ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2009年09月03日(木)
詩、歌、そして哲学
久しぶりに高校3年生の○○君にお会いした。まず、パソコンの前に、手を振る方法で会話をし、お母さんに方法をお伝えした。そして、パソコンに移る。
最初は、率直な感想から始まったが、しだいに、内容は重みを増し、「分相応」という言葉に至る。

 不思議です。なぜわかるのですか。理想的なやりかたですね。未来が開けてきました。耳をすませていてここだと思っています。楽です。楽です。ふだんからやれればうれしいです。みなさんにも教えたいです。未来の方法ですか。未来にはやれるようになりますか。自分の気持ちが伝えたいのでよろしくお願いします。まだです。理解してくれてうれしいです。小さいころからわからない子どもと言われてきたので分相応の生き方をしてきましたが乗り越えられそうです。みんなも同じだと思うけど、毎日毎日夢を見ています、わかってもらえる日のことを。みんな理解されたいと願っていますがなかなかわかってもらえないのであきらめて分相応に生きることにしています。

 ここで、私は、○○君に分相応という言葉を多くの人たちが使うけれど、いったいどこで耳にした言葉なのかと問いかけた。彼は、ある強さを持った少年なので、きっちり答えてくれると思ったからだ。

 言われたことがあります。愉快ではありませんが先生に言われました。自分の分をわきまえろと言われることがよくあります。悩んでいました。こんなふうに言われてくやしいです
。みんな隠れて言われています。人間性の問題だと思います。

これも悲しい現実の一つだ。あまり、この話題に時間を費やすのももったいないので、ここで、詩について尋ねた。

 小さいときから作ってきましたので聞いてください。

      理想の世界

知らない理想の世界に 理想の風にのって行ってみたい
夢をなくさないで理想を高くかかげて
凛としたろうそくの火のような強さで
理想の世界に旅立とう
理想の国は望んだ私を受け入れて 未来の希望をくれるだろう
私をはぐくみ 私をよい人間にしてくれるだろう
私を見たこともない 私でさえ知らない世界に誘うだろう
理想の世界はなぜ凛とした私を受け入れてくれないのか
理想の国の扉はなぜ開かないのか
理想の国をめざしながら 私は一人静かに祈る

 
 彼の詩は、夢を描くだけでは終わらない。扉が開かない現実もきっちりと表現される。そして、さらに、次のように言葉を続けた。

 なぜ扉はまだあかないのでしょうか。望めばきっと開かれるという言葉を聞いたことがありますがほんとうでしょうか。

 切ない問いかけだった。答えに窮したが、次のように答えた。簡単に望んで得られるものだったら、わざわざ扉が開くというようなことまで言わない。やはりなかなか得られないものだから、そういう言い方になる。本当に得られるかどうか、それはわからないけれど、あきらめたらその時点でもう得られなくなってしまう。望んでも望んでも扉は開かなくても、明日は開くかもしれない。だから、扉を開かせるためには、望み続けるしかないのではないかと。すると彼はこう答えた。

 自分の言いたいことがわかってもらえてうれしいです。

 彼は、私の語ったことぐらい、自分でも考えていたのだろう。それが、この答えに現れている。そして、同じ考えを聞いて、とても喜んでくれた。
 さらに、歌を作っていないかと問いかけた。やはり、彼も歌を作っていた。

   夢を待つ

不思議な不思議な夢の国
理解を求め理解を願い
夢をたくさんそよ風に
夢をよく見た空高く
私の指を折ながら
何度も数えて夢を待つ。



 小さいときからつらいときに歌を作って歌っていました。聞いてもらえるとは思いませんでした。忘れていました、小さいときに希望をいっぱい持って生きていたことを。理想がかなう日が待ち遠しいです。来年から社会人になるのでがんばりたいです。

ここで、彼に、詩や歌以外に、自分の中で暖めてきたものはないか、尋ねてみた。すると「哲学」と答えが返ってきた。また、一つ、長い沈黙の世界を生きる心が創造しているものを教えてもらった。

 人生を生きるための哲学を考えています。
「やるときにはやらなければ機会は永遠に失われる。」
小さいときから考えてきたことです。
「唯一の希望は唯一の信頼とともに自分を最後に支えるものだ。」
理想がなかなかかなわなくても希望と信頼を失ってはいけないということです。
「二つとない理想は信じ合うということでそれさえあれば何でも乗り越えていくことができます。」
忘れないように毎日思い出しています。たくさんあります。人間として認められた気がします。わかってもらえてうれしいです


 これだけの哲学を持っている彼だからこそ、先ほどの「望めば扉は開かれるのか」という私への問いかけの答えをすでに持っていたのであろう。
 表現の閉ざされた奥深さがまた、一つ明らかになった。



2009年9月3日 00時07分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G23区3 |
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