父の死
9月5日早朝、父が逝った。私がちょうど職を得た時に、故郷大分を離れ、埼玉に両親は引っ越してきた。退職してすることもなかった父は、持ち前の器用さと電気関係の知識を生かして、私の教材製作を手伝ってくれるようになった。もともと不器用な私には、同じ教材ならいくらでも作ってくれたり、アイデアだけ出せば何とか工夫して新しい教材を試作したりしてくれる父の存在は大変ありがたかった。そんな父が2年前に小さな交通事故を起こして自動車の運転をやめてから、一気に認知症が進んだ。そして、ついに、教材製作が困難となった。それでもはんだづけだけは見事なこてさばきであったが、それもこの3月が最後だった。荷物を一つずつ下ろしていくような歩みが続く中、7月に脱水症状で具合が悪くなり、床に伏すことが増えたが、その背後で多発性骨髄腫という病が進行しており、8月にはいると歩行も困難となって、この半月はほとんど寝たきり状態であった。そして、5日、呼吸と脈が止まり、救急車を待つ間に私と甥とで心臓マッサージを行ったりしたが、息を吹き返すことはなく、そのままかけつけた主治医によって死亡が確認された。終着駅のホームに電車が静かにすべりこみ、ゆっくりと完全に停止するような、そんな静かな最期だったように思う。
その父の通夜に、ご両親に伴われ、○○さんがご弔問に訪れてくださった。幼少期から関わり、今は20代半ばを迎える彼女と、合間の時間に手を振る方法で会話を交わした。(この方法は、昨年末、彼女の家を訪問してとっさに思いついた方法だった。)
書き留めることはできなかったが、彼女はおおよそ次のようなことを語った。
輪廻ということがよく言われるけれど、私の父がまた人間に生まれ変わることができればいいねということ。そして、自分はこんな体に生まれたから、生まれ変わったら今度は健康な体に生まれてみたいということ。
そして、ろうそくの火が消えるみたいでとても寂しいということ。
ろうそくの火のことを言うとき、彼女はとてもつらそうに見えた。そこで、私は次のことを語った。
父の場合は、ろうそくをすべて燃やし尽くして火が消えていったようなものなので、それは幸せな人生だった。しかし、彼女の仲間が、まだ燃えるべきろうそくを残したまま途中で火が消えるようにして亡くなってしまうのはそれと違うかも知れない、と。彼女はこの私の説明を聞いて、よくわかりましたと穏やかな顔つきを取り戻しながら語った。
また、彼女は通夜の中でとりおこなれていた読経の中の言葉を聞いたままに取り出してその意味を尋ねてきた。彼女が聞き取った音声は、呪文のようなもので、まったく意味が測りかねたが、こうやってあらゆる機会をとらえて、新しい言葉を吸収しようとしているのだということがよくわかった。
父は、教材製作を通して多くの障害のある人と関わることができた。実際に顔を合わせた方々の数は少ないが、こうして、○○さんが訪れてきたことは、何よりもそのつながりを証すものにほかならなかった。父は多くを語らない人だったが、晩年を、こうした関わり合いの中に身を置きながら過ごせたことは、望外の喜びだったにちがいない。そんなことに気づけたのもまた、○○さんのおかげであった。
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2009年9月11日 21時51分
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「しばたさんおとうさんみなさんさびしいですね。ぼくとさけをのみましょう。」