこっこの家」に移して、夕食会に移った。Sさんは、一足先に帰る時間となったが、Oさんは、そのまま夕食会にも参加した。
 夕食会には、センターでのやりとりをじっと見ていた言語障害のある32歳の男性Yさんがいた。簡単な言葉は、かろうじて発することができるが、まとまった文章を話すことはできない。その彼と隣り合わせになった。彼に、二人のやりとりのことを尋ねると、自分も共感したという。彼に、手で話しを聞いてみた。彼は、子ども扱いをされることがいやだということや、自分で決めたいというようなことを語った。確かに、非常に素直な印象を与える彼は、表面的に幼く映る。しかしそれはあくまで見かけのこと。そのことに彼は深く傷ついているのだった。そして、一編の詩を聞き取ることができた。

 苦しみの中で見つけた幸せ

苦しみの中で見つけた幸せ
それは月日の中で瑠璃色に輝いている
月日の過ぎゆくままに喜びを感じながら
苦しみを忘れたいと願う
願いはいつもかなわなかったけど
夢はいつも私を支えてくれた
理想の私を求め理解と喜びを夢見て
苦しみの中で私はよい夢を育て
あしたの私を理解してもらいたくて
今日もよい人間として私を育てようとする


 瑠璃色は、多くの人が好む色だ。彼に何の色かを尋ねたところ、「海流の色」と答えが返ってきた。瑠璃色にはそんな力強い意味もこめられていたのだ。
 Oさんが帰る時間になった時、この詩をみんなに朗読した。Oさんは、目をきらきら輝かせながら、この詩を聞いていた。新しい絆が、OさんとYさんの間に生まれ、そして、それは、また、Sさんにもつながっていくにちがいない。
 



2009年8月22日 00時41分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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