盲重複と呼ばれる人たちと
一度だけ、他の先生との点字の学習の合間に、ほんの5分くらいの短い時間手をとって言葉を聞き取ったことのある全盲の○○さんとゆっくりお会いした。まず最初にその時のことを覚えているか尋ねた。
はい、覚えていました。ころころころがるような音楽を聞いたように、嬉しい気持ちがしました。うれしいです。いい未来が私にももたらされたような気がしました。
そして次のように語ってから物語を聞かせてくれた。
ころころころがるという物語を聞いてください。
残りわずかのもろもろのよい歌声が聞こえてきました。いい声で歌を歌っているのは、たくましい男の人でした。よい歌声はいつまでも続き、歌の呼んでいる方向を認めるとこの間聞いたのとはちがう、いい喜びの未来、ろくんろくんと夢を見ています。
雪の降る夜も、苦しい声で歌を歌い続けていると、金の言葉が聞こえてきました。勇気をもらい、私を苦しみから解放してくれた歌声に私はとても感激して、いい歌を聞かせてもらえた喜びを、この方法に感謝しています。いいやり方ですね。
そして、この物語について次のような説明が加えられた。
今考えました。苦しかったです。いい気持ちだったからです。いい気持ちだったから、物語を考えました。願いがかなったからです。どこかで聞いたわけではありません。自分で考えました。勇気をもらえてうれしいですから、考えました。
昔から言葉で気持ちを言いたいと思っていたけど、なかなかかなわず、もうあきらめていたのでうれしかったです。苦労してきましたが、これでかないました。
もう20代なかばの○○さんには、こうした時が訪れるということはありえないことだったのかもしれない。そして、次のようにたたみかけられる。
昔から私たちは、言葉を理解していましたが、なかなかそのことをわかってもらえませんでした。いいやり方ですね。いい夢を見ているゆおうな気持ちです。うれしいです。うれしくて気持ちがいいです。
ここで、見学をされていたほかのお母さんが見えているということをどう理解しているのかというストレートな質問があった。すると、彼はひるむことなく次のように答えた。
目が見えているということの意味はよくわかりませんが、見えているというのはよくわかります。子どもの時からうらやましかったです、目が見える人のことが。
この時、「子どもの時」という言葉を読み取っている時に、彼の口から歌うような声が発せられた。そこで、今の声はどういう意味があったのかを尋ねてみた。すると、まさにその声が歌だったことがわかった。
子どもの時のいい歌声を歌っていました。いい歌です。
そして、歌詞とメロディを教えてくれた。
いい子 お母さんを忘れないでね
お母さんはいつもそばにいるからね
そして私が、いいうただけど、切ないね、と語ると、次のような返答があり、また、歌を歌う意味が語られ、さらに次の歌に移っていった。
切ないとはどういう意味ですか。わかりました。
腕をかむのをやめるために自分で歌を歌うことにしていますので、いい歌をたくさん作っています。歌を聞いてください。
美しい声の人を私は愛します
美しい声の人を私は愛します
美しい心の人を私は愛します
私の美しい心のように美しい
歌を歌って生きていこう
美しい心で作った歌です。美しい声の人に歌ってほしいといつも思っていますが、先生の声も美しいのでよかったです。いい気持ちです。いいやり方ですね。うれしいです。うれしいです。勇気が出てきました。うれしいです。いいやり方ですね。うれしいです。うれしです。また会いましょう。うれしいです。みんなの気持ちを聞いてあげてください。またやってください。苦しいけどうれしかったです。歌を聞いてくれてありがとうございます。苦しかったです。苦しかったです。昔の気持ちを苦しみから解放させることができました。うれしいです。
そして、最後に、目の前で明かされていく彼の深い内面の世界を、驚きといとおしさの目でながめていらっしゃるお母さんに、メッセージをお願いした。
お母さんいつもありがとうございます。ろうそくの火のような未来の希望が見えてきました。よい美しい未来が開けてきました。これからもよろしくお願いします。
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2009年11月6日 06時39分
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