小児科病棟にてその3
ベッドに横になっている中学生の○○さんの手を、包みこむようにして下から支える。そして、私自身が手を動かしてスイッチを押しては離すということを繰り返す。そのスイッチの先にあるパソコンには2スイッチワープロが起動されているわけだが、彼女が選びたい行がくると、じわっと手に力がこもり口元にかすかな合図が浮かぶ。そして、その時、彼女の健康管理のために常時つけられている心拍計の値がさがることを確認する。この微細なプロセスを私が手、お母さんが口元、担任の先生が心拍数というように、3人がかりで繰り返しながら、珠玉の文が綴られた。
ふしぎだ
ひがさっとまどからさすみたい
すくっていただいた
「日がさっと窓から射すみたい」という詩的な表現は、ぎりぎりの限られた文字数の中で表しうることを凝縮した、輝くような言葉だ。一文字ずつ、息をのむような中で文字が選ばれる中で、この文が生まれてくる緊張の時を、どのように伝えたらよいのかわからない。
「すくっていただいた」という言葉には、ただただ襟を正すしかない。それが私に向けられたものであるとするならば、私はそのような言葉に値する人間ではないということははっきりしたことだ。しかし、表現できるあふれんばかりの喜びをこう言葉に表すことで、彼女は、一人の凛とした人格をもつ人間としてとして、私たちの前に、堂々と存在している。
担任の先生は、こう綴り終えた彼女の頬を両手ではさみ、何度も何度もすごいすごいとほめておられた。そのことがまた、私には新たな感動を呼んだ。
隣のベッドの小2の▽▽君は、今日は、呼吸器の周りの処置に関する意見を述べた。「こそおそつけすぎないでくびみずがつめた」という言葉だったが、これをその場で読んだ主治医の先生は、さっそく、彼に様々なことをおたずねになった。そして、「こそおそ」はコットンのことがうまく書けなかったらしいこと、呼吸器を装着する際の布のベルトのしめ方をどうにかしてほしいことなど、的確に聞き出されていた。生まれた時から彼を大切に守ってきた先生は、こうした彼の言葉を、けっして軽く扱うことはない。まるで、成人の患者からの言葉のように、正面から受け止め、はっきりしないところは、何度も問いただして、彼にとって、楽な方法を探し続けていらっしゃる。彼もまた、先生との長い信頼関係を背景に、自分の言いたいことを口を動かす合図だけで、懸命に伝えていく。今回は、こうしたやりとりに終始した。
ところで、中学生の○○さんと小学2年生の▽▽君は、ともに、ベッドを離れることがむずかしいので、わずか1メートルあまりの距離にいながら、手を触れあうこともない。しかし、同室になってもうじき1年になり、24時間同じ部屋で過ごしている二人には独特の絆が生まれつつあるような気がする。
関わり合いは、まず、○○さんがやって、一休みし、▽▽君がやって、もう一度、○○さんがやるというような順番になっているのだが、お互い、どんな文章を綴っているのかということに、聞き耳を立てている様子がよく伝わってくる。○○さんの詩的なすばらしい言葉を▽▽君に伝えると、耳を澄まして一生懸命に聞いていた。○○さんの心の声は、▽▽君のしっかりと届いたにちがいない。文字を綴ることから言えば、▽▽君の方が先輩。○○さんの言葉がようやく文章になり始めたことを、心から喜んでくれているはずだ。
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2008年7月2日 06時23分
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