きもちをいうのはむずかしい
学齢前から関わってきた○○君も、中学3年生になった。全身が動かない病気をかかえて生きてきた彼に対して私が試みてきたことは、パソコンで言葉を綴ることだった。彼は、最初に出会った頃から、スイッチ操作はすぐに理解し、2スイッチワープロの送りスイッチをわずかに動く親指で操作し、決定を目で訴えるということがすぐにできるようになった。しかし、そこから彼の始めたことは、50音表の音をオ段だけ順番に選択したりするなどの「遊び」で、なかなか言葉を綴ることをしなかった。もちろんまったくできないわけではなく、時折、短い言葉を綴ってわれわれを驚かせることもあったが、文字選択の巧みさと、その内容にギャップがあったのは事実である。その後、手の親指と足の親指とで自由に2スイッチワープロを自由に操作できる時期が長く続き、いろいろな単語を綴るようになったが、それは、読んでもらった絵本の題名や聞いたCDの曲名、ディズニーのキャラクター等で、なかなか気持ちは綴らなかった。この頃は、2スイッチで操作できる自作の算数のソフトや音楽のソフト、描画のソフトなどもよく作っていった。そういうソフトにはとても興味を示し、プログラムのミスなどもよく発見して、驚かされたものだった。
そうするうちに、しだいに指の操作ができなくなり、体のかすかな動きを関知するセンサーを使ったピエゾスイッチで操作するしかなくなって、1スイッチのワープロソフトとして普及しているフリーソフト「ハーティーラダー」に移行していった。そして、無事、彼はそれを使いこなしたが、操作の鮮やかさに比して、綴られる言葉は、なかなか複雑にならなかった。
彼のコミュニケーション手段は他に、2スイッチワープロの原理で相手が「あかさたな」と読み上げるのに対して眉毛や口元による返事を返して言葉を伝えたり、透明板の50音表から視線で文字を選択するやり方などを習得していた。
いつか複雑な思いを語るはずだと思いつつ、時間だけが過ぎていった。
そんな彼に、私は、手をふる方法を試みてみた。まったく動かなくなって力も失ってしまったかに見える彼の手だが、かすかな力が伝わってきて、すらすらと言葉を聞くことができた。そして、驚いたことに作文が書けないということを言ってきたのである。今、こうやって話しているのをそのままハーティラダーで書けばいいのではないかと言うと、パソコンで書こうとするとうまく言葉が出てこないというのだ。そのことを聞いた日は、私自身どうしていいかわからなかったが、4月ぶりになってしまった2月の訪問では、このことにきちんと向かい合ってみようと考えた。この4か月の間に、彼は、1スイッチの意思伝達装置として有名な「伝の心」が使えるようになっていた。
最初にまず、手を振る方法で気持ちを聞かせてと伝えた。すると、
きもちをいうのはむずかしい
と答えが返ってきた。それでは、それをそのままパソコンで打ってみてというと、何と、漢字変換をまじえながら、「気持ちは楽しかった」と書いてしまったのである。感想文を書いても、たのしかった以外をなかなか書けないのが彼の作文のむずかしさだったが、ここで、その言葉が出てきたわけだ。しかし、明らかにこれは彼の本心ではない。どうして「たのしかった」と書いたのかを尋ねると、画面を見ていると浮かんできてしまうというのだ。
自閉症や盲重複と言われる人の中に同じような人がいたし、簡単な言葉が話せる肢体不自由の人がしゃべろうとすると言葉が消えると言った人がいた。それぞれ理由はちがうだろうが、気持ちを表現するには、われわれにはよくわかっていないハードルがいくつか存在するのはまちがいない。
そして、いろいろ尋ねていた中で、「いえのなかではろうそくがみえません」という言葉がふと出てきた。そこで、彼に、今、「ろうそく」という言葉が出てきたけれど、これは、心の奥底の中の気持ちだよね。そのままそういう気持ちを表現してみてほしい。たぶん詩のような言葉が出てくると思うので、それをパソコンで書いてみよう、といった。そして手をふる方法で、彼の心の声を尋ねてみると、まず、もう一度、「いえのなかではろうそくがみえません」と始まり、そのまま、詩のような言葉が綴られた。それをホワイトボードに書き取って、パソコンで書いてもらうことにした。パソコンでは、漢字の変換も使いながら、「うれしいです すらすらいえて」という感想とともに、次のような詩を文字にした。
家の中ではろうそくが見えません。
美しい日を見たいです。
勇気出して強く行きたいです。
私たちの言葉をもっと伝えたい。
昔からろうそくを見たいと思ってきました。
夢のようなろうそくが見たいです。
2行目の「美しい日」は「美しい火」ではないのかと尋ねても、彼は、「美しい日」であることを眉毛で主張した。「勇気出して強く行きたい」は手をふる方法では、「ゆうきがひつようです」だったが、パソコンに書く際に書き換えた。もしかしたら、「勇気」が「出す」を連想したのかもしれないが、彼は、これでいいということだった。
心の声をしっかり聞いて、勝手に連想してわき上がってくる言葉に負けずにパソコンに書いていけば、本当の気持ちが綴れるようになると、何度も繰り返し伝えて、この日はおいとました。
何かが見えてきたような、そんな気がした関わり合いだった。
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2010年2月17日 21時39分
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家庭訪問 |
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