自分との戦いと「くるしさからかいほうされたとき」:二人の少年の思い
火曜日、二人の小学2年生の少年と会った。
パソコンでの関わり合いが3度目になる◇◇君は、まず、「きてくれてありがとうすいっちがじぶんでやれるようになりたい」と手をしっかり支えられた状態で、2スイッチワープロとスライドスイッチを使用してすばやく綴った。彼にとっては、独力で文章を綴ることが自分で作った目標になっている。もう少し、この状態で気持ちを聞いておけばと思ったのは後の祭りで、彼の気迫に押されて、思わず、一人でやれる状況にした。今日用意した2つのプッシュスイッチは比較的よかったのだが、タイミングよく頷いたりするので、オートスキャン方式の1スイッチのワープロを見せてみたところ、俄然こちらが気に入った。残念ながら、スイッチ操作がまだうまくいかないので、なかなか単語を作るのもむずかしい。ちょっと手首を介助すればずいぶんと改善されるはずであることはわかるのだが、誇り高い彼は、そうした援助をきっぱりと拒否する。それは、幼い雰囲気をその表情に漂わせながらも、自分と勝負しているたくましい姿だ。「はいーといいえ」が明確に表現できる彼には、日常生活におけるコミュニケーションは、かなり円滑に進めることができるので、さしあたり、パソコンで何かを表現することよりも、一人で成し遂げることの方が、圧倒的に重要なのだ。今は、ただ、彼の誇り高い戦いを応援し続けることが、大切なのだと思った。
昨日、大学の授業に二人の障害者がゲストで見えた。彼らは戦う障害者だが、私には、もっと大人になって、たくましく自己を主張していける彼の姿が、彼らの姿に重なった。
パソコンでの関わり合いが2度目になる○○君からは、いきなり「くるしかったけどはなせることができてきもちがらくになりました。」という文章が出てきた。前回「ねがってきたきもちをつたえること うれしい ずっとまってきた」という思いと符合する。そして、悲しそうな表情をしながら次の言葉を綴った。「くるしいのはよくめがみえないことです。」4歳までは見えていたという。短い時間だったろうが、目でたくさんのものをとらえてきたにちがいない。その目が光を奪われた。
助詞の「は」の使用や促音の使用など、見えなければ、学べないものも彼はしっかり理解しているようだ。そこで、どうやって覚えたのと尋ねてみた。すると、「かあさんがえほんでおしえてくれた。ちいさいもじのえほんがべんきょうになりました。」という答えが返ってきた。
そこで、おかあさんにメッセージがあればと促したところ、「かあさんいつもありがとう。いつかしあわせにしてあげよう。ほんとうにかんしゃしています。」と綴られた。
さらに、彼の言葉はこう続く。「さみしいときにいつもおもいだしていますくるしさからかいほうされたときのこと。くるしさのみのじんせいはいやです。」「くるしさからかいほうされたとき」とは、初めて文字が綴れた時のことを指しているのだろうか。その時を思い出している彼を想像すると、私もまた胸がしめつけられた。
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2008年6月24日 23時40分
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家庭訪問 |
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