関わりあいの見直し:青年学級にて
障害が重いとされ、一見私たちの言葉を解さないように見える人との関わりにおいて、そういう人が実は豊かな言葉の世界を持っているかもしれないと考えて関わるようになったと、私はあちこちで公言してきた。そして、それは、私が参加している障害者青年学級でも例外であってはならない。しかし、これまでそのことを実践してこなかった方が一人、青年学級にいる。
新しい年度が始まって、久しぶりに彼と再会した。これまでの、本気で語りかけることをしなかった関わり合いを改めなければと、会った瞬間に思った。
彼は歩いて移動できるが車いすにのってやってくる。ほんとんど目が合わないため、意識しなければ語りかけのタイミングをつかむことがむずかしい。好きな物をいつも手に握りしめていて、部屋の中を歩いて、好きな物を、時には人の鞄の中からでも探し出す。まったく自分のペースで動いているように見えるので、それが、問題と感じられることも少なくない。実際、何度、彼の後を追い回って、その行動を制止してきたことだろう。
「今日はティッシュにこだわりがある」とのご家族の言葉通り、手にはウェットティッシュと香りのよい除光液(?)のびんが握りしめられていた。
朝の集いは、元気のよいマイクを使った司会者の声と大音量のギターやピアノの伴奏でみちあふれている。彼は、そんな時、よく不快そうな声をだし、腕をかんだりする。ギターの音は私の立てる音だが、ギターをかき鳴らしながらちらちら彼の方に目をやると、この日も、彼は不快そうな声を出していた。
集いの後、今年度のコースを選ぶ時間があったが、その時間、床に座り込んでいる彼に、ずっと語りかけた。目立った反応があるわけではなく、これまでなら、途中であきらめていたところだが、語り続けた。そうしていると少しずつでもいつもとは違う間が生まれてきたような気がした。
おもむろに、彼が自分の車いすの背もたれにかけた荷物をあけようとする。目的は、たぶんウェットティッシュ。これまでは、止めようとしてすったもんだして、結局負けてしまっていたが、今日は、一緒にチャックを開けてウェットティッシュを取り出した。いきなりわしづかみしそうになった彼に、一枚ずつとれるようにしたら、なんと、ていねいに3枚ほど取り出して、やめた。そしてその後もよく見ていると、ティッシュで手を拭いているようにも見えた。実際、香りのよい除光液は手につくとべたべたする。彼はただ手をきれいにしたかっただけなのかもしれない。はたしてこれを「こだわり」と見てきたのは正しかったのだろうか、そんな疑問がふとよぎる。
コースに分かれてからも、彼に寄り添い続けたが、うつむきがちになるので、後ろから膝に抱えるようにすると背中を私にぴったり押しつけて穏やかにすわって、仲間を見渡した。ちょうど自己紹介のタイミングで、私が彼の名前と通っているところを紹介したが、彼の体はみんなに向かって開かれているように感じられた。
別の方のトイレのために彼のもとを離れるとき、入り口で振り返ると彼の視線がこちらに注がれていて、どきっとするというようなこともあった。
そんなふうに静かに流れた午前中の時間のあと、お昼ご飯の時、彼は、怒り出して、どうしようもなくなってしまった。せっかくうまくいっていたのにと、めげそうになったところで、仲間の女性が彼のコップにすっとコーラを注いだ。すると、それまでとはうって変わったような穏やかさでコーラを飲み干した。おいしい飲み物がほしかったことと、その差し出し方の自然さとが彼の心を和らげたのだろう。青年学級では、こういうことがよく起こる。本当の意味での対等ということが、私たちにはまだまだできていないようだ。
午後、ひとときトイレで二人になった。3月でやめた所長さんのことや、お母さんの病気のことなどを語りかけると、彼は、低いうなり声をあげた。やはり話が通じているのかもと、思った瞬間だった。そして、トイレも彼自身のペースですませることができた。
午後の活動の後半は歌をたくさん歌ったので、ギター担当の私は彼のそばを離れたが、歌っている間中、彼は穏やかに仲間の中に座っていた。
そして帰りの集い、朝、あれほど不快そうにしていた彼が、がんがんとスピーカーから歌声や伴奏の音が鳴り響いていても、穏やかに車いすに座り続けていた。
降り出した雨の中を迎えに来られたお父さんと交代して、彼と別れた。私は強く、また、次の学級日に会いたいと思えた。これが、彼との新しい始まりの一日になれば、と心から祈る。
|
2008年6月24日 22時33分
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
青年学級 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/26/